富山7・3教育は「ひずみ」だったのか?
田中萬年さんのブログに、エルゴナジー研究会の紹介として、
http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20110625/1309001413
>第3報告 「富山県総合教育計画の職業的意義とその歴史的考察」越川 求
について、
>越川さんの報告は、是までの富山の教育計画が正しく意味づけられず「通俗的な理解」に終わっていることを、「勤労青年の働きながら学べるシステムを、県独自に行政と企業がつくりあげ、国に認めさせた先進性は評価すべきものである。」との立場から、経過の解明と整理を行ったものである。
と述べ、
その資料がこちらにアップされているのですが、
http://www.jssvte.org/kanto/meeting/20110625/2011062531.pdf
もしかしたら「通俗的な理解」の中に含まれているのかも知れないのですが、私が興味があるのは世間的には極悪非道の象徴のように非難されてきたいわゆる「7・3教育」との関係はどうなっていたのだろうか、ということです。「7・3」というのは、職業高校が7,普通科高校が3という割合を維持していこうとする政策です。
『七・三教育のひずみ』などという本まで出たくらいで、60年代から70年代にかけての頃には、普通科に行きたいと願う子どもたちや親たちの願いを無慈悲に踏みにじり、多くの子どもたちを職業科などという下賤な学校に追いやる教育政策として批判の的になっていまし。当時、「7・3」を口を極めて非難していたのは、教職員組合や労組、社会党、PTA、「母親の会」などで、これを受けて富山新聞社は大キャンペーンを行い、それが上記の本になったわけですが。
初めに付けられている年表みたいなものには「七・三体制」という文字もあるので、当然密接なつながりもあると思うのですが、このあたりをどなたかわかりやすく解きほぐしていただけるとありがたいと思います。
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