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2011年8月

浅倉・島田・盛『労働法 第4版』

L12445 有斐閣アルマの教科書である浅倉むつ子・島田陽一・盛誠吾『労働法 第4版』をお送りいただきました。ありがとうございます。

>労働にまつわる問題の現状と課題を知り,法的視点から考える力を養う,スタンダード・テキスト。新規判例を多数取り入れ,労働契約法も一層詳細に解説した。労働をとりまく諸条件の変化とともに変わりつつある労働法のダイナミズムを体現した,待望の第4版。

第3版の時と同じ文言ですが、著者紹介の中の盛誠吾先生の「読者へのメッセージ」を引用しておきましょうか。

>私が学生時代に労働法を専攻したきっかけの一つは、≪賃金闘争において、労働者側は必ず敗北する。なぜなら、資本家の団結は慣習となっており、効果的なものであるのにたいして、労働者たちの団結は厳しく禁止されているからだ≫という趣旨の、マルクスの『経済学・哲学草稿』の冒頭の一節を読んだことだった。時代は変わり、労働者には団結権が保障されている。しかし、今、そのことの意味をどれだけの労働者が理解し、実践しているだろうか。労働者にとって厳しい現状であればこそ、「団結は力」であることを改めて考えて欲しい

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チルドレン政治の失われた20年

黒川滋さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/108582155373920256

>半分自己批判的な話にもなるが、1990年代初頭に、おたかさんブームで消費税反対に燃え上がった大衆がその後、どこに行き着いたのか、検証するものはないだろうか。私は少なからず小泉純一郎や竹中平蔵の支持者になり、今ではみんなの党を支持しているおじさんおばさんではないかと見ている。

それが、私の言う「チルドレン政治」の血脈ですね。

支持基盤だった労働者の支持率も長期低落する中で、まっとうな社会民主主義に目覚めるどころか、それを支える基盤の消費税を目の仇にして叩き潰して「山が動いた」などと浮かれ騒いだ愚昧な旧社会党の遺伝子が、まっとうな保守主義だったはずの自民党の政治家にも伝染し、あっちこっちに社会基盤を破壊して喜ぶチルドレン政治家が繁殖していったわけで、いまの「りふれは」やら「揚げ塩」やら「維新」やらに脈々と受け継がれていると言えましょう。

その元祖チルドレンのとこが、依然としてチルドレンぶりを発揮し続けているのも、今となってはもはやほほえましいという域ですが、

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/108578636243800065

>社民党の福島みずほ党首が野田首相誕生について消費税増税路線だといやばかり言っているが、本当に社会主義インター加盟政党の党首の言葉だろうか。良い方に解釈したところで、社民党を年金受給世代の財布の中のために発言しているとしか理解できない。福祉社会への責任ある態度を聞いたことがない。

自分が党首をしている政党の「社会民主」というタイトルが、世界共通の認識枠組みではどういう意味を持っているかなどということは、かけらも考えたことはないのでしょう。「山が動いた」22年前の成功体験に固執する老いぼれてぼけ気味のチルドレンほど見苦しいものはないとも言えますが。

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/108576629986562049

>増税を主張する政治家に「財務省官僚に洗脳」って、どこかで聞きかじったようないかにもな言葉で罵倒をするの、本当に良くない。冷静に見ている人はそういう人を足し算引き算もできない人だと思っている。増税反対するにしてももっときちんとした議論をしないと、全然世の中良くならない。

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/108585977311801345

>社会保障と税の一体改革が出てきて、消費税増税の積算根拠が出ているのだから、これをめぐって消費税率は論争されるべき。福島党首みたいに揶揄のネタにしたり、民主の一部のように「財務省官僚に洗脳」なんて言うのは横着。低賃金で保育や介護を支え、人不足の医療現場を支えている人をなめている。

まあ、チルドレン政治家を応援するチルドレン(エセ)学者やチルドレン評論家の責任も大なるものがありますけど。

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ネトウヨ+ネトリフ=ウヨリフ

いやはや・・・

http://twitter.com/#!/smith796000/status/108338422514589696

>いま、田母神さんに電話しました。野田さんとは愛国者つながりがあるので、「増税は外国を利するだけ。いまは絶対やめなさい。」と説得してくれるそうです!今こそ勢力糾合です!

http://twitter.com/#!/toshio_tamogami/status/108069742375485440

>総理は野田氏が一番いいと思います。国家観、歴史観がまともだからです。心配なことは一つあります。増税です。これではデフレ脱却ができません。国債を発行して日銀に全て買い取らせる金融緩和を行うべきです。

http://twitter.com/#!/smith796000/status/108348159754895360

> さん 先ほどはお忙しいところありがとうございました。「デフレ下での増税は自国窮乏化、税収減を招き安全保障も危うくなる」という論考をまとめましたので、野田さんの説得の際に是非お使い下さい。

なんにせよ、昔の自民党政権が持っていた程度の国益感覚だけはきちんと持っていていただかないと。自慰のやり過ぎは死に至ることもありますから。

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あなたの心に by 中山千夏

中身は完全に雑件です。

野川忍先生が、ついったで言及されていたので、youtubeで(たぶん40年以上ぶりに)聴いて、思わずはまってしまいましたがな。

http://twitter.com/#!/theophil21/status/108160132696903680

>1970年、まだ20歳だった中山千夏が歌って大ヒットしたのが最初です。ふさいだ胸を一挙に解放してくれるような、素敵な歌でしたねo(^▽^)o

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急性白血病で作業員死亡 作業との因果関係なし

産経の記事から、

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110830/bdy11083013180003-n1.htm(急性白血病で作業員死亡 福島第1原発に従事「作業との因果関係なし」)

>東京電力は30日、福島第1原発の復旧作業に当たっていた40代の男性作業員が急性白血病で死亡したと発表した。この作業員の被ばく線量は0・5ミリシーベルトで、東電は「医師の診断によると作業と死亡の因果関係はない」と説明している。

 東電によると、男性は8月上旬から1週間、放射線管理などの業務に従事。体調不良を訴え診察を受けたが、その後死亡した。内部被ばくはゼロだった。就労前の健康診断では問題がなかったという。16日に元請け企業から東電に連絡があった。

これはその通りだと思います。今回の福島第1原発での作業が原因で白血病になったというわけではないことは確かなのでしょう。

ただ、問題は、

>東電によると、急性白血病に関する厚生労働省の労災認定基準は年間5ミリシーベルト以上の被ばく、1年間の潜伏期間などがある。この男性の福島第1原発での作業は、基準に達しないという。同原発の作業に従事する以前の職歴については分かっていないが、東電は「これ以上調査する予定はない」としている

そこが分からない、というところに、実は最大の問題があるわけなのでしょうね。この記事だけでは何とも分かりませんが、今まであちこちの原発で作業してきて、長年被曝してきた人である可能性も高いようにも思われます。

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試用期間の意味

本日の日経の経済教室は、一橋の川口大司さんの「揺らぐ日本型雇用慣行 正社員の『入口』拡大急げ 非正規との垣根低く 中途採用促進へ法改正を」です。

いったいどういう法改正を唱えておられるのかというと、

>日本企業は共同投資体のメンバーとなる正社員の採用には極めて慎重である。そもそも企業が採用面接で自社にあった人材を見分けるのは難しい。さまざまな人材が入り交じる労働市場から適切な人材を捜し当てるのは確率の要素も加わるため、適切な人材がいる確率が高い新卒から採用してリスクを減らそうとする。・・・

>面接だけでなく実際に働いてもらってから採用することができれば、中途採用に積極的になる企業が出てくるだろう。しかしこうした採用方法を妨げているのが試用期間の法的取扱いである。試用期間終了後に正式採用しないことは、日本では解雇と同列に扱われている。そのため、「とりあえず働いてもらって相性がよければ採用する」という採用活動は現在の裁判所の判断の下では難しい。「試用期間の満了に伴う雇用契約の終了は解雇ではない」ことを法律で明記すれば、正社員への入口を多様化することにつながるだろう

実を言うと、言われていることに共感する面もあるのですが、労働法制のとらえ方について、(経済学者に共通のものですが)やや単純化しすぎている面があるように思われます。

そもそも、実定法上「試用期間」については、労働基準法上14日未満について解雇予告の適用除外としているくらいで、その法的性質を明記した規定は存在しません。判例法は、多くの人が川口さんと同じように理解しているのですが、それも正確ではありません。三菱樹脂事件最高裁判決は、その事案(大企業の正社員採用)という事例について「雇い入れ後における解雇に当たり、これを通常の雇い入れの拒否の場合と同視することはできない」といっているのであって、すべての試用期間がそうだと言っているわけではありませんし、JILPTの個別紛争事案分析でも明らかなように、多くの中小零細企業で現実に通用している労働ルールにおいては、試用期間終了はまさにお試し期間の終了で、役に立たないからクビという例は結構あります。

しかし、むしろ重要なのは三菱樹脂事件で何がどうなったのか、です。

労働法の教科書は、とかく具体的な事案の有り様を抜きにして理論的な結論だけに関心を集中する嫌いがありますが、いうまでもなくこの事件は、学生運動やってたような奴は採用を拒否してもいいという判断で有名なのです。正確には試用期間終了後の本採用拒否の事案であって、つまり、 そこで拒否した本採用というのは、大企業型人事管理を前提とした判例法理からすると解雇に当たるはずなんですね。それをいいと認めているのは、以前書いたように、川口さん言うところの「共同投資体のメンバー」として認めるか認めないかの判断だからなのです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/aomori36.html(新規学卒者定期採用制の歴史と法理とその動揺)

>「企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、思想等の調査を行うことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようないわゆる終身雇傭制が行われている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。」

 ここに現れているのは、特定のジョブに係る労務提供と報酬支払いの債権契約ではあり得ないような、メンバーシップ型労働社会における「採用」の位置づけです。それは、新規採用から定年退職までの数十年間同じ会社のメンバーとして過ごす「仲間」を選抜することであり、その観点から労働者の職業能力とは直接関係のない属性によって差別することは当然視されるわけです。

>さて、内定者と同じとされた試用期間中の地位について、上記最高裁の三菱樹脂事件判決は「いったん特定企業との間に一定の試用期間を付した雇傭関係に入った者は、本採用、すなわち当該企業との雇傭関係の継続についての期待の下に、他企業への就職の機会と可能性を放棄したものであることに思いを致すときは、前期留保解約権の行使は、解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合においてのみ許される」と、その解雇に極めて厳しい縛りをかけています。いったん付与したメンバーシップの剥奪に対しては極めて慎重な姿勢で臨んでいるわけです。その判決が、上記のように職業能力と直接関係がない信条による差別(本採用拒否)は容認しているのですから、このメンバーシップの性格がよく分かります。

結局、ここでの「正社員」の性格がどんなものであるかによって、試用期間終了の法的性質が変わってくるということになります。

ここで試用期間終了後の正式採用拒否を解雇としない法改正によって促進しようとしている「正社員」が、三菱樹脂型のメンバーシップ正社員であるならば、メンバーとして相応しくない証拠があれば、解雇じゃないとわざわざ言わなくたって、最高裁がちゃんと正式採用拒否にお墨付きを出してくれていますし、逆に特定のジョブができないという理由で正式採用を拒否しようとすると、「正社員ってのはそういうもんじゃないだろ」というロジックが、解雇じゃなくたってその類推適用というかたちで追いかけてくるはずで、そこを抜きにして条文だけいじくってみても、何かが変わるわけではなさそうに思われます。

その意味では、ここでの川口さんの提言は、単なる試用期間法制の改正ではなく、つまり正社員の「入口」だけの多様化ではなく、正社員の在り方そのものについての多様化という意味であることによって初めて意味を持つのではないでしょうか。

も一つ言うと、実はトライアル雇用なる雇用政策は、最高裁の判例法理ではなく、民法の一般原則や労働基準法の考え方に立った試用期間を前提にした政策であって、その限りでうまく回っているのであって、トライアル雇用終了後の本採用拒否は解雇だ!なんて言い出したら、制度は回らなくなります。この辺も、大企業型判例法理と、どぶ板レベルで通用しているフォークレイバーローの違いを抜きにして労働問題を論じることの危険性を示しているように思われます。

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「りふれは」はなぜ竹森俊平氏を罵倒しないのか?

先日、あらゆる公共を敵視し、増税に反対するティーパーティをテロリストと決めつけ、日本でも「税金をごっそり取って、一部を需要創出効果の高い公共事業に回せばよいのだ」と主張されている竹森俊平氏の記事を紹介しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-78d9.html(竹森俊平氏の増税による公共事業論)

本日の朝日の鼎談(北岡伸一、大山礼子両氏と)でも、その議論をさらに展開しています。

>竹森 民主党が参院選の敗北や小沢問題などを経て、どれだけ成長したのかが問われたのが今回の代表戦だったと思う。今この時点で増税について候補者の中で唯一言及し、3党合意を尊重するといった候補に票が集まったことは、民主党が現実から学び成長した証拠と評価できる。

>竹森 ・・・日本では震災からの復興というなすべき経済対策がはっきりしているが、実行が遅れている。復興対策が軌道に乗れば、公共事業が増え、民間投資も盛り上がる期待が持てる。正常な経済では公共投資は税金で賄い、民間投資は貯蓄で賄うのが基本ルールだ。

増税が、震災復興を超えて、さらに社会保障と税の一体改革にまで結びつく政策フレームを準備する必要がある。「安心できる社会」という大きな枠組みでの税の体系の提示だ。増税は簡単にはできないので、一つの枠組みで、長期的に対応できるようにした方がいい。

日本の(「りふれは」ではない)まっとうなリフレ派経済学者の代表格と目される竹森氏が、ここまで明確に言い切っているのに、日本のティーパーティ一派(「りふれは」)はうんともすんとも音がしないようですな。

反税神聖同盟のテロリスト諸氏としては、こういう「財務省の手先」(笑)の妄言には、怒濤の如き悪罵の嵐を投げつけるべきところではないのでしょうかね。

さもないと、同じリフレ派の良心と評され、「りふれは」から卑劣な第3法則攻撃を受けたbewaardさんが泣いちゃいますよ。

(追記)

このエントリに対するものであるかのように見えたつぶやきの連鎖

http://twitter.com/#!/tiger00shio/status/109888198586531840

>おうふw 俊さんが、増税で公共事業って言っただけで茶会呼ばわりですかあw んで、リフレとは目的が正反対とな  ラストに俊さんdis   あのさー、茶会ってどっち???w

http://twitter.com/#!/proppin72/status/109889531058196480

>@tiger00shio プリンさん。はまちゃんは竹森俊平=増税公共投資=真のリフレ派、上げ潮=茶会=りふれは、という解釈かと

http://twitter.com/#!/sankakutyuu/status/109889803943813120

>え?hamachan批判なのコレ?

http://twitter.com/#!/tiger00shio/status/109890128415162368

>@proppin72  いや、ここでフォローしてる「りふれは」のお方ですよw  違う方がRTで、インフレだったら増税で公共工事でもねえ・・・・・ですって    中央銀行、立つ瀬ねえわwwって感じっす

http://twitter.com/#!/proppin72/status/109890688941948928

>@tiger00shio そうでしたかすみません。

http://twitter.com/#!/tiger00shio/status/109890696105824256

>@sankakutyuu  呼んだ?w  違うお  hamachan批判は、個人的にはずっと前に一度、ねえわあってのが一度あったけど これはちゃうよ~~ん

http://twitter.com/#!/sankakutyuu/status/109890950200967168

>ですよね。 QT

http://twitter.com/#!/tiger00shio/status/109892093337546752

>@sankakutyuu  おい!ハゲ!!RTやめろ!!!w  hamachanへの個人的な批判はほぼ一点のみ 「マクロ施策と分配は別」  今はどうか知らんけど   耳イタイっすか?ごめんおw

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労働政策フォーラム「非正規雇用とワーク・ライフ・バランスのこれから」

既に、JILPTのHPに広報がアップされていますが、

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/2011100304/info/index.htm

来たる10月3日、4日に、浜離宮朝日ホールにおいて、「労働政策フォーラム「非正規雇用とワーク・ライフ・バランスのこれから ―JILPT平成22年度調査研究成果報告会―」」が開催されます。

[日時] 1日目:2011103日(月) 13:2517:15 13:00 開場)

    2日目:2011104日(火) 10:0017:00 9:30 開場)

    ※日別にご参加可能です

[会場] 浜離宮朝日ホール小ホール(最寄駅:大江戸線「築地市場駅」)

[費用] 無料(事前のお申込みが必要です)

[定員] 各日300

非正規雇用、メンタルヘルス、女性の活用、ワークライフバランス、という「旬」なテーマで、若手研究員たち(じゃない人も居ますが)が研究成果を報告し、ディスカッションします。

1日目:2011103日(月)

 <主催者挨拶>

  13:25   山口浩一郎 労働政策研究・研修機構理事長

 <非正規雇用>

  13:30~「雇用ポートフォリオ・システムの実態

      ―非正規雇用の活用を促す仕組み―」

       前浦穂高 労使関係・労使コミュニケーション部門研究員

  14:30~「契約社員の人事管理と就業実態」

              高橋康二  就業環境・ワークライフバランス部門研究員

   15:30~「短時間労働者の雇用管理の現状と課題

      ―改正パートタイム労働法で職場はどう変わったか」

       渡辺木綿子 調査・解析部主任調査員補佐

  16:30~「派遣労働でキャリアが培えるか?

      ―過去・現在・未来の働き方からみる―」

       小野晶子 雇用戦略部門副主任研究員

2日目:2011104日(火)

 <メンタルヘルス>

  10:00~「職場におけるメンタルヘルスケア対策に関する調査」

       郡司正人 調査・解析部主任調査員

 <女性の活用>

  11:00~「シングルマザーの仕事と生活」

       周燕飛 雇用戦略部門副主任研究員

 パネルディスカッション

 <ワーク・ライフ・バランス>

  13:30~「出産・育児期の就業継続―2005年以降の動向に着目して―」

       池田心豪 就業環境・ワークライフバランス部門副主任研究員

  14:00~「中小・中堅企業のワーク・ライフ・バランス―その現状と課題―」

       中村良二 就業環境・ワークライフバランス部門主任研究員

  14:30~「ワーク・ライフ・バランスに関する法政策のあり方

            ~諸外国との比較から」

       池添弘邦 就業環境・ワークライフバランス部門主任研究員

  15:20~ 報告者によるディスカッション

  コメンテーター:小倉一哉 早稲田大学商学学術院准教授

  コーディネーター:伊岐典子 就業環境・ワークライフバランス部門統括研究員

このうち、前浦、高橋、小野さんらの研究については、過去本ブログ上でも紹介してきたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-de34.html(『雇用ポートフォリオ・システムの実態に関する研究』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b093.html(契約社員の職域と正社員化の実態)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-64d9.html(登録型派遣労働者のキャリア形成の可能性を考える)

小野さんの派遣労働者のキャリアパスに関する膨大な報告書は、88人の派遣労働者に詳細なヒアリング調査をした結果を分析したもので、実はつい先だってわたくしがエディトリアルチェックをしたところで、遠からず刊行される見込みです。

多くのみなさんのご参加をお待ちしております。

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『POSSE』12号の中身

Hyoshi12雑誌『POSSE』12号の目次と簡単な紹介がアップされているようです。

http://www.npoposse.jp/magazine/no12.html

>『POSSE vol.12』が9月初旬から発売されます。
今回のテーマは「復興と貧困」です。

撤収される避難所、再開する漁業、発表される復興計画……。
被災地の復興は、着々と進みつつあるように見えます。

しかし、被災者、特に仮設住宅に入居した都市の被災者は、徐々に「不可視化」され、貧困に陥ることが予想されます。
被災地でいったい何が起きているのか?
これからの被災者支援のために、ボランティア・NPOは何ができるのか?
『POSSE』最新号では、こうした実態や課題を、被災地の現場で活動するNPOスタッフのルポや取材から浮き彫りにしていきます。

一方、震災によって貧困問題が「再不可視化」されはじめています。
しかし、これから被災者が直面するのは、まさにこれまでの日本の社会保障や地域政策の欠如の問題です。
『POSSE』最新号は、その社会構造を浮き彫りにし、貧困問題と被災者支援の連続性を明らかにしながら、被災者支援に不可欠な普遍的な社会保障について問題提起します。

ということです。

具体的な記事とその執筆者は以下の通り。

後藤道夫(都留文科大学教授)
「脱原発、震災復興になぜ福祉国家構想が必要か」

被災者救援・生活再建のために
普遍的な社会保障が必要


岩田正美(日本女子大学教授)
「震災と社会的排除」

被災者が陥る、貧困と社会的排除
ボランティアにどのような支援ができるのか


塩崎賢明(神戸大学大学院教授)
「阪神・淡路大震災の失敗を繰り返す仮設住宅問題」

被災者にとって重要な「仮住まい」の段階
孤立する被災者に行政とNPOは何ができるか


稲葉剛(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事)
「「再不可視化」される貧困」

震災で「貧困ブーム」は終わり?
被災者と野宿者を区別せず、生存権概念拡大の運動を


仁平典宏(法政大学准教授)
「ボランティアは何と向き合うべきか」

「市場の時代」と「市民の時代の果て」の震災に、
市民と行政はどうやって手を組むことができるのか


野川忍(明治大学法科大学院教授)
「震災後の雇用法制度改革をどう考えるか」

失業の緩衝装置の整備と
労働組合・NPOへのアクセス保証を


濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構特別研究員)
「原発作業員の安全衛生は守られているのか」

労働者の代表がいない立法手続、
被曝線量が蓄積されない労災補償?

今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

「震災によって顕在化した政策転換の必要 労働市場問題と生活保障政策の連続性」
共同性の解体と福祉の不在が生む貧困
被災者や失業者は「特別」なのか

渡辺龍(河北新報記者)

「津波が流し去った地域産業 南三陸町取材の現場から」
現状維持でも単なる規制緩和でもない、
沿岸部の復興はいまどうなっているのか

渡辺寛人(仙台POSSE事務局)

「仙台市における被災者支援の現場から」
避難所の外側、「みなし仮設」……
〈福祉の真空地帯〉が生まれる実態

遠矢恵美(ライター)

「震災・原発問題で困窮学生が増加? 震災が浮き彫りにする被災学生の現状とは」
仙台で被災者支援をした学生の声を多数紹介

本誌編集部

「被災地で若者のボランティアは何を考えたか」
山積みの瓦礫、高台移転を求める住民
市場と規制、地域産業の新しい関係性を問う

本誌編集部

「復興特区と原発事故以降の農漁業をどうするか」
山積みの瓦礫、高台移転を求める住民
市場と規制、地域産業の新しい関係性を問う


植村邦彦(関西大学教授)
「労働と思想12 ジョン・ロック――労働が所有権を基礎づける?」

自然権、社会契約における労働の意味
なぜ「家僕」は「人民」ではなかったのか


熊沢誠(研究会「職場の人権」代表)
「連載 われらの時代の働きかた 非正規雇用とキャリア分断」


川村遼平(POSSE事務局長)
「連載 労働相談ダイアリー ブラック企業を「辞めさせてもらえない」」


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新自由主義は社民主義?

102123もちろん、一般的には、あるいは世界共通に、新自由主義と社会民主主義は対立関係にあります。

それでは、なぜ、具体的な労働政策論において、

>八代先生は新自由主義、濱口先生は欧州型社会民主主義の立場と基本的な思想の違いはあるが、労働経済分野での意見についてはかなりの部分合致するのではないかと思っている。

ということになるのか、まあ、わたくしが欧州型社会民主主義の代表みたいな顔をすると、怒り心頭に発する人もいるかも知れませんが、それはとりあえずおいておいて、対立する思想が政策論でなぜ接近するのかを説明せよ、と詰め寄る人が出てくるかも知れません。

実は、本書自体がそれをよく説明しています。まえがきの文章から引用すると、

>問題なのは市場競争の行き過ぎではなく、それと対になるべき、政府による生活の安全網(セーフティネット)の構築が不十分だったことである。企業が従業員とその家族の生活を守り、その企業を国は守る、そんな企業依存型の福祉社会が、高い経済成長期の終焉とともに弱体化している。また、企業に守られない層が拡大したにもかかわらず、過去の制度がそのまま維持されていることが、格差拡大の真の要因となっている。

見ればおわかりのように、これはまさにわたくしや、おそらく現代日本の社民派の代表格と目されている宮本太郎、駒村康平といった方々の基本認識と、ほとんどまったく同じです。

では、「新自由主義の復権」を唱える八代尚宏さんは、実は世を忍ぶ仮の姿で、ほんとうは社会民主主義者なのでしょうか。

そうでもありません。本書の他の分野、とりわけ金融とか社会保障とか、医療、介護、保育といった福祉サービスに関する分野などでは、まさに世界共通の対立図式である、大きな市場と小さな国家の新自由主義と、小さな市場と大きな国家の社会民主主義の対立図式が明確に現れてくるはずだからです。

従って、問題は、雇用労働分野については、新自由主義が社会民主主義に接近するのはなぜかと言うことになりましょう。

その答えも、上記まえがきにはっきり書かれています。

今までの日本型システムが大きな企業、小さな国家という組み合わせだったことを前提に、その大きな企業を小さくするために、小さすぎる国家の機能を大きくするという方向性において(どこまで大きくするかという程度においてはおそらく違いが現れるはずですが)、一致するからなのでしょう。

このあたりが、国の機能を見境なく目の仇にし、国家が小さければ小さいほどいいに決まっているとしか考えない、脳みその足りないリバタリアンな人々と八代さんが別れるところなのでしょう。

大変興味深いことに、本書の巻末の読書案内には、20冊ほどの本が挙げてありますが、その中に、

>濱口桂一郎『新しい労働社会』岩波書店(岩波新書)2009年

も挙がっています。他の書物はほぼ新自由主義ないしそれに近い方々で、出版社も日経や東洋経済が多い中で、不思議な感じを与えるかも知れません。

この一見パラドックスに見えるところに、現代日本で雇用労働問題を論ずることの鍵が見え隠れしているということを、ものごとをまじめに考えようとする人はきちんと見つめなければならないのです。

八代さんを新自由主義者だと目の仇にしている人は、ネット上にごろごろしている愚昧なリバタリアンとの違いを、次の記述をよく読んで理解する必要があります。日本の解雇規制についての彼の記述は、わたくしは基本的に正しいと考えていますし、ここで示されている方向性は、実は社会民主主義者のそれとほぼ同じなのです。

>日本は「解雇規制が厳しい」といわれるが、実は正確な表現ではない。・・・

>企業に対して、不況時の解雇(整理解雇)を実質的に規制しているのは、判例法で形成され、2008年に施行された労働契約法にそのままコピーされた「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない場合は、権利を濫用したものとして無効」という規定である。しかし、何が「社会通念上相当でない解雇」かの基準を明確にしなければ、法律としての実効性を持たず、ばらつきの大きな裁判官の判断に丸投げする状況は変わらない。

>この結果、現行の解雇規制は、労働者にとって極めて不公平なルールとなっている。潤沢な資金を持つ大企業の労働組合に支援される労働者は、何年でも法廷闘争に耐えることができ解雇無効・職場復帰の判決を得られやすいが、裁判に訴える余裕のない中小企業の労働者にとっては、実質的に「解雇自由」と同じ状況である。

>こうした状況を改善するため、労働契約法の中に、解雇規制の厳しいドイツでも認められているような、「企業による一定の金銭賠償を前提に整理解雇が可能」という一項を含めることが議論された。これが実現していれば、中小企業の労働者にとっては大きな福音となったはずであるが、労働組合代表の合意は得られなかった。・・・

このあたりについては、9月15日発行予定の拙著『日本の雇用と労働法』の中でもやや詳しく解説しています。

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八代尚宏と濱口桂一郎の対比

これは、八代尚宏さんの新著『新自由主義の復権』(中公新書)の短評ですが、八代さんとわたくしをこういう風に対比させて論じています。趣旨はおおむね正しいと思います。

http://slashdot.jp/~shimashima/journal/537713

>「新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか」は以前から読んでいる八代先生の最新書。世間的にはかなり誤解されている気がするのだが、言っていることは極めて真っ当で結構好きだ。同じ労働経済学を専門としている濱口桂一郎さんとの対比が気になっている。濱口先生は9月に大学の教科書として書いた書籍がでるそうなのでこちらも読んでみたい。

