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2011年7月25日 (月)

労働者は使い捨ての機械ではない

本日の毎日新聞が、原発作業員の被爆問題について、1面トップと14/15面全面をあてて、総力を挙げた大特集を組んでいます。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110725ddm001040055000c.html

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/verification/news/20110725ddm010040007000c.html

まず1面トップですが、

>検証・大震災:作業員、被ばく上限 首相「500ミリシーベルトにできぬか

>第1原発は爆発が続き、高線量の中での作業が必要だった。作業員の安全を守る立場の厚生労働省にすれば250ミリシーベルトが「ぎりぎりのライン」。しかし、細野豪志首相補佐官(当時、現原発事故担当相)から「250では仕事にならない。役所をまとめてほしい」と要請を受けた長島昭久前防衛政務官は関係省庁にその意向を事前に口頭で伝えていた。

 15日には第1原発から約50人を除いて「撤退」が始まっていた。菅直人首相は東電の撤退に怒りを募らせ、東電幹部に「決死隊になるんだ」と活を入れた。その後、周辺には「撤退すれば、アメリカが(事故収束のために)占領しに来るぞ」と漏らした。

>17日午後6時半すぎ、官邸に菅首相、北沢防衛相、海江田万里経産相、細川律夫厚労相、細野補佐官らが顔をそろえた。「500ミリシーベルトに上げられないか」と菅首相。北沢防衛相が「性急に上げるのは良くない」と述べた。

 ICRP基準の「500ミリシーベルト」は人命救助が必要なほどの緊急時を想定している。「今後、巨大な爆発が起きてそのような事態が考えられるようなら国民に説明すべきだし、そうでないのなら引き上げる必要はないのではないか」。防衛省の総意が官邸に伝えられた。

500ミリシーベルトを阻止したのは防衛省だったというのです。

14面には、事故直後に250ミリシーベルトに引き上げたときのやりとりが、生々しく描き出されています。

>労働者は使い捨ての機械ではない

>そのころ東京・霞が関では、緊急作業時の被ばく線量の上限値(当時100ミリシーベルト)引き上げを巡り、関係法令を所管する経済産業省原子力安全・保安院と厚生労働省の間で激しいやりとりがあった。

 14日午後、厚労省の金子順一労働基準局長に官邸から電話が入った。

 「福島第1原発の状況が厳しい。今の緊急作業の現場からすると、100ミリシーベルトでは(作業が)難しいという話がある。関係省庁で話をして急いで結論を出してほしい」。加えて「国際放射線防護委員会(ICRP)の国際基準では、緊急作業の場合には条件付きながら500ミリシーベルトまでは許容される」とも伝えられた。

 事故収束を優先させたい原子力安全・保安院に対し、厚労省の高崎真一計画課長は「労働者は使い捨ての機械ではない。死にに行け、とは言えない」との思いで臨んだ。そのさなか、金子局長の元へ1人の女性課長が訪れ、こう報告した。「小さな子を抱えた人たちが東京駅から西の方へ続々と出発しています」。事故対応は急を要していた。

 医師でもある厚労省の鈴木幸雄労働衛生課長が文献を調べると、年間100ミリシーベルトを超えると慢性的影響は否定できないが、250ミリシーベルトまでなら急性症状の報告はなかった。

 金子局長は大臣室に何度も出入りし苦悩した。「こんな形で基準を見直していいのか。しかし原発への対応を誤れば……」。35年間、労働行政に携わってきた官僚として、あまりに厳しい判断を迫られた。

 最後は細川律夫厚労相が250ミリシーベルトへの上限値引き上げを決断した。「長期的な話ではなく、この日をどう乗り切るか、だ」

>金子局長は当時の判断をこう振り返る。「評価は甘んじて受ける」

15面の下の方に出てくる下請け会社の男性の言葉が痛烈であり、痛切です。

>乾パン、食べてみろ

 労働環境が一向に改善されない中、海江田万里経産相が4月9日、第1原発視察に訪れた。免震重要棟で作業員を激励し、雨の中、バスから1~4号機を見て回った。滞在時間約40分。下請け会社の工事課長で福島県富岡町出身の男性(41)は怒りを押し殺した。

 「何で現場をきちんと見ないのか。視察に来たら、同じ装備で動いてみろ。味のしない乾パンをぼりぼり食べてみろ」

 自宅は津波に流され、避難先には妻と4歳、1歳の息子がいる。自身が宿泊するいわき市の宿は、同じように家族を残した作業員ら約150人で満杯だ。怖さもあるが、生まれ育った町だ。「地元だし、19歳からこの仕事だし。行かなきゃどうにもなんねえだろう」。そんな気持ちで作業に臨んでいる。

 仕事はタービン建屋の汚染水を移送するホースの設置。全面マスクに軍手を2枚重ね、さらにゴム手袋を2枚。防護服は熱がこもり、まるでサウナスーツだ。マスクの曇りで視界は悪く、恐怖心からか動悸(どうき)もする。一緒に作業する東電社員は「この装備じゃ夏は無理だね」と嘆く。

 「安全神話」には裏切られた思いだが、地元の発展は原発のおかげだとも思う。復旧に汗をかく東電社員の姿も見ている。「東電を責めることはできない」。怒りの矛先は政府に向く。

 「国民のために覚悟を、と菅首相は言ったようだが、作業員だって国民。みんな被災者なんですよ。だけど、国はうちらを国民と思っていないですよ、絶対に」

 4月末までに、自分の周囲にいた100人のうち4割が辞めた

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» 福島原発作業員は死を覚悟しろというのか [シジフォス]
原発関連の文章を書いていないと、実はストレスがたまる。最も関心があり、不安におもっているからか…。自分自身がきちんと認識するために、今日も書いておく。多くの皆さんが詳しく報じており、別に自分が後追いしなくても必要はないのだが、また、マスコミもそれなりに努力が見られる。特に7/25に毎日新聞が「労働者は使い捨ての機械ではない」として、原発作業員の被爆問題について、14/15面全面をあてて、総力を挙げた大特集を組んだ記事はすばらしかった。 http://mainichi.jp/select/...... [続きを読む]

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