大学の課題 堀有喜衣さんの提言
『時の法令』の巻頭の「そのみちのコラム」は、私も2007年度に担当しましたが、今年度は労働政策研究・研修機構の堀有喜衣さんで、3月15日号はその最終回です。タイトルは「キャリア教育③-大学の課題」。
その後半部分が大学の在り方に対する鋭い提言になっています。
>・・・そこで長期的な課題となるが、大学の機能分化を進め、大学生のそれぞれの能力の向上を目標とすることを提唱したい。大学は学問の府であるが、大学生の中での学力差が広がり、すべての大学がアカデミックな方向を追求することにはかなり無理がある。補習教育を行っていない大学は少数派になりつつあるが、誰でも入学できる「マージナル大学」においては、読み書き算数に近い基礎学力さえ身についていない学生も存在している。
以前であれば高卒で就職していた、座学よりも体を動かす方が好きという生徒まで、大学に進学するようになっているのが現状である。学生の針路も理解力もまったく異なるにもかかわらず、大学生だからと同じ取扱いにこだわるのは日本的だと思うが、もうそろそろやめてもよいのではないだろうか。
それよりも進路変更できるセカンドチャンスを用意しながら、アカデミックを追求する一般大学と専門大学にわけ、後者では実学を追求することを推奨したい。一般大学と専門大学は役割が違うが、相互の行き来を可能にすることがポイントである。両者の関係はタテではなく、目標が異なると理解してもらいたい。
このような主張をすると、いつもさまざまな方面から感情的に反論される。普通教育と職業教育の序列は戦前にも存在していたが、今でも日本というのは職業教育を普通教育より下に見る傾向があり、形式的な平等を重視する国なのだと改めて思う。・・・
この最後のパラグラフの「いつもさまざまな方面から感情的に反論される」というのは、まさにその通りですね。なぜそこでかくも「感情的」になるのかというところが、日本社会の機微に触れるのでしょう。
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コメント
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大学の機能分化あるいは職業教育の深化は賛成です。そのような方向になっていくべきだと思います。ただ、普通教育と職業教育の序列・・・という捕らえ方になるところが日本の問題です。
多様な価値感、キャリアパス、生涯教育、終身雇用、ワークライフバランス・・・とも関わる根深い問題のように思います。
一流大学を卒業してエリート官僚になる、技を磨いて一流の職人になる、芸術家になる、企業を起こす等、同じ物差しで序列をつけないような多様な価値感(達成感)があって然るべきでしょう。あるいは、スローライフを選択するという生き方もあるでしょう。様々な選択肢を認め、社会は多様な生き方を受容する(経済的なサポートも含めて)必要があります。
終身雇用にしがみついて一生同じ会社に奉公しなくてもよい社会にすべきです。ある会社に数年間勤め、一年間くらい旅に出て、また勤務するという選択ができてもよいはずです。また、年齢にかかわらず、新たに教育を受けてチャレンジができるという社会が望ましいはずです。日本では仕事だけで生活がない(ワークライフバランス)のも問題です。生活の中に多様な価値感があり、イマジネーションの源泉があります。仕事は生活の一部であると考えれば、多様な仕事の選択がでてくるはずです。
投稿: hiro | 2011年3月25日 (金) 00時17分