筒井美紀「ジョブ・カード制度の「通説」再考」@『現代の理論』夏号
『現代の理論』夏号をお送りいただきました。特集は「3・11は何を問うか」で、脱原発が主たる議論の軸になっているようですが、正直言って、原発の安全性と環境問題ばかりが議論の中心になり、食わなきゃいけない生活という観点が希薄になっている感じがします。そういう緑っぽい議論の上にやや空中楼閣的な文明論が聳え立つ姿は、議論としてはまことに美しいのですが、働く者の実感にどこまで迫っているのか、いささか疑問なしとしません。
それはともかく、今号で労働問題を取り上げているのは(原発関係の中に一つもないだけに)筒井美紀さんの「ジョブ・カード制度の「通説」再考」と、シジフォスの水谷研次さんの「労組法上の労働者性を判断した最高裁」の二つです。
ここでは前者について紹介しておきます。はじめのところで、私も何回か書いてきた話ですが
>思うに日本では、公共的な職業訓練への信頼と不信が結合した奇妙な信念が存在しており、それがこの国・この社会の衰退を水面下で進行させている。学卒後間断なく入社し、企業内のOJTを核に自分は一人前になってきたと実感と誇りが、職業訓練への信頼を担保すると同時に、国や自治体が音頭をとる類の職業訓練は、「落ちこぼれ」への「お役所仕事」の非効率性・非有効性に彩られた救済措置なのだという不信が存在する。年長世代の多くが旧来的なシステムの下で「成功」し、公共的な職業訓練の経験者は少ないことを考えれば、さもありなんである。だが、こうした奇妙な信念がある限り、「マスコミ・コーディング」の下にある実像と進むべき方向は見えない。これではダメなのだ。良質の雇用のパイがここまで減少し、今後も増加が見込めない構造の下では、手厚いOJTのチャンスにたどり着けない老若男女は増加し続ける。だから「よい介入」が必要なのだ。それがうまくいくためには、公共的な職業訓練への理解と信頼が広く社会に浸透していかなければならない。そうでないと、筋違いの政府批判、官僚制批判が繰り返されるだけである。・・・
まことに、日本型雇用を賞賛する人はそれゆえ論理整合的に公共職業訓練を低く評価し、一方日本型雇用を批判する人も(自らの論理的整合性はどこへやら)ひたすら政府批判、官僚批判をすることが自らの知的誠実性と心得てか、公共職業訓練を誹謗中傷し続け、かくして、筒井さんも嘆くような事態が進行する仕儀と相成るわけです。
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