(三流の)ジャーナリストと(普通の)科学者の考え方の違い
本ブログで何回も取り上げてきた非国民通信さんの最新のエントリ(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/6fb88fa8490ac7607cdbcbf43b174f1f)経由で、たいへん真実を言い当てたとぎゃったを見つけました。
http://togetter.com/li/118023(keigomi29氏「(三流の)ジャーナリストと、(普通の)科学者の考え方の違いを揶揄的にまとめてみる。」)
以下にそのまま引用しますが、あらかじめ念のため申し上げておきますと、ここでいう「(三流の)ジャーナリスト」と「(普通の)科学者」というのは、あくまでもその人の精神構造の類型であって、その人の所得がいかなる源泉から生じているかとは直接関係ないと考えるべきでしょう。
新聞記者でも立派に「(普通の)科学者」の精神を持っている方もいらっしゃいますし、某大学教授の肩書きを振り回しながら、「(三流の)ジャーナリスト」以下の精神水準を露呈し続けておられる方もいるわけで。
【0】地震以来、いわゆる「ジャーナリスト」の人のいうことが、どうしてこんなに違和感があるのだろうと、バスを降りてから自席につくまでに考えた。ジャーナリストにも色々な方がいらっしゃるので失礼のないよう(三流の)ジャーナリストと、(普通の)科学者の考え方の違いを揶揄的にまとめてみる。
【1】 (普通の)科学者は自説を否定する事例を探す。 (三流の)ジャーナリストは自説を補強する事例を探す。
【2】 (普通の)科学者は反例が見つかると自説は否定されたと考える。 (三流の)ジャーナリストは反例を気にせず自説は証明されたと考える。
【3】 (普通の)科学者はひとつの例では不安である。 (三流の)ジャーナリストはひとつ例が見つかれば大満足である。
【4】 (普通の)科学者は事実から論理を導き出す。 (三流の)ジャーナリストは論理にあう事実を見つけ出す。なければ創り出すこともある。
【5】 (普通の)科学者は相関関係が因果関係かどうかを考える。 (三流の)ジャーナリストは相関関係は因果関係だと考える。ただし因果の方向は任意である。
【6】 (普通の)科学者は抽出した標本が母集団を代表しているかどうかを考える。 (三流の)ジャーナリストは取材した対象が母集団を代表していると思いこむ。
【7】 (普通の)科学者はどの程度確かなのかを考える。 (三流の)ジャーナリストは絶対確実か絶対間違いだと考える。
【8】 (普通の)科学者は見つからないものはないのかもしれないと考える。 (三流の)ジャーナリストは見つからないものは隠されていると考える。
【9】 (普通の)科学者は誰の話を聞いても本当かどうか考える。 (三流の)ジャーナリストは話を聞く前に本当かどうかを決めている。
【10】 (普通の)科学者は話を聞いて理解できないのは自分の知識が足りないからだと考える。 (三流の)ジャーナリストは話を聞いて理解できないのは相手の説明が下手だからだと考える。
【11】 (普通の)科学者は分からなければ勉強する。 (三流の)ジャーナリストは分からなければ説明責任を追及する。
【12(了)】 (普通の)科学者は量と反応の関係を考える。 (三流の)ジャーナリストはあるかないかだけが問題である。
ジャーナリストと名乗っている三流のジャーナリストはまだいいのです。
世に害悪を流すのは、大学教授という肩書きを貼り付けて上記三流のジャーナリスト的思考様式を世に垂れ流す人々の群れ。
その実例は、本ブログにもその引き連れてきたイナゴの大群とともに記念碑として残っておりますな。
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