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2011年3月

OECD『子どもの福祉を改善する』

82543 OECDの『子どもの福祉を改善する より良い未来に向けた比較実証分析』(明石書店)をお送りいただきました。

http://www.akashi.co.jp/book/b82543.html

原題は「Doing Better for Children」(子どもたちのためにもっとうまくやろう)。

ベイビー&ボスと同じく、高木郁郎先生の監訳、熊倉瑞恵、関谷みのぶ、永由裕美3人の翻訳です。

>物的福祉、住まいと環境、教育的福祉、健康と安全、危険行為、学校生活の質といった6つの指標をもとに、OECD加盟各国の子どもの福祉政策を比較し、子どもへの社会支出、乳幼児期政策、ひとり親の影響、不平等の世代間連鎖などについて分析する

OECDのサイトのリンクは

http://www.oecd.org/document/12/0,3746,en_2649_34819_43545036_1_1_1_1,00.html(Doing Better for Children)

ここに載っている国別情報の日本の項目を見ると、

http://www.oecd.org/dataoecd/21/23/43590152.pdf

>Japan spends less than the OECD average on children at each stage of childhood, according to the OECD’s first ever report on children. The Japanese spending shortfall is especially pronounced for children under age 6, being less than one third of the spending committed to children between the ages of 6 and 17 years.

日本は子どものどの段階でもOECD平均よりも支出が少ない。とりわけ6歳未満では、6歳から17歳までの子どもの3分の1よりも少ない。

>Japan is in the top third of the OECD in terms of levels of average family income, but not all children benefit. Child poverty in Japan, at 13.7%, is slightly higher than the OECD average of 12.4%. What is especially surprising for a country with high family incomes is the relatively high proportion of Japanese children – about one in twenty – that lack a key set of educational possessions such as a quiet study space, a computer, or textbooks. Japan is the fourth worst performer on this indicator across the OECD, better only than Greece, Turkey and Mexico.

日本は家庭の所得では上位3分の1にはいるのに、それが子どものためになっていない。子どもの貧困は13.7%でOECD平均より若干高く、特に驚かされるのは高い家庭所得の国なのに、子どもの20分の1という高い比率で、静かな勉強空間、コンピュータ、教科書といった教育用品を欠いている。日本はOECDで4番目に悪い。下にいるのはギリシャ、トルコ、メキシコだけだ。

・・・・・

目次は次の通りです。

はじめに
 要約

第1章 中心的な事実発見の要約
 第1節 はじめに
 第2節 報告書の構成と要約
 第3節 子どもの福祉を強めるためにどのように投資するか?
 第4節 子どものライフサイクル全体で何をなすべきか?
 第5節 削減すべき事柄と重視すべき事柄

第2章 OECD諸国にみる子どもの福祉の国際比較
 第1節 はじめに
 第2節 OECD加盟国の子どもの福祉の概要
 第3節 子どもの福祉とは何か?
 第4節 子どもの福祉をより深く観察する
 第5節 子どもの福祉の次元と指標の選定
 第6節 OECD子どもの福祉指標の理論化と比較
 第7節 まとめ
 付録2.A1 OECD子どもの福祉指標の相互関係

第3章 子どものライフサイクル全体のなかでの社会支出
 第1節 はじめに
 第2節 年齢別に子ども向けの支出を考察する理由
 第3節 プロファイル手法と資料源
 第4節 制約
 第5節 子ども向け支出の年齢プロファイルをめぐる論議
 第6節 子どものライフサイクル全体にわたる税・給付政策の分配的側面
 第7節 方法
 第8節 検討対象の国々
 第9節 世帯が稼得している所得水準ごとの純所得と純移転所得の8か国比較
 第10節 まとめ

第4章 胎児期から幼稚園まで
 第1節 はじめに
 第2節 出生前の時期
 第3節 出生
 第4節 出生後の期間
 第5節 まとめ

第5章 子どもの福祉とひとり親状態
 第1節 はじめに
 第2節 OECD諸国全体の家族構造
 第3節 子どもの福祉を強化するうえでひとり親家族の構造はなぜ問題か?
 第4節 ひとり親のもとでの子どもたちの成長にはどんな影響があるのか?――OECD諸国にわたるメタ分析
 第5節 因果関係の探求
 第6節 政策上の意義づけ
 第7節 まとめ

第6章 子ども時代と世代間移動
 第1節 はじめに
 第2節 不平等の世代間連鎖のどこが悪いのか?
 第3節 不平等の世代間連鎖はどの程度存在し、それは年とともにどの程度変化しているのだろうか?
 第4節 世代間不平等を引き起こす要因
 第5節 世代間で引き継がれる不平等の程度は、高すぎるのか、あるいは低すぎるのか、それとも最適なのだろうか?
 第6節 まとめ

第7章 子どもの福祉を改善する:前進の道
 第1節 はじめに
 第2節 子どもの福祉に影響を与える政策選択の範囲
 第3節 OECDによる子どもの福祉の測定と子どもの貧困
 第4節 子どもの福祉を改善するための政策提言

 監訳者あとがき

 Box/表/図

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橋口昌治『若者の労働運動』

132731 橋口昌治さんから近著『若者の労働運動 「働かせろ」と「働かないぞ」の社会学』(生活書院)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.seikatsushoin.com/bk/070%20wakamono.html

橋口さんは、本エントリ末尾のリンク先にあるように、拙著『新しい労働社会』について、真摯な辛口批評をされていますが、本書はその橋口さんの研究の全貌を読むことができます。

>労働市場の周辺や外部に置かれ、労働によっても痛めつけられてきた「若者たち」。労働者階級としての確信は持ちえていず、デモでは、「働かせろ」と「働かないぞ」という矛盾したシュプレヒコールが飛び交う。労働から疎外され孤立させられた人々が、それゆえに団結をして労働問題に取り組んでいる運動、それが「若者の労働運動」なのである。
「若者の労働運動」は矛盾に満ちた運動である。組合員は労働問題を契機として集まり、不当解雇や賃金未払いなどの不法行為を企業に是正させるために日々走り回っている。その一方で、労働者としてのアイデンティティや「働かざるもの食うべからず」といったような労働規範を共有していない。職場や職業が異なり階級意識も共有していない人々を惹き付けるために、「青年」や「フリーター」、「プレカリアート」などの集合的アイデンティティの形成を試みてきた。それは一定の成功を収め,多くの組合員が加入するようになっているが、同時に多様なアイデンティティを持った人々と集合的アイデンティティとの間で葛藤も生じている。しかしこうした、通常の労働組合であれば乗り越えるべき課題と捉えられそうな矛盾や葛藤こそ、「若者の労働運動」の特徴であり、運動を運動たらしめているものなのである

