就労支援のいま@『都市問題』3月号
東京市政調査会発行の『都市問題』3月号は、「就労支援のいま」が第1特集です。
http://www.timr.or.jp/cgi-bin/toshi_db.cgi?mode=saisin
地方自治体の雇用・就労支援――安定雇用の継続的創出に向けて 辻田 素子
就職支援に大学が果たすべき役割――業界・企業選びの側面に着目して 上西 充子
高校における就職指導の変化と不易 堀 有喜衣
「オール京都」体制での人材育成と雇用――若者の就労支援「京都未来を担う人づくり推進事業」 山口 寛士
「女性は家庭」脱却した支援を 竹信 三恵子
人材紹介ビジネスの可能性と限界――その先に見る、「人ありき」の就労支援 小林 蓮実
というラインナップです。
昨日、仁田先生の最終講義の懇親会でお会いした上西さんの文章では、学生が就活に当たって利用したメディアとして、新採情報サイト、企業HP,就職支援サイトは多く利用しているのに、就職四季報、企業のIR,データベースなどは少なく、東洋経済などのビジネス雑誌は1割しかないことを指摘し、
>企業の「宣伝」ではない客観的なビジネス情報を手に入れる手段はいろいろあるにもかかわらず、多くの学生はそれらを使いこなせていないのである。
と述べ、
>自ら情報を探索し、適切にそれを活用できる能力。それは、大学生のアカデミック・スキルの基礎的な要素であり、それを欠いたまま就職活動に臨んでいる学生が多いという現状は、大学教育の課題の大きさを示している。
と、するどく提起しています。
<追記>
この『都市問題』の議論をさらに詳しく展開しているのが、連合総研の『DIO』3月1日号所収の、「賢明な就職活動に向けて 業界・企業に関する情報収集が不可欠」という文章です。
http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio258.pdf
>大学側は、学びを中心とした大学生活の充実こそが満足のいく就職という結果をもたらすと考えているが、その思いはなかなか学生に届かない。しかし、我々の分析結果は、学生にアカデミック・スキルの重要性を認識させることにつながるだろう。と同時に、大学側は、業界研究・企業研究が重要であるということについての「気づき」を促すだけでなく、実際に一般向けビジネス情報を活用しながら業界研究・企業研究を行うことを可能とするだけの力量を学生につけることを目指さなければならない。それは「日経新聞の読み方」といった講座を単発で開催するだけでは不十分である。初年次教育において情報の検索の仕方、情報の批判的分析の仕方、データの読み取り方などを実践的に学び、それらのアカデミック・スキルを実際に授業やゼミで実践的に活用していく、そのような積み重ねがあって初めて、自主的に進めざるをえない就職活動においても一般向けビジネス情報の活用が可能となる。賢明な就職活動を行うためには、学生に地道な学びが求められると共に、大学にも地道な学生支援が求められるのである。
<追記終わり>
しかし、現在の大学進学率を考えると、かつての高卒、いや中卒レベルが大学生になっているわけで、むしろそういう本来あるべきアカデミック・スキルを要求するよりも、かつて確立していた高卒就職モデルに近い方向の方が現実的かも知れません。
その高卒については、例によって堀さんが、
>これまでの研究によれば、「学校を経由した就職」が最も安定したキャリアをもたらすことが知られてきた。・・・この高卒就職指導がもたらす「不自由さ」は、高校生を守る鎧である。・・・安易な「自由化」ではなく、18歳で社会に踏み出そうとする高校生に対する支援の充実を進めるのが、もっとも現実的な選択肢だと考えられる。
それは、もはや高校生だけにとどまらないのでは?というのが私の感じです。
ちなみに、最後の小林蓮実さんの文章では、わたくしと日本人材紹介事業協会の岸健二さんの二人の話を中心にまとめています。
本ブログの本来的関心事項からすると、以上で終わりですが、昨今の政治状況等を勘案すると、第2特集もいろいろと興味深いものがあります。
とりわけ、後房雄さんの「政権交代以後の混迷する2大政党と首長の反乱――2・6「名古屋・愛知の乱」は何をもたらすか」は、かつて河村市長の応援団だった後氏の筆になるだけに、何とも言いがたい後味を残します。
>首長の反乱が、旧体制の破壊によって建設への道を開くという肯定的な役割を果たすことになるのか、それとも建設の条件をも破壊してしまうところまで暴走するのかは、市民やマスコミ以上に、やはり2大政党の、再建に向けた存亡を賭けた努力が始まるかどうかにかかっている。
「市民やマスコミ以上に」破壊者を建設者として褒め称え祭り上げた政治学者や政治評論家には、存亡を賭けた努力というのは要らないんでしょうか?と、思わず皮肉が漏れてしまいます。いや、魔法使いの弟子を責めてどうなるものでもないのですが。
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