八代先生は新自由主義、濱口先生は欧州型社会民主主義の立場と基本的な思想の違いはあるが、労働経済分野での意見についてはかなりの部分合致するのではないかと思っている。待った(ママ)違う価値観から出発し、政策論では一致する。そうなるのではと思いいまから楽しみにしている。

はい、楽しみにしていて下さい。

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広田科研発言録修正版

先日、生テープ起こし版をアップした7月3日の広田科研での発言録ですが、一応読んで意味が通るように手を加えましたので、広田さんに送るとともに、こちらにもアップしておきます。

>はじめに
  普通の人にとって、若い頃は、ものを学ぶのが主な時間の過ごし方で、それを過ぎた大人の時期には、労働が主な時間の過ごし方です。そういう意味で、人間は、引退後はともかく、おおむね教育と労働が一番なじみのあるところです。
 教育が人生の前のほうに置かれていて、労働がそのあとに置かれていることからすると、教育は労働の準備であり、労働は教育の成果であるというのが一般的な考え方です。そうすると、教育と労働は、本来、密接な関係にあるはずです。
 しかし、現実の日本社会では、少なくとも教育にかかわる政策や学問は、労働の中身にあまり関心がなかったように見えます。逆に、労働にかかわる政策や学問は、教育の外形には非常に関心を持っていますが、教育の中身にはあまり関心を持ってこなかったように見えます。
 より正確に言うと、高度成長期が始まった頃までは、まだお互いにそれなりの関心・関与がありました。むしろそのあと、それがだんだん失われていったように見えます。これは、その必要がなくなってきたからそうなっただけですが、とりわけここ数年来、再びその辺が議論されるようになってきました。
 その理由として、若者の非正規問題が一番大きなきっかけであったことは間違いありません。ただそれだけなら、その問題だけを解決すればいいという議論もあり得ます。しかし、それをきっかけにして、今まであまり議論されなかったもろもろの問題が、いわば一連のかたちで議論されるようになってきました。

1 「教育」と「労働」の密接な無関係
 教育と労働がお互いの中身に関心を持たなかったといっても、もちろん、お互いに無関係だったわけではありません。ややひねった言い方ですが、私はこれを「教育と労働の密接な無関係」と呼んでいます。「密接な無関係」というのは意味不明な言葉ですが、当然のことながら教育の世界と労働の世界は非常に密接な関係があります。学校で受けた教育が、卒業後にどういう職業キャリアをたどっていくかに大きな影響を与えるのは事実で、だからこそ「学歴社会だ」とか何だとか言われるわけです。
 本田由紀さんが『若者と仕事』(東京大学出版会)を出してから「職業的レリバンス」という言葉が人口に膾炙するようになりましたが、それまでは、そんなことを議論しなくてもいい仕組みになっていたから、世間は関心を払ってこなかったのだと思います。
 ここは、企業や職場レベルがなぜそうなってきたかという話だけでも、たっぷりと時間を使って議論ができますが、そこは置いておいて、政策のレベルで言うと、意外に多くの人に認識されていないことですが、かつての日本政府はむしろ職業的レリバンスを重視する政策を掲げていたのです。私の土俵である労働政策の観点からすると、むしろ、教育と労働を中身でつなげるような方向を志向する政策の考え方が中心的でした。
 国民所得倍増計画は高校の教科書にも太字で出てきますが、中身を読んだ人はほとんどいないと思います。これを読むと、まさに近代化論に満ちています。近代化論とは、日本はまだ前近代的な社会で、もっと近代化しなければいけないという考え方です。近代化とは、労働市場がもっと流動化し、職種と職業能力に基づいた社会が作られなければいけないということです。国民所得倍増計画には、そのようなことが延々と書いてあります。経済政策も労働政策も基本的にはそういう方向を向いていました。
 もっと意外に思われるかも知れませんが、日本の経営団体も、ある時期まではそういうことを一生懸命言っていました。労働関係の人にとっては常識的な話ですが、それ以外の方々にはあまり知られていないと思います。
 日経連がこうした近代化論から身を離すのは、むしろ1960年代末期以降です。政府はもう少し遅れて1970年代半ばです。一番大きな契機は石油ショックで、日本的な長期雇用や年功的な賃金制度を前提にして、それを称揚する方向の政策が進んでいきます。
 そうすると、教育と労働の関係も、必ずしも教育課程の中身そのものが労働に直接リンクするものである必要はありません。こうして私の言う「労働と教育の密接な無関係」が確立してきたと思います。

2 フィクションとしてのジョブ型システム
 ここまでは、どちらかというと「そう演じろ」と言われて演じているような議論です。本来ならば、これに対する広田先生の突っ込みがあったうえで、それに対するリプライとして言うべきことかもしれませんが、こういう職業的レリバンス論に対する批判を想定して、それに対する応答的な議論をいくつかお話ししたいと思います。
 私は、どういうジョブについてどういうスキルを持ってやるかで仕事に人々を割り当て、世の中を成り立たせていくジョブ型社会の在り方と、そういうものなしに特定の組織に割り当て、その組織の一員であることを前提にいろいろな仕事をしていくメンバーシップ型社会の在り方の、どちらかが先験的に正しいとか、間違っているとは考えていません。
 ある意味ではどちらもフィクションです。しかし、人間は、フィクションがないと生きていけません。膨大な人間が集団を成して生きていくためには、しかも、お互いにテレパシーで心の中がすべてわかる関係でない限りは、一定のよりどころがないと膨大な集団の中で人と仕事をうまく割り当てることはできません。
 そのよりどころとなるものとして何があるかというと、ある人間が、こういうジョブについてこういうスキルがあるということを前提に、その人間を処遇していくというのは、お互いに納得性があるという意味で、非常にいいよりどころです。
 もちろん、よりどころであるが故に、現実との間には常にずれが発生します。一番典型的なのは、スキルを公的なクオリフィケーションというかたちで固定化すればするほど、現実にその人が職場で働いて何かができる能力との間には必ずずれが発生します。
 ヨーロッパでいろいろと悩んでいるのは、むしろその点です。そこから見ると、日本のように妙な硬直的なよりどころがなく、メンバーとしてお互いによく理解しあっている同じ職場の人たちが、そこで働いている生の人間の働きぶりそのものを多方向から見て、その中でおのずから、「この人はこういうことができる」というかたちで処遇していくというやり方は、ある意味では実にすばらしいということもできます。
 ただし、これは一つの集団組織に属しているというよりどころがあるからできるのであって、それがないよその人間との間にそうことができるかというと、できるはずがありません。いきなり見も知らぬ人間がふらりとやってきて、「私はできるから使ってくれ」と言っても、誰も信用できるはずがありません。そんなのを信用した日には、必ず人にだまされて、ひどい目に遭うに決まっています。だからこそ、何らかのよりどころが必要なのです。
 よりどころとして、公的なクオリフィケーションと組織へのメンバーシップのどちらが先験的に正しいというようなことはありません。そして、今までの日本では、一つの組織にメンバーとして所属することにより、お互いにだましだまされることがない安心感のもとで、公的なクオリフィケーションでは行き届かない、もっと生の、現実に即したかたちでの人間の能力を把握し、それに基づく人間の処遇ができていたという面があります。
 おそらくここ十数年来の日本で起こった現象は、そういう公的にジョブとスキルできっちりものごとを作るよりもより最適な状況を作り得るメンバーシップ型の仕組みの範囲が縮小し、そこからこぼれ落ちる人々が増加してきているということだろうと思います。
 ですから、メンバーとして中にいる人にとっては依然としていい仕組みですが、そこからこぼれ落ちた人にとっては、公的なクオリフィケーションでも評価してもらえず、仲間としてじっくり評価してもらうこともできず、と踏んだり蹴ったりになってしまいます。「自分は、メンバーとして中に入れてもらって、ちゃんと見てくれたら、どんなにすばらしい人間かわかるはずだ」と思って、門前で一生懸命わーわーわめいていても、誰も認めてくれません。そういうことが起こったのだと思います。
 根本的には、人間はお互いにすべて理解し合うことなどできない生き物です。お互いに理解し合えない人間が理解し合ったふりをして、巨大な組織を作って生きていくためにはどうしたらいいかというところからしかものごとは始まりません。
 ジョブ型システムというのは、かゆいところに手が届かないような、よろい・かぶとに身を固めたような、まことに硬直的な仕組みですが、そうしたもので身を固めなければ生きていくのが大変な人のためには、そうした仕組みを確立したほうがいいという話を申し上げました。

3 自分の人権、他人の人権
 残りの3分の1の時間で、想定される小玉先生の話に対するコメントをします。本田さんの言い方で言うと、「適応と抵抗」の「抵抗」になります。
数年前に、若者関係の議論がはやった頃に結構売れたのが、フリーターの赤木智弘さんが書いた本です。その中で、彼は「今まで私は左翼だったけど、左翼なんかもう嫌だ」と言っています。彼がいうには、「世界平和とか、男女平等とか、オウムの人たちの人権を守れとか、地球の向こう側の世界にはこんなにかわいそうな人たちがいるから、それをどうにかするとか、そんなことばかり言っていて、自分は左翼が大事だと思ったから一生懸命そういうことをやっていたけど、自分の生活は全然よくならない。こんなのは嫌だ。だからもう左翼は捨てて戦争を望むのだ」というわけで、気持ちはよくわかります。
 この文章が最初に載ったのは、もうなくなった朝日新聞の雑誌(『論座』)です。その次の号で、赤木さんにたいして、いわゆる進歩的と言われる知識人たちが軒並み反論をしました。それは「だから左翼は嫌いだ」と言っている話をそのまま裏書きするようなことばかりで、こういう反論では赤木さんは絶対に納得しないでしょう。
 ところが、非常に不思議なのは、彼の左翼の概念の中に、自分の権利のために戦うという概念がかけらもないことです。そういうのは左翼ではないようなのです。
 もう一つ、私はオムニバス講義のある回の講師として、某女子大に話をしに行ったことがあります。日本やヨーロッパの労働問題などいろいろなことを話しましたが、その中で人権擁護法案についても触れ、「こういう中身だけど、いろいろと反対運動があって、いまだに成立していない」という話を、全体の中のごく一部でしました。
 その講義のあとに、学生たちは、感想を書いた小さな紙を講師に提出するのですが、それを見ていたら、「人権擁護法案をほめるとはけしからん」という、ほかのことは全然聞いていなかったのかという感じのものが結構きました。
 要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。そういう邪悪な人間を、たたき潰すべき者を守ろうというのが人権擁護法案なので、そんなものはけしからんと思い込んで書いてきているのです。
 私は、正直言って、なるほどと思いました。オムニバス講義なので、その後その学生に問い返すことはできませんでしたが、もし問い返すことができたら、「あなた自身がひどい目に遭ったときに、人権を武器に自分の身を守ることがあり得るとは思いませんか」と聞いてみたかったです。彼女らの頭の中には、たぶん、そういうことは考えたこともなかったのだと思います。
 何が言いたいかというと、人権が大事だとか憲法を守れとか、戦後の進歩的な人たちが営々と築き上げてきた政治教育の一つの帰結がそこにあるのではないかということです。あえて毒のある言葉で申し上げますが。
 少なくとも終戦直後には、自分たちの権利を守ることが人権の出発点だったはずです。ところが、気が付けば、人権は、自分の人権ではなく他人の人権、しかも、多くの場合は敵の人権を意味するようになっていた。その中で自分の権利をどう守るか、守るために何を武器として使うかという話は、すっぽりと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。
 なぜこのような話をしているかというと、結局、集団的労使関係の問題や労働教育の問題は、そこに淵源するのではないかと思うからです。
 私が生まれたのは1958年ですが、この年に労働省から労働教育課がなくなりました。それまでは、労働者あるいは国民一般に対して、労働組合や労働法を教えることが国の政策の一つの柱になっていました。しかし、もう十分にわかったからいいということで廃止されたのです。
 職場で働いている人間が自分たちの権利をどう守るかということは、わかっているからもういいということで、それ以来、公的な政策としては半世紀以上なされないままになっています。その代わり、その間にされてきた人権教育は、自分ではないどこか遠くの人の人権を守る話です。それが悪いと言っているわけではありませんが、そういうことだけがずっと教育されてきました。そういう中で育てられて、「人権はそういうものだ」と思いこんだ若者たちから跳ね返ってきた反応の、一つの形が赤木さんの戦争待望論であり、私に猛烈な抗議を書いてきた大学生たちだと思います。
だとすると、「権利や人権というのはあなたのことだ。あなたが今いるその場で、自分の権利をどう守るか。そのために、法律も含めたいろいろな仕組みをどう使うか。それが人権擁護ということなのだ。」というところから話を進めないと、政治教育の議論は始まらないのではないでしょうか。
 政治とは何かというと、多くの人は、政治とは永田町でやっていること、あるいは地方でも政界という特別な世界でやっていることだと思っています。それは確かにそうで、そういうところでやっているものを追い掛けるのが新聞の政治部の記者なので、仕方がありません。
 しかし、機能的に考えると、社会のありとあらゆるところに政治があり、会社の中にも政治があります。企業小説を読むと、まさに政治のはらはらどきどきする世界がたくさん描かれているし、私はよく知りませんが、たぶん、大学の世界も非常に政治に満ち満ちていると思います。
 およそ人間が組織を作れば、そこにはありとあらゆる政治があるはずです。どんな小さな職場であっても、そこの管理職や下っ端、そして、その間に挟まれた中間管理職の間には、実に手に汗を握るような政治が日々展開しているはずです。
 そういう政治に対してどう適応するか、それが自分に対して何らかの不利益をもたらすならば、それに対してどう対抗するかも含め、それこそが政治を捉えることのはずです。政治にかかわる在り方、生き方を教えるというのは、永田町でやっている政治の話ではなく、むしろ社会のありとあらゆるところで日々行われている政治に対する対し方を教えるということだと思います。
 それを労働の話に引き付けると、自分が働いている場で起こるいろいろなトラブル、不満、問題をどううまく解決するかが政治の術です。政治は古代ギリシャ以来、まさに人間社会の技術の方法で、それが集団的労使関係であり、労働教育で問われている課題です。

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残業だろうが前業だろうが時間外労働に変わりはないのですが

なんというか、労働法リテラシーが少しはあって十分にはないと、こういう変な話になってしまうのでしょうか・・・。

http://blogs.itmedia.co.jp/itbar/2011/08/post-0c2c.html(これからは残業より前業の時代!?)

>変わった会社の仕組みを聞きました。
こういう会社が最近増えているのでしょうか。

どんな仕組みかというと、定時には退社を絶対にしなくてはいけない、ただ朝来て仕事するのは問題なし。
朝働いていた分のお金も払われる残業ではなく、前業?!になっているそうです。

その人は仕事が終わらないから朝7時ごろ出社して仕事をしているそうが、みんな朝起きれる訳がなく、半数の人は定時の少し前に出社されているそうです。

そのおかげで会社の経費は削減され、効果は抜群で大成功だそうです
一方、社員の方からすると給料は減るわ、朝に早く起きないといけないわで苦情がいっぱい出ているそうですが。。。

いや別に、会社の方針として残業より前業を勧めるのは結構ですが(少なくとも電気代の節約にはなるかも知れない)、もしかして残業には残業代を払わなければいけないらしいけれども、前業だったらその必要はないという思いこみでこの記事を書いているとしたら、いささかミスリーディングということになりますね。

いうまでもなく、残業だろうが前業だろうが、時間外労働であることに変わりはないわけで、働いた時間に対して賃金を支払うべきであるという点においては何の違いもありません。もし裁量労働制であるなら、残業だろうが前業だろうが同じように払う必要はないわけで、要するに残業を前業にすることによって労働法上の扱いが変わるなどという馬鹿げたことはあり得ないわけですが、なぜかこの会社は、そのように思いこんでいるようなのですね。

こういうのをみると、やはり労働法教育の必要性を痛感するわけですが。

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ドルココさんの拙著短評

久しぶりに、読書メーターに拙著『新しい労働社会』の短評がアップされています。ドルココさんという方です。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/13009954

>現代の雇用システムは「職務のない雇用契約」から成立し、それこそが労働問題の根源である。また、正社員と非正規労働者間での利害の再分配こそが、市民一人一人に問われている問題である。法制史を丁寧に検討しながら、労働問題の構造を解き明かす一冊。労働問題を語るなら必読。

真摯に読んでいただき、ありがとうございます。

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竹森俊平氏の増税による公共事業論

一昨日の日経新聞の経済教室に、竹森俊平氏が「ユーロの構造問題、前面に」という文章を書かれています。

竹森氏といえば、世間ではリフレ派の中心的人物として知られていますが、この文章を読む限り「りふれは」ではないようです。むしろ内容的には大変同感できることが書かれています。

>・・・経済政策を実施する政治環境は日本の場合むしろよい。そもそも「景気刺激」と「財政再建」の両立が不可能かといえば、そんなことはなく、税金をごっそり取って、一部を需要創出効果の高い公共事業に回せばよいのだ。ところが前述したように、こうした理論的には簡単なことが、欧米では政治的な理由で実行できない。

>ところが日本の場合、「東日本の復興」「今後の震災への備え」と、必要不可欠な公共事業に事欠かない。国内の政治対立が高まっても復興予算の成立を妨げるほどにはならない。各種の世論調査を見ても、財政健全化のための増税を国民は支持している。つまり欧米で見られる政治の閉塞が日本には存在せず、そのことが円高の一因となっている。このポリティカルキャピタルを有効に使い、復興のための公共事業を2~3年で集中的に実施すればよいのだ。

小野善康さんの本を読んだときに感じるのと似たような内容面への全面的な同感とともに、日本の政治状況に対する楽観的な記述が殆ど皮肉ではないかと思えてくるほど「浮いて」いるのが印象的です。

いや、だって、「税金をごっそり取って、一部を需要創出効果の高い公共事業に回せばよい」という「理論的には簡単なこと」が、欧米どころか、まさにこの日本において、「政治的な理由で実行できな」くなりつつあるんじゃありませんか。

しかも、その、できなくしようとしている元凶が、日本のティーパーティーともいうべき反税神聖同盟の「りふれは」の皆さまなんですから。

確かに「財政健全化のための増税を国民は支持している」のですが、そういう国民に公務員や公共的事業への憎悪をひたすら煽り続け、「政治の閉塞」を繰り返し実現しようと熱狂しているのが、日本のティーパーティーともいうべき反税神聖同盟の「りふれは」の皆さまなんですから。

もしこの表現が「りふれは」諸氏に対する深い皮肉でなければ、竹森氏の目にはいかなる政治状況が、いかなる経済論戦が映っているのだろうか、と、不思議な思いにとらわれてしまいます。

いや、繰り返しますが、内容面には、全面的な同感を感じているのですよ。

なぜ、かくもまっとうな、まっとうすぎる議論を展開する人が、「りふれは」の憎悪と悪罵の対象にならないのかが、不思議でならないだけです。

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『POSSE』12号の表紙画像

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なるほど。

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タイムスリップ大作戦

104905今から0年前に、サンケイ新聞で正論を担当していた人が、突然タイムスリップして現代にやってきて、フジテレビの前で

「フジテレビは韓流をごり押しするな」
「我々は韓国のドラマなんか見たくないぞ」

などとシュプレヒコールをあげている連中を目の当たりにしたら、まず間違いなく、

>こいつらは左翼に違いない。我が同盟国の韓国を目の仇にして、我がフジサンケイグループに押しかけてくるとは、とんでもない極左野郎どもだ!

と思うに違いありません。

だって、その時代のものごとの文脈からすれば、それ以外に解釈のしようはないのですから。

いやいや、彼らは日の丸を掲げる右翼なんですよ、とはるか後輩たちに教えられたら、一体何を感じることでしょうか・・・。

まあ、それがこの0年間に起こったことを、いろいろな意味で象徴しているわけなのでしょう。

松尾匡さん流に言えば、左翼も右翼も、本来のイデオロギーはどこへやら、もっぱらエスニックなアイデンティティの政治にのみ熱中してきたことの帰結ということになるのでしょうけど。

(追記)

楠正憲さんのご忠告に従い、「30年前」を「40年前」に修正しました。

http://twitter.com/#!/masanork/status/106764322096680961

>うーん微妙。30年前ならば反米愛国の新右翼も既にあった気がする訳で

40年前なら、右翼は反共親米が常識で、左翼が攻撃する韓国の朴政権を断固擁護するのが当たり前ですから。

年のため確認すると、雑誌『正論』は1973年の創刊なので、40年前にはありませんでしたが、鹿内信隆氏が反共主義・親米保守「正論」路線を提唱して、『サンケイ新聞』紙上に「正論」欄を創設したのは1970年なので、ぎりぎり大丈夫でしょう。

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『ジュリスト』9月1日号

L20112079109有斐閣の法律誌『ジュリスト』の9月1日号に、わたくしの判例評釈が載っております。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/018425

>[労働判例研究]
高年齢者継続雇用と労働条件の不利益変更,同一労働同一賃金原則――X運輸事件――大阪高判平成22・9・14●濱口桂一郎……130

この判例評釈は、『ジュリスト』次号が発行されたあとに、わたくしのHPにアップします。

なお、本号の特集は、不当利得法と衆議院定数最高裁判決です。

【特集1】不当利得法の現状と展望
◇不当利得法の全体像――給付利得法の位置づけを中心に●松岡久和……4
◇侵害利得請求権論の到達点と課題●川角由和……14
◇支出利得の位置づけ●平田健治……22
◇不当利得法の対第三者関係●藤原正則……30
◇不当利得法と要件事実●吉川愼一……38


【特集2】衆議院議員定数訴訟最高裁大法廷判決


◇1人別枠方式の非合理性――平成23年3月23日大法廷判決について●長谷部恭男……48
◇衆議院議員定数訴訟最高裁大法廷判決の解説と全文●岩井伸晃●小林宏司……56

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「合意」の国、「和」の国

土居丈朗さんが、デンマークに現地調査に行って感じたことをツイートされていますが、最後のこの言葉がすべてを物語っているように思います。

http://twitter.com/#!/takero_doi/status/106356309464596480

>デンマークの現地調査を終え、デンマークは「合意」の国ということを痛感。年金改革についての超党派合意、労使の賃金交渉の合意。対立してても最後には(良い意味で)合意するという。財政政策で近年対立がおさまらない「和」の国日本との違い感じる

まさに。

何にせよ、法律家にせよ、経済学者にせよ、一度デンマークに行って現地をきちんと見てくると、言うことがレベルアップしますね。

上の引用の少し前の一連のツイートも並べておきます。

こういう素直な言葉が、さりげなくある種の人々に対する意図せざる皮肉になってしまうところが、実に面白いところです。

http://twitter.com/#!/takero_doi/status/105889635598745600

>昨日のコペンハーゲンでの現地調査、社会保障の給付を維持・増やしたいなら負担増を受入れ、負担増を避けたいなら給付減を受入れるという民主主義下の国民の意識を予想通り痛感。No Free Lunch!社会保障給付を維持or増やしたいのに増税反対というどこかの国民とは対極

http://twitter.com/#!/takero_doi/status/105890773895086080

>デンマークの高齢者は、高齢化により政治力増しているが、世代間対立を避けたいと認識し行動している様子。社会保障給付を維持or増やすのに高齢者の負担増忌避し若年世代に負担をつけ回すような事は避け、負担増避けるために高齢者への給付減を甘受も。日本の高齢者にもこの発想必要

http://twitter.com/#!/takero_doi/status/106355094362128386

>コペンハーゲンの街中には、セブンイレブンが至る所にあった。従業員は、フルタイム労働者でないとしても、正規・非正規の差異がない同一労働同一賃金の国。所定労働時間以上は働けないので、雇用者はオーバータイムになると残業手当を欲するのではなく働くのをあっさりやめ休むという割り切り

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Taxez-nous !

話題を呼んでいる「われわれ富裕層に増税を」の元記事(『ぬーべる・おぶぜるばとわーる』誌)はこれですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110824-00000410-reu-int(「われわれ富裕層に増税を」、フランス富豪らが政府に嘆願)

[パリ 23日 ロイター] 化粧品大手ロレアル<OREP.PA>創始者の遺族やエネルギー大手のトタル<TOTF.PA>代表など、フランスの富豪らが23日、国の財政赤字削減を支援するため、高額所得者への増税を政府に要請した。

http://tempsreel.nouvelobs.com/actualite/economie/20110823.OBS8954/exclusif-l-appel-de-tres-riches-francais-taxez-nous.html(L'appel de très riches Français : "Taxez-nous !" )

>Agon, Bettencourt, Margerie, Perdriel, Riboud, Schweitzer... Seize "très hauts revenus" affichent leur solidarité et demandent une "contribution exceptionnelle".

・・・この16人の「富豪」が連帯の精神で特別貢献税を求めた。

>"Nous, présidents ou dirigeants d’entreprises, hommes ou femmes d’affaires, financiers, professionnels ou citoyens fortunés, souhaitons l’instauration d’une "contribution exceptionnelle" qui toucherait les contribuables français les plus favorisés. Cette contribution serait calculée dans des proportions raisonnables, dans le souci d’éviter les effets économiques indésirables tels que la fuite des capitaux ou l’accroissement de l’évasion fiscale.

我々、企業の社長や経営者、事業家男女、金融家、専門家、裕福な市民は、特別貢献税の導入を求める。この貢献税は、資本逃避や課税回避のような好ましくない経済的影響を避けるため、合理的な比率で算定されるべきだ。

Nous sommes conscients d’avoir pleinement bénéficié d’un modèle français et d’un environnement européen auxquels nous sommes attachés et que nous souhaitons contribuer à préserver. Cette contribution n’est pas une solution en soi : elle doit s’inscrire dans un effort plus global de réforme, tant sur les dépenses que sur les recettes.

我々はフランス型社会モデルとEUの環境から利益を得てきたことを意識し、それらを保持するために貢献したいと念願している。・・・

Au moment où le déficit des finances publiques et les perspectives d’aggravation de la dette de l’Etat menacent l’avenir de la France et de l’Europe, au moment où le gouvernement demande à tous un effort de solidarité, il nous semble nécessaire d’y contribuer."

財政赤字がフランスとヨーロッパの将来を脅かしつつある今、政府が連帯を呼びかけている今、我々が貢献することが必要なのだ!

