事後の解釈法学と事前の実務法学
昨年10月に中央大学で開かれた大会の報告とシンポ記録がメインです。左の写真にあるとおり、「雇用平等法の新たな展開」というテーマで、そのときの本ブログのエントリでは、野川忍先生のつぶやきも載ってますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-a7ec.html
このときのシンポジウムでは、わたくしも質問をしておりますので、わたくしの質問を司会が読み上げているところとわたくしの発言部分だけ、ここに引用しておきます。緒方さんと渡辺さんの回答が読みたい方は、是非学会誌でお読み下さい。
>■浅倉(司会)・・・次の質問は、濱口会員からです。これは、もしかしたら渡辺報告と大きく絡んでくると思います。均等に取り扱う場合に、優遇されていた人を引き下げる場合もあり得ます。使用者が格差是正を目的として、正規の労働者を不利益に変更した場合、合理性の判断基準をどうするのかという点についての質問が出ています。この二人の質問については、緒方さん、お願いします。
■緒方(広島大学)・・・・・・
■濱口桂一郎(日本労働政策研究・研修機構) JILPT(労働政策研究・研修機構)の濱口です。基本的な問題意識として、ものごとが起こってから事後的に裁判所でどう救済するかという話だけでこの問題を論じられるのか。そもそも労働法学というのは、事後的な処理をするだけのものなのか、それとも事前的な対応まで考えるものなのかという議論にも至ると思います。
私の問題意識は、差別された非正規労働者が訴え出るという事態にならないように、企業側が現にある差別的な待遇を事前に変えようとして、非正規の引上げとともに正規の引下げを行う場合に、それが正規労働者側から不利益変更として訴えられるというのでは、規範と規範がぶつかってしまいます。そうすると、裁判所の判決が出るまで、どちらが正しいかわかりません。
そうなると、企業側に差別を是正しようという意図があってもやりにくいということになります。つまり、企業によるプロアクティブな是正を困難にしてしまうことが基本的な問題です。結局は合理性の判断ということになりますが、それも、判断基準が不明確です。少なくとも事前的には全然明らかではありません。裁判所に持っていかなければどうなるかわからないというのでは、是正のしようがありませんから、事前的に明確なかたちにすべきではないかという問題意識なのです。労働法学は、裁判所に行ったところから話が始まる法解釈学であるだけではなく、現場で解決方向を指し示す実務法学でもあるべきだという問題意識から申し上げました。
私の質問の最初のところに書いたことですが、「差別問題あるいは均等問題は、三者問題である」。使用者と被差別者だけの関係ではなく、使用者と優遇者と被差別者の三者関係です。今までは、多数の優遇者を前提として、少数の被差別者をそれに合わせるという議論だけをしてきましたが、必ずしもそうではない状況が出てくると、初めから優遇者の引下げに踏み込んだかたちで議論をしていかないと、差別解消自体が不可能になるのではないかという趣旨で申し上げました。
ただ、実は、この質問は午前中の時点で書きましたので、午後に渡辺会員が、まさに、それに近い問題意識で報告されたので、若干それと重なったところがあります。のちほど渡辺会員からコメントいただければ幸いです。
・・・・・・
■石田(司会)・・・それでは、渡辺報告に関連して、直接の質問ではありませんが、先ほど濱口会員が・・・・・・
■渡辺(大阪市立大学)・・・・・・
■濱口(日本労働政策研究・研修機構) おおむね渡辺会員が答えられたとおりだと思います。必ずしも時間軸のうえだけではなくて、同じように差別的な扱いをしているA社とB社で、A社は、そのまま差別待遇を維持したために「差別だ」と言って訴訟を提起され、B社は、「差別だ」と言われたので、それを是正したところ、優遇者が訴訟を提起したというケースが考えられます。
先ほど、「二つの規範が衝突する」と言いましたが、単に時間軸の前と後だけではなくて、同じときに被差別者と優遇者の双方から、それぞれ別の規範に基づいて、問題が提起されることもあり得ます。むしろ、そちらを念頭において申し上げました。基本的な話の筋としては、今言われた通りです。
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