フォト
2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

« 総理大臣のリコール制度はありますが・・・ | トップページ | ふつう、そんなやり方はしません »

2011年7月 7日 (木)

『希望のもてる社会づくりへ 社会不安の正体と未来への展望』~2011東京シンポジウム報告書~

Zenrosai 今年3月に行われた全労済協会のシンポジウムの報告書が刊行されました。

http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/library/lib-sym/pdf/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf

1.プログラム
2.プロフィール
3.基調講演
    第1講演「自壊社会は幼児化社会」
      浜  矩子  氏(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)
    第2講演「生活保障の再構築 不安と自壊の社会を超えて」
      宮本 太郎 氏(北海道大学大学院法学研究科教授)
4.パネルディスカッション
  <パネリスト>
      浜  矩子  氏
     辻元 清美  氏(衆議院議員)
     湯浅  誠  氏(内閣府参与、反貧困ネットワーク事務局長)
     濱口 桂一郎 氏((独)労働政策研究・研修機構統括研究員)
  <コーディネーター>
     宮本 太郎 氏

と、浜矩子、宮本太郎両氏の講演のあとのパネルディスカッションに、辻元清美、湯浅誠両氏とともにわたくしも加わっております。

残念ながら、ここには表紙と目次しかアップされていませんが、わたくしの発言部分だけここに引用しておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/zenrosaipanel.html

1.社会不安の現状認識
 
濱口  はい。社会不安というのはもちろん非常に広い概念ですが、ここでは今の日本でなぜこのように社会不安が大きくなっているのかということについて述べたいと思います。

市場経済というのはもともと不安定で、不安をかき立てるものですが、しかし、だから今社会不安が起こっているのかというと必ずしもそうではない。同じようにリーマン・ショックでひどい目に遭ったヨーロッパでは、もちろんいろいろと問題は発生していますが、不安から守る社会的な仕組みがあって、日本のような社会不安には陥っていない。

この点、「日本はむき出しの資本主義だからいけないのだ」と言う人もいますが、私はそうは思いません。日本は日本なりに、ヨーロッパとは違う形で、資本主義の不安から守る仕組みをつくってきました。今から20年ぐらい前までは、それが非常にいい仕組みだと言われていたのです。むしろ、そこにあったさまざまな問題が矛盾として露呈してきたために、現在の社会不安のが生じているのだろうと思います。

もう少し具体的に言いますと、ヨーロッパでは労働者を資本主義の不安から守るために、産業別の労働組合や国家レベルの福祉国家がきちんと役割を果たし、現役世代に対する子育てや、教育や、住宅といったいろいろな生活保障を充実するという形で包摂してきました。これに対して、日本もむき出しの資本主義ではなく、労働者の生活保障の仕組みを創ってきたのですが、それを専ら企業レベルでのみやってきました。企業だけが、労働者の生活をその奥さんや子どもまで含めて保障するのです。

その仕組みがうまく回っていたときは良いのですが、うまく回らなくなると、いったんそこからこぼれ落ちてしまうと保障してくれる存在がなくなってしまいます。つまり、日本は「むき出しの資本主義」ではなくなっていたはずなのに、こぼれ落ちた人から見ると「むき出しの資本主義」が再現したように見えるのだろうと思います。

今回岩波書店から刊行された本とは別の本の中で、私はこの日本的な仕組みを「正社員体制」と呼びました。「正社員体制」とは何か。「企業は正社員をきちんと守る。終身雇用と年功賃金で守る。女房、子どもまで含めて守る。そのかわりきちんと会社に尽くせ。」という仕組みです。この取引がうまくいっている限りは労働者にとっても非常によい仕組みでした。ところが、今から16年前に当時の日経連(日本経営者団体連盟)が「新時代の『日本的経営』」というものを出しまして、コアの正社員は縮小して、少数精鋭にすることを打ち出します。そうすると、「正社員体制」からこぼれ落ちる人が当然出てきます。ところが、こぼれ落ちる人を企業の外で守ってくれる存在があるのでしょうか。日本では企業が全部やってきてくれたから、ヨーロッパのような仕組みをつくる必要がなかったのですが、結果的にこぼれ落ちる人に対してはどこからも手がさしのべられないということになりました。