もはや、何も付け加えるべきことはありません。

じっくりと読んでください。

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月給制と時給制

『労基旬報』8月25日号掲載の「月給制と時給制」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo110825.html

>ホワイトカラー・エグゼンプションの議論が「残業代ゼロ」に集約されてしまった一つの原因は、月給制でも残業代が出るのが当たり前だという感覚が戦後一般化したからという面がある。

 本来の月給制とは、その月に何時間労働しようがしまいが、月当たりの固定給として一定額を渡し切りで支給するもので、時間当たりの賃金額を一義的に算出することはそもそもできないはずである。実際、戦前の日本でホワイトカラー職員に適用されていた月給制とは、そのような純粋月給制であった。彼らに残業手当という概念はなかったのである。これに対し、ブルーカラー層に適用されていた日給制とは、残業すれば割増がつく時給制であった。

 この両者が入り混じってきた原因は、戦時下に厚生省労働局の主導でブルーカラーの工員にも月給制が適用され、その際月給制であるにもかかわらず残業手当が支払われることとされたことにある。一方で大蔵省により、ホワイトカラー職員の給与にも残業手当を支給するよう指導が行われた。この職員も工員も陛下の赤子たる産業戦士であるという戦時体制の産物が、敗戦後の活発な労働運動によって工職身分差別撤廃闘争として展開され、多くのホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者が残業代のつく月給制という仕組みの下に置かれることとなった。

 1950年代には日経連の文書でもこの事態に対する問題意識が明瞭に見られるが、60年代以降はほとんど見られなくなった。もっとも、現実にすべての(管理監督者以外の)ホワイトカラー労働者に時間に応じた残業代が支払われていたのかどうかは別である。むしろ一律のあるいは評価に応じた形で、手当の一種として支給されていたのが実態であろう。それがとりわけ反体制派の少数派組合によってサービス残業という形で表面化してくるのは1980年代以降であり、労働行政が本格的に監督指導の対象とし始めるのは2000年代に入ってからである。ホワイトカラー・エグゼンプションの議論が経営側から提起されてくるようになるのは、それまでの事実上のエグゼンプションがサービス残業として指弾されるようになったからという要因が大きいように思われる

中身はお読みの通りで、、特に付け加えることもありませんが、最後のサービス残業の摘発の関係で、やや余計な話ですが、労務屋さんの夏休み明けのエントリの記述に一言だけ。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110822#p1(インターンが無償のバイトとは)

このエントリ自体は、旧切込隊長ことやまもといちろう氏の

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/08/post-60a8.html(インターンを無償のバイトで”使える学生選別の機会”と思ってる馬鹿ベンチャーの経営者ちょっとこい)

を取り上げたもので、わたくしが

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/hamachan-37c1.html(ものすごい正論に痺れた hamachanに聞かせてあげたい)

で取り上げたのと、まあ似たような視角から論じておられるのですが、その中に、こういう記述がありまして、

>このブログでは過去のエントリで労働基準監督行政についてはたびたび辛口のコメントをしているわけですが、そんな私でも認めていることがあり、なにかというと労基署、労働基準監督官のマンパワーが相当程度不足しているという実態があるわけです。

こういう手薄な状態のところにブラックリストを持ち込まれても全部を是正することは物理的に無理なわけで、どうしても一罰百戒的な監督にならざるを得ないというのはうなずけるところで、ここは私は現場に同情的です。

ここまではまったくその通りなのですが、その後の

>しかしマンパワーが絶対的に不足している中で是正勧告の件数や未払賃金の金額で評価をするとなると、どうしたって少ない労力で金額や人数を稼げる大企業に監督が向かいがちになるのも当然といえましょう。かくして、やまもといちろう氏の指摘するようなブラックのベンチャーは野放しとなるわけです。

というのはちょっと違うような。

上で述べたように、いわゆるサービス残業問題で大企業にも監督にはいるようになったのは2000年代以降であって、それまでは、まさに「マンパワーが絶対的に不足している中で是正勧告の件数」を挙げるという目的からすると、人事労務管理がしっかりしている(はずの)大企業は、叩いてもあんまり埃が出てこないこともあり、申告があればもちろん行くわけですが、計画的に監督をかける対象にはなっていなかったというのが実情だったように思われます。

もちろん、

>わが国の労働基準監督官は2,941人(明記されていませんがたぶん平成22年)で、雇用者1万人あたり0.53人となっています。この中には監督署長とかの管理職も入っているので、臨検などで実働しているのは高く見積もっても2,000人いないでしょう

という実態ですから、なかなか個々のブラック企業に手が回らないのは当然ですが、初めから大企業ばかり狙っているからブラックに行かない、という印象を持たれるとすると、それはちょっと違うのではないかと。

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厚生労働白書2011

本日、厚生労働白書2011年版が公表されました。変なカルタとかもついておりませんが、第1部は「社会保障の検証と展望~国民皆保険・皆年金制度実現から半世紀~」と題して、戦後日本の社会保障の在り方を概観しつつ、その再検討を展望しています。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/11/

第1部 社会保障の検証と展望 ~国民皆保険・皆年金制度実現から半世紀~
はじめに(1~4ページ(PDF:428KB))

第1章 どのような時代背景だったのか(5~31ページ(PDF:2,221KB))

第1節 経済や働き方はどうだったのか -生活水準は向上しつつも雇用不安は近年増大-
第2節 家族はどうだったのか -大家族から単身世帯の増加-
第3節 人口増加社会から人口減少社会への転換 -現役世代の減少-
第4節 人生80年時代になったが、不安は増大 -不安社会の到来-

第2章 時代のニーズに対応した社会保障制度の発展を振り返る(32~84ページ(PDF:1,917KB))

第1節 国民皆保険・皆年金実現以前の社会保障制度
第2節 国民皆保険・皆年金の実現
第3節 制度の見直し期(昭和50年代から60年代)
第4節 少子・高齢社会への対応
第5節 経済構造改革と社会保障
第6節 政権交代と社会保障

第3章 半世紀間の皆保険・皆年金を中心とした社会保障の成果を検証する(85~106ページ(PDF:1,522KB))

第1節 これまでの社会保障の充実
第2節 サービスを提供する基盤の整備
第3節 社会保障を取り巻く環境の変化への対応
第4節 保険料や公費の負担

第4章 これからの社会保障を展望する(107~128ページ(PDF:1,707KB))

第1節 今後の社会保障に求められるもの
第2節 現在の社会保障改革の議論

おわりに(129~130ページ(PDF:662KB))

参考資料(131~141ページ(PDF:932KB))
参考文献(142ページ(PDF:462KB))

ここでは、第4章第1節の「今後の社会保障に求められるもの」の冒頭の部分を引用しておきます。これからの社会保障政策を考える上での基本認識が明確に示されています。

>1995(平成7)年の社会保障制度審議会の勧告においては、社会保障の役割として、「広く国民に健やかで安心できる生活を保障すること」を挙げている。「安心」の源の重要な1つは、安定した雇用により所得が得られるということであるが、完全雇用に近い状況下で日本型雇用(終身雇用、年功序列賃金)が確固として存在していた時期には、この面における社会保障の役割は大きなものではなかった。高度成長期における「安心」は、多くの人にとって、男性を中心とした正社員が日本型雇用により所得を保障され、専業主婦をはじめとした家族による子育て、介護が期待できていたところにあったということができる。医療保険における被扶養配偶者、年金における遺族年金・基礎年金の保障、所得税における配偶者控除あるいは給与における配偶者手当など専業主婦には制度的・経済的な支援もあった。この「安心」を疾病、老齢、障害、失業というリスク対応によって補完するという形で日本の社会保障が発展していった。また、家族、地域のつながりはより密接であり、子育て等に互助が期待できるところも大きかった。

日本の社会保障が医療、年金を中心に発展したのはこのためであり、高齢者の介護が家庭のみでは支えきれなくなると、介護保険の制度化によりこれに対応することとなった。日本で児童手当等の家族給付が欧米より遅れたのも、多くの企業の賃金に配偶者や子どもの扶養手当が設けられていたという点が大きい。

ところが、現在では日本型雇用が揺らぎ、雇用情勢の変化により、現役世代の間にも貧困問題が大きく顕在化している。既にみた雇用情勢の厳しさから、若年者を中心に失業者が増え、就業していても、派遣労働、パートタイム労働等の非正規労働に従事する者が増加している。これらの者は、ワーキングプア、派遣切り等の現象にみられるように、これまでの日本型雇用による生活の保障を受けられず、社会的な地位も確保できない。その上、相対的に給付が手厚い被用者年金、被用者保険の対象から外れることもある。雇い止め等により職を失う可能性がより高いにもかかわらず、失業給付、職業訓練給付等については、すべてが適用されるわけではなく、されても給付水準は正規労働者の場合に比して低くなっている。

現役世代は子育て世代でもある。母子家庭など子どもの貧困の問題も注目されており、子育て世帯への経済的支援を望む声も多い。また、保育所等の現物による子育て支援ニーズは格段に高まっている。現在では夫婦共働き世帯数は専業主婦世帯数を逆転しており、産業構造の変化によって知的労働やサービス業が増加し、更には、人口が減少していくという状況下で、女性労働力への期待は高まりこそすれ減少することはない。日本型雇用の揺らぎや昨今の経済状況により、夫婦揃って働くことが必須となる世帯も増加しているとみられる。単身世帯や共働き世帯の増加のほか、きょうだい数の減少による親族間の支援の低下もある。地域社会での結びつきも薄まっており、結果として、子育て支援という社会保障ニーズが従来にも増して顕在化してきている。

>国民皆保険・皆年金の実現は日本の社会保障が「救貧」から「防貧」へと展開した大きなエポックであった。国民皆保険は日本人の平均寿命の伸びに大きく貢献し、国民皆年金は長くなった老後生活の支えとなった。しかしながら、病気になっても治療を受けることができ、基礎的な生活費も保障されているという状況にあっても、それだけで幸福を感じるということになるだろうか。

高齢者の福祉サービスが施設サービス中心から在宅サービスを重視する方向に変わり、在宅医療が推進されてきたのは、既に述べたように、老後も住み慣れた地域社会で、親族や知人とともに暮らし続けることを可能とするためであった。障害者福祉でも日中の活動支援と夜間の居住支援を分離し、精神科医療でも入院を前提と考えるのではなく地域での生活を支えるためのものとする考え方が示されている。

他方、日本の職場、家庭、地域社会は大きく変容している。雇用は不安定化し、単身世帯が増大し、地域の結びつきは希薄化している。このため、将来の生活への不安に加え、個々人の帰属意識、言いかえれば自らの「居場所」や「こころの拠り所」があるという安心感の動揺をもたらしている。だれにも看取られずに亡くなる孤独死の増大は結びつきの希薄化の典型であろう。

職場、家庭、地域社会の変容は、産業構造の変化や地方部から都市部への人口移動、近年では経済のグローバル化などから生じたものであり、その意味では必然的なものである。

しかし、多くの国民が将来の生活に不安を抱いている現在、今後の社会保障に求められる役割は、社会に安心を取り戻すことにある。様々な不安要因、生活していく上での不安が現実に発生した時のための備えが社会保障制度であり、備えが的確になされ、国民がそれを認識していれば、一人ひとりが安心して暮らせる社会を実現することができる。国民の不安が不安定な雇用や経済情勢、止まらない少子高齢化に加え、家族や社会とのつながりの希薄さや孤立感などに由来しているものであれば、社会保障改革の方向性はそれらを克服することを目指すものでなければならない。

すなわち、社会保障の役割として、「救貧」、「防貧」だけでは十分ではないということになる。これらに加え、すべての人に社会への参加を保障する参加型社会保障(ポジティブ・ウェルフェア)を目指すことが必要なのである。就労あるいは社会参加を通じて、国民が自らの可能性を引き出し、発揮することを支援する。失業によって貧困に陥った人にも単に金銭給付を行うのみではなく、就労支援を併せて行って再就労に結びつけるというトランポリン型の支援が求められている。「福祉から就労へ」という考え方は参加型社会保障の大きな柱の1つということができる。

就労以外の社会参加も重要である。かつての地域活動の主役は職住近接の農家や自営業者、専業主婦等であったが、産業構造の変化や共働き世帯や単身世帯の増加で、こうした人たちは減少している。他方、仕事に没頭してきたサラリーマンの中には、定年退職後に地域とのつながりが持てないでいるというケースもある。地域でのボランティア活動でも趣味のサークルでも、できれば現役のうちから、自分の居場所を地域に見つけられることが重要であり、そのための支援が必要である。そして、こうしたことで、従来支えられる側とされていた高齢者等が支える側にも回ることができれば、新しい形で地域での支え合いが復活することになる。

>こうした状況の中で、今後の社会保障の役割としては何が求められているのであろうか。

まず、現役世代を中心とする新たな社会保障ニーズについてはしっかりとした対応が必要である。日本型雇用の動揺等によって現役世代にも貧困リスクが増大している以上、その安心を確保していく必要がある。現役世代が安心して生活を営み、仕事に励み、消費を行うということでなければ社会は成り立っていかないし、経済も成長していくことはできない。リスクが顕在化し、貧困に陥ってしまった場合に、的確な支援を行うことで再び自立してもらうことは本人のためであることはもちろん、社会保障を支える側に復帰してもらうという意味でも重要である。この場合の支援が個別的かつ包括的な支援であり、かつ参加型社会保障の考え方によるべきことはもちろんである。具体的には、職業訓練と訓練期間中の生活を支援し、訓練受講を容易にするための給付を行う求職者支援制度(2011(平成23)年10月1日施行)の実施や、生活保護受給者等への「福祉から就労へ」の一貫した支援である。非正規労働者など従来の社会保障のセーフティネットから抜け落ちていた人を含め、すべての人が社会保障の受益者であることを実感できるようにしていくことが必要である。

子育て支援についても、「子ども・子育て新システム」(第2部第1章第4節参照)を実現し、すべての子どもへの良質な成育環境を保障し、子ども・子育てを社会全体で支援する必要がある。子どもや子育て家庭のためであることはもちろん、次世代育成支援は、日本社会の持続のためにも不可欠であり、また、世代間及び世代内の給付と負担のアンバランスについての不満を緩和することもできる。

個別的かつ包括的な支援の必要性と参加型社会保障の考え方は、現役世代のみならず、すべての世代、あるいは健常者・障害者を問わないすべての人への支援に通じるものとしなければならない。そして、このような支援は、例えば中学校区といった地域レベルで行われる必要があり、地方自治体のみならず特定非営利活動法人、社会的企業、そして地域住民自らの参加と活躍が期待される。包括的な支援を行うためにはコーディネート能力を有する人材の確保が必要であり、各支援を提供する者との円滑な連携のためのシステムづくりが欠かせない。支援を必要とする人の立場に立った、包括的な支援体制が構築できれば、国民の間にも、より社会保障による保障が実感されるだろう。そして、地域住民のひとりとして何らかの形でこれに関わることで自らの地域における「居場所」を見つけることができるだろうし、社会保障への理解も更に進むことが期待できる。・・・・・・

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血液ガッタガタ@メンバーシップ雇用

朝日の夕刊の記事ですが、

http://www.asahi.com/job/news/TKY201108220073.html(科学的根拠ないのに…シューカツで企業が血液型質問)

>シューカツで血液型を聞かれたらどうする? 就職活動で不況と東日本大震災のダブルパンチにあえぐ学生が悩んでいる。専門家は血液型による性格判断に科学的根拠はなく、面接で聞くことは差別につながりかねないと警告している。

 中部地方の女子学生(21)は面接で血液型を聞かれて戸惑った。B型だが、かつて「マイペースで就活に不利な血液型だ」と言われ、気にかかっていたからだ。正直に答えたが、その会社は落ちた。

 筆記も不調だったので、血液型が原因でないとは思う。しかし、被災地での態度が問題となり、7月に辞任した松本龍・前復興担当大臣が「B型だから」と言い訳していたのを見て、「B型の印象が悪くなる」とため息が出た。・・・

血液型自体の議論にはここでは立ち入りませんが、問題は

>一方、ニセ科学に詳しい菊池誠・大阪大サイバーメディアセンター教授(物理学)は「いまだにそんな会社があるんですねえ」とあきれる。菊池教授によると、性格と血液型の関連性は見つかっておらず、「現代の迷信」という。「そもそも、自分の努力で変えられないことを就職の面接で聞くのはおかしい。企業側に自覚がなさすぎる」

血液型人間学なるものがニセ科学であるかどうかというようなことではなく、たとえ血液型と性格との間になにがしかの関連性があるとしても、

>日本労働弁護団の常任幹事を務める中野麻美弁護士は「仕事への適応能力をみる採用の場で、職務との関連性がない血液型の情報を求めるのは不合理だ。プライバシーを侵害し、いわれのない差別にあたるおそれがある」と話している

それが職務遂行能力と本質的関連性を持たない属性による差別であるという点にあるわけです。

むしろ、他の諸国ではさまざまな属性による差別は存在するのに、血液型による差別などという現象は見当たらないのは、それが日本型メンバーシップ雇用を前提とした「仲間として上手くやっていけるかどうか」という点に着目した(と、少なくとも当事者は信じている)性格に基づく差別(と思いこまれたもの)であるという点にあるように思われます。

わたくし自身は、いわゆる血液型人間学なるものに少なくとも社会生活上で有益な知見は存在しないと考えていますが、ニセ科学であるからダメなんだという言い方では、

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110808/trl11080822490008-n1.htm(「血液型番組は差別」に反発、血液型人間学研究家がBPOを提訴)

というような無駄な泥仕合になるだけのようにも思われます。

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英雄的に公的部門を批判する人間が、多額の補助金が支払われる業界に属していたり

有益な書物を紹介することが目的のエントリのこういう片言隻句を引っ張り出すことは、おそらく元エントリを書かれた方にとっても本意ではない用い方であろうと想像されますが、とはいえ、haruhiwai18さんがぶくまコメントで引用されているように、あまりにもものごとのありようを見事に言い当てておられるので、こうして引用エントリを立てたくなります。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20110814

>>社会の効率を高めるためには、自由な経済主体である民間企業が活躍する場をより広げる一方で、規制や補助金等によって保護される業界は、できる限り、自由な参入を認めるようにする必要がある、ということについて、恐らく、原則論としては誰も反対しないであろう。しかしながら、自由な経済主体であると考えている自分自身(や、自分自身が属する業界)が、本当に社会的に保護されていない存在なのか、という点については、やや感度が乏しいように感じられる場面が多々見受けられる。例えば、雄的に公的部門を批判する人間が、多額の補助金が支払われる業界に属していたり事実上、官庁や自治体からの委託によって食いつないでいる業界に属しているのをみるのは、極めて滑稽である。さらに、一昨年の事業仕分けの時のことだが、そうした人々が、補助金や委託費が削られることを批判しているのをみたときには、もはや呆れかえるほかなかった。よく「税金で食っている」という言葉を使うが、自分自身も巡り巡って「税金で食っている」存在なのだ、ということについて、感度の乏しい人間があまりにも多いのではないだろうか。*1

*1:先日、竿燈まつりに市の職員が参加しているのをみて、「税金で食っているくせにこんなとこにも出ている」と陰口をたたく観客をみた。実際には、その市職員は、ボランタリーに竿燈まつりに参加し、県外からの観光客をよぶことで、地域経済のため、公務員としての仕事以上の貢献をしている。4日間、昼夜、竿燈の持ち手を続けるのは、並大抵の労力ではないだろう。

>こうした「際物ども」は別にしても、一見、自由な経済活動を行っているグローバル企業が、支払うべき「コスト」を支払っておらず、結果的に、社会から「補助金」を受け取る存在になっているのではないか、ということが、本書の問題提起となっている。ひとつに、地球環境に関わる外部不経済の問題があり、貿易における関税や補助金の問題があるが、こうした視点は、特に目新しいものではない。しかし、本書の範疇はこれらにとどまらず、社会の中の信頼や、インフラについても言及し、グローバル企業が、地域住民の「負担」によって利益を得ている、という視点を多面的にえぐり出している。*2

*2:以前、グローバル企業とはいえないまでも、ある中堅規模の経営者が、海外企業から原材料を買い付けるバイヤーを採用したいが応募がない、ということについて不満を漏らすのを聞いたことがある。不思議なことに、この経営者には、自社でそうしたバイヤーを育成したいとの意向がまったく感じられなかった。自社で育成せず、他社で経験を積んだバイヤーを採用するのであれば、育成のためのコストを支払わない分、それ相応の負担をする必要があるだろう。この経営者には、自社のために社会が支払う「負担」というものへの感度がないらしい──バイヤーは、どこで誰によって育成されるのであろうか?

元エントリの主眼は、いうまでもなく「こうした際物ども」の愚劣さを批判することではなく、そのあとの部分にあるのですが、この部分だけでも十分再三の味読に堪えるものと評せましょう。

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非正規の均等問題と賃金制度

今からほぼ2年前に都内某所で報告したものの発言録。

喋ったそのままなので、素直に言いたいことを語っておりますので、何かのご参考になるかも知れません。

リンク先には、やりとりのうちのわたくしの発言部分もアップしてありますが、こちらブログ上には、報告部分のみをアップしておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rkkk01.html

>じゃ、私の発表ですが、お配りしたのは、私のこの本の第2章の第5節というのを、実はそのまま張りつけただけであります。その部分がまさに非正規の問題を中心として均衡処遇ということを論じている部分なのですが、と同時に、実はここはこの本全体の第1章から第4章までの話と全部つながっている、ある意味でキーポイントというか、十字路というか、それになる話でもあるので、ちょっとこの本全体がどういう構造になっているかということを、ごくごく簡単にお話ししますと、第1章は、「働き過ぎの正社員にワーク・ライフ・バランス」というどこかで聞いたようなタイトルなのですが、要は労働時間の話が中心なのですが、言っていることは2つあって、1つは、これは小林さんと同じ1日11時間の休息時間を導入せよと。これはどんな仕事の人間であろうがというか、むしろ裁量的な働き方をしている人ほどそういうことをやるべきであって、これは命の問題であると。これは、今回情報労連の幾つかのところも導入しましたし、おそらく多くの人が、少なくとも理屈としてはそうだと言ってくれる話だと思います。

 2つ目が、これが多分なかなか難しくて、かつ、ここでの話とつながるのですが、じゃ、そこまででいいのかというと、それも変だろうと。これは実は正規・非正規の話とつながるのですが、今から10年ぐらい前に水町勇一郎先生が出したパートの本で、要するに、同一労働・同一賃金ではなくて、日本は同一義務・同一賃金であると。正社員は無制限に時間外労働をし、どこへでも配置転換されていく、そういう義務を負っている。だから賃金が高いのだ。非正規はそれがないから低いのだ。そういう言い方をすると、多分水町先生はお怒りになると思いますが、端的に言うとそういう議論をされていて、それは多分ロジックとしてはある意味でもっともです。だけど、そもそも正社員ってそういうものだと。正社員というのはほんとうに無定量に働く義務を負っているのか。そんなこと、法律のどこに書いてあるのか。書いてないんですね。書いてないんだけれども、特に大企業の正社員になればなるほどそういう傾向は非常に強いだろうと。しかし、ほんとうにそうかといえば、日本の正社員のかなりの部分はそんな働き方を実はしていないでしょうと。そこのところがロジックと実態とが非常にずれていて、そのずれたロジックでもって、今の正規と非正規の隔絶した扱いが制度化されているとすると、ちょっとそこは考え直す必要があるのではないか。

 そこで、普通の人は、今の正規と非正規の間に中間的な中ぐらいの義務を負った人をつくるとか、そういう話になるのですが、私はそこを話を逆転させて、そうじゃないでしょうと。むしろ真ん中がデフォルトですよと。正社員といってもそこまで義務を負わないのがデフォルトで、そこから、私はもっと無制限に、無制限といっても、さっきの健康にかかわるところは別なのですが、そこまでは無制限にやりますよという人はそこからオプトアウトして、オプトアウトというのはイギリスでやっている話なのですが、イギリスの場合、EUで週48というのが決まっていますが、週48を超えてもいいですよと個人が雇用契約を結ぶときに言うと、その人はオプトアウトになる。そういう外れるほうがオプトアウトにすべきじゃないかという、ある意味で今までだれも言ってない議論を提起しまして、それは単に労働時間だけの話ではなくて、正規と非正規の点から見ても、オプトアウトしていない正規というのは、実は非正規と隔絶した扱いをする、そういうロジックというのはなくなりますよねという、そういう形でこの第2章につながる議論になっています。

 第2章というのが、これがまさに非正規労働者のほんとうの問題は何かと。ここは実は偽装請負がけしからんとか、製造業派遣を禁止せよとか、そういう議論はばかげているということをるる書いてありまして、じゃ、それがばかげているのだったら、何をやるべきかというと、そこで均衡処遇という話でここになるのですが、ただ、ここで難しいのは、これがここでの中心の話なのですが、実は労働経済学者の方はわりとシンプルに、そこでそういう派遣を禁止するのではなくて、均等待遇でやるべきだというようなことを単純にすぽんと言われてしまうのですが、つまり、経営ではなくて経済のほうの方というのは、実際の人事労務管理ということをすっ飛ばしてすぽんと言われてしまうので、そういう話が軽く言えてしまうのですけれども、実際にじゃ、まさに先ほど1時間半延々と議論してきたようなこういう賃金制度のもとで、均等待遇だの、均衡処遇というのを一体どう考えるのかということをきちんと議論しなければいけませんねというのが、きょうお配りしたこの第2章第5節で論じていることです。

 ということでこのお話の中にいくのですが、そういう意味では非正規問題のポイントは派遣がけしからん、請負がけしからんということではなくて、均衡待遇・均衡処遇なのですが、しかし、同一労働・同一賃金原則は日本にありません。これは日本の地方裁判所の判例で、そんなものはないとはっきり言っていますから間違いなく多分ないですね。同一労働の労働という言葉の定義次第だと言えば次第なのですが、少なくともジョブとスキルで賃金が決まるというヨーロッパ的な意味での同一労働・同一賃金原則はあるかと言えば、そんなものはないのは、これは日本の賃金制度そのものの根っこにある話です。

 実際だからこそ、70年代以降の男女均等政策というのは、実は男女同一賃金をスルーする形で、スルーするという言い方はある種の方々は怒るかもしれないですが、私の目から見ると、男女同一賃金という議論をほんとうにやり出すと、同一労働とは何かという議論をしなければいけないので、そこはスルーして入り口から出口まで扱いを同じする。扱いを同じにすれば、おのずから男と同じようなところに入っていくだろうという、そういう発想で実際に行われたんだろうと思います。私は、日本の男女平等というのはコースの平等だっただろうというふうに思うのですが、そういう意味で言うと、賃金制度とまともにぶつかるような男女平等の議論をしなかったんですね。どこでぶつかったかというと、パートでぶつかった。パートでやると、実はその議論をまともにしなきゃいけなくなる。

 一昨年の改正パート法、何であれが大変な法律かというと、実はまさにその問題に真っ正面から取り組んだからだろうと思います。これも担当の高崎氏は、自分の名前で書いた解説書の前書きに、これは日本における同一労働・同一賃金原則を初めて書いた法律だと麗々しく書いているのですが、それはちょっと言い過ぎというか、実はそうではなくて、同一労働・同一賃金が成り立っていると言えるような範囲にそれを収縮したから、その部分についてはそういうふうに言える法律になったのだろうと思います。

 ただ、そうは言いながら、実は努力義務の形で一定の賃金の均衡原則は明記された。これは実はパートだけではなくて、同じ年、一昨年できた労働契約法でも、国会修正で全く意味不明、日本語になってないのですけれども、「労働契約は労働者及び使用者が就業の実態に応じて均衡を考慮しつつ締結し、または変更すべきものとする」という、そもそも主語で労働者と使用者になっているというだけで意味不明なのですが、しかし、何がしか均衡考慮というのが日本の法律の基準にどうもなってきつつあるようであります。

 実はそういうふうに考えてくると、この間廃案になった派遣法改正案のもとになった研究会報告で、要するに、派遣について均等・均衡というのはナンセンスなのだというふうな言い方をしているのですが、実はこのパート法や契約法の規定からすると、ナンセンスとは言えなくなっています。なぜかというと、外部労働市場だから適用がナンセンスだと言っているのですが、実は外部労働市場だということでいうと、正社員と同じキャリアに乗っているパートではない。つまり、努力義務パートと、それから契約法の非正規というのは、同じ内部労働市場にないわけですから、それがナンセンスだったらこっちもナンセンスなわけで、そういう意味から言うと、同じ内部労働市場にいなくても、均衡というのは考慮しなきゃいけないという法思想は少なくとも日本の六法全書の上には載ってきつつあることは確かです。

 ただ問題は、じゃ、その均衡とは何かというのが実はわからない。わからないというのはすごく変なのですが、わからないことはないだろうと。契約法はほんとうに日本語としても意味不明なのですが、改正パート法は一応9条に規定らしきことが書いてあります。どういうことが書いてあるかというと、2ページの下から2つ目のパラグラフに書いてあるのですが、「職務の内容、職務の成果、意欲、能力または経験を勘案し、その賃金を決定する」よう努めると書いてある。これは何かというと、要は職能資格制度で考慮すべきことを全部羅列して、それを努力義務にしているんですね。同じ内部労働市場にいないにもかかわらず、こういうことが努力義務に現に今なっているとすると、それは多分パートでない直用有期であっても、あるいはここは多分いろんな議論があり得るのだろうと思うのですが、常用派遣になると、今度はそちらのほうの問題が出てくるので、多分話が切れると思うのですが、登録型派遣についても、これを適用しない理屈というのは多分ないのではないかというふうに思うのですが、実は、改正パート法のこの9条の均衡処遇の規定ぶりというのは、私はある意味で言うと、努力義務だから何と書いてもいいというのはあるのかもしれないのですが、特定の賃金制度を前提にし過ぎている。そもそも日本には賃金はこうせよという法律は、基準法の賃金は毎月払えとか、現金で払えとかいう話と、あと最低賃金と、あと賃確法でちゃんと保っておけという以外にはないんですね。つまり、どういう賃金体系をとれなどということは日本の法律は一切規制していなくて、純粋年齢給をとっても、純粋勤続給をとろうが、純粋職務給をとろうが、こういう複雑怪奇な職能資格制度のものをとろうが、そういったものをあれこれ組み合わせた総合決定給にしようが全く自由で、何らそれを拘束していない。拘束していないにもかかわらず、なぜか今回の改正パート法の中で、その中の特定の賃金制度を前提とした形に書いているというのは、努力義務だから、その分努力しなければいけないところはいいのですが、問題は実は努力しなくていいところが出てしまうというところに最大の問題があるのではないかと私は思っています。

