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2011年8月11日 (木)

最近のネット上のサヨク言論にいささか絶望している@黒川滋

黒川滋さんの

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/08/89-ae83.html(貧乏人は中卒でいろ、という自民公明の特例公債法案の対応)

>2007年頃にこうした自己責任という言葉が揶揄されて相対化されたにもかかわらず、再びこうして蒸し返されていることに、世論も政局談義レベルの批判しかしていないことに腹立たしい。

私は社会や国がドケチなことで、親を恨み生きるような子どもを増やしたくないと思っている

でも、その責任はかなりは(ネット上も含む)マスコミや言論界にあると思いますよ。

ざっくりいえば、この2年間の民主党政権の政策は、自公政権末期から受け継ぎそれを拡充したソーシャルな路線と、精神構造的にはむしろその前の時期の主流的感覚に近いネオリベ風リベサヨ路線からなっていたわけですが、

そして、民主党政権の大失敗は、なによりもその市民たらなんたらのリベサヨ路線の破綻にあることは明白だと思われるのですが、

なぜか現在の野党は、(かつて安倍政権から麻生政権時に自分たちが少しずつ進めてきていた)ソーシャルな路線の延長線上の政策ばかりをバラマキと称して目の仇にして叩き潰そうとし、ネオリベとリベサヨが大好きなマスコミも、何となく気分でそれに風を送っているという、全く得体の知れない政治状況に成り果てているわけですね。

で、黒川さんの絶望は、ネットサヨクに向けられます。

>すべては脱原発に賛成か反対かでしか判断されていない。だから、脱藩官僚の古賀など、最も財政の未来に無責任で、かつ新自由主義者がヨイショされている。彼が評価されているのは脱原発と消費税増税反対だけである。しかし彼の基本とする経済政策は、競争社会なのだから、コストを安くみせかけることに成功している原発が推進される。そういうことも見抜けない。また発送電分離もそうである。原発に汚染されていない電力が買えるなどとサヨク言論は歓迎している。しかし最近はどうだろうか。競争原理が働いて安い電力が普及する、と原発の増減そっちのけの議論が横行するようになっている。

新自由主義者の河野太郎が脱原発を言っていることに賛意を示すのはいいが、彼に全てを期待したらどうなるのだろうか。また小泉構造改革の再来である。

そうしてこうして増えた世論は、やがてみんなの党みたいなところに回収されて、最後は民主党のように、まとまりや優先順位がつけられず腐乱する。

古賀氏の本をちゃんと読んでるんなら、わたくしが引っかかった公取を事務総長ポストで籠絡するというストーリーもちゃんと読んで、古賀氏がどういうたぐいの人格であるか分かった上で褒め称えているのでしょうから、まあ、そういうことなんでしょうね。

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コメント

>http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/IMG.pdf

無駄の排除で医療費は増やせると主張している(しかもいまだにその主張を撤回していない)本田宏先生も、高橋洋一の本を絶賛していました。口先で美辞麗句を弄していても、実際の政策ではサプライサイドの利益しか考慮せず、信者の期待を裏切るのが新自由主義者の手口であることに、なぜ気付かないのか。
この点、世代間格差に怨嗟の声を発する人達が、「埋蔵金」高橋洋一や「国債発行こそ日本を救う」三橋貴明を支持しているのと相通ずるものがあります。埋蔵金とは財政学でいうストックであり、国債の償還に使われるべきなのに、それを予算に使ってしまうことは国債の発行と同義です。国債を乱発すれば、財政破綻という生活レベルの低下を伴う究極の世代間格差をもたらすことになる。増税反対という耳障りのいい議論が、自分達が憎むものを呼び寄せてしまうのはなんとも皮肉です。

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