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2011年8月15日 (月)

「りふれは」の労使関係観

上念司氏が『正論』9月号に書いた「経団連よ、この国難に道を踏み外すな」という文章の中から、同じ「りふれは」の田中秀臣氏が嬉々として引用している文言:

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110815#p1

>「自由主義経済の守護者であり、かって争議潰しで名を馳せた日経連を吸収した現代の経団連が、日本経済の社会主義化を望んでいるとしたらそれは冗談としか思えない

実をいえば、旧日経連の人がこれを読んで単純に嬉しがるとも思えないのですが、いやむしろ、俺たちのやってきたことを、そこらのやくざの「争議潰し」としてしか見てくれていなかったのか・・・と、情けなさに涙をこぼすかも知れないとすら思いますが、まあそこはおいといて。

少なくともここに露わになっているのは、「りふれは」諸氏の、どうしようもなく反労働者的な労使関係観であるということだけは明らかなようです。

労使がそれぞれにきちんと主張し合い、ルールに則ってものごとを決めていくという先進産業国であれば当たり前の仕組みを「社会主義」と蔑視して、叩き潰そうと考えるような、そういう人々のいうことが、経済学的にどうであるかなどとは遥かに遥かに下の次元で、まっとうな感覚の持ち主からは相手にされないような代物であることを、こうして我々にあからさまに教えてくれるのですから、「りふれは」諸氏が隠し事があまり得意ではないことだけは確かなようですね。

こういう社会民主主義を親の敵とつけねらう「りふれは」の言葉を見た後で、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-caec.html(与謝野馨『民主党が日本経済を破壊する』文春新書)

>自民党は正式名称は言うまでもなく「自由民主党」という立派な名前だが、税制と社会保障制度に限っては、戦後長く、実はきわめて欧州型社民主義に近い路線を歩んできたと私は認識している。福祉社会を創ろうと最初に提唱したのはかつての民社党だが、国民政党を名乗り、融通無碍が特質の一つである自民党がそういうものを吸収しながら政権を維持してきた。

>会議立ち上げの旗を振り、社会保障、雇用から日本の社会のあり方についてまで踏み込んで議論を進めた担当大臣として私の責任は重いと自覚している。党派を超えて具体化を進めよという有識者の皆さんのご提言である。今後どのような立場に置かれようとも、政治の場でこの報告書に超党派で息吹を吹き込んでいかなければならないと心に誓っている

という言葉を目にすると、経済政策としてどっちがいいとか悪いとかいった枝葉末節の次元などは別にして、是非この意気で「りふれは」を叩き潰していただきたいと念願するのは、あまりにも当然のことと言えましょう。

(追記)

いうまでもなく、敵の敵は味方なのではなく、もっと非道い敵であることはいうまでもありません。

まさかと思いますが、このわたくしを「りふれは」の敵だというだけで池田信夫氏のような札付きのインテリやくざと一緒にされないよう、念のため追記しておきます。

(付記)

いうまでもないことながら、日経連をやくざまがいの「争議潰し」と褒め称えておいて、

http://twitter.com/#!/hidetomitanaka/status/103154604069494784

>労使問題をまともにみれない経団連とか厚労省とかの役人的マインドについて付記しました

などとうそぶく低劣な心性こそが問題とされていることが、理解できない「りふれは」であるわけです。

思うにこういう発想は、意外に見えるかも知れませんが、ある種の共産主義者と共通するものがあるように思われます。

オレ様はマクロな大乗的見地からお前ら労働者どものことを遥かに良く考えてやってるんだから、ミクロな職場の労使関係ごときにぐだぐだ文句抜かさずに、真理を掴んだオレ様たちのいうことを聞いておればええんじゃ、そうすればすばらしき共産主義社会という極楽浄土が待っておるぞ、という発想。

ミクロな労使関係に対してまっとうな姿勢をとることのできない者が、いかに自分たちの間だけで通用する「真理」を偉そうに振り回したところで、心ある人々はついていくことはない、というのが、20世紀の血の歴史が残した教訓であったはずなのですが、世代が入れ替わり、かつての教訓が忘れられていくと、またぞろ違う意匠で、同じような労働者を蔑視しながら労働者を救済すると称する教団がはびこっていくのでしょう。

まあ、こうして労働者がミクロな場で訴えることを踏みにじる「正義」を振り回せば回すほど、「りふれは」の正体があからさまになっていくので、わたくしとしてはそれで結構です。

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コメント

 東洋経済のベスト経済書は、「国家は破綻する」(ラインハートとロゴフ)であった。
 りふれ派は、自分の主張が国際標準だと常々主張するが、世界の経済学会で認められているというこの本のインプリケーションについて、ちゃんと説明してくれたことはない。
 この本によると、政府は、ふつうは、金融危機後の停滞の中、インフレへの誘惑にかられ、失敗するという展開をたどることがパターン化していることが多いという。
 リフレ派の良識派の松尾匡氏がいうように、欧州の中道左派は、保守的な欧州中央銀行の金融政策に批判的のようだが、私には、安易に流れやすい人間の本質を忘れた理論倒れと思われる、中央銀行による国債の直接引き受けまでも主張しているようなところは、どこかにあるのだろうか?
 りふれ派の主張は、わたくしには、3.11前の地震学者のように、大した歴史的知見もないのに、限られた知見で、自信満々に、東北地方で、大地震はないと、断言していた姿と重なるものを感じざるをえない。
 また、りふれ派の辞書には、労働法はなく、民法だけなのかもしれないと思う。


「偏差値40から良い会社に入る方法」を読んで労働を始めた
もと偏差値40の大学生は会社でどういう労使関係を結んでいるのでしょうか

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