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2011年4月

2011年4月30日 (土)

Bloombergの記事に出ていました

4月26日付のBloombergの記事「Tepco Workers Agree to Up to 25% Pay Cut After Fukushima Nuclear Accident」に、わたくしの発言が引用されているのに気がつきました。

http://www.bloomberg.com/news/2011-04-26/tepco-workers-accept-pay-cuts-in-response-to-fukushima-crisis-union-says.html

>“Tepco is facing a situation that no other Japanese company has before,” said Keiichiro Hamaguchi, research director at the Japan Institute for Labor Policy and Training. “In tough financial situations, Japanese companies hold labor- management talks on wages. Companies normally prioritize protecting jobs.”

手帳を見ると、4月21日に電話取材を受けたものがこの日に記事になったようですね。

日弁連シンポ要録@『BLT』の中身

201104 雪降る聖バレンタインの夕べに、日弁連シンポジウム「どうする? これからの正規と非正規」に参加したことは、その日のエントリでお伝えしたところですし、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-d648.html(ホワイトバレンタインの日弁連シンポ)

そのごく簡単な記事が『労働新聞』に載ったこともすでに書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-0f18.html(日弁連非正規シンポジウム@『労働新聞』)

もう少し詳しくやりとりまで再現した記事が、1月前に出た『ビジネス・レーバー・トレンド』4月号に載りました。それが、次号が出たのでHPにアップされたので、ネット上でも読めるようになっております。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2011/04/048-051.pdf

この記事は、有期研報告の説明とシンポの実況と労使団体の意見書などを取り混ぜながら書き進めているので、シンポの実況の部分だけを以下に書き抜いていきます。発言者としては、やや違うというところもないではないですが、まあおおむねこんなやりとりではありました。発言者で色分けしてわかりやすくしておきます。

>パネルディスカッションでは、まず正規労働者と非正規労働者の均等・均衡待遇の捉え方について西谷教授が、「現行法制では全く不十分。正規・非正規を超えて処遇が均等でなければならないとの原則を法律で明記することが先決だ」と口火を切った。そのうえで、「日本では、何をもって等しい扱いを要求するのかがまだ十分詰められていないので、その実現にあたっては、『均等待遇』とはどういうことなのかの議論を詰める必要がある」と指摘。「『同一価値労働同一賃金』原則を基本的な方向としながらも、日本の伝統的な賃金体系を考慮せずに純粋に原則を貫くと家族手当などを支給していること自体が問題になりかねないので、『原則プラス合理的な賃金慣行』の内容を設定して、その実現を図っていくべきだ」と訴えた。

>西谷教授の均等・均衡待遇の考え方は、「労働の価値を客観的に分析・職務評価する」ことに加えて、「日本的賃金慣行に基づき、伝統的に取り入れられてきた年齢・勤続給、扶養家族手当、住宅手当などの属人給的なものに基づく格差は合理的な賃金慣行として是認する」というものだ。

>これに対し、濱口研究員は、「均等・均衡問題は非常に厳格な理想型を描いていて、それは日本では現実的でなく、できない」と主張した。「例えば、今年の経労委報告で期待や義務が違うとの指摘がある。中長期的にはそこも見直していくべきだろうが、当面の話としては、現実にそういう働き方があるのは事実。ならば、その基準に従って『これぐらい等しくないからこれだけの差が付いている』などといった議論をしてみたらいい」と語った。

>・・・ 濱口研究員の発言は、実際にそういった主張があるのだから、それに乗って議論してみるのも一策との発想から出された格好。「今の正規労働者と非正規労働者は土俵が全く違う。一方は基本的には年功的な生活給のなかで、形としては職能資格制度でやっているし、もう一方は外部労働市場で時給◯◯◯円などと決められているから接点がない。それをある程度前提にしながら、どういうやり方が妥当なのか議論したら良い」と訴えた。

>濱口研究員は、この問題を話し合う際には、当該労働者が議論に参加する集団的労使関係システムの構築も見落とせないとの見解も示した。
 「均等・均衡は最終的には納得の問題なのに、当事者が意思決定に加わっていないところで決められている。どう決まっているかの問題であるとともに、それをどう決めるかの手続き論の問題でもある。非正規労働者も含めた職場の労使関係のなかで『こういう義務の違いがあるから、こういう差がある』との納得性があれば、中長期的には義務の違いの善し悪しの議論はあるとしても、当面はそういう均等・均衡論があっても良いのではないか

>この考え方に対し、西谷教授は「働き方にもいろいろあるし、責任や義務に違いがあるので、ある程度を賃金決定の考慮に入れるなど、職場の正規・非正規労働者の納得が大事というのはある意味では賛成だ」とする一方で、「内容と手続きは区別して考えねばならない」と指摘。「非正規労働者の組織化が進んでいるとはいえ、組織率が依然低いなかで手続き的に『非正規労働者も含めて職場で一定の協議をして合意したから納得しているはず』とは必ずしもならない」と反論した。

>そこで濱口研究員は、「実質的にその属性持った人たちの意見が集約されて意思決定プロセスに入っていることが重要。強調したかったのは、今までは集団的意思決定のなかで非正規労働者の問題を議論する観点がなかったこと。正規・非正規の問題を解決していくためには、職場レベルで正規と非正規を包含した連帯を構築していくことが、この問題の改善の鍵になるのではないか」と付言した。

>連合の山根木局長は、正規労働者と同じ労働をしている非正規労働者が存在していることを問題視している立場から、「正規労働者として働きたいのに働けない人の正規化を進める一方で均等・均衡処遇を担保する法的な整備が必要。正規労働者と同じ労働をしているのに差別的な待遇で働いている非正規労働者がいるのは、職場をみれば明らか。職場の点検活動で一つひとつ改善していく取り組みが大事だ。もう一つ、非正規労働者は単に時給が低いだけではなく、その状況がずっと続く問題がある。ある一時だけ時給を上げても、差はなくならない。どうやって賃金カーブを上げて、将来設計の見通しを立てるか。そして、スキルアップの機会をつくり、自らの昇給につなげていくような制度を整えていくことも重要だ」と訴えた。

>この議論の延長上で、正規労働者の働き方も話題に上った。「正規労働者と同じ仕事をしている非正規労働者がいる」との意見がある半面、現行の正規労働者は転居を伴う転勤も辞さないし、休日も含む残業を厭わない人が少なくない。こうした働き方をしている人と、非正規労働者の働き方はやはり異なるとの意見も根強いからだ。

>西谷教授は、「これは正規労働者の働き方をどう見直すかの問題。暴力的に『どこそこに行け』と命じて、応じられなければ『転勤ができない社員だから賃金に差が生じてもやむなし』との考え方は改めるべきだ」と述べ、「基本的には正規であっても労働者の同意が必要で、仮に遠隔地に転勤してもらわねばならない時は、使用者から転勤手当を出すとか転勤が終了した際には特進させる等の変更内容を付けて新しい労働条件を申し込む」ような姿に変えるべきだと発言。長時間労働や遠隔地への配転がごく当たり前に行われている正規労働者の働き方を見直すことなしに、格差の有無を論じてはならないとの考えを示した。

>これに対し、濱口研究員は、「長期的には何でもやるような(アブノーマルな)ことのない(ノーマルな)働き方が中心になり、命令一つでどこにでも行くような働き方を選んだ人への対価として一定のインセンティブがあることが自然。そうなれば、正規労働者と非正規労働者の間にノーマルな働き方のクラスターできて、それが拡大していけば今のように必要もなく有期の細切れ雇用をすることも解消していくだろう」などと述べた

>正規労働者の問題に関しては、経営側からよく聴かれる「解雇規制が厳しすぎる」との意見を踏まえ、正規労働者の解雇規制をどう考えるかについても話し合われた。

>西谷教授は、「正規労働者に対する解雇規制は、整理解雇の四要件が設定されている。その枠組み自体は企業も労働者側にも考慮されており、とりわけ解雇は最終手段との考え方に基づいてできているので、変える必要はない」とのスタンス。

>山根木局長も、企業の雇用責任を問う考えから、「使用者はよく『長期雇用に伴うリスクがある』というが、元々、日本は長期雇用を前提に、その維持を図るために雇用調整助成金という制度がある。実際、リーマンショック後の〇九年には八万事業所に六億五〇〇〇万円が助成されている。企業だけが雇用をひたすら抱えて大変だということではない」として、規制の見直しは不要との主張を展開した。

>こうした二人の発言に対し、濱口研究員は「解雇権濫用法理は文句のつけどころがないが、整理解雇の四要件は見直す必要がある。これは、明らかに正規労働者を優遇し、非正規労働者を差別している。もっと言えば、大企業の労働者だけが特をするような解雇規制のあり方は見直すべきだ」と述べ、公正な解雇規制を実現させる観点から、一定の改定は必要との見解を表明。そしてその理由を「日本は解雇権濫用法理があっても、不公正解雇の概念がない。だから、『社長の言うことをきかないからクビ』、『能力不足だからクビ』あるいは無茶苦茶な要求を出されて『達成できないからクビ』などの案件が、裁判所という高い敷居を跨ぐ前の段階でまかり通っている。こうした実態を踏まえてどう見直すかの議論をしなければならない」などと説明した。
 ではなぜ、そんな歪んだ形になっているのか――。それについては、「アブノーマルな働き方をする正規労働者を前提に判例法理が構築されてしまうから」で、それ故に「仕事がちゃんとあって働いている非正規労働者が不当解雇されたり雇い止めされたりする」と述べたうえで「そういうことのない仕組みをつくるために、公正な解雇規制の観点で見直す必要がある。ある面では規制の緩和だが、別の面で規制強化でもあることだ」と訴えた。

>この意見に関して西谷教授は、「現在の状況を解雇法理だけの問題で見てはいけないという点は賛成。付け加えれば、退職強要が非常に広範囲に広がっている。これをどう規制していくかも法制度、法解釈上、かなり大きな課題だろう」と発言山根木局長は「趣旨は理解する」としながらも、「非正規労働に雇用安定面などの問題があるから長期雇用にしようとの流れのなかで、正規労働者の解雇規制を緩める動きには問題がある」と警鐘を鳴らした。

>冒頭に記したように、有期研究会の報告には「多様な正社員」のモデルを労使が選択できるよう検討しようとの提言がなされている。従来型の正規労働者とは別に、職種や勤務地を限定した無期雇用が提起されていることに対し、西谷教授は「現在の有期雇用と期間の定めのない正規雇用の間に中間的な雇用のあり方を求めようということだろうが、その言葉自体、誤解を招きかねず、私流に言えば、『二級正社員』だ」と強く反対して、具体的な問題点を二つ、以下のように指摘した。
 「この議論は、現在の正規労働者と非正規労働者の働き方を前提としたうえで、その中間にもう一つ設けることにより、非正規労働者から正規労働者に上がる可能性を求めれば多少はましになるのではないかとの考えているように思える。だが、第二の正規をつくれば第一から第二への転落が当然でてくるわけで、正規労働者の働き方の競争がもっとシビアなものになる」
 「もう一つ、中間的な正規労働者には解雇規制を思い切って緩める方向性が示されている。期間の定めはないが解雇規制は緩められた一定層が正規労働者のなかに入り込んでくることで、今の解雇規制の重要な一角を崩すきっかけになるのではないか」

>山根木局長も「正規労働者の解雇規制の議論と同じで筋が悪い」と断言。「既に地域限定正社員や期間の定めのないパート労働者が、職場や企業、働く人のニーズのなかでどんどん増えているなかにあって、危険なのは審議会の議論のなかで政策論的に『日本全体で進めてはどうか』となることだ」と強く懸念。「非正規労働者がこれだけ増えたのは一九九五年に当時の日経連が新しいポートフォリオ論を打ち出した途端、右へ習えとなったことが大きい。こうした話は政策論ではなく、個別企業の実態や職場の労使関係のなかで公正処遇を前提にして、選択肢は働く側が担保される仕組みを労使で構築していくことが大事だ」と訴えた。

>濱口研究員は「私が中長期的にイメージしている『ジョブ型正社員』の考え方だ」と研究会報告に賛意を示したうえで、西谷教授が問題視する一級正社員から二級正社員への転落の不安について「アブノーマルな一級正社員を前提にして良いかを考えるべきだ」と反論した。
 濱口研究員の考える「働く人の中長期的なイメージ」とは、①アブノーマルな何でもありの働き方をしている今の正規労働者の義務を下げるとともに、それに見合った形で保障されていた「例え仕事が無くても雇用は維持される」ようなことを見直す②そして、「仕事があるのに切られる」といった不公正な解雇や雇い止めをどう規制していく③そうすれば、仕事がある間は無期雇用でノーマルに働く「ジョブ型正社員」が中心になる――というもの。「中間的な正規労働者がいないと、『仕事が無くなっても雇用は守るから、その代わり会社の言うことを全て聞け』と『仕事はあっても契約終了だからクビを切るぞ』の二択になってしまう。さらに、後者はそれだけでは済まず、『仕事があってもお前はおしまいだぞ』と脅されるなど、それ自体が労使関係や労働条件に対して極めて権力的な機能を果たすことになりかねない。労使関係の一番の基本は文句がいえること。『仕事があるのにクビを切られるかも知れないから文句が言えなくなる』のが最大の問題だ。今の正規労働者の働き方を前提にそこから(条件等が)落ちることは、現実には生活報酬面などでいろいろ問題もあるだろうが、中長期的なあるべき論としては、むしろそうでない働き方を前提とした期間の定めのない雇用がデファクトルールになるべきだ」との持論を展開した。

>・・・なお、西谷教授は、連合の対応指針と同様、「労働者が長期にわたって雇用に依存して生活せざるを得ない以上、有期で人を採用する合理的な理由で制限の仕方をする必要がある」と発言。濱口研究員は、「入口か出口かという話があるが、基本的には出口規制が一番重要だと思っている」などと語った

山川隆一・森戸英幸編著『判例サムアップ労働法』

35461 山川隆一・森戸英幸編著『判例サムアップ労働法』(弘文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

労働判例本も、昔は『百選』くらいでしたが、いまは野川、大内両氏の個人版労働判例本始め、いろいろ出ていて、口の悪い人に言わせれば労働法バブルとかいわれるかも知れません。

これは、山川・森戸両氏のもとで、(一部もはや若手とは言えない方もいますが)おおむね若手の研究者による分担執筆です。

http://www.koubundou.co.jp/books/pages/35461.html

>数多ある労働法判例集の中、労働法の学習においてとくに重要である142の判例を選定し、どのような事実関係の下で、どのような判断が示されたかを端的に解説した新刊。
 学説上の細かい議論はできるだけ省略し、「この判例が言いたかったこと」をシンプルに読者に伝えることを心がけ、また、事案を理解しやすくするために図表も付しました。
 労働法を勉強しはじめた法学部生、法科大学院生、また人事労務や法務担当の方々にも必携の1冊です!

担当はおおむね項目別になっていて、たとえば男女差別関係は川田知子さん、採用関係は(福島大学に行かれたばかりの)長谷川珠子さん、人事考課関係は桑村裕美子さん、配転出向関係は天野晋助さんという感じです。

載っている判例は、おおむねこの項目だったらこの判例でしょう、という感じのスタンダードなものですが、一つ意外感があったのが、整理解雇にただ一つ「コマキ事件」というややマイナーな裁判例をもってきたことでしょうか。

第84回日本産業衛生学会/日本学術会議市民公開講座

来たる5月20日(金)に、第84回日本産業衛生学会/日本学術会議市民公開講座として、「雇用労働と安全衛生に関わる諸システムの再構築を-働く人の健康で安全な生活のために-」というシンポジウムが開かれます。

http://jsoh84.umin.jp/jsoh84_program-open_sympo_title.pdf

パネリストは、

日本学術会議から提言(案)紹介
岸  玲子(北海道大学環境健康科学研究教育センター)

我が国の長時間・過重労働の問題-労働法学の視点で
和田  肇(名古屋大学大学院法学研究科 教授)

国際労働基準と企業の社会的責任
吾郷 眞一(九州大学大学院法学研究院)

今後の産業保健サービスのあり方
小木 和孝(財団法人労働科学研究所 主管研究員)

職場からの産業民主主義の再構築
濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構労使関係・労使コミュニケーション部門 統括研究員

ということで、わたくしも名を連ねております。

なお、第84回日本産業衛生学会それ自体は、5月18日から20日まで、本当の産業衛生の専門家の皆さんがそれぞれに専門的な報告をされるようです。

http://jsoh84.umin.jp/

また、日本学術会議の「労働雇用環境と働く人の生活・健康・安全委員会」については、こちらに開催状況がアップされています。

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/labor/index.html

2011年4月29日 (金)

家族のためにもっとうまくやろう@OECD

47654803812011051m130 一昨日(4月27日)、OECDが「Doing Better for Families」という報告書を公表しました。

http://www.oecd.org/document/49/0,3746,en_21571361_44315115_47654961_1_1_1_1,00.html

「Doing Better for Families」という標題は、先日本ブログで翻訳を紹介した『子どもの福祉を改善する』の原題の「Doing Better for Children」(子どもたちのためにもっとうまくやろう)と平仄を合わせているようなので、直訳すると「家族のためにもっとうまくやろう」ですが、もし邦訳されれば『家族の福祉を改善する』となるのかも知れません。いや、別に明石書店さんに邦訳の予定があるかどうか聞いたわけではありませんが。やるとしたら、やっぱり高木グループでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/oecd-1750.html(OECD『子どもの福祉を改善する』)

さて、家族編の方ですが、

>All OECD governments want to give parents more choice in their work and family decisions. This book looks at the different ways in which governments support families. It seeks to provide answers to questions such as: Is spending on family benefits going up, and how does it vary by the age of the child? Has the crisis affected public support for families? What is the best way of helping adults to have the number of children they desire? What are the effects of parental leave programmes on female labour supply and on child well-being? Are childcare costs a barrier to parental employment and can flexible workplace options help? What is the best time for mothers to go back to work after childbirth? And what are the best policies to reduce poverty among sole parents?

とさまざまな問いを投げかけ、

Chapter 1. Families are changing (free .pdf)

Chapter 2. The balance of family policy tools

Chapter 3. Fertility trends: what have been the main drivers?

Chapter 4. Reducing barriers to parental employment

Chapter 5. Promoting child development and child well-being

Chapter 6. Sole parents, public policy, employment and poverty

Chapter 7. Child maltreatment

と、6章にわたって各国の状況を細かく追っています。

大震災で、子どものことなんかどうでもいいような雰囲気が漂い出したりしている中で、是非きちんとした紹介がされることが望まれます。

かなりおなじみになってきた子どもの貧困のグラフ。日本より貧困世帯の子どもの比率が高いのは、高い順に、イスラエル(最近加盟)、メキシコ、トルコ、アメリカ、ポーランド、チリ、スペイン、ポルトガル、アイルランド、イタリア、カナダで、日本は12位となります。

47704787dbcfull

OECDが用意した日本についての資料(日本語)がありますので、お急ぎの方はこちらをお読み下さい。

http://www.oecd.org/dataoecd/61/26/47701030.pdf(日本:低い出生率と限られた女性の雇用)

>日本の親は仕事と家庭の両立に悩んでいる。職場の慣習や、住宅・塾などの費用、更には社会規範が若い世代に負担をかけている。結果として、晩婚化や、高齢出産、少子化が進んでいる。

>長時間労働等の職場慣習が仕事と家庭の両立を阻んでいる。高額な教育を経て、出産の前にまず正規雇用を望む女性は少なからずいる。しかし、一旦子育てのために仕事を離れてしまうと、復帰の際に多くの母親は低賃金、パートタイムや短期雇用といった非正規雇用条件を甘受せざるを得ないことがしばしばである。育児休暇後再び仕事に戻りたいと願う親により良い正規雇用機会を用意する必要がある。そうでなければ、(特に女性の場合)悪条件の仕事へ戻るより、何とかやり繰りして行けるのであれば、育児に専念することを選ぶことになるだろう。それが結果としてOECD 諸国の平均以下の出生率や女性の雇用率につながっている。労働人口の減少を阻止するためには女性の雇用が欠かせない

職場は男性の育児休暇取得支援や労働時間短縮を通して男性の育児・家事への参加を勧めるべきである。労働時間が長いために日本の男性(一日59分)が家事に参画する時間はOECD(平均で一日138分)中で最短であり、また、育児への参加も限られている。

世田谷区の生活者と柏崎市・刈羽村の生産者

去る統一地方選挙で世田谷区長に、「原発依存から自然再生エネルギーへ」と訴えた保坂展人氏が当選したことは周知の通りですが、

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/93aa8ef3ac00b4c57908c88cb9e70c3b世田谷区長選挙、区民の良識の勝利。

一方で、福島と同じく東京電力の柏崎刈羽原子力発電所を抱える新潟県の柏崎市と刈羽村では、原発推進派が優勢で、原発反対派は議席を減らしたようです。

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/22239.html(反原発派勢力1議席減らす 柏崎・刈羽議員選挙)

>第17回統一地方選後半戦は24日、長岡市などの8市町村議会議員選挙の投票が行われ、即日開票された。東日本大震災による東京電力福島第1原発事故を受け、東電柏崎刈羽原発の安全対策が論点となった地元・柏崎市議選、刈羽村議選はともに反原発派勢力が改選前より1議席減らした。両選挙では、原発推進、反対双方の候補が「原発の安全対策」を訴え、推進姿勢を明確にする候補が軒並み当選した。地元有権者は安全を前提にした原発との「共存」を容認した形となった。

柏崎市議選では、改選前の反原発勢力は7人だったが、6人に減少。刈羽村議選では、改選前は反原発派が4人いたが、3人にとどまった。

ここには、消費生活を楽しむ「生活者」である都会の「市民」(じゃなくって、「区民」ですが・・・)の感覚と、彼らに食料からエネルギーまでを供給する側の「生産者」の感覚のずれが、ある意味で見事に露わになっているように思われます。

原発もなければ他のいかなるエネルギー生産機能もない世田谷区の区長が、一体いかなる手段で「脱原発」を実現しようとするのか。意識改革の呼びかけだの何だのというスピリチュアルな話ではなく、リアルな話として是非知りたいところです。

90年代初め頃から、「生産者の論理から生活者の論理へ」というようなことがしたり顔で繰り返し唱えてこられました。だいたいそういうときにイメージされてきたのは、「生産者」というのは新潟県とか福島県みたいな、自民党のオヤジ政治家が補助金をいっぱい降り注ぐ遅れた感覚の田舎の連中で、「生活者」というのは世田谷区とか杉並区みたいな、そういうオヤジ政治家と田舎の連中に搾取されている都会の意識の高い人々という感じだったのではないかと思います。

新世田谷区長がどうこうというより、むしろ自民党の改革派から社会党の市民派まで含めて、そういう大前研一的な「生活者の論理」を掲げてきたというのが実情でしょう。

そういう世田谷区民が、自分たちのハイクラスな生活を支えてきた電力供給源としての原発を否定する「ええかっこ」をする一方で、同じ東電の原発を抱え、4年前にはかなりの規模の地震の被害を受けた柏崎・刈羽の「村民」(柏崎は一応「市民」ですけど)たちが背に腹は代えられぬリアルな選択をしているというこの現実にきちんと向き合うことなく、「ええかっこしい」だけで何かやってるつもりになるのはどんなものかと思いますがね。

あえて嫌がらせ的なまでに皮肉を言っておきます。

(追記)

ちょっと違う観点からの同じような話。

先日大量に引用した「非国民通信」さんの直近のエントリですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-3fed.html(非国民通信さんの鋭角な批評群)

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/62d49d51e733138ba25f382ff0b657a2(中流から上には縁のない話)

>どうにも原発「以外」安全神話が強固に築かれつつあるだけに、原発でさえなければ安心安全、原発でなければ超クリーン!みたいな扱いを受けがちですので、この辺はさしたる抵抗もなく規制緩和が進みそうなのがなんだか怖いです(中には諫める官僚もいるのでしょうけれど、そういう人ほど抵抗勢力云々や利権にしがみつく輩としてバッシングを受けるものと思われます)。

>有閑階級にとっては「ちっとも迷惑なんかじゃないよ」「これで良いんじゃないの」と思えるものでも、立場の強くない人間にとっては十分に生活を脅かす問題となるのです。「家庭生活の平安は金銭の多寡に置き換えられるものでない」と、裕福な人間だけが口に出来る道徳論が幅を利かせ、あたかも原発だけが危険であるかのごとく語られる中で原発「以外」のリスクから目が背けられる中、ひたすら弱者がそのツケを押しつけられていく、こういう状況には首を傾げざるを得ません。

半世紀前には、「生活者」という言葉は生存権的な意味で「食えるのか」というインプリケーションがあったのでしょうが、ある時期以降の「市民」な方々の「生活者」からはそういうインプリケーションが消え去ってしまったという現象ともつながるように思われます。

(ついでに)

ポテト・ニョッキさん風に言えば、

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110429/p1(東京電力叩きに見る、利権を目の敵にする思考の病弊)

>本当に原発の恩恵を蒙っていたのは、原子力発電でこれまで忘れられていたコスト=福島県民への賠償とか、放射性廃棄物の処理とか、を加算しない電力料金を享受していた、東京電力管内の電力需要者です。あるいは、原子力発電への依存度という意味でいえば、トップ3の関西電力、四国電力、九州電力管内の電力需要者です。

>これらは、みんなみんな、原発の恩恵を蒙っていたわけですこれらはすべて電力需要者に還元されていた「利権」です

>にもかかわらず、今になって、自分たちに配分されていた利権のことはさておいて、電力会社の社員を批判したり、政治家の「利権」という一言に快哉を叫ぶ世論って、どうも頭が悪いのでなければ、反省という言葉を知らないんではないかと思います。もしそんなに利権を叩きたいんであれば、このへんとかで書きたい放題かいているブックマーカーとか、まずは自分の胸に手を当てて反省してみてはどうかと思います。要は、お前ら、「利権」のおこぼれに預かっている人*2をスケープゴートにして、自分たちの度汚さを免罪しているだけなんですよ?

世田谷区民の「正義感」に感じる気持ちの悪さの正体を、大変見事に言い当てていただいているように感じます。

ちなみに、「利権」還元思考への批判としては、dongfang99さんのこれも必読。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110429全く信用できない

>つまり原発推進派の専門家も、彼らなりの夢や使命感があったのだが、途中で行き詰り、しかし今更引き返すこともできなくなっている状況にあるというわけである。この説明は非常に説得力があると思うが、「利権」「御用学者」的な批判の文脈からは、こういう問題は全く見えてこない。利益につられて悪魔に魂を売ったという、馬鹿馬鹿しい話以上のものにならない。

 河野太郎は、もっと被災者・避難者を主語において、その救済・支援のために何が最も効果的であるのかということを中心に話をしてほしい。「利権」「癒着」批判に大部分を費やしている時点で、自分はこの人を全く信用できない。

原子力専門家たちの「失敗」を失敗として適切に批判する代わりに、「陰謀」を非難することによって、自らを「正義」の証とし、自らも与ってきた「利権」の居心地の悪さを感じなくても済むようにしてしまう便利なメカニズム。

こういう思考形式が、自民党「改革」派から現民主党の多数派を経て旧社会党「市民」派に至るまで、大変分厚く広がってきたことが、この20年を「失われた」ものにしてきた原因だったのではないか?という声は、常に少数派にとどまるのですけど。

事後の解釈法学と事前の実務法学

Isbn9784589033512 日本労働法学会の『日本労働法学会誌』117号が届きました。

昨年10月に中央大学で開かれた大会の報告とシンポ記録がメインです。左の写真にあるとおり、「雇用平等法の新たな展開」というテーマで、そのときの本ブログのエントリでは、野川忍先生のつぶやきも載ってますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-a7ec.html

このときのシンポジウムでは、わたくしも質問をしておりますので、わたくしの質問を司会が読み上げているところとわたくしの発言部分だけ、ここに引用しておきます。緒方さんと渡辺さんの回答が読みたい方は、是非学会誌でお読み下さい。

>■浅倉(司会)・・・次の質問は、濱口会員からです。これは、もしかしたら渡辺報告と大きく絡んでくると思います。均等に取り扱う場合に、優遇されていた人を引き下げる場合もあり得ます。使用者が格差是正を目的として、正規の労働者を不利益に変更した場合、合理性の判断基準をどうするのかという点についての質問が出ています。この二人の質問については、緒方さん、お願いします。

緒方(広島大学)・・・・・・

濱口桂一郎(日本労働政策研究・研修機構) JILPT(労働政策研究・研修機構)の濱口です。基本的な問題意識として、ものごとが起こってから事後的に裁判所でどう救済するかという話だけでこの問題を論じられるのか。そもそも労働法学というのは、事後的な処理をするだけのものなのか、それとも事前的な対応まで考えるものなのかという議論にも至ると思います。
 私の問題意識は、差別された非正規労働者が訴え出るという事態にならないように、企業側が現にある差別的な待遇を事前に変えようとして、非正規の引上げとともに正規の引下げを行う場合に、それが正規労働者側から不利益変更として訴えられるというのでは、規範と規範がぶつかってしまいます。そうすると、裁判所の判決が出るまで、どちらが正しいかわかりません。
 そうなると、企業側に差別を是正しようという意図があってもやりにくいということになります。つまり、企業によるプロアクティブな是正を困難にしてしまうことが基本的な問題です。結局は合理性の判断ということになりますが、それも、判断基準が不明確です。少なくとも事前的には全然明らかではありません。裁判所に持っていかなければどうなるかわからないというのでは、是正のしようがありませんから、事前的に明確なかたちにすべきではないかという問題意識なのです。労働法学は、裁判所に行ったところから話が始まる法解釈学であるだけではなく、現場で解決方向を指し示す実務法学でもあるべきだという問題意識から申し上げました。
 私の質問の最初のところに書いたことですが、「差別問題あるいは均等問題は、三者問題である」。使用者と被差別者だけの関係ではなく、使用者と優遇者と被差別者の三者関係です。今までは、多数の優遇者を前提として、少数の被差別者をそれに合わせるという議論だけをしてきましたが、必ずしもそうではない状況が出てくると、初めから優遇者の引下げに踏み込んだかたちで議論をしていかないと、差別解消自体が不可能になるのではないかという趣旨で申し上げました。
 ただ、実は、この質問は午前中の時点で書きましたので、午後に渡辺会員が、まさに、それに近い問題意識で報告されたので、若干それと重なったところがあります。のちほど渡辺会員からコメントいただければ幸いです。

・・・・・・

石田(司会)・・・それでは、渡辺報告に関連して、直接の質問ではありませんが、先ほど濱口会員が・・・・・・

渡辺(大阪市立大学)・・・・・・

濱口(日本労働政策研究・研修機構) おおむね渡辺会員が答えられたとおりだと思います。必ずしも時間軸のうえだけではなくて、同じように差別的な扱いをしているA社とB社で、A社は、そのまま差別待遇を維持したために「差別だ」と言って訴訟を提起され、B社は、「差別だ」と言われたので、それを是正したところ、優遇者が訴訟を提起したというケースが考えられます。
 先ほど、「二つの規範が衝突する」と言いましたが、単に時間軸の前と後だけではなくて、同じときに被差別者と優遇者の双方から、それぞれ別の規範に基づいて、問題が提起されることもあり得ます。むしろ、そちらを念頭において申し上げました。基本的な話の筋としては、今言われた通りです。

あるエスニックジョークの労働法的インプリケーション

http://twitter.com/#!/uroku/status/60594413189083136

>日本人「会議に遅刻するなんて、イタリア人はなんて時間にルーズなんだ」イタリア人「会議は14時に終わると聞いていたのに、日本人はなんて時間にルーズなんだ」

毎日残業している日本の皆さん。あなた方は(イタリア人から見れば)時間にルーズなんです!

