善良なる市民と云ふものは・・・陰謀の存在を信ずるものである
本ブログで最近何回も引用している「非国民通信」さん。昨日のエントリも痛烈です。
大震災をフルに利用して陰謀説を飛ばしまくっている某りふれは方面を代表格にして、今日の日本社会を飛び交い始めた陰謀説を見事に斬り捌いています。
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/(善良な市民)
>>再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。・・・
>・・・「善良な市民」とは芥川が明言したように、まず陰謀の存在を信じるものです。陰謀よりも好んで用いられるところでは、利権や既得権益云々でも良いでしょう。何はともあれ、陰謀なり利権なりの存在によって真実が隠され危機がもたらされていると、そう信じることが善良なる市民と云ふものです。付け加えるなら少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬもの、すなわち陰謀の存在を信じている人と肩を並べ、陰謀を信じている人の行動に水を差さないこと、それが善良な市民の資格と言えます。
付け加えるなら、自らが「善」であることを信じて疑わないことも善良な市民の条件です。そして混乱に乗じて、自分たちが嫌っているもの、もしくは「悪」と考えている対象を攻撃します。ただ、それが純然たる攻撃でありながらも、あくまで自分たちの行為は「正当な防衛行動」であって、他者への加害となっている可能性を考えようとすらしないのも善良な市民の特徴と言えるでしょう。そして、こうした加害を「防衛」に置き換えるための大義名分として自らに迫り来る脅威の存在が強調されるところですが、実際のところ善良な市民の語る脅威とは思い込みに過ぎない、ただ世間一般で幅広く、「それは我々を脅かすものだ」という意識が共有されているだけだったりします。そして脅威だと思い込んでいる相手に対する「正当な防衛行動」のために善良な市民は立ち上がるわけです。
被害者意識に充ち満ちた加害者ほど始末に負えないものはないというのは古来不変の真理ですが、それが正義の御旗を掲げたときにはもはやどうしようもなくなります。
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「陰謀」「利権」「既得権」「社会主義」「御用学者」…。負の価値判断を伴った言葉で論敵にレッテル張りをすることで、第三者に論争の具体的な中身を精査させずに、さも自分が論争で優位に立っているように見せかける。アメリカでもオバマ政権下での医療保険の適用拡大に関する論争で、これに批判的な人々は改革を社会主義だといって批判していたので、洋の東西を問わない詭弁なのでしょう。逆に自分たちの政策を説明するときは「構造改革」「社会保障改革」「地方分権」といった正の価値判断を伴った言葉を使い、実態は格差拡大、社会保障切捨て策であることを糊塗しようとしている。彼らがこのようなことをしているのは、自分たちの考えをありのまま説明したら世間の支持を得られないことを無意識のうちに理解しているからでしょう。だからこそ高橋洋一のように平気でデマゴーグを駆使できる。それにしても、デマゴーグを駆使しようとする動機と、自分たちの考えこそ正しい政策なのだという思い込みとの矛盾にどのように整合性をつけているのでしょうか。
投稿: dermoscopy | 2011年5月 5日 (木) 22時26分