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2011年4月26日 (火)

hahnela03(旧gruza03)さんの日記

釜石で被災され、マシナリさんのブログに近況を書かれた旧gruza03さんが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9fb0.html(会社が消失した被災者の声)

hahnela03さんという名前で、被災後のさまざまなことを日記に綴られています。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/

復興財源問題にだけは異常に関心があるけれども、復興それ自体には何の興味がないような人々にこそ、被災地で被災された方々がどのような日々を送られてきた/いるのか、そしてあまり新聞に出てこないような問題点の提起なども含めて、じっくり読んでいただきたいところです。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110402/1301703020(津波被災の記録)

>平成23年3月11日における、岩手県釜石市の津波襲来時の市街の状況は下記の通り。

>地震後、直ちに事務所に居た社員を自宅等への避難措置を取りましたが、現在(平成23年4月2日)1名の消息が不明。
 会社は津波により消失しましたが、平成23年3月31日に無事な社員への給料を何とか渡すことはできました。役職員の大半も自宅の消失、家族が行方不明の中、仮事務所を設置し再建を開始いたしました。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110403/1301780928(津波被災の記録2)

>平成23年3月11日津波により市街地は壊滅。
 地震後、社員を全員帰宅させた後、事務所に戻り持ち出せるものを準備中に社長が事務所へ。(びっくり)社長を避難するよう急き立て車で出るのを確認し、事務所の持ち出しは断念し、自分も車で避難しようとするが、社長が再度戻り事務所へ。事務所へ上がり社長を引っ張り社長の車で避難する。この時点で、釜石湾に波頭が見えたので、急き立てる。旧釜石小学校跡地に到着し、釜石市役所へ。到着した時点で市街地へ津波が流入。車一台及び人が飲み込まれる。高台に避難者及びNHK及びIBC等のメディアも避難して撮影していた。
 5000トン級の船舶が津波により、湾内を回転し、港湾合同庁舎に衝突しそうになる。屋上に海上保安部職員がいる状態であったが、引き波で回避。(その後、漁港に乗り上げる)
 釜石市役所前に駐車していた車も津波にさらわれ、法面の一部から落石。道路を確保するためフェンスを破壊し、パイパスから避難者を旧釜石小学校跡地に誘導し始める。
 寝たきり老人等を男4人掛で移動させる。旧一中体育館に老人並びに子供を優先し避難所とする。
 社員の安否確認のため、避難場所のお寺2か所らに向かうため山越え(天神町から大只越町へ)。
 3回ほど往復するも確認できず。社長は車で、自宅の確認に向かう。
 裁判所に避難。暖房器具、毛布、灯火もなくラジオをただ聞くだけで、眠れない。深夜、市長が来訪。鵜住居町は壊滅状態。鵜住居小学校、東中学校の生徒は避難し確認されているが、この時点では幼稚園児の安否確認ができていないとのこと。
 防災無線は機能不全。連絡網は寸断され確認が取れない状態とのこと。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110404/1301868182(津波被災の記録3)