累積100ミリシーベルト超で原発作業5年不可

ある意味での続報ですが、まず東京新聞に、

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011042902000054.html(被ばく線量 「福島の作業別枠に」東電要望)

>原発作業員の被ばく線量上限をめぐり、東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は二十八日の記者会見で、「作業員確保の観点から、通常時の被ばくと福島第一原発での緊急時の被ばくは、別枠と考えたい」と述べ、国と上限の緩和に向けて協議していることを明らかにした。 

>福島の事故で復旧作業に従事した作業員のうち三十人が一〇〇ミリシーベルトを超えた。

基準に照らせば、この人たちは今後五年間は他の原発で働けなくなる。

このため東電は基準緩和について、原子力安全・保安院と協議を開始。松本氏は「線量は上がれば上がるほど、健康への影響が出るとは思っており、保安院とよく相談したい」と述べた。保安院の西山英彦審議官は「現実的な解決策を考えるべきで、厚労省とよく協議している」とした。

「別枠」ねえ。「作業員確保」という目から見れば「別枠」に入れてしまえばそれで済むのでしょうけど、身体は別枠になるわけじゃなく、同じ身体に放射線が注ぐわけなんですが。紙の上で別枠にしてしまったからといって、労災補償上の線量計算まで別枠になるわけではないのです。

まあ、経済産業省的には、そういう議論は「現実的な解決策」ではないのかもしれませんが。

厚労省側の動きは、読売新聞に、

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110428-OYT1T00980.htm?from=top(累積100ミリシーベルト超で原発作業5年不可)

>厚生労働省は28日、東京電力福島第一原子力発電所の緊急作業で累積被曝線量が100ミリ・シーベルトを超えた作業員は、同原発での作業期間を含む5年間、他の原発などでの放射線業務に従事させないよう、全国の労働局に通達した。

作業員の被曝線量の積算方法については、東電側と厚労省に解釈の違いがあり、同省が改めて見解を示した形だ。

労働安全衛生法に基づく規則では、原発作業員の通常時の累積被曝限度は5年間で100ミリ・シーベルト、かつ1年間で50ミリ・シーベルトを超えてはならない、と定めている。一方、緊急時の限度を定めた別の条文では「通常時の限度にかかわらず、放射線を受けさせることができる」とも書かれているが、緊急時の被曝線量を通常時の基準に従って累積させるかどうかは、明記していない。東電ではこれまで、福島第一原発での作業で浴びた被曝線量は「5年間で累積100ミリ・シーベルトという上限とは、別枠だと考えている」(松本純一・原子力立地本部長代理)と説明してきた

身体に別枠の身体はないのですから。

どうしても回らないというのであれば、震災時の緊急対策として累積100ミリシーベルトの上限を引き上げるという議論はあり得るのかも知れませんが、「別枠」というのは、いかにも人間の生身の身体を抜きにした紙の上の議論と言うべきでしょう。

2011年4月28日 (木)

年50ミリシーベルト上限撤廃へ?

東京新聞に共同通信の記事ですが、

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011042701001119.html(年50ミリシーベルト上限撤廃へ 厚労省が特例措置)

>厚生労働省は27日、通常時は年間50ミリシーベルトと定めている原発作業員の被ばく線量の上限を当面の間、撤廃する方針を固めた。5年間で100ミリシーベルトの基準は維持する。原発作業に従事できるのは全国で7万人余りしかいない。各地から福島第1原発への派遣が相次ぐ中、規定の被ばく線量を超えると、ほかの原発の保守や定期点検に支障が出かねないとして、経済産業省が厚労省に特例的な措置を要請していた。

 しかし、この措置は、過酷な環境下で働く作業員の安全を軽視しているとの批判も出そうだ。

緊急時の上限の引き上げは事態を処理するという必要性からやむをえないとしても、「50ミリシーベルトを超えると、ほかの原発で働くことができなくなるため」という理屈で通常時の上限を撤廃するというのは、そもそも安全衛生規制の趣旨からしてどうなのでしょうか。

とはいえ、いまの風潮からすると、被曝上限があるからこれ以上作業できませんというのは許されないような圧力が感じられ、なんともつらいところです。

被曝量が増えると当然労災補償の問題も出てきます。こちらについても、こういう記事が、

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011042801000032.html(35年間で10人労災認定 原発労働者のがん)

>厚生労働省は27日、がんになった原子力発電所の労働者のうち、過去35年で10人が累積被ばく線量などに基づき労災認定されていたことを明らかにした。福島第1原発の事故を受け、初めて労災の認定状況を公表した。

 1976年度以降、労災認定された10人のうち白血病が6人。累積被ばく線量は129・8~5・2ミリシーベルトだった。このほか多発性骨髄腫が2人で、それぞれ70・0、65・0ミリシーベルト。悪性リンパ腫も2人で、それぞれ99・8、78・9ミリシーベルトだった。・・・

>同省補償課は今回の事故について「相当量の被ばくをしている人がおり、労災認定は今後、増えるのでは」とみている。

そういうリスクを含んだ上での上限撤廃であるということは、要請している経済産業省の方もよく分かった上でのことだと信じていますが。

hamachan先生が目の仇にしておられるリフレ派!?

いや、ですから、そういう誤解を受けないように、最近はわざわざ「りふれは」と書いてきたつもりなんですけど・・・。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110427#p1(経済教室)

>私は金融政策はまったくの素人なのでなんともいえないのではありますが、しかし本日の日経「経済教室」の浜田宏一先生の論考はかなり説得力があるように思えるのですがどうなのでしょう。池田信夫先生やhamachan先生が目の仇にしておられるリフレ派の典型的な主張なのだろうと思うのですが。

!?!?!?!?

あわわ、こともあろうに、天敵(!?)元祖3法則の池田信夫氏と同じ立場に立たされてしまいましたぞなもし。

いや池田先生と違ってhamachan先生が批判しているのは一部リフレ派の行動様式であってこういう考え方そのものではないのかな。もっともそうした行動様式はリフレ派でなくても見かけるようにも思われるのではありますが

そういう趣旨を、繰り返し繰り返し、また繰り返し繰り返し述べてきたつもりなんですが、なにしろ、「りふれは」の中心人物(分家3法則氏)が、問題の根源が自分の陋劣な行状にあることを認めたくないために、わざとわたくしを反リフレ政策の徒と描き出したがるものですから、どうしてもその影響を受けたがる人々には、そのように映るもののようなんです。

まあ、しょうがないですね。それに、そういうのを真に受ける程度の人々には、そう思われてもやむを得ないでしょうし。そういうイナゴさんも含めて、わたくしは「りふれは」と呼んでいます。

(ついでに)

ちなみに、当該浜田宏一先生の論考は、まさに本来的意味におけるリフレ派の典型的主張であろうとは思いますが、私目の仇にしているらしい特殊「りふれは」の方々からすると、

>国際通貨基金(IMF)が提言するように、消費税を毎年1%ずつ、例えば10年間上げていく政策を進めたい。

なんてのも、増税ゴラァになるんでしょうかね。

(追記)

労務屋さんからのリプライ

>hamachan先生から苦情のトラックバックを頂戴してしまいました

いえいえ、苦情なんかじゃないです。

もちろん、労務屋さんが誤解しているとも思ってません。

読者の方向けに、ネタにネタで返したということで、ご諒解いただければ・・・。

(ちなみに)

元祖3法則氏といえども、時には実にいいことを言う。

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/63180150543613952

>「利権」とか「国家権力」を罵倒していればアクセスが集まると思っている夕刊紙の世界

ご自分にもその気があることの自覚症状の欠如を除けば、全くその通り。

そして、こういうそれなりの知的誠実さを示すリフレクションすら欠如しているのが、「りふれは」の面々。

2011年4月27日 (水)

「日本はひとつ」しごとプロジェクトフェーズ2

さて、リフレ派が目の仇かどうかなどというどうでもいいことはさておいて(笑)、本日、フェーズ2として、「被災者等就労支援・雇用創出推進会議 第2段階対応とりまとめ」が公表されました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001amjd.html

ポイントは、

<補正予算・法改正等による総合対策>
1 復旧事業等による確実な雇用創出
 ・復旧事業の推進
 ・重点分野雇用創造事業の積み増し
2 被災した方々の新たな就職に向けた支援
 ・被災した方を雇い入れる企業への助成の拡充
3 被災した方々の雇用維持・生活の安定
 ・雇用調整助成金の更なる拡充
 ・中小企業者、農業・漁業者、生活衛生営業者等の経営再建支援
 ・雇用保険の延長給付の更なる拡充

<フェーズ2の雇用創出・下支え効果>
 総額4兆2,966億円    
  雇用創出効果 20万人程度 雇用の下支え効果 150万人超

ということですが、中身を見ていきましょう。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001amjd-img/2r9852000001amno.pdf

復旧事業というのは、土木事業をはじめとする各省の事業で、これが2兆4,940億円と半分以上を占めます。労働政策プロパーでは重点分野雇用創造事業の積み増しが500億円。

>重点分野雇用創造事業の基金を積み増して拡充し、より多くの被災した方々に、避難所・仮設住宅での高齢者や子どもの見守り、農産物や観光地のPRなどでの雇用の場を提供する

合わせて雇用創出効果20万人と。

就職支援は、特定求職者雇用開発助成金の対象に被災者を入れて63億円。建設関係などの職業訓練44億円。あと、復旧工事の災害防止や、求人開拓、広域移動、新卒対策など、全部で158億円で、雇用の下支え効果は6万人と。

上で雇用の下支え150万人超とかいてあるのとの大きな差は、もっぱら次の雇用の維持・生活の安定の方で、雇用調整金助成金の拡充が7,269億円と、労働政策プロパーの中ではダントツです。それから生活の安定としての雇用保険の延長給付が2,941億円。あと、先日よく分かっていない方々に危うく「仕分け」されかけた未払い賃金の立替払いでも149億円積まれています。

しかし、リーマンショック以来雇用調整助成金が再び雇用政策手段の中心を占めるようになっていますが、今回の震災でますますその傾向が増進しそうです。たまたま今日は午前中、公共政策大学院の労働法政策の授業で一般雇用政策法制について話したのですが、7年前にテキストに書いた雇用調整金の役割は著しく低下したというのは完全に逆転してしまったようですね。

あと、今日の産経で、猪木武徳さんが「復興国債と税の二者択一避けよ」という「正論」を書かれていますが、その中で、

>≪緊急雇用対策の立法措置を≫

 原発事故やその風評被害を除いても、直接的な経済的被害額は、20兆円は下らないという。生産における企業間の「サプライ・チェーン」が切断されたことによって、いまだ全面的な生産再開に至らない工場も多い。大企業は言うに及ばず、あまり報道されていないが生産設備の被害の影響は中小企業に重くのしかかっている。

 こうした苦境から少しでも早く脱却するためには、インフラを復旧するだけではなく、勤労者の生活の場を確保するための仮設住宅の建設が焦眉の急となる。そして文字通り山積状態の「ガレキ」も除去しなければならない。その撤去作業はボランティアに頼るだけでは早期に完遂できない。臨時の日雇労働契約によって被災地からの有償労働に頼る必要がある。

 そのためにも緊急雇用対策関連の立法を行うだけでなく、さしあたっての現金供給を続け、中長期的な復興事業の財源に関する見通しを立てねばならない。にもかかわらず、「いまは財源を論じるときではない」と主張するだけでは、苦難に耐える人々の前に灯をかざすことにはならないのだ。

と主張されています。

芯のないドーナツ学部

Img_month 生活経済政策研究所から『生活経済政策』5月号をお送りいただきました。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html

「明日への視角」は、後房雄さんが「復旧ではなく、新しい社会システムによる復興を」というのを書かれているのですが、その中で、

>もう一つ、地域コミュニティについても、単なる現状維持、復旧ではなく、今後数十年機能しうるようなあり方を模索すべきである。確かに、町内会、自治会などの地縁組織が今回もまた重要な役割を果たしたが、全戸加入の建前、行政との曖昧な関係を維持したままで、長期的な衰退傾向を脱し、復興における重要な主体になりえるだろうか。・・・

いや、全戸加入だからこそ重要な役割を果たせたんじゃないんでしょうかね。この際とばかりに「新しい公共」の宣伝というのも、ある種の「火事場ドロボー」の感は否めません。

正直、減税日本を生み出してしまった魔法使いの弟子としての反省はどこにあるの?という感想もあったりするのですが、まあそれはおいといて、今号の特集は「縮む雇用とトランジション」です。

特集 縮む雇用とトランジション

  • 変容する日本型雇用の下での若者/宮本みち子
  • 不況と災害下の新卒就職:現状と課題/小杉礼子
  • 外部労働市場におけるキャリア形成の行方/樋口明彦
  • キャリア教育としての学士課程教育/濱中義隆

まあ、こういう方がこういうテーマで書けば、こういう内容になるだろうなあ、と、この方々の文章を読んできた人にとってはほぼ想定内の文章でありますが、最後の濱中さんの文章の中に、ややひねった意味で興味深い記述があったので、部分的に引用。「教育課程の学際化は有効か」というパラグラフの中の一節です。

>・・・実をいうと筆者はここ数年間、「キャリア」の名称を冠する、まさに学際性と「キャリア教育」を意図した大学の学部において非常勤講師をしている。・・・当該授業において、「キャリア○○学部って何?」というテーマで、学生同士の模擬インタビューを通じて収集したデータを分析してもらい、学生目線で見た自らの所属学部像をレポートにまとめることを課題としている。・・・

>さて、ある学生は自らの所属学部を「芯のないドーナツ学部」であると表現した。・・・

まあ、芯があればいいというわけではないからこそ、いろいろな問題が起こっているわけではありますが・・・。

原発失業者と雇用保険の財源問題

そのうちどこかに出るかな?と思ってたら、ダイヤモンドオンラインに編集部の浅島亮子さん執筆の記事が出ました。

http://diamond.jp/articles/-/12045(“原発失業者”も雇用主が救済?雇用保険の財源問題が浮上)

>・・・震災直後に、厚生労働省内では、ある議論が持ち上がっている。福島原子力発電所事故の被害者(労働者、企業)の救済方法について、矛盾を指摘する声があるのだ。震災による直接的被害を受けた労働者、企業に対して、失業給付、雇用調整助成金が支払われるのは慣例だが、「“人災”の様相を帯びてきた原発事故を理由に、政府の指示によって、退避させられた労働者、企業を、なぜ従来の雇用保険制度で救済しなければならないのか」(厚労省幹部)という声が上がったのだ。もっといえば、政府の指示で生じた失業補償なのだから、国庫負担とすべきではないのか、という主張である。

>・・・雇用調整助成金の受給要件である「経済上の理由」には、国の政策により休業させられている事例は含まれていないため、今のところ福島の避難対象区域の企業には、雇用調整助成金は支払われていない。

>再び、財源問題が浮上するのは必至だ。政府は、夏場に最大使用電力の“使用制限令”を発動する予定で、休業に追い込まれる企業が続出し、失業者が溢れることが確実視されている。だが、雇用調整助成金の受給要件である「経済上の理由」に国の政策による休業は含まれない。

>・・・たとえば、原子力損害賠償制度、エネルギー対策特別会計、(既存とは別の)特別雇用調整助成金の新設といった手段で、失業者を救済する包括的な仕組みが必要となろう。

過去の歴史をひもとくと、国策により石炭はもう止めて安い石油に切り替えるということにした結果、炭坑で働いていた人々が大量に失業するということがありまして、その炭坑離職者の人々への対策を当時の失業保険だけではなく当時の石炭特別会計(後のエネ特)で面倒を見たという故事来歴もありました。

石炭を止めるのも国策なら、原子力を推進してきたのも国策ということを考えると、エネルギー政策はめぐる因果の糸車ということでしょうか。

2011年4月26日 (火)

hahnela03(旧gruza03)さんの日記

釜石で被災され、マシナリさんのブログに近況を書かれた旧gruza03さんが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9fb0.html(会社が消失した被災者の声)

hahnela03さんという名前で、被災後のさまざまなことを日記に綴られています。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/

復興財源問題にだけは異常に関心があるけれども、復興それ自体には何の興味がないような人々にこそ、被災地で被災された方々がどのような日々を送られてきた/いるのか、そしてあまり新聞に出てこないような問題点の提起なども含めて、じっくり読んでいただきたいところです。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110402/1301703020(津波被災の記録)

>平成23年3月11日における、岩手県釜石市の津波襲来時の市街の状況は下記の通り。

>地震後、直ちに事務所に居た社員を自宅等への避難措置を取りましたが、現在(平成23年4月2日)1名の消息が不明。
 会社は津波により消失しましたが、平成23年3月31日に無事な社員への給料を何とか渡すことはできました。役職員の大半も自宅の消失、家族が行方不明の中、仮事務所を設置し再建を開始いたしました。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110403/1301780928(津波被災の記録2)

>平成23年3月11日津波により市街地は壊滅。
 地震後、社員を全員帰宅させた後、事務所に戻り持ち出せるものを準備中に社長が事務所へ。(びっくり)社長を避難するよう急き立て車で出るのを確認し、事務所の持ち出しは断念し、自分も車で避難しようとするが、社長が再度戻り事務所へ。事務所へ上がり社長を引っ張り社長の車で避難する。この時点で、釜石湾に波頭が見えたので、急き立てる。旧釜石小学校跡地に到着し、釜石市役所へ。到着した時点で市街地へ津波が流入。車一台及び人が飲み込まれる。高台に避難者及びNHK及びIBC等のメディアも避難して撮影していた。
 5000トン級の船舶が津波により、湾内を回転し、港湾合同庁舎に衝突しそうになる。屋上に海上保安部職員がいる状態であったが、引き波で回避。(その後、漁港に乗り上げる)
 釜石市役所前に駐車していた車も津波にさらわれ、法面の一部から落石。道路を確保するためフェンスを破壊し、パイパスから避難者を旧釜石小学校跡地に誘導し始める。
 寝たきり老人等を男4人掛で移動させる。旧一中体育館に老人並びに子供を優先し避難所とする。
 社員の安否確認のため、避難場所のお寺2か所らに向かうため山越え(天神町から大只越町へ)。
 3回ほど往復するも確認できず。社長は車で、自宅の確認に向かう。
 裁判所に避難。暖房器具、毛布、灯火もなくラジオをただ聞くだけで、眠れない。深夜、市長が来訪。鵜住居町は壊滅状態。鵜住居小学校、東中学校の生徒は避難し確認されているが、この時点では幼稚園児の安否確認ができていないとのこと。
 防災無線は機能不全。連絡網は寸断され確認が取れない状態とのこと。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110404/1301868182(津波被災の記録3)

>平成23年3月12日
社員の安否確認に向かう。6:30
取引会社の方に居るとの情報で、のぞみ病院へ向かう。
病院の1階部分は壊れて、横の緊急車両用道路側から出入り。
各階ごとの避難者名簿を確認も名前が見当たらず。
釜石小学校へ。
道路上に、救急車及び消防車が重なり壊れている。
チョウザメが散乱。釜石キャビア(株) 釜石市平田地内の流れたものが、この付近まで流れてきている。大渡町までの道路は完全にふさがれている。被災した住宅の敷地に通路(2m近い段差)に梯子をかけて通らせていた方によって、向かう。
 釜石小学校前で社員1名と出会う。専務(当日仙台出張中)並びに社員1名(当日内陸に出張中)が、社員の安否確認をしているとのこと。また、車両1台の無事を確認。当日、東北電力(株)釜石営業所構内にて作業していた社員の安否確認。車両は大只越町の奥にあるとのこと。(後で確認済み)
 また、片岸町地内での河川改修中の社員の避難状況を聞く。ただ1名が母親を助けるため途中から両石町に走って向かった。安否不明。
 鵜住居町・大槌町の家族の安否確認に4名が高規格道路(供用中)を歩いて向かったとのこと。
 甲子町方面の方達も山越えしたとのこと。
 釜石小学校内には、留まっていないことを確認。旧釜石一中体育館へ向かう。
 親戚の無事も確認しつつ、会計事務所所長さんの無事(会計データの無事も確認)、北日本銀行釜石店の行員の無事等を確認。
 市職員並びに被災者個々に残骸等を運びたき火して暖をとっている中で休む。
 日本貨物の運転手が提供して頂いた冷凍食品を焼いて皆で食べる。
 2日目はこの場所にとどまる。深夜寝るために体育館のステージ上で休むが毛布もない状態で、寒さのため目が覚めたき火の場所に戻る。看護士?の女性の方達が震えながら集まっていた。看護をするほうも大変なのだ。仮眠と暖をとって介護者への対応へ戻っていった。ラジオで釜石市の情報だけはいらないことに、頑張っていると分かりつつも市への対応に憤る声がでる。(誰かに向かわねば精神の平衡が保てない) カップヌードルを市職員から配給されるもお湯は自前で調達とのこと。誰かがヤカンや鍋を拾いたき火にいれお湯を沸かす。(お湯が本当にありがたいものだと感じる。)
 
平成23年3月13日
大津波警報の解除(津波警報は継続)とのこと。朝方に高架を渡り、橋を越えて自宅近くまで歩くことにする。(右足首をねん挫していたらしい。転んで左手の小指の突き指も)
 会社跡地は建物の無い状態。釜石警察署も壊滅状態。歩いている人の話では生活安全課長ほか3名が行方不明とのこと。道路に家がありふさいでいる。大平町釜石商工付近で親戚の人に出会う。
船で沖に2日間いたらしい。父親の消息も聞く。地震後直ちに船で沖にでて、いまもどったとのこと。自宅に連れて貰い食事等を頂く(感謝)。避難所から母親を連れに行くとのことで、一緒に自宅まで車で向かう。下平田地区は壊滅状態。道路が塞がれているので迂回路(唐丹町~本郷~花呂部~自宅へ)を走る。本郷の海岸沿いは土地の流失で家屋が倒壊。花呂部は多くは道路(住宅地より高い)に避難していた。佐須地区は3軒程度が残っただけ。自宅へ。
 2日間休む。

こうした中で、亡くなった社員の確認も、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110406/1302080377(確認)

>本日、行方不明の社員を家族が確認。土曜日に火葬。
 労災について、労基署に向かう。手続きの説明と書類を頂き、状況(推測)について説明。
 涙が溢れ声に詰まる。
 こんなに辛いものなのだな。
 本当にいつもお世話になっていました。ありがとうございました。

そして、会社の仮事務所の立ち上げを挟みつつ、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110408/1302278075(津波被災の記録7)

>平成23年3月24日
明日の仮事務所立ち上げのため、パソコン・プリンタ・ドコモwifi等を購入。家で組んでいたデスクトップ2台を車に積み込む。
家用の豆炭等も購入。今回、昔の堀炬燵がのこっていたのが幸いで、暖が取れた。
太陽光の自家発の切り替えができた人達は良かったらしいけど、発電機を用意するのとどちらがいいだろう。

平成23年3月25日
仮事務所へ
住み込みで、立ち上げを開始する。家族と離れることになるが致し方なし。
ガソリンは手に入りにくいし、車は無いのでどうにもならない。
月末に給料を支払えるかどうか聞かれるも、銀行の状態や給料のデータも津波で流失したので、一から作り直し。時間がなさすぎ。
会社跡地から拾ってきたもののなかから、自分の机に入ってた、給料の先月分の控え1枚だけが出てくる。不幸中の幸いか。銀行の手続きと同時並行。待ち時間のロスは本当に痛い。

亡くなった社員の葬儀が行われ、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110409/1302339725(鎮魂)

>本日、今回の津波で亡くなられた社員の火葬に立ち会う。
 昨晩までの停電で危ぶまれたが、行うことができた。
 死亡者の数も多いため、遺骨の立会すらままならない現実に、被災地でのありように何とも言えないものがこみ上げる。兄弟とその家族のみの参列もう少し形ばかりでも整えられないのだろうか。機械的に時間通り進めないと処理しきれないのは頭でわかっていても。
 職員が遺骨の入った箱を親族代表に手渡す。
 御霊に安らぎとその家族の安寧を願う。

 会社から避難させるのにもっと考えるべきであったのだろうと自宅に戻った際に、彼女の亡くなった町の悲惨な状況を聞かされたさいにも自責の念にとらわれた。あの場にいた社員を会社から一刻も引きはがすことだけで精いっぱいだった。最後のギリギリまで会社の事務室にとどまって(頭の片隅で2階まではというのがよぎった。市街地はそれで亡くなった人が多い。)いたし、あのまま居れば自分も死んでいただろう。(後で湾口防で6分程度、時間が遅れたので助かったのもある)

こういう中で、3月末には給与の支払いを何とか済ませ、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110410/1302387975(津波被災の記録8)

>平成23年3月26日
 昨日のプロバイダとのやり取りで、会社のメルアドを回復。取引先に仮事務所への移転等を報告。協力会社間へ周知してもらう。秋田の業者等から電話を頂く。
 社長から月末に給料が支払えるか問われる。印鑑は無事でもタナバンは流失。月曜日に銀行へ行き手続き等を行い引出ができるか確認することにする。銀行の店舗もかなり被害があって、各金融機関も1店舗に集中して混乱している。この時点では社員に給料が支払えるどうか不安。

平成23年3月27日
 津波被災から3週間。自宅周辺はまだ停電中。内陸の親戚がガソリンを持ってきていただいたので、家族で風呂に入りに行く。同じ被災者でも避難所にいる人達との待遇格差と避難所に居る人達の我儘に振り回されることで、不満が高まっている。
 立ち上がろうとする人達と支援されて当然という人達の対立はかなりあちらこちらの避難所で起きているだろう。
 3週間ぶりの入浴。家族が湯あたりする。聞くと結構ほかの方達も湯あたりしているらしい。
 協力会社の会長が軽い脳梗塞で入院したということを聞いていたので、ほっとする瞬間でも危険は常にある。

平成23年3月28日
 銀行で手続き運がいいのか40人待ちで済んだ。ほかの人の話だと160人待ちはざらだったらしい。
 銀行のネットバンクも回復。下請業者等への支払いもできるようのなる。
 賃金台帳の回復へ。

平成23年3月29日
から
平成23年3月30日
 ほかの作業はすべて中断。給料の支払いに向けて復旧作業に集中。
 平成23年3月30日午後22時に100%ではないものの、回復。明日の支払いの準備。

平成23年3月31日
 銀行に今後の融資等についての話も含めて手続き完了。仮事務所に戻り袋詰め。
 午後4時手分けして何とか完了。社長に渡し、社員に手渡しできた。
 解雇の話。営業所等の閉鎖。により賃金もろくに払ってもらえないところが多かったことを考えると、不満はあるのだろうけど、何とか皆頑張った。まだ、瓦礫撤去作業という目前のもくひょうがあるから

一方で社員の家族の死に向き合う日々・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110412/1302613504(津波被災の記録10)

>社員の母親の遺体が見つかる。「良かった」という言葉が出る。被災地に居ないものからすれば、なんと不謹慎な言葉と受け取られるかもしれない。
 肉親を弔うことすらできず、死というものを拒否している方達も多い。役員の妻もまだ見つからない。まだ受け入れることができずにいる。被災地である自宅近くの避難所から離れようとしない。日曜日に歩きながら自然の芽吹きを確認するも、人の心に春はまだ遠い。

そして、被災対策への冷静なまなざしと・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110413/1302685859(津波被災の記録11)

>当初予定されていた「土葬」はどうなのかわからないけど、「火葬」は順調だという話。でもね、分かっているけど、線香の一つもあげれない。それでも「火葬」ができたことが救いとは寂しい。
 少しずつではあるが書類を泥やガレキの中から見つけたり、流失した書類の再発行に日々を費やしている。瓦礫撤去の雇用というけれど、雇用保険の受給者はしないだろう。(パチンコ店は混んでるな。)マシナリさんには以前非公開コメントで書いたけど、前回の緊急雇用対策時の市の賃金査定は、最低賃金に毛の生えた程度だった。だから今回の雇用対策が残った企業の体力すら奪いかねない危険性をもつことに危惧を感じざるを得ない。当初から職を失ったものだけとなるのだけれど、彼らを統率し管理し得る責任者が少ないことが新たなトラブルを生まないように祈らずにはいられない。

 1ヶ月が過ぎ、自宅周辺もやっと電気が通ったとのこと。長かったな。

現場を無視した政策への怒り・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110415/1302861817(津波被災の記録13)