目次は下記の通りですが、第1章が理論編、第2章から第5章までがケーススタディということになります。

ケーススタディの対象は、メンタルヘルス上の問題を抱える人が多く「働くことを絶対視しない居場所づくり」に重点を置くユニオンぼちぼち、労働基準法を守らせる戦いに重点を置く首都圏青年ユニオン、プレカリアートなどアイデンティティ戦略を重視するフリーター全般労組、「労働/生存組合」を名乗るフリーターユニオン福岡の4つです。労働法的にはもちろん首都圏青年ユニオンの活動が一番関わり深いわけですが、副題にある「働かせろ」と「働かないぞ」の二重性ということからすると、ぼちぼちや福岡のケースが興味深いということになりましょう。

序章
      1 本書の課題
      2 「若者の労働運動」の定義
      3 本書の構成

第1章 労働社会の変容と「若者の労働運動」
      1 本章の課題
      2 三つの「労働社会」論
      3 労働を中心とした社会の生成と変容
          3-1 労働力商品化と労働社会の成立
          3-2 労働を中心とした社会への批判
      小括
      4 雇用社会の到来と変容
      5 日本における労働社会の変容と「若者の労働運動」
          5-1 日本における労働社会の出現
          5-2 労働社会の到来と雇用社会の成立
          5-3 雇用社会の変容
          5-4 「日本的雇用」における「人間」の変化
          5-5 「若年者雇用問題」と若者支援
          5-6 日本における労働社会の変容と「若者の労働運動」
      小括

第2章 「若者の労働運動」は何をしているのか──「ユニオンぼちぼち」の事例から
      1 本章の課題
      2 「ユニオンぼちぼち」の活動内容
      3 労働社会の変容と「ユニオンぼちぼち」
          3-1 結成過程の問題意識──「労働問題」の共有と関係性の創造
          3-2 労働問題を意識化できるが、働くことを絶対視しない場所
      4 まとめ

第3章 企業社会のオルタナティブ──首都圏青年ユニオンの事例
      1 本章の課題
      2 組合加入者の多くがサービス業に従事する若い非正規労働者
      3 アンケートから見る青年ユニオン
          3-1 アンケート結果の全体像
          3-2 主な相談相手は家族か友達
          3-3 「違法の3点セット」への対応
      小括
      4 結成過程の問題意識
      5 運営方針の特徴
          5-1 労働基準法を守らせる闘いを展開すること
          5-2 争議解決の過程などを通して権利行使の主体としてエンパワーメントをすること
          5-3 団体交渉などあらゆる組合活動を参加型にすること
          5-4 組織作りや仲間作りの工夫を行い組合を定着できる居場所にすること
      小括
      6 まとめ

第4章 経験運動としての「若者の労働運動」──フリーター全般労働組合の事例
      1 本章の課題
      2 先行研究の検討
      3 フリーター全般労働組合の問題意識の変遷
          3-1 【第1期】フリーター像の読み替えとフリーターによる労働組合
          3-2 【第2期】「自由と生存のメーデー」と「若者の人間力を高めない非国民宣言」
          3-3 【第3期】 フリーター全般労働組合の運動文化の形成
      4 組合員個々人のアイデンティティの変容と経験運動
          4-1 「…自分は8時間なりなんなり働いている時間は労働者なんだ…」
          4-2 「…明らかに『あたしは労働組合では守られない』ってどこかで思ってる…」
          4-3 「…ここでパーティーをやってても無駄だなぁと(笑)」
          4-4 「…文句を言ってはいけないとか,ずっとひどくて当たり前とか…」
          4-5 「…同じつながれる破片を持っている組合員が結構いる…」
          4-6 「それは多分,嘘じゃない言葉じゃないですか」
      5 まとめ

第5章 「労働/生存組合」の誕生──フリーターユニオン福岡の事例研究
      1 本章の課題
      2 ニート・引きこもり支援に関する先行研究の検討
      3 フリーターユニオン福岡の結成過程と活動内容
          3-1 結成過程と基本的な活動
          3-2 取り組んできた労働問題
          3-3 デモや企画などの活動内容
      4 フリーターユニオン福岡はどのような場所か
          4-1 自己責任論に反撃できる場所
          4-2 労働規範に疑問を持ち続けることと労働問題に取り組むことが両立できる場所
          4-3 「また引きこもりに戻るだけですから」と思えるようになった場所
          4-4 根元に遡って考えたりすることのできる場所
          4-5 つまはじきにされた人が一矢報いる場所
          4-6 「権力」に対してNoを言っていく場所
          4-7 多様性の認められる社会を作っていくために闘っていける場所
      5 まとめ

終章

あとがき
参考文献

第1章では、拙著も含め、多くの本が引用されながら、橋口さんの理論枠組みが提示されています。「雇用社会」と「労働社会」という言葉の使い方など、違和感を感じるところもありますが、是非お読みいただきたいところではあります。

なお、橋口さんの拙著書評は、アマゾンのレビューと、『生存学』第2号に載っています。

http://www.amazon.co.jp/review/R20F822D3FCMJC/ref=cm_cr_rdp_permリアリストなのだろうか

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20100406123153794_0001.pdf

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大内伸哉『最新重要判例200労働法増補版』

30164 大内先生より、『最新重要判例200労働法増補版』をお送りいただきました。

元版が出たのは2009年の8月ですから、まだ1年半です。如何に労働法の世界の進みが早いかですね。

増補版では、松下プラズマディスプレイや日本IBMを最高裁判決差し替えたほか、最後に7件ばかり増補という項目になっていて、例のINAXメンテナンスの高裁判決も載ってます。

それは、もうすぐ最高裁でひっくり返るんじゃなかったっけ、と思うと、ちゃんと増補版はしがきに、

>なお、追加した判例の中には、厳密な意味での判例としての価値がなかったり、あるいは上級審で覆されることが予想されるものも含まれている。

と書いてありました。

元版も200件じゃなくって213件でしたが、増補版は221件となり、このままいくと早晩300件近くなりそうな予感もしたりします。

判例の値打ちからいうと、そうですね、判例百選ではだいぶ足りないなという感じですが、200を超えるといささか「こんなのまで載せるの?」的なものも入り込んできている感じがします。

記述量的にも、判例百選の見開き2ぺージはいささか分量大杉という感じがするのもありますが、こちらのどの判例も皆1ページだと、正直説明が足りない感じになってしまっているのもあって、なかなか難しいところですね。

何にせよ、来年度の法政社会学部の講義用のテキストの執筆に当たっては横に置いて重宝しています。

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『生活経済政策』4月号

Img_month 生活経済政策研究所からお送りいただいた『生活経済政策』4月号は、「負担とビジョン」が特集です。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html

まずは駒村康平さんの「社会保障・税一体改革の展望」です。

>高齢化が加速する中で、5%程度の消費税アップでは止血剤程度の効果しか持たない。グローバル化と高齢化の中で、長期的に安定した社会保障制度を築くためには、政府は具体的で詳細な「新しい社会保障制度」の「仕様書」、「見積書」を示した上で、国民に負担増という「請求書」を提示する必要がある。この作業は、既に政府内でさまざまな改革チームがスタートし、作業に入っている。しかし、最も重要なことは計画作りではなく、利害調整と実行力であり、政治的な覚悟が必要である。

