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2011年5月10日 (火)

数学ができない非経済学者に希望を与える竹中発言

既に今朝のつぶやき以来山のようなコメントが殺到しているようですが、

http://twitter.com/#!/HeizoTakenaka/status/67726323170283520

>30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。

原発停止要請それ自体の妥当性については、もちろん法的観点等さまざまな論点があるところですし、地震学者による確率の想定自体についても、自然科学者の立場からはさまざまな意見のあるところだと思いますが、それらはとりあえず別にして、

慶應義塾大学で経済学を講じ、かつて内閣において世界第2位の経済大国の経済財政政策を一手に握っていた方が、かくもスバラ式確率計算をされるという実例を国民の面前であえて遂行されたということは、これまで数学ができないことに引け目を感じ、数学ができそうな言い方で、数学を駆使しているように見える議論を展開して一定の結論を押しつけてきた経済学者のいうことに、なんかおかしいなあと思いながらやむなく受け入れてきた数多くの非経済学者たちに、心からの希望の炎を点火したものと評せましょう。

30年で大地震の確率が87%だから、1年当たり2.9%。そうすると約34年半で確率は100%に達し、100年間だと290%になります。厨学校の確率の勉強の教材にちょうどいいですね。高校では使えないかも。

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コメント

老婆心ながら。

>30年で大地震の確率が87%だから、1年当たり2.9%。そうすると約34年半で確率は100%に達し、100年間だと290%になります。

違いますよ。
この確率はあくまで期間を「30年」に固定して出された値です。なので期間を変動させて考えるのはナンセンスです。

例えば、「ルーレットを1ゲームにつき5回まわす。このルーレットは1ゲームのうち1回だけ必ず当たりがでるようになっている」という状況を考えてみましょう。
このとき、「1ゲームのある回で当たりが出る確率は20%」「1ゲーム中にどこかで当たりが出る確率は100%」ですね?あなたの言ってるのは「1ゲームを終えた後6回目を回したら当たりが出る確率は120%だ!」と言っているようなものです。

再考の上、訂正をお勧めいたします。

ちなみに、竹中氏の計算は「30年間大地震のおこりやすさが等確率で、大地震は30年間で1回だけ起こる」という前提の上ならば、正しい計算です。

それでいいのではないですか?

その設例では、5回目までには必ず1回は当たりが出るのであれば、6回目までにはその1回分と次の1回の20%を足して120%という計算なのでしょう。

「なので期間を変動させて考えるのはナンセンスです」というなら、竹中氏も期間を短く変動させているし、逆に期間を短くして意味があるのなら、長くしても意味があるはず。hogeさんの言い分は、それが意味があると言っているのですから、100年間で290%というのも、この6回目までで120%というのと同じく意味があるということなのではないですか。

わたしは、そのどちらも意味があるとは思えないと思うのです。少なくとも、地震学者にあなたの言う「30年で大地震の確率は87%」というのは、「30年間大地震のおこりやすさが等確率で、大地震は30年間で1回だけ起こる」という意味ですか?と聞いたら、イエスと答えるのでしょうかね、ということです。

もし、地震学者がイエスと答えるというのであれば、まさに30年に1回必ず起こるのなら100年間には3回強起こるということになるはずで、上記わたくしの疑問に対しては、「まったくその通り」とだけ答えればいいはずです。

まあ、地震学者がそういう意味だと答えるとは到底思えませんが。

わたしは地震学についてはまるで門外漢ですが、それでも乏しい知識の範囲内でも、これは、もう長いこと地震が来ていないので、プレートの割れ目というのか合わせ目のところにものすごいひずみが溜まっていて、そろそろでかいヤツがどかーんと来るぞ、という趣旨で言われているものと理解しています。

そろそろ来るぞという限界状況が、地球物理学的スケールでは今後30年という一瞬を単位に言われているのであって、30何に1回必ず東海地震がやってくるなどと寝ぼけたことを言っている地震学者は、わたしの知る限り存在しないと思うのですが、竹中氏の周辺にはいるのでしょうか。

要は、冒頭の地震学者の表現を「30年間大地震のおこりやすさが等確率で、大地震は30年間で1回だけ起こる」という風に(いかにも経済学者風に)、勝手に趣旨を違えた内容に変えた上で、あれこれもっともらしく論じてみせるところが、竹中氏の批判を浴びる理由なのではないでしょうか。

