広田・濱口論争?@公開研究会
ということで、昨日の公開研究会にも出席して参りました。
お約束通り(笑)、皆様のご期待に応えて(笑)、『自壊社会』論文で反職業教育の立場を明らかにした広田さんと壇上論争を演じて参りました。ご期待に沿えるような論争になったかどうかは自信がありませんが、聴衆の皆様には面白い見物になったのではないかと思います。
お聞きになっていた皆様にはおわかりのように、教育そのものへの基本的なものの考え方自体にそれほどの違いがあるわけではおそらくないのですが、わたくしの場合日本型雇用システムの「磁場」の中でそれがいかなる磁力線を発しうるか、あるいは発し得ないかについての認識に自ずから違いが生じてくるということなのでしょう。
私は学校教育の中での職業教育が「即戦力」を養成できるなどとは全然思っていませんし、また広田さんの言われる「市民教育」はとても重要だと考えています。
しかしながら、「職業教育は学校を出た後でやればいい」という言い方でそれを(その基礎工事の部分まで)企業内教育訓練に全面委任してしまうことによって、たとえ教育担当者が一生懸命「市民教育」を子どもたちに説き聞かせたところで、それは耳に入っていかない構造を形作ってしまうのではないか。
どうせ、学校というのは、企業に入ってから教育訓練を受けるに足る素材(社員候補生)を準備するところに過ぎないというメッセージを(そういう意図はなくても事実上)送ることによって、これこそ大事だと意気込んで説き聞かせたはずの「市民教育」が、学校を卒業してからこそ意味があるものとして受け取られないような構造、学校にいる間は先生の顔を立てて「そうですねえ」という顔で聴いているけれども、卒業したらさっさと忘れちゃわないといけないような代物として受け取られるという堅固な構造を再生産することにしかなっていかないのではないか、ということを(どこまで伝わったかは分かりませんが)お話ししていたつもりです。
「社員準備教育」を超えた「労働者教育」があって始めて、その上に「市民教育」が構築しうるのではないか、「労働者教育」を否定して「市民教育」を説いてみても、それは馬の耳に念仏ではないか、という感じです。
公開研究会後の懇親会で、広田さん、阿部さん、さらに駒村さんも加えて、大変楽しく興味深い会話が交わされましたが、それはまた別の機会に。
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”スイス(一人当たり所得56,005ドル)が、もっとも富裕な国の一つであることは、異論が無いはずです。
ですが、同国の大学進学率は、群を抜いて低いのです。1990年代までは他の富裕国の1/3、96年でもOECD諸国の平均の半分以下”
ttp://d.hatena.ne.jp/okemos/20110309/1299599048
クルーグマンの「学位とドル」
投稿: 匿名希望 | 2011年3月12日 (土) 14時34分