やるべきことは、与党も野党もまともな人々はみんな分かっているのに、それが出来ない状態に追いやられる理由は何か?を問いかけているのは、政治学者の三浦まりさんです。「社会保障改革と野党の政治責任」。

>・・・しかしながら、現在は妥協が先走り、その結果、合意が可能にもかかわらず、政治は膠着状態に陥っている。

>・・・こうした思惑のすれ違いから、民主党は政策面で自民党・公明党にすり寄ってきているものの、皮肉にも却って政治的合意が不可能な状況になっている。そして、民主党が妥協すればするほど、マニフェストを守るのか、守らないのかが問われることになる。

>妥協をほのめかすとマニフェスト違反だ、ならば信を問え(解散しろ)といわれる。公約破りのレッテルは避けたいところだから、マニフェストの精神は遵守しているとしか言いようがないが、そうなると、ばらまきマニフェストの過ちをまず認めよと言われる。

>マス・メディアで取り上げられる政治応酬はこの次元の話であり、あまりのレベルの低さに有権者の既存政党への不信感はますます高まっていると予想される。そうだとすると、名古屋の例が示すように、減税を掲げる政党が旗揚げされたり、躍進したりする可能性をいっそう高めることになろう。主要政党が増税で一致しつつ、無益な応酬で時間を無駄にしている間、野心はあるが社会保障改革に興味のない政治家にとっては、減税の公約を掲げる誘因がいっそう高まっているのである

まったくそのとおりですね。

国民の大部分が、そして政治家の大部分がほぼ同意していることが、(かつて政治学者や政治評論家たちが鳴り物入りで褒め讃えた)二大政党制の(意見が違わないのに対立して見せなければならないという)歪んだ構造のために実行できず、国民の一部の無責任な声ばかりが無責任なポピュリスト政治家によって増幅されて、日本の将来をますます暗黒の世界に導いていくという悲劇(であるとともに笑劇)が実演されているわけです。

ま、これらは大震災以前に書かれた文章ですので、大震災を目の当たりにした国民が、いつまで無責任なポピュリストを支持しつづけることになるのか、注視していきたいと思います。

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CFWと緊急失業対策事業

東日本大震災の関係で、最近CFW(Cash for Work)というスキームが注目を集めているようです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110327/219167/(今回の震災復興は従来のやり方が通用しない 「キャッシュ・フォー・ワーク」日本版の提言)

確かに戦後60年間の平和時の「従来のやり方」は通用しないと思いますが、それ以前、終戦直後の、まさに日本が焼け野原だった頃にまで遡れば、実は似たような発想の政策が提起され、実行されていたのです。

それは、(戦後が終わってから半世紀にわたって)悪名高かった緊急失業対策事業です。もはや緊急の必要がなくなったのにえんえんとやっていたので悪名高かったのですが、しかしその出発点においては、国土復興と失業対策を兼ねた政策として、雇用政策の中心にありました。

もはや現役世代からは完全に忘れ去られた制度ですが、改めて再検討されていいと思います。もちろん、何事も横文字で表現した方が世の中の通りがいいという法則は変わらないのでしょうけど。

(参考)

>(2) 終戦直後の失業対策諸事業

 終戦直後の日本は、生産活動はほとんど行われない一方、膨大な失業者が発生し、経済は混乱と無秩序の中にあった。その中で、まず失業対策委員会の建議に基づいて、1946年2月、緊急就業対策が実施された。これは各種土木建築事業を実施して失業者の多数吸収を図り、知識階級失業者には食糧配給、新聞配達等流通部門の整備や徴税職員の拡充で就職を図り、これらで吸収できない者には失業救済応急事業を実施しようとするものであった。
 公共事業については、1946年5月にGHQが日本公共事業計画原則により生産増大と雇用吸収とを目的とする公共事業の実施を命じた。この総合調整機関として1946年8月に経済安定本部が設置され、9月の閣議で公共事業処理要綱が決定され、経済安定本部が失業者吸収と生産増大の2点から各省の公共事業計画を認証することとされた。ところが、実際には失業者の多い都市部の事業は2割程度であったため、同年11月に「公共事業に失業者を優先雇用するの件」が閣議決定された。その後、経済安定本部通達により公共事業について失業者利用率が設定された。これは緊急失業対策法に吸収率として取り入れられた。
 この他に、都市部で簡易公共事業(後に都市失業応急事業)及び知識階級失業応急事業が実施された。

(拙著『労働法政策』p122)

<既にその方向で検討が進められているようです>

http://www.asahi.com/business/update/0328/TKY201103280368.html(被災者雇用対策で法改正も検討 政府が初会合)

>政府は28日、東日本大震災の緊急災害対策本部の下に設置した「被災者等就労支援・雇用創出推進会議」(座長・小宮山洋子厚生労働副大臣)の初会合を開いた。厚労省が中心となり、近く編成する補正予算案に盛り込む雇用対策や法改正などを検討する。

 小宮山副大臣は会議で「農業や漁業のほか、いろいろな技能を持つ方が、新しい地でその技能を生かせるようにしたい」と語り、がれき撤去作業や仮設住宅を作る際に、被災者が雇用されるような仕組み作りを提案した。

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同一労働同一賃金とは何か@『賃金事情』

1281680137 産労総合研究所発行の『賃金事情』4月5日号に、「「同一労働同一賃金」とは何か わが国における経緯と今後の方向」という文章を寄せました。旬刊雑誌ですので、次号が出るまで中身の公開は差し控えます。

小見出しは次の通りです。

1 日本の賃金制度と同一労働同一賃金原則

2 近代的労働市場政策の発展と消滅

3 非正規労働政策の転回

4 非正規労働政策の現地点

5 西欧諸国の「同一労働同一賃金」と「均等待遇」

6 同一労働同一賃金原則の今後

なお、同じ号には、労務屋さんこと荻野勝彦さんの連載で「勤務間インターバル規制」も載っています。併せてどうぞ。

(余談)

上記文章に付けられた著者プロフィールの最後に「・・・また、辛口個人ブログ「EU労働法政策雑記帳」(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com)は労働問題研究者に好評」とありますが、これは編集部の書いたものです。自分ではかなり「甘口」のつもりなんですけど・・・。

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震災復興5原則

大震災に遭った岩手県で地方公務員として日夜奮闘されているマシナリさんが、引き続き震災後の復旧・復興に向けて全国民が考えるべき論点を5点にわたって書かれています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-447.html