こうして「正社員体制」からこぼれ落ちた人が不安に駆られます。それでは、「正社員体制」の中にいる人はいいのでしょうか。「中にいる人は既得権を持っているのでけしからん」と言う人がいますが、そう単純ではありません。なぜかといえば、コアの正社員はどんどん縮小していくわけですから、中にいる人もいつこぼれ落ちるかわかりません。少数精鋭でやるという以上、今までこぼれ落ちなかった人もいつ自分がこぼれ落ちるかもしれないとおびえます。そうすると、「正社員体制の中も不安、外も不安」ということになり、社会全体が不安に満ち満ちてしまうという事態になるわけです。

最後に1点だけつけ加えますと、最近「ブラック企業」がよく話題になります。「ブラック企業」とは何でしょうか。これは、昔イギリスでエンゲルス(F.Engels)が描いたような、あるいは日本の細井和喜蔵が『女工哀史』で描いたような原生的労働関係の世界では決してありません。日本は決してそういう時代ではなくて、きちんと労働基準法など労働者の権利を守るための法制があります。

それなのになぜ「ブラック企業」が横行するのでしょうか。それは皮肉なことに、日本的な正社員体制で「企業が全部守ってくれる」という仕組みが確立し、それを前提として「会社に一生懸命尽くします」という働くモデルが確立したということが原因なのです。その正社員体制がどんどん収縮していくと、いつ自分もこぼれ落ちるかもわからない、という不安に駆られます。そうすると本当に守ってくれるかどうかわからないのだけれども、とにかく一生懸命尽くそうとします。普通、人間というのは一方的に持ち出しになるかも知れないような取引はしないものですが、こういう不安に駆られると一生懸命会社のために尽くすことでその安心感を得ようとします。これだけ会社のために尽くしているんだから、会社は自分を守ってくれるに違いない、と。その意味ではこれは「不安を悪用した」ビジネスモデルといえるでしょうが、そういうものがはびこってしまうわけです。これを根本的に直すためには、会社の中でも外でも不安をかき立てている、この基本的な枠組み自体を根本から見直していく必要があると思っています。
 
濱口 あえて一言つけ加えれば、やや一般論的ですが、「人間は安心感があってこそ、安心して競争ができる」ということです。十数年ぐらい前に、ある方が「安心感を与えたら人間は競争しない、護送船団になる」と言っていましたけれども、その方がいた組織はそうだったのかもしれないのですが、普通はある程度安心感があるからこそ思い切ったことができる。安心感が失われると、むしろしがみつくのですね。冒険をしない。現在起きていることはそのようなことであって、不安があるが故に、中にいる人はしがみつこうとし、外にいる人は「あいつらが悪い」と言って引きずり出そうとする。決していい事態ではないと思います。
 
2.「希望のもてる社会」への処方箋
 
濱口  壇上で若干議論をしたほうが聴いている皆さんは面白いと思うので、私は「成長戦略すべし」という立場で論じます。「成長」といいますと、今から半世紀前、当時の池田勇人内閣がつくった国民所得倍増計画を思い出しますが、結構分厚いものです。私は今もそれをよく読むのですが。そこで書かれていたことが「希望のもてる社会」への処方箋になります。3つあります。

1つは「生活保障」、というと宮本先生の本のタイトルですが。日本で「生活保障」というと、引退した方の年金、病気になったときの医療保障、高齢者の介護、雇用保険、労災保険を「5つの社会保険」と言っています。ところが実は昔、「第5の社会保険」というふれ込みでつくられたものがありました。1971年の児童手当です。児童手当については国民所得倍増計画で、「日本の終身雇用制や年功序列制を変えていくためには、児童手当をきちんと公的につくっていく必要がある。そうでないとみんな安心して労働力が流動化していかないのだ」と論じられていました。

ところが、制度ができた頃には「会社が正社員に家族手当を払っているのに何でこんな余計なものをつくるのだ」と批判を受け、どんどん縮小していって、遂にあるかないかわからないものになってしまいました。揚げ句の果てに、厚生省は、介護保険をつくるときにやはり「第5の社会保険」と言ったのですね。いつの間にか児童手当は「第5の社会保険」から失脚していたのです。まるで惑星から外された冥王星のようにです。その失脚していた児童手当が先日、「子ども手当」になりました。英語で言うとどちらもチャイルド・アロワンス(child allowance)です。

