フォト
2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 今後の労使関係のあり方を考える | トップページ | メンタルヘルス逆転の発想 »

2011年6月30日 (木)

金子良事 on 菅山『就社社会』

大原社研雑誌7月号に、金子良事さんが菅山真次さんの『「就社」社会の誕生』の書評を書かれています。そういえば、金子さん、今は大原社研に席を置いているんですね。

>日本労働史の通史としては兵藤つとむ『日本における労資関係の展開』以来の名著であり、評者の個人的意見を言えば、この分野で今まで書かれたものの中で文句ナンバーワンである

という評語は、わたくしも同感で、決して口先のフラッタリーではありません。

ただ、金子さんの書評の中に、いささかよく分からないところもあり、それをいくつかメモ書き程度に。

金子さんによれば、著者の研究は東大社研・経済学部の労働問題研究と、教育学部の教育社会学と比較制度分析の手法を総合的に取り込んだ・・・とあるのですが、前2者はわかるのですが、最後の点がよく分かりませんでした。同友会の企業民主化論の研究が、岡崎哲二さんの同友会研究から来ているのは分かるのですが、それは手法的に何か違うのでしょうか。私にはあまりにもすっと何の抵抗もなく読めすぎたもので、そこの趣旨がよく分かりませんでした。

あと、孫田良平さんを高く評価するのもまったく同感なのですが(直接そういうことを喋った記憶もありますが)、それはやはりあくまでも金子美雄氏や孫田さんがその中にいた労働行政についてのセンスについてであって、国家総動員体制期の全体的な社会思想とその中における企業のあり方論などについては、またちょっと違うのではないかという気もします。いや、そこのあたりは私自身勉強不足で良く分かっていないのですけど。

あと、50年代から60年代に通産も経企庁も大蔵も、中央省庁の役人たちがケインズを熱心に読んでいて、完全雇用政策が志向されていたなどというのは、時代からすればあまりにも当たり前なのですが、それと大河内一男や藤林敬三の流れというのはちょっと違うような。そちらと密接につながっていたのは中央省庁といっても社会政策を担当するやや局所的な部分だったのではないかと思います。そういうのをひっくるめてたとえば所得倍増計画などに流れ込んでいるというのはその通りなんですけど、当時の通産省が(今の経産省も)社会政策を熱心に読んでいたとも思えませんが。

6542 (参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-b3b7.html(菅山真次『「就社」社会の誕生』)

>「就社」社会というのは、「就職」社会ではなく、という意味ですね。特定の職(ジョブ)に「就」くことをめざす就職じゃなく、特定の会「社」の一員(メンバー)になることを目的とする社会。

まさに、メンバーシップ型労働社会のあり方の根源に切り込んだ研究書です

« 今後の労使関係のあり方を考える | トップページ | メンタルヘルス逆転の発想 »

コメント

>国家総動員体制期の全体的な社会思想

笠信太郎のような人の影響力は注目されてしかるべきでしょうね。

岡崎さんのところ、比較制度の説明はちょっと面倒なので、今日は省略します。他の点を簡単に。

大河内・藤林両先生は学問的著作というより、社会保障制度審議会です。彼らは戦時中からビバレッジで行こうとしていた(委員会の名前は違いますが)。その意味では誰よりも完全雇用についての注目は早く、啓蒙的役割を果たしたでしょう。当然、彼らと金子美雄さんは近い。孫田先生は中央労働学園で彼らに習っています。

それから、金子美雄グループは昭和同人会編で第1回の日経賞をとった「我国完全雇用の意義と対策(1957年)」を出していて、多分この本は無視できない。何より金子さんは1950年代、労働省の役人ではなく、経済企画庁の調査部長です。ヨーロッパから帰って来た金子さんには労働省に居場所がなかったんです。それに元々、金子さんは職安畑ではなく、基準畑の方なので、労働省のそちら側のセクションとの関わりは案外少ないかもしれません。このあたりは調べてみないといけませんが。

社制審も中央官庁の中の社会政策的局部ですからね。社会政策的完全雇用論と、大蔵とか通産といった高度成長期の「メインストリーム」のいうケインジアン的完全雇用とは、もちろん重なるけれども、根っこの問題意識がやや異なる印象を持っています。
むしろ、社会政策系の人がどこまですぐれて経済学的な意味においてケインジアンであったのかどうか自体議論のあるところでしょう。(ある意味で今でもそういう傾向はありますが)ケーザイ学の理屈はなんでもええので、結論がええからケインジアンやというところはあるように思われます。逆に、ケーザイ学系の人はそれがわからないので、言葉が肝心なところで通じていない面も。

また、金子さんが経企庁に出向していたといっても、あくまでも本籍は賃金屋であって、その後も60年代の賃金制度改善や80年代に至るまで賃金行政に関わっています(86年最賃法改正など)。ちなみに職安局と基準局は同じ労働省でも「別の役所」みたいなもので、たとえば高梨昌氏もどこにでも顔を出しているように思われていますが、基準局関係はほとんどありません。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 金子良事 on 菅山『就社社会』:

« 今後の労使関係のあり方を考える | トップページ | メンタルヘルス逆転の発想 »