あえていえば、こういう風に、ある学問分野のバックグラウンドを前提にして意味をなすような言明を、勝手に切り取ってきて、本来の意味とはまったく異なる議論のネタに仕立て上げてしまうところが、いかにもケーザイ学者風だなとまでいってしまうと、たぶんまっとうな経済学者の皆さんから総スカンを食いますね。はい、済みません、これは撤回します。

(老婆心ながら)

老婆心というのは、子どもが転ばないようにと心配する心持ちだと思うのですが、老婆自身が転ばないように心配することも、老婆心ではありませんが、やはり必要であろうと思っております。

いつも学ぶところ多く、拝読しております。
ですが、この記事は頂けません。この批判は「難癖」にしかなっていないと、専門家としてはっきり断言できます。

竹中氏の計算はあくまでも「近似計算」です。そして「近似」というものは、曲線に引いた接線が接点から遠くなるほど元の曲線と乖離していくのを典型に、適用範囲を離れれば的外れになるのは当たり前のことです。もとより「そういうもの」なのですから。

今回のhamachan先生のご指摘が具体的には、
「20分で2km歩けたから、あと40分も歩き続ければ出発地点から6km先の目的地に着くだろう」
という発言に対して、
「赤信号で止められることもあるだろうし、長く歩けば疲れるに決まっている、そんなことが正しいのなら100時間以内に600km先に着いてみろ」
と言い返しているようなものです。確かに1時間もこの速い歩調を維持できるかは疑わしいですが、しかし残り40分という見通しはそれほど外れたものではないでしょうし、そもそも出発地点から目的地までの距離が6kmというのもざっくりした測り方なのだから余り細かいことを言っても仕方がない、というのはおわかりになることでしょう。

この件も同じことです。もとより、地震予知というのはわかっていないことが極めて多い学問です。その中で出された87%という確率もかなり大雑把なものですし、今後30年のうちいつ地震が起こりやすいかもかなりあやふやなものなのだから、87÷30=2.9という見積もりは極端に外れたものではありません。少なくとも、「正解は1%から10%の間ぐらいだろう」と「桁」を見積もる程度の試算と心得れば、十分に役立つものなのです。

なお、詳細は以下の記事が詳しいのでご参照下さい。
http://d.hatena.ne.jp/oxon/20110512/1305187792
http://www.anlyznews.com/2011/05/blog-post_11.html

時間と距離の関係は線形であることが期待できますから近似可能ですが、
「30年以内に来る確率が87%」は、時間方向での線形性をわざと保証していない言い方なので、
近似するのは無意味です。
「30年間の間に1回おこる確率が87%」ではないのです。

また、もし仮に今後一ヶ月に起こる可能性が0.2%だとしても、それはあまりに大きい数字です。
この飛行機は1000回に2回墜落します、という飛行機に、いくら時間上の便益があるからと言って、あなたは乗りますか?

> 時間と距離の関係は線形であることが期待できますから

一般的にはできません。100時間だの赤信号だのと書いたのは反例を挙げたつもりです。
線型性はごく短い時間での近似にすぎません。

> 「30年以内に来る確率が87%」は、時間方向での線形性をわざと保証していない言い方なので、

「わざと」ですか。私は確率・統計的モデルを日々の仕事の道具として用いていますがそのような解釈は実に初耳です。
いずれにせよ、情報が不足しているとき単純なモデルをまず用いるのは常套手段であり、有界区間で一度だけ起こると考えられる事象の時間確率分布に対し、竹中氏が行ったように「一様分布」を仮定するのは極めて常識的で平凡な手法です。たとえ分布が一様分布「でない」ことがわかっていたとしても、です。概算の段階では「当たらずといえども遠からず」で必要十分なのです。

> 「30年間の間に1回おこる確率が87%」ではないのです。

いや、その通りです。地震というのが蓄積されたエネルギーの解放である以上、複数回起こることは原理的に非常に考えにくいです。

> また、もし仮に今後一ヶ月に起こる可能性が0.2%だとしても、それはあまりに大きい数字です。

私はその点について言及していないので反論されても困ります。私が言っているのは竹中氏の議論は「数学的に」誤っていないというだけのことで、関心があるのは本ブログに初歩的な誤りが放置されることは色々な意味で忍びないというだけのことです。数学的に導きだした数字についての「価値判断」は数学外のことであり議論があって当然ですが、それについては私は敢えて何も申しません。