ごく一部だけ引用しますが、是非リンク先に飛んで、じっくりと読んでください。

震災の最前線で奮闘する実務家知識人の一つ一つの言葉が如何に重いかを実感されるでしょう。

1 インフラ整備のための緊急体制としての「大きな政府」の構築

>・・・要すれば、マスグレイブの財政3機能の理論でいう効率的な資源配分と公平な所得再分配と経済の安定化のうち、効率的な資源配分を実現するシステムが市場経済ですが、それが機能していない現在にあっては、政府によってしか実現できない後者の2機能で当面の財政運営をしなければなりません。そこでは予算制約と無差別曲線による最適な消費点が決められない以上、一律の基準で分配することを原則として、個別のニーズには別の基準を設けて対応するということが必要になります。こうした分配の作業は手作業で行わざるをえないので、ここでも市場機能を補完するためのマンパワーが必要となります。つまり、緊急時の対応として、価格システムを通じた分権的な市場経済ではなく、テクノクラートによる中央集権的な分配システムに頼らざるをえないということになります。

以上から、今回の震災で既存したインフラの整備には、道路やライフラインとう物量を確保しなければならない分野と、それを再分配するためのマンパワーの両方が必要となるといえそうです。市場経済を通じた復興はそうしたインフラを整備した後に初めて可能となるものと考えます。一時的ではあっても、ここ被災地では「大きな政府」が必要と考えます。

2 プロフェッショナルが活動できる体制の整備

>前回エントリで指摘したとおり、今後の生活再建に向けて必要となるのは、被災者の経済社会活動を支える制度を十分に機能させることです。そのためには、1で上げたインフラの整備に加え、医療、福祉、金融、雇用といったソフト面において、法令上の特例措置や資金調達、物資調達、賃金原資確保といった物流・金融システムを再構成する必要があります。そしてそれらのシステムは、日本において各分野の専門機関や企業が存在しており、これら各者が持てるノウハウを存分に発揮するための環境を整備しなければなりません。・・・

3 適切な報酬・費用負担についての合意形成

>上記1、2で指摘したことは、いずれも財政負担を伴うものです。私が現時点で最も危惧するのは、自分の負担が増えることについての拒否反応と過疎地への再分配への拒否反応です。・・・

>・・・もっといえば、後出しじゃんけん的に「認識の甘さのために防災設備をケチったから被害に遭っただけで、役人の怠慢だ」という批判も出ているところです。役人の側からすれば、そのような批判がありうることは十分想定した上で、無駄遣い撲滅のかけ声の下に政治主導で公共事業を削減した結果に対応する形で、予算編成に当たる役人が「それなりの基準」を設定してリクツ付けしているのが実情であって、その「それなりの基準」をやり玉に挙げて役人の怠慢を批判することには、それほどの意義を見いだせません。・・・

>そして、この災害に対する財源措置についての制度設計が達成できるかは、「税金がムダな公共事業や役人の天下りに使われている」というステロタイプな税に対する不信感を方向転換して、国民が負担増に合意形成するための試金石となるのではないかと個人的には考えております。もっと直截的にいえば、「被災地支援は国が負担すべき」とか「被災者の生活補償は国が面倒見るべき」という一方で、「増税なんてけしからん」という矛盾した物言いはもはや通用しないのです

>国債だろうが税金だろうが、日本国民がいずれかの時点で負担することには変わりないわけですから、義援金ではとても賄いきれないこの巨額のストック毀損額を国民全体で負担し、その資材調達に要する経費、作業に従事する方、制度を設計する役人に対する報酬を適切に支払うという合意形成が必要不可欠です。

4 経済活動を自粛しない

>・・・こんなときだからこそ、適切な賃金水準を保って消費を冷え込まさせないことが重要と考えます。

ただし、適切な賃金水準を保つことと国民が復興に要する費用を負担することが矛盾するものではないことに留意が必要です。岩手・宮城・福島の沿岸市町村が壊滅的な被害に見舞われ、特に福島原発の災害によって東京を含む関東までも機能低下させることが明確になったわけで、
税負担によりそれらの地域を復旧することは無駄遣いでもバラマキでもありません。特にも、被災地の公共事業は被災者である労働者の所得を確保することになり、日本経済の停滞に歯止めをかけるものでもあります。所得効果を考えない初等経済学の教科書レベルの議論ではなく、公平な所得再分配を念頭に置いた議論が必要です

5 公共事業の箇所付け・規格については地元自治体に裁量を与える

>「津波が来るようなところに町を復旧する必要がない」というようなことをおっしゃる方は、このような権利関係もまっさらにできるとお考えなのかもしれませんが、それは非現実的です。権利をそのままにして建物を復旧するよりも、移転させて住居を提供するという補償のほうが高くつく可能性もあるわけです。

インフラや役場庁舎のような災害時に必要なリソースを移転することはあるかもしれませんが、事業所や住居はできるだけ原状復帰するのが現実的な対応と考えます。その際には、国道等のネットワーク外部性への配慮は国が主導しつつ、都市計画や県道・市町村道は地元自治体に裁量を与えて、より機能的で防災機能の高いまちづくりを進めることが望ましいと考えます。

何も付け加えるべきことはありませんが、最後の点については、たまたま最近本ブログでも「地方分権」が話題になったことから、若干コメントを。

まさにマシナリさんが書かれているような地方政府こそが的確な知識と情報を持っている分野では、地方政府に決定権限を与えるという意味での地方分権が重要で、もともと分権論が始まった20年近く前に「バス停の場所まで運輸省の認可が必要なのはおかしい」等と批判されたのも、そういうことでしょう。一方で、中央政府はまさに果たさなければならない機能を果たすことが求められるわけです。

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ワーク・ライフ・インバランスの原因

86730 佐藤博樹・武石恵美子編著『ワーク・ライフ・バランスと働き方改革』(勁草書房 )をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b86730.html

さて、佐藤先生編著のワラバラ本も既にかなりの数に上りますが、本書は東大の社研がコンサル会社や民間企業と共同研究してきたプロジェクトの報告です。

>いつでも残業が出来る社員像を前提とした仕組みから時間に制約のある社員像を前提とした仕組みへ。改革の鍵は管理職の職場マネジメントにある。本書では、データ分析や海外との比較を通じて、日本の職場での働き方の特徴やWLB阻害要因を明らかにし、時間意識の高いメリハリのある働き方に転換する為の具体的な取り組みを提示する

目次は次の通りですが、

はじめに[佐藤博樹・武石恵美子]

序章 ワーク・ライフ・バランスと働き方改革[佐藤博樹]
 1 「新しい報酬」としてのワーク・ライフ・バランス支援
 2 ワーク・ライフ・バランス支援を実現するために
 3 ワーク・ライフ・バランス支援と女性の活躍の場の拡大
 4 ワーク・ライフ・バランス支援と人事処遇制度の連携、企業業績
 5 人材活用の要としてのワーク・ライフ・バランス支援

第Ⅰ部 ワーク・ライフ・バランスの現状と課題

第一章 働く人々のワーク・ライフ・バランスの現状と課題[高村静]
 1 調査対象者および働き方の概要
 2 ワーク・ライフ・コンフリクトの状況について
 3 ワーク・ライフ・バランスの実現の状況と組織に対する働く人の意識特性
 4 ワーク・ライフ・バランスの実現に影響を与える職場の特性
 5 夫婦の働き方とそれぞれの職場の両立支援制度
 6 適切なマネジメントが高めるワーク・ライフ・バランス施策の効果
 コラム

