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2011年4月23日 (土)

NIRA『時代の流れを読む―自律と連帯の好循環―』

Nira NIRAといえば総合研究開発機構ですが、ここから最近公表された『時代の流れを読む―自律と連帯の好循環―』という報告書をお送りいただきました。

http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n110408_526.html

>本研究は、各国の制度・政策の変化の状況を踏まえ、われわれは一体どこに向かうのかを巨視的な視点から把握することを目的としたものある。具体的には、産業政策、金融規制・監督、高等教育制度、医療制度、年金制度の5分野について、「自律」と「連帯」を軸に変化を追った。ここでの「自律」とは、市場を通じて実現される自己決定のことを、また、「連帯」とは、リスクに対して複数の人が支え合うことで備えることを意味する。
各分野の制度・政策の変化を横断的にみると、連帯を通じて個人の自律が促されるような仕組みが形成される一方、自律した人にも連帯を促す仕組みが形成されるような制度設計がされていることが明らかとなった。つまり、自律と連帯の好循環が働くような社会を構築することが模索されているといえる

内容は次の通りですが、

序論
時代の流れを読む-自律と連帯の好循環-
神田玲子

第1章
経済危機後の新しい産業政策についての試論  
大橋弘

第2章
国際金融基準と各国の金融規制監督制度  
栗原俊典

第3章
金融機関の投資行動に対する規律付け
 -金融・資本市場における公正な価格形成確保の観点から-  
河村賢治

第4章
産業構造の変化と高等教育の役割  
新井泰弘、川口大司

第5章
熟議的・反省的医療政策に向けて
 -公平・質・効率・持続可能性と制度枠組み-  
松田亮三

第6章
私的年金制度の類型
 -年金制度における公私ミックスの方向性-  
鎮目真人

ここでは序論というより総論という感じの神田玲子さんの文章を紹介しましょう。

まず始めに、欧米の資本主義をエスピン・アンデルセンにならって自由主義、保守主義、社会民主主義という3つのレジームに分け、それらを市場の競争によって可能となる個人の「自律」と人と人との支え合いによる「連帯」の2つの原理の組み合わせで説明し、

>ここで強調したい点は、「自律」と「連帯」はトレード・オフの関係にあるわけではない、ということである。

そもそも「自律」と「連帯」はお互いを前提としている。自律できていない個人が集まっても、連帯することはできない。極端ではあるが、失業者の集まりでは、所得の再分配は不可能である。他方、連帯していなければ、自律することもできない。失業保険がなければ、今の仕事を嫌々ながら続けざるを得ない状況に置かれ、職業の選択を放棄せざるをえないためである。まさに他律の状況に陥る。

と、章のサブタイトルにある「「自律」と「連帯」の好循環」を説きます。

>好循環は2 方向からなり、1 つは「自律」すればするほど「連帯」を強くする関係であり、もう1 つは「連帯」すればするほど「自律」を強くする関係である。

ところが現在の状況は、

第1 の課題:市場リスク増大によって「自律」や「連帯」が困難となった「個」と「企業」

第2 の課題:「自律」を阻害する「連帯」制度

第3 の課題:高齢化による「連帯」制度持続の困難

という困難に直面していると述べます。

>現在の問題の所在は、「自律」と「連帯」そのものが困難となっていることに加え、「自律」と「連帯」が切り離されていることにある。こうした状況は政治の不安定化にもつながる。

これらに対する先進国の取り組みを、次のようにまとめます。

(1)「自律」と「連帯」の制度設計

先進国では「自律」と「連帯」の関係性を強めようという動きがみられる。これは、連帯から自律への作用と、自律から連帯への作用の2 方向からなる。

「連帯」⇒「自律」の制度設計

これに含まれるのが、「ウェルフェア・トゥ・ワーク」やアクティベーションや「メイク・ワーク・ペイ」といった、わたくしが結構熱心に紹介してきた政策群です。

「自律」⇒「連帯」の制度設計

これは、「社会的に困難な状況にある人に対しては、社会の構成員全員がその費用を負担することで社会に包摂しようという動き」を指します。

(2)国際協調による市場の規律の追求

ここには市場の規律を維持するための金融資本市場規制が含まれます。

(3)自律を支援するための国家の後押し

ここには産業政策や教育制度改革が含まれます。

以上を踏まえて、「自律」と「連帯」の好循環を強めるための制度設計を説くわけですが、特に日本の課題として、次のようにやや踏み込んだ議論をしています。

>そもそも日本には「自律」と「連帯」という考え方が根付いているのだろうか。個人が選択し、自己決定することに価値あるという共通の理解があるのか、また、社会民主主義のなかで醸成された「連帯」という考え方が共有化されているのか、ということである。