>被災の復興は遅々として進まず。個人事業主の動きとして、かなり余裕のある方達は用地購入と事業所建設に動いている。現在の国・県・市による浸水地域への建築確認を認めないとの宣言によって、コミュニティは確実に崩壊しつつある。自分たちは民主党総理肝いりの学者たちのモルモットにされ人権も失った。旧帝を含めた学者たちにとってモノとして取り扱われる。被災者ですらないのか。
 そういう中で、親の遺言として「無医村」にしたくないという方や何とかこの家でという方達は、留まるつもりらしい。
 でもいまの取り扱いのままでは、多くの市民は居住地を失うことが進む。
 シムシティ感覚の政治をする総理とそのブーレンによって自分達は「人としての存在価値」を無くしたモノへ向かう、新たな災害に直面している。

ここでは地元中小建設企業の怒りが噴出しています。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110419/1303207261(津波被災の記録14)

>今回の「平成23年岩手県応急仮設住宅公募供給事業」建設事業者の公募についてを見てさすがに呆れた。総合評価落札方式を民主党ブレーンである五十嵐教授等が進めるこの制度が、究めて新自由主義的なものであるにも関わらず、談合防止や住民自治の名の正義を振りかざす道具として使用されている。
 この制度は表面的には公平を装いつつ、公然たる排除を明確にしているところにある。そして、この制度は一度脱落すると二度と機会は得られない。3年もすると第一者は80%を独占し第二者が15%となり、残り5%しか機会が得られない。しかも金額的には最悪の状態で。
 それにしても災害復興ということすら表面だけで、内部での進行状態は震災前の政策をこの期にやってしまおうとすることが非常に強いメッセージの発信が感じ取れる。
 火事場泥棒的に、「コンパクトシティ」+「エコタウン」+「新しい公共(小さな政府)」を推し進めようとしている。それ以外に選択肢がないように持っていくのだろう。それにしてもこのような災害ですら好機ととらえ、被災者の権利を平然と踏みにじる復興を進める地方自治(住民の意思決定など無い「新しい公共」)とは、いったい何なのだろう。

 総合評点の条件では、県内業者は参加はできない。不可能ともいえる条件提示である。
 また、追い打ちをかけるように決定時点で最低でも30戸のプレハブ住宅の資材が確保されていることが、条件であり、一次下請け業者ぐらいではしょうがないから、使ってやろう。という条件提示である。岩手県という地方自治体が県民を救わない。地元経済を縮小ではなく、絶滅に追いやろうとしている。知事がいくら小沢一郎の犬と呼ばれようと人としての最後の一線ぐらいは残っているかと思えたが、所詮犬は犬でしかない。それでも地方公務員たる県職員達も同様に県民殺しに、県を焦土とすることに加担するとは思いもしなかった。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110421/1303347038(津波被災の記録15)

>被災地の無事な土地を「住友不動産」他の大企業の不動産業界が買いあさっている。
 被災地の国有化の最大の問題点は、「国有地の一括売却」を震災復興の名の下で集約化してしまうということ。郵政民営化の一括売却で味を占めている輩の跋扈がすごすぎる。それだもの震災復興を長引かせて、建物を修繕させ住まわせたくない。

一方、(上でちらとでた)被災地でパチンコ店が混んでいるというあまり報道されない事実から、静かな省察。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110423/1303514935(津波被災の記録16)

>復興へさまざまな動員がありそのおかげで助かっているのは否定できないし、ありがたいことでもある。ただある程度の時期に自立しうるように方向性を出さないと、人というものは堕落する。
 パチンコ店が混んでいる。震災によって商店街等は壊滅したというのにね。時間を如何に消費するかということなのだけど、失業手当により働くことより遊行によって時間を消費しようとする人々のなんと多いことか。
 東京では節電の名の下で都知事が無駄と断じたとか。あの人らしいけど。それにしても供給力の回復なしに復興のスピードは加速しない。単にりふれしたところで何にもならないのに。
 被災地の多くの人々にとってそんな議論など腹の足しにもならないことは、彼らのような頭の良い人々が分からないはずはなく、ただ「無駄な消費」に勤しむ余裕がおありだなと。被災地に住む者は、感じる次第。

被災地はパチンコに時間を消費し、東京では「りふれ」な議論に時間を消費する・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110425/1303735050(津波被災の記録17)

>それにしてもブクマしながら気になったのは、市町村に対する政策コンサルやNPOが関与を強めていること。住民や共同体という考えはそこには無い。hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)先生のところで、民主党議員は「今は被災地で雇用政策を言っている場合ではない」という話があったけど、別の視点から見た場合確かに雇用政策を言っている場合ではない。になる。これは政策コンサル側から見た場合、ビジネスチャンス以外の何物でもなく、被災地の被災者の雇用ではなく、大都市圏に本社がある企業群にとって、以前から主張していたビジネスモデルの確立というのがある。国主導ではなく基礎自治体への関与を増すことが一番彼らのビジネスモデルを有効に運用できるということ。そういう意味でも「地方分権」が望ましく、国が迷走したり県レベルの対応が遅くなればなるほど、雇用なき復興が進むこことなる。そのごの都市計画でも同様な手法としてPFIによる復興が喧伝されるだろう。
 問題は「りふれは」「反原発」を掲げる優秀な方達が、そのようなネオリベ的政策の推進をしている自覚がない?(確信的に?)に、公的セクターを叩くこと。大都市の経済活動を守るためにはすべてが許されるのだろうか。

震災復興が、現地で苦しむ被災者の雇用ではなく、東京のコンサル会社で机の上で紙作りにいそしむ人々の雇用創出に成り果てていく構図・・・

という風に、いささかの皮肉と苦言と、場合によっては人を苛出せるような透徹した観察が窺える釜石からの日記です。

もちろんなにがしかの皮肉を込めつつですが、この日記こそが「希望学」の「聖地」としての釜石の、希望という名の絶望の中に垣間見える希望の得がたい記録になっているように思われます。

新卒者就職問題の構造的背景と今後の課題

B9f5e3a261d97434d2928fb4d025dd54 『月刊社会民主』5月号は「まなぶ・はたらく」という特集で、そこにわたくしも「新卒者就職問題の構造的背景と今後の課題」という文章を寄稿しています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shaminshinsotsu.html

途中までは今までの歴史叙述が主ですので、今日の問題を論じている最後の2パラグラフをこちらに引用しておきます。

>若者が置かれた過酷な状況

 今日の問題の原因は、職安なり学校なりといった生徒・学生を保護する主体が介在することによって成り立っていた新卒一括採用システムという枠組みを、広大な労働市場に無力な生徒・学生をばらばらに放り込む形で維持し続けようとしている点にある。これは矛盾に満ちている。

 近代社会における労働者の採用の基本モデルは、労働市場において企業が一定のスキルを要するジョブについて必要に応じて求人を出し、それにふさわしい求職者が応募し、採用に至るというものである。日本の職業安定法もそのような原則に立っている。しかし、日本の労働社会ではそのようなルートで入ってくる労働者は企業にとって周縁的存在であった。企業のメンバーたる「正社員」は、学校卒業とともに上記新卒一括採用で入社し、定年まで勤続することを期待される。その入口は長らく国家や学校の保護下にあった。

 ところが、高卒者の一部やとりわけ大卒者の採用市場が自由化し、生徒・学生が個人として広大な労働市場のまっただ中で就職活動を繰り広げなければならなくなったにもかかわらず、つまり職安や学校が責任を持って就職先を見つけてくれるわけではなくなったにもかかわらず、彼らは学校卒業までに自力で就職先を見つけなければならない。企業が正社員を新卒一括採用に限定している限り、これを徒過すると非正規労働者としての道しか残らないからである。しかもその市場で彼らが企業に売り込まなければならないのは、具体的に高校・大学で学んだことではなく、「人間」としての潜在的能力である。これは、とりわけ入学時の偏差値の低い学校の生徒・学生にとっては、極めて過酷な状況をもたらすことになる。
 
解決の方向-短期と中長期と

 これに対する処方箋は、短期的に現実的なものと、中長期的に実現されるべきものに分けて書かれなければならない。短期的には、新卒一括採用システムを含めた日本企業の雇用行動様式が急激には変わらないことを前提に、かつての中卒・高卒採用のような保護主体の介在するマッチングを復活させることがもっとも効果的であろう。同世代人口に対する割合から考えても、現在の大卒者の相当部分はかつての中卒者と重なる。できるだけ高校・大学自身が、それが困難であれば公的機関が、責任を持って卒業までに就職先を見つけるのである。これはあまりにもアナクロであり、パターナリズムと見えるかも知れないが、目の前で矛盾に苦しむ若者を救うためには、ある種の逆戻りはやむを得ないと思われる。

 しかしながら、成人に達した大学生を未成年の中卒・高卒と同じように扱うことが社会のあるべき姿とは言いがたい。中長期的には新卒一括採用システム自体を変えていく必要があろう。自由市場で求人と求職が結合するという本来のモデルが適切に作動するためには、ジョブとスキルでもってマッチングするためのインフラ整備が不可欠である。それがメンバーシップに基づく日本型雇用システムの中核的構成要素の全面的転換を意味する以上、かなり長い時間をかけたプロセスとならざるを得ない。

 筆者も参加した日本学術会議の大学と職業との接続検討分科会の報告書(2010年7月)は、表面的なマスコミによって「卒業後3年間は新卒扱い」といった枝葉末節的な部分ばかりが取り上げられたが、主たる論点はむしろ構造的問題への提起にあった。すなわち、まず何よりも大学教育の職業的意義を向上させ、それを前提として専門性を重視した職業上の知識・技能に応じて正規・非正規間でも公平な処遇がなされる労働市場を確立し、その間では大学で学んだ内容と求める人材像との適合性を重視し大学教育の概ねの課程を修了してから就職・採用活動が開始され、また卒業後も求職活動や適職探索を幅広く行えそしてそれらを生活支援と訓練支援のセーフティネットが支えるというイメージである。

 やや皮肉な言い方をすれば、こういう教育と労働市場の在り方にもっとも消極的であるのは、「学問は実業に奉仕するものではない」と称して職業的意義の乏しい教育を行うことによって、暗黙裏に日本的企業の「素材」優先のメンバーシップ型雇用に役立っていた大学教授たちであろう。彼らの犠牲者が職業的意義の乏しい教育を受けさせられたまま労働市場に放り出される若者たちであることは、なお彼らの認識の範囲内には入ってきていないようである。

非国民通信さんの鋭角な批評群

以前から狂い咲きするポピュリズムに対する冷徹で鋭利な批評で有名な非国民通信さんが、ここのところ原発や東電に対する「お調子に乗った」罵倒プレイに対して、ますます鋭角な批評を展開されています。

ここにきて原発反対派の区長を誕生させた世田谷区民の皆さまを始め、電力を膨大に消費し続けてきた東京電力管内の市民の皆さまにあっては、脚下照覧の意味も込めて熟読する値打ちがあるように思われます。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/d6aa5aecde2e265d0cd0c89d3977b181(ならば胸を張って御用学者を名乗ろう)

>レイシズムに与さないことで「反日」と呼ばれるのなら私は堂々と反日を名乗りたいし、原発の脅威を煽るのに参加しないことで「御用学者」と呼ばれるのなら私は胸を張って御用学者であろうと思える昨今です。さて上記の引用ですが、これが震災前であれば一笑に付すこともできたかも知れません。しかし震災後の原発を巡る集団ヒステリーを見た後では、そこに一定の説得力を認めざるを得ないようにも思えます。「原発は絶対安全」から「原発は絶対危険」へと極論から極論が吹き上がる辺りは、今からでも反省すべきものがあるはずです。

>昨今の時勢を鑑みれば明確な「反対派」の立場を取るのが最も無難なのでしょうけれど、良識家ぶるために自説を曲げるつもりは毛頭ありません。今の最優先事項は生活インフラを復旧させることです。情勢の変化に応じて考えを改めるのも結構なことですが、むしろ時間的にも金銭的にも余裕が無くなった状況下では、「将来の脱原発」よりも「既存の発電所をどう活かすか」を優先しないと住民の生活インフラは守れないわけです。ましてや「今すぐ原発を止めろ」みたいなことを、ただでさえ電力不足が復興支援すらも含めた東日本全域の足枷となっている状況下で主張するとしたら、それは良心的とは言えないでしょう。

>再生可能エネルギーを用いた発電手段も、将来的にはコストが下がり効率も上がって原発の代替手段たり得る日が訪れる日が来るかも知れません。ただ、それが一朝一夕には難しいとなると、短期的に明確な成果を求めたがる日本の世論に絶えられるのか、その辺が懸念されるところです。スーパー堤防よろしく「いつ完成するかわからない」「本当に計画通りの効果が見込めるか検証しにくい」「とにかくプロジェクト続行に費用が嵩む」の三重苦では、事業仕分けの格好の餌食となってしまうことでしょう。痛みを伴う構造改革を支持してしまうような人が大勢を占めたことを考えれば、生活インフラ(電力供給)の復旧を二の次にしたような主張でも世間の支持が集まることはあるのでしょうけれど、一方で熱の冷めるのが早いであろうことも忘れるべきではありません。

加えて少なからぬ予算が投じられるとあらば、必然的にその中で利権を手にする人も出てくるわけです。そういう類をこそ世論は徹底的に糾弾してきましたし、政治は率先してバッシングの対象としてきたものですが、いつ実を結ぶかわからない徒飯食いでも長い目で見守ってやらないと、既存の枠組みを覆すようなイノベーションは生まれないように思います。だから短期的には成果が出なくとも、一つの公共事業であり景気対策であり雇用促進策だと受け止めるぐらい、あるいは鶏鳴狗盗よろしく「いつか役に立つ日が来るだろう」ぐらいの鷹揚さを以て接する「ゆとり」がないと、脱原発のような遠大にならざるを得ない計画は成功しないのではないでしょうか。しかるにこうした「ゆとり」こそ90年代以降の日本が急速に失ったものであり、これからも失われ続けていくものであるとしたら、日本の世論は全く矛盾した要求を振りかざすことにもなりそうです。それは毎度のことかも知れませんが……

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/dbc8ea53043d86438f9cdae349aed606(差別や排除の論理が飛散しています)

>福島関係者への差別や風評被害は止まるところを知りません。現状では、こうした偏見や過剰反応から生じる被害が放射線そのものの害を大きく上回っていると言わざるを得ないでしょう。冷却が必要なのは原子炉だけではないように思います。しかもこうした差別や排除の論理が、原発なり東京電力といった「絶対悪」の存在によって正当化されがちとなってはいないでしょうか。最後に引用したスポニチの見出しには「悪いのは原発」 と強調してありますが、それは差別的取り扱いをした人ではなく、もっと別のところに「悪」の原因をすり替えることにも繋がっているように見えます。

>もちろん原発事故がきっかけになっていることは紛れもないことなのでしょうけれど、そのためなら差別が許されていいのか、そこは問われるべきです。原発や放射能への恐怖を言い訳にして、差別が是認されるようなことがあってはならないはずです。実のところ平時から、原発を理由とした差別的取り扱いと、その差別の責任転嫁は小規模ながら行われてきました。原発が出来たせいで、その近隣で採れた海産物や農作物を買ってもらえなくなった――みたいな話は原発批判の文脈の中で何度となく繰り返されてきました。しかし、そのエピソードの中で行われている不当な差別的取り扱いを「悪いのは原発」 と片付けることで、直接的な差別に踏み切っている人々をスルーしてしまうとしたら、それは大いに問題視されるべきです。他の何かに責任を求めることが出来るからと差別を容認してしまうようでは、人権派の風上は元より風下にもおけないと思います。その人が何に怯えているにせよ、それは差別を正当化するものではありません。

・星アカリさんのTwitter書き込み
「人が言えないなら私が言う。東京電力社員の子供を、全員がボイコットしなさい。法が東京電力を裁かないのなら、社会が裁きなさい。その声は、必ず親の、東電社員に届く。子供に罪がないと言えるレベルの話ではない」

>原発パニック(あるいはフィーバー?)の中で垂れ流された言説の中でも、最も醜悪なものの一つがこちらです。この星アカリなる人物は私の知るところではありませんし、反核活動で通っている連中もピンキリですが、反核活動のイメージを貶めるには十分な独善家ぶりと言えるでしょうか。ともあれ、こうした社会的なリンチを呼びかける行為は紛れもないヘイトスピーチであり、唾棄されるべきものです。しかし唾棄されるべき言説が、東京電力なり原発なりの「絶対悪」に向けられることで、あたかも正義であるかのごとく装われることもあるわけです。それはレイシズムや排外主義の論理にも似たようなところがあると言えますが、実態なき脅威に怯える人々は自らの頭の中に「敵」を増やしていくものなのでしょう。そうして排除される人も増えていくわけです。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/fad00fefe329fae84d2253ceecb982ea(差別はいかにして広まるのか)

>結局、こうなるのも必然的な結果ではないでしょうか。とにかく放射能は恐ろしいものだ、どんなに微量でも危険なものなのだ、放射能は絶対に避けねばならないのだ――こういう刷り込みが行われていれば、どういう結果を招くかは推して知るべしです。放射線に関する科学的な解説をすれば御用学者と一蹴され、ただただ脅威を煽る言説ばかりが歓迎される、肥大化していった先は当然ながら排除の論理にしか行き着かないわけです。理解はなく、恐怖だけが広まっていく中では、理性は滅び信仰の如きものだけが先鋭化していくもの、そして信仰心が強まるほど「汚れ」には不寛容になるのでしょう

>これまでにも宿泊拒否や受け入れ拒否、入店拒否等々、諸々の差別が横行してきました。ただ、この横行する差別に対して世間がどう反応してきたかを見ると、いかに大震災後とはいえ甚だ心許ないものを感じます。福島周辺地域への差別はごく一部の週刊誌やスポーツ紙だけが取り上げるニッチな話題に止まり、総じて大新聞は冷淡ではないでしょうか。元より我々の社会は差別に鈍感だとは思います。ただ、そうであるよりも原発なり放射能なりに責任が転嫁されることで差別行為が容認されてはいないでしょうか。悪いのは原発なのだ――そうした逃げ道が作られていることで、大手を振って差別が罷り通る状況になっていると言えます。原発も発端の一つではありますが、状況の悪化に拍車をかけているのは良識家ぶって脅威を広めている人々でもあり、本人は警鐘を鳴らしているつもりでも実は差別の加担者になっている、そのことを自覚すべきです

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/a1bef970139c991a9f38e442b5211fec(文明災w)

>文明災wとか言い出す連中は、たぶん自分が到達点にいると思い上がっているのでしょう。きっと未来の人間からバカにされるに違いありません。未来の人間は必ずや我々よりも前に進む、色々な解決手段を発明するであろうと私は思うのですが、逆に未来の人間が自分よりも先に進めるはずがない、文明には限界がある、発展の時代は既に(すなわち自分の代で!)終わっているのだと、傲慢にもそう信じ込んでいる人がいるのです。

>そして自らが頂点に立っていると思い上がった人々は、将来の発展を否定します。これ以上の発展は文明災wを招くだけだとして、先に進むことを戒めるわけです。彼らの頭の中では、経済と同様に文明(科学技術)の発展の時代は終わっており、良くても現状維持、往々にして現状からの一歩以上の交代を迫る傾向にあると言えます。そして時計の針が止まった人間にとっては築40年の老朽化した原発も仕組みが大きく異なる最新世代の原発も同じ扱いになっているようで、必然的に議論は野蛮な全否定になりがちですし、加えて将来の発展を否定する以上、(例えば再生可能エネルギーなど)「将来的には実現できるかも知れないこと」という発想が出来なくなってしまい、一足飛びに「今すぐ出来ること」のように信じ込んでしまうわけです。いずれにせよ、現実から乖離した道徳論ばかりが吹き出すことにしかなっていません

>現代を発展の途上と見れば、過渡的な段階として何が可能かを考えるところですが、自分が文明の到達点に立っていると信じている人にとっては、既に過渡期は過ぎているわけです。そこで選択されるものは全てファイナルアンサーであって、過渡期に選択される暫定手段ではなくなってしまうのでしょう。だから将来的には再生可能エネルギーへの転換を視野に入れつつも、現時点では実現可能な選択肢の中にあるもので凌ごう、いずれもっと良い選択肢も出てくるだろうという考え方は出来なくなってしまいます。今、原発を選ぶのなら、これ以上の文明の発展が望めない以上、永遠に原発を使い続けるしかなくなってしまう――そういう凝り固まった考え方が、昨今の子供が駄々をこねるが如き脱原発論の隆盛にも繋がっているのではないでしょうかね。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/21ba38bf7f7fa5170eb4cdfab02b722c(どっちに転んでも不都合な真実)

>この辺の指摘を頭が原子炉に負けず劣らず熱くなっている人々はどう受け止めるのか、いささか興味深いところです。なんでも「比較的コストのかからない改善をしていれば、完全に回避できた可能性がある」そうで、ここで「完全に回避できた可能性があるのに、改善策を採らなかった」として東電非難に出る人もいると思われますが、そう主張するからには事故を回避できた可能性――数百年に一度レベルの巨大津波の元でも原発を安全に稼働できる可能性を認めねばならないでしょう。しかるに例によってネット世論上では、原発は絶対に危険であって必ず爆発するものであるかのごとく語られています。その「原発は何が何でも危険だ」との信念に沿って「回避できた可能性」を否定する人もいるのではないかと思われますが、原発の事故は不可避というのなら東電が事故を回避できなかったのも致し方ないこととして扱わないと筋が通らないですよね? 原発と東電を燃料として、危機と憎悪を煽るのに一所懸命な人たちは何を思うのでしょうか。まぁ、ダブルスタンダードこそ日本の世論の特徴ではあります

>しかしまぁ、その筋の人に言わせれば東電が電力供給を増やせば「そら見ろ、やっぱり原発はいらないじゃないか」となり、逆に電力供給力を増やせなければ「原発を推進するための陰謀だ!」となるんでしょうね。どっちに転んでもご都合主義的な言動を吐く奴はご都合主義を続けるものです。東京電力も大変だな、と思わないでもありません。いずれにせよ、何事もギリギリのラインで運用するのは常に危険を伴うわけです。甘い見通しに沿って「ここまで備えておけば大丈夫」と備えを最小限にまで切り詰めていると、いざ通常では考えにくいレベルのアクシデントが発生したときには痛い目を見るのは言うまでもありません。

>この辺は、防災対策だけではなく電力供給も然りです。原発抜きでも電力供給は足りていると主張している人もいて、まぁ自説を押し通すための強弁であって眉唾物ではありますが、その手の人達の説によると夏場のピーク時でもギリギリ電力は足りるということになっています。しかし私には思われるのですが、そういう「ギリギリ」で賄おうとすることの危うさを理解できていない人々こそ、今回の原発事故から何ら学んでいない、かつ全く反省していないのではないでしょうか。過去のデータを元に、理論上はギリギリ大丈夫――こういう思想で運用するから、一般的に予測される範囲を上回る事態が発生したときに対処できなくなってしまうわけです。流石に東京電力側は電力供給を「ギリギリ」で乗り切ろうとすることの危うさを理解しているようですが、逆に東電を批判している人の方はどうなんでしょうね。あいつらはバカだから問題を起こしたけれど、自分達なら上手くやれる――そう思い上がった連中が次なる人災を巻き起こすものです

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/b278d24761f22007da78f55ebbf47a43(霞を食べて生きているわけではないのだから)

>逆進課税(消費税増税)だの規制緩和だの人件費カットだの、高まる危機意識に乗じて火事場泥棒的に自説を押し通そうとする人も目立つようになってきた昨今ですが、こういう状況を乗り切るためという大義名分の元では諸々の無理が正当化されがちです。中でも際立つのが昨今の急進的な脱原発、というより反原発論でしょうか。そしてそれに付随する道徳論、慎ましさの強要も然りですね。脱原発という錦の御旗の元では、トンデモや陰謀論の類ですらが市民権を得てしまうわけで、放射「能」への恐怖に乗じてデマや怪文書の類を垂れ流す輩は後を絶ちません。こういう場面でこそ理性が問われる、叩きやすい相手に対してもフェアでいられるかどうかで誠実さが問われるように思えるのですが、無様に野蛮さを晒している人が多いような気がします。自分の気に入らない相手を貶めるためならば、虚報や捏造、偏見や差別の扇動でさえも平気で受け入れる人の顔は覚えておくべきでしょう

>引用の順番が前後しますが「エネルギーの地産地消を可能な限り進めたい」などとも宣っています。この「地産地消」も「自給自足」や「地域主権」、昨今では「脱原発」などと並ぶマジックワードで、「とにかく良いこと」として扱われがちです(こういうマジックワードが使われたときこそ警戒が必要です)。まぁ、何でも自分のことは自分でやるべきだと考えたがる日本の社会には相性の良いイデオロギーなのかも知れません。お互いの不足を補い合う、お互いに頼りあう関係もあってしかるべきだと私は前々から主張してきたところですが、何でも自立しているべきだと我々の社会は信じているのでしょう。ただ少なくともエネルギー供給に関しては、より広い単位で運用した方が望ましいはずです。

>たとえば反原発の流れの中でとかく美化されがちなドイツですが、再生可能エネルギーへの転換の際には不足分を隣の原発大国に補ってもらう時期が少なからずありました。そしてエネルギーの自給に成功したかに見えたものの、発作的に原発の運転を止めたことで再び隣の原発大国から電力を輸入することになったのは記憶に新しいところです。脱原発に向けた取り組みが可能だったのも取りあえず原発を止めることが出来たのも、電力を地産地消していたのではなく、別の国と分かち合っていたからということは心得ておくべきでしょう。ましてや日本でも再生可能エネルギーへの切替は進むことと予測されますが、とかく風力発電や太陽光発電は電力供給量が不安定です。この不安定さを解消すべくヨーロッパ全域を送電線で繋ぐみたいな試みもあるわけですが(特定の地域だけでは不安定な風力もヨーロッパ全体で総合すれば、それなりの安定が期待できます)、しかるに地産地消という対極の理念が幅を利かせてしまうと、なおさら不安定性というデメリットが際立つことになってしまいます。むしろ脱・地産地消こそ再生可能エネルギーを実用的なものにするための必須要件と考えられるべきで、まぁ毎日の社説はその点でも糞です。

反原発で吹き上がっている人々は、まずこの文章とじっくり向かい合うところから始めた方がいいと思います。

とりわけ、根本病のありとあらゆる症状をことごとく呈しながら、根っからの日和見主義の徒を正義の血塗られた刃でめった斬りにすることに夢中になっている一部「リフレ派」諸氏は、鏡に映った自分の顔をじっくりと眺めるこの上ない良い機会であろうと思われます。

参考にされたくない意見

糸井重里さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/itoi_shigesato/status/62361426609704960

>ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます

よりスキャンダラスで、より威嚇的で、より正義ヅラして、より失礼極まる言い方を、ユーモアのかけらもなく言いつのる皆様方は、つまりまっとうな感性の持ち主から参考にされたくないという意思表示の顕れということなのかも知れません。

なぜか、お望み通り参考にされないと逆上するところが不思議ではありますが。

2011年4月25日 (月)

雇用ポートフォリオの規定要因

New_2 『日本労働研究雑誌』5月号の特集は「短期雇用」です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/05/

特集:短期雇用

短期雇用法制のこれから
鎌田 耕一(東洋大学法学部教授)

解題短期雇用
編集委員会

論文オークン法則と雇用調整
黒坂 佳央(武蔵大学経済学部教授)

雇用ポートフォリオの規定要因
阿部 正浩(獨協大学経済学部教授)

座談会雇用ポートフォリオの変化と展望
佐野 嘉秀(法政大学経営学部准教授)
人事担当者 3名
労組役員 3名

短期派遣労働者の就業選択と雇用不安
小野 晶子(JILPT副主任研究員)

短期雇用についての法的理論
野川 忍(明治大学法科大学院教授)

短期雇用法制の国際比較――有期雇用と労働者派遣法制をめぐる、アメリカ法、ドイツ法、オランダ法の状況
本庄 淳志(静岡大学人文学部法学科准教授

このうち、大変興味深い知見を語っているのが、阿部正浩さんの「雇用ポートフォリオの規定要因」。

>雇用ポートフォリオを説明する主な仮説としては、取引費用仮説と解雇コスト仮説がある。本稿の分析によれば、取引費用仮説よりも解雇コスト仮説の妥当性が高いことが示唆される。なかでも、人的資本の関係特殊性は高いものの、将来の雇用調整コストが高いために正規雇用者を雇うのではなく、一時的に非正規雇用者として雇い、労働者の能力が判明した後で正規雇用者として登用するという企業の採用戦略が、雇用ポートフォリオを巧く説明していた。また、企業の雇用ポートフォリオは、非正規雇用者比率が時期によって変化しようとも、それを規定する要因に大きな変化はあまりなかったことが分析結果では示された。

つまり、取引費用仮説からすれば正規雇用する方が望ましい方に属するようなタイプの労働力を、解雇しやすくするためにあえて非正規にしているということですね。

現在の非正規に偏った雇用ポートフォリオは、本来の労働力活用の観点からすると正社員の雇用保護によって歪んだものになっている可能性があるという含意が示されているようです。

JILPTの小野晶子さんの「短期派遣労働者の就業選択と雇用不安」は、やや局部的ですが55ページから書かれている学卒後罹った病気が短期契約を選択する要因となっているという事例が興味を惹きます。

>Aさん(男性・39歳・大卒)は、事務所移転などの軽作業に従事している。正社員で働いていたときにうつ病を発症し、離職。その後、体調の様子を見ながら短期契約派遣で働いている。派遣歴は6年になる。短期契約で働く理由は、症状が重くなる兆候が分かり、それに合わせられるためである。

>Bさん(女性・36歳・短大卒)は、情報通信系の会社で正社員で勤めているときに、長時間労働によるストレスから難病を発症。治療と療養を繰り返しながら、週1回の単発派遣から復帰。仕事内容は主にデータ入力。体調見ながら就労日数を増やしていき、現在は週5日働けるように回復した。

>Cさん(女性・38歳・専門学校卒)は、正社員で働いているときに激務からうつ病を発症。離職して療養するが生活費が枯渇したことから、短期派遣を始める。・・・

このように、過去に精神疾患などを患い、療養しながら働いている人にとっては、短期派遣というのはなくては困る必要な働き方になっているようです。

労働時間規制の空洞化

毎月連載の『労基旬報』の「人事考現学」。

今回のネタは、「労働時間規制の空洞化」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo110425.html

