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2011年5月30日 (月)

『<若者の現在>政治』

Wakamono_seiji 小谷敏/土井隆義/芳賀学/浅野智彦 編『<若者の現在>政治』(日本図書センター)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.nihontosho.co.jp/2011/05/post-195.html

>若者を覆う閉塞感・生きづらさや「右翼」「左翼」の図式にこだわる若者の潜在的な心理を解き明かし、社会を変える力・未来への希望を探求する!

これは、『<若者の現在>労働』の姉妹編で、も一つ「文化」と合わせて3部作になるようです。

労働編については、編者でもある小谷敏さんの論文を取り上げましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-01f6.html(「怠ける権利」より「ふつうに働く権利」を)

今回もまず小谷さんの「若者は再び政治化するか」について。今回も、まことに同感できる文章が書かれています。「権利意識の希薄さ」という一節から。

>犯罪の増加が後期近代の特徴であった。しかし、この国では犯罪が目立って増えるということはなかった。「失われた10年」以降、増加したものは自殺と鬱病である。窮境に置かれた人々が他者ではなく、自分を強く責めることが、この国の特徴である。

>M.ブリントンは、1日20時間(!)に近い長時間労働に耐えきれず、会社を辞めていった若者の事例を報告している。若者と同じ職場の先輩は過労自殺をしていた。彼はその会社を責めるのではなく、過酷な境遇に絶えることの出来なかった自分のふがいなさを責め、また自殺した先輩までをも責めた。・・・

>1日20時間に及ぶ労働が、法令違反であることは明らかである。この若者は、労働者としての基本的権利に関する知識をまったく欠落させていたというほかはない。わたしは、偏差値のとても高い大学を卒業した若者が、就職した先で長時間労働を強いられていたときに、「残業手当や有給休暇は権利としてもらえるのですね。知りませんでした」と言っていたのを聞いて驚いたことがある。・・・・・・

そう、いわんとしていることにはまことに同感するのです。ただ、「労働者としての基本的権利に関する知識」が・・・。いや、わたくしもまさに労働法教育の重要性を何回も説いてきた側の人間です。しかし、その知るべき「労働者としての基本的権利」が、今現在の日本においてどのようなものであるのか。

そう、現在の日本の労働基準法を前提とする限り、「1日20時間に及ぶ労働が、法令違反であることは明らか」ではないのです。労働時間規制自体は実は青天井であって、36協定と残業代規制があるだけ。1ヶ月100時間を超える時間外労働は過労死の危険性があると言っているのは労災認定基準であって、労働時間の物理的規制は存在しない。そこに問題があるわけですが、あまり問題だという人はいないのです。

そういう問題意識自体が、このように若者の労働法知識の欠如を嘆く言説においても見られないというところに、実は大きな問題を感じる面もあるのです。

本書は「政治」と題していますが、今野晴貴さんの「格差問題をめぐる若者たちの政治的実践 ―「異議申し立て」から参加へ―」は、POSSE代表として多くの労働相談に関わってきただけに、労働論としても充実した内容になっています。いちいち引用していくと大部分引用しなくてはいけなくなるので、基本的には実物でお読み下さいということにしておいて、特に「若者の諦念と解雇規範解体の実態」という一節から、

>こうした諦念がもっとも深刻な形で現れているのが若者の離職率の上昇と「自己都合退職」化である。違法行為に直面した場合、自ら辞めるしかないというのだ。・・・

>さらに自己都合退職化を推し進めている要因は、労働者が違法行為に絶えかねているからだけではない。離職に関連する相談で最も多いパターンは「自己都合で退職させられそうなのだが、これを何とか出来ないか」というものだ。

>結局、実際に裁判や団体交渉で争うことによってしか、市場を規制する規範は生成されてこない。判例のレベルで影響力を持ち続けている正社員の解雇規範も、争わなければ実態をなさない。また、争わないことで「自己都合で辞める若者が多い」ということが社会の合意になってしまうと、規範をめぐる言説自体が後退していってしまう

このあたりはわたしも、裁判所に行かないレベルの紛争の実態を見ていると痛感することではあります。

さて、せっかく「政治」の巻なので、もっと「政治」っぽいのはないかといえば、やはり萱野稔人さんの「あえて左翼とナショナリズムを擁護する?」。

ここで萱野さんが強調しているのは、左翼が反ナショナリズムだなんていうのは全共闘以来のほんの2,30年くらいの伝統に過ぎないということです。このあたり、わたしの「リベサヨ」論と半分くらい重なる感じです。