 つまり、なるほどこういうことで賃金を決定しているところはこういうふうにそれと合わせてしなければいけないかもしれないけれども、うちはそうじゃないから関係ないねというと、実は関係なくなってしまう。それは実は変なのではないか、パート法のときにはそういう方向からの議論は私の知る限りなかったように思うのですが、どのみち努力義務だから、結果的に何もしなくていいのだから、そんなこと議論したってしようがないだろうといえばそうかもしれないのですが、うちはそうじゃないから関係ないねというのをつくってしまったのはほんとうにいいのだろうかという気はします。

 物によっていろんな考え方はあると思うのですが、つまり、均等とか均衡というのはもっとざばっとというか、ざくっと投網をかけるようにして、何が均等で何が均衡かというのは、それはあなた方のところでこういう制度をとっているのだったら、その制度に照らして、例えば純粋年功だったら、その純粋年功に照らして、これが均等ですよねと。純粋に職務給をやっているのだったら、純粋職務給に照らして、これが均等ですよねというような議論というのは多分あって、逆に言うと、本来そういうものではないのだろうか。何か特定の賃金制度だけを取り出してこういうふうに努力義務を書いてしまったというのは、努力義務だからそれはそれでいいのかもしれないし、その前のところでまさに日本のそういう賃金制度を前提として、それに乗っている人について差別禁止という形を書いたことのいわばコロラリーとして来ているという経緯もあるのでしようがない面もあるのだろうと思うのですが、逆に言うと、そこに問題点があるのではないかというふうに感じます。

 実は純粋職務給でやっているのだったら、ある意味で話は簡単で、同じ仕事をしているのだったら同じ賃金ねと。要するに、ジョブとスキルで決まりますというんだったら、正規も非正規もなしに同じジョブとスキルで決めますねという話、これは非常にすっきりする話です。ヨーロッパ型の均等待遇というのはそれなのですが、しかし、そういうわけにもいきませんので、実際そんなこといったら、その対象というのはほとんどありませんねと。

 しかも、話が複雑なのは、制度として年功基準でやっているという話と、制度は実は職能給だといっておいて、しかし、その職能の運用の仕方が何年たったら自動的にこっちに来ますという形で、非常に年功的に職能給を運用していることによって、年功的職能給になっているのと多分2つあって、それぞれに対してどういうふうにやるかというのはなかなか難しいところだろうと思うのですが、ここの3ページのところから書いているのは、ここでわざわざこういう話にEUを持ち出すのが嫌らしいところなのですが、この手のやつというのは出羽の守式に片仮名を持ち出すともっともらしく見えるという、そういうハロー効果というのがあるので、そこはご容赦願いたいと思うのですが、期間比例原則なる言葉をEUの有期労働指令から持ち出しております。パート指令にもあります。パートの場合のプロ・ラータ・テンポリス、これは時間比例、8時間で幾らだったら6時間幾らという話ですね。有期のほうにも同じプロ・ラータ・テンポリスというのが入っています。これは時間は違わないので、こっちのプロ・ラータ・テンポリスはどういう意味かというと、意味は同じ時間なのですが、期間という意味です。つまり、有期の場合はもちろん期間が限定されている。それが更新されていったりするわけですが、要は賃金そのものはそういうことはあまりないのですが、いろんなベネフィットについて勤続期間に比例したことをやっている場合には、それに比例

 実はこれは日本のようにもろ年功的な仕組みも結構あるし、もろ年功的に書いてなくても運用が非常に年功的にやっている場合のいずれについても結構有効なのではないかなというふうに思っています。これをさっきのような現行の改正パート法のような書き方ではなくて、ばさっと投網をかけるようにやることによってどうなるかというと、少なくとも正社員の最低は下回らない。基本的に非正規ですから、どこまで更新を繰り返して続いていくかということになって、多分そんな先まではいかないのですが、少なくとも更新を繰り返して続いている間はそれに比例してやっていく。その部分がジョブとスキルで説明がつくのだったらそっちでやればいいのですが、正社員がそれで説明がつかないような年功的にやっているのだったら、非正規も少なくとも正社員についてやっているのと同じようにやったらいいんじゃないですかと。今の日本の賃金制度の制度設計及び運用の実態に無理なく適用できる均等・均衡処遇の物差しになるのではないかということで、この部分でこれを提案しています。

 このなお書きのところでやや言いわけ的に言っているのですが、これはいかなる意味でも、だんだんそういうのから脱却しようとしているのに、もっと年功性をやれということを言おうとしているわけではなくて、うちの賃金制度はそういうふうにやっていませんから、うちは関係ありませんねと逃げることを許さないという意味で、こういう仕組みにしたほうがいいのではないか。

 その結果何が起こるかというと、非正規の賃金水準というのは、正社員の勤続の短い、そうはいっても、実は非正規でも場合によっては10年を超えてずっと更新を繰り返しているというような人もいまして、この場合、要は雇いどめのところでそれがどうかというところで初めて問題になるので、そこまでは問題にならない。それをそこまで5年、10年とずっと非正規といえども勤続してやっている人については、少なくとも正社員について最低限年功的に上昇しているのと同じ程度の部分は保障していくことになるのではないか。

 ただ、それはいっても、非正規というのは本質的にといいますか、多分建前的に言うと、そんなに更新、更新で10年、20年とするのはそもそも間違っているという話があって、そうすると、つまり、さっきのあれでいくと、35を超えた、その先の話はどうするのという話になりまして、実はそこをこれで対応しようというのは、それは無理でしょうというふうに思っています。

 そこをどうするかという話は、この本で言うと、実は第3章、第4章の話になります。第3章というのは、先ほどのこれはほんとうにおもしろいグラフで、これで言うと第2次賃金政策のこれに発想的には近い。なぜかというと、この本の中にもほぼこのころに書かれたライフサイクル論だとか、当時の労働白書の記述が引用してありまして、まさに同じことを言っているんです。これまで生活給でずっと40代になるまで生活を全部賃金で面倒を見ていた。これからはだんだんその辺を公的なもので面倒見ていくことによって、その先のところはだんだんフラットにしていけるみたいな話があって、そういう意味では実は30年、40年前の議論をもう一度やり直して、つまり、正社員についてもある程度先はフラット化していくという話とつなげて議論していく必要があるのではないかという議論を第3章でしています。これはある意味で労働問題を超えた社会政策全体をどう見直していくかという話。

 第4章は、多分両面あって、そういうふうになっていっている非正規の人の扱いを企業内でどういうふうにしていくか。これはむしろ企業内の意思決定システムに非正規をどういうふうに参加させていくか。これはここで中心的に議論する話ではないと思うのですが、ある意味で非常に矛盾した議論をしていまして、今この部分については2つの立場があって、組合とは別の労働者代表制をつくれという話と、それはだめだ、組合こそやるべきだというのがある。ところが、実は両方正しいというか、両方間違っている。中村圭介先生は一生懸命やっているというのですが、一生懸命やっているのは確かに幾つかあるのですが、そんなのはごく一部である。じゃ、それを組合とは別にそういうことをやらせようという話になると、一体組合はどうなるのかという話になって、ですから、ここはある意味で非常に矛盾しているのですが、企業別組合のように強制的に非正規を入れて、企業別組合そのものを労働者代表制にしてしまえという、法律論的には多分非常にむちゃくちゃな、しかし、実態から言うとそれしかないのではないかと私は思うのですが、そういう議論を展開しております。

 1章の労働時間の話、3章の社会政策的な手当の話、4章の企業内の意思決定システムの話と、全部つなげた形でないとほんとうはこの均等・均衡処遇という話はできないのですが、しかし、それらを全部ならなければいけないのですが、その中で第2章、プロパーとしてとりあえずどういうものを打ち出すかというと、ここで書いたようなプロ・ラータ・テンポリスという片仮名語がいのかどうかわかりませんが、とにかく更新、更新で勤続している間は年功的にやって、そこの部分は正社員と同じにいきましょうというのが現実の日本の企業で行われている賃金制度を前提とすると、リアルで、かつ少なくともその部分については一定の効果のある議論になるのではないかというふうに思っています。

 これはほんとうはつなげなくてもよかったのですが、男女差別の話なので、話は少しまた違います。後でご質問があれば、この話をしますが、正規・非正規という観点では今お話をしたようなところです。

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善意のボランティアと被災失業者

「つぶやきかさこ」さんのブログから、「震災のせいで仕事を失った仙台市在住の50歳過ぎの女性」のメール。

善意の塊のようなボランティアが地元被災者に有償の仕事を配分することを阻害しているのか、という点も含め、じっくりと読まれるべき地元からの声であることは確かです。

http://kasakoblog.exblog.jp/15291070/(ボランティアが被災者の自立を阻害する?!~震災5ヵ月後のボランティアのあり方を問う)

>無償の善意(ボランティア)に支配されて、私たち(被災者)の出る幕がありません。
復興作業ならボランティアではなく、
時給600円でもいいから地元の失業者を使ってほしい。
今、望んでいること。
それは、仕事がほしい。ただそれだけです。
自分で稼ぐことは、社会参加と自立への第一歩なんです。
このままでは東北は復興しても、人は復興できないかもしれない・・・・・・

以下、そのメールから、いくつか引用します。

>・・・そのうち被災者にもなにかしら
「仕事」としての復興支援がまわってくるだろうと期待していました。
でも、相変わらず、無償ボランティアの募集しかありません。
被災者を積極的に雇用する企業が出始めましたが、
男性限定のがれき撤去や仮設建設要員です。
おばさんと年寄りは必要とされていません。

>・・・仕事がほしい、それだけです。
田畑のゴミ拾いならおばさんや年寄りにもできます。
自給600円でもやるでしょう。その日の食費だけでもいいのです。
自分で稼ぐことは、社会参加と自立への第一歩なんです。

>・・・マンパワーが足りない、もっとボランティアを!
とまだ騒いでるんですが、
人手が足りないわけがありません。
こっちは失業者だらけなんですから。

ただ、無償の善意に支配されて、
私たちの出る幕がないだけなんです。
それをなぜだれも気が付かないのでしょうか

もちろん、誰も気づいていないわけではないでしょう。CFWという運動は、まさにこの「同情するなら仕事くれ」を踏まえたものであるはずです。

しかし、政治やマスコミの主流は依然として、善意のボランティアの前で被災失業者が内心の思いを押し隠して感謝する映像の次元で動いているように思えます。

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大阪府教育基本条例案

昨日に続き、本日は大阪府教育基本条例案です。

こちらもまた、大変に高邁な前文に続き、基本理念も大変に高邁です。

あまりにも高邁なので、学校の校長室に張り出すだけではなく、是非府庁の知事室にも張り出して、日々拳々服膺していただきたいな、と思うのは私だけでしょうか。

>第2条(基本理念) 府における教育行政は、教育基本法第2条に掲げる目標のほか、次の各号に掲げる具体的な教育理念に従ったものでなければならない。

一 個人の自由とともに規範意識を重んじる人材を育てること

二 個人の権利とともに義務を重んじる人材を育てること

三 他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てること

四 不正を許さず、弱者を助ける勇気と思いやりを持ち、自らが社会から受けた恩恵を社会に還元できる人材を育てること・・・

第3条(児童生徒の教育を受ける権利) 府内におけるすべての児童生徒は、等しく教育を受ける権利を有する。

というよな高邁な理念のうしろに、もすこし実務的な規程が並びますが、話題の校長任期制は第14条ですね。

>第14条(任用) 府教育委員会は、この条例の制定後5年以内に、府立高校における校長及び副校長ポストを、一般職の任期付き職員の採用等に関する条例(平成14年大阪府条例第86号)に基づく任期付き採用ポストに切り替えなければならない。・・・

4 全校に定める外部の面接委員の採用に際しては、産業界、法曹界、労働界、教育界(府教育委員会関係者を除く)など広く人材を求めなければならない

ほほお、ちゃんと「労働界」ってのが入ってますね。

ちなみに、これは昨日の職員基本条例もそうなんですが、なんか「最高規範」という言葉がとんでもなくインフレしてしまっているようです。

>第9章 最高規範性

第52条 この条例は、府の教育に関する最高規範であって、この条例に反する一切の府における条例、規則、指針等は無効である。

いやまあ、日本は単一主権国家であり、憲法を筆頭とする法律構造の中では、いかなる条例も法律及び法律の委任を受けた国の命令に反することはできませんので、それを「最高規範」などと称するのは、はっきり申し上げて夜郎国の王様でありますよ。

労働関係でいえば、府の制定した条例は、企業内部の就業規則と同じ次元のものであって、社長がいかに「この就業規則は我が社の最高規範じゃ」と言ったからといって、それが社外に通用するものではありませんし、社内に国の法律が適用されるのを妨げることもできません。

(参考)

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110808/p1(橋下知事が投げ捨てたのは、大阪府民に対する責任でした。)

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独立行政法人雇用・能力開発機構廃止問題を考える@『労働法律旬報』

『労働法律旬報』8月下旬号が届きました。

今号には、わたくしの明治大学での講義録の後半も載っておりますが、すでに一橋大学フェアレイバー研究教育センターのHPに上下併せて載っておりますので、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-7537.html(どのような社会をめざすのか-ヨーロッパと日本(上)(下))

そちらを読んでいただくこととして、それよりむしろ、今号の特集の「独立行政法人雇用・能力開発機構廃止問題を考える」こそが読まれるべき内容です。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/702?osCsid=cc0872751bd38f1c55b2ea60937c45ce

[巻頭]使い捨てられる原発労働者―被曝者を生み出すことを前提として成り立つ原発産業=林弘子・・・04

[特集]独立行政法人雇用・能力開発機構廃止問題を考える
誰のための廃止か?―雇用・能力開発機構廃止に至る経過と背景=篠原百合子・・・06
独立行政法人雇用・能力開発機構の廃止から考える「全員解雇・再雇用」方式の問題=平井哲史・・・11
職業訓練需要増大への逆行―能開機構廃止によせて=後藤道夫・・・15
[資料]
勤労権の保障を減らし、雇用を危うくする独立行政法人雇用・能力開発機構の廃止法案を批判する(意見書)[自由法曹団 2010.7.26]・・・33
法律により独立行政法人職員の雇用を奪うことは違憲である(声明)[日本労働弁護団 2010.10.28]・・・42
独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律[厚生労働省 2011.4.27]・・・44

[紹介]弁護士短信―労働事件簿71日本郵便輸送事件/違法残業代不払い「取り替え」の就業規則不利益変更=谷真介・・・26
労働判例/日本郵便輸送事件(大阪地堺支判平23.4.22)・・・60

[紹介]一橋大学フェアレイバー研究教育センター45/どのような社会をめざすのか~ヨーロッパと日本(下)=濱口桂一郎・・・28

ここでは、後藤道夫さんの「職業訓練需要増大への逆行―能開機構廃止によせて」から若干引用しておきます。これは、一法人の問題にとどまらず、日本の労働市場のあり方の根幹に関わる問題であるからです。

>・・・長妻氏の発言によれば、移管に際して人員が二割削減される。能開機構廃止は職業訓練への国の公的関与を大きく縮小するのである。

>だが、すぐ次に見るように、現在の日本社会は、公的な職業訓練機能の本格的な充実・拡大を必要としている。国の関与は、逆に大きく拡大されなければならない。今回の能開機構の廃止決定は、社会と時代の要請に逆行する愚行というべきものである。

>・・・企業による職業訓練が縮小したとすれば、公的な職業訓練がその欠落部分を埋める必要があろう。だが、公的職業訓練について、そうした方向での大きな見直しは行われていない。能開機構廃止に際して、こうした大状況の変化が議論された形跡はない。

それはそうでしょうね。労働者の権利利益には何の関心も待たないまま、突出して「仕分け」をやりまくることばかりに専念した「平成維新の会」出身の政治家の下ではじめに結論ありきで進められたのですから。

>職業能力開発促進法は日本型雇用の解体縮小に対応すべく、抜本的に改正し、職業訓練の公的責任をはっきりさせる必要がある。本格的な若年の正規雇用促進と職業訓練促進のための立法、あるいは法改正も必要である。若年向けの公的な長期訓練は現在の少なくとも10倍程度に増やすことが必要だろう

ところが、ワカモノの味方のふりをしたエセワカモノ中年の連中は、こういうことを目の仇にするのですね。

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大阪府職員基本条例案

新聞でも報道されていますが、

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E5E2E3EA8DE3E5E2EAE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=ALL橋下徹氏、公務員改革条例案を府議会などに提出の意向

この条例案、読んでいくとなかなかに面白いのです。

なにしろ、冒頭の「前文」で、いきなりこうかまします。

>わが国の停滞の要因は、社会の変化、特に国際社会の変化に対応できない社会構造にある。とりわけ「民」が求める政策を実現することを阻む硬直化した公務員制度を再構築することが求められている。・・・

>わが国社会の停滞を打破し、「民」主体の社会とするために公務員制度改革を行うことを目指し、本条例を制定する

なんと高邁な条例でしょうか。この高ぶった調子は、第1条(目的)の冒頭にも続きます。

>第1条(目的) この条例は、機能不全に陥っている地方公務員法(・・・)の諸規定を補完して、大阪府(・・・)を担う公務員に関する制度について、前文の趣旨を達成するため、・・・

で、その原則はこうだというのですが、

>第4条(人事の一般原則) 職員の人事は、能力と業績に関する人事評価に基づき、組織の責任者が定めた業務目標を最も効率的かつ効果的に達成することを目的として行い、勤務年数に依拠した年功序列、給与その他の処遇を目的とする処遇本位であってはならない。

なんだか、意余って日本語としてやや意味不明のところもありますが、まあ、年功序列がダメだという意思は伝わってきます。

実をいえば、日本国の国家公務員法も、地方公務員法も、まさにそういう考え方に基づき、GHQのフーバーの指導の下に、職階制の原則の下に制定されたのですが、なにしろ前文が熱狂的に愛好している「民」の労働慣行が、ジョブ型ではなくメンバーシップ型に確立した以上、公務部門だけがそれとかけ離れた形にもなれず、法律の建前とは違った形で「民」間部門の人事労務管理と同じような年功型の姿が維持されてきたわけです。

この条例は、「民」の慣行にもっともっと従えと言っているのか、それとも「民」の慣行とは離れろと言っているのか、「民」の慣行も変えろと言っているのか(さすがに条例でそれはないでしょうが)、今一つ良く理解できないところがあります。

給与原則というところを見ると、

>第15条(給与原則)・・・

2 職員の給与は、同一労働同一賃金の原則に基づき、民間の同一職種または相当する職種と同じ水準の給与とする。

非正規労働運動のみなさん!!

大阪維新の会は、同一労働同一賃金の原則を掲げていますよ!

力強い仲間です!手を握りましょうね!

もっとも、どうやらこの文言からすると、現実の「民」間企業で、同一労働同一賃金の原則が行われていると思いこんでいて、公務員だけがそうじゃないので、「民」に合わせれば自動的に同一労働同一賃金になると考えているようにも見えますが。

マスコミが一番関心を寄せているやに見える剰員の分限免職の規定は以下の通りです。

ここはまことに良くできています。配転の努力も書かれていますし、安易な職種転換はダメだとも書かれている。

>第36条 職制もしくは定数の改廃または予算の減少により過員を生じた職員は免職とすることができる。

 ただし、廃職または過員を生じる原因となった職制もしくは定数の改廃または予算の減少に関して、議会の議決または審議がなくてはならない。

2 免職となる職員の選定に当たっては、被処分者の勤務成績、勤務年数その他の事実に基づき、公正に判断しなくてはならない。

3 任命権者は前項の判断に関し、配置転換が容易である場合は、配置転換の努力を尽くさなければならない。

4 前項の配置転換の努力として、安易な職種転換をしてはならない。職種転換を行う場合には、外部からの採用と同等の競争環境を確保しなければならない

この4はまじめな話、「民」のメンバーシップ型労働法判例法理と真っ向から異なるところです。

労働者に職種を維持する権利はない代わりに、職種転換による雇用維持を求める権利があるというのが、メンバーシップ型判例法理のコアのコアであって、そこを否定しようというのですから、前文の思想とはまったく異なりますが、ジョブ型の労働ルールの一つの在り方として、まじめに議論する値打ちはあると思いますよ。

ただしその場合、もちろん、自分たち「民」はメンバーシップのままでというわけにはいかないはずですが。

あと、いろいろと突っ込みどころはありますが、とりあえずこんなところで。

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歴史に無知な人なんだな・・・

池田信夫氏のつぶやきで、100%同感できるもの:

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/103856850864316416

>「平成維新」とか「大阪維新」とか名乗っている人をみると、「この人は『昭和維新』の意味を知らない(つまり歴史に無知な)人なんだな」と私は思います。

わたしもまったくそう思います。

歴史に無知な人、とりわけ、自分は歴史を知ってると思いこんで、無知をさらけ出して、指摘されると逆上する人は、本当に困ったものですね

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)

(資料)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-02e4.html(池田信夫イナゴ氏のストーカー行為)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-ea06.html(池田信夫氏の熱烈ファンによるわたくしへの糾弾全記録)

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松尾匡センセーの引っかけ問題に引っかかる人々

松尾匡センセーが、立命館大学の可哀想な学生たちを引っかけて遊んでいる試験問題がこれですけど、

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/GakusiXam11.pdf

>II 以下の(19)~(25)の人物の主張としてあてはまるものを、それに続く選択肢(1)~(4)の中から一つずつ選び、その記号をマークせよ

「あてはまるもの」ですよ。

まずアダム・スミスです。

>⑲ スミス

(1) 個々人の利己心を追う競争によって、努力をした者が豊かになり、怠けた者が貧しくなるようにすれば、みなが勤勉になって国が豊かになる。

(2) 政府の介入をなくして、競争で生産性が上がるようにすれば、貿易黒字が増えるので国が豊かになる。

(3) 自由貿易にして、産業を国際競争にさらせば、生産性の高い業者が生き残って国際競争力がつき、貿易黒字が増えるので国が豊かになる。

(4) 世の中の圧倒的多数である労働者が貧しい社会がいい社会のはずはない。賃上げのための労働運動を政府が禁圧するのは間違っている。

もちろん、(4)ですよ、正解は。

でも、世の中の、自分は経済学の権威だみたいな顔をしている人々のいかに多くが、スミスを楯にとって組合潰しを称賛し、利己的な競争を礼賛していることか・・・。「りふれは」な人々も含めてね。

引っかかった学生さんは、松尾センセーを怨んではいけません。

次、マルクス。

>マルクス

(1) 資本主義経済の発展は、世界を普遍化し、長い目で見た平均としては均衡的な生産配分をもたらしてきた。

(2) 資本主義経済での商品の価格は、長期均衡的には、その商品を生産するために投入される労働時間に比例する。

(3) 資本主義社会の不正な構造の基本は、強者が弱者を食い物にするモデルで説明でき、利潤とは、売り手が買い手の足下を見て価格をつり上げることから生じる。

(4) 資本家の利潤に課税して労働者に再分配して、所得格差をなくすことが、目指すべき社会変革である。

もちろん、正解は(1)です。資本主義を口汚く罵るのがマルクス主義の神髄であると思いこんでいる左翼な人々への引っかけですが、近頃の学生さんにはあまり効かなかったようですね。

そして、ワルラス。

>ワルラス

(1) 資本主義経済では、自由放任に任せておけば、市場メカニズムが働いて自動的に一般均衡が実現する。

(2) 商品の交換割合は、その商品の消費から1単位あたり平均に得られる効用に比例する。

(3) 後年「ワルラス法則」と呼ばれる法則は、「諸財の超過需要の和はゼロ」ということである。

(4) 社会主義をめざすべきである。

もちろん、(4)が正解ですが、なまじ「りふれは」な経済評論を読んでいると、かえって間違えてしまうというところが憎らしい引っかけです。

いうまでもなく、授業を聴いていたはずの学生さんはこんな引っかけに引っかかってはいけませんが、世の「りふれは」を含めたケーザイ学者やヒョーロン家のいかに多くが、このマルチョイで引っかかるように引っかかるように国民を啓蒙し続けているかは、思い半ばに過ぐるものがありますな。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-2bdd.html(「りふれは」の労使関係観)

>上念司氏が『正論』9月号に書いた「経団連よ、この国難に道を踏み外すな」という文章の中から、同じ「りふれは」の田中秀臣氏が嬉々として引用している文言:

>「自由主義経済の守護者であり、かって争議潰しで名を馳せた日経連を吸収した現代の経団連が、日本経済の社会主義化を望んでいるとしたらそれは冗談としか思えない

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某労働政策の人もユニークな人

国家鮟鱇さんによる、総体的には「りふれは」「ねおりべ」な方々に対する批評ですが、一番最後のところで、どうもわたくしに対する寸評らしきものが・・・。

http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20110810/1312974518(経済学を語る人に対する俺の偏見)

>実のところあまりチェックしているわけではないのだが、このところどうも、かつてネット界で光り輝いていたリフレ派と呼ばれる人達の旗色がよろしくないらしい。以前はリフレ派を支持していた人が離れていったり、リフレは支持するけれど「リフレ派」は支持できないみたいな言論も目にする。

で、この際、俺が抱いている偏見を書いてみる。あくまで偏見なので、それは違うといわれても、偏見ですからとしか言いようがないけれど。

>それとは別にリフレ派の集う人気ブログのコメント欄などを読んで、経済学を知らない無知な大衆を小馬鹿にしたり、政治家を無知と嘲ったりする、いわゆる「上から目線」の偉そうな態度を不快に感じることがしばしばあった(本人達はその気がないと言うかもしれないが感じるんだから仕方がない)。

というわけで、いずれ彼らが今日のようになるだろうことは薄々予想していた。

ちなみに、今日の状況を生んだきっかけは某官僚ブログの人が某学者の「陰謀論」を批判したことがターニングポイントになっているのではないかと思われ、某官僚ブログの人は学者及び支持者から激しく攻撃される一方、全体的に見れば株を上げたのではないかと思う。とはいえ俺から見ればこの人だって十分鼻持ちならない人の部類

この「某官僚ブログの人」というのは、かつてリフレ派の星として名声を恣にしながら、いまや追放された預言者トロツキーの如くリフレ派の誹謗の的となっている、あの「bewaard」さんのことですね。

>しかし、話はここで終らない。

俺は、かつて隆盛を誇った「新自由主義」と呼ばれる人達にも同様の鼻持ちならないものを感じていた。彼らもまた無知な一般人や無知な政治家を嘲る言動をする人が多かった(という偏見を持っている)。

しかも、これは日本だけのことではなくて彼らが師と崇めるクルーグマンやフリードマンもいけ好かない野郎だと思ってる(発言の中身に関係なく)。

というか、要するに経済学を語る人には鼻持ちならない人が多い(という偏見を持っている)。

(あとついでながら「大僧正」とか「暗黒卿」とか呼ぶセンスってどうなの?とも思ってる)

と、ここまでくれば、あの人はどうよ?とみんなが期待するあの人については、意外にも、

>なお、ネット界の人気者ノビーさんについては、そういう意味でのいけ好かなさを感じていない。しかしながら別の意味でユニークな人だとは思っている。ついでに類は友を呼ぶというか、彼によく絡んでいる某弁護士とか某労働政策の人もユニークな人だと思ってる。

かくして、池田信夫、小倉秀夫、hamachanの3人は、お互いに一緒にするなと喚き合いながら、同じ「ユニークな人」という分類箱に放り込まれてしまいましたとさ。

(ついでに)

http://twitter.com/#!/nekotetumamori/status/103660121367916544

>新しい労働社会―激闘編 イケノブ氏批判に費やされそうだw

いや、ご期待に添えなくて申し訳ありませんが、そんなもん、出しまへんって。

来月出すのは、法政の社会学部の講義テキストとしての『日本の雇用と労働法』(日経文庫)です。1050円ですので、皆さまお買い求めを。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%9B%87%E7%94%A8%E3%81%A8%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%B3%95-%EF%BC%88%E6%97%A5%E7%B5%8C%E6%96%87%E5%BA%AB%EF%BC%89-%E6%BF%B1%E5%8F%A3-%E6%A1%82%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4532112486

ただいま、ベストセラーランキング堂々の219,880位だそうです。

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経済学者や経済学徒がやるべきこと

くまきち(kumakiti2ch)さんのつぶやきから、まさに「経済学者や経済学徒がやるべきこと」。

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103380370740879361

>経済学者や経済学徒がやることは、どうして自分達の話す言葉が「労組潰しと投資家の利益誘導の理論武装にしかならないのか」っていうことを真剣に考えることで、「あいつらが話を聞かないから」って文句付けることではないとは思いますけど、この感想は俺だけのものですかね

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103381087702626305

>以前、土居先生にも「イラッ」としたことだけど、実際の制度や政治決定、またその言説がどう機能・流通するのか、という問題への感覚が鈍いまんまで「理屈上こうだからうまくやればうまくいく」なんて言われても誰がそんなもん信用するんだよ、としか言えないわけですが

まあ、「実際の制度や政治決定、またその言説がどう機能・流通するのか、という問題への感覚が鈍い」から経済学をやっているという面も(それこそ比較優位で)あるのでしょうけど。

あと、似たような論評として、

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103168302477606912

>これ、多分実際には「世界を理解する為の枠組」どころか、【理論をそのまま実務レベルで適用されてるも同然の制度変更を繰り返されて、現場でそれを無理に帳尻合わせられたり、その矛盾のケツを拭かされ続けてる」っていうのが実情に見えるんですけど。あと「法律家の世界では」じゃありませんよ。

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103168840405491712

>経済学の世界では「世界の枠組み」なんです、って言ったところで、そもそもそれを元に「制度弄り」まで落としこむ以上、その規範が強制力を持つのは当然だと思うんですが。法律家がどうとかじゃなくて、実際にシステムとして何かを動かすっていうのはまさにそういうことそのものじゃないですか

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103170142359388160

>正直言って「規制さえすれば正しい現実が」とか言う話じゃないと思いますけどね。、実際のとこ真に受けないで、って言ったって制度化担当者は真に受けるでしょ(そうしなきゃ書類が作れないし)。だからこそ【経済学の使い手】側が、現実運用に当たっての【徹底注意】を呼び掛けないとダメちゃいますか

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103171231200718848

>つうか、小倉先生あたりが経済学者に(本人もうまく表現できてないっぽいけど)キレてるのは、まさに【ケツを拭かされてる】立場にいるからだと思いますけどね。そこら辺頭回しましょうよ、って思うけど、政策決定会合での経済学者の議事録とか、全然そういうとこに気を使ってないように見えますよ

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103172102718369792

>【理論が現実ではないからと言って理論が価値を減ずるものではない】とか当たり前です。誰も(それを自覚的に区別してるかは別として)そんなとこを批判しちゃいないでしょう。嫌がられてるのは、まさに【理論と現実の狭間の矛盾が現場で大迷惑の元になっていること】そのものじゃないかと思うんですが

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103174440912822272

>法関係のひとたちだって、「規制すればそのように動く」なんてこと信じている、なんて馬鹿じゃないと思いますけどね。単に【経済学者の提案を元に作られた政策が自分の現場の経験的に全く信用できない】ってだけではないんでしょうか。

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103175068468781056

>ほんとさぁ・・・。

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103177484689870848

>つか、なんで経済学の人って「○○の人達が経済学者の言うことを素直に聞くようにするにはどうしたらいいか」とか平気で言いだしちゃうんだろう?