>戦後制定された労働基準法は、戦前との落差が大きすぎることもあり、「8時間制を画一的に強制することを避け、賃金計算等に関し8時間制の原則を維持しつつも、労働者が自覚して求めない限りなお時間外労働を認める」こととした。この結果、日本の法定労働時間は工場法時代にはあった物理的時間規制としての性格が希薄化し、そこから残業代の割増がつく賃金計算上の基準時間に過ぎないという風に見られるようになった。

 このような労働時間規制の下では、時間外労働は例外的なものではなく、あるのが当然とみなされるようになり、三六協定の意味合いも変わる。戦後の労使関係をめぐる諸事案には、労働時間規制の本来の意義を没却するような事案が多い。時間外労働が当たり前という状況下では、(法の趣旨からは例外的のはずの)三六協定をあえて締結しないことが異常事態となり、それゆえ労働組合の争議戦術として効果的となる。

 これの裏返しが、不当労働行為としての「残業差別」だ。時間外労働が当たり前ということは、時間外手当が当たり前ということで、それが労働者にとっても恒常的な収入として組み込まれてしまっていることを意味する。そこで特定の労働組合の組合員にだけ時間外労働を命じないことは、その組合に対する揺さぶりとして効果的となる。最高裁は日産自動車事件(最三小判昭60.4.23労判450-23)において、「上告人会社が支部所属組合員に対し残業を一切命じないとする既成事実の上で支部との団体交渉において誠意を持って交渉せず、支部との間に残業に関する協定が成立しないことを理由として支部所属組合員に依然残業を命じないとしていることの主たる動機・原因は、同組合員を長期間経済的に不利益を伴う状態に置くことによる組織の動揺や弱体化を生ぜしめんとの意図に基づくもの」であるから不当労働行為に当たると判示したが、法の趣旨との乖離にはあまり意を払ってない。

 1990年代から2000年代には労働時間の弾力化が政策の中心になったが、三六協定で無制限の時間外労働を認めている点こそが日本の労働法制の最大の弾力性なので、それ以外のさまざまな制度は、極論すれば、時間外手当を払わなくてもいい部分を増やすための制度に過ぎない。2000年代には裁量労働制のようなみなし時間制ではなく労働時間規制を適用除外するホワイトカラー・エグゼンプションが焦点となり、2006年には法制化に向けた審議会の報告まで至ったが、「残業代ゼロ法案」というマスコミや政治家の批判により国会提出が断念され、以後そのままになっている。

 本来安全衛生問題であるはずの労働時間規制の適用除外に対して、もっぱら残業代ゼロという賃金問題の次元でしか批判がなされなかったという点に、労働時間規制の空洞化の行き着いた姿が浮かび上がる。

復旧業務のさなかで地方公務員叩きをする人々

被災地で地方公務員をされているマシナリさんの新エントリです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-450.html財源論と行政不信

「雇用創出」事業の問題点や行政不信が招く治安の悪化など、引き続き興味深い論点が提起されていますが、やはり多くの人に考えていただきたいのは、次の一節でしょう。

>上記のようなギリギリの状況で、最低限の通常業務をこなしつつ復旧業務に当たっているのが自治体職員をはじめとする「平時のプロフェッショナル」なわけですが、そうした通常業務をこなしていることに対する批判が増えています。・・・

>・・・実際には、寄せられる電話や来庁される方のごく一部ではありますが、震災直後で情報がない時点から「情報がなかったら車でも歩いてでも現地に行け!」とか「近くの自治体がこんな目に遭っているのに役所で仕事してる公務員なんか死んでしまえ!」とか「うちに帰って寝る暇があったら避難所で寝てみろ!」という趣旨の批判があったり、最近は「復旧・復興の取組が遅いから、○○をやれ!」とか「××という事業はムダだから、それを止めて財源を確保しろ!」とか「こんなちんたらした公務員なんかクビにしろ!」という趣旨のものに変わってきております。・・・

>その上でご理解いただきたいことは、お一人お一人のそうした提言に対応する時間と労力があれば、その時間で被災者支援に集中することができるということです。特に電凸などされたらひとたまりもありません。外部から見ていて歯がゆいこと、もどかしいこと、改善すべきことはあると思います。しかし、そうしたお一人お一人のご厚意が束になれば、自治体職員のリソースをそちらに集中しないと対応できなくなってしまいます。そうした実情をご理解いただき、現場の負担にならないよう、提言いただく際にはご配慮をお願いします。

もちろん、学校にモンスターペアレントがつきもので、病院にモンスターペイシャントがつきものであるように、役所にモンスター「市民」がつきものであることは今さらいうまでもありませんが、そして、そういうたぐいの人々に限って、自分のやっていることがこの上ない正義の行為であるかのように思いこむ傾向にあることもよくみられることですが、

それにしてもマシナリさんはじめとする地方公務員が必死に復旧復興に取り組んでいるのを真っ向から妨害するようにオレ流の「正義の刃」を振りかざしてくる人々というのは、まことに度し難い人々であるとしかいいようがありません。

この手の人々は、震災の前からムダだのクビにしろだのと喚いていたのであろうと想像されます。その意味では、近時話題の「火事場ドロボー」さんの一種というべきかも知れません。

まあ、そういう人々が社会の多数派でないことだけが心の慰めというべきなのでしょうけど。

2011年4月24日 (日)

党派性

なんにせよ、ご自分のお友達がやることには

>毒を吐いているものがおりますが、これは基本的には心が弱ったせいでの愚痴であって本気でとっていただきたくはない。

で、そうでない人のやることには

>あなたも連中と同様、いやそれ以上に人殺しに加担しているわけである。

というダブルスタンダードは、人をしてその発言主体を信頼せしめる要因とは言い難いように思われます。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20110424/p1

このことは前から申し上げてきておるわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7c5d.html(卑劣な第3法則の効果)

>また、本ブログのコメント欄でかつて見られたように、「同じリフレ派だから」という卑小な仲間意識による正義感の鈍磨が、結果的にどのような事態を招くかという大変よい社会学の教材になったのではないかと思います。ねえ、稲葉先生

わたしには吐かれている「毒」が「心が弱ったせいの愚痴」であるとは到底見えませんが、もし万が一そうであるとしても、そのような「毒」を辺り構わず吐き散らすようなお友達には、心温まるシンパシーの言葉ではなく、せめてたしなめる程度の良識の言葉が、曲がりなりにも言葉で勝負する知識人としては期待されるところではなかろうかと思います。

(追記)

本当に心の底からリフレ政策を実現したいと念じているなら、まず何よりも見習うべき行動の見本:

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20110425/p1(デタラメなこと言って信頼を損ねるのは本当にやめてください>高橋先生)

>ハンマーしか持っていない人にはすべてが釘に見えると申しますが、本件に明らかなように、高橋先生はすべてを官僚問題に帰着させていらっしゃいます。高橋先生がリフレ論壇を代表する論者の一とみなされてなければ、官僚たるwebmasterとしてもそれを笑って傍観していればいいのですが(信頼を失っていくだけでしょうから)、リフレ政策実現を願っている身としてはそうもいきません。官僚批判するなというのではありません。官僚批判をするときはきちん裏をとっていただきたい、とこれまで何度も申し上げてきたことではありますが、再度申し上げたいと存じます。

(これはひどい)

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20110424/p1

>shinichiroinaba お前ら本当に腐ってるな。disられて「増税論の主体は俺らじゃねえ」とか言い訳する暇があったら言論戦でもロビイングでもデモでもテロでも(いやいや)やって与謝野や財務省の足をひっぱれやゴラァ。

感想は以下に同じ。

http://blogs.yahoo.co.jp/zhang_r/28540997.html(稲葉さん崩壊)

>稲葉さんは、色々な難しい政治哲学書を読んできたのだろうけど、結局は自分の中に確固たる倫理がないのだろう。倫理があったら、こんな文章を平然と書けるわけがない。だいたい稲葉さん、あなたこそ何をやっているというのか。

2011年4月23日 (土)

NIRA『時代の流れを読む―自律と連帯の好循環―』

Nira NIRAといえば総合研究開発機構ですが、ここから最近公表された『時代の流れを読む―自律と連帯の好循環―』という報告書をお送りいただきました。

http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n110408_526.html

>本研究は、各国の制度・政策の変化の状況を踏まえ、われわれは一体どこに向かうのかを巨視的な視点から把握することを目的としたものある。具体的には、産業政策、金融規制・監督、高等教育制度、医療制度、年金制度の5分野について、「自律」と「連帯」を軸に変化を追った。ここでの「自律」とは、市場を通じて実現される自己決定のことを、また、「連帯」とは、リスクに対して複数の人が支え合うことで備えることを意味する。
各分野の制度・政策の変化を横断的にみると、連帯を通じて個人の自律が促されるような仕組みが形成される一方、自律した人にも連帯を促す仕組みが形成されるような制度設計がされていることが明らかとなった。つまり、自律と連帯の好循環が働くような社会を構築することが模索されているといえる

内容は次の通りですが、

序論
時代の流れを読む-自律と連帯の好循環-
神田玲子

第1章
経済危機後の新しい産業政策についての試論  
大橋弘

第2章
国際金融基準と各国の金融規制監督制度  
栗原俊典

第3章
金融機関の投資行動に対する規律付け
 -金融・資本市場における公正な価格形成確保の観点から-  
河村賢治

第4章
産業構造の変化と高等教育の役割  
新井泰弘、川口大司

第5章
熟議的・反省的医療政策に向けて
 -公平・質・効率・持続可能性と制度枠組み-  
松田亮三

第6章
私的年金制度の類型
 -年金制度における公私ミックスの方向性-  
鎮目真人

ここでは序論というより総論という感じの神田玲子さんの文章を紹介しましょう。

まず始めに、欧米の資本主義をエスピン・アンデルセンにならって自由主義、保守主義、社会民主主義という3つのレジームに分け、それらを市場の競争によって可能となる個人の「自律」と人と人との支え合いによる「連帯」の2つの原理の組み合わせで説明し、

>ここで強調したい点は、「自律」と「連帯」はトレード・オフの関係にあるわけではない、ということである。

そもそも「自律」と「連帯」はお互いを前提としている。自律できていない個人が集まっても、連帯することはできない。極端ではあるが、失業者の集まりでは、所得の再分配は不可能である。他方、連帯していなければ、自律することもできない。失業保険がなければ、今の仕事を嫌々ながら続けざるを得ない状況に置かれ、職業の選択を放棄せざるをえないためである。まさに他律の状況に陥る。

と、章のサブタイトルにある「「自律」と「連帯」の好循環」を説きます。

>好循環は2 方向からなり、1 つは「自律」すればするほど「連帯」を強くする関係であり、もう1 つは「連帯」すればするほど「自律」を強くする関係である。

ところが現在の状況は、

第1 の課題:市場リスク増大によって「自律」や「連帯」が困難となった「個」と「企業」

第2 の課題:「自律」を阻害する「連帯」制度

第3 の課題:高齢化による「連帯」制度持続の困難

という困難に直面していると述べます。

>現在の問題の所在は、「自律」と「連帯」そのものが困難となっていることに加え、「自律」と「連帯」が切り離されていることにある。こうした状況は政治の不安定化にもつながる。

これらに対する先進国の取り組みを、次のようにまとめます。

(1)「自律」と「連帯」の制度設計

先進国では「自律」と「連帯」の関係性を強めようという動きがみられる。これは、連帯から自律への作用と、自律から連帯への作用の2 方向からなる。

「連帯」⇒「自律」の制度設計

これに含まれるのが、「ウェルフェア・トゥ・ワーク」やアクティベーションや「メイク・ワーク・ペイ」といった、わたくしが結構熱心に紹介してきた政策群です。

「自律」⇒「連帯」の制度設計

これは、「社会的に困難な状況にある人に対しては、社会の構成員全員がその費用を負担することで社会に包摂しようという動き」を指します。

(2)国際協調による市場の規律の追求

ここには市場の規律を維持するための金融資本市場規制が含まれます。

(3)自律を支援するための国家の後押し

ここには産業政策や教育制度改革が含まれます。

以上を踏まえて、「自律」と「連帯」の好循環を強めるための制度設計を説くわけですが、特に日本の課題として、次のようにやや踏み込んだ議論をしています。

>そもそも日本には「自律」と「連帯」という考え方が根付いているのだろうか。個人が選択し、自己決定することに価値あるという共通の理解があるのか、また、社会民主主義のなかで醸成された「連帯」という考え方が共有化されているのか、ということである。

「会社人間」や「過労死」といった言葉からうかがえることは、企業に仕える他律的な人間像であり、また、会社組織内の同質性の高い集団に帰属する姿である。日本は戦後の混乱期をいち早く脱し、いわゆる「日本型経営」は欧米から高い評価を受けた。そこには、労使が一丸となって取り組む姿があった。しかし、近年の状況をみる限り、同質的な仲間うちの関係を重視して個人の自律性が確立されていないことがマイナスの影響を及ぼしつつあるように思われる。雇用形態の多様化は、本来であれば、選択肢を増やす意味で、プラスに受け止められるべき点も多いはずだが、「自律」ができていない社会においては、正社員以外の雇用者が増えることは日本企業の同質性を揺るがすことになったのかもしれない。これは、これまでの日本的な「個」と「社会」が、時代の流れのなかで挑戦を受けていることを示しているにほかならない。

グローバル化が進むなかで、日本的な「自律」と「連帯」の新しいあり方を模索しなければならない。それは、かつての日本社会に、ある種の郷愁をもって戻ることを意味しない。かといって、今回ここに取り上げたスウェーデンやアメリカ、フランスの中から1 つを選ぶということでもない。おそらくは、日本的な良さは、前項(1)で指摘した、「自律」と「連帯」の好循環が生まれる社会を目指すなかで見つけることができるだろう。

著者の物言いにやや絡むような皮肉な言い方をすると、戦後日本が造り上げた社会のあり方は、ある意味で「自律」と「連帯」が見事に好循環する社会であったといえるのではないかと思います。

企業組織や集団という複合主体レベルでの高い自律性と、その集団内部での深い連帯性が有機的に組み合わされた社会であり、それゆえに高いパフォーマンスも上げ得たわけで、それを別の自律と連帯の組み合わせの立場から外在的に批判するだけでは仕方がないとも言えます。

しかしながら、そのタイプの自律と連帯の組み合わせが社会の相当部分を覆いうるような条件が次第に失われてきたことが、現在の自律も連帯も乏しい状態をもたらしたのだとすれば、やはり内在的に問題を検討し直す必要があることもまた確かなのでしょう。

どういう方向へ?という問いに答えるべきは、これを読む読者一人ひとりであることだけは間違いありません。

中小企業等協同組合法上の団体交渉応諾義務

シジフォスの水谷さんが、興味深い裁判の判決を紹介しています。

http://53317837.at.webry.info/201104/article_23.html(事業団体への団交応諾命令、労組も見習おう )

このタイトルの意味、分かりますか?

事業団体への団交応諾命令、って、労働組合の団交要求に使用者団体である事業団体が応じるという話じゃありません。

事業団体が、「俺たちと団交しろ!」と要求するという話なのです。えっ?なにそれ?と、多くの方は思ったでしょう。

水谷さんが引用している『連帯』の記事を孫引用すると、

>バラセメント輸送の中小企業らが設立した協同組合(近バラ協)が輸送運賃の改定などについて、在阪セメントメーカー6社に団体交渉の実施を求めたところ、メーカー側がこれを拒否していた問題で、3月28日、大阪地裁は「近バラ協は中協法に基づいて団体交渉を求め得る地位にある」との判決を下した。
 中小企業がつくった協同組合が、セメント各社に運賃改定などの団体交渉を申し入れ、団体協約を締結する権利が法律で保障されていること、他方、メーカーには団交応諾義務があることが明確になった。

団交を要求する側が中小企業の事業協同組合、要求される側がセメントメーカーですね。

事業者同士の話なのに、なんで団体交渉なんて言葉が出てくるのだろう、・・・と思ったあなたは勉強が足りない(笑)。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO181.html中小企業等協同組合法

(事業協同組合及び事業協同小組合)
第九条の二  事業協同組合及び事業協同小組合は、次の事業の全部又は一部を行うことができる。
六  組合員の経済的地位の改善のためにする
団体協約の締結
12  事業協同組合又は事業協同小組合の組合員と取引関係がある事業者(小規模の事業者を除く。)は、その取引条件について事業協同組合又は事業協同小組合の代表者(これらの組合が会員となつている協同組合連合会の代表者を含む。)が政令の定めるところにより
団体協約を締結するため交渉をしたい旨を申し出たときは、誠意をもつてその交渉に応ずるものとする
13  第一項第六号の団体協約は、あらかじめ総会の承認を得て、同号の団体協約であることを明記した書面をもつてすることによつて、その効力を生ずる。
14  第一項第六号の団体協約は、直接に組合員に対してその効力を生ずる。
15  組合員の締結する契約であつて、その内容が第一項第六号の団体協約に定める基準に違反するものについては、その基準に違反する契約の部分は、その基準によつて契約したものとみなす

なんと、事業協同組合は労働組合と同じような団体交渉権、協約締結権があるように見えます。

メーカー側はこれは訓示規定に過ぎないと主張したようですが、裁判所は、

>当裁判所の判断(要旨)
 社会的経済的に弱い立場にある中小事業者である組合員の競争力を補強するための方策として事業協同組合による団体協約の締結事業を認め、その実現を図るための手段として事業協同組合による団体交渉を定めたなどの諸点を総合的に考慮すると、中協法の規定は訓示規定にとどまるものではなく、組合員の競争力を補強するためその構成する事業協同組合が取引事業者に対して団体交渉を求め得る法律上の地位を保障することにより、取引事業者に対し、事業協同組合の代表者による適式な団体交渉の申し出に対し誠実に対応し、正当な理由のない限り団体協約の内容について協議しなければならない私法上の義務(いわゆる団体交渉応諾義務)を課す規定であると回するのが相当である。

と私法上の権利義務規定であると判断した模様です。

最高裁のHPには載っていませんし、これ以上細かいことは分かりませんが、これはなかなか興味深い判決です。労組法上でも労働者とはとても言えないような中小事業者であっても、こういうルートがあるわけで、先日紹介した新聞販売店の事件もそうですが、労働法の人はこういう労働法の外側の話にも興味を持った方がいいということのようです。

040720 ちなみに、7年前の拙著『労働法政策』では、「非雇用労働の法政策」の中で、このようにちらりと触れております。

>3 協同組合の団体協約締結権*13

 労働組合法上の「労働者」は「賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」とされており、労働基準法上の「使用される者で、賃金を支払われる者」よりもやや広くなっている。実際に、プロ野球選手や建設業の一人親方の労働組合も存在する。
 しかし、それだけではなく、法制的には明らかな自営業者に対しても、日本の法制は既に集団的労使関係システムに類似した法制度を用意している。すなわち、各種協同組合法は組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結を各種組合の事業として挙げ、しかもこれに相手方の交渉応諾義務や団体協約の規範的効力、行政庁による介入規定などが付随している。
 このうち、特に労働者との連続性の強い商工業の自営業者を対象とした中小企業等協同組合法についてみると、1949年7月の制定時に既に事業協同組合の事業として「組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結」(第70条第1項第5号)を挙げ、この「団体協約は、あらかじめ総会の承認を得て、同項同号の団体協約であることを明記した書面をもってすることによって、その効力を生」じ(同条第4項)、「直接に組合員に対して効力を生ずる」(同条第5項)とともに、「組合員の締結する契約でその内容が第1項第5号の団体協約に定める規準に違反するものについては、その規準に違反する契約の部分は、その規準によって契約したものとみなす」(同条第6項)とその規範的効力まで規定した。これらは協同組合連合会の締結する団体協約についても同様である。
 これら規定は1955年改正で第9条の2に移されたが、その後1957年改正で団体交渉権の規定が設けられた。すなわち、「事業協同組合又は事業協同小組合の組合員と取引関係がある事業者(小規模の事業者を除く)は、その取引条件について事業協同組合又は事業協同小組合の代表者(これらの組合が会員となっている協同組合連合会の代表者を含む)が政令の定めるところにより団体協約を締結するため交渉をしたい旨を申し出たときは、誠意をもってその交渉に応ずるものとする」(第9条の2第5項)とされており、この「誠意をもって」とは、下記商工組合について「正当な理由がない限り、その交渉に応じなければならない」と規定しているのと同趣旨と解されている。
 さらに同改正によって斡旋・調停の規定も設けられた。すなわち、「交渉の当事者の双方又は一方は、当該交渉ができないとき又は団体協約の内容につき協議が整わないときは、行政庁に対し、その斡旋又は調停を申請することができ」(第9条の2の2第1項)、「行政庁は、前項の申請があった場合において経済取引の公正を確保するため必要があると認めるときは、速やかに斡旋又は調整を行」い(同条第2項)、その際「調停案を作成してこれを関係当事者に示しその受諾を勧告するとともに、その調停案を理由を附して公表することができる」(同条第3項)。
 なお、これら改正と同時に中小企業団体の組織に関する法律が制定され、商工組合及び商工組合連合会に組合協約締結権が認められ(第17条第4項)、商工組合の組合員と取引関係にある事業者等は「正当な理由がない限りその交渉に応じなければならない」(第29条第1項)。もっとも組合協約は「主務大臣の認可を受けなければその効力を生じ」ず(第28条第1項)、また主務大臣は商工組合又はその交渉の相手方に対し、組合協約の締結に関し必要な勧告をすることができる」(第30条)と、行政介入が強化されている。商工組合等に関しては、1999年に中小企業の事業活動の活性化等のための中小企業関係法律の一部を改正する法律によって組合協約関係の規定がばっさりと削られ、上記事業協同組合の規定を準用する(第17条第7項)という形になった。
 ちなみに、こういった自営業者よりも実態としては労働者に近いはずの家内労働者については、家内労働法において特に団体協約締結権の規定は置かれていない。なまじ、労働法制の枠組みの中におかれると、かえって柔軟な対応は困難になるように見える。もっとも、かつての社会党の法案には家内労働者組合と委託者との団体協約の規範的効力や、斡旋、調停、委託者の不当行為に対する命令といった規定が盛り込まれていた。

2011年4月22日 (金)

原発作業員の四重苦

Dst11042214190036p1 産経が「原発作業員襲う4重のストレス…過酷な環境、鬱などリスク」という記事を載せています。とても重要なことをいっていると思うので、いくつか引用します。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/dst11042214190036-n1.htm

>福島第1、第2原発の東京電力社員約90人を16~19日に現地で診察した愛媛大医学部教授の谷川武医師(49)=公衆衛生学=が取材に応じ、「不眠を訴える人も多く、このままでは鬱病(うつびょう)や過労死のリスクがいっそう高まる」と指摘、入浴や食事の環境を整え、休息が取れるよう配慮すべきだと訴えた。

>「危険な作業」「被災者」「肉親や友人の死」「加害者」の4重のストレスを感じている人もおり、早急に精神的ケアが必要な状態だという。

>谷川医師によると、中には24時間態勢で作業に従事し、一時、外出を禁止されていた人もいた。最初は1日1食、現在は3食になったが、缶詰やレトルト食品が中心の偏った食事だという。

第1原発で作業を終えた人は除染し、第2原発の敷地内にある500人収容の体育館で雑魚寝。畳を敷き詰め、その上に防寒シートを敷き、毛布と寝袋にくるまる。幹部以外は「4勤2休」のシフトで、4日間は入浴できない。

谷川医師は「通気性のない防護服は大量の汗をかく。疲れも取れず、さまざまな病気や皮膚疾患になりやすいだけでなく、作業ミスも生みかねない」と懸念する

放射能がなくても許されないような劣悪な労働環境です。しかも、

>約30人を問診したところ、危険な作業の重圧に加えて、「家族に『行かないで』と言われながら仕事に行っている」「家を失い、休日は避難所で生活しているが、住民から厳しい視線にさらされている」-など強いストレスがうかがわれたという。

谷川医師は「現場社員の8割以上が原発20キロ圏内に住まいがあり、中には家族を失った人もいる。一方で『加害会社に勤めている』との負い目を抱え、声を上げられていない」としている。

ここのところはきちんと言わないといけないでしょう。確かに、原発けしからんが正義になって、居丈高に電力関係者を責めたてる雰囲気が強まると、こういう形で労働者として主張すべきことも主張できないという状況が作られていく。日本の非常によくない面がでてきてます。サンデル先生、日本をほめてるだけではいけませんよ。

ようやく、昨日から、

>東電は、原子炉の冷却や汚染水の処理などのため第1原発敷地内で働く作業員の休憩所を新設し、21日から使用を始めた。収束まで少なくとも数カ月と長期戦になる見通しで、作業員の体調管理に必要と判断した。

働いてお金を得ることが尊厳の回復@永松伸吾

Nagamatsu3 CFWを提唱している永松伸吾さんが、アドバンスニュースというサイトで3回連続でインタビューを受けています。

http://www.advance-news.co.jp/interview/2011/04/post-48.html(CFWの導入による復興策を提唱)

http://www.advance-news.co.jp/interview/2011/04/post-49.html(「官民一体で、派遣会社などを即戦力に」)

http://www.advance-news.co.jp/interview/2011/04/post-50.html(働いてお金を得ることが尊厳の回復)

>・・・そうした中で見えてきたのは、「自らが働いてお金を得るということが、人間としての尊厳の回復につながる」ということです。当時の現地取材では、胸に刻まれる熱い話を数多く聞きました。義援金にはない、CFWのメリットのひとつです。

>義援金のように、困っている人には無償でお金を提供すれば良いのでは、という考えもあります。家も流され、すべてを失った人々にとっては、そうした無償の支援も必要です。しかし、労働の対価として支援を行うことには、無償の義援金にはないさまざまなメリットがあります。

>第一に、CFWは被災者に誇りを与えます。たとえ被災者とはいえ、他人の施しで生活するということに自尊心が傷つけられる人は少なくありません。第二に、労働の機会を確保することが、被災者に生きがいや希望を与えます。多くの人々にとって、仕事は生きがいそのものであり、社会との重要な接点でもあります。第三に、労働は新たな価値を生み出します。無償の支援は単にお金が移動するだけですが、CFWは、無償の支援とは異なり、労働が伴う分だけ、地域社会に新たな価値を生み出し、その復興過程を豊かにしてくれます。

ある種ワークフェア的な政策であることは確かですが、もちろん永松さんは

>いわゆる就業弱者の課題も含めて、従来から労働市場が内在していた問題や課題まで解決する「魔法のプロジェクト」ではありません。

と、あらぬ方向からの攻撃に対しても、ちゃんと予防線を張っています。

OECD対日審査報告書2011年版

OECDが昨日、「対日審査報告書2011年版」を公表しました。

日本語による要旨がアップされていますので、それを見ていきましょう。

http://www.oecd.org/dataoecd/6/5/47651437.pdf

>2011年3月11日に発生した東日本大震災は、日本における観測史上最大の地震であり、戦後最悪の惨事をもたらした。この惨事により膨大な数の人命が失われたことに深い哀悼の意を表明するとともに、被災された方々に対して心よりお見舞い申し上げる。OECDは、今後日本の関係当局と密接に連携し、この困難な時期に可能な限り日本を支援する用意がある。

震災による損害の全容を評価することは依然として時期尚早であるが、その当初の影響としては、生産を低下させることが見込まれ、その後、復興策によりそうした影響は反転されるであろう。デフレの圧力は、成長への逆風であり続けるであろう。このため、日本銀行は、下方リスクに注意を払いつつ、デフレが克服されるまで緩和的なスタンスを維持すべきである。金融政策の枠組みは、デフレに対する更なるバッファーを保証するため、物価安定の「理解」を引き上げることなどにより改善されうるであろう。

日本の優先事項は、原子力発電所の情勢とともに、人道的また復興に向けたニーズに取り組むことである。これは、必然的に公的支出の短期的な増加へのニーズを生み出す。だが、債務残高の現状を踏まえれば、そうした支出は、歳出の組み換えや、日本の人々の連帯感に訴えかけ、歳入の短期的な増加により賄われる必要があるかもしれない

先進国のコモンセンスが穏やかな表現で書かれています。金融政策は緩和的に、不可欠な公的支出は「人々の連帯感に訴えかけ、歳入の短期的な増加」つまり、増税で賄いましょうという、火事場ドロボーじゃない人々であれば当たり前の話です。リフレさえあれば他のすべては無駄と思いこんであらゆる税金を憎悪するというのが日本の一部に生息する特殊な人々なわけですが。

毎度おなじみの「労働市場の二極化への取組み」についても、やはり別の意味の火事場ドロボー的に、正社員の既得権を叩きながら非正規への保護も目の仇にするある種の人々とは違って、

>非正規労働者比率の上昇は、企業が雇用の柔軟性を高め、賃金を削減することに役立っているが、そうした労働者は、低い賃金、少ない訓練、不安定な仕事、そして十分でない社会保険制度の適用に直面している。労働市場の二極化を縮小させるためには、非正規労働者に対する社会保険の適用範囲の拡大、よりよい訓練プログラム、非正規労働者に対する差別の防止、そして正規労働者に対する実効的な雇用保護を引き下げるといった包括的な取組みが必要となる

と述べています。

詳しくはリンク先を。

(追記)

それにしても、このように素直に読めば、日本の異様な「りふれは」ではないにせよ、世界的には立派に「リフレ派」に属するような提言を、OECDがしてくれているというのに、それには見向きもせず、将来的な「税」という時を見ただけで脳みそのヒューズがはじけとんだのか、

http://twitter.com/#!/hidetomitanaka/status/61280393697038336

>ここで歯止めかけないと、復興政策がただの社会保障改革の消費税増税(本当は官僚たちのレント増大目的)という狂った帰結になる。しかしOECDとかわざわざもってきてこの時期にそのラインで増税とか。いったい復興をどれだけ軽んじているのか。人間性の問題でしかない。

と、社会保障への憎悪感だけで脊髄反射してしまうあたりが、「りふれは」の「りふれは」たる所以かも知れません。

味方になるはずの人を次から次に蹴散らし敵に追いやっていくその手際の鮮やかさには驚嘆の言葉もありません。

「日本はひとつ」しごとプロジェクトフェーズ2骨子案

昨日、厚生労働省に設置された被災者等就労支援・雇用創出推進会議の第4回会合が開かれ、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001a44n.html

