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2011年7月30日 (土)

クォリフィケーションとスキルとのギャップ

先日アップした広田科研研究会の(未修正ゆえ若干問題あるかも知れない)発言録の中で、わたくしがこう申し上げたことを覚えておいでかと思いますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-73bf.html(広田科研研究会での発言録)

>実は、どういうジョブをどういうスキルを持ってやるかで世の中を成り立たせる社会の在り方と、そういうものなしに特定の組織に入り、その組織の一員であることを前提に働いていく在り方のどちらかが先天的に正しいとか、間違っているという話はないと思います。
 もっと言うと、ある意味ではどちらもフィクションです。しかし、人間は、フィクションがないと生きていけません。膨大な人間が集団を成して生きていくためには、しかも、お互いにテレパシーで心の中がすべてわかる関係でない限りは、一定のよりどころがないと膨大な集団を成して生きることができません。
 そのよりどころとなるものとして何があるかというと、その人間が、こういうジョブについてこういうスキルがあるということを前提に、その人間をこう処遇し、ほったらかしてこういうふうに処遇していくというものをかたち作っていくのは、いわば、お互いに納得し合えるための非常にいいよりどころです。
 もちろん、よりどころであるが故に、現実との間には常にずれが発生します。一番典型的なのは、スキルを公的なクオリフィケーションというかたちで固定化すればするほど、現実にその人が職場で働いて何かができる能力との間には必ずずれが発生します。
 ヨーロッパでいろいろと悩んでいるのは、むしろそれで、そこから見ると、日本のように妙なよりどころはなく、密接につながっている同じ職場の人間たちが、そこで働いている生の人間の働きぶりそのものを多方向から見ます。その中で、おのずから、「この人はこういうことができる」というかたちでやっていくことは、ある意味では実にすばらしい社会です。

ここで、日本型と対比してヨーロッパ型と述べたあらかじめ有していると認められたジョブごとのスキルで具体的な職務に割り当てていく方式を、公的に義務づけているがゆえに、ここでいう「ずれ」「悩み」が生じた典型的な実例が、本日の新聞に載っていました。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0EBE2E09B8DE1E2E2E5E0E2E3E39191E2E2E2E2「東大理学部卒」 横浜の高校副校長が学歴詐称

>横浜市教育委員会は29日、市立横浜サイエンスフロンティア高校(同市鶴見区)の川井幸男副校長(54)が採用時に自身の卒業証明書を偽造した上、免許がないのに数学の授業をしていたとして、停職6カ月の懲戒処分にした。川井副校長は同日付で依願退職した。

 同校は2009年開校で、理数系に力を入れている。市教委によると、川井副校長は前任の神奈川県立高校で「数学の指導力が優れている」と評判で、今年4月、2代目の副校長に就任。3年生の数学を教えていた。

 市などによると、副校長採用時に、実際は横浜市立大商学部卒なのに、東大理学部を卒業し東大大学院などに在籍したよう偽造した証明書を市に提出した。市は県教委や東大に照会せず、偽造を見抜けなかった。

経歴詐称はもちろん許されるべきではありませんが(とはいえ、日本の判例法理ではまた別の考え方もあるのですが、それは後ほど)、商学部卒で理科系の正当なクォリフィケーションはないにもかかわらず、まさに学校というコミュニティの中で事実上のOJTを通じてなのでしょうか、「数学の指導力が優れている」と評判」になっていたわけです。

これこそ、まさに日本型雇用システムのすばらしさであり、公的なクォリフィケーションにこだわる硬直的なヨーロッパ社会では出来ない技ではないか!と労働経済学方面からは思わず言いたくなるところです。

どんな教科を教えるか、いや教えるか何をするかも含めて、特段何も決めずにとにかく学校のメンバーとして採用し、あとはOJTでスキルを積み上げていきながら、その能力を睨んで適当な仕事を与えるというやり方が採られていたならば、この副校長はこんな事態に追いやられなくてもよかったはずです。

しかしながら、言うまでもなく教育界がそのような素晴らしい仕組みを採っていないのは単に愚かであるからと言うわけではありません。

このあたり、とりわけ教育なる現象を研究対象にしている方々のご見解を伺いたいところではあります。

ここでは、やや斜め方面から、学歴詐称についての労働法学的なコメントを。

> 採用に当たり学歴詐称が問題になることは洋の東西を問いません。ただし、欧米のジョブ型社会で学歴詐称といえば、低学歴者が高学歴を詐称することに決まっています。学歴とは高い資格を要するジョブに採用されるのに必要な職業能力を示すものとみなされているからです。日本でもそういう学歴詐称は少なくありません。しかしこれとは逆に、高学歴者が低学歴を詐称して採用されたことが問題になった事案というのは欧米ではあまり聞いたことがありません。