ところが、ここ1~2年の政治的な動きで、この「子ども手当」を掲げた方々は、50年前の国民所得倍増計画に書かれているような意気込みでやったわけではなかったということが明らかになってしまいました。現役世代の生活保障、つまり、子育て、教育、住宅をきちんと保障することが、社会の安心、安定のために必要だという問題意識が、その政治的動機ではなかったようです。

2つ目は教育訓練です。これも先ほど宮本先生が言われたのですが、日本では、「学校でやってきたことは全部忘れろ。会社が全部教えてやる」と上司や先輩がビシビシ鍛えます。今、日本の社会で偉くなっている方々はみんなそのように育てられてきたのです。だから、そのような方々になればなるほど「公的職業訓練などというのは無駄の極みだ。金がないのだからやめてしまえ」と言いがちです。これは政治勢力のいかんを問いません。リーマン・ショックが起きた後で、どんどん失業者が出ている、まさにその最中に当時の自公政権は職業訓練施設を運営する雇用・能力開発機構の廃止を決めました。

それでは、それに代わった民主党政権はどうしたのかというと、鳴り物入りの事業仕分けで「ジョブ・カード制度」(職歴開発の相談や職業訓練を組み合わせて就職活動等に役立てようとする制度)は無駄だから廃止にすると言ったのです。つまり日本のエリートの方々はみんな、「自分は全部会社の中で育てられてきた。教育訓練というのは会社がやるものだ。だから公的な教育訓練などはいらない。やっているのは無駄だ」という発想でずっとやってきています。リーマン・ショック後も、政権交代後もそうです。これを変えないと、本当の「希望のもてる社会」には向かわないと思います。

3つ目は働き方です。「正社員体制」というのは決してぬるま湯ではありません。確かに終身雇用と年功賃金で安定していますが、そのかわりものすごい競争社会です。だからこそ、日本は経済成長をしてきたのですが、それを見直していかなければいけない。正社員同士の出世競争が働きすぎ、ひいては過労死、過労自殺といったことをもたらしていますし、あるいはそこからこぼれ落ちてしまった人たちが何とかそこに潜り込もうと思って、「ブラック企業」に入ってしまうという事態ももたらしている。そういう意味では、正社員のあり方を変えていく必要もあります。私はこれを「メンバーシップ型の正社員からジョブ型正社員に」と言っているのですが、正社員保護の水準を一定程度少なくすることを含んでいるので、とりわけ労働組合の方々にとってはいろいろ意見のあるところだと思います。しかし社会全体のシステムをどのようにいい方向に変えていくのかということを考えると、先ほど言った生活保障と教育訓練、そして働き方を見直していくという、この3つに同時に取り組んでいく必要があると思っています。以上です。
 
3.「希望のもてる社会」へ何をなすべきか
 
濱口 はい。ミクロとマクロの2つのお話をしたいと思います。
ミクロは労働組合です。職場についてです。実は今朝の朝日新聞でパートの組織化の記事が載っていました。その中で「パートを組織化しても、いざというとき守りきれないではないか、そんなもの大丈夫か」というようなことを某組合の人が言っているという記事がありまして、実はここに問題があるのだなと感じました。本当は「守りきれるのか」ではないのです。資本主義社会、市場経済ですから、絶対不変に守りきれるなどということはありえない。本当は正社員だってそうなのですね。

しかし、「守りきれないから入れない、包摂しない」ということは排除する。排除するということは何も守らない。守れるときでも守らない。つまり、そこに線を引いてしまうという話です。まさに日本の正社員体制というのはそういうものです。守りきれる人だけ守る。守りきれない人は守れるときだって守らない。それでやってきたために実は今のような状態になってしまったのだとすると、守りきれないからという発想をやはり変えていく必要がある。包摂にはいろいろなレベルがあるのですが、労働組合が何をすべきかという観点からすると、足元の職場できちんと包摂をしていく、非正規の人も守れる限りは守るという形で、長期にインクルード(包摂)していくことを第一に申し上げたいと思います。