そこに、今までのフェーズ1の進捗状況と、次のフェーズ2の骨子案が出されています。

進捗状況の方は、既に新聞等でも報じられているとおりですが、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001a44n-img/2r9852000001a49y.pdf

雇用関連の部分を抜き出しておくと、

まず「重点分野雇用創造事業と緊急雇用創出事業の拡充」、つまりネット上の人々にはCFW的枠組みといった方がわかりやすいでしょうが、公的雇用創出事業で、

>・岩手県において、県と市町村の事業で5,000人を雇用する計画(県で450人、市町村で3,500人、民間企業・団体で1,050人)。うち、県の臨時職員として雇用する120人分については、4月7日より順次ハローワークで募集開始。
・宮城県において、県と市町村が臨時職員等として4,000人を雇用する計画。5月から順次募集開始する予定。
・福島県において、沿岸部の13市町村で、計600人を臨時職員等として雇用する計画。4月14日より順次ハローワーク等で募集開始。
・その他の道府県においても、基金を活用し、約1,600人の雇用を計画。
・4月20日現在、把握している範囲で合計11,200人の雇用が創出される見込み

「地元優先雇用への取組」として、

・4月5日付けで、関係省庁連名で関係団体に対して被災者の受け入れに積極的な企業の発掘や求人情報のハローワークへの提出について460団体に要請。
・復旧事業の有効求人件数126件(4月15日現在)。
・岩手県の3市村で、がれき撤去などのため、約800人を雇用予定(うち180人を既に雇用)(4月14日現在)

この最後のものもCFW的枠組みの一つですね。

大きく「被災した方々としごととのマッチング体制の構築」の中では、

まずハローワークで、

(ハローワークでの相談件数等)
・被災者からの相談件数: 11万2,671件(3月28日~4月17日)
・被災企業からの相談件数: 2万6,168件(3月28日~4月17日)
・出張相談:81か所、相談件数のべ1,088件(3月16日~4月17日)
※岩手、宮城、福島県の数字
(障害者への対応)
・4月4日から地域障害者職業センター(青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、千葉)に「特別相談窓口」を設置。
・相談件数 263件(障害者171件、事業主92件)(4月4日~15日)
※実件数。雇用継続に係る相談のみ計上。

次に職業訓練、

・4月5日付で都道府県知事に、訓練定員の拡充や被災した離職者向けの特別訓練コースの設定など、被災地や被災者の受け入れ先等における職業訓練(建設関連分野など)を機動的に拡充・実施するよう通知。
・被災県において、5月以降、パワーショベルなどの車両系建設機械コースを順次設定する動き。

このパワーショベルなどというのは、上のがれき撤去などに素人さんを雇用する関係で、そのスキルを身につけてもらう必要があるからです。

そして、就労支援と書いてありますが、ここでは主に新卒、

・被災した新卒者等を対象に、5月9日の岩手県盛岡市での開催を皮切りに被災地域で順次合同就職説明会を開催(10回程度)。また、ハローワークにおいても被災した新卒者等への周知(既に実施中)、ジョブサポーターの派遣等の協力を予定。

「広域マッチング」では、

・被災者を対象とした求人 6,404件(4月15日現在)

のほか、農業・漁業分野でかなり求人が来ているようです。

火曜日の本ブログのエントリの最後でチラと書いた住宅問題についても、

・雇用促進住宅利用可能戸数 全国3万9,142戸、うち東北3県合計3,541戸。
その他、既に1,743戸について入居決定済み。(4月14日現在)

あと、どこそこに要請したとか周知したといったのもいろいろ並んでます。

既存の予算や仕組みの範囲内でとっさに動ける初動の段階としては、まずますこんなところでしょうか。

で、次のフェーズ2ですが、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001a44n-img/2r9852000001a49c.pdf

基本的対処方針に

>・・・しかしながら、今回の震災の被害は非常に甚大であるため、被災した方々の就労機会の確保等のために補正予算・法律措置によって対応する必要がある。
今回、補正予算・法律措置によって拡充した「日本はひとつ」しごとプロジェクト・フェーズ2を取りまとめた。これにより相当程度の雇用創出・維持効果が期待されるところであり、今後、さらに確実に就労支援・雇用創出を推進する

とありますが、その中身は

(1)復旧事業等による確実な雇用創出
(2)被災した方々の新たな就職に向けた支援
(3)被災した方々の生活の安定

という3行だけです。まあ、上の進捗状況に書かれているようなとりあえずの施策を、補正予算と法律措置で明確に確保するということなんでしょう。

わたくしとしては、(1)のCFW的枠組みと、(2)のうちとりわけ広域移動に伴う住宅その他の生活支援のところに関心を持って追いかけていきたいと思います。

2011年4月21日 (木)

福島第1原発:作業員の被ばく線量 管理手帳に記載せず

20110421org00m040010000p_size8 今朝の毎日が一面トップで、本ブログでも取り上げた放射線量規制の引き上げをめぐる問題を報じています。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110421k0000m040166000c.html(福島第1原発:作業員の被ばく線量 管理手帳に記載せず)

>東京電力福島第1原発の復旧を巡り、作業員の被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げた特例措置が現場であいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に線量が記載されていないケースがあることが分かった。関係法を所管する厚生労働省は通常規則に基づき「100ミリシーベルトを超えると5年間は放射線業務に就けない」とする一方、作業員の被ばく線量を一括管理する文部科学省所管の財団法人は「通常規則とは全く別扱いとする」と違う見解を示し、手帳への記載法も決まっていないためだ。

>問題となっているのは特例措置と通常規則との兼ね合い。厚労省は「通常規則は有効で、今回の作業で100ミリシーベルトを超えた場合、5年間は放射線業務をさせないという方向で指導する」とし、細川律夫厚労相も3月25日の参院厚労委の答弁で全く同じ認識を示した。

>一方、作業員の被ばく線量を一括管理する財団法人・放射線影響協会の放射線従事者中央登録センターは「250ミリシーベルト浴びた労働者に通常規則を当てはめてしまうと、相当年数、就業の機会を奪うことになる。全く別扱いで管理する」と説明。さらに「労災申請時などに困らないよう、手帳に記載する方法を検討している」とし、放射線管理手帳への記載方法が決まっていないことを明らかにした。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110421k0000m040167000c.html(福島第1原発:「ババ引くのは作業員」嘆く下請け社員)

>福島第1原発の復旧作業を担う作業員の被ばく線量を定めた特例措置があいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に記載されていないケースがあることが明らかになった。現場の作業員はあいまいな運用に不安を漏らすとともに「結局、ババを引くのは作業員」と嘆く声も聞かれた。関係者からは「線量管理がいいかげんだと、訴訟になった時に証拠が得られない可能性もあり、問題」との指摘も上がる。

これはかなり深刻な問題です。日本の原発をどうするかという大きな話の前に、こういう現実に放射線被曝の中で労働する人々の安全衛生環境がきちんと考えられなければならないはず。

今回の事故処理で高い線量の放射線を被曝した労働者が多数生じることは間違いないので、その人々の労災補償問題がおそらく数年後から十数年後にはいくつも上がってくる可能性があるように思います。その時のことも考えて、今からいろいろと手を打っておく必要があるのでしょう。

「同一労働同一賃金」というステレオタイプに囚われず・・・

独立行政法人経済産業研究所が、一気に13本もの非正規労働問題関係のディスカッションペーパーを放出していますな。

http://www.rieti.go.jp/jp/index.html

まず読むべきは、水町勇一郎先生の「「同一労働同一賃金」は幻想か?―正規・非正規労働者間の格差是正のための法原則のあり方―」という文章でしょう。最近、東大の社研の紀要に書かれたドイツやフランスの非正規労働者の均等待遇についての詳しい研究がベースになっていますが、日本の法政策に対して、かなり明確な方針を示しています。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/11j059.pdf

「むすび」の文章を引用しますと、

>今後の政策的な選択肢としては、さしあたり、①同一キャリア同一待遇原則、②同一労働同一待遇原則、③合理的理由のない不利益取扱い禁止原則という3 つのものが考えられる。これらのうち、現行のパートタイム労働法8 条は同一キャリア同一待遇原則(①)をとり、民主党の政権公約(2009 年マニフェスト)は同一労働同一賃金(②同一労働同一待遇原則の1 つ)を謳っている。前者(①)は日本的な長期キャリアに対応する職能給制度、後者(②)は欧米的な職務給制度に親和的であるといわれている。しかし、これらの法原則のように特定の型(「同一キャリア」や「同一労働」など)を求める法原則をとると、それ以外の多様な人事雇用システムに適合的でなくなり、また、キャリアや職務内容に直結していないさまざまな給付(通勤手当、社内食堂、健康診断など)に対応できないといった問題が生じる。法律の条文上は同一労働同一待遇原則(②)をとっていたフランスとドイツでも、人事制度(賃金制度)の多様化・複線化や労働者に提供される給付の多様さ・広範さのなかで、同一労働同一待遇原則(②)では対応できない問題点を克服するために、その運用上は客観的(合理的)理由のない不利益取扱い禁止原則(③)に沿った対応がなされている。日本でも人事制度(賃金制度)の多様化・複線化や労働者への給付の多様さ・広範さが想定されるなか、正規労働者と非正規労働者間の待遇格差問題については、広く合理的理由のない不利益取扱い禁止原則(③)をとり、その「合理的な理由」の判断のなかに個別の実態の多様性を取り込んだ対応をすることが、理論的にも実際上も妥当であ
と考えられる。

もっとも、合理的理由のない不利益取扱い禁止原則には予測可能性の低さという短所がある。そこで本稿ではさらに、フランスやドイツでの議論等を参考にしながら、同原則の内容と性質(特に「合理的な理由」の解釈の指針とその具体的判断の枠組み)を具体的に明らかにし、その短所を小さくすることを試みた。

本稿で述べたような具体的な法原則のあり方を視野に入れた議論を積み重ねることによって、日本の非正規労働者をめぐる諸問題の解消へ向けた法的対応が着実に進められていくことが期待される。「同一労働同一賃金」というステレオタイプに囚われず、地に足を着けて議論を深めるべきである。

つまり、職能給に決め打ちした同一キャリア同一待遇でも、職務給に決め打ちした同一労働同一賃金でもなく、どんな賃金人事制度にも対応できる合理的理由型がよろしい、と。「「同一労働同一賃金」というステレオタイプに囚われず」という表現が、いささか刺激的かも知れません。

そこのあたりはわたくしとほぼ同じ考え方になりますが、このむすびでは書かれていない合理的理由の判断基準としての労使の集団的合意についての議論を突き詰めていくと、多分いろいろな論点が出てきそうではあります。

もう一つ、いろんな意味で議論を呼びそうなのが島田陽一先生の「有期労働契約法制の立法課題」です。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/11j060.pdf

島田先生はこれまでは、期間設定に合理的理由を必要とする入口規制論者でしたが、この文章ではかなり明確に立場を変えています。

日本型雇用慣行についての、

>日本の雇用慣行において,企業の正社員とは,企業と単に契約によって一時的に結びついた存在ではなく,企業の不可欠な成員としての地位のある者である。これに対して、有期労働契約者は、正社員とは異なり、企業の恒常的な成員ではなく、一時的に契約によって企業と結びついているに過ぎない者と意識されているのである。

>法的にはではなく,事実及び意識のうえでは,正社員と契約社員とは,「身分と契約」との対比に他ならないのである。すなわち,正社員とは,企業における安定した,契約に左右されない「身分」となっているのである。

という認識を前提にして、

>このように「正社員同様職務型」の有期労働契約者の需要が多いのは、人件費の制約および処遇体系の硬直性から、「正社員」としては雇用できないが、一時的・臨時的な雇用需要とは異なる労働需要があることを示しているといえる。有期労働契約者を利用する理由に「人件費を低く抑えるため」が多数を占めていることは、この労働需要を示している。

>確かに、この労働需要は、有期労働契約の需要サイドからのものである。これに対して、有期労働契約者の雇用および安定という視点から批判のあるところであろう。仮に、期間の定めのない労働契約が締結されていても、その処遇体系が異なり、かつ、雇用の柔軟を前提としている雇用形態が認められるとすれば、この労働需要について、期間の定めない労働契約を締結することも可能である。これは,「正社員の多様化」につながる論点である。

と、「ジョブ型正社員」にいくかと見せかけて、いやそれはやっぱり難しいと、こう続きます。

>しかし、現在の「正社員」に関する雇用慣行の強度を考えると、そのような雇用形態を労使が承認することは容易ではない。中長期的な有期労働契約者は,正社員とは異なる人事活用システムにあり,処遇を異にし,また,労働条件も柔軟であることを企業という組織の中で明確に位置づけるために,「契約期間」が付されていることを無視することはできない。これは,従業員の間での相互の処遇についての納得感の根拠としても機能しているからである。

従って,中長期的な労働需要を担う有期労働契約者の活用を法の介入によって規制するのは適切な法政策とはいえないであろう。この労働需要を担う有期労働契約者をこれまでどおり認めることを前提として、適切な範囲での保護を与えるのが法政策の当面の課題として適当である。

期間の定めはないけれどメンバー型「正社員」みたいに厚い保証はないよ、というのは労使が反対してできそうもないから、むしろ恒常的需要に対応する有期契約というのを正面から認めていこうという発想です。

それは現実論としてはよく分かるところはあるのですが、むしろその場合の「期間の定め」が仕事の有無に関係のない権力行使の道具になりかねないところが、先日の日弁連のシンポでも述べた私の危惧するところです(ここは経済学者からはあまり出てこない論点)。

島田先生の処方箋は、更新可能性のあると明示された有期契約の雇止めに「「客観的合理性および社会的相当性を求める」ことを労働契約法17 条に挿入する」という点にあります。

その場合、その客観的合理性の中身は自ずからメンバー型正社員とは異なることになるでしょうが、それをどこにどういう風に表現するのかという問題がありそうです。

とりあえずこの2つを紹介しておきますが、それ以外についてもおいおい。

2011年4月19日 (火)

被災者向け求人6千件超 中小企業が支援に意欲

共同通信の記事から、

http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041801000717.html

>東日本大震災の被災者を対象とした求人の件数が全国で6404件となったことが、厚生労働省の調査で18日分かった。厚労省によると、被災者を支援したいという中小企業による求人が大半で、1件当たり1人~数人の募集が多い。

 厚労省は、被災者を雇い入れた企業へ助成金を支給するなどして雇用を後押しする。

 調査は15日時点。求人件数の最多は東京都の1211件で、埼玉県の584件、神奈川県の449件が続いた。被害が大きかった地域でも、岩手県107件、宮城県238件、福島県168件があった。

 面接会場や職場が遠い場合、面接にかかる旅費や引っ越し代を補助したり、寮などの住居を提供するという求人+も多数に上るという。

 中小企業+は、被災者を支援したいという経営者の意欲を採用に反映させやすい。また求職者の大手・安定志向を背景に、震災前から人材不足気味だった中小も多く、被災者の中から優秀な人材を発掘したいという思いもありそうだ。

 就職先が被災して内定を取り消された人向けに、採用枠を設ける企業の動きも広がっている。ドラッグストア大手のマツモトキヨシが最大200人、同業のスギホールディングスが最大150人を採用すると発表し、ソフトバンクや東武鉄道グループなども採用方針を打ち出している。

 岩手、宮城、福島3県の沿岸地域で働く人は推計84万人。事業所が被災し存続が難しい企業も相当数に上るとみられ、失業者の雇用確保は急務だ。政府は2011年度第1次補正予算案に約1兆円の雇用対策を盛り込む方針で、被災した離職者を雇い入れた企業へ1人当たり最大90万円の助成金を支給するなどの雇用促進策を打ち出している。

もちろん、一番望ましいのが地元での雇用機会であるといっても、現地が完全に壊滅し復興にどれだけ時間がかかるかも分からない状況では、こういう形の広域移動による就職支援は不可欠です。

実は、この意味からも、ある時期以降の日本の地域雇用政策が雇用開発ばかりに焦点を合わせすぎて、広域移動への対応がおろそかになってきたことについて、改めて再考してみる必要があるように思います。

POSSEの川村さんが、この記事についてこうつぶやいていますが、

http://twitter.com/kwmr_posse/status/60129073371942912

>被災者向け求人が6000件という今朝の報道。これまで雇用の「質」を問題化してきましたが、被災地だけで数万の失業者が生まれ、被災地以外でも倒産・解雇が続出。失対事業を考慮しても市場の需給関係では吸収しきれるわけがない。その状況でよく職業訓練「解体」の法案を通したなと改めて苛々

訓練ももちろんなのですが、訓練すら無駄に見える人々にとってはますます無駄の骨頂に見えたであろう雇用・能力開発機構のさまざまな過去の事業が、こういう非常事態になってみると、実は意味のあるものであったということが次第に見えて来つつあるようにも思われます。

少なくとも、今になって、広域移動者に寄宿舎つきの求人を、と言わなくてはならないということの意味を考えるならば。

「同一労働同一賃金」とは何か?@『賃金事情』

Epew 『賃金事情』4月5日号に寄稿した「「同一労働同一賃金」とは何か?」を、次の号が刊行されたので、わたくしのHPにアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chinjiequalpay.html

1 日本の賃金制度と同一労働同一賃金原則

2 近代的労働市場政策の発展と消滅

3 非正規労働政策の転回

4 非正規労働政策の現地点

5 西欧諸国の「同一労働同一賃金」と「均等待遇」

という順に説き来たって、最後の「6 同一労働同一賃金原則の今後 」のところで、こういう風に論じております。

>上述の日本の労働史を一瞥すれば分かるように、もともと同一労働同一賃金原則を強く主張していたのは経営側であり、それを支持していたのは政府であった。生活給思想からそれに抵抗していたのが労働側であった。ところが、高度成長終了後は経営側も政府も日本型雇用システムを維持強化する立場に転換し、本気で同一労働同一賃金原則を主張する勢力がいなくなってしまった。非正規労働問題が大きな問題となってくるにつれ、その均等待遇が労働側から要求されるようになってきたが、それが本気で取り組めば日本の年功賃金制度そのものの見直しをもたらしうる問題であることへの認識は、未だ必ずしも明確に意識されているとは言いがたいように思われる。

 経営側について言えば、とりわけ1990年代以降、年功賃金制の不合理さを縮小するための手段として、かつてのように正面から職務給や同一労働同一賃金原則を持ち出すのではなく、年功的処遇をベースとしながら成果主義の導入によって個々の賃金カーブを引き下げようというやや姑息な手段に訴えたことの得失を改めて再考する必要があろう。成果主義が多くの企業で失敗した最大の原因は、それが中高年層の人件費削減を「成果が上がらないから」という名目で遂行しようとしたことになるのではなかろうか。避けられない賃金引下げを「個別化」することで表面上は問題を回避したように見えても、個々の労働者の意欲を失わせたというマイナスは大きいように思われる。また、人件費削減のために非正規労働力を導入したために、かえってその是正を正面から掲げることを困難にしてしまった点も、今日の非正規労働問題を複雑にしている。

 とはいえ、戦後60年以上にわたって日本の労働社会に根付いてきた賃金制度の根幹を一朝一夕に変えられるはずもない。おそらく、中長期的には同一労働同一賃金原則に基づいた職務給型の賃金制度への移行を展望しつつも、当面の対策としては現在の賃金制度をある程度前提とした「均等待遇」を進めていくことにならざるを得ないであろう。その際、上記西欧諸国における法制ととりわけその運用の実態から参照すべき点は多いように思われる。とりわけ、時間や就業場所の柔軟性が特定の職務の遂行に重要であることを証明すればそのような賃金決定基準が許容され、勤続期間基準については挙証責任もないという欧州司法裁判所の判例を踏まえると、正社員と非正規労働者に共通に勤続期間に比例した取扱いをするとともに、正社員と非正規労働者の働き方や義務の違いを具体的に明示し、それに対応した格差という形で合理的な理由を認めていくことが、一つの方向性として浮かび上がってくるように思われる

2011年4月18日 (月)

今は被災地で雇用政策を言っている場合ではない!?

伊田広行さんのブログに、「震災復興基礎所得保障と生活再建のための現物支給を政府に要求する院内集会」というベーシックインカム派の方々が国会をロビー活動しているということが書かれています。伊田さん自身は疑問を感じて賛同しなかったようですが、たしかにこの記述を見ると、ちょっとびっくりします。

http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/2094/(矛盾した要求?)

>・・・15日、ロビー活動してきました。
今は被災地で雇用政策を言っている場合ではない」と共感して下さる議員さんや秘書さんが多く、小規模ながら院内集会を開催できる目処が立ちました。
被災当事者が、福島から駆けつけて発言してくれます。また、海外からのエールも頂いています。
平日ですが、ご都合つきましたらば、ぜひご参加下さい。

本当に、多くの国会議員やその秘書の方々が、「今は被災地で雇用政策を言っている場合ではない」などというようなことを口々に語ったのでしょうか。

もし、これが創作ではなく本当のことであるとしたら、日本国の国会議員やその秘書の皆さんの労働憎悪の念には驚かざるを得ません。

おそらく、議員や秘書の方々は実際にはベーシックインカムに賛成したわけでも雇用政策を敵視したわけでもなく、とりわけ「生活再建のための現物支給」に賛同したのを、この人々が上記のように記述したのでしょう。

また、「福島から駆けつけた」「被災当事者」が、本当にベーシックインカムさえあれば雇用政策なんか要らないというような特異なイデオロギーに賛成しているのかどうか、万が一その被災者の方はそうであっても、福島で働きたいのに働く場所を奪われた多くの方々が同じように賛成しているのか、そういうあたりがすっとばされたこの記述には、なんとも言えない違和感を感じます。

こういうところにも、ポテト・ニョッキさんのいう

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110416(震災を口実にして平時の主張を通そうとする奴は火事場泥棒)

が姿を現しているのでしょうね。

「国が負担する」とは「国民全体がその費用を出し合う」ということ

今次東日本大震災の被災県で日夜奮闘されている地方公務員マシナリさん(実際、「ほとんど家にいない」状態のようです)が、久しぶりにエントリをアップされています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-449.htmlそれぞれの役割

論点は3つ。まず、震災から1か月が過ぎ、そろそろ「非常時のプロフェッショナル」から「平常時のプロフェッショナル」が必要となりつつあるということです。

そこで、

>となると、当然、そのプラスアルファの部分の作業に当たるマンパワーが必要となるわけですから、被災地以外の同業者による同業者の事業への支援が決定的に重要となります。公務員の世界では、全国知事会や全国市長会が率先して職員を現地に派遣する取組を始めていますが、民間の事業者におかれても、ぜひ被災地の支援のために人員をご提供いただくようお願いいたします。

2つめはある意味でそのコロラリーですが、とりわけ「労務管理のプロフェッショナル」が必要だという話。

>CFWの取組のように、被災された方にそれらの業務に従事していただき、賃金を得ながら自助による生活再建に取り組んでいただくためには、これらの労働需要と被災者の労働供給をマッチングさせ、かつ現場の労務を管理しなければなりません。

>・・・CFWの取組がどの程度機能するかは、こうした労務管理や賃金管理を円滑に進めることができるかに大きく依存すると考えますので、前回エントリのとおり、人材ビジネスの分野からもご協力をいただけるとありがたいです。

労務管理という「平常時のプロフェッショナル」が平常ではない状況で緊急大量に必要となるということですね。

最後に、「国と都道府県と市町村と公共事業体が提供する公共サービスは不可分」というタイトルで、もう少し刺激的なことを仰ってます。

>「国」というのがその国民が支払う税金によって運営されるものである以上、「国が負担する」ということは「国民全体がその費用を出し合う」ということにほかなりません。この点において、リフレ派と呼ばれる方々の一部には「復興税なんてけしからん。国債の日銀引き受けでデフレも克服して一石二鳥」という議論もありますが、誰が引き受けようとも国債は日本国民が総体で負担することに変わりないはずですから、復興税のみを否定する論拠にはならないように思います。議論すべきは復興税と長期国債発行の適正な規模とその支出先をどうするかであって、財源論がそれに先行すると議論のリソースが非効率に配分されてしまいます。国債の日銀引き受けの実現にのみ効用を見いだす方ではなく、災害復旧によって生活再建しようとする方の効用を最優先にしなければなりません

まことに、この単純な真理から目をそらしたがる人々の多さには驚かされます。

おそらく、最大限同情的に解釈したとして、今のリフレ派の議論に何らかの正当性があるとしたら、今現時点で増税することが「景気」という(国民全体の福祉に関わる)公共財を毀損する恐れがあるからやらない方がよい、という趣旨なのでしょう。そこには確かに一理あります。

しかし、その一理が人を説得できる場合があるとするなら、それはまったく同様に地域経済を支えるさまざまな公共施設や公共サービスもまったく同様に公共財であり、それはまさに国民全体がお金を出し合って支えなければならないということを明確に言明する場合だけでしょう。つまり、「景気」という公共財だけが全員で負担すべき公共財であり、それ以外のいかなるものの公共性を認めないというような思想ではないことが必要です。

残念ながら、いわゆるリフレ派の人々の行動様式を見る限り、大震災が起こる前からひたすらみんなの税金で支える公共性を目の仇にして減税ばかりを唱える(あたかもアメリカの共和党のさらに急進派であるティーパーティの如き)人々とばかり極めて親密な関係を創ってきているように見えます(もちろん、すべてとはいいませんが)。

そういう公共性一般を敵視しながらなぜか「景気」についてだけは公共性を強調する人々は、多分、今現在の増税を経済理論に基づいて否定するという顔の裏側では、いかなる状況になろうがイデオロギーに基づいて増税を否定するという本音が息づいているのでしょう。

なお、最後のパラグラフで、地方分権問題にコメントしていますが、

>なお、前々回エントリで拙ブログには珍しく地方分権を推進するようなことを書きましたが、もちろんナショナルミニマムを確保し、公共サービスのネットワーク外部性に配慮するのは国の役割です。日本においては市町村が公共サービスの主体的な担い手になっていますが、都道府県は市町村より広域での公共サービスを効率的に供給しなければなりません。つまりは、それぞれの公共サービスが一体となってその住民の生活を保障しているわけであって、住民の個別具体の状況に応じてその利用の仕方が異なるというのが実態です。90年代以降の政治状況はこれらの公共サービスを切り分けることに精力を費やしてきましたが、災害復興においても行政不信をテコにそれらを対立させるのではなく、行政の機能を再認識して国と都道府県と市町村を有機的に結合させていく契機になることを願ってやみません。

全く同感ですが、むしろわたくしは今次震災を受けて、地方分権大いに結構、という気がしてきました。もちろん、必要なリソースを全国から集めて注ぎ込むという中央政府の役割を前提にしてですが。

被災地の実態からものごとを考え始めるのではなく、震災があろうがなかろうが常に主張したくて仕方がない自分たちの「正義」をわめきたてることにしか関心のない中央レベルの人々に比べれば、現場から発想する地方レベルの人々に任せた方がよっぽどいいのじゃない?といういささか皮肉な気持ちが湧いてくるのを抑えきれません。

(追記)

このエントリに対するはてぶコメントをきっかけにした一連のつぶやきがとぎゃられていたようです。

わたしも一応きっかけを作った人らしいので(笑)。

http://togetter.com/li/125580?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter(リフレ派の政治戦略の拙さに関する雑感)

「派遣・請負銀座」を直撃した大震災

『電機連合NAVI』3・4月号が送られてきました。特集は「M&Aに労組はどう対処すべきか」ですが、ここでは巻末おなじみの小林良暢さんの「先読み情報」から、“東北・北関東「大震災特区」で「奇跡の復興」を”を。

小林さんは震災直前の1月から2月にかけて、茨城沿岸から福島浜通り、南仙台にかけての工場を見て回っていたそうです。この地域は航空機部品や最先端電子部品の大集積地で、その製造工程を派遣・請負が担っていたと。

北関東では時給が1000円まで上昇しているが、福島原発以北の相馬あたりでは最先端の航空機製造でも890円で、それが最大の強みになっていたそうです。

今回の震災はもろにそれを直撃したわけです。

小林さんはこの強みを生かして奇跡の復興を遂げるために特区をつくって派遣・請負区分告示を適用除外にせよというようなことを述べていますが、原発が落ち着かない間はそもそも復旧するのも難しいでしょう。下手をすると、その間にどんどん他地域に流出してしまうおそれもありますし。

2011年4月17日 (日)

日本学術会議経済学委員会「東日本大震災」に対する緊急提言

日本学術会議といえば、わたくしも参加した大学と職業との接続検討分科会の話題か?とお思いかも知れませんが、そうではなく、今次の東日本大震災に対する提言です。

同会議の経済学委員会というところがまとめたようですが、まだ同会議のHPには掲載されていません。ただ、岩井克人さんのホームページに、「本提言は、近日中に日本学術会議ホームページに掲載予定である」という注釈付きでアップされていますので、ややフライング気味ながら、ここで雇用対策関連に焦点を絞って紹介したいと思います。

http://iwai-k.com/top02-j.html

「はじめに」によると、この提言は

>救助、支援、復旧、復興、さらに再生に向けた経済政策提言である。これに対しては、日本学術会議における経済学関係のメンバーから寄せられた多くの意見を参考として、岩井克人(経済学委員会委員長)が4月3日までにまとめたものである。メンバーの意見をすべて反映したわけでもなく、メンバーの中で意見が異なる政策も多く、しかも長期的なヴィジョンを始め多くの論点において不完全である。だが、事態が急速に変化している中、不完全なままでも「提言」として公表した方が良いという判断に達した。諸方からのご批判を仰ぎたい

ということです。

全体は、緊急時(救助・支援)、短期(経済回復)、中期(復興活動)、長期(生産性向上策、被災地域の再生計画、さらには国家としての新たな経済ヴィジョン)という時間軸に沿って叙述されています。

まず、「緊急時」の対策ですが、雇用対策としては、

>崩壊した住宅や工場や瓦礫などを国が整理するための法律や被害の実態調査をNPO等に委託するための政省令などの整備を早急に行い、緊急の雇用創出のために、瓦礫整理作業や調査活動の補助などを失業対策事業として1年間に限り認定し、一定額の日当を支払う。