 新左翼運動で大学を中退した者が高卒と称してプレス工に応募し採用され、その後経歴詐称を理由に懲戒解雇された炭研精工事件(最一小判平3.9.19労判615-16)の原審(東京高判平3.2.20労判592-77)では、「雇用関係は労働力の給付を中核としながらも、労働者と使用者との相互の信頼関係に基礎を置く継続的な契約関係」であるから、使用者が「その労働力評価に直接関わる事項ばかりでなく、当該企業あるいは職場への適応性、貢献意欲、企業の信用の保持等企業秩序の維持に関係する事項についても必要かつ合理的な範囲で申告を求めた場合には、労働者は、信義則上、真実を告知する義務を負」い、「最終学歴は、・・・単に労働力評価に関わるだけではなく、被控訴会社の企業秩序の維持にも関係する事項」であるとして、懲戒解雇を認めています。大学中退は企業メンバーとしての資質を疑わせる重要な情報だということなのでしょう。

 これに対して中部共石油送事件(名古屋地決平5.5.20労経速1514-3)では、税理士資格や中央大学商学部卒業を詐称して採用された者の雇止めに対して、それによって「担当していた債務者の事務遂行に重大な障害を与えたことを認めるに足りる疎明資料がない」ので、「自己の経歴について虚偽を述べた事実があるとしても、それが解雇事由に該当するほど重大なものとは未だいえない」としています。低学歴を詐称することは懲戒解雇に値するが、高学歴を詐称することは雇止めにも値しないという発想は、欧米では理解しにくいでしょう。

少なくとも、日本の民間企業を前提とすると、「数学の指導力が優れている」と評判」の副校長の学歴詐称は、さほど重大なものではないことになるはずです。

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コメント

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1110010013/

「 夏休みに企業訪問した生徒からは「高卒者対象の説明会に大学生が来ていた」と聞かされた。就職難の大学生が、さらに弱い立場の高卒の求人枠を「食っている」現状もある。」

ノンエリート大学云々のエントリにつけるのはちょっと違うような気がしたので学歴詐称のエントリにつけてみました。ミスマッチのエントリにつけるのがよかったのかも知れませんが、絞りきれませんでしたので・・・

http://labaq.com/archives/51704328.html

学歴ではないですが、職歴詐称の誘惑について

”(失業して)4ヶ月ほど専門職に就こうとしたあと、もう気にせず最低賃金の仕事にも応募し始めた(タコベルとかウォルマートとか)。そしたら僕の職歴が高すぎるって全部却下された。でもそんな理由は嘘だ。昔ウォルマートの管理者として前線で働いていた女友達が教えてくれたけど、僕のようなタイプは次のいい仕事を見つけるとすぐ辞めるので雇わないそうだ。他の会社でも同じことをしていると聞いたし、失業中の奴も雇わないそうだ。”
”・最低賃金の職を得るのに、逆に嘘をついたことがあるかい。それで僕はいけたぜ。
・(本人)同じことをしたけど、二度とやらないよ。僕がしたところでは、僕の身元調査をしたと言って、嘘がばれた。”
”・ついでに「仕事を得られないのはがんばりが足りない」って言うやつを暗殺したい。スーパーのパートの仕事でさえ、もっと稼ぎの良い仕事をしていたって理由で難しいんだぜ。”


あとは
”・この社会で失業中というのは魂をつぶされるような経験だよ。なぜなら世の中は仕事で評価を下されるからだ。家にいる親や子供にまで稼ぎが無いと軽蔑の目で見られる。しかも一日中、求職しているとなると最悪だ。”
 一部のベーシックインカム論者の目に見えない(あるいは目をそらしている)ポイントですね

おもに理系的なジャンルと想像しますが。。。

http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-534.html


”1. 日本は潜在能力重視、米国は学歴主義”
”研究/開発関係の主要なポジションは博士が必須と言っても良い。
これは、米国では学歴が潜在能力(例えば自分で考える力)を測るための指標としても比較的優れているという点に大きく依存している。”


日本的入社後OJT

”一方で、米国の院生は専門性の高さは日本ほどではないものの取りあえず社会に出てそれなりに仕事をこなせるだけの素地を備えている人が多い。
米国のPhDは、日本で言えば博士というよりも、
修士+研究開発の実務経験3年と言った方がぴったりくるかも知れない。”


官僚や自衛官はクォリフィケーション社会の典型でしょう。国家公務員はスキルにかかわらず、クォリフィケーションによってキャリアパスが決まります。ヨーロッパ型の階級社会に通じるところがあるように思えます。

キャリアパスに融通のある日本型がよいのか、キャリアパスが固定化しているヨーロッパ型がよいのか、議論の分かれるところでしょう。人間の能力を一律に評価することなどできないのだから、どちらもフィクションの世界かもしれません。

ただ、外部労働市場という点からは、クォリフィケーションというフィクションも必要でしょう。「働きぶり」によってキャリアパスに融通をもたせる日本型のシステムは、労働者にとって過酷でもあるでしょう。会社にとっても、幹部候補を早くから選別し、グローバル競争を勝ち抜く人材を育てていく必要もあるでしょう。

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