  私は竹中氏の意見は誤っていると思います。
竹中氏の意見は
  (1)30年間で87%を単純に月割りにすると
     1ヶ月では0.2%である。
  (2)0.2%は小さな値である。
  (3)停止の決定をを1ヶ月延期すべきである
という構成になっています。
  (1)に関してですが、30年間で87%というだけで他の条件がなければ、一技術者殿のおっしゃるように1ヶ月あたりの発生確率は30年間で同じと仮定することは妥当だと思います。しかし今(大地震)の場合は
  ・周期的に発生する
  ・本来の周期では発生すべき時期を過ぎているが
   まだ発生していない
という前提条件があるので、これらを考慮すると
  いつ発生してもおかしくない
つまり
  1ヶ月当たりの発生確率は、
  直近の1ヶ月が最も高く、その後は減少する
と仮定するほうが妥当だと思います。例えば約百年周期で発生する大地震が発生する1ヶ月当たりの確率は発生直後から百年後までは上昇し、それ以降は減少すると仮定するのが妥当だと思います。竹中氏のように発生確率が常に同じと仮定しても正しい値よりも何桁も違うとは思いませんが、発生確率が一様だという仮定は実際の値よりも低く(竹中氏の結論に都合のよい方向に)近似している事は留意すべきだと思います。
  一歩譲って、(1)の発生確率が同じであるという仮定が妥当だとし、もう一歩譲って(2)の0.2%が小さな値だということも認めるとしても、それを(3)の根拠にすることは不適当です。このような場合は発生確率だけでなく、発生した場合の損害の大きさも考慮すべきです。今回の浜岡の場合はこちらが巨大なので問題になっています(浜岡にあるのが火力発電所であれば竹中氏の意見も妥当だと思います)
浜岡の半径20km以内には東名高速や新幹線があり住んでいる人も福島の場合よりもはるかに多いので、
損害額も福島よりも1桁以上多いといわれています。損害額を福島の10倍の40兆円とすると、1ヶ月当りの損害の期待(?)値は、
  40(兆円)×0.87/360=967(億円)
となります。中部電力の昨年の年間利益が約2400億円なので、1ヶ月で半年か1年分の利益が飛んでいくことになります。そう考えると(3)は成り立たないと思います。
  竹中氏の意見は、言っている内容自体はそれほど誤っていないとしても大事なことを言わないことによって誤ったことを主張しているという点で、素人のお金持ちに怪しげな金融商品を売りつける悪徳コンサルタントを連想してしまいます。

>一技術者 さん

「30年間で87%」は、「1年間の可能性」については一切言及していないのがポイントです。実際は、0%程度かもしれませんし、10%程度あるかもしれません。そこで、とりあえず均等に分割してみるというのがあなたの提案するやり方ですが、たしかにひとつの目安にはなりえるでしょうが、この程度のものに、実際の行動、すなわち原発の停止の延期という、人命や日本国の運命のかかった判断を委ねるのはあまりにもいい加減であり乱暴です。

この、一見、理論的だけど、実はかなりいい加減なザックリ感を hamachan さんが見抜かれた結果が本エントリだと思われます。

ネオリベには、トリクルダウンなるものを提唱し、それに基づいた政策を実行したものの、実際はトリクルダウンはおこらず、ただ格差が広がるだけに終わったという前科があるわけで、これもこのザックリ感のなせるワザです。

実際のところ、浜岡原発を止めないと言う選択肢はあり得るのでしょうか? 私にはありえないと思われますので、今回の菅総理の判断はむしろ適切なリーダーシップの発露とみなし、支持するところです。

かつて竹中氏は、小泉元総理の理解のもと好き勝手やって、かつ、やり逃げしたのであり、このような人から、このような慎重論が出るのには失笑を禁じえません。この方には、大臣在任時にこそ、この慎重さを発揮していただきたかったものです。

要するに、こういった人命や財産がかかった件で、不確定性が伴う場合は、ワーストケースで見積もるのが一般的なやり方だと思うのですが、そこを直線補間でやっちゃうところに、竹中氏のセンスが現れているということですね。

今更ごらんの方がおられるとは思いませんが、返信を頂いているのに気づいたので。

> (1)に関してですが、30年間で87%というだけで他の条件がなければ、一技術者殿のおっしゃるように1ヶ月あたりの発生確率は30年間で同じと仮定することは妥当だと思います。

そして竹中氏の発言はそういう趣旨です。正確には、「他の条件については詳細がわからないので無視する」という荒っぽい丼勘定をした、ということです。
これは科学的思考法として極めて標準的なものである、というのが私が言わんとするところです。それ以上のことについては何も主張していないのでコメントしません。

>たしかにひとつの目安にはなりえるでしょうが、この程度のものに、実際の行動、すなわち原発の停止の延期という、人命や日本国の運命のかかった判断を委ねるのはあまりにもいい加減であり乱暴です。

