「国が負担する」とは「国民全体がその費用を出し合う」ということ
今次東日本大震災の被災県で日夜奮闘されている地方公務員マシナリさん(実際、「ほとんど家にいない」状態のようです)が、久しぶりにエントリをアップされています。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-449.html(それぞれの役割)
論点は3つ。まず、震災から1か月が過ぎ、そろそろ「非常時のプロフェッショナル」から「平常時のプロフェッショナル」が必要となりつつあるということです。
そこで、
>となると、当然、そのプラスアルファの部分の作業に当たるマンパワーが必要となるわけですから、被災地以外の同業者による同業者の事業への支援が決定的に重要となります。公務員の世界では、全国知事会や全国市長会が率先して職員を現地に派遣する取組を始めていますが、民間の事業者におかれても、ぜひ被災地の支援のために人員をご提供いただくようお願いいたします。
2つめはある意味でそのコロラリーですが、とりわけ「労務管理のプロフェッショナル」が必要だという話。
>CFWの取組のように、被災された方にそれらの業務に従事していただき、賃金を得ながら自助による生活再建に取り組んでいただくためには、これらの労働需要と被災者の労働供給をマッチングさせ、かつ現場の労務を管理しなければなりません。
>・・・CFWの取組がどの程度機能するかは、こうした労務管理や賃金管理を円滑に進めることができるかに大きく依存すると考えますので、前回エントリのとおり、人材ビジネスの分野からもご協力をいただけるとありがたいです。
労務管理という「平常時のプロフェッショナル」が平常ではない状況で緊急大量に必要となるということですね。
最後に、「国と都道府県と市町村と公共事業体が提供する公共サービスは不可分」というタイトルで、もう少し刺激的なことを仰ってます。
>「国」というのがその国民が支払う税金によって運営されるものである以上、「国が負担する」ということは「国民全体がその費用を出し合う」ということにほかなりません。この点において、リフレ派と呼ばれる方々の一部には「復興税なんてけしからん。国債の日銀引き受けでデフレも克服して一石二鳥」という議論もありますが、誰が引き受けようとも国債は日本国民が総体で負担することに変わりないはずですから、復興税のみを否定する論拠にはならないように思います。議論すべきは復興税と長期国債発行の適正な規模とその支出先をどうするかであって、財源論がそれに先行すると議論のリソースが非効率に配分されてしまいます。国債の日銀引き受けの実現にのみ効用を見いだす方ではなく、災害復旧によって生活再建しようとする方の効用を最優先にしなければなりません。
まことに、この単純な真理から目をそらしたがる人々の多さには驚かされます。
おそらく、最大限同情的に解釈したとして、今のリフレ派の議論に何らかの正当性があるとしたら、今現時点で増税することが「景気」という(国民全体の福祉に関わる)公共財を毀損する恐れがあるからやらない方がよい、という趣旨なのでしょう。そこには確かに一理あります。
しかし、その一理が人を説得できる場合があるとするなら、それはまったく同様に地域経済を支えるさまざまな公共施設や公共サービスもまったく同様に公共財であり、それはまさに国民全体がお金を出し合って支えなければならないということを明確に言明する場合だけでしょう。つまり、「景気」という公共財だけが全員で負担すべき公共財であり、それ以外のいかなるものの公共性を認めないというような思想ではないことが必要です。
残念ながら、いわゆるリフレ派の人々の行動様式を見る限り、大震災が起こる前からひたすらみんなの税金で支える公共性を目の仇にして減税ばかりを唱える(あたかもアメリカの共和党のさらに急進派であるティーパーティの如き)人々とばかり極めて親密な関係を創ってきているように見えます(もちろん、すべてとはいいませんが)。
そういう公共性一般を敵視しながらなぜか「景気」についてだけは公共性を強調する人々は、多分、今現在の増税を経済理論に基づいて否定するという顔の裏側では、いかなる状況になろうがイデオロギーに基づいて増税を否定するという本音が息づいているのでしょう。
なお、最後のパラグラフで、地方分権問題にコメントしていますが、
>なお、前々回エントリで拙ブログには珍しく地方分権を推進するようなことを書きましたが、もちろんナショナルミニマムを確保し、公共サービスのネットワーク外部性に配慮するのは国の役割です。日本においては市町村が公共サービスの主体的な担い手になっていますが、都道府県は市町村より広域での公共サービスを効率的に供給しなければなりません。つまりは、それぞれの公共サービスが一体となってその住民の生活を保障しているわけであって、住民の個別具体の状況に応じてその利用の仕方が異なるというのが実態です。90年代以降の政治状況はこれらの公共サービスを切り分けることに精力を費やしてきましたが、災害復興においても行政不信をテコにそれらを対立させるのではなく、行政の機能を再認識して国と都道府県と市町村を有機的に結合させていく契機になることを願ってやみません。