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103181557497479168

>そもそも「正しい市場メカニズム」とかにリアリティ感じてるのは経済学者だけだと思うんですけれど、なんでそんなに無神経なのかよくわからんです。経済学者の言うこと聞いて制度弄ってうまく回せるって実感があれば、黙ってたって採用すると思いますけど。

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103183134752915457

>というよりも、現実をリアルタイムで正確に観測でもしない限り、過剰とか過小とかいう前提なんかどうやって置くんですか?それすら実現できないだろうに、なんで頭から「過剰規制に走るから」とか勝手に前提できるのか理解しがたいんですよ、私。

http://twitter.com/#!/kumakiti2ch/status/103185489116413953

>SEが顧客に向かって「仕様書通りに動いてください」って言ってるようで、発想そのものが受け入れがたいんですよ、気持ち悪くて。

いや、この「SEが顧客に向かって「仕様書通りに動いてください」って言ってるよう」ってのが、あまりにも事態を見事に言い当てていて、空恐ろしい。

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中村正『ガイドブックILO国際労働基準』

標記の冊子をお送りいただきました。ありがとうございます。

・・・

と、いつもと変わらぬ謝辞をここに書くだけでは済まされないでしょうね。

なぜなら、この本の刊行元の日本ILO協会は、去る4月30日を以て解散させられてしまっているからです。労働組合が選挙で一生懸命応援して成立したはずの政権の手によって、そんな団体は要らないと潰されてしまったからです。

「りべらる」なみなさんが熱狂的に待ち望んでおられた民主党政権にとっては、こういうILOの国際労働基準を労働者に、企業に、そしてすべての国民に啓発するというようなことは、潰すべき「無駄」の最たるものだったのでしょうね(微苦笑)としか言えませんが。

この本の奧付けを見ると、2011年4月30日発行とあります。

無駄だと言われて潰された日本ILO協会の最後の刊行物というわけです。

中身は、中村正さんが同協会の今は亡き月刊誌『世界の労働』に連載したものに大幅に加筆修正したもので、第Ⅰ部が「ILOの歴史と機構」、第Ⅱ部が「ILO国際基準」です。まあ、一般向けの簡単な解説として、初心者にとってはとての便利な本だと思います。

しかし、関係者にとっては、中村さんの国際労働行政を綴ったやや長めのあとがきが興味深いでしょう。

>・・・しかし、2011年3月、『世界の労働』最終号で背景・経緯を述べたように、ILO協会は公益法人に対する一般的批判の強まる中で、財政的支援を絶たれ、自主的収入努力の道も否定されて、残念・無念2011年4月30日を以て60年の歴史を閉じることになってしまった。新しいILO協会の基石にと思った本書は、消え去ったILO協会の遺跡、そして私の社会人人生の遺言となってしまった

この本は中村さんと日本ILO協会にとっては遺言になってしまったわけですが、それが日本における国際労働基準の断末魔となることのないよう、労働関係者にとっては責任は重大だと思います。

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ものすごい正論に痺れた hamachanに聞かせてあげたい

というコメントに惹かれて(?)本文を読んでみましたが、まさに痺れる正論でしたな。

旧切込隊長こと「やまもといちろう」氏のブログから、

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/08/post-60a8.html(インターンを無償のバイトで”使える学生選別の機会”と思ってる馬鹿ベンチャーの経営者ちょっとこい)

>ええと、就職活動が大変なのは、確かに学生の悩みだし、良い会社に入りたいけどその窓口がなかなか開かない、どうしたらいいのかずっと考えている状態であることは間違いないです。でもだな、いかにもなベンチャー企業が、その将来性やブランドを過剰に喧伝して学生を惹きつけ、無料、あるいはバイトにも満たない賃金で結構キツい働かせて、ヘバる学生が出ると「根性が足りない」とか平気でブログやtwitterで書くのは、それブラックなだけだから。

 ベンチャーは深夜労働当たり前、働き倒して当然、だから成長企業なのだとか言ってるベンチャー経営者は、搾取とか傲慢という以前に問題外の駄目な奴認定するほかないです。働きたい学生の、足元を見ているだけ。そんなのインターンじゃないですよ。ブラックリスト作って飯田橋に駆け込みたいぐらいです。

 派遣社員切りとか他の会社の人事労務のありようは一丁前に批判したり笑ったりしているくせに、あるいは、最近の新卒は鍛え方が足りないとか使える奴だけ残すとか都合の良いことを言うくせに、うちは面白いことだけを社員にやらせますだのこの業界の登竜門になります的な口当たりの良い話ばかりをするのはどうなんでしょうね。

 会社としてのセルフプロモーションというか、ブランディングの一環だ、というのは分かりますし、使えるかどうか分からない学生をOJTするコストを考えればと言いたいのでしょうし、そこは理解します。でもねえ、バイトであれ正社員であれ、面接をして選別をしてから来て貰う形になっているわけでしょ。インターンも、立派なエントリーサイト作って書類審査して「こいつ、使えるんだろうか」「うちの社風に合うのだろうか」と吟味して入れてるわけでしょ。

 企業としてのモラルとかそういう綺麗事じゃなくて、一取引先としてもそういうのを見るとやっぱり退きます。せめて、短い期間でも人を働かせて人生を預かるからには、最低限の賃金はしっかり支払って相手と向き合う必要があるんじゃないでしょうかね。

隊長、どうしちゃったの?

まあ、最後に

>もっとも、弊社は業界標準からすると少し賃金安めではありますけれども。社員からは死ねと思われているかもしれませんけれども。死にません。

と、いつもの隊長ぶしがちらりと顔を出してますけど。

それにしても、なんでここでhamachanが出てくるかというのが・・・。

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「りふれは」の労使関係観

上念司氏が『正論』9月号に書いた「経団連よ、この国難に道を踏み外すな」という文章の中から、同じ「りふれは」の田中秀臣氏が嬉々として引用している文言:

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110815#p1

>「自由主義経済の守護者であり、かって争議潰しで名を馳せた日経連を吸収した現代の経団連が、日本経済の社会主義化を望んでいるとしたらそれは冗談としか思えない

実をいえば、旧日経連の人がこれを読んで単純に嬉しがるとも思えないのですが、いやむしろ、俺たちのやってきたことを、そこらのやくざの「争議潰し」としてしか見てくれていなかったのか・・・と、情けなさに涙をこぼすかも知れないとすら思いますが、まあそこはおいといて。

少なくともここに露わになっているのは、「りふれは」諸氏の、どうしようもなく反労働者的な労使関係観であるということだけは明らかなようです。

労使がそれぞれにきちんと主張し合い、ルールに則ってものごとを決めていくという先進産業国であれば当たり前の仕組みを「社会主義」と蔑視して、叩き潰そうと考えるような、そういう人々のいうことが、経済学的にどうであるかなどとは遥かに遥かに下の次元で、まっとうな感覚の持ち主からは相手にされないような代物であることを、こうして我々にあからさまに教えてくれるのですから、「りふれは」諸氏が隠し事があまり得意ではないことだけは確かなようですね。

こういう社会民主主義を親の敵とつけねらう「りふれは」の言葉を見た後で、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-caec.html(与謝野馨『民主党が日本経済を破壊する』文春新書)

>自民党は正式名称は言うまでもなく「自由民主党」という立派な名前だが、税制と社会保障制度に限っては、戦後長く、実はきわめて欧州型社民主義に近い路線を歩んできたと私は認識している。福祉社会を創ろうと最初に提唱したのはかつての民社党だが、国民政党を名乗り、融通無碍が特質の一つである自民党がそういうものを吸収しながら政権を維持してきた。

>会議立ち上げの旗を振り、社会保障、雇用から日本の社会のあり方についてまで踏み込んで議論を進めた担当大臣として私の責任は重いと自覚している。党派を超えて具体化を進めよという有識者の皆さんのご提言である。今後どのような立場に置かれようとも、政治の場でこの報告書に超党派で息吹を吹き込んでいかなければならないと心に誓っている

という言葉を目にすると、経済政策としてどっちがいいとか悪いとかいった枝葉末節の次元などは別にして、是非この意気で「りふれは」を叩き潰していただきたいと念願するのは、あまりにも当然のことと言えましょう。

(追記)

いうまでもなく、敵の敵は味方なのではなく、もっと非道い敵であることはいうまでもありません。

まさかと思いますが、このわたくしを「りふれは」の敵だというだけで池田信夫氏のような札付きのインテリやくざと一緒にされないよう、念のため追記しておきます。

(付記)

いうまでもないことながら、日経連をやくざまがいの「争議潰し」と褒め称えておいて、

http://twitter.com/#!/hidetomitanaka/status/103154604069494784

>労使問題をまともにみれない経団連とか厚労省とかの役人的マインドについて付記しました

などとうそぶく低劣な心性こそが問題とされていることが、理解できない「りふれは」であるわけです。

思うにこういう発想は、意外に見えるかも知れませんが、ある種の共産主義者と共通するものがあるように思われます。

オレ様はマクロな大乗的見地からお前ら労働者どものことを遥かに良く考えてやってるんだから、ミクロな職場の労使関係ごときにぐだぐだ文句抜かさずに、真理を掴んだオレ様たちのいうことを聞いておればええんじゃ、そうすればすばらしき共産主義社会という極楽浄土が待っておるぞ、という発想。

ミクロな労使関係に対してまっとうな姿勢をとることのできない者が、いかに自分たちの間だけで通用する「真理」を偉そうに振り回したところで、心ある人々はついていくことはない、というのが、20世紀の血の歴史が残した教訓であったはずなのですが、世代が入れ替わり、かつての教訓が忘れられていくと、またぞろ違う意匠で、同じような労働者を蔑視しながら労働者を救済すると称する教団がはびこっていくのでしょう。

まあ、こうして労働者がミクロな場で訴えることを踏みにじる「正義」を振り回せば回すほど、「りふれは」の正体があからさまになっていくので、わたくしとしてはそれで結構です。

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原発は労働法の治外法権か?

昨日の赤旗の記事ですが、

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-08-14/2011081401_01_1.html(原発作業員被ばく線量 福島第1は「別枠」 他の原発ではゼロから従事 保安院・東電の暴走)

>東京電力・福島第1原子力発電所事故の収束のための緊急作業に従事した作業員の被ばく線量の限度をめぐって、別枠扱いが行われていることが関係者の証言で分かりました。厚生労働省は「別枠」を認めておらず、行政指導に反するとしています。

>問題の「別枠」は、被ばくした作業員の作業場所を第1原発から他の原発に変更する際の放射線業務従事者登録などの手続きで、「福島第1原発での被ばく線量は別枠扱いになった。(被ばく線量は)記載されない」との対応をとっているというものです。

>これにより福島第1原発での緊急作業で高い線量の被ばくを受けても、他の原発作業では被ばく線量がゼロからのスタートになります。

>別枠扱いを証言した作業員によると、東電柏崎刈羽原発(新潟県)への移動に関連して、内部被ばく検査を受け、放射線業務従事者登録手続きをした際に、担当者から別枠扱いを告げられたといいます。

>東電は、本紙の取材に対し「別枠については厚労省の見解をもとに実施した」(広報部)としています。厚労省の見解に別枠を容認する文言はありません。関係者は「東電と原子力安全・保安院の都合の良い解釈による暴走だ」と批判します。

さすがに、原発は労働法の治外法権とでも心得ているのだろうか、と言いたくなりますね。

この問題、法制的にはすでに4月末の時点で一応決着がついていたはずなのですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-4a52.html(累積100ミリシーベルト超で原発作業5年不可)

>>このため東電は基準緩和について、原子力安全・保安院と協議を開始。松本氏は「線量は上がれば上がるほど、健康への影響が出るとは思っており、保安院とよく相談したい」と述べた。保安院の西山英彦審議官は「現実的な解決策を考えるべきで、厚労省とよく協議している」とした。

>「別枠」ねえ。「作業員確保」という目から見れば「別枠」に入れてしまえばそれで済むのでしょうけど、身体は別枠になるわけじゃなく、同じ身体に放射線が注ぐわけなんですが。紙の上で別枠にしてしまったからといって、労災補償上の線量計算まで別枠になるわけではないのです。

まあ、経済産業省的には、そういう議論は「現実的な解決策」ではないのかもしれませんが

>>厚生労働省は28日、東京電力福島第一原子力発電所の緊急作業で累積被曝線量が100ミリ・シーベルトを超えた作業員は、同原発での作業期間を含む5年間、他の原発などでの放射線業務に従事させないよう、全国の労働局に通達した。

>身体に別枠の身体はないのですから。

どうしても回らないというのであれば、震災時の緊急対策として累積100ミリシーベルトの上限を引き上げるという議論はあり得るのかも知れませんが、「別枠」というのは、いかにも人間の生身の身体を抜きにした紙の上の議論と言うべきでしょう

原子力発電所は別段(かつて吉田内閣時に増産のために炭坑を労働基準法の適用除外にしたように)労働安全衛生法の適用除外にはなっていませんので、労働安全衛生法に基づく電離放射線障害防止規則がそのまま適用され、その適用のあり方について、原子力安全保安院が勝手な解釈をすることが出来るようにはなっていません。

ところが、どうも東京電力にとっては、電離放射線障害防止規則をどう適用するかについては、権限のない原子力安全保安院の云うことを聞いていればいいと考えていたようです。

事実上、治外法権でやってきた頭を、そう簡単に切り替えるのは難しいということなのかもしれませんが。

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後藤和智事務所よりいただきもの

Image 後藤和智さんより、後藤和智事務所の出版物をどっとお送りいただきました。

Image1 「萌え」系の表紙の2冊は、『青少年言説Commentaries』と『幻想論壇案内』。前者には、『POSSE』に連載した「検証・格差論」も収録されています。

緑色のわりとそっけない表紙の『忙しい人のための若者論初級編』は、世にはびこるトンデモ若者論を統計解析したものですが、そのパラメータの名前の付け方がなかなか気が利いていますので、いくつか紹介しておきますと、

>2.2.3 論の運び方系

C1:半径3m系

C2:現実厨系

C3:推測連発系

C4:統計濫用系

C5:単純世代論系、カテゴライズ系・偽史系

C6:スケープゴート系

C7:新(珍)概念捏造系

C8:概念濫用・拡大解釈系・アナロジー系

C9:象徴利用系

C10:科学僭称系

2.2.4懐古趣味系、若しくは非実在過去憧憬系

D1:江戸以前理想化系

D2:明治~戦前・戦時中理想化系

D3:戦後(終戦~1970年代、ないし1990年代・2000年代以前全般)理想化系

D4:1980年代理想化系

D5:伝統的子育て礼賛(または喪失憂慮)系

D6:前近代理想化系

D7:自分理想化系

2.2.5メディア悪影響論・環境誘因説系

E1:マンガ悪影響論系

E2:テレビ・ゲーム悪影響論系

E3:インターネット悪影響論系

E4:疑似児童ポルノ悪影響論系

E5:その他のメディア悪影響論系

E6:住居・建築系

E7:郊外論系

E8:その他の街路・都市計画系

2.2.6理論社会学・社会哲学系

F1:実存不安・ポストモダン・アノミー系

F2:消費社会(化)系・豊かさ曲解系

F3:個別化・個人化系

F4:「個性」・平等主義批判系

F5:共同体意識・「縦のつながり」喪失憂慮系

F6:家族意識希薄化(憂慮)系

F7:ロールモデル喪失系

F8:情報化系

F9:性差縮小憂慮系

F10:上昇意欲低下・安定志向批判系

2.2.7右派論壇系

G1:歴史教育バッシング系、「自虐史観」バッシング系

G2:ジェンダーフリーバッシング系・性教育バッシング系

G3:日教組バッシング系

G4:教育勅語礼賛・復活待望系

G5:国家観喪失憂慮系

G6:GHQ洗脳系

G7:その他陰謀論系(右派)

2.2.8左派論壇系

H1:右傾化憂慮系

H2:戦争記憶風化系

H3:革命思想退潮憂慮系

H4:画一化教育批判系

H5:戦後民主主義教育理想化系

H6:新自由主義バッシング系

H7:左派系の低所得者差別

Image2

という調子でやっていくと日が暮れるので、これくらいにして、さらに「市民のための<基礎から学ぶ>統計学」とか「新市民のための統計解析」というテキストブックもはいっています。Image3

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経済財政諮問会議を復活するのなら・・・

時事通信によると、

http://www.jiji.com/jc/q?g=eqa_30&k=2011081400071

>野田佳彦財務相は14日のNHKの討論番組で、東日本大震災の復興財源を賄うための臨時増税の実施時期について「政府や日銀、国際機関、民間シンクタンクも来年は3%近い成長が可能とみている。そういう基本シナリオ通りにかじ取りしていくことが必要で、税制措置の環境整備をする」と述べた。これは、復興需要に伴う経済成長が見込める来年度中の増税実施を示唆した発言だ。

 財務相はまた、菅直人首相退陣後の新政権の経済財政運営に関し、「国家戦略の観点からしっかりとした会議が必要だ」と述べ、自民党政権下で予算や経済政策の基本方針を策定した経済財政諮問会議の復活を検討すべきだとの考えを表明。与謝野馨経済財政担当相も同会議の復活を提案しており、財務相は番組の終了後、記者団に「与謝野氏の意見をよく聞きたい」と語った

もし、ほんとうに経済財政諮問会議を復活するのなら、その構成についてはきちんと考えていただきたい点があります。

2年前、民主党政権が出来たときに、『現代の理論』という雑誌に書いた文章で、最後にこういう苦言を呈したことがありますが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/minshu.htm(労働政策:民主党政権の課題)

>最後に、民主党政権の最大の目玉として打ち出されている「政治主導」について、一点釘を刺しておきたい。政権構想では「官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」としている。これは、小泉内閣における経済財政諮問会議の位置づけに似ている。

 政治主導自体はいい。しかしながら、小泉内閣の経済財政諮問会議や規制改革会議が、労働者の利益に関わる問題を労働者の代表を排除した形で一方的に推し進め、そのことが強い批判を浴びたことを忘れるべきではない。総選挙で圧倒的多数を得たことがすべてを正当化するのであれば、小泉政権の労働排除政策を批判することはできない。この理は民主党政権といえどもまったく同じである。

 労働者に関わる政策は、使用者と労働者の代表が関与する形で決定されなければならない。これは国際労働機構(ILO)の掲げる大原則である。政官業の癒着を排除せよということと、世界標準たる政労使三者構成原則を否定することとはまったく別のことだ。政治主導というのであれば、その意思決定の中枢に労使の代表をきちんと参加させることが必要である

民主党政権の「政治主導」が失敗したから、自民党政権時代の経済財政諮問会議に戻るというのであれば、同じ過ちを繰り返す危険性があります。

いや、わたくしは国家戦略などというこけおどし的名前の組織よりも、経済財政諮問会議の方が望ましいとは思いますが、なんにせよ、それがちゃんとステークホルダーの声をきちんと政策決定の場に反映させるメカニズムとなるよう、その構成はバランスのとれたものとするべきでしょう。

まあ、「与謝野氏の意見をよく聞きたい」ということなので、その辺はちゃんとわきまえられているとは思いますが。

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『再検討 教育機会の平等』

0225870_2広田照幸さんより宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

この本は、先日広田さんにお招きいただいた研究会でお会いした森直人さんや稲葉振一郎さんも論文を寄せており、いずれも興味深く読ませていただきました。

>経済格差と貧困の拡大に伴い,教育機会の格差・不平等も深刻になっている.しかし,そもそもなぜ平等であることが望ましいのだろう.そしてどのようにそれを実現するか.教育の費用,自由な選択,個性の尊重,能力や差別,多様性と人権等の難問に向き合い,「平等の理由」と「平等の条件」を理論・実践の両面から追究する.

目次は以下の通りです。

序論    なぜ「教育機会の平等」の再検討なのか――市場社会と教育機会 宮寺晃夫
第一章   「奪われなさ」と平等原理――社会からみた機会の不平等 佐藤俊樹
第二章   教育費のエコノミックスとポリティックス――人的資本・ネットワーク外部性・信用取引 稲葉振一郎
第三章   学校から仕事への移行期変容――新たな不平等構造の出現と「移行期」の学習保障 乾彰夫
第四章   「共生・共育」のなかで「教育機会の平等」を考える 篠原睦治
第五章   個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から 森直人
第六章   教育機会の平等――中国教育改革の挑戦 労凱声
第七章   在日外国人の子どもの教育機会――日系ブラジル人を中心に 小内透
第八章   人種格差社会アメリカにおける教育機会の平等――ポスト公民権運動期の黒人の教育権 中村雅子
第九章   「熟議民主主義」は何をもたらすか――多様性と統合の綱引き 平井悠介
第一〇章 能力にもとづく選抜のあいまいさと恣意性――メリトクラシーは到来していない 広田照幸
第一一章 「教育機会の平等」の復権――子どもの学校を親が決めてよいのか 宮寺晃夫

わたくしは、教育論をまっとうに論ずるにはあまりにも雑駁な心性の持ち主なのですが、碌でもない因縁だと含んでいただいた上で、いくつかコメントを。

まず、読んで大変面白かったのが、森直人さんの個性化教育批判の反批判のようなものです。

森さん自身による要約を引用すれば、

http://d.hatena.ne.jp/morinaoto/20110808/p1

>東浦町の「個別化・個性化教育」の歴史的な展開=転回過程を政策動向との関連のもとで素描し、2005年に新たな小学校(のちに具体的に論じる)へと継承される経緯を紹介し(1節)、

その小学校に導入された「個別化・個性化教育」の具体的な実践について、学校経営上の教育課題と柱となる教育方法の面から言及し(2節)、

そのような「子ども中心主義」的教育実践は階層間格差の拡大をもたらす元凶だとして厳しい批判を浴びせた教育社会学の言説構造を苅谷剛彦先生の所論に沿いながら記述し対比させたうえで(3節)、

実際にその小学校で行われている教育実践を「教育可能性に向けたテクノロジー」としていくつかの論点に分節化したうえで、その具体相に即して実践理論と教育社会学言説との対立点=争点を浮き彫りにすることで(4節)、

結論として、教育社会学言説の一面性を批判し、「個別化・個性化教育」の実践がもちうる可能性の余地を確保する、というような構成になっています。

であり、「「個性の尊重」を謳った教育実践の側と、そんなものは教育の格差を拡大することにしかつながらないという批判を浴びせた教育社会学言説との対立の構図」がはたから見ている野次馬にとっては、大変面白い読み物でした、というのがまず最初の感想でした。

で、これって、要するにどことどこを比べるかって話なんですよね。

高邁な個性化教育論というのは、きちっとやらせなくてもできる上位の子を念頭に置いている。

それに対して、きちっとやらせなくてはできない中くらいの子をどうしてくれるんだ、っていうのが教育社会学言説ってヤツ。

ところが、きちっとやらせなくてはできないってのは、きちっとやらせればできるっていう前提なんだけど、きちっとやらせてもできないもっと下の子はどうしてくれるんだ、そういう子にはこうするんじゃってのが、その石浜西小の高邁じゃない方の個性化教育、ってストーリー。

それはすごくよく分かるけど、それって苅谷批判になっているのかな、という気もしました。

お送りいただいた広田さんのは、マイケル・ヤングのメリトクラシーってのはどつぼなディストピア小説なんだよってところから始まって、もう今から34年前に駒場のゼミでこの本を読んだことを思い出しながら、読んでいくと、現実社会の能力主義って、実はメリトクラシーと比べたら、すっごく曖昧で恣意的でいい加減じゃん、という話。

わたくしのような労働畑の者がこれを読むと、どうしても、企業の人事査定の恣意性という話が脳裏から離れないのですが、でも、曖昧じゃなく恣意的じゃないような「正しい」査定で人事が決められてしまったら、それこそ恐ろしいというのが多くのふつうの労働者の感覚でもあるわけで、その辺、教育論とどうつながるのかつながらないのか、という風なことをぼんやりおもいながら読んでいました。

最後に、稲葉さんの論文は、正直言って、法律学の議論をもっと徹底的にやるなら、それだけの覚悟を決めてとことんやって欲しいし、そうでないなら、ペダンチック風味の法律論はやや浮いているというのが正直な感想でした。少なくとも、「古代ローマも中世ヨーロッパもいっしょくたにする雑駁な議論になって恐縮」というなら、恐縮しないところまできっちり検討した上で論じて欲しいところです。

この章についても、いやこの章については特に、「人的資本」という概念を中心に据えて論じているのであれば、雇用関係の法的とらえ方という視角が、読みながら脳裏をちらちらするのですが、それが正面から出てこないのでやや欲求不満気味になります。

