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2011年3月26日 (土)

とおんでもなく誤解されてるらしい

どうも、私はとおんでもなく誤解されているらしい。

http://twitter.com/macron_/status/51349972620279808

>でもhamachanだって有力な対案を示せなかった過失はあると思う。hamachanが懇意にしているらしい神野さんの提案は「ネオリベ的な地方への税財源委譲プラン」そのものとだと僕は感じるけど、hamachanは気づいてないんでしょうかね?…まさか。

http://twitter.com/macron_/status/51353815831678976

>税源地方移譲&福祉でドサッと仕上げて交付金を減らしたらhamachan&神野さんが望む「地方の福祉」は薄ーいものになりません?歳入額が少なすぎて。すると“福祉難民”が出てきて彼らは結局歳入に余裕のある自治体へ流れる。

はあ?私が税源地方移譲論者ですって?

本ブログのどこをどう読んだら、そういう認識が出てくるんだろう?まったく逆のことを言い続けてきているはずなんですが。

「チホー分権」なんて下品な言い方を非難されるのならまだ分かるのですけどね。

それとも、神野先生と一緒に研究会に出たら、全てについて同じ意見だとみなされてしまうわけですか。

いわゆる「交わりの罪」ってやつですかね。

ほとほと・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-01db.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-72c8.html(分権はむしろ福祉の敵です)

>チホー分権にして首長の好き放題にしたら、福祉や教育にどんどんお金を回してくれるのか、その逆なのか。新聞記者なら普通若い頃田舎勤務をしているはずですが、田舎政治家がどういう人々であるかまさか知らないわけではないと思うのですが。

それとも、チホー分権にして福祉がどんどん削られても、それこそ民主主義の成果なのであるから、もって瞑すべしというお考えなのか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-6418.html(地方分権の職業訓練的帰結)

>労働担当の記者であれば、雇用保険財源を地方に移管するということは、ただでさえ民間の教育訓練施設のかなりある東京都では、ありあまる雇用保険財源を原資に、山のように豪華な訓練施設が建ち並ぶ一方、保険料を払ってくれる企業の少ない地方では、貧相な訓練施設すら維持できず、必要な人ほど訓練を受けられないという事態になることが容易に想像できるはずですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-f4ac.html(チホー分権の反省)

>敢えて言えば、「地方分権」というなら、いやむしろ「地域主権」というなら、「なぜ自分たちが稼いだものをよそへ回さなければならないのか」という考え方は必ずしも「いびつ」ではなく、むしろまっとうなのではないでしょうか。怠け者のギリシャ人に俺たちが稼いだものを・・・というドイツ人の感情は、「EU中央集権」に対するナショナルな「ドイツ主権」の感情であって、90年代以来の大前研一氏らの議論の底流を流れているグローバルに稼いでいると自認するトーキョー人たちの金食い虫の「かっぺ」に対する感情と実はパラレルなのではないでしょうか。それは、価値判断としては「いびつ」だと私も感じますが、論理的には「地域主権」からもたらされる自然な帰結のように思われます。もしそれが「いびつ」であるとしたら、それは「地域主権」自体が「いびつ」だからなのでしょう。

こういう考え方の基礎をやや理論的に述べたものとして、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9f95.html(補完性の原理についてごく簡単に)

>ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地方分権を主張し、中央集権に否定的なのはキリスト教的保守勢力の側で、労働組合や社会民主党といった陣営はおおむね中央集権派です。地方なんかに任せたら地方のボスが勝手なことをするから、ちゃんと国がコントロールしなくちゃという発想。

>毎度毎度ではありますが、日本の政治の世界の文脈の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。

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コメント

以前、神野直彦先生は財源は国が抑えていなければならない、そうでないと全国一律のサービスを提供できないと著述していたのを覚えています。神野直彦先生や宇沢弘文先生の著作は読んでいて心地がよいのですが、市場原理主義が市場を無条件に肯定してしまっているのと同様、福祉国家を無条件に肯定してしまっている嫌いがあります。信に対して信をぶつけてしまっている、これでは市場原理主義に対して有効な反論とはなりえないというもどかしさがありました。権丈教授や濱口先生の強さは、第三者の目から見てもこうしたほうが社会が良い方向に進む可能性が高いと思わせる論理を構築していることにあると思います。
地方分権の問題は、どこまでを国に任せてどこまでを地方に任せれば効率的な政府の運営ができるのか、地方分権の具体的なメリット、デメリットを検討することなく、すべてを良くするバラ色の概念であるかのようなイメージを多くの国民が持ってしまったことにあるのでしょう。小泉改革の頃、社会保障切捨てすら肯定的な目でみられたように。そしてデメリットに直面して「こんなはずじゃなかった」と言い出す、財政が破綻するまでこれは繰り返されるのでしょうか。

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