全く同感ですが、むしろわたくしは今次震災を受けて、地方分権大いに結構、という気がしてきました。もちろん、必要なリソースを全国から集めて注ぎ込むという中央政府の役割を前提にしてですが。
被災地の実態からものごとを考え始めるのではなく、震災があろうがなかろうが常に主張したくて仕方がない自分たちの「正義」をわめきたてることにしか関心のない中央レベルの人々に比べれば、現場から発想する地方レベルの人々に任せた方がよっぽどいいのじゃない?といういささか皮肉な気持ちが湧いてくるのを抑えきれません。
(追記)
このエントリに対するはてぶコメントをきっかけにした一連のつぶやきがとぎゃられていたようです。
わたしも一応きっかけを作った人らしいので(笑)。
http://togetter.com/li/125580?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter(リフレ派の政治戦略の拙さに関する雑感)
« 「派遣・請負銀座」を直撃した大震災 | トップページ | 今は被災地で雇用政策を言っている場合ではない!? »
「とにかくリフレは嫌」としか読み取れませんでしたが・・・
こちらの記事内容についてコメントいただければありがたいです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2463
先生ほどの方が、なぜ専門外のことにこだわられているのかが理解できません。景気と労働環境、ひいては労働問題が密接に関係するからでしょうか。
投稿: おおむら | 2011年4月18日 (月) 22時27分
どうしてこのエントリが、そういう風にしか読み取れないのか不思議です。ぶくまでも似たような反応がありますが、リフレ賛成かリフレ反対という二値論理だけで判断する方が多いようです。
上にも明記してあるように、わたしは「今のリフレ派の議論に何らかの正当性があるとしたら、今現時点で増税することが「景気」という(国民全体の福祉に関わる)公共財を毀損する恐れがあるからやらない方がよい、という趣旨なのでしょう。そこには確かに一理あります。」と述べています。
景気以外の公共性を否定するような議論(それをわかりやすく「りふれは」などとわざと書いたりしているのですが)の横行に愉快ならざるものがあるからこうして論じているのだということに理解が及ばないとすれば、それはすでに「リフレがトッププライオリティでなければ許さない」という誰かさんの域に近いといわざるを得ません。
>先生ほどの方が、なぜ専門外のことにこだわられているのかが理解できません。
いや、まさに専門の労働問題の意義に関わる問題だからこだわっているのです。
そうでなければ、純粋に金融論だけを論じて例えば労働政策を否定するようなことを言わないのであれば、こだわる必要などはじめからないのです。
ということを、山のように繰り返してきているのに、未だに「とにかくりふれが嫌」としか読んでいただけないというこの二値論理の恐ろしさに改めて愕然とします。
わたしが批判しているのは、上に書いたように
>公共性一般を敵視しながらなぜか「景気」についてだけは公共性を強調する人々
なのであって、いや、自分は「景気」の公共性も、税金で賄われる各種政策の公共性もどちらも大事だと思っているよ、という人は、私の文章にいらいらする必要などはじめからありはしないのです。
いらいらするとしたら、その人はいつでもどこでもどんな状況でも常に増税はけしからんものであり減税のみを追求すべきと考えている人でしょう。そういう人なら、いらいらしても当然です。そういう人をいらだたせるために書いているのですから。
投稿: hamachan | 2011年4月19日 (火) 00時21分
引き続き拙ブログをご紹介いただきありがとうございました。
私のつたない文章ではなかなかコンパクトにまとめられなかったことを的確に文章化していただいたと感じております。
景気を公共財としてとらえる議論は、いわゆるリフレ派の論客である稲葉先生が『経済学という教養』の第8章で展開されていたはずですし、私自身もこの議論に触発された部分は多々あるのですが、いわゆるリフレ派の一部の方々が「増税は経済成長を阻害する」というただ一点のみをもって、その税金によってしか賄われない公共財を攻撃することに常々違和感を感じていたところです。
「デフレ下で増税なんてとんでもない」という議論をされる方にすれば、税金で賄われる公共財なぞには貧乏人を養う以上の意義は見いだせないのではないかと感じます。被災地では生産手段が失われて生活基盤が破壊されており、語の定義において貧乏人が大多数となっている被災地を目の前にして、公共財を確保するための増税を厭うのであれば、それは経済成長重視を隠れ蓑にした増税忌避のイデオロギーというべきなのかもしれません。
私自身は拙ブログで書いたとおり、増税と長期国債発行を適切な規模とタイミングで組み合わせる必要があると考えておりますので、国債発行までを否定するものではありません(それを日銀引受に限定する必要性については疑問ですが)。ところが、一言でも「増税」なんて口にした瞬間に、いわゆるリフレ派の方々が容赦ないバッシングを浴びせかけるという状況を拝見するに、ある種のイデオロギーを感じてしまうのですが被害妄想でしょうか。