>平成23年3月12日
社員の安否確認に向かう。6:30
取引会社の方に居るとの情報で、のぞみ病院へ向かう。
病院の1階部分は壊れて、横の緊急車両用道路側から出入り。
各階ごとの避難者名簿を確認も名前が見当たらず。
釜石小学校へ。
道路上に、救急車及び消防車が重なり壊れている。
チョウザメが散乱。釜石キャビア(株) 釜石市平田地内の流れたものが、この付近まで流れてきている。大渡町までの道路は完全にふさがれている。被災した住宅の敷地に通路(2m近い段差)に梯子をかけて通らせていた方によって、向かう。
 釜石小学校前で社員1名と出会う。専務(当日仙台出張中)並びに社員1名(当日内陸に出張中)が、社員の安否確認をしているとのこと。また、車両1台の無事を確認。当日、東北電力(株)釜石営業所構内にて作業していた社員の安否確認。車両は大只越町の奥にあるとのこと。(後で確認済み)
 また、片岸町地内での河川改修中の社員の避難状況を聞く。ただ1名が母親を助けるため途中から両石町に走って向かった。安否不明。
 鵜住居町・大槌町の家族の安否確認に4名が高規格道路(供用中)を歩いて向かったとのこと。
 甲子町方面の方達も山越えしたとのこと。
 釜石小学校内には、留まっていないことを確認。旧釜石一中体育館へ向かう。
 親戚の無事も確認しつつ、会計事務所所長さんの無事(会計データの無事も確認)、北日本銀行釜石店の行員の無事等を確認。
 市職員並びに被災者個々に残骸等を運びたき火して暖をとっている中で休む。
 日本貨物の運転手が提供して頂いた冷凍食品を焼いて皆で食べる。
 2日目はこの場所にとどまる。深夜寝るために体育館のステージ上で休むが毛布もない状態で、寒さのため目が覚めたき火の場所に戻る。看護士?の女性の方達が震えながら集まっていた。看護をするほうも大変なのだ。仮眠と暖をとって介護者への対応へ戻っていった。ラジオで釜石市の情報だけはいらないことに、頑張っていると分かりつつも市への対応に憤る声がでる。(誰かに向かわねば精神の平衡が保てない) カップヌードルを市職員から配給されるもお湯は自前で調達とのこと。誰かがヤカンや鍋を拾いたき火にいれお湯を沸かす。(お湯が本当にありがたいものだと感じる。)
 
平成23年3月13日
大津波警報の解除(津波警報は継続)とのこと。朝方に高架を渡り、橋を越えて自宅近くまで歩くことにする。(右足首をねん挫していたらしい。転んで左手の小指の突き指も)
 会社跡地は建物の無い状態。釜石警察署も壊滅状態。歩いている人の話では生活安全課長ほか3名が行方不明とのこと。道路に家がありふさいでいる。大平町釜石商工付近で親戚の人に出会う。
船で沖に2日間いたらしい。父親の消息も聞く。地震後直ちに船で沖にでて、いまもどったとのこと。自宅に連れて貰い食事等を頂く(感謝)。避難所から母親を連れに行くとのことで、一緒に自宅まで車で向かう。下平田地区は壊滅状態。道路が塞がれているので迂回路(唐丹町~本郷~花呂部~自宅へ)を走る。本郷の海岸沿いは土地の流失で家屋が倒壊。花呂部は多くは道路(住宅地より高い)に避難していた。佐須地区は3軒程度が残っただけ。自宅へ。
 2日間休む。

こうした中で、亡くなった社員の確認も、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110406/1302080377(確認)

>本日、行方不明の社員を家族が確認。土曜日に火葬。
 労災について、労基署に向かう。手続きの説明と書類を頂き、状況(推測)について説明。
 涙が溢れ声に詰まる。
 こんなに辛いものなのだな。
 本当にいつもお世話になっていました。ありがとうございました。

そして、会社の仮事務所の立ち上げを挟みつつ、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110408/1302278075(津波被災の記録7)

>平成23年3月24日
明日の仮事務所立ち上げのため、パソコン・プリンタ・ドコモwifi等を購入。家で組んでいたデスクトップ2台を車に積み込む。
家用の豆炭等も購入。今回、昔の堀炬燵がのこっていたのが幸いで、暖が取れた。
太陽光の自家発の切り替えができた人達は良かったらしいけど、発電機を用意するのとどちらがいいだろう。

平成23年3月25日
仮事務所へ
住み込みで、立ち上げを開始する。家族と離れることになるが致し方なし。
ガソリンは手に入りにくいし、車は無いのでどうにもならない。
月末に給料を支払えるかどうか聞かれるも、銀行の状態や給料のデータも津波で流失したので、一から作り直し。時間がなさすぎ。
会社跡地から拾ってきたもののなかから、自分の机に入ってた、給料の先月分の控え1枚だけが出てくる。不幸中の幸いか。銀行の手続きと同時並行。待ち時間のロスは本当に痛い。

