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2011年6月30日 (木)

メンタルヘルス逆転の発想

201107 『ビジネス・レーバー・トレンド』7月号は「職場のメンタルヘルス対策」が特集ですが、一番眼が醒めるような思いをしたのは、岡山大学大学院・高尾総司医師の「メンタルヘルス不調にどう対応すべきか―産業医や企業の先進的な取り組み事例―業務遂行レベルに着目した対応」というインタビュー記事でした。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/index.html

>高尾医師は「メンタルが悪いか否か」と「仕事が出来ているか否か」の二つの問題を混同してきたことがメンタルヘルス対応を難しくさせていると言い切る。

>そこでこれを、①業務が出来ているか否かを上司城氏が判断する。②出来ていない場合、それが健康上の問題に起因するか否かを本人と家族、主治医が決定する。③就業を継続するか否か(配慮を付けるか)を人事と産業医が判断する、といった一方通行型の意思決定システムに切り替える。

>要するに、これまでの対応はメンタルにフォーカスが当たっていて、本人はメンタルに注意すること、上司はメンタルに注意すること、そして人事はメンタルを悪くしないようにするにはどうしたらよいかという労務管理に注力してしまい、業務遂行の観点は抜け落ちていた。それをこれからは業務遂行レベルにフォーカスさせることで、本人は就業規則の範囲内で仕事を勘張る(周囲にメンタルということを意識させない)こと、上司は業務上の指導に専念すること、人事は配慮が「特別扱い」になっていないかを冷静に検証し、(本人希望に左右されない)会社としての客観的決定を行うことにシフトすることになる

詳しくは是非『BLT』でお読みいただきたいのですが、確かにメンタルヘルスだからと医療職主導にすることでかえってうまくいかなくなるという事態はあちこちに見られるようです。

次の言い方は大変冷酷なように聞こえますが、ここを甘くすることが結局事態を悪化させ、本人も周囲も被害者意識にまみれるという状況を招く原因なのかも知れません。

>仕事が出来ている人が病気をカミングアウトするメリットはほとんど無い。逆に、仕事の出来ない人は病気の診断書を書いてもらうことで休めるし仕事が出来ないことをこれ以上責められないメリットがある。こう考えると、医療職が後者のような人にいいように使われることで、、まじめにやっている人が馬鹿を見ることにもつながる。医療職にとって命は平等だから、仕事が出来るか否かの区別はない。スタープレーヤーとお荷物社員の比較も出来ないから、医療職主導で職場はうまくいかない。医療職が出来るのは病気を治すことだけ。仕事に関しては労務管理の分野で上司がやるべきことだ

確かに、個別労働紛争のメンタルヘルス事案をじっくり読んでいくと、高尾医師の言うことが思い当たるようなケースが結構見当たります。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2011/0133.htm(個別労働関係紛争処理事案の内容分析II―非解雇型雇用終了、メンタルヘルス、配置転換・在籍出向、試用期間及び労働者に対する損害賠償請求事案―)

(追記)

もうすこし高尾医師の言葉を引用しておきます。さまざまな意味で考えさせる内容がいっぱい詰まっています。

>「今は頑張っても必ずしも報われるとは限らない時代。だったら『楽して得しよう』といったずるい考え方ではないにしても、目一杯頑張ることが頑張らない人のためになってしまうならば、自分の頑張りもセーブしようと考えてしまうのはやむを得ない。・・・今まではこの問題を密室にしすぎていた。それを関係者で共有して約束事を明確にしてみんなが納得して働くようにする。

>これは非正規社員にも応用できる。今は派遣や契約社員がメンタルヘルス不調になると、契約期間の満了などで退職し、同じ会社で再度就業することはほとんどないと言ってもいいが、『仕事の出来』で見ることによって、『有能なら一度辞めて、また戻ってもらえばいい』となる。メンタルの問題として扱うと、一旦レッテルを貼られたら最後、正社員は干されることになり、非正規社員は契約を切られる。でも、仕事が出来る期間だけ働くことになれば、正規・非正規の区別はなくなる

確かにそうで、非正規の場合、メンタルは即雇止めです。ジョブ型とメンバーシップ型という話にもつながりますね。

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コメント

 高尾医師とは個人的に親しい関係も頂いており、確かにこれまでの医療や臨床心理ベースのアプローチとは真逆のシステム・切り分け論的発想からメンタルヘルスにアプローチする手法には、斬新性、明快さとある種の現実性を感じます。

 ただ、仮に「切り分け」というならば、罹患事由の業務上外を分ける必要がありましょうし、企業による人間環境整備(心理社会的アプローチ)によって対応できる問題とそうでない問題を切り分ける必要があると思います。そうでなければ、デンマークやイギリスの強制介入的な心理社会的アプローチが企業の生産効率を高めている事実を説明することはできないでしょう。

 確かに、内因性・器質性の本人要因を持つ不調者に企業が振り回され、アレルギー反応を引き起こす一方で、当の本人もけっきょく成熟せずに排出される事態は回避せねばなりませんが、企業が医療的な知見を参考に適切に対応することで状況が大きく改善する例が多いことも事実です。