第二章  社員のワーク・ライフ・バランスの実現と管理職の役割[松原光代]
 1 管理職の働き方
 2 部下のワーク・ライフ・バランス満足度と職場のパフォーマンスを高める要因
 3 管理職のマネジメントを高める要因
 4 ワーク・ライフ・バランスとワーク・ライフ・バランス支援のための職場マネジメントの課題
 コラム

第三章 欧州企業における働き方とワーク・ライフ・バランス[朝井友紀子]
 1 欧州と日本の働き方の違い
 2 日本のワーク・ライフ・バランス推進の現状とそのニーズ
 3 欧州ヒアリングの概要と結果
 4 欧州の働き方が示唆すること

第Ⅱ部 ワーク・ライフ・バランスを実現するための働き方改革

第四章 時間意識の向上のためのモデル事業と働き方改革[武石恵美子・佐藤博樹]
 1 働き方改革と時間意識
 2 時間制約を意識化する
 3 働き方改革のモデル事業の概要
 4 働き方改革はどのように進んだか
 5 職場マネジメントの対応
 6 働き方改革を進めた職場事例
 7 成果と課題

第五章 柔軟な働き方を可能とする短時間勤務制度の導入と運用[矢島洋子]
 1 柔軟な働き方の選択肢として期待される短時間勤務
 2 短時間勤務制度に対するニーズ(従業員・企業)
 3 短時間勤務制度の導入における課題
 4 短時間勤務制度の運用上の課題
 5 短時間勤務制度の運用からみえてくるもの

第六章 実務の現場から提案する残業削減の必要性と課題[大塚万紀子]
 1 残業の弊害と残業削減のメリット
 2 残業削減に取り組む際の基本的な考え方
 3 残業削減策の具体的なステップ
 4 社会全体でワーク・ライフ・バランスの実現を

終章 働き方改革を進めるために[武石恵美子]
 1 ワーク・ライフ・バランス実現における「働き方改革」の意味
 2 現状の働き方の課題はどこにあるのか
 3 働き方の改革をどう進めるか
 4 働き方改革のための課題

ここでは、朝井友紀子さんの「欧州企業における働き方とワーク・ライフ・バランス」から、なんで日本ではワークとライフがインバランスになるのか、その理由を5点にわたって指摘しているところを紹介したいと思います。

まず何よりも、

①一人一人の仕事の範囲が明確でない

つまり、ジョブ型じゃないということですが、

>海外で数年働いた経験のある日本人の社員は、欧州と日本の働き方の違いを生み出している要因として一人一人の仕事の範囲が明確でないことを指摘する。日本では、仕事ができる人に仕事が集まってくるという傾向がある。よって、仕事をすればするほど、仕事は追加され、優秀な社員ほど仕事量が多いという仕事配分の不均等が生まれる。

一方、欧州の場合は、担当職務ごとに個々人の役割が明確にされており、仕事の範囲は決められているため、担当する仕事が終われば、早く帰ることができる。仕事を助け合うというのは、仕事の運営上重要ではあるが、日本のように仕事ができる人に他の人の仕事を肩代わりさせ、業務量を増やすことは、優秀な社員のストレスを増加させるだけでなく、バーンアウトを引き起こす原因ともなる。・・・

②資料の見栄えの過度の追求

>日本では資料の細部や見栄えに非常にこだわるため、一つの資料作成にかける時間が長いという点が特徴的である。ある欧州の社員は、日本の社員の資料に関して、図表の美しさには目を見張ると語っていた。・・・

いやあ、まったくそうなんですよね。それでいて、投入労働時間にはまったく見合わない程度の扱われ方しかしないことがおおいのですが。

③プレゼンティイズムの存在

>数年前に、長時間労働をしていたと語る欧州の社員は、長時間労働をしていると非生産的になることを指摘する。睡眠不足や疲れ等によりストレスが溜まると、1時間でできる仕事に2時間かかり、ミスも増える。・・・しかし、日本の社員の場合には、不景気でも好景気であっても、22時に退社するというスタイルを変えようとしないという。・・・

④会議の数が多く、その規模が大きい

これはよく指摘されることですが、なぜそうなるかというと、

>日本と欧州では、各社員への決定権限の持たせ方が違うことも会議の数の違いを生み出している要因でもある。日本では、意思決定に際してコンセンサスの形成が重視される。他方、欧州では担当者にある程度の決定権限を委ねていることが多いため、一つのものごとを決定する前段階として、情報共有や確認のために多くの会議をし、意見をすり合わせる必要はないのである。その代わり、担当者は決定に責任を持つことになる。・・・

と、丸山真男の政治学を改めて読んでいるかと思うような日本型意思決定プロセスに帰着していくのですね。

⑤頻繁な組織変

>日本の企業では、欧州と比べて、組織変更や人事異動が頻繁にあることが特徴である。新しい職場に異動させることで、仕事の幅を広げることによる人材育成や企業内の情報共有、さらには働くモチベーションを高めたり、仕事のマンネリ化を避けたりするための措置であるが、時には生産的でないところに時間と労力を使いストレスを増加させることにもなる。転居を伴う転勤や異動をきっかけとしてうつ病になってしまう者もいる。・・

こう見てくると、ワラバラ問題はなかなかに根が深いことが分かります。

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暴言復活

ここ数ヵ月間、ほとんど夏川りみファンクラブと化していた「暴言日記」さんが、ようやくかつての「暴言」ぶりをとりもどしたようです(個人的には夏川りみ関係記事も好きですが)。

http://blogs.yahoo.co.jp/zhang_r/28332186.html(国家のインフラは経済の活力の源 )

>近代社会、資本主義社会が根本的に何で回っているのか、と言えばやはり国家のインフラであるというのが、今回の地震であらためて明らかになったことだと思う。

市場経済は、あくまで交通やエネルギーのインフラが正常に機能している状態でのみ意味を持つ。電話が通じなくて注文できなくなり、道路が寸断されて品物が届かなくなれば、市場原理などクソの役にも立たなくなる。・・・

>今回の原発事故の遠因について、アメリカ仕様の古い型だったとか、津波対策を甘く見ていたとか色々言われている。しかし推測で言わせてもらうと、専門家や現場の人は危険性を熟知していたのだが、原発を新調するとか、津波対策のための設備を建設するとか、そのための予算を政府がつけてくれなかった、またそういうことを要求するような雰囲気がなかったのではないだろうか。

90年代末以降、メディアで「財政危機」「無駄な公共事業」の大合唱が起こり、公共事業が全国的に減らされていた。その中で、全ての人の「想定をはるかに超えた」津波対策のために莫大な予算をつけてくれなどとは、やはり東電や原発の専門家も主張しにくかったことだろう。・・・