なお、地方分権についてのご指摘については、そのような皮肉な状況があるとは思うのですが、現地の自治体や住民からすれば「早く国に復興ビジョンを示してほしい」という声も多く聞かれるところです。むしろ、「必要なリソースを全国から集めて注ぎ込むという中央政府の役割を前提」という段階ですでに意思統一が図られていないのが現状で、その意思統一を阻むものが増税忌避イデオロギーを内に秘めた公共財に対する攻撃ではないかとも思います。
投稿: マシナリ | 2011年4月19日 (火) 02時03分
dongfang99氏の表現を借りると”両者に共通する、「増税しないと財政破綻」「増税すると大不況到来」という、終末論的な語り口”
という奴の後者ですね
民間にできることは民間にと称して実は民間にできないことまで民間に、(&官僚憎しの盲目的地方分権主義)というタイプの高橋洋一~渡辺喜美型リフレ派は実際には一部だと思いますが、同じ穴のなんとか的な側面を
投稿: 匿名 | 2011年4月19日 (火) 06時28分
ご返答ありがとうございます。
不明をお詫びいたします。
さて、高橋洋一氏の増税批判は、「何はともかく増税」という動きを批判しているものと理解しております。
また、そこで労働政策を否定してはいないと思うのですが…。
労働政策には財源の問題がついてまわるのは当然です。
問題はそれをどのように調達するか?です。
財源調達方法は増税ではなく、即座の景気悪化を招かない国債の日銀引受によるものがよかろうというのが高橋洋一氏の主張と思います。
いわゆるリフレ派的見解では、景気が悪いあいだは政府日銀が赤字を引き受け、景気回復後に税収増&増税で長期的財政収支を合わせることが狙われているはずです。
労働政策を否定した人が不見識である点、疑問の余地はありません。不景気で職を失うという悲劇をなくすのは当然の前提として、その上での諸問題に取り掛かっていく、その正当な流れが出来ていけばよいと思っています。
投稿: おおむら | 2011年4月19日 (火) 19時43分
増税はお金の流通量が変わらないのでほっとけばデフレのまま
日銀引受は流通量が増えインフレになるからデフレ回避にもなり一石二鳥
・・・てのは浅い理解でしょうか?
投稿: kamata hiroshi | 2011年4月19日 (火) 21時14分
リフレとは、緩やかなインフレのことです。
インフレは、乱暴に言えば国が金を刷ると起きるものです。
国が刷った金の分だけ、国民の持つ金の価値が下がります。
このようにして、国民から国へと富が移転します。
だから、リフレにも税と同じく国民負担が存在します。
必要ならば、国は刷った金で公共財を賄うこともできます。
無論これのみで公共財の全てを賄えるとは思いませんが。
投稿: yama | 2011年4月20日 (水) 00時06分
震災の被災者を国民全体でサポートしようということに反対する人はいないでしょう。
ただ、「国民全体がその費用を出し合う」という美辞麗句に込められた政治的な思惑に対して、疑いを持たざるをえません。
そもそも、復興構想会議の五百旗頭議長が議論も始まる前から、復興増税を提案するというのもおかしな話です。この発言に対して、さすがに岡田幹事長も不快感を示しました。経済の専門家でもない五百旗頭議長が議論がこのような発言をするのは、誰かが言わせているのでしょう。
財務省あるいは日銀は復興増税を提案していますが、彼らの増税路線は今に始まったものではありません。彼らの関心は国債を低金利に抑える(国債価格の下落を防ぐ)ことにあります。しかし、日本における長期金利は1.5%以下と世界でも最低の金利水準を長きにわたって維持しています。リフレ派は金利の低水準が日本の異例なデフレの原因であると指摘しています。
日本の国債は95%以上が日本人の所有によるものです。国民の預貯金を銀行や生命保険会社が国債で運用しています。国民は預貯金を銀行や郵貯にほとんどゼロ金利で預け、銀行や郵貯は1.5%以下の国債で運用しているから、銀行や郵貯は利ざやを稼げるのです。ここで問題なのは、政府が金融機関に対して国債の消化を引き受けさせてきた(護送船団方式の名残)ということです。だから、日本の国債は95%以上もが国内で消化され、これだけ低金利なのです。また、国債の金利が上昇(国債の価格が下落)すれば、金融機関は損をすることになり、金融機関は国債の購入を控えることになるでしょう。だから、財務省あるいは日銀は金利の上昇を恐れるのです。
日本経済が、財務省、日銀、金融機関の身内の論理で動いてきた構図は原子力村の構図とよく似ています。金融関連のレポーターは日銀の出身者が多く、金融村のスポークスマンでもあります。学会も金融村の影響下にあります。金融は、「将来の予測」で動く世界であるだけに、彼らの影響力が大きいのです。
