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2011年3月 6日 (日)

「知的」で「誠実」な「りふれは」

するどい批判が魅力のdongfang99さん、

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110225みんなの党の緊縮財政予算案

>経済学系の人に絶大な人気がある「みんなの党」は、批判的な自分も「経済通」ではあるのだろうと評価してきたのだが、この与謝野馨も顔負けの緊縮財政路線には流石に驚いた。

デフレ不況が継続している状況下で、この強硬タカ派の緊縮財政路線は、いったい経済学的にどう正当化されるのだろうか。もちろん、ブレーンの高橋洋一氏が根拠もなくこうした超タカ派緊縮財政路線を提示しているとは思われないので、おそらく自分が無知・無理解なだけなのだろうと思う。デフレ不況下の、実に30兆規模の大規模な歳出削減や民営化で経済成長が実現できる、というのは一体どういう理論や理屈に基づいているのか。「みんなの党」を支持している経済学系の人たちの解説をぜひとも聞きたい。

これを「世論向けの方便」だという人がいるとしたら、政治というものを甘く見すぎであると思う。政党や政治家が自ら語ったことに拘束され続けることは、「マニフェスト」の後始末に終始している今の民主党を見れば歴然としている。

1週間以上経っても、「りふれは」の誰ひとりとしてまともに応える気はないようです。

その昔、こういう小咄がありました。

「知的」な「ナチス」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「ナチス」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「ナチス」ではあり得ない。

なるほど、これになぞらえて言えば、

「知的」な「りふれは」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「りふれは」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「りふれは」ではあり得ない。

ということでしょうか。

(参考)

本ブログにおける「りふれは」(「リフレーション論者」に非ず)に関するエントリ:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_887a.html(ソーシャルなクルーグマン)

>リフレさえすればあとはまったく市場原理ごりごりに構造改革をやれやれと喚くこういう連中がクルーグマンを振り回すために、あたかもクルーグマン自身までが、そういうネオリベ軍団別働隊リフレ小隊の一員であるかの如き誤った印象が日本で流布されてしまっていることはまことに残念なことで、そういう誤解を払拭する上でも、本日のインタビュー記事はまことに時宜を得たものといえましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-4386.html(この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結)

>本日の朝日新聞に載っているクルーグマンのコラムは、それ自体として正論であるのみならず、表面づらだけクルーグマンの側であるようなふりをしている特殊日本的「りふれは」(注)という反政府主義の徒輩の本質を見事にえぐり出す素晴らしいエッセイになっています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7471.html(松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格)

>つまり、リフレなるものをトッププライオリティとして共有しないような奴は許さない。とりわけ、労働問題の労働政策による解決をトッププライオリティと考え、そのためにどこにどういう問題があるのかを真剣に考えようとするような輩は、たとえ最大公約数としてリフレーション政策を共有できたとしても断然撃滅するぞ!ということを公言するような人格の持ち主が、(ただの一ユーザーなどではなく)その国民会議なるものの中軸的存在であるわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-274a.html(ニセ経済学の見分け方)

>しかし、リフレがトッププライオリティでないような奴は許さないなどと言われたら、マクロ経済だけで頭の中がいっぱいになっている奇矯な人以外はみんな排除されるでしょう。

「汝りふれ以外を神とすべからず」という妬む神様にはつきあいきれないのが、この世で生きる普通の人間たちの生きざまであるわけで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-43e2.html(要するに、社会保障をケインズが語るかフリードマンが語るかなんだよ@権丈節)

>皮肉なのは、日本の揚げ塩風味「りふれは」というのは本家アメリカのリフレーション論者とは逆に公共サービスと社会保障を敵視するフリードマンの党派に成りはてているということでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-e65e.html(呉越同舟の原因を生み出したのは・・・)

>まあ、「医療、介護、雇用、教育、研究などなど、政府・行政にしかできない問題」に対する感性を欠如させたまま、ひたすら公的サービスへの攻撃を激化させるだけの揚げ塩風味の特殊日本的「りふれは」が、「財政再建派と社会保障派の呉越同舟」を生み出した張本人であることは、ご当人たちを除けば明白なのですが、そこが見えないのが彼らならではというところなのでしょう

(念のため)

表記法は正確に。

http://b.hatena.ne.jp/BUNTEN/20110306#bookmark-32819601

>みん党はリフレ派以外の何か、という可能性は考えられていないようだ

いや、みんなの党がクルーグマンのような意味での「リフレーション論者」ではないことは、誰の目にも明白であり、上述の通り、私もそう述べています。

しかし、、「医療、介護、雇用、教育、研究などなど、政府・行政にしかできない問題」に対する感性を欠如させたまま、ひたすら公的サービスへの攻撃を激化させるだけの揚げ塩風味の特殊日本的「りふれは」以外の何かであるとは、具体的な面々を思い浮かべれば浮かべるほど、説得力がなくなるとは思いませんか?

