認識論と政治論
レジデント初期研修用資料で有名な「medtoolz」さんが、ついった上で大変示唆的なことを語っておられます。誰のどういうことを語っているかは、それぞれの立場によってさまざまに解釈されうるでしょうが、それらを超えた一般論としても極めて真に迫る言説になり得ていると思います。
http://twitter.com/#!/medtoolz
>その人が同時に扱える事実の数には限りがあって、限られた事実の範囲で、見解というものは組み立てられる。通常は、同時に扱える事実が最も多い、より広い範囲から収拾した事実に矛盾しない見解を組み立てられる人が専門家と呼ばれる。
>見解は、少ない事実から組み立てることもできるけれど、そうして作られた見解に、例外事項を突っ込まれると、その見解は瓦解する。たくさんの事実を同時に扱う能力を持っていない人は、だから自分の作った見解を守るために、例外を見ない、見せないように振る舞おうとする
>能力の上限を超えた時点で、その例外は、見解を作った人からは「見えない」ものになる。それが都合が悪いのかどうかすら、「事実の隠蔽」を指示した人には、そもそも判断できないことが多い。
>まじめに仕事をしているのならば、ある見解を表明するときには、その人の能力限界まで、収拾された事実に矛盾のないような見解が作られる。裏を返せば、全ての参加者が能力をめいっぱい使っているのなら、能力の低い人は、常に「新事実」を突きつけられて、見解が破壊されることになる
>で、たくさんの事実を同時に扱う能力を持っていない人が、間違ってリーダーになってしまったときに困ったことが起きる。
>能力の足りないリーダーから見ると、「自分の知らない事実が部下から突きつけられて、自分の見解が脅かされる」ようにうつる。あるいは「自分には必要な事実が知らされていない」とも。認識の限界を超えたところで旗振る以上、しょうがない。
>リーダーが見解を守るためには、自身にとっての「例外」を、切断処理しないといけない。リーダーに認識できない「新事実」は、だからなかったことになるし、部下にはそれを切断した上での見解と、「助言」が求められることになる。
>この状況を外から観測すると、「必要な事実がリーダーの指示で隠蔽されている」ように見えるし、「周囲の専門家がイエスマンで固められている」ように見える。
>こうした光景は、だから能力を持ったリーダーが、何らかの意図に基づいて暗躍しているのではなく、能力の足りないリーダーが、莫大な情報量になすすべもなくなったときに陥る必然なのだと思う
>Win95 時代のPCに間違ってVista を乗せてしまったようなもので、ファイルはなくなるし、固まるし、なんだかこう、PCがユーザーに悪意持ってるようにしか見えない状態。必要なのはいいPC か、あるいは軽いOSであって
>あの「官僚の奴らは嘘ばっかりつきやがる」みたいな言説というのは、要するに見えないんだと思う。いっぱいいっぱいを超えたところで仕事してるから、文書として上げても読めないし、読んでも頭に入らないし、読んで聞かせても、たぶん見解の修正には届かない。
「Win95 時代のPCに間違ってVista を乗せてしまったようなもの」という比喩が秀逸。
ただまあ、そういうわかりやすい政治家をわかりやすいがゆえに選んだ国民の問題に行き着くのですけど。最後は。
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