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2011年5月 5日 (木)

経済学は「子どもが扱うと危険な刃物」、社会学は「殺人鬼が振り回しても誰も怖がらないおもちゃ」

dongfang99さんの日記に、あまりにも言い当てすぎていて絶句してしまう言葉があったので、そのまま引用。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110429全く信用できない

>社会学はある種の経済学者ほど視野狭窄で傲慢ではないけど、どうにでも解釈できるような表現を濫用する人があまりに多すぎる。社会学というのはそういうもんだと言われてしまえば、そうかもしれないという気はするが。

経済学は「子どもが扱うと危険な刃物」と以前に表現したことがあるが、社会学って「殺人鬼が振り回しても誰も怖がらないおもちゃ」みたいなところがある。まあ、ちょっと言い過ぎかもしれないけど。

ご本人が「どうでもいい話」と言ってるのをわざわざそこだけ持ち出すのはいささか悪趣味ではありますが。

ちなみに、経済学についてのdongfang99さんの批評についてかつて取り上げた本ブログのエントリ:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-f196.html(経済学は「子供に持たせてはいけない刃物」)

>>経済学というのは「子供に持たせてはいけない刃物」のようなところがあり、貧困に対する素朴な憤りから出発したはずが、経済学を通過すると、結果的に貧困者の頬をひっぱたくような結論になってしまうことがしばしばある。

>いやあ、確かに、あれやこれやの実例を見るにつけ、うまく使えばいい料理になるはずなのに、ガキが刃物を振り回している状態になっている「ケーザイ」学の魔法使いの弟子たちが(とりわけネット上に)うようよいて、頭が痛いところです

(追記)

やや誤解を招きかねない表現ですが、社会学一般を貶す意図ではありません。とりわけ、さまざまな分野の社会学的実証研究は、理論の暴走を止めるという意味でもきわめて重要だと思っております。ただ、実証の欠けた「理論」経済学が刃物になりがちであるのに対して、実証をスルーした「理論」社会学がおもちゃになりがちという趣旨ですので、ご理解のほどを。

いくつか本ブログで触れたエントリを:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-bbeb.html(ひとりごと(他意なし))

>法律学はリアル世界からの一つの抽象。

経済学もリアル世界からの一つの抽象。

抽象と抽象を絡み合わせたからといって、フルーツフルとは限らない。

法律学は、経済学者が「そんなもの要らねえ」と捨象したものから抽象し、

経済学は、法律学者が「そんなもの要らねえ」と捨象したものから抽象し、

お互いに、大事なことを捨てて要らねえものを大事にしているように見える。

その結果、「法と経済学」はただの悪口の言い合いになる。詰まらない。

必要なのは、まずはリアル世界をリアルに認識すること。

広く言えば社会学、労働問題について狭く言えば労使関係論とか労務管理論といった、現実にベタに張り付き、あんまり抽象理論的じゃない学問の存在理由ってのは、たぶん、そのへんにある。

だから、社会学「理論」なんてのはそもそも矛盾してんだよね。

とか言ったら叱られるかな

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-d685.html(ほとんど絶望的に・・・)

>わたくしは教育社会学方面じゃないし、既にあちこちに無用に敵を増やしているので(笑)、森さんに却下された部分を再現しておきますと、

>ほとんど絶望的に歴史的パースペクティブも現代的問題意識も欠如した「理論系」研究者って・・・・、理論のための理論。好事家の自己満足・・・・・・・。

まあ、教育社会学方面はよくわかりませんが、労働研究についても、確かにこういう3つの傾向は感じられます。

それとも、アクチュアルな問題意識に根ざし、深い歴史的パースペクティブに裏打ちされ、理論的にも見事に説明能力のある研究、なんてのは、知的で誠実なナチスみたいなものなんでしょうか

ちょっと違った観点から:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-3c35.html(熟練の社会的構成)

>何か誤解があるといけませんので念のため申し上げておきますが、私は理論社会学に意味がないなんて一言も言っていません。むしろ、ビビッドな現実感覚と一見抽象的に見える理論社会学をスパークさせると、実に興味深い視界が開けることがあります。

その一つの例が、おそらく一部からは現実離れした理論と思われているかも知れない社会的構成主義が「熟練」「技能」という概念に対して持ちうる意味です。

・・・・・・・

>元論文で引用されている英文の論文の題名などからすると、結構ソーシャルコンストラクショニズムの労働関係への応用というのが盛んなようですね。

日本でこういう議論がされないのは、個別的にはもちろんそういう制度的熟練が社会的に存在しないからではあるんでしょうが、そもそもとして、抽象理論をやる人は抽象理論に専念し、労働関係などという下世話な話に応用しようとしないという事情もありそうな気がします。

(再追記)

dongfang99さんご自身による追記:

>追記。やはりこれは言い過ぎで、断っておくと、あくまで10年ぐらい前にメディアで流行した社会学者さんたちをイメージしたものである。むしろ、理論社会学会の中心にいる人たちの中には、ハードな階層問題や社会保障問題に造詣の深い人も多い印象がある。むしろ最近心配なのは、ネット上などで経済学という切れる刃物を、おもちゃのように論じている人が多くなったこと。自分も反省しなければいけないけど

ということですので、「10年ぐらい前にメディアで流行した社会学者さんたち」に該当される方々以外は、あまり気にされる必要はなかったようです。

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コメント

先日はご言及ありがとうございます。

それにしても、研究上も、教育上も、大変に耳の痛い話です…

おそらく、五十嵐さんのツイートを流し読みしただけでは、見た人にこの問題構造が伝わらなかったからではないかと思います。
私のエントリはリンク先を引用してまとめただけですが、「東電を叩けば現場の作業員が苦しむという構図」というタイトルで問題意識がダイレクトに伝わったのでしょう。

イギリス社会学の勃興と凋落―科学と文学のはざまで
A.H. ハルゼー (著), A.H. Halsey (原著), 潮木 守一 (翻訳)

という本があるようですね。
「日本社会学の勃興と凋落」という本もいずれ出版されるかも・・・

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