ホブハウス『自由主義』
大震災の前にお送りいただいていたのですが、しばらく積ん読状態で、ようやく読みました。19世紀末から20世紀初頭の「新・自由主義」(ニュー・リベラリズム)の思想家ホブハウスの代表作『自由主義』(大月書店)です。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b61799.html
西洋思想史に詳しくないと、「ニュー・リベラリズム」と「ネオ・リベラリズム」の違いもよく分かりませんが、ホブハウスのニュー・リベラリズムというのは、本書の帯の文句を引用すれば、「貧困・失業問題を克服する」「福祉国家思想の源流」ということになります。
日本では、戦前の河合栄治郎が熱心に紹介したくらいで、特に戦後はこういう自由党の中で社会改革を追求した思想というのはあんまり、というよりほとんど無視されてきたのでしょう。
第1章 自由主義以前
第2章 自由主義の諸要素
1 市民的自由
2 財政の自由
3 個人的自由
4 社会的自由
5 経済的自由
6 家庭内の自由
7 地方の自由、人種の自由、国民の自由
8 国際的自由
9 政治的自由と人民主権
第3章 理論の運動
第4章 「自由放任」
第5章 グラッドストーンとミル
第6章 自由主義の核心
第7章 国家と個人
第8章 経済的自由主義
第9章 自由主義の将来
解説
1 ホブハウスの生涯
2 時代状況とイギリス新自由主義(社会的自由主義)
3 『自由主義』の思想構造
4 「社会改革」の思想としてのホブハウス理論
5 ホブハウス理論の意義と問題性
6 新自由主義(社会的自由主義)と日本
やや皮肉な言い方になりますが、マルクス全集やレーニン全集を売ってきた大月書店から、積極的な意義付けで「自由主義」というタイトルの本が出版されるということの中に、戦後日本の知識社会学的な意味での歪みが象徴されているのかも知れません。
本書でホブハウスが批判している「機械的社会主義」や「官僚的社会主義」に対する批判の思想が、ホブハウス的な「ニュー・リベラリズム」ではなく、それらと同じくらい単純素朴な機械的人間観を持った「ネオ・リベラリズム」に素直に流れ込んでしまうといういささか愚かしくも見える構造の中に、戦後日本に何が欠落していたかが良く浮かび上がってくるように思えます。
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コメント
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こういうつぶやきが
http://twitter.com/#!/WlknWtr/status/91813730131771392">http://twitter.com/#!/WlknWtr/status/91813730131771392
>僕は「リフレ派」の思想的源流はホブハウスのニューリベだと思っているのだけど、hamachan先生は藁人形を叩いていませんか?
いや、思想的源流がニューリベなのに、いまはネオリベと同衾しているから問題にしているんじゃないですか?
というより、そもそもリフレーションを主張する人々という意味での「リフレ派」と、本ブログでペジョラティブに言っている特殊日本的「りふれは」とは(源流は一致するにせよ)今では相当に相異なる代物になっているので、源流を持ち出して「藁人形」云々と言われてもねえ。
それならまず、「りふれは」諸氏が、源流のホブハウスに立ち戻っていただくのが先決ではないかと思いますよ。
投稿: hamachan | 2011年7月15日 (金) 20時55分
http://twitter.com/#!/hatenademian/status/90607426277081088
いったいなにとたたかっているのか
作用反作用の法則
投稿: H | 2011年7月16日 (土) 11時48分