被災者等の求める社会的サービスの供給を強化し、雇用機会を増やすため、これを実施しようとするNPOや社会的企業を手続きの簡素化や資金援助によって支援する。

就職や助成金、支払い猶予、所得保障等に関し、すべてを1か所で相談・助言が得られるようワン・ストップ・サービス相談所を設置する。

雇用保険の支給要件を緩め、同一企業に復職する者に対しても、失業手当を支給し、特定の要件を満たす者については、給付期間を延長する。

雇用調整助成金の要件を緩和し、給与支払いを可能にするとともに、労使、あるいは個人による社会保険料の支払いを一定期間免除することである

これらは、すでに政府によって採られている対策も含まれていますが、まずはこういうことでしょう。最初の失業対策事業というのも、すでに自治体レベルで先行的にCFW的枠組みが実行されつつあります。

次が「短期」。

>いずれの場合にも、労働市場においては(人的資源が大きく失われた災害地を除けば)デフレ圧力が強まることは確かである。その結果、失業率の上昇は避けられず、短期的には拡張的な財政金融政策が要請される。その場合、物価のインフレを一時的にもたらすことになるかもしれないが、スタグフレーションを解消させるには、生産性を回復させるか(短期的には困難)、残念ながら、インフレによって実質賃金率を低下させるかのいずれかの方策しか存在しない。

次が「中期」。

>残念ながら、これらの中期的な経済政策に関しての「フリーランチ」はない。基本的には、被災を受けなかった地域の人間や企業の労働や所得や資産を被災者や被災企業に「移転」する以外に道がない。移転には、自発的なものから強制的なものまで様々な方法があるが、ここで重要になるのは、それぞれの方法においては誰が負担者であるかを明確にすることである。そうすることによって、国民の間で負担の配分に関するコンセンサスの形成を助け、一方で公平性を担保しつつ、他方で復興のための長期的政策と結びつけることが可能になる。ここでは、以下の手段をあげておく。1.ボランティア活動、2.寄付、3.復興債の発行、4.国家予算の振り替え、5.増税

>・・・以上のような民間による自発的な移転だけでは、残念ながら、大きくても数兆円といった額であり、災害救助および復興支援のための移転としては十分ではないだろう。したがって、国債の発行、国家予算の振り替え、財政支出の削減、さらに増税など、国家を介した強制的な移転を設計する必要がある。

そして最後に「長期」。

>東北・北関東が経済的に自立していくためには、これまで人材面や立地面で比較優位を持っていた高技術企業の復活が是非必要である。以前よりは縮小された規模であっても、先端的製造業への供給ネットワークの中の集積地の一つとして重点的に復興させていくことを、西シフト・海外シフトへの動きが現実化する前に、政府が早急に表明しなければならない。企業や技術の地域的な集積メリットは、一度失われてしまうと他の地域にその地位を奪われていく速度が速いので、いち早い回復が必要だからである

労組法上の労働者ですらないけれども・・・

さて、先日最高裁が新国立劇場事件とINAX事件で労組法上の労働者性をかなり広く認める判決を下し、かつまた来月沖縄で開かれる日本労働法学会では「個人請負・委託就業者の法的保護-労働契約法及び労働組合法の適用問題を含む」というミニシンポジウムが行われるという時期でありますが、ちょっとずれた筋からの話を一つ。

ごく最近最高裁のHPにアップされた地裁の判決ですが、

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110414142315.pdf(福岡地判平23.3.15)

新聞販売店の地位確認請求というやつですが、

>被告が継続的契約である原告との本件販売店契約の更新をしないというためには,正当理由,すなわち原告が本件販売店契約を締結した趣旨に著しく反し,信頼関係を破壊したことにより,同契約を継続していくことが困難と認められるような事情が存在することが必要であるというべきである。

>確かに,継続的契約であるといっても,予告期間や損失補償を与えれば,それにより何らかの手当てができるものがあり,そのような場合であれば契約の解消を認めてよいものと思われる。しかし,契約を解消される側の一方当事者が,継続的契約に基づいた販売店経営を生活の基盤としており,かかる継続的契約を解消することが生活の基盤を失うことを意味するような場合については,予告期間を与えられたとしてもその期間内に相応の措置を講じることが困難であるし,十分な損失補償を観念できるとしてもそれはかなり高額とならざるを得ない。そのような場合については,十分な損失補償がなされているような場合は別段,そうでない限り,仮に予告期間の付与があったとしても,正当理由なしに契約の解消は認められないと解すべきである。

いうまでもなく新聞販売店というのはいかなる意味でも労働者性はないわけですが、へたな労働者に対するものよりかなり厳格な正当理由をその解消に対して要求しております。

労働法の世界ではどうしてもものごとを労働者性という観点から論ずることになるわけですが、それでなんとか行く世界と行かない世界があるわけで、たとえばコンビニエンスストアなんかは、客観的におかれた経済状況は似たような面があるとはいえ、労働者だと断言するのはおそらく多くの人は尻込みするところでしょう。

その点、このY新聞販売店事件というのは、労働者性を抜きにしてもいわば私法の一般原則からこういうロジックが引き出せてくるんだ、ということを改めて認識させてくれるという意味で、大変示唆的であります。

ちなみに、このエントリを読んで、なんだかデジャビュを感じるんだけどなあ・・・・・と思ったあなた、ピンポン。

このまったく同じ販売店さんが前に訴えた事件の判決を、本ブログで4年前に取り上げたことがありました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_76b6.html(継続的契約の更新拒否)

>これは労働法の判例ではありません。しかし、へたな労働法の判例よりもはるかにものごとを考えさせてくれます。

2011年4月16日 (土)

ホンモノの「御用」の気概

切込隊長さんのエントリがとてもいいです。

軽々しく「御用」学者を非難する薄っぺらな議論に見えていないものをきっちりと浮かび上がらせています。

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/04/post-4603.html(「御用」と簡単に言うけれども(雑感))

>何かと風当たりの強い復興会議ですが、私は会合を良く開催できているなあと思うんですよ。皮肉じゃなしに、ぶっちゃけ火中の栗を拾いに逝くどころか、火災中のガソリンスタンドに飛び込むようなものです。どうあっても、叩かれる結末になるのは目に見えているから。

で、政府関係の仕事やそれに沿う物言いをすると、メディアだろうが有識者だろうが、だいたい「御用」といわれるわけですね。御用学者だの御用記者だのという、ある種の与党総会屋的な見え方。

>・・・結果としてこういう状況なのだから、いま「復興」の二文字を背負える人は、確かに御用なんだろうけど相当な覚悟や使命感がなければ引き受けられないよなあというのが現実です。もし、自分のために先を見てしまう人だったら、この状況で復興会議やら対策本部やらで真正面から自分のキャリアをかけて事態打開に貢献したいと思うことはないでしょう。だって、失敗したら次がないもの。

なので、いま矢面に立っている人は、かなり自分を棄てて国や社会のためにやらなければ、と思っている人なのであって、菅政権がどうのとか、うまくいったら次はこのポジションだとか、そういう御用向きとはまったく無縁の人たちばかりなじゃないかと思いますよ。

菅政権が好き嫌いとか、無能だ使えないというような評価の問題はあるだろうけど、どうかその周辺の人たちは菅さんを支えて、成果を出して国民や世間が少しでも良くなるように頑張って欲しいものです。

とりわけ最後のパラグラフは、いつもの辛辣な口調が影を潜め、隊長の真摯な心持ちが伝わってきます。

殆ど付け加えることはないのですが、あえていえば、ここで隊長が世の風潮に抗して擁護しているのはホンモノの「御用」の気概なのだろうということです。

都合のいいときだけちやほやされる「御用」を務め、事態が危うくなるとさっさと「御用」から逃げ出して批判の砲列にちゃっかりと収まってしまうようなニセモノの「御用」なんかじゃなくって。

田中萬年さん、怒りの激白

日頃は温厚な田中萬年さんが、怒りを露わにしています。

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20110416/1302909634(政治主導による人権掠奪)

>今の度の雇用・能力開発機構廃止に関する根本的な問題はエリート政治家による職業問題の軽視にあることは論を待たない。

その結果の問題として、これまでの労働基本権の常識ではあり得なかった職業訓練を担当してきた機構職員を解雇-新規採用するという暴挙を「無駄使い」との社会的批判を利用した「風評」の下で平然とやり遂げた事である。その無駄使いとされた施設の建設過程を解明することもなく、真の意義も見ようとせず、一面だけを見た「私のしごと館」批判も「職業蔑視観」によると言える。そして、国民はその一面だけの、一点だけの情報で判断させられているのである。いわば、「機構無駄神話」を信じさせられたのである。

>戦後に築かれてきたささやかな労働権が政治主導により、今回の機構廃止法により、弁護士出身も少なくない国会議員の手により、国民の味方という政党により掠奪されたことを決して忘れないであろう。政治主導により人権剥奪が法律で保証されたことを。東日本大震災対策をやらねばならない事が膨大にある中で、わざわざ廃止を決定したことを。

 また、その法律は、大震災の復興を果たさなければならないまっただ中で、マスコミも注目しない下で簡単に決定されたことである。先に「関東大震災と職業訓練」で述べたように、職業訓練の拡大が重要なことは今日も同じ状況なのに、14日に伝年さんがコメントを下さっているように、職業訓練を推進して来た機構を廃止するという全く逆の政策を平然と実施しているのである。このことは、比喩は悪いが、関東大震災の時に朝鮮人を虐殺したように、困難な時代に弱者を強者が虐げてきた現象にも類似していると言えば言い過ぎだろうか。

さすがに朝鮮人虐殺を持ち出すのは言い過ぎだと思いますが、この数年間の、雇用が大事だ、訓練が大事だという言葉のすぐ下に、労働への蔑視感情が露骨な政策が横行してきた事態への、訓練関係者の秘めた怒りが伝わってきます。

この怒りを共有できないような人が、口先でどんな綺麗事を言ってみても、所詮は「敵」にすぎないのでしょう。

この東日本大震災で仕事も生活も奪われた人々の苦境をそっちのけにして、自分たちの経済イデオロギーの宣伝合戦にしか関心のない徒輩の行状を見るにつけ、言いようのない悲しみを覚えます。

さっぱり意味がわかりません

ひさしぶりに、拙著『新しい労働社会』についてネット上でいささか奇妙なやりとり。

Yahoo! Japan知恵袋というコーナーですが、

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1260196667

>この本を今読んでいるのですが、さっぱり意味がわかりません。

>誰か国語力のある方要約をお願いいたします。

すでにお一人、辛めの回答をされているようです。

2011年4月15日 (金)

警察による労働争議調停

金子さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/58571011959955457

>【今書いている原稿の一部】1910年代までの争議は,当事者間で解決できない場合,慣習的に警察署長等による調停によって収められてきたが,1920年代になると,それらの慣習を踏まえて小作調停法,労働争議調停法が整備され,いわゆる調停法体制が確立した。

のですが、労働争議調停法施行後も、法律に基づく調停委員会が開設されたのは6件だけで、圧倒的大部分は警察官吏による事実調停でした。

で、それが後になればなるほど、かなりの程度労働者寄りの解決であったりもしたのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html(昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/12_f1d9.html(昭和12年の愛知時計電機争議)

東日本大震災復興構想会議メンバーに清家篤さんら

昨日、東日本大震災復興構想会議の第1回会合が開催されましたが、そのメンバーはいかにも「有識者」という感じの方々です。

議 長: 五百旗頭 真 防衛大学校長、神戸名誉教授

議長代理 : 安藤 忠雄 建築家、東京大学名誉教授

議長代理 : 御厨 貴 東京大学教授

委員 : 赤坂 憲雄 学習院大教授、福島県立博物館 館長

内館 牧子 脚本家

大西 隆 東京大学院工系研究科都市専攻教授

河田 惠昭 関西大学社会安全学部長・教授阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター長

玄侑 宗久 臨済宗 福聚寺住職 福聚寺住職 福聚寺住職 、作家

佐藤 雄平 福島県知事 福島県知事

清家 篤 慶應義塾長

高成田 享 仙台 大学 教授

達増 拓也 岩手県知事 岩手県知事

中鉢 良治 ソニー 株式会社代表執行役 副会長

橋本 五郎 読売新聞 特別編集委員 特別編集委員

村井 嘉浩 宮城県知事 宮城県知事

特別顧問( 特別顧問( 名誉議 名誉議 長):梅原 猛 哲学者

なんだか、文明論が主流になりそうで、雇用問題は清家篤先生くらいでしょうか。

その下に。若手(というけど、中堅以上ですが)の検討部会がありますが。

検討部会名簿
飯尾 潤 政策研究大学院大学教授
五十嵐 敬喜 法政大学法学部教授
池田昌弘 東北関東大震災・共同支援ネットワーク事務局長
特定非営利活動法人全国コミュニティライフサポート
センター理事長
今村 文彦 東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター教授
植田 和弘 京都大学大学院経済学研究科教授
大武 健一郎 大塚ホールディングス株式会社代表取締役
玄田 有史 東京大学社会科学研究所教授
河野 龍太郎 BNPパリバ証券経済調査本部長・チーフエコノミスト
西郷 真理子 都市計画家
佐々木 経世 イーソリューションズ株式会社代表取締役社長
荘林 幹太郎 学習院女子大学教授
白波瀬佐和子 東京大学大学院人文社会系研究科教授
神成 淳司 慶應義塾大学環境情報学部准教授
竹村 真一 京都造形芸術大学教授
團野 久茂 日本労働組合総連合会副事務局長
馬場 治 東京海洋大学海洋科学部教授
広田 純一 岩手大学農学部共生環境課程学系教授
藻谷 浩介 株式会社日本政策投資銀行地域振興グループ参事役
森 民夫 長岡市長

玄田さんはこちらに入っていますね。

連合の團野さんもこちら。

復興会議では高邁な議論をしていただいて、実務レベルの話はこちらで、ということでしょうか。

雇用問題は大きな柱になりますから、きちんと提起していっていただきたいとおもいます。

2011年4月14日 (木)

電離放射線障害防止規則の特例に関する省令

昨日の労政審安全衛生分科会に、以前本ブログで取り上げた原発作業員の放射線被曝上限の引き上げについて、事後報告という形で資料が提出されています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-25ec.html(忠ならんと欲すれば・・・)

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000194mr.html

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000194mr-att/2r985200000194ow.pdf

電離放射線障害防止規則第7条では「緊急作業に従事する間に労働者が受ける放射線量は、実効線量について100mSvを超えないようにしなければならない」と規定しているのですが、それを、今回の事態に限り、緊急作業に従事する労働者の被ばく線量の上限を、250mSvに引き上げたというものです。

もともと第7条自体が「「第42条第1項各号のいずれかに該当する事故が発生し、同項の区域が生じた場合における放射線による労働者の健康障害を防止するための応急の作業」をするときの上限であり、その事故というのは

>○ 第3条の2第1項の規定により設けられた遮へい物(*)が放射性物質の取扱い中に破損した場合又は放射線の照射中に破損し、かつ、その照射を直ちに停止することが困難な場合
○ 第3条の2第1項の規定により設けられた局所排気装置又は発散源を密閉する設備(*)が故障、破損等によりその機能を失つた場合
○ 放射性物質が多量にもれ、こぼれ、又は逸散した場合
○ 放射性物質を装備している機器の放射線源が線源容器から脱落した場合又は放射線源送出し装置若しくは放射線源の位置を調整する遠隔操作装置の故障により線源容器の外に送り出した放射線源を線源容器に収納することができなくなつた場合
○ 前各号に定めるもののほか、不測の事態が生じた場合

なのですが、今回の省令は「平成23年東北地方太平洋沖地震に起因して原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第15条第2項の規定による原子力緊急事態宣言がなされた日から同条第4項の原子力緊急事態解除宣言がなされた日までの間の同法第17条第8項に規定する緊急事態応急対策実施区域において、特にやむを得ない緊急の場合」について引き上げるというもので、つまり第7条が想定していた「緊急」を超えた「特にやむを得ない緊急」に当たるということなのでしょう。

通達では「事故の制御と即時かつ緊急の救済作業を行うことがやむを得ない場合」というと述べており、確かに現状そうなのだろうな、と思うとともに、もともと「緊急」時の上限として設定していたものを引き上げるということにある種の居心地の悪さも感じます。

新しい雇用社会のビジョンを描く@21世紀政策研究所

21世紀政策研究所のHPに、『新しい雇用社会のビジョンを描く』というシンポジウムの記録が電子ブックという形でアップされています。

http://www.21ppi.org/pocket/data/vol10/index.html

ううむ、電子ブックというのは、画面上でページがぱらりとめくれたりして面白いのですが、若干字が見にくく、出来れば紙に印刷して読みたいと思うのですが、そうはいかないようです。

さて、このシンポ、佐藤博樹、阿部正浩、大内伸哉、駒村康平という面子に21世紀総研の細川さんという方の5人が報告し、連合の逢見さんとIBMの坪田さんがコメント役という、大変豪華なラインナップです。

コピペできないので、あまり引用できないのですが、例えば佐藤先生が「ジョブ型雇用の可能性」、「ジョブ型雇用の政策的課題」を語るなど、全編にわたって雇用システムと雇用政策の関係が意識されています。

ざっと読めるので、是非上のリンク先に飛んで見てください。ページの左下をクリックするとめくれます。

『労働法の世界 第9版』

L14426 中窪、野田、和田の3先生による『労働法の世界』も、ほぼ2年ごとに改訂を繰り返して、はや第9版めです。お送りいただきありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641144262

>日々変化する「労働法の世界」を,その実像に迫りながら明快に提示する教科書。最新の法状況や判例,学説の動向を反映。時を重ね,世紀をまたいでつねに進化・発展を遂げてきた本書が描き出す労働法の現在

せっかく最高裁が新たな判決を出してくれたばかりなので、さっそく労組法上の労働者性のところを見てみましょう。

最高裁のCBC管弦楽団事件の説明に続いて、

>・・・これに対し、劇場との間で年間の基本契約を結んだ合唱団員について、個別の公演には諾否の自由があることを強調して労組法上の労働者該当性を否定した裁判例があるが(新国立劇場運営財団事件)、法的な義務づけばかりに目を向けて事実上の拘束を無視しており、妥当ではない。

>また、会社との業務委託契約により製品修理等の業務を個人として請け負うエンジニアについて、やはり個別業務に関する諾否の自由、時間的・場所的拘束や具体的な指揮監督の欠如等を理由に、労組法上の労働者ではないとした裁判例(INAXメンテナンス事件)も、労基法上の労働者との違いを理解しないものと言える。

と書かれています。そして、続けて

>その一方で、労組法上の労働者の判断基準が必ずしも明らかでなかったことも否定できないが、最近の中労委命令は、①労務供給者が発注主の事業組織に組み込まれているか、②当該契約の全部または重要部分が、発注主により一方的・定型的・集団的に決定されているか、③報酬が労務供給に対する対価ないしそれに類似するものといえるか、という基準を提示している(ソクハイ事件)。

と述べ、図らずも今回の最高裁の判決の説明にもなっています。

2011年4月13日 (水)

INAX事件最高裁判決もアップ

昨日の労組法上の労働者性に関する最高裁の2つの判決のうち、INAX事件の方も本日アップされました。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110413094337.pdf

例によって、最高裁の判断の部分です。

>4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

前記事実関係等によれば,被上告人の従業員のうち,被上告人の主たる事業であるCの住宅設備機器に係る修理補修業務を現実に行う可能性がある者はごく一部であって,被上告人は,主として約590名いるCEをライセンス制度やランキング制度の下で管理し,全国の担当地域に配置を割り振って日常的な修理補修等の業務に対応させていたものである上,各CEと調整しつつその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日についても各CEが交替で業務を担当するよう要請していたというのであるから,CEは,被上告人の上記事業の遂行に不可欠な労働力として,その恒常的な確保のために被上告人の組織に組み入れられていたものとみるのが相当である。また,CEと被上告人との間の業務委託契約の内容は,被上告人の定めた「業務委託に関する覚書」によって規律されており,個別の修理補修等の依頼内容をCEの側で変更する余地がなかったことも明らかであるから,被上告人がCEとの間の契約内容を一方的に決定していたものというべきである。さらに,CEの報酬は,CEが被上告人による個別の業務委託に応じて修理補修等を行った場合に,被上告人が商品や修理内容に従ってあらかじめ決定した顧客等に対する請求金額に,当該CEにつき被上告人が決定した級ごとに定められた一定率を乗じ,これに時間外手当等に相当する金額を加算する方法で支払われていたのであるから,労務の提供の対価としての性質を有するものということができる。加えて,被上告人から修理補修等の依頼を受けた場合,CEは業務を直ちに遂行するものとされ,原則的な依頼方法である修理依頼データの送信を受けた場合にCEが承諾拒否通知を行う割合は1%弱であったというのであって,業務委託契約の存続期間は1年間で被上告人に異議があれば更新されないものとされていたこと,各CEの報酬額は当該CEにつき被上告人が毎年決定する級によって差が生じており,その担当地域も被上告人が決定していたこと等にも照らすと,たといCEが承諾拒否を理由に債務不履行責任を追及されることがなかったとしても,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,CEは,基本的に被上告人による個別の修理補修等の依頼に応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,CEは,被上告人が指定した担当地域内において,被上告人からの依頼に係る顧客先で修理補修等の業務を行うものであり,原則として業務日の午前8時半から午後7時までは被上告人から発注連絡を受けることになっていた上,顧客先に赴いて上記の業務を行う際,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,業務終了時には業務内容等に関する所定の様式のサービス報告書を被上告人に送付するものとされていたほか,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国的な技術水準の確保のため,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法に加え,CEとしての心構えや役割,接客態度等までが記載された各種のマニュアルの配布を受け,これに基づく業務の遂行を求められていたというのであるから,CEは,被上告人の指定する業務遂行方法に従い,その指揮監督の下に労務の提供を行っており,かつ,その業務について場所的にも時間的にも一定の拘束を受けていたものということができる

なお,原審は,CEは独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていたともいうが,前記事実関係等によれば,平均的なCEにとって独自の営業活動を行う時間的余裕は乏しかったものと推認される上,記録によっても,CEが自ら営業主体となって修理補修を行っていた例はほとんど存在していなかったことがうかがわれるのであって,そのような例外的な事象を重視することは相当とはいえない。

以上の諸事情を総合考慮すれば,CEは,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。

この判決文で注目に値するのは、「事業の遂行に不可欠な労働力として,その恒常的な確保のために被上告人の組織に組み入れられていた」という、いわゆる組織組み入れ論を明確に示しているところでしょう。

なお、田原判事の補足意見というのがついています。補足意見ですから、判決に賛成で、されにそれを補足するという意見ですが、興味深いのは、

>さらに,それに加えて,被上告人がインターネットに掲示していたCEの募集広告では,「勤務地」,「勤務時間」,「給与」,「待遇・福利厚生」,「休日・休暇」等の項目の記載があり,それらの各項目からして,その募集広告は,被上告人が行う事業に係る外注業者を募集する内容とは到底いえず,また,本件業務委託契約の内容を補充する「CEライセンス制度」の説明文中には,「福利厚生及び功労的特典」として「健康診断」,「慶弔会」,「リフレッシュ休暇手当」(契約10年目以後5年ごとに金券を支給するもの),「休業保障」(忌引き)等,独立した事業者との契約内容にそぐわない事項が定められている。

と、「求人」広告の中身も労働者性の補強証拠とされていることです。

2011年4月12日 (火)

本日、最高裁が労組法上の労働者性で判決!

さて、東日本大震災に世間の関心が集中しているときでも、最高裁はじっくりと労組法上の労働者性について考え続けておりました。

本日、注目されていた新国立劇場事件とINAX事件について、最高裁が原審を覆し、労働者性を認める判決を下したということです。

朝日の記事から、

http://www.asahi.com/national/update/0412/TKY201104120393.html(個人事業主でも「労働組合法上の労働者」 最高裁が判断)

>住宅設備のメンテナンス会社と業務委託契約を結ぶ個人事業主であっても、団体交渉が認められる「労働組合法上の労働者」に当たるかどうかが争点となった訴訟で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は12日、「労働者に当たる」との判決を言い渡した。

似た形態の個人事業者についても、労働者としての権利を認める先例となりそうだ。

>・・・また、この訴訟とは別に、新国立劇場のオペラ公演に1年間出演する契約を結んだ合唱団員が、同様に「労働組合法上の労働者」に当たるかが争われた訴訟の判決も12日にあり、第三小法廷は同じく労働者と認める判断を示した。一、二審判決は「労働者に当たらない」と判断していた。

最高裁のHPに飛んでみますと、現時点では新国立劇場事件の方だけアップされています。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110412150301.pdf

最高裁の考え方を示した部分を、やや長いですが引用しておきます。

>4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

前記事実関係等によれば,出演基本契約は,年間を通して多数のオペラ公演を主催する被上告財団が,試聴会の審査の結果一定水準以上の歌唱技能を有すると認めた者を,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーとして確保することにより,上記各公演を円滑かつ確実に遂行することを目的として締結されていたものであるといえるから,契約メンバーは,上記各公演の実施に不可欠な歌唱労働力として被上告財団の組織に組み入れられていたものというべきである。また,契約メンバーは,出演基本契約を締結する際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望されており,出演基本契約書には,被上告財団は契約メンバーに対し被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾すること,契約メンバーは個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行うことが記載され,出演基本契約書の別紙「出演公演一覧」には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されていたことなどに照らせば,出演基本契約書の条項に個別公演出演契約の締結を義務付ける旨を明示する規定がなく,契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由に被上告財団から再契約において不利な取扱いを受けたり制裁を課されたりしたことがなかったとしても,そのことから直ちに,契約メンバーが何らの理由もなく全く自由に公演を辞退することができたものということはできず,むしろ,契約メンバーが個別公演への出演を辞退した例は,出産,育児や他の公演への出演等を理由とする僅少なものにとどまっていたことにも鑑みると,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,契約メンバーは,基本的に被上告財団からの個別公演出演の申込みに応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,契約メンバーと被上告財団との間で締結されていた出演基本契約の内容は,被上告財団により一方的に決定され,契約メンバーがいかなる態様で歌唱の労務を提供するかについても,専ら被上告財団が,年間シーズンの公演の件数,演目,各公演の日程及び上演回数,これに要する稽古の日程,その演目の合唱団の構成等を一方的に決定していたのであり,これらの事項につき,契約メンバーの側に交渉の余地があったということはできない。そして,契約メンバーは,このようにして被上告財団により決定された公演日程等に従い,各個別公演及びその稽古につき,被上告財団の指定する日時,場所において,その指定する演目に応じて歌唱の労務を提供していたのであり,歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については被上告財団の選定する合唱指揮者等の指揮を受け,稽古への参加状況については被上告財団の監督を受けていたというのであるから,契約メンバーは,被上告財団の指揮監督の下において歌唱の労務を提供していたものというべきである。なお,公演や稽古の日時,場所等は,上記のとおり専ら被上告財団が一方的に決定しており,契約メンバーであるAが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて約230日であったというのであるから,契約メンバーは時間的にも場所的にも一定の拘束を受けていたものということができる。さらに,契約メンバーは,被上告財団の指示に従って公演及び稽古に参加し歌唱の労務を提供した場合に,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価及び計算方法に基づいて算定された報酬の支払を受けていたのであり,予定された時間を超えて稽古に参加した場合には超過時間により区分された超過稽古手当も支払われており,Aに支払われていた報酬(上記手当を含む。)の金額の合計は年間約300万円であったというのであるから,その報酬は,歌唱の労務の提供それ自体の対価であるとみるのが相当である

以上の諸事情を総合考慮すれば,契約メンバーであるAは,被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。

判決の読み方は、最終的には調査官解説を読むまで分からないところもありますが、今までの判例では「不可欠な歌唱労働力として被上告財団の組織に組み入れられていた」というようないわゆる組織組み入れ論が正面から打ち出されていたことはなかったように思われます。

まだ、上告代理人の一人である水口洋介弁護士のブログでは取り上げられていませんが、ぜひ感想というか、分析を読みたいですね。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/

INAXの方も、そのうちアップされると思いますので、引き続き、注視していきたいと思います。

いじめ・嫌がらせに指針@労働新聞

日本国の労働業界紙である『労働新聞』4月11日号が、1面トップででかでかと「いじめ・嫌がらせに指針」と見出しを打っています。

http://www.rodo.co.jp/periodical/news/

>厚生労働省は平成23年度、職場におけるいじめ・嫌がらせ防止に向けたガイドラインの作業に着手する。どのような行為をいじめ・嫌がらせと定義するかなどについて労使や国民の合意形成を図るため、学識経験者らを加えた「対話会議」をスタートさせ、ガイドライン作成につなげる。同ガイドラインに基づき働きやすい職場環境を整備した事業場に対する優良認定制度も設ける考えである

いじめ・嫌がらせは、たとえば労働局の個別労働紛争の2割を占めるなど、現在の職場のトラブルの中で雇用終了に次いで大きな問題になっていますが、制定法上に具体的な規定は何もなく、手探り状態です。

これからどういう風に進んでいくのか期待してみていきたいと思います。

ここがおかしい!就職活動@『情報労連REPORT』4月号

Report 『情報労連REPORT』4月号の表紙は、手をつないで瓦礫の中を歩く被災者の写真とともに、「支え合おう!ニッポン!」「復興に向けて働く仲間の総力を挙げよう」という言葉が並んでいます。

http://www.joho.or.jp/report/report/index2011.html#m04

ただ、震災前から特集を準備してきたこともあり、震災関連の記事ははじめの7頁で、その後には「ここがおかしい!就職活動」という特集が載っています。

http://www.joho.or.jp/report/report/2011/1104report/p10-19.pdf

その特集の冒頭に載っているのが、わたくしの文章です。

>就職モデルは崩壊、無防備に放り出される若者たち、社会支援とジョブ型採用を

>かつて学生と社会をつないでいた就職システムはバブル崩壊以降に機能不全を起こし始め、いまや多くの若者たちを過酷な就職競争の中に放り込んでいる。
なぜこのような事態が生じてしまったのか。日本の就職システムの核心に迫る。