震災からの復興にあたって、国民は増税も甘んじて受けるでしょう。しかし、国民の善意に訴えながら、世論の誘導を図ろうというやり方には反感を覚えます。筆者の邪推であることを望みます。
投稿: hiro | 2011年4月20日 (水) 00時42分
おそらく、短期的には景気という公共財への悪影響を考えて増税ではなく国債発行でつなぎながら、中期的に社会全体で負担すべき復興コストを何らかの税金で賄っていくというのが、ものごとを複眼的に見ることのできる人々の間ではある程度成り立ちつつある共通了解なのだろうと思います。
日本のリフレ論者の中では人格円満にして見識も高いといわれる飯田泰之さんが、「VOICE」誌で、
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110413-01-1401.html">http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110413-01-1401.html
>そこで本稿で提案したいのが、二つの懸念に対する短期・中期・長期のリレー方式での対応だ。
>短期的な消化の困難を緩和するために、当初の10兆円から15兆円の公債は日銀引き受けにより行なう。・・・
>しかし経済の回復だけで、今次の復興に必要な財源の充足、さらには恒常的に劣悪な財政事情が解決されるわけではない。そこで来年度以降に要されるのが、景気にマイナスではない増税としての相続税である。・・・
>短期的には日銀引き受け、中期的には相続税といった「露払い」を経て、ようやく財政再建の本丸である消費税・所得税・社会保障の一体改革に進むことができるのではないだろうか。筆者は、増大する社会保障費の負担に応えるための増税は不可避であると考えている。・・・
と述べています。
相続税に限らず、所得税など既存のさまざまな税制が検討されてよいと思います。
この点、震災前には社会保障財源に充てるという了解の上で進んできていた消費税率の引き上げの話が、震災対策に流用するという話になりつつあることには、わたくし自身いささか釈然としないものがあります。
飯田さんの言う「今次の震災を奇貨として財政再建のための増税を推進」するという考え方には、税金は使われ方こそが何より重要という立場からは違和感を感じます。震災で消費税率を上げられてしまったら、その後、本丸のはずの社会保障に充てるべきお金はどこに求めるのでしょうか。おそらくこの点でも、
>筆者は、増大する社会保障費の負担に応えるための増税は不可避であると考えている。
と述べる飯田さんと、それほど認識の違いはないようにも思われます。
問題は、このように短期、中期、長期の課題と腑分けすれば冷静な議論ができるはずなのに、いたずらに中期や長期における税負担すらも完全否定する勢いで金切り声を上げるタイプの方々が散見されることです。
その方々が単純に愚かであるにすぎないという侮辱的な前提に立たないとするならば(つまり一定の合理的知性を備えていると前提するならば)、それを合理的に説明できるのは、彼らが(景気という公共財に悪影響を与えないような)中期的、長期的にも負担を税金で分かち合うという発想自体に敵意を持っているからではないか、と疑われるのは不思議なことではないと思います。
投稿: hamachan | 2011年4月20日 (水) 15時09分
http://www.boj.or.jp/announcements/press/kaiken_2011/kk1104b.pdf
>この点に関する法的な取り扱いをみると、欧州では、中央銀行の国債引受けが明示的に禁止されているほか、新興国を含め世界の多くの国で、中央銀行による国債引受けは認められていません。わが国でも、財政法第5条が本則で日本銀行による国債引受けを禁じています。 このような取り扱いは、いったん中央銀行による国債引受けを始めると、初めは問題はなくても、やがて通貨の増発に歯止めが効かなくなり、激しいインフレを招き、国民生活や経済活動に大きな打撃を与えたという歴史の教訓を踏まえたものだと思います。
このように通貨に関する基本原則が世界的に確立されている中で、日本銀行による国債引受けが行われると、わが国への信認、通貨への信認自体を毀損することになります。こうした通貨への信認の毀損は、長期金利の上昇や金融市場の不安定化を招き、現在は円滑に行われている国債発行が困難になる惧れもあります。
政治が通貨への信認を保つための強いリーダーシップを発揮しない限り、日銀が通貨への信認を毀損するリスクを重視して国債の引き受けを拒否するのは当然だと思います。もし引き受けさせるなら、消費税を10年以内に15%に引き上げると法律に書き込むくらいのことをしないとダメでしょう。実際、日銀の国債の引き受けのうわさが出ただけで金利が上昇しそうになったそうですし、増税が政治的に非常に難しい現状では、一旦政治家がうまみを知ると歯止めがなくなってしまうのは目に見えています。りふれはの皆さんはそのようなことをしなくてもインフレはコントロール可能で、かつ経済に重大な影響を及ぼさないことを前提としているように思えます。
投稿: dermoscopy | 2011年4月21日 (木) 01時26分