私は「ひとつの目安」としての妥当性を論じたまでです。それ以上のことについてはコメントしていません。反論されても困ります。

>要するに、こういった人命や財産がかかった件で、不確定性が伴う場合は、ワーストケースで見積もるのが一般的なやり方だと思うのですが、

そうでしょうか。「見積もる」までもなく、本当の「ワーストケース」は「必ず今すぐ起こる」でしょう。これはあらゆる不確実な現象にたいして言えることなので、つまりは「次の瞬間あなたの頭の上に隕石が確実に降ってくる」と想定して行動しなければいけないことになりますが、それが「一般的なやり方」とは到底思えません。

>> 一技術者 さん

>私は「ひとつの目安」としての妥当性を論じたまでです。それ以上のことについてはコメントしていません。反論されても困ります。

実際に竹中氏はこの試算を根拠に「浜岡原発の停止の延期」という具体的なアクションを求めているのですけどね。それで、あなたは、アクションを求めるための根拠としての妥当性は論じていないとおっしゃる。竹中氏の主張にYesともNoともおっしゃらず、ただ、「ひとつの目安」としての妥当性、についてのみ。あなたのおっしゃる「ひとつの目安」って具体的にどのレベルの目安なんでしょうか?これがはっきりしないことには反証可能性のない非科学的な議論しかできないような気がしてきました。私の考える「ひとつの目安」というのは考えのきっかけに使うのは良いけど、結論に結びつけてアクションを求めるための根拠としては使えないという認識です。

>「見積もる」までもなく、本当の「ワーストケース」は「必ず今すぐ起こる」でしょう

そのとおりではないでしょうか?

以前の発言時では、とりあえず安全係数をかける程度のセンスを見せてもらえればそれで良かったのですが、それでは甘いような気がしてきました。

原発事故というのは、もう一度起きたら日本が終わるようなインパクトがあります。自動車保険の例で考えてみます。過去十年間無事故だったから、これからも事故る可能性は低い。したがって自動車保険に加入するのはお金の無駄なので加入しない。と、いう考え方が間違っているのは言うまでもありませんが、原発事故というのも同種のものだと思われます。実際に、原発を止めて検査をしているのは、これと同じ考え方に基づいたものだと思われます。

>つまりは「次の瞬間あなたの頭の上に隕石が確実に降ってくる」と想定して行動しなければいけないことになります

そんなことが起きる場合は、あらかじめ隕石が観測されるのではないかと思われますが。観測ができないとするならば、対策を講じるか、腹をくくるかを選択しなければならないでしょう。ただし、「不確実な現象」といえども、「ある日突然ゴジラが生まれて原発を破壊する」といった想定までは不要だと思われますが。

>竹中氏の主張にYesともNoともおっしゃらず、ただ、「ひとつの目安」としての妥当性、についてのみ。あなたのおっしゃる「ひとつの目安」って具体的にどのレベルの目安なんでしょうか?

上の方のコメントに
『少なくとも、「正解は1%から10%の間ぐらいだろう」と「桁」を見積もる程度の試算と心得れば、十分に役立つものなのです。』
と書きました。この「レベル」の目安です。

>これがはっきりしないことには反証可能性のない非科学的な議論しかできないような気がしてきました。

そこにご興味があるということはつまり竹中氏の「算数」が近似としてどの程度妥当性があるか、という数学的議論をしたいというようにお見受けできますが、しかしそうおっしゃる割には、あなたが私に反論なさるポイントはことごとく「2.9%は高いか低いか」という「価値判断」の話です。

違います。私は「価値判断」の話をしているのではなく、竹中氏の「算数」が正しいかという「事実」の話をしているのです。「価値判断」の話は科学的に議論することができません。「生き残れば1億円やる」といわれてロシアンルーレットをやるのが正しいか、ということを科学的に議論することはできないのです。「命」よりも「金」や「スリル」に価値を見出すことが正しいか否か、そんな話は科学ではあり得ません。

>>「見積もる」までもなく、本当の「ワーストケース」は「必ず今すぐ起こる」でしょう
>そのとおりではないでしょうか?

であれば、竹中氏の「算数」は正しい、と主張している私に反論しても全く無意味ではないでしょうか?その見積もりが合理的であるとお考えになるならば、「竹中氏の『算数』が正しかろうが正しくあるまいが浜岡即刻停止は正しい」という結論にならざるを得ません。つまり、私の元々の話はあなたのご興味と関係のない話です。にもかかわらずなぜ反論なさるのですか?

