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2011年6月 4日 (土)

「新しい公共」とは何だったか?

Hyoshi11 さて、現下の政治状況の無惨さを見るにつけ、その主役のおひとりの唱えていた「新しい公共」という言葉にも同じような無惨さを感じる今日この頃、改めて真っ正面から論じる必要すらないとお感じになるかも知れませんが、いやいや、そこはやはりきちんと総括しておく必要がありましょう。

とりわけ、それが震災復興という政治がもっともその役割を担うべき地点でその機能不全をもたらしているという点において双生児的であるならば。

とかなんとかごちゃごちゃ言わずに、『POSSE』11号の仁平典宏さんの「被災地支援から問い直す「新しい公共」」を紹介しますね。

>1995年の「ボランティア元年」から1998年のNPO法成立の底流を流れていたのは、「市民セクターの足を引っ張る非効率な公的セクター」という図柄だった。これは、一方で市民社会論、NPO論のブームを招き、もう一方で、規制緩和と社会支出の抑制を求める構造改革へと接続した。NPO法を推進した人の中には、その後、小泉構造改革路線の旗振り役になった人も含まれていた。これまで公的セクターが担ってきた社会サービスの提供を、市民セクターや企業が代替できれば、政府の財政支出を減らせる。そのような判断が働いている。

>しかし今回見えてきたのは、公的セクターと市民セクターの相補的な関係の重要さである。NPOや市民が限界まで活動しても、社会権の十全な回復を通してでないと、避難状況から脱却できない。これは政府が-再分配という形の連帯を通して-責任もって行うべき役割である。・・・

>ここで一歩踏み込んで問いたいのは、これまでの市民社会論・NPO論は、その相補関係を壊す流れに-結果的に-荷担してこなかったかということである。・・・つまり今回ボランティアセンターに不具合が多かったのは、職員が被災して行政機能が損壊したためだけではない。ゼロ年代を通してすでに衰弱させられていたためなのだ。・・・にもかかわらず、苦情や不満を一身に受けながら、不眠不休で働いてきた人たちもまた、構造改革の中でバッシングの対象であった地方の公務員・準公務員たちであった。

>・・・この理念を党是として掲げた鳩山由紀夫は、首相の所信表明演説の中で、「市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけ」と説明している。このような発想こそがゼロ年代の文脈である。

震災の中で不眠不休で働く「新しくない公共」の人々を邪魔するような余分なことをしているまさにその人の発言であるだけに、二重三重の意味でアイロニーを感じます。

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コメント

フェミニズム、地方分権などにもいえますが、よく言えば理想論、悪く言えば脳内お花畑(権丈教授のいうwarm head and warm heart)な人々とネオリベの同床異夢の共同戦線が90年代以後ままみられるように思います。でも財源がないと真に福祉国家の方向に社会を転向させる政策は打ち出せないから、後者が一敗地にまみれる歴史を繰り返す。そういえば医療界でも、無駄の排除で医療費増の財源を確保できるとする本田宏先生は政権交代に歓喜していました。しかし、事業仕分けでは診療報酬3%減を提示され、2010年度の診療報酬改定も実質ゼロ改定でした。
でも、大部分のネオリベがリーマンショックを反省しないのと同様に、彼らもめったに反省しない。極端な思想に走る人々は生態が似通ってくるのでしょう。考えてみればかつての社会党は、左派的なリバタリアニズムといえばいいのか、自衛隊はいらない、日米安保もいらない、「余計な」税金を使うな、増税するなという主張で一定の支持を集めていました。もともとこの国にはそのようなデマゴーグを許容する歴史があったことを考えると、減税日本やみんなの党のようなデマゴーグが支持を伸ばすのも日本の歴史の必然なのかなとも思います。

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