>インフラ整備のために予算をけちっている国に、市場の活力も充実した社会保障もあるわけがない。そのために増税が必要というなら、若干でも生活に余裕のある我々は、それに積極的にこたえなければならない。災害救済支援やインフラ再建のための消費税増税案に対して、「被災者にダメージを与える」などという「ヘタレ経済学系インテリ」が大勢いてウンザリしたが、生産や消費もできない、現状大部分を無償の支援物資で生活している被災者にとって、消費税増税の直接的ダメージはほとんど軽微だろう。

緊急財源は税よりも国債のほうが筋だとは私も思うが、なにより数年では収まらないほど規模が大きすぎるし、将来の財政悪化を懸念するのは、財務省としては職業柄当然理解できる話だろう。田中秀臣氏は消費税増税案にいたく激怒していたが、真面目な怒りだとは思うが、その稚拙で薄っぺらな政治観にはあらためてがっかりさせられた。果たして、自説の正当化のためにに今回の災害を利用しているのは財務省なのか、それとも田中氏なのか、どっちもどっちとしか言いようがない。・・・

こういう「暴言」も読みたいですが、夏川りみの記事も引き続き書き続けていただければ・・・。

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職場の擬態うつ病

毎月1回『労基旬報』に連載している「人事考現学」ですが、3月25日号は「職場の擬態うつ病」について書いています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo110325.html

>前回に引き続き、労働局あっせん事案から興味深い事例を紹介したい。我々が分析対象とした1144件のうち、労働者側に何らかのメンタルヘルス上の問題があると見られるケースは69件あった。その中には、使用者、上司や同僚の言動によって精神疾患が発生したと主張するものから、業務外の原因により生じた精神疾患による休職の扱いをめぐる紛争まで、さまざまな類型が含まれる。病名としては「うつ」という文字の含まれるケースが40件と過半数を占めるが、必ずしも厳密な意味での「うつ病」とは言いがたいものも見られる。このうち5件は近年精神医学方面で指摘される「擬態うつ病」の特徴を示しており、いくつか紹介しておきたい。

 1件目は、パワハラでうつ病になり退職したと主張する事案であるが、本人の主治医と産業医のいずれもが「発症原因は業務上ではなく、上司4名との人間関係」と明言している。主治医の診断は「抑うつ気分」であるが、「相手を見据えて背筋を伸ばし大きな声でよどみなく、自身で記載した文を見せて、上司を非難する言葉を並べ」ていると述べ、産業医も「訴状内容はあまりにも一方的な自己愛他罰的な文章」、「自己嫌悪的な発想が見受けられず、いわゆる典型的な「うつ」の、心のエネルギーが枯渇して無気力無表情となり下を向いて小声で引っかかりながら話すような様子はまったく見受けられない」とするなど、人間関係の不快感を「うつ」と称しているようにも見えるが、おそらくそれゆえに会社側は80万円での金銭解決に応じている。

 2件目は、皆の前でミスを公表され、うつ病で休職し退職したという事案である。産業医は「うつ病ではないが、うつ状態にあるのは確か。人格面に問題があり、自己愛が肥大化している」と述べ、主治医も「診断書は積極的に書いたものではない」としている。本人は「社員のまま私が自殺なんかすれば会社の名前に傷がつくでしょう。リストカットという症状も出てきているし」等と、自らの症状を逆手にとって脅迫的な言辞を吐いており、「うつ」とは認めにくいが、これまたそれゆえに会社側は100万円での金銭解決に応じている。

 3件目はそもそも「同僚看護師の説明のためにうつ病になってしまう」という訴えであり、診断書も存在しない。本人によれば「同僚看護師に長時間、病院のシステム、業務内容の説明をされ、内容が面接した看護部長の言ったことと食い違い、混乱を起こしてうつ病になった」とのことだが、会社側によれば、本人から毎日のように2-3時間のクレームの電話があり、職員がノイローゼになるくらい嫌がらせをしているとのことで、おそらくそれもあって15万円での金銭解決に至っている。

 近年における擬態うつ病の隆盛を考えると、企業がこのようなケースに直面するケースは決して少なくないと思われる

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とおんでもなく誤解されてるらしい

どうも、私はとおんでもなく誤解されているらしい。

http://twitter.com/macron_/status/51349972620279808

>でもhamachanだって有力な対案を示せなかった過失はあると思う。hamachanが懇意にしているらしい神野さんの提案は「ネオリベ的な地方への税財源委譲プラン」そのものとだと僕は感じるけど、hamachanは気づいてないんでしょうかね?…まさか。

http://twitter.com/macron_/status/51353815831678976

>税源地方移譲&福祉でドサッと仕上げて交付金を減らしたらhamachan&神野さんが望む「地方の福祉」は薄ーいものになりません?歳入額が少なすぎて。すると“福祉難民”が出てきて彼らは結局歳入に余裕のある自治体へ流れる。

はあ?私が税源地方移譲論者ですって?

本ブログのどこをどう読んだら、そういう認識が出てくるんだろう?まったく逆のことを言い続けてきているはずなんですが。

「チホー分権」なんて下品な言い方を非難されるのならまだ分かるのですけどね。

それとも、神野先生と一緒に研究会に出たら、全てについて同じ意見だとみなされてしまうわけですか。

いわゆる「交わりの罪」ってやつですかね。

ほとほと・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-01db.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-72c8.html(分権はむしろ福祉の敵です)

>チホー分権にして首長の好き放題にしたら、福祉や教育にどんどんお金を回してくれるのか、その逆なのか。新聞記者なら普通若い頃田舎勤務をしているはずですが、田舎政治家がどういう人々であるかまさか知らないわけではないと思うのですが。

それとも、チホー分権にして福祉がどんどん削られても、それこそ民主主義の成果なのであるから、もって瞑すべしというお考えなのか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-6418.html(地方分権の職業訓練的帰結)

>労働担当の記者であれば、雇用保険財源を地方に移管するということは、ただでさえ民間の教育訓練施設のかなりある東京都では、ありあまる雇用保険財源を原資に、山のように豪華な訓練施設が建ち並ぶ一方、保険料を払ってくれる企業の少ない地方では、貧相な訓練施設すら維持できず、必要な人ほど訓練を受けられないという事態になることが容易に想像できるはずですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-f4ac.html(チホー分権の反省)

>敢えて言えば、「地方分権」というなら、いやむしろ「地域主権」というなら、「なぜ自分たちが稼いだものをよそへ回さなければならないのか」という考え方は必ずしも「いびつ」ではなく、むしろまっとうなのではないでしょうか。怠け者のギリシャ人に俺たちが稼いだものを・・・というドイツ人の感情は、「EU中央集権」に対するナショナルな「ドイツ主権」の感情であって、90年代以来の大前研一氏らの議論の底流を流れているグローバルに稼いでいると自認するトーキョー人たちの金食い虫の「かっぺ」に対する感情と実はパラレルなのではないでしょうか。それは、価値判断としては「いびつ」だと私も感じますが、論理的には「地域主権」からもたらされる自然な帰結のように思われます。もしそれが「いびつ」であるとしたら、それは「地域主権」自体が「いびつ」だからなのでしょう。