あと、佐藤俊樹さんって、どうしてこの人はこんなに素直な文章を書けるのだろうか、といつも感嘆してしまいます。

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先進国なのに…24時間働かせても合法

産経新聞の良記事。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110810/biz11081013390009-n1.htm

>「長時間労働を許す三六協定が、過労死の温床になっている」

 これは今も変わらぬ松丸の持論だ。

 しかし、悟の勤務先である椿本精工(現ツバキ・ナカシマ)の三六協定が、労基署から開示されたときばかりは、さすがの松丸も目を疑った。

 残業可能な時間を「1日15時間」で労使が合意していたからだ。それは、法定の労働時間8時間と休憩1時間を足せば、実質24時間働いても合法になることを意味していた。

本ブログで繰り返し述べてきているところですが、日本国の労働時間法制には、言葉の正確な意味での物理的労働時間規制というのは存在しません。ですから、こういう協定も、違法ではありません。

今までの労働時間裁判と称するものは、殆どことごとく残業代裁判に過ぎません。ゼニカネ裁判に過ぎません。労働時間そのものは、労働者が死んで(あるいは少なくとも倒れて)初めて裁判に持って行けるというわけです。

そして、そういうことをちゃんと書いてある労働法の本というのは、残念ながら殆どありません。

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こりゃだめだ

山口二郎さん、完全に昔のモードに逆戻りしてる・・・。

http://twitter.com/#!/260yamaguchi/status/101463406330126336

>菅首相の退陣が決定的になる。後継は、若ければよいというものではない。次期首相の条件、

1、電力を中心とする政官業の複合体と徹底的に戦う。

2、領土問題などで安手のナショナリズムを振り回さない。

3、国民へのリターンのない増税には絶対に反対する。

まともな論争を期待したい。

2はともかく(どの党であれ、安手のナショナリズムを振り回す連中は最悪です)、1と3は、日本をここまでダメにしてきたチルドレン政治のマニフェストそのもの。

その魔法使いの弟子たちの挙げ句の果てが大阪やら名古屋であるという教訓は、いったいどこに行ったのでしょうか。

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正論欄にこれぞ正論 猪木武徳氏

産経新聞の正論は、時折ほんとうの正論を載せることがありますが、本日の猪木武徳氏の正論は、久しぶりに言葉の正確な意味での正論が充満しています。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110811/dst11081103380003-n1.htm

>あの悲劇に言葉を失うだけではなく、これまでのわれわれの政治姿勢を徹底的に反省し、国民一人ひとりが応分の経済的負担をしつつ連帯感を強める以外に真の再生はあり得ないのではないか。

>・・・一つは、「政治主導」を強く打ち出した近年の日本政治が規制緩和、自己責任、小さな政府といった論点に関心を集中させてきたことである。「公益」は二の次で、まず「私益」を守りその拡大を政治の根本課題と考えてきた。大地震の襲来は、人と人が時に支えあわねば生きていけないという「共同体意識」を改めてわれわれに自覚させたのではなかったか。

>戦後の日本社会では、「公」や「公益」は人気のない仮想敵になることが多かった。一つの具体例は、「公務員たたき」であろう。品位に欠ける一部エリート公務員の金銭スキャンダルを騒ぎ立て、公営事業全体を浪費と非効率、官民癒着の「悪の巣」とみなしてきた。その結果、「公」は「私」に分解され得るという浅薄な経済思想がまかり通り、多くの公営事業は営利事業化され、国民の共有財産は個人に払い下げられた

>今回の大震災の一つの教訓は、地理的・地形的要素や土木工学の知見を配慮しないで、「効率性」の視点のみから公共事業を、人気取り目的で「仕分け」するような愚を犯すな、ということだろう

>公共事業の内容を防災の視点から吟味することなく、単純に「コンクリートから人へ」と大見えを切り、エネルギーの多様化が重要であるのに「ダムはムダ」と切り捨てるだけでよかったのか。

まったくその通りですが、できれば政治面の記事を書く人もこの正論を良く読んでから書いて欲しい感もあります。

いや、我が産経新聞は民主党は叩いてきましたといって済まされるわけではありません。民主党政権のこういうチルドレン的側面は、2000年代自民党政権のチルドレン的側面の嫡子であり、両党のチルドレン政治家を共通して濃厚に彩る特徴なのですから。

>日本社会は改めて「公益とは何かを再考する」という大きな課題を突きつけられた。その公益と表裏一体の関係にあるのが社会の連帯意識である。大震災で被災した地域と他地域との間に生まれるさまざまな「格差」の拡大は防がなければならない。「格差」は連帯意識を突き崩すからである

こういう心に染み渡る真の正論を読んだ後で、ご本人はイデオロギー的意味における「正論派」だと自覚しているらしいこういう文章を読むと、その醜悪さに目を覆いたくなります。りふれ粉を振りかける前の「りふれは」というところでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65685783.html

>震災復興増税の案なんか支払っている税金を一律で1割値上げしようとするもので、リスクを取っている金持ちほど痛い思いをする。ただでさえいつ破綻するかもわからないリスクを負いながら、金持ちは莫大な税金を払わされているのに、更に税金をかけろと平気で言ってのけるのが税金で食っている公務員の感覚だろう。

>>これだけ日本全体への影響が大きい災害だったにも関わらず、こんな事こんな事(※)を書いて、なるべく復興への個人的な負担を少なくしようとする人たちを見ていると、自分に関係する部分だけが大事で、それ以外は全部他人事という人たちは、たくさんいるだろうと思います。

>その言葉(自分に関係する部分が大事)はそのまま被災地に返してやりたいぐらいだ。あんな過疎地で将来性もゼロの地域ばかりであるのに復興しても意味がない。税金の無駄遣いも甚だしい。この公務員はそんなに被災地住民のために土地の造成や新築住宅まで税金で建ててあげたいのだろうか?ならばの公務員が率先して高すぎる報酬を大幅カットして、その分を被災地に勝手に回せばいいだけだ。
 公務員というのは感覚的に相当に狂っている。常に自分達の既得権は保持し続け、足りない分は増税で補うことが正しいという感覚になっているのは言うまでもないことだ。足りなければとりあえず増税。自分達の高額報酬や高額退職金や高額年金を削ることには絶対に考えが至らない。

>そもそも復興費用に23兆円なんて必要ないことで、明らかに焼け太りのバラマキである。とくに宮城県の出した復興の試算なんて完全に舐めているのは一目で分かることだ。まさに自分に関係する部分だけが大事でそれ以外は全部他人事と言いたいがごとくふざけた復興の試算である。

>どう計算してみても、被災者という弱者を装って焼け太りしようとしているようにしか見えないが、これを見てもお役所の公務員は復興増税に納得するのだろうか?そんなにモンスター化している被災地のために金を恵んでやりたいのなら、この公務員が勝手に実践すればいい。ノーリスクで身分不相応の高い報酬をもらっているのだから喜んでできるはずだ。

>別に公務員に限った話ではないが、思考停止の変な同情心で被災地のワガママを聞いていたらブラックホールに金を注ぎ込むことになる。人間はそれだけ欲深く、楽して資金が得られるならいくらでも弱者を演じて見せるのは生活保護や高齢者を見ていればわかるものだ。弱者だの地域間格差解消だのと同情ばかりしていたから国の財政がおかしくなったのだ。人のことを頭を働かせずに批判するこのお役所公務員もいい加減に目を覚ましたらいかがだろうか?こういう偽善者がモンスターを生み出して焼け太りさせ、そして税金の無駄遣いを正当化するのだ。税金で高給をもらうだけのお役所職員という偏見を込めて書くが、こういう人間こそ民間の大変さがわかっていないのだろう。ぬるま湯につかっているから世の中偽善で成り立たないことが分からない。それが公務員でも最も俺が嫌いなお役所公務員という生き物だ。

こういう「正論派」を生み出してきたのも正論ならば、猪木さんのような正論をちゃんと載せるのも正論というわけですね。

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基礎教養が欠落した人事担当者を教育せよ!@情報労連REPORT

2011_0809 『情報労連REPORT』8/9月号に、「hamachanの労働メディア一刀両断」の最終回が載っております。

http://www.joho.or.jp/up_report/2011/08/

先月から、電子ブック形式になっていまして、上記リンク先で電子ブックを開いて、28頁をお読み下さい。

なお、この連載はこれでおしまいですが、次号以降は、別の連載でお目にかかることになると思います。

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放射能という「穢れ」

ネトサヨ(という言葉があるのかどうか知りませんが)の唯反原発論を小気味よくなで切りにしてきた非国民通信さんが、正義の味方のつもりのサヨク版ヘイトスピーチ(主観的には正義の味方のつもりという点において、ウヨク版と何の違いもないわけですが)を、見事にぶった斬っています。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/80878d6d546eb441df7f2d7a6e83bc9e(こういうのもヘイトスピーチだと思うよ)

>・・・まぁ日頃からそういうことを考えているからこそ、こういう結果にもなるのでしょう。この頃は取り沙汰されることが少なくなった政治家の失言と同様、心にもないことを誤って口にしてしまったとかそういうものではなく、裏で思っている謂わば「真意」の如きものが漏れ出してしまったと見るべきです。普段は良識家ぶって被災地に同情する素振りを見せていても、その実は福島や岩手の住民や産品を汚れた存在とみなしている、影では「セシウムさん」などと読んで嘲笑していたわけです。これが東海テレビ放送だけに限ったことであればいいのですが。

>「セシウムさん」にしても、原発事故の被害をことさらに大きく煽り立てたいという思惑があって、日頃からその機会を待ち侘びていたがゆえのことではないでしょうか。

>・・・「政府の言うことは信用できない」とか「子供に安全なものを食べさせたい」とか言えば、もう何でもありなのでしょう。

>ネット世代のレイシズムは、もしかしたら習慣から発展したものではないかと思えることがあります。つまり、最初からレイシズムに染まってはいたのではなく、外国人への偏見や憎悪の言葉が繰り返される内に、いつの間にかそれが「当たり前」のものとして擦り込まれるようになっていったところもあるように思えるわけです。たぶん最初は、ジョークとして笑いの対象であったものが、いつの間にかそういう言動が「普通」になり、いつの間にか自明の真理であるかのごとく脳裏に刻み込まれていったフシはないでしょうか。そして放射「能」汚染もまた、レイシズムと同様の過程を経て形成されつつあると感じます。・・・本当に福島なり近隣県は汚染されているのだ、忌避しなければならないのだと、あたかもレイシストが信じる外国人の危険性と同じノリで、放射「能」の害が実態とはかけ離れたところで「体感」されるようになっていくわけです。そしてこの憎悪は、放射「能」を糾弾するように装いつつ、結局は福島などの被災周辺地域に襲いかかっていくのです

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/e886ac5c2d0ecc0f544966ae178c32c2(偏見や嫌悪を煽る声に立ち向かおう)

>・・・そしてこの事例は、「外国人お断り」の論理と似たものがあります。自分は外国人を差別するつもりはないけれど、外国人を不快に思う客もいるからと称して「外国人お断り」の看板を掲げているとしたらどうでしょう? いかに本人が「自分は差別していない」と言い繕ったところで、それはやはり差別を容認し、その背中を押しているに等しいはずです。被災地から送られる松を「不安に思う人もいる」との理由で排除するならば、それはやはり偏見に迎合し、差別を深める結果に協力していると言わざるを得ません。

>何でもかんでも原発のせいにすれば許されがちな時代ですけれど、本人は放射「能」を恐れているつもり、あるいは放射「能」に警鐘を鳴らしているつもりでも、結果として福島どころか岩手まで「穢れ」扱いすることに繋がっていることは強く意識されるべきでしょう。福島第一原発から遠く離れた陸前高田市で幹の内部にまで放射性物質が蓄積することは考えられないですし、現に市と保存会の検査でも放射性物質は未検出だったわけです。にも関わらず根拠のない「不安」を理由に排除が進められてしまうようでは、まさに偏見に基づく排除であり、排外主義の類と何ら変わるところがありません。ある種の人々の頭の中では外国人や隣国の脅威が無限に肥大化しているようですが、同様の感覚を福島や岩手などの被災地に向けている人も少なくないとしたら何とも由々しき事態です。

>・・・放射「能」への恐怖を免罪符とし、偏見や憎悪、忌避感を広めるような言動が幅を利かせている時代ですが、こうしたヘイトスピーチに毅然とした対応を取ること、そして行政や各種の団体にも毅然とした対応を求める意思を平素から明らかにしていくことが求められるところです。

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最近のネット上のサヨク言論にいささか絶望している@黒川滋

黒川滋さんの

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/08/89-ae83.html(貧乏人は中卒でいろ、という自民公明の特例公債法案の対応)

>2007年頃にこうした自己責任という言葉が揶揄されて相対化されたにもかかわらず、再びこうして蒸し返されていることに、世論も政局談義レベルの批判しかしていないことに腹立たしい。

私は社会や国がドケチなことで、親を恨み生きるような子どもを増やしたくないと思っている

でも、その責任はかなりは(ネット上も含む)マスコミや言論界にあると思いますよ。

ざっくりいえば、この2年間の民主党政権の政策は、自公政権末期から受け継ぎそれを拡充したソーシャルな路線と、精神構造的にはむしろその前の時期の主流的感覚に近いネオリベ風リベサヨ路線からなっていたわけですが、

そして、民主党政権の大失敗は、なによりもその市民たらなんたらのリベサヨ路線の破綻にあることは明白だと思われるのですが、

なぜか現在の野党は、(かつて安倍政権から麻生政権時に自分たちが少しずつ進めてきていた)ソーシャルな路線の延長線上の政策ばかりをバラマキと称して目の仇にして叩き潰そうとし、ネオリベとリベサヨが大好きなマスコミも、何となく気分でそれに風を送っているという、全く得体の知れない政治状況に成り果てているわけですね。

で、黒川さんの絶望は、ネットサヨクに向けられます。

>すべては脱原発に賛成か反対かでしか判断されていない。だから、脱藩官僚の古賀など、最も財政の未来に無責任で、かつ新自由主義者がヨイショされている。彼が評価されているのは脱原発と消費税増税反対だけである。しかし彼の基本とする経済政策は、競争社会なのだから、コストを安くみせかけることに成功している原発が推進される。そういうことも見抜けない。また発送電分離もそうである。原発に汚染されていない電力が買えるなどとサヨク言論は歓迎している。しかし最近はどうだろうか。競争原理が働いて安い電力が普及する、と原発の増減そっちのけの議論が横行するようになっている。

新自由主義者の河野太郎が脱原発を言っていることに賛意を示すのはいいが、彼に全てを期待したらどうなるのだろうか。また小泉構造改革の再来である。

そうしてこうして増えた世論は、やがてみんなの党みたいなところに回収されて、最後は民主党のように、まとまりや優先順位がつけられず腐乱する。

古賀氏の本をちゃんと読んでるんなら、わたくしが引っかかった公取を事務総長ポストで籠絡するというストーリーもちゃんと読んで、古賀氏がどういうたぐいの人格であるか分かった上で褒め称えているのでしょうから、まあ、そういうことなんでしょうね。

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原発緊急作業の被曝限度下げ検討 厚労省、事故前の値に

日経に先ほど出た記事ですが、

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E3E2E2E1998DE3E2E2EAE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

>厚生労働省は10日、福島第1原子力発電所の事故の緊急作業に従事する労働者の被曝(ひばく)限度を現行の250ミリシーベルトから引き下げる検討を始めた。5月中に新たに作業した人の被曝線量が50ミリシーベルト未満だったことから、事故前の100ミリシーベルトに戻す方向で調整する。

  東京電力が同日報告した労働者の被曝線量によると、5月中に新たに緊急作業に従事した約3200人のうち、測定を終えた2721人の最高は41.6ミリシーベルトで、平均では3.1ミリシーベルトにとどまっていた。3月中の作業者の最高は670.4ミリシーベルトに達するなど250ミリシーベルト超は6人、100ミリシーベルト超でも計103人いた。

 同省は「これまで100ミリシーベルトを超えていた人の多くは東電社員で重要な作業を担当している。被曝限度を引き下げても作業を続けられるように検討したい」としている。

 同省は放射線業務に従事する労働者で事故などで緊急作業に従事する間は100ミリシーベルトを限度としているが、同原発の事故に限って緊急作業に従事する人が足りなくなる恐れがあり、250ミリシーベルトに引き上げていた

そもそも100ミリシーベルトというのが例外状態における特例なのですから、特例のそのまた特例というのは、可能な限り早く解消した方がいいのは言うまでもありません。

ただ、記事でも書かれているように、上限超えた人はもう使えないからポイッということにならないように、何らかの措置が必要なのもまた確かでしょう。

これは、反応を見るためのリーク記事なのかどうかは分かりませんが、続報が待たれます。

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先生に合わせてもらおうよ。お金払ってるんだから

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「先生に合わせてもらおうよ。お金払ってるんだから」

まことにもっともです。お客様は神様ですからね。

さて、そういうお客様の都合に合わせて働かなければならない「先生」って、労働者なんでしょうか。

それが争点になったのが、GABA事件(大阪府労委決定平成21.12.22)(中労委決定平成22.10.6)でした。

ごく最近出た『別冊中央労働時報』7月号に両方まとめて掲載されていますので、労組法上の労働者性なる問題に関心のある方は一瞥しておいてもいいかもしれません。

例によって、会社側はこの「先生」(インストラクター)が雇用契約じゃなくて業務委託契約だと主張しているわけですが。

本件の特徴は、上の広告でも謳っているように、お客様(生徒)がレッスンの時間をを決めているというところですね。会社がこの時間に労働せよと命令しているわけではない。といって、先生が勝手に決めているわけでもない。お客様主権の世界。

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水町勇一郎『労働法入門』岩波新書が9月発売

岩波書店の予告によると、水町勇一郎さんの『労働法入門』岩波新書が9月発売だそうです。

ふむ。岩波新書で「労働法」を正面から謳った本は、磯田進さんの『労働法』以来じゃないでしょうか。

おそらく、テキスト『労働法』の特色である社会システムとの関係で労働法を考察するという面と、とりわけ同書最後の

>1 「国家」か「個人」か「集団」か?
2 「労働」は「喜び」か「苦しみ」か?

といった問いかけが、労働法全般の概説とともに書かれることになるのでしょう。

ちょうど同じ9月に、わたくしも日経文庫から『日本の雇用と労働法』というちょっと変わったテキストを出しますので、読み比べていただくのも一興かも知れません。

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萱野稔人編『最新日本言論知図』(東京書籍)

448780480 東京書籍より、萱野稔人編『最新日本言論知図』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/4487804809/

>現代日本の重要な論点やトピックを取り上げ,文章とビジュアルを駆使し,見開き完結で解説。日本の一番新しくホットな論点が,いまだかつてないほどに一目瞭然!

萱野さんとは、昨年10月にPOSSEのシンポジウムでご一緒したことがあり、A381effff6e05d3963224a62d2a1e6ef

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/posse-eb06.html(POSSEシンポジウム終了)

Cce2efcdde13d1ab3648a841fead32c8_2 それが『POSSE』第9号に掲載されておりますので、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/posse-b1f7.html(『POSSE』第9号から)

そちらも是非お読みいただければ、と思うところですが、

この本では、23番目のテーマの「ベーシックインカム」というところにわたくしがちらりと顔を出しているようであります。

それはともかく、29番目の「雇用問題」という大テーマを「派遣法規制は強化すべきか」というような、はっきり言えばみみっちい議論に矮小化し、あまつさえ、その中で反対派として池田信夫氏をわざわざ持ち出しているのは、ものごとの認識枠組みとしていかがなものかと思わざるを得ませんね。雇用労働をめぐる大事な問題がすっぽり抜け落ちているでしょうが。

まあ、実は、後ろの方の上野千鶴子氏と萱野さんとの対談が、かなりの程度労働論にもなっているので、そちらで補ってね、という趣旨なのかも知れませんが。

このように、広く浅くという方針のためか、全体として記述は浅い、という印象が否めませんが、まあ、メディア業界の隅から隅までざっと見渡すのにはいい本なのでしょう。

ちなみに、上で『POSSE』をひいたからというわけでもありませんが、134番目の「インディーズ系論壇誌」に、『POSSE』が、社会系でかつマイナー系として位置づけられていますな。

もひとつ、136番目の「ウェブ論壇」の図の中で、勝間和代さんが「経済評論家」なのに池田信夫氏が「経済学者」なのはどういう根拠なのか、よく理解できないままでした。

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現行法でも公務員は整理解雇できます(追記あり)

二言目には、民間労働者に適用される労働法上はあり得ないようなことを「民間では」と口走る民間出羽の守が氾濫する今日この頃ですが、こういうニュースもあるようです。

http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011080801001248.html(公務員の「整理解雇」検討 橋下維新、3議会に提出へ)

>橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」が、府と大阪、堺両市の職員を対象に免職や降任など分限処分の基準を定めた条例案を提出する方針を固め、一定の条件下で余剰人員を「整理解雇」できる規定を盛り込む方向で検討していることが8日、維新の会幹部への取材で分かった。

 早ければ月内にも堺市議会を皮切りに府議会、大阪市議会を含めた3議会へ相次いで提出する構え。人件費削減など行政スリム化を容易に実行するのが目的とみられるが、「身分保障」が前提となってきた公務員制度を抜本的に見直す内容で、職員組合や教育界などが反発するのは必至だ

いや、日本国の民法や労働基準法がジョブ型雇用契約を前提に作られているのと同様、日本国の国家公務員法や地方公務員法も、GHQ時代にフーバーが導入したジョブ型システムが根幹をなしています。実際の運用がメンバーシップ型になっているだけで、法律の建前はどこをどう読んでも立派なジョブ型なのですよ。

ですから、「オレ様の言うことをきかねえからクビだ」というような無理無体なことに対しては、きちんと身分保障がされていますが、当該ジョブがなくなったというのであれば、当然その公務員を免職(=解雇)できることが定められています。

(分限及び懲戒の基準)
第27条 すべて職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない。
2 職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、若しくは免職されず、この法律又は条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して、休職されず、又、条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して降給されることがない。

(降任、免職、休職等)
第28条 職員が、左の各号の一に該当する場合においては、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる
1.勤務実績が良くない場合
2.心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
3.前2号に規定する場合の外、その職に必要な適格性を欠く場合
4.職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

記事にあるように余剰人員を整理解雇できるということであれば、それは既に地方公務員法に明記されています。ジョブ型法制の当然の論理です。

もし、知事様の仰ることにくちごたえをするような生意気な職員はクビにするのや、という趣旨であるのならば、それが「その職に必要な適格性を欠く」ことを証明する必要があるとは思いますが。

(追記)

やっぱり、整理解雇とは別に、云うこと聞かないヤツはクビってのも入っているようです。

http://www.asahi.com/politics/update/0809/OSK201108090083.html(君が代不斉唱で免職も 維新の会「職員条例案」全容判明)

>大阪府の橋下徹知事が代表を務める大阪維新の会が府議会などに提出する「職員基本条例案」の全容が判明した。教員を対象に同内容の条例も作成。政治主導で地方公務員の人事評価や懲戒・分限処分の基準を明文化する全国初の条例案で、公務員の「管理」を徹底する狙いがある。

 6月に条例化された君が代の起立斉唱などの職務命令に3回違反した教職員を免職とする規定のほか、組織再編で過剰になった職員を分限免職にできるリストラ規定なども盛り込んでいる。維新の会は9月の府議会、大阪・堺両市議会に条例案を提出する方針。

 条例案は本文と詳細な処分規定を定めた別表で構成。本文では条例制定の趣旨を「硬直化した公務員制度を再構築する」とし、「職員に関する最高規範」と位置づけている

ふむ、阿久根市長さんの時も申し上げたように、国家と地方自治体はいかなる意味でも対等などではありませんから、条例は法律に反することは出来ませんから、その条例でクビにして、それが地方公務員法上適法であるかどうかを、国家の裁判所で判断してもらうといいと思います。

あっ、そういえば「独立」するんでしたっけ・・・。

(どうでもいい寝言ですが、こういう手合いにころりと逝かれるのが、市民自治とか地方分権とか麗しげな言葉が大好きな市民派なんだよな。あんたらを守るのは地方主権とやらを踏みにじることの出来る国家権力だけなんだよ)

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りすくをとらない日本人?

昨日、某マスコミの方がいらしてしばしお話し。

「日本人はりすくをとらない、特に最近の若者はりすくを嫌がるって言いますけど、なぜなんでしょうか」などと、いかにもそういったふうなメディアに載ってそうなことをそのまま言われるので、

「じゃあ、特殊法人のNHKと商業放送の民放のどっちがりすくをとってますかねえ。こういう大きな企画ができるのはどっちで、毎度毎度ひな壇芸人並べてくだらねえおしゃべりさせてるのはどっち?」

というあたりからはじめて、気がつけば1時間半ほど喋ってましたな。

なぜ日本型雇用システムの中に一知半解の成果主義を導入したらみんなりすくをとらなくなったのか、とか、いろいろと喋るネタはあるテーマです。

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クソ仕事さん閉鎖

はてなの部門別ランキングで、労働部門3位の本ブログよりもさらに上位にあり、単独著者によるブログとしては1位であった「クソ仕事」さんの「ニートの海外就職日記」が、

http://tophatenar.com/tag/%E5%8A%B4%E5%83%8D(部門別ランキング - 労働)

>ブログ終了のお知らせ。ブログが起因で身の危険を感じる出来事があったため、閉鎖に至りました。更新を楽しみに待って頂いていた方々、ごめんなさい。コンテンツは全て消しました。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/

というメッセージを残してブログを閉鎖してしまいました。

どういう経緯があったかは知りませんが、「ブログが原因で身の危険を感じる」云々という表現は、

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100721/p1(無期限休筆宣言)

>つまり、webmasterの正体が暴かれるおそれが出てきたのです。

>書きたいことを書けなくなったそのときに、bewaadは死んだのです。

と、卑劣な第3法則氏の身バレ攻撃を受けたbewaard氏の事件を彷彿とさせるものがあります。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7c5d.html(卑劣な第3法則の効果)

さて、あらためて、本ブログで取り上げたクソ仕事さんのエントリをいくつか読み直して(といってもリンク先はすでに消えていますが)見たいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6d44.html(普通の労働者感覚)

>以前にも取り上げた「ニートの海外就職日記」ブログに、最近、普通の労働者感覚を示す妙味深いエントリが連投されているので、紹介しておきます。このブログ、やたらに「w」を多用する表現方法がいかにも私の趣味には合わないのですが、そこを我慢して読むと、言ってることは実にまっとうな、普通の労働者感覚なんですね。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-314.html(24時間営業で首の締め合いが激化w。)

>「普通の仕事をしている人間」って何だ? 「普通のクソ仕事を~」の間違いだろw? こういうニュースを読むと、この社会はもう何かが根っこから決定的に間違ってるとしか思えんな。自分らがクソ労働環境での我慢大会から抜け出せないからって、役所も銀行も我慢大会に参入wして遅くまで開けろ、24時間営業にしろ、土日も働けって。。。どうしても不幸の横並びを強要したいようだなw。「俺たちの負荷を減らせ」ではなく「あいつらの負荷を増やせ」。「俺たちの休みを増やせ」ではなく「あいつらの休みを減らせ」みたいな

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-315.html(役所叩きはクソ会社、クソ経営者の思うツボw)

>これぞ正論w。役所や銀行の営業時間に文句を垂れるよりも、ちょっとの用事で抜け出す事も出来ない、もしくは有給を使って休む事もままならないクソ労働環境に異議を唱えるのが筋だろ? 役所の窓口でキレてモンスターカスタマーぶりを発揮するくらいなら、労基法無視でろくに休みも取らせないクソ経営者に刃向かえよ、とw。

人様に24時間営業を要求するということは、回り回って自分も24時間営業を強いられるということなのですが、社会全体がそういうモードになってしまうと、労働者としての自分がどこかに飛んで行ってしまって、もっぱら偉い顧客様としての自分だけがぐるぐる回り続けるのでしょうね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kousyou-a3ca.html(山野光正(Kousyou)さんの「日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源」)

>この「クソ労働環境」って言葉、もとをたどると、

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/ニートの海外就職日記

から来ているようですね。このブログでも、上述のふろむだ氏のエントリや本ブログでも取り上げたmojix氏の議論を捉えて、いま解雇規制がホットなテーマになっているようです。

>労基法という制度はガン無視wしておきながら、お荷物社員や気に入らない社員のクビを自由に切れる解雇規制の撤廃は賛成って都合が良過ぎくない? 要は会社側に都合の良い制度(解雇規制の撤廃)は喜んで守るけど、都合の悪い制度(労基法)は守らないって事だろw?

