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2011年8月 3日 (水)

それぞれに利害のある人々を「御用一般人」と言える心性の劣悪さ

例によって、被災地で日夜苦闘している地方公務員のマシナリさんの最新のエントリから、

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-461.html「増税」なんてなかった

>・・・それらすべての政策を実現するための財源については、相変わらず増税か反増税かという単純な議論が繰り広げられています。誰からとるか、いくらとるかも大事ですが、それを誰に配分するのか、現金・現物をどれだけ配分するのかも同じくらい大事です。増税か反増税かで議論する方々の視界からは後者の論点がすっぽり抜け落ちているようで、まあ、おそらく後者の論点を言い出したら、国民負担率が先進国でも最低水準にあって、先進国並みの所得再分配が行われていない実態を正面から論じなければなりませんから、その点には言及したくてもできないのでしょうね。

ここから、マシナリさんは過去30年の租税負担率の推移を示しながら、

>これまでネットでの税収の長期的トレンドはほぼ一貫して低下し続けていたわけで、「増税」といえる増税はこれまではなかったといえそうです。それでもオリンピック後の不況、2次にわたるオイルショック、バブルの崩壊、リーマンショックと不況は繰り返されていて、増税なんかよりもっとほかの要因を気にした方がよさそうな気がします

ということを明らかにしています。

使い道を一切捨象して「増税」のみをなぜか目の仇にする連中には、何か意図がありそうです。

>こうした歴史的経緯には一切触れずに増税を「財務省の陰謀」とかいう方もいらっしゃいますが、その税収でより豊かな暮らしを享受できるのは低所得者層だったり、その方々に社会保障の現物給付を行う公的セクター(私もその一員です)や医療・福祉分野に従事する労働者なんですね。高橋洋一氏もその機能を認める「官庁内閣制」(行政学的には「官庁内閣制」というより「省庁代表制」の方がこの趣旨に合いそうです)の下では、これらすべての関係者も財務省の陰謀に荷担しているというのでしょうね。それならそれで、おおっぴらに財務省に肩入れしましょう。税収増の恩恵を受ける低所得者層や社会保障の現物給付を行う労働者がおおっぴらに支持すると、もはや陰謀論ではなくなってしまいますが

まことに、人を安物作りの陰謀論で誹謗する徒輩に限って、その心性はまことに劣悪なるモノがあるようで。

>まあ、最近は陰謀論に限界を感じたのか一部では「御用一般人」といういい方もされているようですが、それぞれに立場があって生活している普通の国民を指していうのであれば、その言語センスにはついていけそうもありません。普通の言葉で言えばそれぞれの立場にあるただの利害関係者が主張しているだけであって、それを調整するのが政治や行政の役割なのだろうと思いますが、昨今の政治状況ではそれがすっ飛ばされる傾向にあります。そうした中で利害も関係なく主張している方ももちろんいますが、それは政権奪取戦略によって合理的無知をエクスプロイトされた被害者ともいえそうです。それを「御用一般人」などと蔑視するのは、政権奪取戦略に勝らずとも劣らないこうとうせんりゃくですね(棒読み)

ここはマシナリさんに倣って棒読みするのが文学的には正しいところでしょうが、あえて理屈っぽく言えば、サンテルではないけれど、国民一人ひとりはそれぞれに立場があり、利害関係のただ中にある「負荷ある」存在であって、初等マクロ経済学の抽象空間の中にぽつんと放り出された得体の知れない「負荷無き」存在ではない、ということでしょう。

それなるがゆえに、そういう「負荷」を背負った利害関係者をまとめ上げながら、マクロ社会的に「妥当」な解を追求するステークホルダー民主主義が重要になるわけです。

日本の「リベラル」は、社会民主主義的なフレーバーを漂わせながらも、その本質においてまったくその反対物であり、「ネオリベラル」と同根であるのは、まさにこの点なのでしょう。

「御用一般人」などというクレイジーな言葉を平然と発せるのも、この所以でしょう。一般人は全て自分の、自分たちの利害に忠実なのです。

一部の奇矯な信者たちの崇拝する教典の教義に身を委ねるべき筋合いはありません。

批判の余地があるとすれば、その「利害」がどこまで真に「利害」であるかについての実証的な議論でしょうが、少なくとも「りふれは」方面からそのような実証的な議論がかけらでも提起されたことはないようです。

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コメント

後向きに前進、自宅の2階に外出、ああはやく起きて睡眠薬飲まなきゃ、富士山頂で海水浴、全速力でぶらぶら散歩、ミミズの遠吠え、具体的過ぎる抽象画、御用一般人

本当に利害に基づくならまだマシでしょ。
自分達の絞刑吏に万歳を叫ぶ馬鹿には「肉屋を支持する豚」で十分ですね。

>ここから、マシナリさんは過去30年の租税負担率の推移を示しながら

よく分からないのですが、自己負担が多いということではないのでしょうか?例えば120万円の学費は日本の私立大学では普通だと思うのですが。

http://www.cnn.co.jp/world/30000868.html
>学費値上げは政府が試みる財政赤字削減策の一環。 年間の学費を現在の3000ポンドから最大で9000ポンドへ引き上げることや学生への補助金打ち切りなどを想定している

取り上げていただきありがとうございます。

> そういう「負荷」を背負った利害関係者をまとめ上げながら、マクロ社会的に「妥当」な解を追求するステークホルダー民主主義が重要になるわけです。

という点は、最近拙ブログでもあまり触れていませんでしたが、集団的労使関係が現実の会社組織の中で存在意義を見失っていることにも大きく影響されているものと思います。雇用が社会保障を裏打ちしている立場にいれば、自分と異なる立場にある人びとと利害を調整して合意を取り付けるよりも、自分の半径5メートルの論理で社会を批評する方が気楽なのは当然ですし。

そうした「利害関係」にあってお気楽な社会批評家からすれば、関係業界、所得階層、身体的条件、政治的思想がそれぞれ異なる国民全体を相手に、自らも「省庁代表制」で利害を代弁しながら利害調整している役所なんぞは、既得権益に凝り固まったアフォな組織として格好の攻撃対象となるのでしょう。

なお、米さんのご指摘のとおり、日本は低負担、低福祉の国ですから、逆にいえば自己負担の大きな国です。利害調整そのものを「既得権益がうんたら」といって毛嫌いされる方に従うなら、それを止める一番簡単な方法は、「全部自己負担でやってね」と所得再分配を止めてしまえばいいのですから。

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