わたしがわざわざ「りふれは」という表記法を採っている理由を理解していただければと思います。

(もう一押し念のため)

http://b.hatena.ne.jp/BUNTEN/20110306#bookmark-32819601

>追記:その表記には正直リフレ派への悪意を感じたのでこう書いています。

ですから、言葉遣いは正確に。

医療、介護、雇用、教育、研究などなど、政府・行政にしかできない問題」に対する感性を欠如させたまま、ひたすら公的サービスへの攻撃を激化させるだけの揚げ塩風味の特殊日本的「りふれは」への悪意ですね。

いかなる意味でもクルーグマン的なリフレーション論者への悪意などありませんよ。

両極端の存在をあえて「リフレ派」という表現でごまかし続けてきたことに、BUNTENさんを始めとしたソーシャル系リフレーション論者の最大の過ちがあるとはお考えにならないですか?

(適切な形容)

http://twitter.com/Murakami_Naoki/status/44176885621587968

>そして、経済学者の中で、最も卑劣な部類に入る類は、権威がある海外の経済学者の言説を自分の都合が良いところだけとりだし、本人の主張を捻じ曲げて世の中に広める人。自称経済学者だけでなく有名な日本の経済学者もそれを意図的にやっている

まったくそのとおり。上のクルーグマンねじ曲げが典型。

もっとも、この人がその実例として思い描いているものは若干違うようではありますが。

(しばし感慨)

ところで、HALTANさんや、

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110307/p1([アホ文化人を退場させられない理由]みなさんホントは気づいててやってるでしょ?)

juraさんに、

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20110307/p1ネット○○派 part221 矛盾の遠因

引用していただいたおかげで、4年半も前のエントリを改めて自ら再読したわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

この頃は、ネット上では「構造改革 vs リフレ派」という(いまではインチキであったことが明白になってしまった)認識枠組みが多くの人々の心を捉えており、それに異を唱えるわたくしに対して、コメント欄に見られるような、目を覆いたくなるような無惨な誹謗中傷が雨あられと降りかかってきたわけです。

私としては、2006年9月という時期に、

>実をいいますとね、田中氏を攻撃したのには意図がある。これはいいリトマス試験紙なんです。労働・社会問題に関心のある人であれば、ケインジアン的な経済政策には好意的な構えを持つのが普通です。ところが、いわゆる「リフレ派」といわれる連中には、ケインジアン政策を除けば、小泉的ネオリベ路線丸出しというのが結構いる。今回の田中氏の第4章はそれが見事に出ていたので、彼のような隠れネオリベ派と本当に労働・社会問題を考えているケインジアンを洗い出すのに使えます。実際、いままでここにやってきて愚劣なコメントを書き込んでいるのはみんな隠れネオリベ派ばかりで、一見労働者や国民生活のことを考えているかのごとく騙る「リフレ派」の正体を見事に晒してくれたと思っています(本田先生は、本当はこういうやり方をすべきだったんですよ。リフレ政策そのものの妥当性などという彼女が論ずべきでない話ではなく)。今だんまりを決め込んでいる方々がどういうコメントをされるか、大変興味深いところです。迂闊なことを書けば、師匠に叱られるしね。

と、今日ではほぼ良識ある人々によって共有されつつある認識をいち早く表明していたことに、密かな誇りを覚えているところです。

このときに

>小泉流構造改革かリフレかという対立点が大したことないとはこれ如何に?