2番目は、ぐっと大きくなってマクロな政治の話です。政治の話は先ほど来、いろいろ機微に触れる話が出ているのですが、ややスローガン的に言うと「総論とねたみのポピュリズム政治から、利害の認め合いに基づくステークホルダーの民主主義へ」変わっていく必要があるのではないかと思います。この10数年の日本の政治は、総論とねたみで特徴づけられるのではないかと私は思います。

総論とは何か。政治主導、官から民へ、中央から地方へ、ある面ではいいことです。確かにそれが必要な側面もあります。しかし、それがとんでもない弊害をもたらす側面もあります。大事なのは各論のはずです。しかし、各論が論じられることはありません。とりわけ国民を熱狂させるような人は各論を論じません。総論だけで進めます。

そして、その総論に国民を巻き込むために使われるのがねたみの政治です。「あいつらが得をしている」「こいつらだけがいい目を見てる」「だから、あいつらの足を引っ張れ」「こいつらをたたきつぶせ」。そのような総論とねたみでずっとこの10数年来政治をやってきた結果が、今の事態なのではないか。これは、どの政党の立場からどの政党を批判しているというような話ではないことはよくおわかりだと思います。この総論とねたみのDNAがあらゆる政党の中にしみ込んでしまって、どの政党にも、総論ではなく各論を議論しなければいけないではないか、ねたみで人を引っ張るのはおかしいではないかと思うまともな政治家もいれば、総論とねたみのポピュリズムでやっているほうがビジネスモデルとしてうまみがあると思う人たちもいる。ねじれているというよりも、まだらな状態になっている。これを真っ当な政治に持っていく必要があるだろうと思います。

真っ当な政治とは何か。昔読んだ政治学の教科書に、「政治とは資源の権威的配分の技である」と書いてありました。市場を通した資源の配分ではなくて、それを権威的に配分する。しかし、それを王様の権威でやるのではなくて、国民の民主主義的な議論に基づいてお互いの利害を認め合って、このようなことをやったら我々はこのように得をする、ここはこのように損をする、ここはこうなる、しかしそれらをいろいろ組み合わせることで、このような利害の構造が全体としてはより望ましい方向に行くではないかという議論を尽くしてやっていく。それが「資源の権威的配分の技」としての政治なのだろうと思います。

ところがこの十数年間、そのような資源の配分が政治の目的だという発想はけしからん、そのような政治は利権だ既得権だと言って、ひたすら叩いてきたのではないでしょうか。そして、その代わりにはびこってきたのが「総論とねたみのポピュリズムの政治」だったのではないかと思います。

先ほどの宮本先生の言い方をすると、政治のビジネスモデルを転換していく必要があるのではないかと思っています。以上です。

« 総理大臣のリコール制度はありますが・・・ | トップページ | ふつう、そんなやり方はしません »

コメント

個人事業主、フリーランス、零細企業経営者・家族等への職業訓練というのは意外に穴になっています。企業で訓練されスピンアウトしたのが前提ではなくなっているのにです。

http://news.biglobe.ne.jp/economy/0723/sgk_110723_4122991571.html


「世界で最も優しい」日本的雇用システム 10万人の死者生む

”日本の雇用問題はこれまで若者の非正規雇用やニートを中心に語られてきたが、もっとも大きなしわ寄せは、住宅ローンや教育費などの負担がかさみ経済的リスクの高い中高年男性に集中している。”

”こうした悲劇の原因は「市場原理主義」ではなく、年功序列と終身雇用の日本的雇用制度にある。流動性のある労働市場のない日本では、いったん会社から放り出されると、すべての経済的な基盤を失ってしまう。「世界で最も優しい」といわれた日本的雇用システムは、実は10万人もの死者を生み出す“元凶”だったのだ。”

まだら状に認識が正しかったり誤っていたり

セーフティネットの拡充と流動性のある労働市場はコインの裏表で
セーフティネットがなければしがみついたりチャレンジを避けるのは当然の道理

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 総理大臣のリコール制度はありますが・・・ | トップページ | ふつう、そんなやり方はしません »