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2011年7月11日 (月)

玄関口からは入れないのに勝手口はOK?

さて、時ならぬキキ祭りはそれとして、一昨日の研究会で論じられた労組法上の労働者性の問題について、なかなかすっと通らない点は、労働者性を問題にすることで何を解決しようとしているのかという点なのです。

労使関係法研究会の先生方は大体菅野理論の流れにあり、この東大学派は集団的労使関係法制を団体交渉による集団的ルール設定を中心において理解します。そして、その観点から、労組法上の労働者性は団体交渉を通じてルール作りをさせることが適当かどうかという観点から判断すべきという立場をとられるわけです。

わたくしは、この考え方は筋の通った一つの考え方であるとは思うのですが、現実の労働組合法の使われ方は、そういう集団的ルール設定というだけでなく、むしろ個別労使紛争の個別的解決のための手段として用いられる傾向があり、その場合、使う武器がたまたま労働基準法や労働契約法であると「お前は労働者じゃない!」と言われるのに、労働組合法を武器に使ったら「お前は労働者だ」となるのが本当にいいのだろうか?と言う疑問がぬぐえないのです。

今回の2判決で言えば、INAXの方は集団的な労働条件をめぐる紛争なのですが、新国立劇場の方は原告のオペラ歌手がオーディションで不合格になったというまさに個別的な紛争で、その不合格になったこと自体が不当労働行為(7条1号)だというのと次期シーズンの契約に応じないのが不当労働行為(7条2号)だという訴えなので、結局全部実態は個別紛争なのですね。

そして、この事件の原告女性は、別に民事訴訟でも訴えを起こしていて、そっちでは「お前は労働者じゃない」と言われて最高裁まで行って確定してしまっているのです。

個別の契約の存否については労働者性がないとして退けられても、集団的なルール設定の面では労働者性があるとして団体交渉させていいじゃないか、という論理は、私は理解できるのです。

しかし、実のところ個別的契約の存否を争っているだけの事案を、玄関口から「私は労基法、労契法上の労働者よ」といって入ろうとしたら、「お前は労働者じゃない」と追い出されるのに、まったく同じ案件を勝手口から労働組合のお面を被って入ろうとしたら入れてくれるというのは、それでいいのだろうか、という疑問が拭えないのですね。

それなら最初から労基法上の労働者性を認めてもいいじゃないか、という気もするし(もっともその場合でも、本件のような芸術労働者の技倆評価に関わる問題について裁判所が判断しうるのかという問題はありますが)、あるいは労働者性概念の相対性というのであれば、労基法・労契法と労組法という風にざっくりわけるのではなく、それぞれの中身を細かく判断して、個別紛争事項と集団的ルール設定事項に分けるべきではないか、とか、考えるわけです。

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