特殊日本的リベサヨの系譜
植村邦彦さんの『市民社会とは何か』平凡社新書は、もちろん大変がっちりした社会思想史の研究書でもあります。
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=85_559
特に前半では、アリストテレスから近代イギリスに至る国家社会という意味での「シビル・ソサエティ」の思想系譜が、そしてヘーゲル、マルクスといったドイツ的「ビュルガーリッヒ・ゲゼルシャフト」の観念の歴史が、なるほどこれがホンモノの思想史家の手つきというものか、と感心するほどの手際で、見事に説明されていきます。
しかし、それらはすべて、後半の怒濤の如き叙述のための準備作業なのです。
後半に書かれていることは何か。
あえてわたくしの関心に引き付けすぎた物言いをしてしまえば、イギリス流の「シビル・ソサエティ」でもなければドイツ流の「ビュルガーリッヒ・ゲゼルシャフト」でもない(にもかかわらず、それらそのものだと信じ込んで拵えあげた)、はっきり言えば戦時中の「暗い谷間の時代」に日本のインテリゲンチャが勝手に脳内で膨らませた妄想に過ぎない「しみんしゃかい論」という代物の、そして戦後高度成長期になっても依然としてそれを膨らませ続けたその脳内妄想ぶりをこれでもかこれでもかといじめ抜くように露呈せしめている本です。
高島善哉、内田義彦、平田清明といった、著者にとっては師匠筋に当たる人々の脳内妄想ぶりをここまであからさまに書くというのは、わたしにはよく分かりませんがなかなかすごいことなのではなかろうかと想像されます。
まあ、わたくしにとっては、ここで露呈されている脳内妄想の系譜こそが、まさに本ブログで何回か述べてきている「リベラルサヨク」な発想の一つの源流ではないかと思われ、そういう関心もあって買って読んでみたわけですが。
(最近、ついった上でわたくしの名前とともに「リベサヨ」なる言葉が散見され、いささか違うのではないかと思われる解釈がされいるやに見受けられることもあることから、念のため付言しておきます)
(追記)
ちなみに、本ブログにおける「リベサヨ」なる概念の発達史(笑)は、以下の通り。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)
>あえて人物論的に言えば、アルバイトスチュワーデスに反対した労働者にやさしい亀井静香を目の仇にし、冷酷な個人主義者小泉純一郎にシンパシーを隠さなかったということですな、日本のサヨク諸子は。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)
>かくのごとく、日本のサヨク知識人はリベラルなことノージックよりも高く、アンチ・ソーシャルなことハイエクよりも深し、という奇妙奇天烈な存在になっていたようです。そうすると、福祉国家なんぞを主張するのは悪質なウヨクということになりますね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_28cd.html(ネオリベの日経、リベサヨの毎日)
>この手の発想には、国家権力がすべての悪の源泉であるという新左翼的リベラリズムが顕著に窺えますが、それが国家民営化論とかアナルコ・キャピタリズムとか言ってるうちに、(ご自分の気持ちはともかく)事実上ネオリベ別働隊になっていくというのが、この失われた十数年の思想史的帰結であったわけで、ネオリベむき出しの日経病よりも、こういうリベサヨ的感覚こそが団塊の世代を中心とする反権力感覚にマッチして、政治の底流をなしてきたのではないかと思うわけです。毎日病はそれを非常にくっきりと浮き彫りにしてくれていて、大変わかりやすいですね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-b950.html(だから、それをリベサヨと呼んでるわけで)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2040.html(松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-6cd5.html(日本のリベサヨな発想)
>で、その「少し前のヨーロッパ左派の大家によく見られた思考」(笑)から見ると、極東某島国の自己意識としてはリベサヨらしいヒトの発想というのは、想像を絶するものでありまして、その実例が本日の朝日新聞の東浩紀氏の論壇時評に引用されていますが、
>>・・・前者で荻上は、選挙区ではみんなの党、比例では社民党に投票したことを明かし、「経済的リベラルに1票、政治的リベラルに1票という意味だ」と自己解説しているが・・・
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