>そんなことが起きる場合は、あらかじめ隕石が観測されるのではないかと思われますが。

できるとは思いませんが、それならば「あなたの足元に活断層ができて飲み込まれる」でも「車にはねられる」でも「通り魔にやられる」でも何でも構いません。とにかくあなたが普段からそういう「ワーストケース」を想定して行動なさっているのならば、確かに浜岡原発にも同程度のものを求めることは「あなたの」価値判断としては合理的といえるでしょう、とは思います。ただし他の人がそれに同意するかとなるとまた別問題です。

一技術者殿

>> (1)に関してですが、30年間で87%というだけで他の条件がなければ、一技術者殿のおっしゃるように1ヶ月あたりの発生確率は30年間で同じと仮定することは妥当だと思います。

>そして竹中氏の発言はそういう趣旨です。

  竹中氏の発言の趣旨はこのこと(月あたりの発生確率が同じと仮定することやそれに基づく確率値)ではなく、このことに基づく浜岡原発の停止への批判です。
私が批判するのも竹中氏がこの値を根拠に原発の停止を批判している点です。(もし竹中氏が”月あたりの発生確率が同じと仮定すると1ヶ月あたりの発生確率は0.8%です”とだけ述べて浜岡原発の停止について何も言及していなければ、私も一技術者殿の仰るように問題ない内容だと思います)


>正確には、「他の条件については詳細がわからないので無視する」という荒っぽい丼勘定をした、ということです。
これは科学的思考法として極めて標準的なものである、というのが私が言わんとするところです。

ある値の事象がある確率で発生するとき、その事象の評価は発生した時の値と発生する確率の積である期待値に基づいて行うのが極めて標準的な科学的思考法だと思います。それを竹中氏のように(期待値ではなく)発生時の値を無視して確率値だけを根拠に評価するのは、科学的思考法としては極めて異例(非標準的)です。
竹中氏の発言の趣旨は、それ自身は正しいが結論の根拠となり得ないことから結論を導いているという点では、”1+1は2だから、浜岡原発は停止すべきでない”と言っているのと同じです。

>竹中氏の発言の趣旨はこのこと(月あたりの発生確率が同じと仮定することやそれに基づく確率値)ではなく、このことに基づく浜岡原発の停止への批判です。

そのことは承知しています。が、私のコメントは、いわば「誤字脱字」の指摘のように、初歩的な「事実誤認」を指摘したにすぎません。それを「お前は竹中を擁護するのか」という風に噛みつかれてもそれはお門違いであるとしか言いようがありません。まして、この記事本文になかった論旨を持ち出して「だから竹中は間違っているのだ」と説かれても「そんなことは訊いていません」としか言いようがないのです。

>私が批判するのも竹中氏がこの値を根拠に原発の停止を批判している点です。

「あなた」はそうかもしれませんが、hamachan先生は「この記事では」そう書かれていませんし、私は「あなた」を批判したわけではありません。

>ある値の事象がある確率で発生するとき、その事象の評価は発生した時の値と発生する確率の積である期待値に基づいて行うのが極めて標準的な科学的思考法だと思います。

話がずれています。私はそれ以前の段階の「確率の評価」のところの話しかしていません。何度も言うように、そうやって近似的に求めた確率をもとにリスクをどう評価するかというのはまた別の問題であり、それについて私は「ノーコメント」です。

>竹中氏の発言の趣旨は、それ自身は正しいが結論の根拠となり得ないことから結論を導いているという点では、”1+1は2だから、浜岡原発は停止すべきでない”と言っているのと同じです。

その比喩で言うのであれば、私のコメントの趣旨は、「hamachan先生が『1+1は2ではなく10ではないか、竹中は笑止だ』だと書かれているのを見て、『先生、今は二進法の話をしているわけではありませんよ』と指摘した」というようなものです(と、無用にこうやって引き合いに出すのが心苦しいのですが……。私はhamachan先生を敵視しているわけでもなんでもありません。念のため。他の記事におけるhamachan先生の竹中批判にまで私は疑問符を付けたつもりはありません)。

というかですね、もういい加減疲れてきたので本音をぶっちゃけますと、竹中氏とか原発とかでうかつに賛否を表明しようものなら無用な争いに巻き込まれることはわかっているので私は敢えてそこは「ノーコメント」を通しているわけでして、「竹中は批判されるべきだ、さあ批判しろ」と迫られても「お断りします」としか言いようがないのです。そうやって二者択一を迫られること自体が私は嫌いなのです。ご理解下さい。

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