ということで、関心のある向きは上記リンク先をお読み下さい。

わたくし以外には、新卒学生の過酷な「シューカツ」記録、小林美希さんの「安定しないまま30代後半に「失われた世代」は再び生まれるのか」、児美川孝一郎さんの「企業と大学のつながりを再考せよ」、国会議員、連合、明日知恵塾といった記事があります。

ちなみに、29頁の左下隅にさりげなく、「気になる言葉」として「CFW(Cash for Work)」が載ってたりします。

http://www.joho.or.jp/report/report/2011/1104report/p28-29.pdf

毎度連載のhamachanの「労働メディア一刀両断」、相も変わらず池田信夫氏を取り上げていますな。いい加減飽きないのかしら。

http://www.joho.or.jp/report/report/2011/1104report/p32.pdf

>厚生年金から非正規を排除する理由と膏薬はどこにでもつく

宮本光晴他『日本経済 未踏域へ』

31226c 宮本光晴先生より、共著の『日本経済 未踏域へ』(創成社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.books-sosei.com/book/31226.html

2009年秋に行った専修大学大学院公開講座の報告をもとにしたもので、櫻井宏二郎・宮本光晴・西岡幸一・田中隆之の4氏がそれぞれ、マクロ経済、雇用と企業統治、産業競争力、金融について論じています。

宮本論文は、JILPTの調査などを踏まえて、成果主義、解雇規制、非正規労働問題などについて論じています。ここでは最後の一節を。

>非正規労働者やフリーターの若者を、内部労働市場によって組織された大企業の正社員に導くことは困難であるに違いない。正社員としては、人手不足の中小企業の分野、例えば情報サービスや福祉・介護の分野が現実的であろう。そのためには基礎的訓練を通じてまずはこれらの分野に人を導く必要がある。それをなすためには実際に雇用する側の企業による共同の関与が重要となる。そしてその待遇を社会的に保障することが重要となる。これらは「市場原理」によってなしえるわけではなく、事業者団体から社会的な技能資格まで、社会の制度を必要とする。市場原理を支えるセーフティネットはこのような社会の制度によって築かれることを認識する必要がある

『産政研フォーラム』89号

Hyoshi89 中部産政研の『産政研フォーラム』89号をお送りいただきました。

今号の特集は「仕組みを創る」。

http://www.sanseiken.or.jp/forum/index_89.html

小嶌典明、毛塚勝利両先生の文章は、全文リンク先から読めます。

ここでは、やはり毛塚先生が労働者代表制について論じている次の一節を引用しておく値打ちがあるでしょう。

http://www.sanseiken.or.jp/forum/89-tokusyuu2.html

>3 労働者利害の多様化と労働者代表制度の整備

 このように、団体交渉の内実を豊かにすることが肝要であるが、制度論的にみれば、やはり、労働者代表制度の整備に取り組むことが、現在における労働組合の最大の課題であろう。これまでは組合組織率の低下にともなう未組織事業所の拡大という事情が背景にあったが、現在の議論は、先にみた、労働問題の多様化、多元化が大きく影響している。労働者の利害が多様化した現在、団結=同質性の原理である交渉制民主主義の労使関係システムだけでは十分対応できず、利害を異にするものの調整原理である代表制民主主義の労使関係システムで補完する必要があると思われるからである。

さらに、労働契約法の制定もある。2007年労働契約法は、就業規則による労働条件の変更に法的にお墨付きを与えたが、その際、変更手続における「労働組合等」1の対応いかんを合理性判断の要素としたため、過半数代表者の機能が変質し、労働組合機能を侵食する危惧が現実のものとなった。なぜなら、日本の就業規則は賃金や労働時間という根幹となる労働条件をも網羅的に記載するものであり、その変更に際して過半数代表者や労使委員会が発言でき、その同意に変更の正当化根拠を与えることは、組合代替機能を営むことを認めることにほかならないからである。したがって、労働組合が、労働者代表の任務と権限の限界を確認しておくことは、労働契約法の解釈だけの問題ではなく労働組合にとって不可欠の課題である

 同時に、過半数労働組合が従業員代表機能を果たすための手立てを考えることは協約政策的課題であることも認識すべきであろう。過半数労働者代表制は明確に労使関係制度として位置づけられてはいないとはいえ、過半数組合は、従業員代表としての法定任務を引き受けている。時間外労働協定や年休協定はもとより、育児介護休業、高齢者継続雇用制度の適用に際しても、過半数組合は、労使協定の締結を通して、ときには、法的規制の解除効力を超えて、組合員のみならず従業員全体の権利義務の得喪に影響を与えている。したがって、労働組合が法的に公正代表義務を課せられるものではないとはいえ、過半数組合は、これらの協定の締結に際して、組織対象外の労働者の意見をも集約することが求められている。仮に、過半数組合が従業員代表として組織外労働者の意見を適正に集約する努力をすることなく、利害を公正に受け止めないときは、過半数組合がいずれ過半数組合としての地位を維持できなくなるだけでなく、法的に締結した労使協定の効力が否定される余地がある

 それゆえ、過半数労働組合は、まず、法定任務について未組織従業員の声をも反映させる仕組みを作ることである。たとえば、過半数組合として時間外労働協定や計画年休協定を締結する場合に、「労働時間委員会」をつくり、組合員以外の従業員に対してもその代表者を選出させ、参加させることである。さらには、法定任務外の事項についても、たとえば、パート法の成立にともない大きな課題となっている均等処遇問題について、パートや契約社員を対象に、組合員、非組合員を問わず、その構成員とする「短時間就労者委員会」なり「均等処遇問題委員会」を設けて取り組む。つまり、過半数組合は、組合としての機能と従業員代表としての機能を自ら整理しながら、双方の任務を充足できる制度的な仕組みを労働協約で作り上げていくことである

数年前から、わたくしも

http://homepage3.nifty.com/hamachan/nichiroukenkumiai.html(労働者代表としての過半数組合)

>過半数組合は非組合員や他組合員も含めて全ての従業員の利益を代表すべき責務を負うことになる。自組合員だけの利益代表であることは許されないのであり、いわば公的な機関となるのである

と申し上げ続けてきているのですが。

順序は逆になりますが、加藤裕治理事長の巻頭言は、トヨタ労組会長だった方の発言としてはかなりラディカルで、組合員がどこまでついてこれるだろうか、という一抹の不安も感じつつ、じっくり読みたい文章です。

http://www.sanseiken.or.jp/forum/89-kantougen.html

>・・・しかしよく考えてみると、年功賃金というのは、今、労働組合自身が求めている「同一価値労働同一賃金」とは相容れない概念である。同じ仕事をしているのに年齢が違うことで賃金格差が倍以上あるのはなかなか説明がつけられない。職務で賃金が決まるシステムのアメリカには年齢差別禁止法があるくらいだ。日本も最近やっと雇用機会均等法が、採用基準に年齢を掲げることを禁止したが、実際は今でも高齢者の就職はきわめて難しい。
 国家公務員のように「省が違っても年齢さえ一緒ならどの省でも賃金は同じ」というくらい徹底していれば別だが、現実には私企業の場合、初任給は同じでも企業毎に年功カーブがぜんぜん違うから少しでもいいカーブを描く会社に入らないと生涯生活の安定が見えないということになる。そこで国民は少しでもいい入り口に入り、安定したエスカレーターに乗ろうと、「いい企業」から逆算をはじめ「いい幼稚園」まで、いい入り口の争奪に身をやつすことになった。高度成長のころであればその公式は成り立ったかもしれない。しかしバブル崩壊から以降、その黄金の公式はすでにない。無いのに価値観だけは生きている。それが日本の活性化の足を引っ張っているのではないだろうか。

>・・・日本には仕事が無いわけではない。かって国民の2?3割しか大学に行かなかったころ大卒が就いていたような仕事は買い手市場かもしれない。しかし、農業、福祉、サービスの関係では人手不足なのである。このパラドックスのような状態を変えない限り、日本経済は活性化しない。現実には、若者の30%以上が属する派遣など短期契約労働市場では、年功賃金や新卒採用などという基準はすでに存在していない。職能の高いものが優遇されている。昨年20代の男女の平均賃金では女性が男性を上回ったが、それは日本が年功ではなく職能で賃金が決まる社会に入りつつあることを物語っている。日本もアメリカのようにとまでは言わないが、仕事を移りながら職能を身につけ、給料も上げていくという価値観を持つことも必要なのではないだろうか。

>・・・私は審議会でジョブパスポートのようなものにしたらどうかという提案をしていた。つまりパスポートのように誰もが持てて、自分が経験した職業、持っている資格、その他をすべて記録していくのである。そこから何をアピールするか、何を読み取るかは個人と企業が決めることだ。できれば学校卒業と同時に全員に持たせてもいい。パスポートの厚みが増すことがその人の価値を増すことになれば、入り口で決まる価値観は消えていくのではないだろうか。そう考えたからである。しかし、「その中身をだれかが保証しなければ危険だ」ということから、取り上げられなかった。
 なにかを持てば安心、とか、ここにいる限り安定、という価値観はそろそろ捨てたほうがいい。大切なことは何をしているか、何をしてきたか、そしてこれから自分が何をするかなのである。ジョブカードにはそういう発想が欠けていたように思う。

>・・・このいくつかの論証で共通して言いたかったこと。それは、日本人が人を測る物差しを替えなければこの国は変わりはしないということである。入り口で決まる社会はその入り口の向こうの器がものをいう社会でもある。大なるもの、安定したものが優れている面はある。しかし、だからといってそこにいる人がすべて優れているわけではない。個々人の総和が組織であり、その個々人が輝いていなければ器も輝きはしない。個々人を輝かせるのは個々人の経験であり、個々人の努力である。そういう目でお互いがお互いを評価する社会にする必要がある。

>・・・社会の入り口ではなくその後の努力で評価が決まる。そんな価値観が当たり前になれば、個々人がtrial and errorをビビらない活力ある国に生まれ変われると思うのである

2011年4月11日 (月)

安易な「労働開国」では低生産性から抜け出せない@五十嵐泰正

20110408org00m020063000p_size6 本日発売の『エコノミスト』誌は、左のカバー写真のように特集は「電気がない!」ですが、「学者が斬る」は五十嵐泰正さんが「安易な「労働開国」では低生産性から抜け出せない」と、斬っています。

http://mainichi.jp/enta/book/economist/

この文章の最後のところで、五十嵐さん編の『労働再審2』にわたくBook_12889しが寄せた小論と通じる提起が書かれています。

>駆け足の現状整理を踏まえて、筆者が「労働開国」議論の前提とすべきと考えていることは、以下の2点に集約できる。

>1つは、総合的な労働政策のなかに外国人というファクターを位置づけることだ。・・・

>2点目は、既に存在する外国人労働者の待遇改善と、新規入国者の出入国管理を切り分けて考えることだ。・・・

>・・・単なる低賃金労働力としての外国人導入によって低生産性と劣悪な労働条件を維持していくという道をまず規制し、優秀な外国人にも魅力的な環境と労働条件を提示できる日本の産業社会を築いた上で、一歩進んだ「労働開国」のスキームや量的規模を慎重に検討していく構想力が、今こそ求められている。

ちなみに、同じ号で原田泰氏が「社会保障費の拡大を容認すると60%の消費税が必要になる」という脅しを書いています。いうまでもなく、社会保障の対象となる人口が現実に活動できるか否かに拘わらず一定年齢によってどうしようもなく決定されているものであるならば、こういう脅しにも一定の理がありますが、もちろんそうではありません。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/ribe1104.html(高齢者・女性・障がい者で「少子高齢社会」を支える(『リベラルタイム』4月号 ))

>政府統計でも、高齢世代をひとまとめにして「従属年齢人口」等と呼ぶ。しかし「従属」とは何か。日本には、一定年齢になったら労働を止めなければならない等という法律はない。高齢になっても経済的活動に従事して働き続けている人々は、経済的には「従属人口」等ではない。重要なのは、どの年齢層であれ、できるだけ多くの人々が働かずに扶養される側ではなく、働いて自らの生活を維持できる側にいられるようにすることではなかろうか

社会保障とは、本来働ける人をできるだけ現実に働けるようにするためにこそ必要なものなのですが、働けないと決めつけた人にばらまくものと考えれば、どうしようもないものに見えてくるのも当然かも知れません。

2011年4月 9日 (土)

貴戸理恵『「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに』

Photo0806 貴戸理恵さんの『「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに』(岩波ブックレット)をお送りいただきました。

>学校や就職,仕事など様々な場面で重視される「コミュニケーション能力」.しかし人と人の関係性や場に応じて変化するコミュニケーションを,個人の能力のように考えてよいのか.そこから現在の独特の「生きづらさ」も生まれてくるのではないか.自らの不登校体験もふまえ,問題を個人にも社会にも還元せずに丁寧に論じる

コミュニケーション能力の問題については、昨年本ブログでも何回か取り上げたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post.html(「コミュニケーション能力」論の罪)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-9aa3.html(見舘好隆『「いっしょに働きたくなる人」の育て方 』)

本書では、彼女自身の幼い頃からの経験も含めて、「コミュニケーション能力」というような個人の能力に還元されて語られがちな「関係性」をじっくりと考えていこうとしています。

1 「個人」と「社会」のあいだ
「関係性の個人化」が起きている/届かない社会要因論/「関係的な生きづらさ」

2 不登校からみる「関係的な生きづらさ」

「理由なく学校に行かない子ども」が問いかけるもの/長期欠席出現率の変化/むしろ「過剰」な社会性

3 なぜ「私たち」は「彼ら」を聞けないのか

「社会のせい」と「自己責任」のあいだ/「生きづらさ」をめぐる六つの語り/「関係的な生きづらさ」を理解する立場の不在/「自己選択・自己責任」という神話

4 「わたし」のポジションから考える

生きづらいのは誰か/「関係」で考えるメリット・デメリット/「選べない出会い」/「わたし」の話(「むずかしい子ども」/不登校のころ/不登校の「研究」へ/新米の「教師」「母親」として)

ちなみに、岩波書店の「著者からのメッセージ」では、今回の大震災と本書で扱う「生きづらさ」の間の落差を、舌切り雀の馬洗いどんの話で説明していますが、正直あまり良く理解できませんでした。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708060/top.html

『Vistas Adecco』誌インタビュー

Index_c_img_01 アデコ社の広報誌『Vistas Adecco』20号に、わたくしのインタビュー記事が掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/vistasadecco.html

>特集:私の考える「労働者派遣法」のあるべき姿
 
派遣労働者の保護を最前面に 事業規制は最低限に
 
2011 年1月に始まった国会の政局は流動的で、上程されている労働者派遣法改正案の行方は相変わらず不透明です。ここではこの改正案に反対、賛成という観点ではなく、「労働者派遣法」とはどうあるべきかについて、ゼロベースで考えるために、労働政策研究・研修機構の統括研究員の濱口桂一郎さんにお話をうかがいました。

中身は、いままであちこちで書いたり喋ったりしてきたことです。

アデコ社の奥村副社長とは、昨年10月15日の早稲田大学産業経営研究所の産研フォーラム「派遣法の改正と今後の労働市場-雇用機会の確保と雇用の質」でパネリストとしてご一緒させていただいています。このフォーラムの報告書はこちらにアップされていますので、まだ未見の方は是非お読み下さい。

http://www.waseda.jp/sanken/publication/forum/forum_36.pdf

鈴木宏昌先生が早稲田大学を去られる前の最後に挙行された大変意義深いシンポジウムであったと思います。

2011年4月 8日 (金)

「若者統合型社会的企業」の可能性と課題

JILPTの労働政策研究報告書として、堀有喜衣さんを中心にまとめられた『「若者統合型社会的企業」の可能性と課題』が公表されました。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2011/0129.htm

>一般就労が困難な若者が一般労働市場に至るまでの中間的な労働市場として、あるいは継続的に働く場としての「社会的企業」の可能性を探るためインタビュー調査を実施した。

「一般就労が困難な若者」とは、序章の表現を使えば、

>しかし本報告書が取り上げるのは、雇用情勢悪化の影響を受け、一般労働市場に入ろうとしてつまずいてしまった若者層ではない。景気が良くても一般労働市場に受け入れられることが難しい若者層である

彼らは、通常の労働政策からはこぼれ落ちてしまい、掬い上げられませんが、一方、少なくともこれまでの古典的な意味での障害者ではないので、福祉政策からもこぼれ落ちてしまいます。

>いわば、労働政策と福祉政策の狭間に置かれた人々である

そんなのは福祉で面倒見ればいいじゃないかという声も聞こえてきそうですが、

>近年のEU の政策においては、「参加」が欠如している人々を仕事を通じて社会に統合する政策が基軸とされている

じゃあ、どういうやり方をしているのかといえば、

>一つの対応策として示されているのが、一般就労でも福祉的就労でもない「中間的労働市場」を提供する「社会的企業」である。すなわち労働政策の側からすれば、これまで行ってきた就労支援の対象を拡大するという方向性が示されているといえる。若者が一般労働市場に至るまでの中間的な労働市場として、あるいは継続的に働く場としての「社会的企業」の可能性を探っていくことが本報告書の目的である

そう、世間で考えられている分野とはちょっと違った形でですが、ある種のアクティベーションの姿を描き出そうといういう試みです。

本報告書の前に、昨年『若者の就業への移行支援と我が国の社会的企業』というのが資料シリーズとして出ていて、ある意味ではその一連の研究の総まとめ編になっています。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2010/10-068.htm

こちらでは、若者就業支援を行なうNPOやワーカーズ・コレクティブ、ワーカーズ・コープなど「社会的企業」17団体 に対するヒアリングをまとめていますが、今回の報告書ではそれを踏まえて、自治体の政策やパートナー団体の条件、さらにイギリス、イタリア、韓国の状況など、広く触手を伸ばして検討しています。

通常の労働問題に対する関心とはややずれるところがありますが、それだけにそのこれからの可能性が見えてくるような発見的な研究です。

以下、主な事実発見をコピペしますが、是非、昨年の資料シリーズと合わせて、じっくりと読んでみてください。

1.第1章 若者統合型社会的企業の活動と組織の課題

若者支援の現場を持つ団体の支援は、(1) 居場所の提供、(2) 教育訓練の実施、(3) 柔軟な就労機会の提供、(4) 一般就労への移行支援、の4つの機能に分けられるが、しばしば複数の機能が併せ持たれており、当事者にとっては連続したステップとして意識されていたり、あるいは当事者のニーズによって同じ活動が別の機能を果たしているケースも見られた。こうした支援機能が持続するためには経営基盤が強固であることが望ましいが、実際には社会的企業の経営基盤はかなり脆弱である。社会的企業の経営基盤においては行政からの委託や指定管理者制度が重要ではあるものの、価格重視で決定されるためにしばしば社会的企業が疲弊する傾向が見られ、現在の行政との関係の在り方にも課題が見出された。

2.第2章 若者の移行支援機関としての社会的企業の特性と支援の方向性

他の団体にはあまり見られない社会的企業の意義とは、(1) 困難を抱える当事者の状況を認識し、(2) 公的な制度に先んじて課題を解決するため事業化し、(3) その課題を可視化し、制度化を要請する、という一連の流れにある。こうした観点から若者支援の分野における社会的企業は、非営利組織等との連続性をもつサード・セクターとしての特性を持ち、特に社会的課題を先駆的に認識、事業開発を行い、制度化を要請するというプロセスを内包した事業体であり、かつ実際の支援の最前線において個別的なニーズに対応した展開を行う可能性を持った主体であると位置づけられる。

3.第3章 自治体政策における若者の移行支援

京都府が青少年政策として実施している「『社会的ひきこもり』支援事業」、および兵庫県が労働部局の事業として実施している「生きがいしごとサポートセンター事業」に焦点づけた分析によれば、いずれの事例においても、(1) 民間支援機関の個性や特徴を生かす、(2) 民間支援機関同士の出会いの場を作る、(3) 国の政策を補完し、市町村の政策を標準化する、(4) 地方自治体内部の縦割りを超える、などの特徴が見られた。しかし安定的・継続的な支援の実施や、行政内外の事業横断的な連携、適切な評価指標、という点でまだ課題は小さくなかった。

4.第4章 若者自立支援事業のパートナーとしての条件の検討

今回調査対象となった現場を持つ団体を包括的に検討し、行政のパートナーとなりうる団体の特徴について(1) 支援団体の組織、(2) 支援の内容、(3) 有するネットワーク、という観点から探っている。

(1) 支援団体の組織の特徴は、被支援者の成長に合わせて組織の在り方を変えることができ、また今後変容が期待でき、恒常的に活動にかかわるスタッフを持っている団体である。(2) 支援の内容としては、複数の事業を持ち、被支援者の実態に沿った支援プログラムの開発ができている。また行政では届かなかった層に対する支援アプローチを持っており、被支援者の就労機会を何らかの事業を経営することで提供できている(当事者が常勤スタッフになっている場合もある)。(3) ネットワークについては、すでに地域社会で信頼を勝ち得ており、実績がある。これは資金の獲得という面でも重要である。また「若者統合型社会的企業」においては、ビジネスを行うことによって仕事を創出し、その仕事の中で体験就労の機会を作り出したり、一般就労との媒介を図るなど、中間的労働市場としての機能に力が入れられていた。当事者である若者は創出された仕事の中で、それぞれの段階やニーズにあわせた柔軟な働き方をすることができていた。当事者が段階を踏んで有償ボランティアに移行したり、常勤スタッフになっていく事例も複数見られ、「オルタナティブな働き方」に結びついている部分も見られる。仕事を作り出す側に回ることもあり、当事者による事業運営につながっていた。しかし一般就労については、半数以上が一般就労に移行している団体も少数ながら見られたものの、「若者統合型社会的企業」の努力よりも当事者のもともとの状態に左右される部分が大きく、「若者統合型社会的企業」から一般就労への移行率、あるいは正社員率についての知見の一般化は困難であった。

5.第5章 イギリス・イタリア・韓国における社会的企業政策

文献資料を用いて、先駆的に社会的企業を社会政策に取り入れた3カ国の代表的な政策(イギリスはCIC、イタリアは社会的協同組合、韓国は認証社会的企業)を紹介している。3カ国の社会的企業の法規定を見ると、就労支援、地域開発、対人社会サービスの提供といった社会的目的の達成のみではなく、事業的持続性や公的な位置づけに配慮した形での制度設計がなされている。

厚生労働大臣が人材ビジネスの事業者団体に直接要請

本日、厚生労働大臣が東日本大震災の被災地復興のために、人材ビジネス事業者団体に直接要請を行ったそうです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000018h32.html

>東日本大震災の被災地復興のためには、被災された方が一日も早く仕事に就くこと、被災地の企業にとっては復興のための人材を確保すること、が重要なことから、細川律夫厚生労働大臣は、本日、人材ビジネスの事業者団体に要請書を手渡し、迅速で的確な職業紹介やマッチングについて、官民一体となり積極的に取り組んでもらうよう、要請しました。

要請文は、事業種別に応じて3種類ありますが、中身はどれもほぼ同じなので、派遣業界向けのものを引用します。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000018h32-img/2r98520000018h5p.pdf

>労働者派遣事業関係業務の推進につきましては、日頃より御尽力を賜り感謝申し上げます。

3月11日に発生した東日本大震災により、多数の尊い人命が失われ、かつ、甚大な経済的被害がもたらされました。犠牲となられた方々に対し、心より哀悼の意を表させていただきます。

今般の震災及びこれに伴う計画停電の実施により、今後相当の期間にわたり、経済活動と雇用への重大な影響が生じることが懸念されており、多数の方々が生活の基盤となる職場を失うおそれがあります。

厚生労働省といたしましては、被災された求職者の皆様方への失業手当の特例支給を実施するほか、ハローワークの全国的ネットワークを活用した職業紹介を実施するとともに、事業主の皆様の雇用維持の努力を一層強力に支援するために雇用調整助成金の特例措置を決定するなど、緊急的に各種施策を講じております。

被災された求職者の皆様方などが一刻も早く仕事に就けるようにすることは、被災地復興のための最優先課題です。そのためには、被災地の企業等が復興のための人材を確保したり、あるいは人手や後継者の不足に悩む被災地以外の企業等が人材を確保することができるよう、求職者の皆様方に多様な選択肢をお示しすることも重要です。

これらを実現するためには、まさに日本中がひとつとなり、官民一体となって、被災された労働者・求職者の皆様方の仕事と暮らしを支えていかなければいけません。それには、ハローワークの取組のみならず、全国の労働者派遣事業者の皆様方による積極的な取組も必要不可欠であります。

貴団体におかれましては、

一 被災された労働者・求職者の皆様方などを受け入れられる派遣先を確保し、労働者・求職者の皆様方の希望や適性に応じた迅速・的確なマッチングを実施していただくこと。

二 復興に取り組む被災地の企業等や人手や後継者の不足に悩む被災地以外の企業等が、必要な人材を確保できるようにするため、労働者・求職者の皆様方に対して多様な選択肢をお示しするよう、努めていただくこと。

三 労働者・求職者の皆様方が希望する場合には、今般の震災に対応して厚生労働省が実施している雇用・労働関係の取組に関する情報提供に協力していただくこと。

につきまして、何とぞ最大限の御配慮をお願い申し上げます。

このように、被災された労働者・求職者の皆様方と人材を必要とする企業との迅速なマッチングに向けて、様々な広域的なネットワークも活用しながら積極的な取組を行っていただきますよう、貴団体の全国の会員企業に対します周知啓発の程、何とぞよろしくお願い申し上げます。

厚 生 労 働 大 臣

対象団体は:

○ 民間職業紹介事業団体
社団法人全国民営職業紹介事業協会

○ 労働者派遣事業団体
社団法人日本人材派遣協会
社団法人日本生産技能労務協会
有限責任中間法人日本エンジニアリングアウトソーシング協会
日本サービス業人材派遣協会
中部アウトソーシング協同組合

○ 求人情報提供事業団体
社団法人全国求人情報協会

です。

先日紹介した「「日本はひとつ」しごとプロジェクト」が、マッチング機能についてはハローワークしか挙げず、これら人材ビジネスに全く触れていなかったことについては、たとえばマシナリさんが

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-448.html

>なお、民間事業者やNPOとの求人をつなぐという点では、人材派遣事業者の機能も十分に活用すべきではないかと考えております

と述べ、

これを受けて出井さんが

http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-10854113069.html

>我々人材ビジネス業界には、動くべき時が必ず来ます

と語っておられるように、きちんと位置づけるべきであったと思います。その意味では、本日の直接要請は、こういう非常時であるからこそ官民協力して、しかるべきヒューマンリソースを的確に配分できるようにしていくべきであるというメッセージを明確に示したものといえます。

ある意味で、公共部門と民間営利部門とボランタリーセクターがどのように協力できるかという、貴重な実践の機会が与えられたというべきなのかも知れません。

デフレ脱却とインフレリスク@『DIO』

Dio 連合総研の『DIO』4月号は、「デフレ脱却とインフレリスク」という特集です。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio259.pdf

>デフレ脱却とインフレリスク

デフレ脱却の展望 熊野 英生……………… 4
資源価格高騰とインフレリスク 真壁 昭夫……………… 8
デフレ認識はなぜ遅れたのか 小峰 隆夫 ……………12

私は熊野英生さんの最初の一節にまことに同感しました。

>物価と賃金は、多くの場合、表裏一体の関係にある。特に象徴的なのは、消費者物価指数の50.6%の構成比に占めるサービス価格である。サービス価格は、サービス事業者の報酬と直結していて、価格が上がらないと賃金も増えない。サービス業は労働集約産業なので、価格設定が労働生産性を決めるという関係になる。しばしば使われる「賃金上昇の前提として労働生産性上昇が必要だ」という理屈も、サービスに関しては料金の値上げなしには難しい。一頃、日本のサービス産業は労働生産性が低いという議論があった。筆者からみれば、低生産性の原因は消費者がサービス価格の引き下げを望むからにほかならない。低価格志向に過度に反応する限りはサービスの生産性を高められない。結局、「デフレだから賃上げができない」という発想は、「賃上げをしないからデフレが終わらない」という関係と対になっていて、お互いにネガティブ・フィードバックを起こしているのだ。そうなると、物価と賃金のリンケージのうち、どちらか一方を最初の一手として引き上げることが重要な選択になる

本ブログでもかなり前から、このサービスの生産性の問題は取り上げてきていますけれど、なかなかこういうまともな認識は一般化してくれないようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

小峰隆夫さんの「デフレ認識はなぜ遅れたのか」は、

>日本経済は90年代以降、デフレに苦しんできた。その一つの理由は、インフレに比較してデフレへの危機感が弱く、デフレ脱却が必要という国民的認識が広がるのが遅かったことだったように思われる。国民がデフレを問題と思っていないような時に、政策的に強力なデフレ政策を取ることはかなり難しいからだ

という認識の下、なぜそういう国民意識が形成されてしまったのか?を探る興味深い論考です。ある種の人のように、デフレ脱却が必要と考えないのはただの馬鹿だとか、果ては誰ぞの陰謀だとか口走る前に、こういう冷静な知識社会学的な思索こそが求められるところでしょう。

>ではなぜデフレの弊害についての認識は遅れたのか。私は三つの理由があると考えている。一つ目は、輸入インフレの苦しさが強く国民的記憶として残っていたことであり、二つ目は、そもそも経済的論理に基づいて物価の弊害を論じてこなかったからであり、三つ目は、「内外価格差の是正」が政策課題として長く意識されてきたことである

これらを貫く発想は、「社会の記憶」というコンセプトです。

>私は、社会にも「記憶」があると考えている。経済を構成する多くの人々に強い影響を及ぼすような経済的事象が起きた後は、社会的にその記憶が残り、再び同じような事象を繰り返すまいというモメンタムが強く作用する。その事象が大きければ大きいほど、その社会的記憶は深く刻み込まれ、長い期間残る

これは経済政策に限らず、それこそ戦争の記憶から始まってさまざまなところに見られる現象でしょう。そして、これは小峰さんが語らないところですが、一種の世代効果として、ある世代が若い頃に強烈に受けた「社会の記憶」は、その世代が高齢化してもその「磁性」を保ったまま維持されていくように思われます。