亡くなった社員の葬儀が行われ、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110409/1302339725(鎮魂)

>本日、今回の津波で亡くなられた社員の火葬に立ち会う。
 昨晩までの停電で危ぶまれたが、行うことができた。
 死亡者の数も多いため、遺骨の立会すらままならない現実に、被災地でのありように何とも言えないものがこみ上げる。兄弟とその家族のみの参列もう少し形ばかりでも整えられないのだろうか。機械的に時間通り進めないと処理しきれないのは頭でわかっていても。
 職員が遺骨の入った箱を親族代表に手渡す。
 御霊に安らぎとその家族の安寧を願う。

 会社から避難させるのにもっと考えるべきであったのだろうと自宅に戻った際に、彼女の亡くなった町の悲惨な状況を聞かされたさいにも自責の念にとらわれた。あの場にいた社員を会社から一刻も引きはがすことだけで精いっぱいだった。最後のギリギリまで会社の事務室にとどまって(頭の片隅で2階まではというのがよぎった。市街地はそれで亡くなった人が多い。)いたし、あのまま居れば自分も死んでいただろう。(後で湾口防で6分程度、時間が遅れたので助かったのもある)

こういう中で、3月末には給与の支払いを何とか済ませ、

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110410/1302387975(津波被災の記録8)

>平成23年3月26日
 昨日のプロバイダとのやり取りで、会社のメルアドを回復。取引先に仮事務所への移転等を報告。協力会社間へ周知してもらう。秋田の業者等から電話を頂く。
 社長から月末に給料が支払えるか問われる。印鑑は無事でもタナバンは流失。月曜日に銀行へ行き手続き等を行い引出ができるか確認することにする。銀行の店舗もかなり被害があって、各金融機関も1店舗に集中して混乱している。この時点では社員に給料が支払えるどうか不安。

平成23年3月27日
 津波被災から3週間。自宅周辺はまだ停電中。内陸の親戚がガソリンを持ってきていただいたので、家族で風呂に入りに行く。同じ被災者でも避難所にいる人達との待遇格差と避難所に居る人達の我儘に振り回されることで、不満が高まっている。
 立ち上がろうとする人達と支援されて当然という人達の対立はかなりあちらこちらの避難所で起きているだろう。
 3週間ぶりの入浴。家族が湯あたりする。聞くと結構ほかの方達も湯あたりしているらしい。
 協力会社の会長が軽い脳梗塞で入院したということを聞いていたので、ほっとする瞬間でも危険は常にある。

平成23年3月28日
 銀行で手続き運がいいのか40人待ちで済んだ。ほかの人の話だと160人待ちはざらだったらしい。
 銀行のネットバンクも回復。下請業者等への支払いもできるようのなる。
 賃金台帳の回復へ。

平成23年3月29日
から
平成23年3月30日
 ほかの作業はすべて中断。給料の支払いに向けて復旧作業に集中。
 平成23年3月30日午後22時に100%ではないものの、回復。明日の支払いの準備。

平成23年3月31日
 銀行に今後の融資等についての話も含めて手続き完了。仮事務所に戻り袋詰め。
 午後4時手分けして何とか完了。社長に渡し、社員に手渡しできた。
 解雇の話。営業所等の閉鎖。により賃金もろくに払ってもらえないところが多かったことを考えると、不満はあるのだろうけど、何とか皆頑張った。まだ、瓦礫撤去作業という目前のもくひょうがあるから

一方で社員の家族の死に向き合う日々・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110412/1302613504(津波被災の記録10)

>社員の母親の遺体が見つかる。「良かった」という言葉が出る。被災地に居ないものからすれば、なんと不謹慎な言葉と受け取られるかもしれない。
 肉親を弔うことすらできず、死というものを拒否している方達も多い。役員の妻もまだ見つからない。まだ受け入れることができずにいる。被災地である自宅近くの避難所から離れようとしない。日曜日に歩きながら自然の芽吹きを確認するも、人の心に春はまだ遠い。