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労働者階級の指導する労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家

たぶん、この記事を読んだ人の誰も何の違和感も感じないでしょうし、一片の皮肉さえ感じることはないのでしょうけど、

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819499E2E4E2E2888DE2E4E2EAE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

>【北京=共同】世界最大の米国債保有国、中国は今回の格下げで「国際金融市場が混乱し中国は大きな影響を受ける」(エコノミスト)と強く非難した。国営通信新華社は米国の財政政策を批判し「米ドルを国際的に監視する必要がある」と主張、債務問題解決のため軍事費削減まで要求する評論記事を配信した。  

 中国の米国債保有高は5月時点で1兆1600億ドル(約90兆円)。3兆ドルを超える世界最大の外貨準備の多くを米国債の購入に充てている。 

 新華社は「中国は最大の債権者として、米国に構造的な債務問題への対処と中国のドル資産の安全確保を要求する当然の権利がある」と強調。米国は「借金依存症」を改めるべきだとし「巨額の軍事費と社会保障費を削減しなければ、国債のさらなる格下げを招く」と警告した

社会主義国のはずの中国が資本主義の総本山のアメリカに対して、社会保障費の削減を説教する、という事態が、あまりにも素直に入ってきて、何の違和感も感じないのでなぜなのでしょうか・・・などと、今更のごとくかまととぶった物言いも白々しいものがありますが。

高速鉄道の乗客の安全確保よりも、アメリカに対してドル資産の安全確保を要求するブルジョワ的権利を基礎づけている中華人民共和国憲法なるものを読み直してみると、改めて大変面白い読み物であると感じます。

>第一条 中华人民共和国是工人阶级领导的、以工农联盟为基础的人民民主专政的社会主义国家。 

中華人民共和国は、労働者階級の指導する労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である。

(ニュース深読み(のし過ぎ))

http://twitter.com/#!/typeA_ac/status/99836957512843264

>「中国がアメリカに社会保障費削減を言うのは、そうして米国資本主義を先鋭化させ、プロレタリアートとブルジョアとの矛盾を加速させる為の陰謀なんだよ!」「な、なんだってー(AA略」

その遥か前に、中国資本主義が先鋭化し、プロレタリアートとブルジョアとの矛盾が加速しているような気もしないではないですが。

Mr06302201106cvr_140そういえば、アメリカのゴリゴリサヨク雑誌「Monthly Review」の去る6月号に、「The Rise of the Working Class and the Future of the Chinese Revolution」(労働者階級の興隆と中国革命の未来)という論文が載っていましたな。

http://monthlyreview.org/2011/06/01/the-rise-of-the-working-class-and-the-future-of-the-chinese-revolution

こういう左派が左派であるがゆえに率直に資本主義中国を批判するものが出てくるのがアメリカのいいところでしょう。変なネトウヨ系ばかりがエスニックな中国叩きに走るどこぞの国と違って。

>How will the rise of the Chinese working class shape the future of China and the world? Will the Chinese capitalist class manage to accommodate the working-class challenge while maintaining the capitalist system? Or will the rise of the Chinese working class lead to a new Chinese socialist revolution that could, in turn, pave the way for a global socialist revolution? The answers to these questions will, to a large extent, determine the course of world history in the twenty-first century.

中国労働者階級の興隆は中国と世界の未来を形作るだろうか?中国資本家階級は資本主義制度を維持しつつ労働者階級の挑戦を抑え込めるだろうか?それとも中国労働者階級の興隆は新たな中国社会主義革命を、そして世界社会主義革命への道を導くだろうか?これらの問いへの答えは、かなりの程度、21世紀の世界史の道筋を決定するであろう。

中国共産党をあっさり資本家階級と呼ぶだけの率直さを持った左派というのは、残念ながら日本にはあまりいないのでしょう。

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弱い国、助け合わない国 日本

Zrs全労済協会より、『緊急提言集 東日本大震災 今後の日本社会の向かうべき道』をお送りいただきました。

これは全文が全労済協会のHPにもアップされていますので、忙しくお仕事中でない皆さんは、是非リンク先に行って、パラパラと読んでみてください。

http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/library/lib-subject/post-1.html

内容は次の通りですが、

●「共に生きる」社会への復興を求めて 神野直彦東京大学名誉教授
●震災復興と地方自治のあり方 西尾勝東京市政調査会理事長
●震災復興と雇用の再構築 宮本太郎北海道大学大学院教授
●住宅復興とまちづくりの方向 塩崎賢明神戸大学大学院教授
●地域コミュニティの再生に向けて 広井良典千葉大学教授
●東日本大震災と新しい社会経済システム、社会保障制度 駒村康平慶應義塾大学教授
●大規模災害時の地域医療・介護 小松秀樹亀田総合病院副院長
●震災復興とエネルギー政策の転換 植田和弘京都大学大学院教授
●復興を支える財政政策 高端正幸新潟県立大学准教授
●今後の防災・減災に向けて 河田惠昭関西大学教授

「雇用の再構築」という言葉がタイトルに入っている宮本太郎さんの文章から、いろいろと考えさせる部分を:

>震災復興を雇用を軸に考える際に肝に銘じるべきことは、仕事は人々にとって収入の源以上の何かであったこと、その事実を震災が改めて示したということである津波で船も港も失った漁師たちが、なぜなお再び漁に出る日を待ち望むのか。その理由は仕事が単に生活の糧に過ぎないとしたら説明できない。・・・

>この15年の間、日本社会において揺らぎはじめ、そして震災が破壊してしまったこと、そして被災地を軸に全国で再構築されるべきことは、コミュニティの中で参加の場を持ち、他の人々と認め認められる関係にあるという日常の形である。人々の幸福感情をめぐる近年の研究が示すのは、失業が幸福感への深刻な脅威となるのも、それが社会との繋がりの喪失を意味するからである。特に成長期を終えた成熟経済にあっては、繋がりの維持が所得以上に幸福感の規定要因になっていることが明らかになっている。

>・・・被災地における雇用再構築において最も重要な事柄は、地域の長期的な発展に求められる安定的な仕事に就くことを通して、職場であるいは地域で、繋がりが広がっていくという見通しなのである。そのような見通しこそが希望の支えとなるのである。

あと、高端正幸さんの財政政策論は、復興財源の調達について「常道を採るべし」と断言しています。

>そもそも増税を回避すべきとする議論は、日本の財政政策が抱える根本的な弱さを反映している。日本の財政は、高度成長期に定着した「自然増収=増税なき増収」への依存体質を引きずることによって、1990年代以降の低成長条件に直面したとき、大量国債発行による国際的に類例なき債務累積へと迷い込んだ。結果として、国民全体として負担を分かち合い、支え合うという総体的な意味での「受益と負担」の相互関係が築かれることはなかった。

>しかも、欧州各国が福祉国家財政の積極的再編を進めていく傍らで、日本では財政運営の持続可能性への懸念が強調され、歳出(とりわけ社会保障支出)の抑制が進められた結果、国民の受益実感の低下が租税負担感のみ高めてしまうという悪循環が定着した。先進国中で最高水準の貧困率、雇用格差、地域間格差など、機会の不平等と社会的な分断がこれほど露わになっても、国民は負担に同意しがたく感じ、そうした空気が、増税不要論を唱える一部の経済学者を勢いづけている。

震災後には、テレビなどで「日本は強い国」「日本人は助け合いの心を持っている」といった言葉が頻繁に流された。ところが、財政という鏡に映った日本は、間違いなく「弱い国」であり、「助け合わない人々」の国である。こうした状況において、明瞭かつ深刻な危機として眼前に突きつけられた大震災からの復興に要する財源さえも、負担の分かち合いなしに調達可能であるとする議論は、日本の財政政策をさらなる劣化に導く言説であると言わざるを得ない

まことに、びた一文お金を出したくないという言説ばかりがはびこる国は、「弱い国」「助け合わない国」でありましょう。

ただ、高端さんも指摘するように、そのようにしてしまった原因の一つは、社会保障を削ることで財政再建をするという財務省的財政再建論ばかりが前面に出たために、生活再建のための増税にすら国民の意識が冷え切ってしまっていることにあるのでしょう。何とも皮肉で、悲しい現実ではあります。

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身内集団原理のねおりべ、りふれは。開放個人主義原理の社会主義者・・・。

下のエントリ「丸山の議論がほとんど過不足なく当てはまる典型的日本人だなあ」に対する黒川滋さんの、まことに簡にして要を得た痛烈なコメント:

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/99810627157110784

>全くです。リフレ派も新自由主義者も、流行の改革思想はどれも典型的日本人的仲間意識をふりかざします。私のツイートに絡みついて「小野善康は異端だからな」と吐き捨てたリフレ派がいたな

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/99811285071429632

>小野善康先生が異端視されているのは、ほとんどこの典型的日本人的仲間意識によるものです。あわせて、就職活動の学生に、日経読まなくては、と強要し新人のどいつもこいつも日経しか読まないのもそう。何で社会主義のはしくれにいる私が、最も典型的日本人仲間意識の外にいなきゃいけないんだ

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/99811734784720897

>新自由主義者やリフレ派が群れて仲間意識で、日本はまだ社会主義で、私のような人間がいるからいけないとレッテル貼りをする一方で、社会主義のはしくれにいる私が、最もそうした仲間意識をファシズムの前兆現象と批判しなくてはならないのです。全くもって矛盾です

一見、日本的身内集団原理を批判しているような顔をしている日本型ネオリベや日本型りふれはの連中が、実は一番身内集団原理に骨がらみになってましたという、まことに皮肉な話。

実は、私は、知的世界は別として、現実の社会運営原理としての身内集団原理を否定することは出来ないし、それがのりを超えたときのおぞましさを常に念頭に置きつつ、一定の集団的エネルギーを引き出すための一種の動力炉として活用することはありうべしとは考えています。

しかし、少なくとも知的活動に従事すると称する類の人間が、あからさまに身内集団原理を振りかざすというような事態は、どう贔屓目に見ても一個のスキャンダルでしかないと思われるのですが、まありふれは方面の方々には必ずしもそうではなさそうなところが恐ろしいところです。

(本エントリ以後、引用部分は斜体字にして分別しやすくすることにしました)

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甲山太郎氏へのささやかなお答え

昨日のエントリに対して、kabutoyama_taro(甲山太郎?)氏が、ついった上でコメントをされているのを見つけました。

http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99671383004545025

>私、実は結構な職業的レリバンス重視ですよ。ただ私の領分は「漠然としたホワイトカラー予備軍」なので、明確な「職業訓練」という形を取りにくい。これが技術系だったら問答無用で機械全バラ実習から始めりゃいいんで話が早いんですが。

http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99672453940391936

>中等における職業訓練は、「進路決定に係る文化問題」と密接に繋がっているから話がややこしい。今の日本の15歳に、職業的進路を決めるポテンシャルは「文化的に」不可能です。ならば職業的を含む市民的レリバンス教育が優先されるだろうというのが私の心証。

http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99673348262477824

>ドイツみたく早い時点で大学進学組と就職組に分かれて人々もそういうものだと思う「文化」なら、中等における職業訓練も当然ながら機能するのでしょうけど、日本は…。むろん、「空中浮遊的理想主義教育学」がそうした文化形成の妨げになっているという趣旨なら大いに賛同します。

http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99675262974820352

>そういえばhamachanは、「職業訓練の重視は、当然ながら早期における進路選択の"強制"も含意している」とどこかで言ってはったなあ。だとすれば、氏と私の考えていることはほとんど同じで、あとは彼のほうが急進的で私のほうが漸進的だという程度の違いになるのかな。

http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99676730960248832

>ただし、「早期における進路選択」を前提とするなら、大学は、ベタベタに非実用的な教養主義/リベラルアーツの方向でやって構わないという結論に論理的にはなるのだけど。実際、欧米の大学はおおむねそういうことになっているわけで。そのあたり氏は自論との矛盾を感じないのかな

おそらく、その「矛盾」をもっとも重大なものと感じるのは、甲山さんが理論派だからなのだろうな、と思います。これはいうまでもなく、いかなる意味でもペジョラティブなインプリケーションはありません。理論派はそうあらねばなりません。白紙の上にいかなる社会のありようを描くべきかという観点からすれば、この指摘はまことに重要なものです。

ただ、拙著でも繰り返し述べているように、わたくしは認識論においてはラディカルに、実践論においてはリアリストでありたいと考えておりまして、現に社会に存在し、なかなか簡単に消え失せろと言うわけにはいかない物事どもについては、それらが存在し続けることを前提としてどうするかを考えていかなければならないわけです。それは、もちろん実務派としての精神構造のゆえであって、もとより人に押しつけるものではありませんが。

「早期の進路選択」が全面的に可能な社会に、公権力を行使して今すぐ出来るのであれば、ごく少数の人々を受け入れる「大学」というのは「ベタベタに非実用的な教養主義」でいいのかも知れませんが(その場合その少数派がその後どういう進路をたどろうが、言葉の正確な意味における自己責任)、現実に同世代人口の大部分が「大学」と称する教育機関に入ることが当然とされ、行かない方が少数派という状況をとりあえず前提として(つまり、大学と称する機関の大部分を今すぐ直ちに強権的に取りつぶすということは出来ないと諦めて)、せめてその「大学」と称している機関で教えられることどもの中身を、いささかなりとも当該機関を出てからの職業生活において有用であり得るようなものにしようという程度の、まことにしょぼいことをぼそぼそとつぶやいているのが、その「レリバンス派」なるものの実相でしかないのであってみれば、甲山さんのいかにも理論派全開のコメントは、まことに正しいのですが、あまりにも正しすぎて、現実社会には使いようがないようにも思えるのです。

ちなみに、次のつぶやきはコンテクストが異なるので一緒に論ずべきではないのでしょうが、

http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99689555510296576

>実際問題、雇用なんてのはあくまで需要によって生み出されるものにすぎないのであって。ニーズが決定的に不足しているところに、供給側;サプライサイドでじゃんじゃん職業訓練すりゃあ雇用が生まれるという発想はおよそバカげている。この点こそが、職業的レリバンス=人的資本論パラダイムの陥穽。

いささか劣化した「りふれは」風の言いぐさには残念のひと言。誰が「サプライサイドでじゃんじゃん職業訓練すりゃあ雇用が生まれる」なんて馬鹿げたことを主張しているのですかね。全体の雇用総量というマクロ問題と、その上での需給アンバランスというミクロ問題をごっちゃにしてはいけません。そして、この世の中にはマクロ経済問題以外におよそ解決すべき問題というのは存在せず、存在するなどと言うことを口走る輩はことごとく銃殺せよと主張するような徒輩と同一視されかねないような言葉を吐いてはいけません。上で論じた一連の議論と何ら内在的関係のないこういう台詞をうかつに持ち出すと、そのリスクを冒すことになります。

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丸山の議論がほとんど過不足なく当てはまる典型的日本人だなあ

先日の本ブログにおけるこのエントリに対する暴言日記さんのコメントですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-8591.html(それぞれに利害のある人々を「御用一般人」と言える心性の劣悪さ)

http://blogs.yahoo.co.jp/zhang_r/29192497.html(御用一般人)

まことに、真実をえぐる的確なる表現をしているので、ここに引用します。

>(拙ブログの引用)

>いわゆる 「リフレ派」と自分のような単なるリフレ政策支持者を分ける基準はっきりしてて、それはリフレ政策が行われてこなかった原因を、「リフレ派」の場合は日銀総裁や日銀官僚の非経済学的な動機に求めることにある。つまり、政治的利権、保身、既得権の維持などなどである。いろいろ議論を眺めていると、「リフレ派」を名乗る人とそうではない人とでは、明らかにここで分断線がある。最近は官僚や政治家にとどまらず、ネット上などで「リフレ派」に懐疑的な意見を表明する人全般を「御用一般人」などと呼んでいるが、普通のリフレ政策支持者にとってはついていけない批判である。

 私の理解する大人の良識から言って、何らかの地位にある人で、利権、保身、既得権の維持に走っていない人など皆無であること考えれば、こんな批判は週刊誌ネタや政治ジャーナリズムの世界でしかなく、政策論的には基本的に無意味である。田中先生を見ていると、丸山やアレントやセンを読んでも実際には中学生レベルの人間観や社会観しか披瀝できなことに、「教養主義」の限界というものを感じる。

 そもそも、田中先生や稲葉先生の振る舞いを見ていると、丸山の議論がほとんど過不足なく当てはまる典型的日本人だなあ、としか思えない(だから嫌いにはなりきれないところがある)。地道に実証と論理で説得する努力よりも、特定の勢力を悪者に仕立てて、同調圧力でねじ伏せることの威力の誘惑に負けてしまう。いろんな難しい本をたくさん読んで、それなりに難しい本も書けるが、自分の身体に突き刺さってない。

 「御用一般人」という言葉は、そうではない人=「国民全体の厚生のために自らの既得権や利害を顧みない」人の存在を前提にしてはじめて意味を持つ言葉だが、アレントを少しでも理解するつもりがある人なら、そういう人に対する願望こそがファシズムの心性でしかない、という感性がなければだめだろう。「アレント読みのアレント知らず」という人は本当に多いというか、自分もそういわれないように緊張感を持ち続ける必要がある

まあ、こういう言葉の本当の意味での知識人的な批判を読んで、我が身を省みるような人物であれば、今のような惨状を呈することはなかったはず、というのがわたくしの感想ではありますけれど。

>日本社会では出る杭は打たれるとか、足を引っ張るとかなんとか日本社会を批判し、その批判にたいする共感で味方を結集し、その同調圧力で敵対者を攻撃しようというやり口自体が、うんざりするほど「日本的」である。日本人論的な批判それ自体が、最も性質の悪い形で日本人論的なものを象徴しているという無限ループ

 多くの左翼系の知識人は、これを反省することができず、単に自分に敵対する議論を、丸山の口を借りて日本特殊性論で批判する。田中先生は、こういう俗流丸山論者の典型的な存在。

 田中先生の論法は、要は「あいつら馬鹿で、いやな奴らだって、みんなもそう思っているから、お前もみんなに嫌われたくなければこっちこい・・・」に集約される。もちろん、丸山が生涯をかけて批判した人間類型である。日本人である自分もこういうところが確かにあるので、田中先生を嫌いになりきれない

「りふれは」が戦後日本のサヨクの駄目さ加減の象徴であるというのは、まったく同意します。「りふれは」だけならば、あまりの卑劣さに「刀汚し」というところですが、それが日本型サヨク(最近はむしろウヨク系も)知識人の典型的思考行動様式であるがゆえに、徹底的に分析追及する必要があるのでしょう。

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OECD対日経済審査報告書2011年版(続き)

93569というわけで、昨日に引き続き、「OECD対日経済審査報告書2011年版」の「評価と勧告」から、最後の第5章に関する部分。

昨日は、やや言葉に毒がありすぎ?という感じもしたので、本日はさらりといきますね。

まずは「労働市場の二極化を縮小することが最優先事項である

>日本の労働市場は、賃金や労働時間の柔軟性を含む多くの好ましい特徴を維持している。しかし、1990年以降、経済成長が著しく減速する中、長期雇用、年功賃金、そして60歳での定年といった伝統的な労働市場慣行は、ますます経済状況にそぐわなくなった。その結果、企業は、より高い雇用の柔軟性を得るため、また労働費用を減らすため、より多くの非正規労働者を雇ってきた。実際、企業にとっての利点を反映し、非正規労働者は今や雇用者の3分の1を占める。しかしながら、非正規労働者には、仕事や教育の類型の違いを調整した後でさえ、低い賃金が支払われており、訓練を受ける機会も少なく、また社会保険制度によって十分にカバーされていないことから、非正規労働者割合の高まりは懸念を生じさせている。加えて、非正規労働者は、相当の雇用の不安定さに直面している。たとえば、非正規労働者は、2008年から2009年の間の雇用者の減少の3分の2を占めた。さらに、分断された労働市場での限られた流動性は、非正規雇用が正規雇用へ通じる道となっていないことを意味している。政府は、短期的な派遣労働者の利用を法的に制限し、そうした労働者を継続的に雇用することを促す政策を提案している。これは、硬直性に伴う費用を高め、全体として雇用を減らすことになることになるかも知れない。それよりも、、非正規労働者の社会保険の適用範囲を拡大し、訓練プログラムを向上させること、非正規労働者に対する差別を防止すること、そして、正規労働者に対する実効的な雇用保護を減らすことなどを含む包括的な取り組みが必要である。

今まで繰り返されている提言なので、特に目新しいこともないとは言えますが、少なくとも、インチキな連中をあぶり出すのには使えます。

そう、この最後の正規労働者への雇用保護のところだけをOECDがこう言うとると騒ぎ立てる割に、その前のところでOECDがきちんと指摘している非正規労働者への社会保険の拡大を目の仇にし、訓練の拡大を憎み、差別防止を誹謗する人々のことですよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-a344.html(ゾンビ企業の味方です!キリッ)

>池田信夫氏は、こと労働者が絡まない限りは、ゾンビ企業は潰せ潰せ!と、中小企業に対してまことに峻厳な姿勢を示しますが、なぜかこと労働者が絡むと、最低賃金を払えないような、社会保険料を払えないようなゾンビ企業を断固擁護します。

ゾンビ企業に働く労働者は、多くの場合、池田氏の非難する(NHK社員のような)立派な既得権はほとんどなく、正社員といってもずぱずぱクビを斬られていますが、池田氏にとってはそういう労働者が絡むようなゾンビ企業こそ、地球が滅ぶ日まで守り抜かねばならない存在なのでしょうか

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-cdf2.html(池田信夫氏の勇み足)

>しかし、OECDはどこかの一知半解さんとは違って、それだけで話を終わらせるようなことはしません。「正規雇用と非正規雇用の保護上の格差を減らす」というのは、もちろん「正規契約をしている労働者の雇用保護規制の厳格性を緩和する一方で、有期労働者、パートタイム労働者、派遣労働者に対する保護を強化する」ことであるわけです。

そして、鎌田先生が座長をしていた有期労働研究会は、まさにこのOECDが求めている「有期労働者・・・に対する保護を強化する」政策方向を探ってきたわけですから、そういうことを何も知らずに「労働法学者って英語も読めないの?」などと言い放てる池田信夫氏の神経には驚嘆の念を禁じ得ません。

池田信夫氏は、英語でとは言いませんが、せめて日本語で翻訳の出ている雇用労働関係のOECD文書くらいは目を通してからつぶやいた方がいいと思います

あんまりさらりとしなくなってきたので、次に行きましょう。

次は「女性の労働参加を高め、高齢労働者をより有効に活用することは、人口高齢化に対処するために必要である

>非正規雇用の増加傾向を反転させるならば、非正規労働者の58%を占める女性の労働参加率を高めることになるかも知れない。高い賃金の正規の地位を得ることに伴う困難は、特に子育てのために労働力人口から離れた女性が働くことを妨げているかも知れない。出生率を上昇させるとともに、働き盛りの女性の比較的低い労働参加率を高めるためには他の改革も必要となる。第一に、保育所の利用可能性を拡大することが重要である。第二に、女性が仕事と家庭での責任を両立することが出来るよう、よりよい仕事と生活の両立(ワーク・ライフ・バランス)が必要となる。第三に、税制や社会保障制度は、配偶者が働くことを妨げる側面を取り除くために改革されるべきである。女性の労働参加を高めることに加え、今世紀半ばまでに生産年齢人口が40%近く減少することが見込まれる中にあっては、高齢労働者をより有効に活用することが優先事項となる。現在、大多数の企業は、60歳の時点で強制的な退職を迫るが、多くの労働者は、通常かなり低い賃金による短期間の契約に基づき再雇用される。政府は、強制的な退職を禁止し、年齢ではなく能力に基づくより柔軟な雇用と賃金制度を目指すべきである。要すれば、急速な人口高齢化に対処するため、女性、高齢者、そして若者を含む全ての日本の人的資源をより有効に活用することが不可欠となっている。そういった政策は、新成長戦略の中で想定されているように、高度な技術を有する外国人労働者の流入増加を同時に伴うべきである

特に解説の必要はないと思いますが、高齢者問題については、このエントリで説明していますので、併せてお読み下さい。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-285d.html(高齢者雇用について論ずべきたった二つのこと)

>単純化してしまえば、問題の本質はこうです。

問題その一、高齢者を働かせずに現役世代の稼いだ金で養うか、それとも自分たちでできるだけ長く働いてもらうか。

問題その二、正社員のポストを高齢者に維持するか、若年者に振り向けるか

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-dea6.html(高齢者・女性・障がい者で「少子高齢社会」を支える@Yahoo)

一点だけ注意すべき点として、最後のところで「高度な技術を有する外国人労働者の流入」を慫慂していますが、問題はどういう人が「高度な技術を有する外国人労働者」で、どういう人がそうではないかであって、とりわけ介護労働力を高度技術者という名の下に導入しようという動きについては、ほんとにそうなのかという警戒感をもって当たるべきでしょう。

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OECD対日経済審査報告書2011年版

93569明石書店より『OECD対日経済審査報告書2011年版』の邦訳をお送りいただきました。

http://www.akashi.co.jp/book/b93569.html

本書については、原報告書が発表された今年4月に、本ブログでも取り上げておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/oecd2011-0475.html(OECD対日審査報告書2011年版)

目次は次の通りですが、

第1章 日本経済の回復:自律的で持続的な景気拡大とデフレの終焉を目指して
 はじめに
 第1節 2008年の世界的経済危機からの日本経済の回復
  1.1 輸出の急増:中国の貢献
  1.2 強力で敏速な政策的対応
  1.3 労働市場の好転と国内需要の増加
 第2節 日本の短期経済見通し
 第3節 金融・為替政策
  3.1 日本銀行による物価安定達成のための最近の措置
  3.2 金融政策の枠組みの改革
  3.3 為替政策
 第4節 日本の中期経済見通し:成長を持続させ財政問題に取り組む

第2章 日本の財政政策:持続可能性のために
 はじめに
 第1節 2010年までの財政の動向
  1.1 新政権の財政政策
  1.2 2010年度予算
 第2節 2010年「財政運営戦略」
  2.1 2011年度予算
  2.2 「財政運営戦略」の暫定的評価
  2.3 赤字削減が失敗する可能性
 第3節 構造財政赤字の克服と財政の持続可能性の確保
  3.1 適切な財政目標
  3.2 急速な人口高齢化の下での社会保障支出のコントロール
  3.3 他の分野での支出削減の達成
  3.4 政府収入の増加
  3.5 増税の適切なタイミング
 第4節 財政政策の制度基盤の改革
 第5節 結論

第3章 日本の新成長戦略:需要と雇用を創造するために
 はじめに
 第1節 新成長戦略の概要
  1.1 7つの成長のエンジンと21の戦略的プロジェクト
  1.2 新成長戦略と規制改革
 第2節 新成長戦略の分野ごとの政策
  2.1 グリーン成長とイノベーション
  2.2 医療改革
  2.3 アジア経済戦略
  2.4 地域開発
  2.5 金融部門の改革
 第3節 結論

第4章 日本の教育改革
 はじめに
 第1節 日本の教育制度の概観
  1.1 教育支出
  1.2 日本の教育制度の仕組み
 第2節 教育の成果を改善するための政策
  2.1 幼児教育・保育により多く投資すること
  2.2 初等教育と中等教育の学校の質を改善する
  2.3 高等教育の質を高めること
 第3節 教育支出の効率性の向上:教育におけるバリュー・フォー・マネー
  3.1 コストを削減するために保育所と幼稚園を統合する
  3.2 学校を統合する
  3.3 教員が教育により専念できるようにし、教員をより有効に使うこと
  3.4 高等教育機関に関する規制を自由化すること
 第4節 家計に対する負担の軽減
  4.1 幼児教育・保育の費用における公的支出の割合を増加させること
  4.2 塾への依存を減らすこと
  4.3 高等教育の費用における家計の負担を軽減すること
 第5節 教育における不平等の是正
 第6節 職業教育・訓練の強化
 第7節 イノベーションにおける教育制度の役割の向上
 第8節 結論