こういう考え方の基礎をやや理論的に述べたものとして、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9f95.html(補完性の原理についてごく簡単に)

>ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地方分権を主張し、中央集権に否定的なのはキリスト教的保守勢力の側で、労働組合や社会民主党といった陣営はおおむね中央集権派です。地方なんかに任せたら地方のボスが勝手なことをするから、ちゃんと国がコントロールしなくちゃという発想。

>毎度毎度ではありますが、日本の政治の世界の文脈の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。

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三柴丈典『裁判所は産業ストレスをどう考えたか』

1168 三柴丈典先生から、近著『裁判所は産業ストレスをどう考えたか~司法による過重負荷認定~』(労働調査会)を送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.chosakai.co.jp/purchase/books/syousai/1168.html

三柴先生といえば、労働法学界ではかなり少数派の労働安全衛生を中心に研究しておられる方ですが、本書はいわゆる過労死、過労自殺、いじめ自殺に係る労災認定争訟事案と労災民訴事案の最近の裁判例50件について、事案の概要、司法による加重負担認定、そして判決の整理分析と若干の展望をまとめた著作です。

>過労死・脳心臓疾患・過労自殺・精神障害・いじめ自殺といった職場のストレスによる災害は裁判所にどのように認定されたのか。本書は、2007年以後に下された労災補償・賠償事件にかかる裁判例約50件について、特に過重負荷認定のあり方に焦点を当てて整理分析した。裁判例の相場を知るだけでなく、調査研究資料としても活用できる

内容は以下の通りです。

第1章 事案の概要
  1 過労死事案
  2 死亡に至らない脳心臓疾患等へのり患事案
  3 過労自殺事案
  4 死亡に至らない精神障害等へのり患事案
  5 いじめ自殺事案
第2章 司法による過重負荷認定一覧
  1 過労死事案
  2 死亡に至らない脳心臓疾患等へのり患事案
  3 過労自殺事案
  4 死亡に至らない精神障害等へのり患事案
  5 いじめ自殺事案
第3章 判決の整理分析と若干の展望
 第1節 判決の整理分析
  1 労災認定争訟事案
  2 労災民訴事案
 第2節 若干の展望
  1 労災認定争訟事案
  2 労災民訴事案
判例索引

この最後の若干の展望の労災民訴事案で、産業精神保健法理として3つの項目が挙げられており、従業員間の公正取扱い義務、特に新たな配置・職務割り当て、配置転換、昇進・昇格等に伴い役割や責任、職場環境等に変化が生じた場合における上司や同僚による支援ないし支援体制整備の義務と並んで、「休息時間の確保義務」が書かれています。

>近時の新たな労働時間法制度の在り方をめぐる議論の中で、主にヨーロッパの法制度を参考に労働法学者などからなされてきた提言の一つに休息時間制度の法定がある。・・・本書で取り扱った判例の中にも、長時間労働の過重性を睡眠時間の確保という観点から論じたものがある。

例えば・・・

そして、これらを災害が生じた場合の過失の判断基準としてだけではなく、職業性疾病障害の予防のための救済法理として展開させるために、鎌田耕一先生が唱える安全配慮義務の履行請求の理論を検討しています。

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大学の課題 堀有喜衣さんの提言

Img4d6c62f10b005 『時の法令』の巻頭の「そのみちのコラム」は、私も2007年度に担当しましたが、今年度は労働政策研究・研修機構の堀有喜衣さんで、3月15日号はその最終回です。タイトルは「キャリア教育③-大学の課題」。

その後半部分が大学の在り方に対する鋭い提言になっています。

>・・・そこで長期的な課題となるが、大学の機能分化を進め、大学生のそれぞれの能力の向上を目標とすることを提唱したい。大学は学問の府であるが、大学生の中での学力差が広がり、すべての大学がアカデミックな方向を追求することにはかなり無理がある。補習教育を行っていない大学は少数派になりつつあるが、誰でも入学できる「マージナル大学」においては、読み書き算数に近い基礎学力さえ身についていない学生も存在している。

以前であれば高卒で就職していた、座学よりも体を動かす方が好きという生徒まで、大学に進学するようになっているのが現状である。学生の針路も理解力もまったく異なるにもかかわらず、大学生だからと同じ取扱いにこだわるのは日本的だと思うが、もうそろそろやめてもよいのではないだろうか。

それよりも進路変更できるセカンドチャンスを用意しながら、アカデミックを追求する一般大学と専門大学にわけ、後者では実学を追求することを推奨したい。一般大学と専門大学は役割が違うが、相互の行き来を可能にすることがポイントである。両者の関係はタテではなく、目標が異なると理解してもらいたい。

このような主張をすると、いつもさまざまな方面から感情的に反論される。普通教育と職業教育の序列は戦前にも存在していたが、今でも日本というのは職業教育を普通教育より下に見る傾向があり、形式的な平等を重視する国なのだと改めて思う。・・・

この最後のパラグラフの「いつもさまざまな方面から感情的に反論される」というのは、まさにその通りですね。なぜそこでかくも「感情的」になるのかというところが、日本社会の機微に触れるのでしょう。

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植上一希『専門学校の教育とキャリア形成 進学・学び・卒業後』

82363 植上一希『専門学校の教育とキャリア形成 進学・学び・卒業後』(大月書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。本書も、角田三佳さんが編集担当とのことです。いいお仕事をされていますね。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b82363.html

さて、本書は、

>多くの青年たちを職業世界へと送り出しながら、これまで表面的にしか評価されてこなかった専門学校。教員や学生への聞き取り調査を中心に、教育と学びの実態に迫り、とりわけその現代的な意義を明らかにする。

これまでの「表面的」な研究とは、植上さんにいわせれば、

>専門学校教育を扱った研究においてよく見られるのが「実学の教育」や「実践の教育」として論じるものであり、ステレオタイプな議論に終わるものも少なくない。また、それらを「即戦力」重視として捉え、専門学校教育は「真の職業能力」を養成する教育からすると問題であるといった議論もある。

>専門学校進学を扱う場合には、大学等進学の「代替的進学」と捉えるものが少なくない。・・・そこには、条件さえあれば専門学校ではなく大学に進学するはずだ、という研究者の認識がある。

というようなものですが、それに対して植上さんは

>第一は、青年期教育として専門学校教育ならびにそこでの学びを捉える視点。・・・彼らが専門学校教育を通して青年としていかなる学びと成長を遂げているのか・・・。

>第二は、単純に就労や「即戦力」要請という視角のみではなく、それらも含んでより広い意味合いで職業教育を捉え、その職業教育という観点から専門学校教育ならびにそこでの学びを捉える・・。

という二つの軸で、専門学校の教員や学生への丁寧な聞き取りをもとに、新たな視座を提示していきます。

目次は次の通りですが、

まえがき

序章 本書の目的と課題
 はじめに
 1 専門学校に対する従来の視角と専門学校研究の必要性
 2 専門学校研究の現在と本書の目的・課題
 3 各章の課題と構成
 
第1章 現在の専門学校をめぐる状況
 1 現在の専門学校の概要
 2 中等後教育機関としての全体的な発展――制度化~一九九〇年代半ば
 3 転機を迎える専門学校――一九九〇年代半ば以降
 
