『POSSE』11号への感想その3
もう一つ、『POSSE』11号への感想として、木下武男さんの「東電の暴走と企業主義的統合-労使癒着によるチェック機能の喪失」について、おそらく木下さんの言いたいことの本丸とはずれた点に、コメントをしておきます。
もちろん、木下さんが指摘したいことは、日本型雇用システムにおける企業主義的統合の中で、労働者が分断され、被曝作業を下請企業労働者に押しつける構造が生み出されてきたという点にあり、その点はまさにそうだと思います。
問題は、それを戦後労働運動史の中での産別主義と企業別主義という枠組みで説明しようとしている点です。木下さんの議論だと、かの電産型賃金体系を作った電産は、産別運動だったということになるのですが、わたしはそれには大いに疑問を持っています。
終戦直後の労働運動の性格付けとしては、わたしは藤田若雄氏の「急進化した工場委員会」だというのが一番正しいと思います。産業報国会の系譜を引きながらも、革命前夜的雰囲気の中ではそれは「工場ソビエト」的ですらありましたが、その闘争手段はまさに「工場委員会」的な「生産管理闘争」であって、欧米型の産別主義とはまったく似ても似つかぬものだったというべきでしょう。
もちろん、それは職場の身分差別を熱狂的に排撃するという意味においてきわめて「民主的」志向性を持っていましたが、決して産業別を指向するものではなく、そしてやがて急進派が凋落していくと、企業主導で「社員の平等主義」が進められていくわけです。木下さんが批判的に引用する木川田一隆の「戦前の階級対立を清算して、企業の人間構造をはばひろい中間層に一本化する共同体的なもの-いってみればゲマインシャフトに作り替えようとする挑戦」が、実はその根本精神において(戦時中の皇国勤労観も踏まえつつ)終戦直後の工場ソビエト的熱狂を受け継ぐものであることを考えると、この議論も二重三重にねじれており、そう単純な議論を許すものではないのではないかと思えてなりません。
労働者たちの平等指向、人格要求、「メンバーシップ要求」が生み出した企業主義的統合が、その反面においてそこから排除された者への差別を生み出すというパラドックスこそが、東電に限らず、現在の労働問題の根源にあるメカニズムなのであってみれば、やはり皮肉なものを感じざるを得ないのです。
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