そして、被災対策への冷静なまなざしと・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110413/1302685859(津波被災の記録11)

>当初予定されていた「土葬」はどうなのかわからないけど、「火葬」は順調だという話。でもね、分かっているけど、線香の一つもあげれない。それでも「火葬」ができたことが救いとは寂しい。
 少しずつではあるが書類を泥やガレキの中から見つけたり、流失した書類の再発行に日々を費やしている。瓦礫撤去の雇用というけれど、雇用保険の受給者はしないだろう。(パチンコ店は混んでるな。)マシナリさんには以前非公開コメントで書いたけど、前回の緊急雇用対策時の市の賃金査定は、最低賃金に毛の生えた程度だった。だから今回の雇用対策が残った企業の体力すら奪いかねない危険性をもつことに危惧を感じざるを得ない。当初から職を失ったものだけとなるのだけれど、彼らを統率し管理し得る責任者が少ないことが新たなトラブルを生まないように祈らずにはいられない。

 1ヶ月が過ぎ、自宅周辺もやっと電気が通ったとのこと。長かったな。

現場を無視した政策への怒り・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110415/1302861817(津波被災の記録13)

>被災の復興は遅々として進まず。個人事業主の動きとして、かなり余裕のある方達は用地購入と事業所建設に動いている。現在の国・県・市による浸水地域への建築確認を認めないとの宣言によって、コミュニティは確実に崩壊しつつある。自分たちは民主党総理肝いりの学者たちのモルモットにされ人権も失った。旧帝を含めた学者たちにとってモノとして取り扱われる。被災者ですらないのか。
 そういう中で、親の遺言として「無医村」にしたくないという方や何とかこの家でという方達は、留まるつもりらしい。
 でもいまの取り扱いのままでは、多くの市民は居住地を失うことが進む。
 シムシティ感覚の政治をする総理とそのブーレンによって自分達は「人としての存在価値」を無くしたモノへ向かう、新たな災害に直面している。

ここでは地元中小建設企業の怒りが噴出しています。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110419/1303207261(津波被災の記録14)

>今回の「平成23年岩手県応急仮設住宅公募供給事業」建設事業者の公募についてを見てさすがに呆れた。総合評価落札方式を民主党ブレーンである五十嵐教授等が進めるこの制度が、究めて新自由主義的なものであるにも関わらず、談合防止や住民自治の名の正義を振りかざす道具として使用されている。
 この制度は表面的には公平を装いつつ、公然たる排除を明確にしているところにある。そして、この制度は一度脱落すると二度と機会は得られない。3年もすると第一者は80%を独占し第二者が15%となり、残り5%しか機会が得られない。しかも金額的には最悪の状態で。
 それにしても災害復興ということすら表面だけで、内部での進行状態は震災前の政策をこの期にやってしまおうとすることが非常に強いメッセージの発信が感じ取れる。
 火事場泥棒的に、「コンパクトシティ」+「エコタウン」+「新しい公共(小さな政府)」を推し進めようとしている。それ以外に選択肢がないように持っていくのだろう。それにしてもこのような災害ですら好機ととらえ、被災者の権利を平然と踏みにじる復興を進める地方自治(住民の意思決定など無い「新しい公共」)とは、いったい何なのだろう。

 総合評点の条件では、県内業者は参加はできない。不可能ともいえる条件提示である。
 また、追い打ちをかけるように決定時点で最低でも30戸のプレハブ住宅の資材が確保されていることが、条件であり、一次下請け業者ぐらいではしょうがないから、使ってやろう。という条件提示である。岩手県という地方自治体が県民を救わない。地元経済を縮小ではなく、絶滅に追いやろうとしている。知事がいくら小沢一郎の犬と呼ばれようと人としての最後の一線ぐらいは残っているかと思えたが、所詮犬は犬でしかない。それでも地方公務員たる県職員達も同様に県民殺しに、県を焦土とすることに加担するとは思いもしなかった。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110421/1303347038(津波被災の記録15)