 ですので、「切り分け」というならば、徹底的に切り分けるべきであり、その限りで賛同する、というのが私のスタンスです。高尾説は、私傷病により、業務自体に障害が生じ、かつ病状の改善見込みが立たず、企業の対応によっては対応できないようなケースにはある程度妥当すると思いますが、それを一般化することには危険が伴うと考えています。

(2011/07/05 3:09)

三柴さん、いろいろと著書をお送りいただきありがとうございます。
このコメントは一つ前のエントリ「メンタルヘルス逆転の発想」へのコメントですが、こちらでリコメします。

確かに仰るとおりだとも思いますが、実はメンタル不調が私傷病なのか業務上なのかという判断自体が、単に技術的にというだけでなくそれ自体が当該個別労使関係に関わるという意味で難しいことからすると、賛同される前提の「徹底的に切り分ける」ことがどこまで可能なのか、という問題もあるような気がします。

目の醒めるような議論は常にそうですが、高尾さんの議論もそこから切り落とされる恐れのある大事なものを意識しつつ、使っていくべきものなのでしょう。
これは労働問題に限らず、近年の社会問題の論じられ方一般についてもいえることかも知れませんが、過度の心理主義を解毒する上ではとても有益な文章だと思います。

(2011/07/05 9:39)

 濱口先生、拙見へのコメント、有り難うございます。

 また、一つズレた項目に書き込みをしてしまい、失礼致しました(恐縮ですが、できれば、まるごと正しい位置へ移動して頂くことは叶いませんでしょうか)。
 
 この問題は、ある面で、メンタルヘルス不調の問題を従前の社会や経営のありように対する警鐘であり、その改善に役立つものとしてプラスに捉えるか、それとも厄介な流行病としてマイナスに捉えるか、という基本的視座にも関わっていると考えます。

 最近、南山堂から『職場のメンタルヘルスケア』という共著書が発刊され、その執筆陣がコンパクトに関係する知見をまとめていますが、未だ科学的解明に限界があるものの、疫学的研究の多くが、心理社会的要因による精神疾患の発症などの可能性を示唆しており、それらを理論的に捕捉できるようにしたものの1つが、ストレス-脆弱性モデルであることは、ご存じの通りです。

 高尾説の斬新性、明快さ、ある種の現実性に疑いはなく、その点は私も高く評価しています。また、高尾説は、職業性疾病で休職などに追い込まれた者に対する補償・賠償の問題に直接は触れていないので、それは別途考える趣旨と捉えることもできます。そして何より、企業では対応が難しい私傷病者には適応性が高いと思います。

 けれども、かりに高尾説が、企業の父性の組織論理にシンクロして悪用されると、どうなるか。たとえば、職場で長時間労働のうえ、陰湿ないじめに遭遇した者が、「職場は病院でもカウンセリングルームでもない、病なら専門機関で直して来い」、と言われたらどういう結果を生むか、には充分に留意する必要があると思います。

 実際、企業の人事労務担当者の多くは、不調者(不調状態が顕在化した者)の業務上の可能性については、かなり知っていることが多いものです。現状は、そういう可能性を封印して、殆どの場合、私傷病として取り扱っています。

 私が危惧するのは、高尾説が、便利だということで、そういう扱いを正当化するツールにされてしまうことです。業務上外の切り分けは、法の正義としても避けられないものだと思います。斬新さの評価は、その現実的な妥当性との関係で評価すべきものだと考えています。

 私自身は、むしろ、法は、現に実務がそうしているように、人間(労使双方)の良識を手続の中であぶり出す努力をすべきではないか、と考えています。

(2011/07/05 11:15)

三柴さんとのコメントのやりとりを、本来のエントリのコメントに付けなおしました。

 やや蛇足気味ではありますが、以下のコメントを加えさせて頂ければ幸いです。

 先ずは、ケントク(仮処分)事件大阪地決平成21年5月15日労働判例989号70頁より。
 労働契約は、「継続的法律関係であり、生身の人間である労働者の労働力を使用することを内容とする労働契約においては、労働者の責めに帰すべき事由によらない健康状態の変動により、使用者の期待する水準の労務の提供が行われない事態も当事者双方が想定しているはずである」。

 次に、安衛法所定の健診制度の趣旨を再確認すれば、それは私傷病・業務上を問わず、労働者の健康状態を確認し、それに応じた「(就業上の措置を中心とする)適切な対応」を使用者に求めるところに重点があります。むろん、休職が適切な対応となる場合もあり得ますし、就労を継続する場合にも、治療自体は本人に委ねられる場合が多いでしょうが、「就業上の措置」が前提となるべきことは言うまでもありません。さらにいえば、精神疾患による強制休業については、たしか平成11年ころの安衛則第61条の改正により、その対象から外された経緯もあります。これは、従前は産業医の判断により可能であった措置を、精神科専門医による精神保健福祉法上の措置入院等に委ねる趣旨であったと記憶しています。

 ですので、高尾説は、こうした考え方から生じる疑問にも応える必要があると考えています。

 以上、重ねてのコメントとなり、たいへん失礼致しました。
 

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