死んでもいい人間を用意してくれ
本日発売の『週刊ポスト』の記事から、
http://www.news-postseven.com/archives/20110801_27210.html(フクシマ50 下請け社長は「死んでもいい人を」と発注受けた)
>菅直人首相が原発対応拠点のJヴィレッジを激励に訪れたその日も、彼は現場で働いていた。その作業服の背中には、「菅直人1回現場に来てみろよ」とある。震災から4か月以上経ち、いま明かされる「フクシマ50」の素顔。原発でともに作業するフリーライター・鈴木智彦氏の、刮目レポートである。
というレポートの中の、たまらない一節。
>「社長は上会社から『死んでもいい人間を用意してくれ』といわれていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』といわなかったですね。だから志願しました。だってうちの社長、熱い人だから自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」
もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで原発を生活の糧にしてきた贖罪だったわけでもない。
「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑い)。
最初に1Fへ入ったときは、たしかにドキドキしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。これまで威勢のいいこと、偉そうなこといってた人間がビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。
(1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった。でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メで撮ってました。20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。年取った人ほどブルってた。なにかあっても死ぬだけなのに」
「死んでもいい人間を出せ」に志願し、平均余命の短い者がブルってる中で「なにかあっても死ぬだけ」とうそぶくこの若者や、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d918.html(結婚を諦めている原発作業員)
に出てくる若者が、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-354b.html(「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛)
日本のリーダーが考える「日本人の誇り」なのでしょうか。
確かに「誇り」かも知れません。ワタナベ・アツシさんが自らをなぞらえる神風特攻隊と同じく。
しかし、神風特攻隊は日本人の誇りである以上に、それをやらせた日本軍人の永遠の恥の証しでもあることを忘れないようにしたいものです
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