と攻撃していたような(「暗黒面妖」とか称する)方々には、是非今回のみんなの党の超緊縮予算について適切なコメントをいただきたいのですが、なぜか一人も登場してこず、シーンとしたままですね。もちろん、「暗黒面妖さんのご感想に同意しますし」と語っていた方でもよろしいのですがね。

ちなみに、このエントリのコメント欄は超絶的に延々と続いております。お暇なときにでも通読されると時間つぶしにはなりますか、と。

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コメント

 正直、リフレ派には幻滅しかかっています。高橋洋一氏のように、岩田規久男先生も以前幸福の科学の機関誌のインタビューに答えていたのはご愛敬としても、社会保険料の労使折半は100%賃金に転嫁されると言って社会党共産党を批判していた“前科”があります(『間違いだらけの経済常識』)。もっとも、この著作は20年前のものなので今は見解を変えているのかも知れませんが、年金を賦課方式から積立方式に移行するのが望ましいと言った言動も過去にしており、どうかと思います。
 もっとも、高橋洋一氏は賦課方式から積立方式への移行に否定的ですのでリフレ派にもいろいろあるんでしょうが、どうも医療、社会保障といった分野での発言に?がつくことが多いです。
 

スティグリッツ「フリーフォール」p286より

>保守派は政府の役割を最小限にとどめようと懸命に努力してきた。市場だけでは完全雇用を確実に実現することはできないかもしれないとしぶしぶ認めながらも、政府の介入の範囲をせばめようとしてきたのだ。たとえばミルトン・フリードマンのマネタリズムは中央銀行の役割を機械的なもの、つまり、固定金利で通貨供給量を増やすという役割にとどめようとした。それが挫折すると、今度は保守派は別の単純な対処法を探したのだった-それがインフレ目標だ。

フリードマンが社会保障を完全には否定しにくいが、政府の介入を最小限にしたいために負の所得税を提案したように、「りふれは」の方々も小さな政府と経済成長を両立できるようにみえる理屈に飛びついたのでしょうか。自分の価値観にかなうものが歴史的な妥当性があるかどうかは本来まったく別の問題のはずです。しかし、新古典派や「りふれは」の方々がリーマンショックの総括をろくにしないまま大きな政府路線をメディアで批判している姿を見ると、自然科学と比べて経済学はなんと甘い学問なのだろうと門外漢ながら思ってしまいます。
それにしても、みんなの党はキャスティングボードをにぎったら、どう変節するつもりなんでしょうか。参議院選挙前に窃盗で東洋大を懲戒免職になった高橋洋一が財政の破綻はありえない、民主党は官僚の言いなりになっているとしきりにデマゴーグをながしていました。みんなの党が急激に支持を伸ばしているのも、支持者の多くは今回の予算案を評価しているからではなく、イメージ戦略にのせられて増税せず社会保障が維持できる「青い鳥」だと信じ込んでいるからでしょう。新古典派や「りふれは」の方々は政権さえとってしまったらあとはこっちのものであると本気で信じているのかもしれません。しかし実際は民主党と同様、イメージと実際の政策の落差が明らかになれば、たちまち支持を失い、政界の更なる混乱をもたらすだけでしょう。まあ、国が滅びても権力の座につきたいと半分本気で思っているのがデマゴーグのデマゴーグたる所以といってしまえばそれまでかもしれません。
残念ながら、m3のアンケートによると、前回の参院選で勤務医の3割がみんなの党に投票したそうです。消費税を全額地方移管するということはその分年金、医療の公的負担が減らされることを意味しますし、公務員給与の2割削減は公的病院医師の給与削減につながります。前回の衆院選では6割以上が民主党に投票したそうですし、「医師は世間知らず」という麻生元首相の言葉は一部正論であったと認めざるを得ません。その際たるものは医療費の増加は公共事業や特別会計改革で何とかなると主張し、いまだに訂正しようとしない本田宏先生でしょう(下記参照)。このような人物が医師のオピニオンリーダーとされていたのだから(今も?)、まったく情けない限りです。

http://www.youtube.com/watch?v=mdImErEhkuY

この定式の変形版:

http://twitter.com/#!/M_A_Suslov/status/63913918837432320">http://twitter.com/#!/M_A_Suslov/status/63913918837432320

>知的であること、真面目であること、朝生出演者であることは両立できない。知的な朝生出演者は真面目ではないし、真面目な朝生出演者はおよそ知的ではない。知的で真面目な人間はそもそも朝生などに出演しないし、観ることもない。

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