萱野さんが許せないのは、ナショナリズムを道徳的に批判してこと足れりとする左翼やリベラル知識人。

>ナショナリズムに訴えるぐらいなら国内労働市場を完全に開放した方がいいと主張する左翼なんて、まさにその典型だ。そこでは、自らの心情的な立場を清廉潔白にしようとするあまり、結果に責任を持つという政治の本質が完全に抑圧されているのである。

いや、まさにそう。

萱野さんとは、POSSEの座談会で意気投合した仲ですが、この論文も同感するところの多いものでした。

萱野さんとならんで高原基彰さんの「「若者の右傾化」論の背景と新しいナショナリズム論―戦後日本の左右対立と東アジア地政学の同時変容という視点から―」も、すでに書かれたものの要約のようなところもありますが、是非読まれるべきです。高原さんとは、一度ある編集者の方と一緒に心ゆくまで歓談したことがありますが、その時の会話を思い出しました。

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コメント

 小谷です。今回も私どもの編著をとりあげていただきありがとうございます。ご挨拶がおくれましたことをおわび申し上げます。ご指摘の点、大変勉強になりました。しかし労働法の不備は昔からのことであり、その問題がここまで顕在化してきたのは、もちろん多くの方々のご努力はありますが、それだけ企業経営が逼迫してきたが故ではないのでしょうか。だからといって労働者の搾取が正当化されるものではありませんが、労働者が生きていくに足る賃金を保障することがますます困難になっている状況を反映したものだと思いますがいかがでしょうか。

コメントありがとうございます。
正確に言うと、「労働法の不備は昔からのことであり」というよりも、労働基準法は(規定の仕方に問題を生む原因はあったとしても)かなり不備のないように作ったにもかかわらず、その後の運用が、雇用の安定の方を重視してきたために、あえてその不備を大きくしてきたのだと考えています。それは、皮肉な話ですが、「労働者が生きていくに足る賃金を保障すること」を目指して、労働者自身の側がそのようにしてきた面が大きいとも考えています。
そういういわば労使合意のもとでの作られた「労働法の不備」が、その立脚基盤の崩れた部分にまで適用されることによる「ブラック企業」現象なのであってみれば、そう単純な話ではないというのが、わたくしの考えです。

それは、皮肉な話ですが、「労働者が生きていくに足る賃金を保障すること」を目指して、労働者自身の側がそのようにしてきた面が大きいとも考えています。

 ご返答をありがとうございます。たとえば高度成長期などで労働者の側が家のローンを稼ぐために長時間の残業をする必要があった。それを容認するために、36協定などで残業時間をいかようにも引き延ばせるような抜け穴を労働法のなかにこしらえてしまった。それが企業経営が逼迫してくると労働者を長時間働かせることで利益を上げようとする輩が出てくる。ブラック企業と呼ばれるそうした輩が、この抜け穴を巧みに利用した。労働者の側も雇用情勢がとても悪いので劣悪な労働条件を受け入れる他はない。そうした理解でよろしいのでしょうか。

厳密に言えば、36協定で青天井で長時間労働できるという仕組みは労働基準法ができたときからあります。あとから「こしらえた」わけではありません。
ただ、ある時期までは、それは労働者側の長時間残業してたくさん残業代稼ぎたいという欲望に応えるような形で運用されてきたために(残業させないのが不当労働行為などといった判例も結構あります)、1日8時間週48(40)時間という基準は、単なる残業代の計算基準に過ぎないという風に考えられるようになったということです。
それがさらに進むと、長時間残業するのが当たり前なのだから、残業したくないなどといってしない奴は許さない、というのがデフォルトルールになり、やがて組合の力もどんどん縮小の一途をたどり、好き嫌いにかかわらず会社のいうとおり無制限に働くことが当たり前になってしまい、そもそも労働者側が好んで残業していた理由のはずの残業代も払われないのが普通という状況もごく普通になってきたと、まあごく簡単に言えばそういう経緯だと理解しています。

残業させないのが不当労働行為などといった判例も結構あります)、1日8時間週48(40)時間という基準は、単なる残業代の計算基準に過ぎないという風に考えられるようになったということです。

驚きました。やはり専門家の話は聞くものです。そうですか。戦後の日本社会のなかで、長時間労働は悪であるというフィロソフィーがまったくなかったことが問題の根にはありそうですね。「怠ける権利」を欠落させた社会の悲劇!大人たちが変てこなことをやってきたつけを今の若い世代が払わされているとも言えそうですね。

http://biz.netmile.co.jp/recruit/guide/graduates.html
別件で話題のこの会社ですが

「月給制 四大卒 22万円予定
(時間外手当40時間分相当額が含まれます)」

これがブラックに近いなぁと話題になっていました

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