第5章 日本の労働市場改革:成長と公平性の改善のために
 はじめに
 第1節 労働市場の二極化
  1.1 正規労働者と非正規労働者との比較
  1.2 非正規労働者の増加を説明できる要因
  1.3 非正規労働者の割合の上昇に関連した課題
  1.4 労働市場の分断化:非正規雇用と正規雇用との間の移行の欠如
  1.5 進行する労働市場の二極化の解決に向けた政策
 第2節 労働市場への参加促進
  2.1 女性の労働参加率の引き上げ
  2.2 高齢労働者の効率的活用の促進
  2.3 若者の労働参加とニートの問題
 第3節 結論

本ブログ的に関心が高いのは第4章の教育訓練と、第5章の労働市場改革です。

が、その前に、上記エントリでも

>先進国のコモンセンスが穏やかな表現で書かれています。金融政策は緩和的に、不可欠な公的支出は「人々の連帯感に訴えかけ、歳入の短期的な増加」つまり、増税で賄いましょうという、火事場ドロボーじゃない人々であれば当たり前の話です。リフレさえあれば他のすべては無駄と思いこんであらゆる税金を憎悪するというのが日本の一部に生息する特殊な人々なわけですが

と述べた点に関わる第2章も必読でしょう。

黒川滋さんが、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/07/729-021a.html(パンドラの箱)

>復興計画がようやくまとまったものの、財源については民主党の困った議員たちの圧力で骨抜きにされた。結局復興計画については、財源の見通しが立たないまま国や自治体の借金を増やすだけのものになりそうだ。

>金子洋一だとか松野頼久だとか、財政問題に楽天的な政治家が跳梁跋扈した背景には、民主党結党期に、新しい公共が劇的に政府支出を減らして効率的で民主主義が進化した社会がやってくるんだ、というちちんぷい神話を、菅直人氏も含めた今の民主党指導層がまきちらした結果だと思う。しかしこうしたノリの原型は「もう日本は待ったなし」みたいな財政危機を必要以上に煽った議論から始まっていたりして、今彼らが言っていることがそもそも間違っていたと認めるべき話なのだが、過去を忘れることのできる議員と、そういう議員が何言ったか忘れて選んでしまう有権者の問題なのかなぁと思う。

と嘆くような現実の政治の惨状もあるわけですが。

ま、しかし、そういう財政経済の話はおいといて、ここでは本ブログの本来のフィールドについてのOECDの分析を、「評価と勧告」の部分から引用しておきます。

まず教育機会の問題。

>日本では授業料が高いにもかかわらず、高等教育向けの公的奨学金は現在のところ3分の1程度の学生のみが利用できるに過ぎず、その利用機会を拡大することは重要である。・・・もう一つの公平性に関する懸念は、塾の大きな存在である。・・・塾通いは学業の成績を著しく高めるが、家計所得が高いほど塾通いは増えるので、塾への依存を減らすことは結果として生じる教育成果の不平等を減らすことになるであろう。試験による高い成績は学生がより一流の大学に入学することを許し、それは正規雇用と著しく高い生涯所得をもたらすため、こうした不平等は長く尾を引くことになりがちである。・・・

日本の空中浮遊的理想主義の教育界の方々は、そもそも教育の理念とやらから説き起こして受験教育の塾がけしからぬけしからぬと誰もまじめに聞かないようなお題目を唱え続けることによって、現実社会において塾という名の高価だが効率的な教育機関がはびこることを手助けし、結果的にOECDが指摘するような社会的不平等を、それが不平等であるという理由でまじめに戦おうという気持ちを誰にも持たせないまま、ますます増幅させるという劣悪な社会的機能を果たしていたと言ってもいいのかも知れません。例によって、毒のある言い方ですけど。

的はずれの理想主義ほど、世の中に害悪を流す代物はない、ということの一つのいい例証でしょうか。

次は職業教育訓練について

>企業が長期雇用のために新卒者を雇い、企業の中で社員を訓練するといった伝統的なパターンは、固有の技能を有する労働者を雇う方へシフトしつつある。新しいパターンは、効果的な職業教育の重要性を高める。その一方で、大学に通う学生の割合の増加は、伝統的に職業教育の分野で重要な役割を果たしてきた短期大学や専門学校の閉鎖を強いている。・・・企業ベースの訓練を受ける機会がほとんど無い非正規労働者・・・の割合が高まっていることを踏まえると、より一層の職業教育・訓練に対するニーズに応えることが特に重要となる

ここでもまた、大学ってのは高邁なる学術の奥義を究めるところじゃ、職業などという汚らわしいモノは入れるなという空中浮遊的理想主義のなれの果てが、新聞も見たことがない、文庫本も新書本も分からないような大学生たち相手に、ただ経済学大学院修了者にもっともらしい雇用機会を創出するという目的のためだけに、四則演算だけで経済学を教えるような現実を日々生み出し続けているわけですね。

そういう理想主義の徒輩とともに、OECDが要請する公的職業教育訓練をひたすら攻撃してやまないのが、上でOECDが指摘する(これまで公的職業教育訓練の必要性を抑制してきた)長期雇用慣行を攻撃する人々でもあるという皮肉も、まことに日本的な現象といえましょう。いや、下層階級は無技能のままおいておいた方がいいという判断からであればまことに整合的な主張ではありますが。

のこりの、労働市場の二極化問題と女性や高齢者の活用については、また明日。

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どのような社会をめざすのか-ヨーロッパと日本(上)(下)

一橋大学大学院社会学研究科のフェアレイバー研究教育センターのホームページに、わたくしが昨年明治大学で講義して、最近『労働法律旬報』に載った(正確に言うと、「下」の方はまだ刊行されていないはずですが)「どのような社会をめざすのか-ヨーロッパと日本(上)(下)」が、ゲラ刷りをPDFファイルでアップされています。

http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/publication.html

http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/rh-junpo/110725.pdf(上)

http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/rh-junpo/110825.pdf(下)

日本の労働社会の特徴をざっくりと要約し、その課題を提示した手頃な文章ですので、是非お読みいただければと思います。

ここでは「下」の中の、「誰が労働者の面倒を見るのか」という一節をここに引いておきます。

>メンバーシップ型の社会のいろんな矛盾を解決するためにどうしたら良いかという議論をやっていくと、結局、問題は労働の世界だけでは収まりきらないことがあります。

 なぜかというと、メンバーシップ型社会というのは、一生面倒をみてやる代わりに会社の言うことを聞け、会社の言うことを聞かないのだったら一生面倒みてやらないというものです。しかし、なぜ、会社が一生面倒をみなければいけないのでしょうか。

 戦後の労働組合運動が、とりあえず手近な労使交渉で、要求を積み重ねて、メンバーシップ型社会が出来上がった側面があります。今になって、それが悪かったみたいなことを言うべきものではありません。歴史はそんな単純なものではないと思うからです。これを見直すのであれば、会社の代わりに誰が一生の面倒をみるのだという話をしないといけません。

 実は日本という国は、国が国民の一生の面倒をあまりみない国です。なぜみないのかというと、みる必要がないからです。なぜみる必要がないかというと、会社が面倒をみるからです。にわとりと卵みたいな話ですが、会社が面倒をみてくれているのだから、国は一人ひとりを面倒みる必要がない。国は、会社が一人ひとりの面倒をみられるように会社の面倒をみていれば良い。会社の中のことまで手を突っ込んで面倒をみてやる必要はないという考え方です。

 世界中どこでも、独身の労働者が結婚して子どもができると養育費がかかります。学校に行くようになると教育費がかかります。子どもがだんだん大きくなると子ども部屋をつくらないといけないし、男の子と女の子だったらそれぞれ同じ部屋に入れるわけにいきませんから、それだけの広い住宅が必要で住宅費がかかります。こういったものを日本では、会社が面倒をみてきました。正社員を一生面倒みるというのは、そういうところまで会社が面倒をみるということです。

 もし会社がみないとなると、他の者が面倒をみなければいけない。それは誰か。国しかない。実はここが一番難しいところです。なぜかというと、戦後の日本の知識人は、国が大嫌いだったからです。ヨーロッパだったら、左派は福祉国家にしろと言ってきましたが、日本の戦後左派は、福祉国家はけしからんものだとずっと言い続けてきました。企業に忠誠を尽くすのが良いと言っていたわけではないのかも知れないですが、結果的に国家の権限や役割が大きくなることをあまり好まなかったということもあって、会社が労働者の一生の面倒をみるという形でどんどん発展してしまいました。

 もし、これを本当に変えるのなら、子どもを育てたり、教育したり、あるいは住宅の費用をどうするかといったことについて、国が面倒をみていかなければいけないから、国を大きくしなければいけないという話になります。

 ヨーロッパに行くと社会保障という看板の下に、教育政策や住宅政策が入ります。日本では入らないですね。日本では、教育政策は教科書の中身をめぐる思想闘争の問題だし、住宅政策は建設会社がどんどん開発して家を建てやすくすることになっていて、社会保障だと思われていませんが、ヨーロッパでは社会保障に入っています。ヨーロッパ型の常識が日本に少し入ってくると良いなと思います。

 つきつめると、会社に忠誠を尽くす代わりに一生面倒をみてもらうという働き方か、それとも非正規か。どっちもいやだというわがままは許さんという、究極の二者択一を迫るような社会は、あまり良い社会ではありません。そして、会社の言うがままに働かせるけれど、一生の面倒はみないブラック企業の存在などを考えると、別の新しい働き方を考えて作っていかなくてはならないと思います。といっても実は別段新しい働き方ではなくて、日本以外の社会ではごく普通の労働者の働き方です。

 私は、これを「ジョブ型正社員」と呼んでいますが、そう簡単にできるとは正直思っていません。たぶん一世代はかかるだろうと思います。なぜ一世代かかるかというと、社会全体をつくり変えなければいけないからです。社会の仕組みを全部、教育システムから社会保障制度、住宅政策、全部変えなければいけない話で大変です。その際に、とってつけたようですが、ヨーロッパ型のいろんな働き方の仕組みは参考になると思います。

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イタリア映画『人生ここにあり』

T0010387hamachanがイタリア映画かよ、と呆れたようなまなざしを感じますが、いやいや、これこそ「EU労働法政策雑記帳」というブログ(サブ)タイトルにふさわしい映画なのです。

http://jinsei-koko.com/

>1983年のイタリア、ミラノ。新しく制定されたパザリア法により精神病院が閉鎖され、行き場を失った元患者たちは、病院付属の「協同組合180」に集められ、慈善事業という名目の単純作業をしながら無気力な日々を送っていた。一方、労働組合員のネッロは熱心すぎる活動がたたり、「協同組合180」への異動を命じられる。ネッロはさっそく元患者たちに仕事をする事の素晴らしさを伝えるべく、「床貼り」の作業を提案するのだが…。

正確には労働者協同組合。字幕ではふつうに「労協」と訳していましたね。

いろんな見方が出来る映画ですが、精神病院でinactiveにされていた精神病患者たちを、自分たちが労働者として主体である労働者協同組合という枠組みの中で、市場で活動できる存在へとactivateしていくストーリーとしても見ることが出来ます。精神病患者という一番難しい人々の真っ向勝負のアクティベーションを描いた映画です。

とはいえ、精神病院を出て行ったネッロと精神病患者たちが事業を立ち上げるには元手が必要なはず。そこで、(当時)ECの助成金が出てくるところが、リアルであり、こういうストーリーの背後にEUの社会基金が存在していることがさりげに描かれています。

もっとも、その後患者たちが「女とやりたいよう」と言いだし、ネッロが彼らを売春宿に連れていく原資までECの情操教育とやらの助成金というあたりは、もちろんフィクションなのでしょうね。さもないと、EUの担当者が叱られるはず・・・と思うのですが、「いやまあ、どうせイタリアですから」で済んだりして。

東京では銀座のシネスイッチで上映中です。結構たくさんのお客さんが見に来ていました。

>本国イタリアでは動員数40万人超、54週ロングランの大ヒットを記録し、イタリア・ゴールデングローブ賞を受賞した話題作。精神病院廃絶法であるパザリア法(1978年制定)により、精神病患者たちが一般社会で暮らせるような地域づくりに、世界で初めて挑戦したイタリア…そんな時代を背景に、ある施設の取り組みと、そこで生まれた知られざる実話を感動的に描いた人間讃歌だ。ともすれば重い話になりがちなデリケートなテーマでありながら、ユーモアあふれる語り口で描いたところが面白い。すぐ手が出るキレやすい男、彼氏が100人いるという妄想を持つ女など、一筋縄ではいかない元患者の面々が繰り広げるドタバタぶりが笑いを誘う。

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「今の労働行政では、若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」のか?

トヨタの伊地知専務が、標題のようなことを語ったと報じられているようです。

http://response.jp/article/2011/08/03/160391.html

>トヨタ自動車の伊地知隆彦取締役専務役員は2日、2011年度第1四半期決算会見で日本の六重苦について触れ、「今の労働行政では、若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」と述べた。

伊地知専務によると、ヒュンダイとトヨタの技術者を比べた場合、個人差はあるものの年間の労働時間がヒュンダイのほうが1000時間も多いそうだ。ということは、10年で1万時間も違ってしまう勘定になる。

「私は若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう制度を入れてもらえないと、日本のモノづくりは10年後とんでもないことになるのではないかと思う」と伊地知専務は危惧する。

もちろん心身の健康が第一であるが、日本の技術力を守っていくためには若いうちから働く時間を十分に与え、さまざまな経験を積ませる必要があるというわけだ。

記事がどこまで専務の発言を忠実に伝えているのか、必ずしも明らかではありませんので、あくまでもこの「レスポンス」というメディアの伝えた記事を前提にコメントしますが、それが伊地知専務なりトヨタ自動車の真意と異なっている可能性はあるかも知れないことを留保しておきます。

さて、「今の労働行政では、若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」という言い方からすると、あたかも現在の日本の労働法制は、労働時間に絶対的な上限を設定し、それ以上働かせることを禁止しているかのように読めます。

実をいえば、私はまさにそのようにすべきだと考えているのですが、そのようにすべきだと考えているということは、現実の法制はそのようになっていないということであり、つまり、現代日本の労働時間法制は、36協定を結んで法定労働時間を超えて働かせたら残業割増を払えということについては厳格に規定してありますが、物理的労働時間についてそれ以上働かせたらアウトという法律上の上限は存在しません。

つまり、残業代を潤沢に払い続ける限り、「若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」という事実は存在しないはずです。貧乏な中小零細企業ならともかく、天下のトヨタが心配することではないでしょう。

さらに言えば、ここでは「技術者」という言葉が使われており、現場労働者を技術者と呼ぶ言い方もないわけではありませんが、おそらくは技術開発に関わる裁量労働制の対象となる人々を指しているのではないかと思われ、そうすると、36協定上の上限というのもなく、健康福祉措置への配慮を除けば、それを制約する何らの基準も存在しませんから、そもそも「今の労働行政では、若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」という認識がかなり不適当な感じがします。

この点については、実のところ労働時間規制においては何ら規制はありませんが、過労死問題から生じてきた労災認定基準において、上記のような技術者であっても一定以上の過重労働が認められれば労災と認定されるという枠組みがあり、そこから派生して安全衛生規制において医師の面接等の規定が設けられていますが、労働時間に上限がないという点には何らの変わりもないというのが、現段階の日本の法制の特徴です。

そうすると、伊地知専務が「若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう制度を入れてもらえないと、日本のモノづくりは10年後とんでもないことになるのではないか」といわれるのが、具体的に一体いかなる制度のどこをどう改めろと言われているのか、よく分からないところがあります。

おそらく、労働法制のことがよく分かっていない業界紙の記者が、専務の語った重要なところをすっ飛ばして、自分の理解できることだけをつなぎ合わせて書いた記事であるがゆえに生じた現象ではないかと推察しますが、妙な誤解を招くことのないようにした方がよいようにも思われます。

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東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関するグランドデザイン

東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会で、標記グランドデザインがとりまとめられたと公表されています。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001l6qg.html

グランドデザイン自体はこちらです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001l6qg-att/2r9852000001l6tc.pdf

>(1)検討の背景

東京電力福島第一原子力発電所の事態収束に向けた作業が長期化しており、緊急作業に従事する多くの労働者に、放射線への被ばくによる今後の中長期的な健康障害の発生リスクが高まることが懸念されていることから、これらの労働者に対して長期的な健康管理を行うことが必要となっている。・・・・・・

>(2)基本的な方針

緊急作業に従事した労働者が、緊急作業時に所属していた事業場から離職した後にも、自らの健康状態を経年的に把握し、必要な健康相談や保健指導等を受け、適切な健康管理を行うことができるよう、データベースは、被ばく線量以外にも健康状態に関する情報等を登録できるとともに、労働者本人が照会できる仕組みとする

また、緊急作業に従事した労働者の長期的な健康管理を行うためには、緊急作業に従事したことによる健康への不安を抱えていること、累積被ばく線量の増加に応じて健康障害の発生リスクが高まることから、労働者が緊急作業時に所属していた事業場から離職した後にも適切な健康管理ができる健康相談窓口を設置するとともに、一定の被ばく線量を超えた労働者に対しては健康診断等を実施することが適当である。・・・

データベースに入力される具体的な項目は、この後ろに詳細に載っていますので、リンク先を参照のこと。

なにやら政治方面では環境省に原子力規制庁を設けるという動きもあるようですが、もちろん、事業としての原子力発電の促進と規制を分けるべきはもっともですが、労働者保護の観点からの規制はまた自ずから必要があるわけです。

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それぞれに利害のある人々を「御用一般人」と言える心性の劣悪さ

例によって、被災地で日夜苦闘している地方公務員のマシナリさんの最新のエントリから、

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-461.html「増税」なんてなかった

>・・・それらすべての政策を実現するための財源については、相変わらず増税か反増税かという単純な議論が繰り広げられています。誰からとるか、いくらとるかも大事ですが、それを誰に配分するのか、現金・現物をどれだけ配分するのかも同じくらい大事です。増税か反増税かで議論する方々の視界からは後者の論点がすっぽり抜け落ちているようで、まあ、おそらく後者の論点を言い出したら、国民負担率が先進国でも最低水準にあって、先進国並みの所得再分配が行われていない実態を正面から論じなければなりませんから、その点には言及したくてもできないのでしょうね。

ここから、マシナリさんは過去30年の租税負担率の推移を示しながら、

>これまでネットでの税収の長期的トレンドはほぼ一貫して低下し続けていたわけで、「増税」といえる増税はこれまではなかったといえそうです。それでもオリンピック後の不況、2次にわたるオイルショック、バブルの崩壊、リーマンショックと不況は繰り返されていて、増税なんかよりもっとほかの要因を気にした方がよさそうな気がします

ということを明らかにしています。

使い道を一切捨象して「増税」のみをなぜか目の仇にする連中には、何か意図がありそうです。

>こうした歴史的経緯には一切触れずに増税を「財務省の陰謀」とかいう方もいらっしゃいますが、その税収でより豊かな暮らしを享受できるのは低所得者層だったり、その方々に社会保障の現物給付を行う公的セクター(私もその一員です)や医療・福祉分野に従事する労働者なんですね。高橋洋一氏もその機能を認める「官庁内閣制」(行政学的には「官庁内閣制」というより「省庁代表制」の方がこの趣旨に合いそうです)の下では、これらすべての関係者も財務省の陰謀に荷担しているというのでしょうね。それならそれで、おおっぴらに財務省に肩入れしましょう。税収増の恩恵を受ける低所得者層や社会保障の現物給付を行う労働者がおおっぴらに支持すると、もはや陰謀論ではなくなってしまいますが

まことに、人を安物作りの陰謀論で誹謗する徒輩に限って、その心性はまことに劣悪なるモノがあるようで。

>まあ、最近は陰謀論に限界を感じたのか一部では「御用一般人」といういい方もされているようですが、それぞれに立場があって生活している普通の国民を指していうのであれば、その言語センスにはついていけそうもありません。普通の言葉で言えばそれぞれの立場にあるただの利害関係者が主張しているだけであって、それを調整するのが政治や行政の役割なのだろうと思いますが、昨今の政治状況ではそれがすっ飛ばされる傾向にあります。そうした中で利害も関係なく主張している方ももちろんいますが、それは政権奪取戦略によって合理的無知をエクスプロイトされた被害者ともいえそうです。それを「御用一般人」などと蔑視するのは、政権奪取戦略に勝らずとも劣らないこうとうせんりゃくですね(棒読み)

ここはマシナリさんに倣って棒読みするのが文学的には正しいところでしょうが、あえて理屈っぽく言えば、サンテルではないけれど、国民一人ひとりはそれぞれに立場があり、利害関係のただ中にある「負荷ある」存在であって、初等マクロ経済学の抽象空間の中にぽつんと放り出された得体の知れない「負荷無き」存在ではない、ということでしょう。

それなるがゆえに、そういう「負荷」を背負った利害関係者をまとめ上げながら、マクロ社会的に「妥当」な解を追求するステークホルダー民主主義が重要になるわけです。

日本の「リベラル」は、社会民主主義的なフレーバーを漂わせながらも、その本質においてまったくその反対物であり、「ネオリベラル」と同根であるのは、まさにこの点なのでしょう。

「御用一般人」などというクレイジーな言葉を平然と発せるのも、この所以でしょう。一般人は全て自分の、自分たちの利害に忠実なのです。

一部の奇矯な信者たちの崇拝する教典の教義に身を委ねるべき筋合いはありません。

批判の余地があるとすれば、その「利害」がどこまで真に「利害」であるかについての実証的な議論でしょうが、少なくとも「りふれは」方面からそのような実証的な議論がかけらでも提起されたことはないようです。

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新たな人権救済機関の設置について(基本方針)

本日、法務省政務三役から、「新たな人権救済機関の設置について(基本方針)」が公表されました。

http://www.moj.go.jp/content/000077694.pdf

「人権」というと、自分の人権を守ることなどはかけらも思い浮かばず、ひたすら邪悪な輩が人権を振り回すことばかりを騒ぐ人々も(某女子大生も含めて)多いようですが、当ブログとしては、労働関係の人権救済がどのように扱われているのかが関心事なのですが、

「その他の救済措置については,人権擁護推進審議会答申後の法整備の状況等をも踏まえ,更に検討することとする」というところに含まれているようです。

「さらに検討」ということは、かつて国会に提出した人権擁護法案と同様に、労働関係は労働行政に委ねるということなのか、他の事項とまったく同様に法務省の人権委員会で扱うと言うことなのか、よく分かりません。

しかし、個別労働紛争においてもいじめ・嫌がらせが多くを占めるなど、労働関係の人権救済も現代社会の課題の一つであることは間違いないのですから、この問題には関心を持ってもらいたいものです。

>1 法案の名称

・法案の名称については,人権擁護に関する施策を総合的に推進するとともに,人権侵害による被害に対する救済・予防等のために人権救済機関を設置すること,その救済手続等を定めることなど,法案の内容を端的に示す名称とするものとする。

2 人権救済機関(人権委員会)の設置

・人権救済機関については,政府からの独立性を有し,パリ原則に適合する組織とするため,国家行政組織法第3条第2項の規定に基づき,人権委員会を設置する。新制度の速やかな発足及び現行制度からの円滑な移行を図るため,人権委員会は,法務省に設置するものとし,その組織・救済措置における権限の在り方等は,更に検討するものとする。

3 人権委員会

・人権委員会については,我が国における人権侵害に対する救済・予防,人権啓発のほか,国民の人権擁護に関する施策を総合的に推進し,政府に対して国内の人権状況に関する意見を提出すること等をその任務とするものとする。

・人権委員会の委員長及び委員については,中立公正で人権問題を扱うにふさわしい人格識見を備えた者を選任するとともに,これに当たっては,国民の多様な意見が反映されるよう,両議院の同意を得て行うもの(いわゆる国会同意人事)とする。

4 地方組織

・地方における活動は,利用者の便宜,実効的な調査・救済活動及び全国同一レベルでの救済活動の実現のため,現在,人権擁護事務を担っている全国の法務局・地方法務局及びその支局を国民のアクセスポイントとし,同組織の活用・充実を図り,新制度への円滑な移行が可能となるように検討するものとする。

・人権委員会は,全国所要の地に事務局職員を配置し,同委員会の任務を実現するための諸活動を行わせるとともに,法務局・地方法務局における事務の遂行を指導監督させる等の方策を検討するものとする(具体的な人権委員会と地方組織との関係等については,なお検討する。)。

5 人権擁護委員

・人権擁護委員については,既存の委員及びその組織体を活用し,活動の一層の活性化を図るものとする。

・人権擁護委員の候補者の資格に関する規定(人権擁護委員法第6条第3項参照)及び人権擁護委員の給与に関する規定(同法第8条第1項参照)は,現行のまま,新制度に移行する。

6 報道関係条項

・報道機関等による人権侵害については,報道機関等による自主的取組に期待し,特段の規定を設けないこととする。

7 特別調査

・人権侵害の調査は,任意の調査に一本化し,調査拒否に対する過料等の制裁に関する規定は置かないこととする。調査活動のより一層の実効性確保については,新制度導入後の運用状況を踏まえ,改めて検討するものとする。

8 救済措置

・救済措置については,調停・仲裁を広く利用可能なものとして,より実効的な救済の実現を図ることとし,訴訟参加及び差止請求訴訟の提起については,当面,その導入をしないこととする。

・その他の救済措置については,人権擁護推進審議会答申後の法整備の状況等をも踏まえ,更に検討することとする。

9 その他

・速やかで円滑な新制度の導入を図るとともに,制度発足後5年の実績を踏まえて,必要な見直しをすることとする。

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死んでもいい人間を用意してくれ

本日発売の『週刊ポスト』の記事から、

http://www.news-postseven.com/archives/20110801_27210.html(フクシマ50 下請け社長は「死んでもいい人を」と発注受けた)

>菅直人首相が原発対応拠点のJヴィレッジを激励に訪れたその日も、彼は現場で働いていた。その作業服の背中には、「菅直人1回現場に来てみろよ」とある。震災から4か月以上経ち、いま明かされる「フクシマ50」の素顔。原発でともに作業するフリーライター・鈴木智彦氏の、刮目レポートである。

というレポートの中の、たまらない一節。

>「社長は上会社から『死んでもいい人間を用意してくれ』といわれていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』といわなかったですね。だから志願しました。だってうちの社長、熱い人だから自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから

 もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで原発を生活の糧にしてきた贖罪だったわけでもない。

「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑い)。

 最初に1Fへ入ったときは、たしかにドキドキしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。これまで威勢のいいこと、偉そうなこといってた人間がビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。

(1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった。でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メで撮ってました。20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。年取った人ほどブルってた。なにかあっても死ぬだけなのに

「死んでもいい人間を出せ」に志願し、平均余命の短い者がブルってる中で「なにかあっても死ぬだけ」とうそぶくこの若者や、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d918.html(結婚を諦めている原発作業員)

に出てくる若者が、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-354b.html(「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛)

日本のリーダーが考える「日本人の誇り」なのでしょうか。

確かに「誇り」かも知れません。ワタナベ・アツシさんが自らをなぞらえる神風特攻隊と同じく。

しかし、神風特攻隊は日本人の誇りである以上に、それをやらせた日本軍人の永遠の恥の証しでもあることを忘れないようにしたいものです

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「サービスはタダ」の階級論的根拠

五十嵐泰正さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/96097452612001792

>サービスがタダだと思われてるからなぁ。この国では。上級財と下級財の区別もないし。消費者天国。海外から来た人がこの末端までの「おもてなし」に驚嘆するのはよくわかるけど、労働者的には「一億総中流社会」の負の遺産でしょうね。

比喩的に言えば、チップを渡す側と渡される側の階級的分離が消滅してしまったことの社会的帰結なのかも知れません。

もともと「サービス」とは「労務」という意味で(英語でcontract of serviceは雇用契約、contract for serviceは請負契約)、サービスがタダというのは、労働に対価を払わないという意味にしかならないはずなんですが、それがこういう風になってしまっているというところに、20世紀日本社会の経験した「大転換」の痕が色濃く残っているというべきなのでしょうか。

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