「会社人間」や「過労死」といった言葉からうかがえることは、企業に仕える他律的な人間像であり、また、会社組織内の同質性の高い集団に帰属する姿である。日本は戦後の混乱期をいち早く脱し、いわゆる「日本型経営」は欧米から高い評価を受けた。そこには、労使が一丸となって取り組む姿があった。しかし、近年の状況をみる限り、同質的な仲間うちの関係を重視して個人の自律性が確立されていないことがマイナスの影響を及ぼしつつあるように思われる。雇用形態の多様化は、本来であれば、選択肢を増やす意味で、プラスに受け止められるべき点も多いはずだが、「自律」ができていない社会においては、正社員以外の雇用者が増えることは日本企業の同質性を揺るがすことになったのかもしれない。これは、これまでの日本的な「個」と「社会」が、時代の流れのなかで挑戦を受けていることを示しているにほかならない。

グローバル化が進むなかで、日本的な「自律」と「連帯」の新しいあり方を模索しなければならない。それは、かつての日本社会に、ある種の郷愁をもって戻ることを意味しない。かといって、今回ここに取り上げたスウェーデンやアメリカ、フランスの中から1 つを選ぶということでもない。おそらくは、日本的な良さは、前項(1)で指摘した、「自律」と「連帯」の好循環が生まれる社会を目指すなかで見つけることができるだろう。

著者の物言いにやや絡むような皮肉な言い方をすると、戦後日本が造り上げた社会のあり方は、ある意味で「自律」と「連帯」が見事に好循環する社会であったといえるのではないかと思います。

企業組織や集団という複合主体レベルでの高い自律性と、その集団内部での深い連帯性が有機的に組み合わされた社会であり、それゆえに高いパフォーマンスも上げ得たわけで、それを別の自律と連帯の組み合わせの立場から外在的に批判するだけでは仕方がないとも言えます。

しかしながら、そのタイプの自律と連帯の組み合わせが社会の相当部分を覆いうるような条件が次第に失われてきたことが、現在の自律も連帯も乏しい状態をもたらしたのだとすれば、やはり内在的に問題を検討し直す必要があることもまた確かなのでしょう。

どういう方向へ?という問いに答えるべきは、これを読む読者一人ひとりであることだけは間違いありません。

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コメント

NIRAの研究報告書“時代の流れを読む”は「自律と連帯の好循環」という切り口から産業政策、国際金融基準、医療政策、等を論じている。

>「自律」とは、個人が自分の規範に従って自己決定することと定義され、他律(=他からの命令や束縛によって行動すること)とは反対の概念である。

>「連帯」とは、失業や病気などの一人では対応が困難な共通のリスクに対して複数の人が支えあうことで備えようというものである。

>そもそも「自律」と「連帯」はお互いを前提としている。自律できていない個人が集まっても、連帯することはできない。他方、連帯していなければ、自律することもできない。

「自律と連帯の好循環」というキーワードから、「複雑系における自己組織化」を連想した。複雑系とは多数の要素からなり、それぞれがランダムに振舞おうとするとき、要素間の相互作用が系の状態を律則するシステムである。

相互作用が弱すぎれば系の状態は“無秩序(カオス)”であり、強すぎれば“絶対的な秩序”にフリーズされる。情報工学における人工生命の研究者ラングトンは“絶対的な秩序”と無秩序の境界、「カオスの縁」と呼ばれる状態において、新たな構造が自己組織化され、人工生命が誕生する(コンピュータ上で)ことを確認した。

およそ、生命体は分子がバラバラに動く“無秩序(カオス)”状態にないこと、もしくは“絶対的な秩序”の状態にないことは直感的にも理解できるだろう。“絶対的な秩序”の状態は揺らぐことのない死の世界である。

「カオスの縁」において現れる自己組織化された構造は様々なサイズのクラスターからなるフラクタル(自己相似形)な構造を持つ。フラクタル構造では全体が自己相似な部分の繰り返しである。

社会システムにおいて「複雑系における自己組織化」を擬えると、「連帯」とは社会システムを構成する要素(個人あるいは企業)の相互作用(結びつきのルール)である。それぞれの要素がバラバラに(勝手に)振舞おうとするとき、要素間の相互作用が系の状態を律則し、適当なルールのもとで「カオスの縁」とも呼ばれる自己組織化が創発される。「自律」とは自己組織化で出現したクラスターの在り様である。

「連帯していなければ、自律することもできない」は「ルールがなければ、自己組織化が創発されることもない」と言い換えることができる。また、「自律できていない個人が集まっても、連帯することはない」は「適当なルールがあれば自己組織化された個人の集まりが形成される」と言い換えることができるだろう。

「複雑系における自己組織化」のアナロジーから、以下の推論が成立するように思える。

 市場のルール(連帯)がなければ、カオスである。
 上から与えられたルールからでは、自己組織化は創発されない。強すぎる規制(例えば護送船団方式的なルール)のもとでは「自律」はない。
 自己組織化された社会は、多様なクラスターからなる(ダイバーシティの存在)。強固な規制で得られるモノトーンな秩序にイノベーションはない。

NIRAの研究報告書に触発され、「自己組織化」および「経済」というキーワードでネット検索したら、クルーグマンによる「自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか」という本があることを知った。いずれ読んでみようかと思っている。

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