その意味では、輸入インフレへの警戒感は70年代の石油ショックを原体験として現在の現役高齢世代まで残っているのに対し、80年代から90年代の頃に国策として叫ばれた内外価格差の是正こそ正義という「若き日の刷り込み」は、現役中堅世代に牢固として残っているように思われます。

国民のデフレ・インフレへの評価が、

>物価下落についての意識を聞き始めたのは2001年からだが、この時は「物価下落は好ましい」という人が「困ったことだ」という人々を圧倒的に上回っていた。しかし、デフレが進むにつれて、次第に「困った派」が増えてきて、ついに2007、2008年には逆転した。ここに至って「物価の下落も良くない」という認識が相当強まったことが分かる。
 しかし、その後は再び「好ましい派」がやや勢いを盛り返しているようだ。一方、物価上昇についての評価は、常に「困った派」が大優勢の状態が続いている。

という状態であるのも、「社会の記憶」の牢固性を物語っているのでしょう。

日弁連シンポ要録@『BLT』

201104 JILPTの『ビジネス・レーバー・トレンド』4月号は、「欧米を中心とした非正規雇用の動向―日本との比較の視点から」が特集ですが、

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2011/04/index.htm

その中に、「有期労働契約のあり方に関する議論が本格化―研究会報告、日弁連シンポ、労使の主張から」という取材記事があります。

これが、わたくしも参加した例のホワイト・バレンタイン・ナイトの日弁連シンポジウムの様子をかなり細かく報じておりますので、関心のある方は本体をご覧下さい。まだ中身はHP上にアップされていませんが、次号発行後にはアップされる予定です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-d648.html(ホワイトバレンタインの日弁連シンポ)

2011年4月 7日 (木)

「日本はひとつ」しごとプロジェクト

一昨日、「被災者等就労支援・雇用創出推進会議」(座長:小宮山洋子 厚生労働副大臣)が、第1段階対応取りまとめとして、標題の対処方針を公表しました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000017w5f.html

本文は、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000017w5f-img/2r98520000017waw.pdf

ポイントは、

<基本的対処方針>
1 復旧事業などによる被災した方々への就労機会の創出、被災地企業、資材の活用
2 被災した方々や地元の意向を十分踏まえつつ、希望する被災者が被災地以外の地域
  に就労可能にしていくこと
などにより、被災した方々のしごとと暮らしを、いわば日本中が一つとなって支えていく。

<当面の緊急総合対策>
1 復旧事業等による確実な雇用創出
  ・重点分野雇用創造事業と緊急雇用創出事業の拡充
  ・「地元優先雇用」への取組
2 被災した方々としごととのマッチング体制の構築
  ・「日本はひとつ」しごと協議会の創設
  ・「日本はひとつ」ハローワーク(ハローワーク機能の拡大)
3 被災した方々の雇用の維持確保
  ・雇用調整助成金の拡充

<効果的な広報による被災者の方々への確実な周知>

ということで、本文から関連する部分を引用しますと、

まずCFW的な枠組みに相当する部分ですが、

>(イ)重点分野雇用創造事業と緊急雇用創出事業の拡充

被災した方々の雇用の場を確保するため、重点分野雇用創造事業の対象分野に新たに「震災対応分野」を追加し、避難所での高齢者や子どもの見守り、地域の安全パトロールなど被災した方々を雇用して幅広い事業を展開できるようにする。
また、重点分野雇用創造事業及び緊急雇用創出事業での雇用期間は、現行最長1年以内とされているが、被災した方々については雇用期間の更新を可能として1年を超えて雇用できるようにする

また、これについては地元優先雇用のために、

>(ウ)地元優先雇用への取組

地元の被災した方々の雇用を確保するため、
① 当面の復旧事業については、適切な地域要件の設定等により、地域の建設企業の受注の確保を推進する(地方公共団体についても同様の取組を求める)
② 復旧事業等の求人をハローワークに提出するよう民間事業者に求める
③ 被災した離職者を対象にした雇入れ助成金(特定求職者雇用開発助成金(大企業50万円、中小企業90万円))やトライアル雇用によりインセンティブを付不して地元の方を紹介する
といった地元優先雇用への取組を行う

このなお書きも重要。

>なお、建設作業に従事したことのない被災した方が復旧事業に雇用されることになるため、特に安全衛生対策に配慮する必要がある

それから、一々引用しませんが、「「日本はひとつ」ハローワーク・プロジェクト」として、マッチング関係にかなりの記述が割かれています。

ただ、「様々な機関とのネットワークの構築」にしろ、「避難所へのきめ細かな出張相談」にしろ、「農林漁業者、自営業者に対する支援」にしろ、平時に倍する人的資源が必要なはずで、それをどう確保するのかも重要でしょう。昨日の新聞に、被災者をハローワークの臨時職員として採用したという記事が載っていましたが、その辺も終戦直後の状況を思い出させます。

ちなみに、標題の「日本はひとつ」というのは、ACのコマーシャルでいっているような意味だけじゃなく、各省縦割りじゃなくて、政府機関一体となって・・・という趣旨も込められているのだそうです。昨日、都内某所某研究会で小宮山副大臣が仰っていました。

2011年4月 5日 (火)

会社が消失した被災者の声

一昨日ご紹介した、今回の大震災で会社が消失し、社員やその家族もなお行方不明の中で奮闘しておられるgruza03さんが、引き続きマシナリさんのブログのコメント欄で、我々幸運にも被災しなくて済んだ者たちに対する心に沁みる言葉を綴っておられます。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-447.html#comment711

>現在は、残骸の片づけという目的がありますが、問題はそれらに目途が付き、復興に向けての発注のエアポケットの瞬間です。精神的・金銭的なダメージが一番深刻になる瞬間です。このような時期を短縮するためには、被害の少ない地域での経済活動の安定と適切な労務単価の維持が他の地域でなされていることが肝要だと考えます。

>いままでの単に安いことが絶対的正義という経済活動ではなく、これを契機とした適切な利益配分による東日本大震災復興という形で、日本全体の働き方を改めていただくことへ向かっていただくことが、肝要なのではないでしょうか。

>今回のこのように広範囲にわたる多様な産業への影響があるということを多くの日本人や世界がわかることで、「社会の紐帯」「日本の内需構造がもつ社会的包摂機能」それらを構築し維持してきた、霞が関を含めた公的セクターのあり方にも考えを深めていただきたいものです。・・・

おそらく、今、言葉の正確な意味における「連帯経済」を創りあげることができるかが試されているのでしょう。

2011年4月 4日 (月)

個別労働関係紛争処理事案の内容分析Ⅱ

Kobetu2 JILPTの労使関係部門で一昨年度から取り組んできている研究の報告書第2弾が、なんとか年度内に間に合って刊行いたしました。

労働政策研究報告書 No.133 平成23年3月30日

個別労働関係紛争処理事案の内容分析II

―非解雇型雇用終了、メンタルヘルス、配置転換・在籍出向、試用期間及び労働者に対する損害賠償請求事案―

本日、JILPTのHPにアップされました。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2011/0133.htm

>研究の目的と方法

今日、労働組合組織率は2割を下回り、従業員100人未満の中小企業ではわずか1.1%に過ぎない。また、非正規労働者を組合員としない日本の企業別組合の慣習の下で、組合のある企業においても組織されない非正規労働者が増大してきた。このような中で2001年10月から個別労働関係紛争解決法が施行され、全国の労働局において、個別労働紛争に関する相談、助言指導及びあっせんが行われている。しかしながら、これら個別紛争処理の内容については、1年に1回、厚生労働省から「個別労働紛争解決制度施行状況」として、大まかな統計的データが公表されるのみで、その具体的な紛争や紛争処理の姿は明らかにされてこなかった。

そこで、労働政策研究・研修機構の労使関係・労使コミュニケーション部門では、2009年度から2011年度までの3年間のプロジェクト研究として、労働局で取り扱った個別労働関係紛争処理事案を包括的に分析の対象とし、現代日本の労働社会において現に職場に生起している紛争とその処理の実態を、統計的かつ内容的に分析している。第2年度においては、非解雇型雇用終了事案、メンタルヘルス事案、配置転換・在籍出向事案、試用期間関係事案および労働者に対する損害賠償請求事案を分析対象として研究を行い、報告書として取りまとめた。

主な事実発見

退職勧奨事案と自己都合退職事案に加え、あっせん処理票上においては雇用終了が申請内容とされていないが実質的には使用者側の何らかの行為によって労働者が退職に追い込まれたことを主張している事案を含めて「非解雇型雇用終了事案」と一括すると、175件中、労働条件引下げ、雇用上の地位変更、配置転換・出向等を理由とする労働条件型が64件、いじめ・嫌がらせ、職場トラブル、ボイスへの制裁等を理由とする職場環境型が123件である。これらと解雇型雇用終了事案599件(雇止めを含む)とを比較すると、就労形態では正社員が退職勧奨を受ける可能性が高く、直用非正規は自己都合退職の可能性が高く、派遣と試用期間は解雇型が多いという興味深い現象がみられる。また、合意成立状況では退職勧奨が6割以上不参加打切りであるのに対して、自己都合退職と潜在的準解雇では不参加が少なく合意成立が多い。

全あっせん事案のうち労働者側に何らかのメンタルヘルス上の問題があるとみられるのは69件あり、全事案では半数に過ぎない正社員が7割強と極めて多く、正社員が非正規労働者に比べて高い精神的圧迫を受けていることを窺わせる。また企業規模別にみると、相対的に大企業が多く、中小企業が少ない。

配置転換・出向事案は58件あり、就労形態別に見ると、正社員が3分の2を占めている一方、直用非正規も27.6%と全事案に比べて大差なく、直用非正規も配置転換をめぐる紛争が多発している点は特筆すべき点である。また相対的に大企業や労働組合のある企業でも発生している。また、合意率は低い。

試用期間における紛争は75件あり、全体の7%を占め、裁判例に比べてかなり多い。これは、全事案に比べても小規模企業の割合が高く、こういった企業では大企業に比べて採用手続が簡素であるため、試用期間の認識が異なることが原因とも考えられる。

使用者が労働者に対して損害賠償を請求した事案は19件で、就業中の交通事故で生じた修理代を請求するものが多いが、労働者の勤務態度に対する制裁的な意図で損害賠償を求めるものもある。

政策的含意

非解雇型雇用終了事案においては、裁判のように権利義務関係を確定するための判定的な解決システムでは難しい事案をそれなりに解決できるという意味で、あっせんのような調整的解決システムのメリットを示しているとも言える。とりわけ、いじめ・嫌がらせには主観的な面があり、客観的にその存在を立証することがかなり難しいので、裁判で争うことには障壁があるが、あっせん事案では、事実を否定している使用者も「事実関係の真偽を問わず」一定の解決金を支払うことが多い。これは判定的でなく調整的な解決システムであるから可能なことである。

『月刊人材ビジネス』4月号

201104 『月刊人材ビジネス』4月号に、わたくしのインタビュー記事が載っております。

http://www.jinzai-business.net/gjb_details201104.html

中身は、今まであちこちで書いたり喋ったりしてきたことですが、今回については、インタビュワの方が入ったばかりの方で、私の話が大変新鮮で、「そうだったのか!と勉強になりました」とインタビュー直後に述懐しておられました。なんだか私の方が古手の業界人みたいで妙な気が・・・。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jinzai1104.html

>派遣法の行方第3回
 
労働政策・研修機構総括研究員濱口桂一郎氏に聞く  
 
―派遣法改正案が国会に提出されてそろそろ一年ですが、派遣法の規制強化についてご意見をうかがいたいと思います。
 
 昨年の改正法案の良し悪しの議論よりも、そもそも25年前に労働者派遣法が制定されたときの「ボタンの掛け違い」がそのままになっていることが問題だと思います。

 日本の派遣法がヨーロッパ諸国と異なる点は、「業務限定」されていること。これは国際的にも例を見ない特異な法律と言えます。しかも限定されている業務は、「専門的な知識を要する業務と特別な雇用管理が行われている業務」として26業務(当時は13業務)認められていますが、専門業務といいながらその中には医師も弁護士も入っていない。このことについて、きちんと説明できる者は誰もいません。

 現在審議継続になっている改正法案も、製造業派遣の原則禁止とか26業務以外の登録型派遣の原則禁止といった労働者保護の観点からずれた問題にばかり焦点が当たっています。マスコミを騒がせた「派遣切り」などの問題が、あたかも事業規制(業務限定)が足りなかったから起こったかのように報道されていましたが、本当に派遣労働者の保護の立場から考えれば処遇面の規制の緩さ、セーフティーネットの不備こそが問題であった点は議論されていません。
 
―日本の派遣法は世界的に見ると、かなり特異なのでしょうか。
 
 世界的な労働市場ビジネスの大きな流れという点では、それほど特異ではありません。ヨーロッパ諸国では、20世紀初頭は規制もなく自由、世紀中ごろの規制・禁止の時代を経て、世紀後半に徐々に緩和されてきました。

 日本も同様に、戦後に職業安定法が施行されたときは、有料紹介事業も、労働者供給事業も禁止されていましたが、だんだん規制緩和が進み、1986年に労働者派遣法が施行されました。

 日本が特異なのは、規制の中心が業務限定とされていること。フランスの派遣法は、テンポラリー(臨時的)な業務に限定して解禁され、ドイツ(旧)は常用雇用のみに対して認められたように、システムに着目して認可されているのであって、業務内容を限定している国はありません。

しかし日本は、86年の施行から99年の改正までは、政令で定める業務しか派遣は認められず、それ以降も今日まで業務限定が規制の中心です。
このような業務限定は、ほとんど例がないだけではなく、EUの派遣労働指令では、明確に撤廃すべきものとされているのです。

 もっと言えば、日本のように個々人の職務の範囲が明確に決められていない社会には、「業務限定」という「なじみにくい」システムを導入したことも問題です。「自分の仕事」イコール「部・課の仕事全部」という、日本の会社のカルチャーにおいて、個人の仕事を「業務」で切り分けるのは、かなり無理があるのではないでしょうか。昨年の「適正化プラン」が混乱をきたしたのは、そもそも「なぜ業務限定があるか」の意味すらわからないうえ、日本の社会にまったくなじまない仕組みを強化しようとしたからです。
 
―登録型派遣は不安定なので禁止すべきという点についてはいかがでしょうか。
 
 確かに有期雇用は常用雇用に比べて不安定です。しかし、これは有期雇用の問題として議論すべき問題。直接雇用における無期契約と有期契約の問題と、何ら変わりはありません。有期雇用契約の締結と更新について、ほとんど何の規制もないのに、登録型派遣だけが不安定なので禁止というのは、おかしいと思います。

 これはすべての有期雇用契約の問題点を整備して、派遣社員もそれに合わせればいいだけではないでしょうか。
 
 
―では派遣業界の健全な発展のためには、どうすべきでしょうか。
 
 私の考えはいたってシンプルです。まず、「業務限定」をなくした方がいいと思います。もちろん、公衆衛生上有害な業務は除きますが。そのうえで、派遣労働者の均等・均衡処遇を議論すべきです。

 しかし、均等・均衡処遇については、難しい面もあります。それは、先ほど述べたように、日本の会社には、「JOB」の概念がないからです。新卒はスキルのない状態で会社に入り、仕事をしながらスキルを上げるのが一般的。だから年功序列が成り立つのです。均等・均衡待遇を目指すのであれば、派遣先のポジションと同じにしなくてはなりません。
欧米では、社員の仕事が一人ずつ、きれいに分かれています。ジョブディスクリプション(職務内容書)が明確にある社会です。企業に派遣された際の処遇は、その職場で同じジョブディスクリプションを持つ人に合わせればいいのです。日本にはジョブディスクリプションがないので、スキルのない人は初任給と同じ、経験5年の人はその社の5年目の人に合わせるという方法になります。当面は経験年数が指針になるのではないでしょうか。

 そういう意味では、今後派遣元企業にマッチングの精度が求められるようになるでしょう。
 
―均等・均衡待遇にして、自社の正社員と同じにすると、そもそもコストダウンのために安く働いてくれる派遣社員を利用している企業にとっては、デメリットなのでは
 
 そのように考える企業もあるでしょう。しかし一方で、派遣社員を使うことは、賃金以外でもコスト削減になっているはずです。もし、急に人材が必要になったら、募集して採用手続をとり、仕事をしてもらって、不要になったら退職手続をしなくてはいけません。これらの取引コストが削減できるとすれば、企業にとって派遣社員を使うことは、決して意味のないことではありません。派遣元企業からしても、労働力の叩き売りはすべきではありません。労働力に見合った賃金を払うべきです。しかし日本では、「労働力の値札と中味」がきちんと決まっていないので、難しい面もあるのですが。
 
 派遣事業の意義とは、ジャストインタイム(必要なものを、必要なときに、必要な数量だけ)な労働力の提供できること。労働市場が流動化すると、テンポラリーに需要が変動します。

派遣社員を雇用する際、企業にとってのメリットは、コストをかけずに、ジャストインタイムで労働力が得られること。労働者にとってのメリットのひとつは、仕事があったりなかったりするリスクを負わなくていいこと。ふたつ目は、派遣元が仕事をアレンジしてくれるので、労働者側の取引コストも減ることです。両者にメリットがあるシステムなので、派遣とは意味のある事業だと思います。

2011年4月 3日 (日)

会社が消失した被災者の叫び

被災地で奮闘している地方公務員マシナリさんのブログのコメント欄に、会社が消失したある被災者の方の心からの叫びが書かれています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-444.html#comment705

>今回の津波で、会社は消失致し、役職員全員の安否確認、自宅並びに家族の安否確認をしつつ、地元の片づけを行い、仮設事務所の立ち上げと役職員への給料の支払い等を無事行いましたので、ネットも見れるようになりました。

ラジオで堀江氏はネットやツイッターは凄いと言っていましたが、被災地にしてみれば外側で好きなことを並べて楽しいのだね。と感じました。

現在1名の確認が取れない状態、社員の住居及び津波により家族並びに親族が不明な方達がおりますが、復旧作業に携わることで、何とか保っているように見受けられます

こうして被災されたご本人の書き込みを読むと、改めて今回の大震災の甚大さが心に響きます。何回も映像が流れたあの怒濤の襲いかかる中で、gruza03さんが必死で逃げ延びる姿が目に浮かびます。

>今回、無駄の象徴として叩かれた地方整備の高規格道路の供用開始が5日前にありましたが、この道路で多くの幼稚園児、小学生、中学生が助かりました。

指定津波避難場所では危険でさらに高台に逃げ、供用開始された道路に法面を登り、道路を歩いて脱出しました。途中で見つけた方達が協力して避難場所に車でピストン輸送したそうです。

また、直前に通った林道が活躍いたしました。部分供用した道路や林道等を無駄のように叩いた方達によって、整備が遅れたことにより、もっと多くの人達が救え、避難等ができたのではと悔やまれてなりません。

「小さな政府」 「新しい公共」など何の助けにもならないことは身に染みました

何事もそうですが、一番熱心に「小さな政府」を唱えて政府を叩きまくったたぐいの人間は、自分の行為が助かる可能性のあった人々の命を奪ったのかも知れないなどと反省することはなく、そういう連中に叩かれ叩かれて、本当はそんなことはしたくないのにやむなくカットする立場に立たされた人々が、罪悪感にさいなまれることになるのでしょう。

この期に及んでネット上で自分の軽薄な経済学説を唱えることに熱中している人々の姿は、被災者の目にどのように映っているのでしょうか。

忠ならんと欲すれば・・・

それは確かに、世の中の物事はすべて相矛盾しうる原則同士をどのように調和/折衷/妥協させるかということではあるのですが、この場合はまさに、原発事故を早急に収束させなければならないというマクロ的正義と、作業員の命を危険に晒してはならないというミクロ的な正義の狭間で悩み抜く問題です。

http://www.asahi.com/national/update/0403/TKY201104020496.html(「作業員の安全」と「原発収束」と…復旧作業対応に苦慮)

> 「作業員の安全」か、「原発事故の収束」か――。高濃度の放射能に汚染された福島第一原発で、復旧作業員に危険を強いることへの懸念が高まっている。放射線被曝(ひばく)への補償・手当の見直しなど、課題は山積みだ。

「仕事に『命がけ』があっていいわけがない。でも、今回、原発を抑え込むことの重要性は、労働政策の域をこえた問題だ。労働者の安全とどちらが優先されるべきか、自信が持てない」。未曽有の事態を前に、厚生労働省幹部は揺れる心情を打ち明けた。

作業環境は日に日に悪化しつつある。同省は、東電が作業員に放射線量を測る携帯線量計を持たせずに作業していたため、調査を開始。現場への立ち入りが難しい中、「問題点には厳しく対処していく」という。それでも、厚労省職員の胸中は複雑だ。「『原発の危機を早く収束させてほしい』という国民の期待が大きい。労働者の安全確保に影響するのでは」と今後を懸念する見方も出ている

いうまでもなく、労働行政の役目は労働者の安全保護。労働者の命を危険に晒せ、という声に抵抗しなければならない立場ですが、その帰結にお前は責任を持てるのか?と問われたときに、その帰結がせいぜい一番ひどくても企業が潰れること程度であるような今までの状況とはまったく違うことが、この「揺れる心情」をもたらすわけです。

国民の命と健康に「忠」ならんと欲すれば、労働者の命と健康という「孝」たることが難しい、という板挟みの状況。

労働問題では一般的には、法律学系の人がミクロ的正義を、経済学系の人がマクロ的正義を主張するという傾向にありますが、今回の原発の事案は、それを超える次元の問題を引きずり出しているのかも知れません。

>作業環境を心配する声が高まる一方、作業員らが危険を覚悟で臨んでいることも事実だ。

ある東電関係者は「作業員たちは『とにかく自分たちで何とかするしかない』という思いを話している」と言う。作業員を出している協力会社も、派遣される可能性がある社員対象にアンケートを実施。「派遣を拒否できる」ことや、拒否しても査定にも影響しないということを明示したが、全員が「行きたい」と答えたという。

別の東電幹部によると、1~4号機で深刻なトラブルが連鎖的に起こり、本社、現場ともその対応だけに追われ、作業員の安全管理まで配慮できなかったのが実情だという。「平時と比較すると、安全管理は機能マヒと言えた」。作業のローテーション制が復活するなど、再び態勢を整えつつあるが、東電幹部は自省を込めて語った。「いまだにトラブルがやまない状況で、会社が作業員の心意気に頼っている面は否めない。安全管理と原発事故の収束を両立させないと、最終的に東電は厳しい批判を免れない」

中枢の戦略欠如を「現場の心意気」で補ってなんとか切り抜けるというのが、日本的組織の「強み」であったのも確かですが、そのやり方が通用する規模の限界というのもあるのかも知れません。

命はカネであがなえるものではないといいながら、カネの問題も重要です。

>危険な作業への当面の対応策として、作業員らの補償や手当を引き上げる動きが出ている。ある厚労省職員は「それが出ればいいというものではない」としつつ、「作業員に対する何らかの手当の上積みが必要だ」と指摘した。・・・

>これに対し、東電側の動きは鈍そうだ。3月31日の会見で、「危険手当を増額する予定はないのか」と聞かれた同社の武藤栄副社長は「まずはしっかり安全を確保する。それと、できるだけいい環境を作れるように努めている」と述べ、「現時点ではそこまでは考えていない」と否定した。

ところが、武藤氏は8分後、この問題について再び発言。「大変厳しい環境の中でみんな仕事をしてくれていますので、それに対してしっかり報いていくことは当然に考えなければいけない」と軌道修正をした。

原発内は放射線被曝の危険性によって、低い「A」から高い「C」まで3段階に分かれており、それに応じた金額の作業手当が支給される。だが、東電は、今回のような高濃度の放射線量下での作業を想定していなかったことを認めた。

作業員派遣会社の中には放射線管理区域での作業が初めてで、通常の危険手当しかない社もあった。原子炉建屋周辺での作業に数十人を派遣している建設会社社長は「そういう手当を設けている社にならって新たに支給することになる」と話した。

また、東電の協力企業は「危険な作業に従事した社員に、一定の手当を出すことを検討中」とするが、万が一事故が起きた場合については、通常の労災事故と同様の対応をする方針。別の協力企業では、増額などの予定はないが、「法改正や国からの指示があれば、検討することはあり得る」としている

2011年4月 2日 (土)

震災復興で緊急雇用対策

共同通信の記事で、東京新聞から、

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011040201000680.html(被災地企業に優先発注へ 震災復興で緊急雇用対策)

>政府は2日までに、東日本大震災の被災者支援として、仮設住宅の建設やがれきの撤去などの復興事業を被災地の地元企業に優先的に発注するなどとした緊急雇用対策案をまとめた。省庁間で縦割りになっていた雇用関連の情報についても県単位で一元化、被災者や被災企業が利用しやすいように整備する。

 政府の被災者等就労支援・雇用創出推進会議が5日の会合で正式に取りまとめる。

 厚生労働省によると、震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の3県の沿岸部の就労者数は約84万人で、多くが工場や事業所の被災などで職を失ったとみられることから、政府は第2弾、第3弾の雇用対策も早急に検討する。

 被災者の雇用としては、建設・土木事業などの公共事業のほか、避難所での高齢者や子どもの見回りや地域のパトロールなども事業化し雇用拡大を図る。

 情報の一元化に関しては、自治体、国の出先機関、関係団体で構成する「日本はひとつ・しごと協議会」を被災各県に設置。復旧事業などの情報をまとめ、事業を地元企業に優先的に発注するように働き掛ける。

 またハローワークも建設関係団体、商工会議所、農協などとの連携を強化、避難所へのきめ細かい出張相談なども実施するとしている

復興事業に被災失業者を、というCFWの発想が早速政策化されつつあるようです。

ただ、「被災地の地元企業に優先的に発注する」というその地元建設企業がどこまで残っているのか、それ以外の事業の主体のあり方も含め、具体的なやり方にはまだ検討すべきことはありそうな気がします。

(追記)

なお、本日の読売新聞に、わたくしのコメントが載っております。大久保幸夫さんと並んでいますね。

ネット上には公開されていないので、記事をそのままここに引用しておきます。

>従来の労働政策超えた対応必要

濱口桂一郎・独立行政法人「労働政策研究・研修機構」統括研究員の話

「被災地は、焼け野原となった終戦直後の状況に近く、従来の労働政策の範囲を超えた対応が必要だ。道路や港湾の復旧など、大規模なインフラ工事を進め、失業者と復興事業をうまくつなげる政策が求められる。仕事があれば被災者の生活基盤ができ、復興を後押しできる。政府は必要な資金をどんどん投入するべきだ」

野田進『労働紛争解決ファイル』

Tm_meqtrzw0kyij8iyig3sdqindg4s 野田進先生の近著『労働紛争解決ファイル 実践から理論へ』(労働開発研究会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.roudou-kk.co.jp/archives/2011/03/post_95.html

題名から分かるように、本書は『季刊労働法』に連載されてきた「個別労働関係紛争あっせんファイル」を中心に、各種雑誌に書かれた個別紛争関係の文章をまとめたもので、JILPTで個別労働関係紛争処理事案の分析をやってきているわたくしとしても、大変興味深い内容です。

●日本の労働紛争解決システムを担う各機関は、「早い・安い・うまい」、つまり、短期間で・費用をかけず・適正な解決をという、労働紛争解決に託された3つの機能のうち、いずれかが欠落している。
その結果、多様な解決機関が用意されているのに、その実績は諸外国と比べると桁違いに少ない。
それは労働紛争自体が少ないからではなく、表に出すシステムが機能不全に陥っているからではないだろうか。

●労働紛争解決制度の実情や課題を明らかにし、改革の方向性を提言

●労働紛争実務に基づく労働局あっせんの理論的課題から、「労働委員会法」の立法構想まで

どの節も面白い話題ですが、ここでは第1章第5節の「あっせんにおける労契法16条の逆作用ーいかにして「解雇させる」か」から、

>しかしながら、以上のケースを検討すると、同法16条が労働契約に関連する紛争に皮肉な効果を及ぼしていることも見て取れる。すなわち、同条で解雇権濫用の成立要件と効果が明らかにされたことにより、使用者は解雇とは別な方法で労働者を辞めさせようとする。逆に、労働者は、解雇であれば同条により争うことが出来るので、出来るだけ「解雇させる」方向に走るようになる。

そう、準解雇と呼ばれるような雇用終了事案があっせん事案の中でかなりの数を占めています。

また、第4節「メンタルヘルス関係紛争の「解決」」では、

>思うに、メンタルヘルス関連する労働紛争では、真の意味の紛争解決は極度に困難と言わざるを得ない

と述懐されています。

2011年4月 1日 (金)

『経営法曹』167号

経営法曹会議より、『経営法曹』第167号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

今号の特集記事は昨年10月の日本経団連労働法フォーラムで、1日目のテーマがパート、契約社員等の活用、2日目のテーマが合同労組、地域ユニオンへの対応策です。

いかにも経営法曹らしい発言から、

>蛇足ですが、会社に労基法違反等、例えば、残業代の不払いがある場合には、合同労組が残業代請求を会社に求めてきた場合には、会社は応じないわけにはいきません。そうすると、従業員は、合同労組に入ろうか、ということになります。要するに、会社が労基法等に違反していることは、合同労組にお土産を用意しているに等しいわけで、極力避けなければなりません。・・・

座談会という名の講演は、大竹文雄さんの「労働経済学で非正規問題・解雇法制を考える」。

この中で、解雇規制とインフレ・デフレの関係を述べているところがなかなか面白いです。

借地借家法は、インフレの時にも家賃を上げられないので悪影響を与えるが、デフレの時はほっといても家賃の実質価値が上がっていくので出て行ってしまうので悪影響を与えない。

解雇規制はこれと正反対で、インフレの時はほっといても賃金の実質価値が下がるので辞めていってしまうので悪影響を与えないが、デフレの時はほっといても賃金の実質価値が上がっていってしまい、解雇規制が悪影響を与える。という説明です。

世の中には立場として、地主家主もあれば借地借家人もあり、使用者もあれば労働者もあるわけで、インフレの方が望まし人もいればデフレの方が望ましい人もいる。世の中の人みんなが満足する解というのはないということでしょうかね。

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