>被災地の無事な土地を「住友不動産」他の大企業の不動産業界が買いあさっている。
 被災地の国有化の最大の問題点は、「国有地の一括売却」を震災復興の名の下で集約化してしまうということ。郵政民営化の一括売却で味を占めている輩の跋扈がすごすぎる。それだもの震災復興を長引かせて、建物を修繕させ住まわせたくない。

一方、(上でちらとでた)被災地でパチンコ店が混んでいるというあまり報道されない事実から、静かな省察。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110423/1303514935(津波被災の記録16)

>復興へさまざまな動員がありそのおかげで助かっているのは否定できないし、ありがたいことでもある。ただある程度の時期に自立しうるように方向性を出さないと、人というものは堕落する。
 パチンコ店が混んでいる。震災によって商店街等は壊滅したというのにね。時間を如何に消費するかということなのだけど、失業手当により働くことより遊行によって時間を消費しようとする人々のなんと多いことか。
 東京では節電の名の下で都知事が無駄と断じたとか。あの人らしいけど。それにしても供給力の回復なしに復興のスピードは加速しない。単にりふれしたところで何にもならないのに。
 被災地の多くの人々にとってそんな議論など腹の足しにもならないことは、彼らのような頭の良い人々が分からないはずはなく、ただ「無駄な消費」に勤しむ余裕がおありだなと。被災地に住む者は、感じる次第。

被災地はパチンコに時間を消費し、東京では「りふれ」な議論に時間を消費する・・・

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110425/1303735050(津波被災の記録17)

>それにしてもブクマしながら気になったのは、市町村に対する政策コンサルやNPOが関与を強めていること。住民や共同体という考えはそこには無い。hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)先生のところで、民主党議員は「今は被災地で雇用政策を言っている場合ではない」という話があったけど、別の視点から見た場合確かに雇用政策を言っている場合ではない。になる。これは政策コンサル側から見た場合、ビジネスチャンス以外の何物でもなく、被災地の被災者の雇用ではなく、大都市圏に本社がある企業群にとって、以前から主張していたビジネスモデルの確立というのがある。国主導ではなく基礎自治体への関与を増すことが一番彼らのビジネスモデルを有効に運用できるということ。そういう意味でも「地方分権」が望ましく、国が迷走したり県レベルの対応が遅くなればなるほど、雇用なき復興が進むこことなる。そのごの都市計画でも同様な手法としてPFIによる復興が喧伝されるだろう。
 問題は「りふれは」「反原発」を掲げる優秀な方達が、そのようなネオリベ的政策の推進をしている自覚がない?(確信的に?)に、公的セクターを叩くこと。大都市の経済活動を守るためにはすべてが許されるのだろうか。

震災復興が、現地で苦しむ被災者の雇用ではなく、東京のコンサル会社で机の上で紙作りにいそしむ人々の雇用創出に成り果てていく構図・・・

という風に、いささかの皮肉と苦言と、場合によっては人を苛出せるような透徹した観察が窺える釜石からの日記です。

もちろんなにがしかの皮肉を込めつつですが、この日記こそが「希望学」の「聖地」としての釜石の、希望という名の絶望の中に垣間見える希望の得がたい記録になっているように思われます。

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コメント

一連の火事場ドロボウエントリと併せて
http://tasukeaijapan.jp/?p=8514


「被災地でできることは被災地外でもできるはずであり、また被災地外でできないことは被災地でもできない、という考え方を基本に据えるべきだと思います。それを、被災地外の人たちが「被災地だからできるはず」と言うのは、自らの周囲(地域や職場)での努力を棚上げしているのではないか、という懸念があります。」

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