高年齢者雇用研究会報告の読み方
先日、労務屋さんのコメントに対応する形で「ワカモノは怒るべきか?」で若干コメントした高年齢者雇用研究会の最終報告書が本日公表されました。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001fz36-att/2r9852000001fzaz.pdf
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-0f25.html(ワカモノは怒るべきか?)
内容は最後の会合に出された報告書案とほとんど変わっていないようなので、ここでは、先日のエントリに対する労務屋さんのご意見について、若干のコメントを。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110615#p1(若年はやはり怒っておいたほうが)
労務屋さんは、
>非正規雇用の実務的本質は多くの場合「雇止め」にあります。
と、非正規労働全般については確かに的確な認識を述べた上で、
>これに対して、定年後再雇用は65歳までの継続雇用を要請されており、仮に短期の有期契約にしたとしても雇止め可能性はかなり低いことには留意が必要でしょう。まあ実質的に定年時から5年の有期契約と考えれば、若年の正社員よりは多少は柔軟性は高いにしても、人員規模適正化の観点からは、若年の正社員採用枠と競合しないとは言えない、というかまともに競合すると考えたほうがよさそうに思われます。
と、定年後再雇用された嘱託は、非正規といえども他の非正規とは異なり継続雇用の上限年齢までは雇い止めは簡単にできないのだから、やっぱり労働力としては競合するじゃないか、と批判されます。
その点はまさにその通りで、わたくしもまさにそう考えているからこそ、
>この議論、量的にはある程度その通りの面はあると思います。
と申し上げたわけです。そして、その否定しがたい量的な競合性については、
>労働市場全体のマクロ的な職の取り合いという面がなくなるわけではないにしても、それこそマクロ経済政策で対応すべきことであって・・・
と述べたこともご案内の通りです。
それに対して、わたくしが、65歳定年を法制化するのではなく65歳継続雇用を全面義務化するというやり方を採ることに、政策論としての意味があると考えている「非正規化」は、質的な面に着目したものです。正社員とは異なる身分で、異なる処遇がされる労働力になるという点に、意味があるという見方です。
確かに継続雇用の上限年齢まで雇い止めすることは困難ではありますが、正社員のルートから外して非正規労働者としての処遇に移すことによって、(もちろん量的な取り合いの面が無くなるわけではないとはいいながら)正社員としての若者の採用枠に対する影響を最小限にとどめようとしていることは確かではないかと思われます。
というようなことは、労務屋さんも実はよくご理解されているのだと思います。ただ、厳密な法制論議からすると、定年と継続雇用が処遇の面においていかなる違いがあるかということについては、実は必ずしも明確であるとは言い難い面があることもわきまえられた上で、継続雇用の全面義務化がもたらす権利としての強化が事実上の65歳定年に近づくことを牽制したいという意図があるのではないかと、やや深読み気味ですが、感じております。
結局、処遇の問題を括弧に入れて、量的な労働力問題として論ずるのであれば、報告書が言うように
>若年者の失業問題に対処するために、例えばドイツでは年金の繰上支給や高年齢者の失業給付の受給要件の緩和が行われ、フランスでは年金支給開始年齢の引下げが行われるなど、高年齢者の早期引退促進政策が推進されたが、結局若年者の失業の解消には効果は見られず、かえって社会的コストの増大につながったとの認識が示されていることなどから、必ずしも高年齢者の早期退職を促せば若年者の雇用の増加につながるというものではない。
というのが世界的にほぼ共通の認識であり、かつてヨーロッパ諸国がやった高齢者を引退させて若者の職を確保しようというような政策はことごとく失敗したといっていいと思われます。労働市場全体として、仕事が絶対的に不足するのが定常状態という(BI派によく見られる)認識は正しいとは思われません。
この点については、拙訳によるOECD『世界の高齢化と雇用政策』において、詳細に実証されているとおりです。
ただ、日本の雇用システムにおいては、正社員という限られたより優遇された労働者の地位を高齢者が占め続けることは、若者の正社員として雇用される可能性を狭め、(トータルの労働需要は変わらなくても)彼らを非正規労働力として雇用されることに追いやる危険性はあると思いますし、だからこそ、高齢者の方を非正規化するという選択肢を選びやすいようにしているわけですね。
ここは、そもそも論から言えば、定年後の高齢者の処遇だけを論ずるべきものではなく、その前の中年期の処遇自体が高すぎるのではないか、だからそれをそのまま延長すると高すぎる処遇が延長されてしまって持続可能でなくなるという問題に関わるわけです。
以前、賃金制度について論じたときに、
http://homepage3.nifty.com/hamachan/chinginseido.html(賃金制度と労働法政策)
>たとえば、55歳定年を60歳に延長するのに伴う賃金引下げを年齢差別であり同一労働同一賃金原則違反だと主張した日本貨物鉄道事件(名古屋地判平11.12.27労判780.45)の場合、その54歳時点の高い賃金水準自体が実は年齢差別であり、同一労働同一賃金原則に反するものなのではないかという認識は見あたらないようです(この主張を退けた裁判所にもないようですが)。
と述べたことがあります。また、先日判例評釈で取り上げた
http://homepage3.nifty.com/hamachan/xunyu.html(X運輸事件)
でも、このあたりについて議論してみました。
いずれにしても、高齢者雇用問題を論じるということは、結局高齢者になる前の中年期の賃金処遇制度の問題を論じることにつながるわけで、むしろ、そこまできちんと踏み込んだ上でトータルな議論がなされることこそが、重要ではないかと思います。
なんといっても、現代の日本では、高齢者が嘱託で働いているために若者が労働市場からたたき出されて、失業や無業の悲運をかこっているというわけではなく、むしろ中年層の正社員ポストがなかなか減らないあおりで正社員就職が難しくて非正規に回っている面があるわけですから、そういう非正規の仕事はむしろ高齢者が積極的にやった方がいいと思うのですね。
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