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2011年5月 4日 (水)

日本のリーダーは現場重視の意味をわかっていない@守島基博

現在某研究会でご一緒させていただいている守島基博さんが、『プレジデント』で「有事のリーダーシップ、平時のリーダーシップ」という刺激的な文章を書かれています。

http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2011/20110516/18931/18940/

>今回の震災では、日本を代表するインフラ企業や政府トップに、リーダーシップの欠如が露呈した。
日本型リーダーの特徴を分析すると、なぜ有事に弱いのかが浮かび上がってくる

守島さんの議論を図でまとめるとこのようになるのですが、

Bs01_20110516

ここでは2番目の「現場重視」ということについての、大変キツい指摘を。

>第二に日本のリーダーたちは、現場重視、現場重視といいながら、本当に現場を重視することの意味をわかっていたのだろうか、という疑問が出てきた。

>確かに、現場の意思決定力や問題解決能力を重視し、資源を投資し、現場における改良・改善などの力を開発することに努めてきたということはある。その意味でリーダーたちは、現場が経営上の鍵だと思い、強い現場の確保のために努力してきたようだ。
 だが、それは「現場重視」の一面なのである。現場重視は、「平時」と「戦時」で大きな違いがあるのだ。平時というのは、普通の状態である。大きな変動は想定していない。異常事態もそんなに大きいものは起こらない。
 その状況では、現場で判断し、現場で問題を解決したほうが効率的である。いちいち組織上部に判断を仰いでいたら、それだけ時間を食ってしまい、不良品が最終工程で山積みになってしまう。日本の製造業について行われた研究の多くが、比較的小さな異常への対処能力を現場に備えておくことが日本のモノづくりにとって効果的であったことを示している。

>だが、それはあくまでも、平時、つまり大きな変動を伴わないときである。逆に戦時、いうなれば環境変動や問題が極めて大きく、解決に向けて新たな方向性が必要な場合はこの議論は当てはまらない。
 変動が大きすぎて自らの問題解決能力では対応しきれない場合、現場は大きな方針なしで大きな変動に立ち向かうと間違いが大きくなり、またいろんな試行錯誤を繰り返すために、資源の無駄も出てくる。
 さらに、そのなかで働く人が疲弊し、また人々が真面目である場合、目標を達成しようとして危険な行動にも走る可能性がある。
 戦時の現場重視とは、平時とは逆に、明確な指針を示してあげることなのである。指針を出して、現場の人たちが試行錯誤するにしても、試行錯誤する範囲をある程度決めてあげる。それが戦時での現場重視だし、現場の問題解決能力の有効活用なのである。
ゆめゆめ方針も現場が考えてくれると思ってはいけない

>再びだが、今回の東京電力の福島原発での状況はどうだったのだろうか。報道がほとんどないのでわかりにくいが、漏れ聞く様子では、どうやら現場があらゆることを試させられて、疲弊しているように思うのである。戦時の現場重視は、通常は経験できない。だからこそ、リーダーとして平時からきちんと考えておきたい。

だけど、戦時に役に立つようなリーダー人材は、平時にはかえって疎まれるというパラドックスがつきまとうわけです。

ある意味で永遠の課題ではありますが、やはりいざというときに備えて戦時のリーダーを常に用意し、活躍できるようにスタンバイさせておける「組織のゆとり」が必要なのでしょう。平時の感覚でムダを叩き潰しすぎると、いざというときに傷を大きくするという大局観をもてるかですが。

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コメント

「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」

日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。主体性がない。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと生活している。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


投稿: noga | 2011年5月 5日 (木) 03時04分

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