第2章 専門学校の教育
 1 テーマへのアプローチの方法
 2 専門学校教育の制度的規定
 3 資格教育分野の教育の特徴
 4 非資格教育の教育内容編成の特徴 
 5 専門学校の教育内容の特徴
 
第3章 専門学校への進学
 1 専門学校進学者の概要
 2 進路決定過程
 3 進学要求
 4 専門学校進学の特徴
 
第4章 専門学校における学びと成長
 1 専門学校生活の概要
 2 専門的知識・技能を契機とする学び・成長
 3 教員の指導を契機とする学び・成長
 4 職業世界の「現実」を契機とする学び・成長
 5 仲間・先人との交流を契機とする学び・成長
 6 専門学校生の学び・成長
 
第5章 卒業生にとっての専門学校の職業的・内面的意義
 1 就職時点における専門学校の効果と意味
 2 就職後における専門学校の効果
 3 就職後における専門学校の意義
 4 卒業生にとっての専門学校の意義の特徴
 
終章 専門学校におけるキャリア形成研究の意義と課題
 1 専門学校における教育とキャリア形成の実態と特徴
 2 青年のキャリア形成をめぐる現代的な検討課題


あとがき

一つ一つのインタビューがどれも面白いのですが、それは是非手にとってご覧いただきたいとおもいます。

本書については、既に田中萬年さんがブログで紹介していますが、

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20110321/1300658425

公共職業訓練の立場から、こういう感想を漏らされています。

>専門学校と公共職業訓練とは深い協力関係もあり、また、競合関係もある。後者の競合関係のみをみると職業訓練関係者からは複雑な気持ちが沸くかも知れないが、受講生の立場から見た専門学校と職業能力開発とは同じであり、よりどちらが魅力が有るか、だけが問題である。専門学校の学生達の考え、思いを無視すれば公共職業訓練とて批判されるであろう。本書から学ぶべき事は少なくないといえる

いやむしろ、職業教育訓練機関という意味で、学校(一条校)としての専門高校やある種の大学も含めて、専門学校も職業訓練校も、「ジョブ型」教育機関として包括的に捉えられるべきなのではないかと、私は思っています。

植上さんが専門学校に対するステレオタイプとして上げた偏見は、まさに田中さんが職業訓練校に対する偏見として繰り返し反撃してきたものですし、かつて本ブログで話題になった普通科志向による職業科への偏見とも通じるものでしょう。

そしてそれは、メンバーシップ型教育機関の肥大化によって生じたいわゆるマージナルな部分においてこそもっとも強くなるという点でも共通しているように思われます。

先日、全労済協会主催の公開研究会のあとの懇談で、広田照幸先生などと続きの議論をしたときに、「職業教育にこそ(その職業を基礎づける)哲学教育が必要」というような話をしたことも、この話につながるのかも知れません。

(余談)

このように新著をわたくしに送っていただく皆さまには、心より感謝いたしております。いただいた御本は、できるだけ早いうちに読了して本ブログ上で紹介していくこととしております。

ただ、世の中には、

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/50734334453366785

>濱口桂一郎は単に自分の働き場所を保持するためには人格攻撃も辞さない腐敗した人間。そんなものをリンク先に選んでいるとはちょっとリツイートしたことを後悔している。僕の判断では、濱口を評価する人は信用できないと思っている。

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/50734984725676032

>例外みとめるときりがないので絶対則。評価している人間はブロック。なんなら名乗り出てほしい、手間かからないので。それだけこの人物の公私混同のやり口に怒っている。

というような御仁もおられるので、このようなたぐいの人に信用されなくなったり、ブロックされたりすることを懸念される方は、その旨仰っていただければ、ブログ上ではなくメールで感想を申し上げたいと思います。

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男女別保険料は禁止!

さて、今月1日に、欧州司法裁判所がかなり影響の大きな判決を下していました。厳密には労働問題の範囲を外れるのですが、男女差別禁止法制の一環として、拙編『EU労働法全書』にも掲載されている「財及びサービスへのアクセスとその供給における男女均等待遇指令」の解釈に関わる問題ですので、ご紹介しておきます。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docppoag=docppoag&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&radtypeord=on&typeord=ALL&docnodecision=docnodecision&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

31615557 まず、この指令ですが、

財及びサービスへのアクセスとその供給における男女均等待遇原則を実施する閣僚理事会指令(2004年12月13日)(2004/113/EC)

適用対象には、当然保険のような金融サービスが含まれるわけですが、指令を作るときに、保険業界から猛烈なロビイングがあったこともあり、第5条には第2項のような適用除外規定が設けられていたのですね。

第5条 年金数理的要素

1 加盟国は、2007年12月21日以後に締結された全ての新たな契約において、保険及び関係する金融サービスを目的とする保険料及び給付の計算における要素としての性別の利用が個人の保険料及び給付が相違するという結果とならないよう確保するものとする。

2 第1項にかかわらず、加盟国は2007年12月21日の前に、性別の利用が関係する正確な保険数理的及び統計的データに基づくリスク評価における決定要素である場合には、個人の保険料及び給付における適当な相違を認めるよう決定することができる。関係加盟国は欧州委員会に通知し、決定的な保険数理要素としての性別の利用に関係する正確なデータが収集、発行され、定期的に更新されるよう確保するものとする。これら加盟国は、2007年12月21日の5年後、第16条に定める欧州委員会の報告を考慮に入れてその決定を見直し、この見直しの結果を欧州委員会に通知するものとする。

3 いかなる場合においても、妊娠及び出産に関係するコストは個人の保険料及び給付の相違という結果をもたらさないものとする。

 加盟国は、2007年12月21日の2年後までに、本項を遵守するのに必要な措置の施行を延期することができる。この場合関係加盟国は直ちに欧州委員会に通知するものとする

で、ベルギーはこの規定に基づき、適用除外規定を設けていたのですが、それはおかしいと噛みついたのが、Association belge des Consommateurs Test-Achats ASBLという団体です。このベルギーの消費者団体が憲法院に訴え、欧州司法裁に付託された案件に対し、何ともはや上記第5条第2項の適用除外規定は無効だという判決が下されたわけです。

Article 5(2) of Council Directive 2004/113/EC of 13 December 2004 implementing the principle of equal treatment between men and women in the access to and supply of goods and services is invalid with effect from 21 December 2012.

指令の文言上は、5年という期限はあくまでも見直しをせよといっているだけで、見直したけれど、やっぱり適用除外を続けるよ、という選択肢は認めているわけですが、指令前文で引いているEU基本権憲章に男女差別は全部ダメだと書いてあるから、といういささか乱暴に見える理屈で、5年経ったら適用除外は無効だと言い切ってしまいました。

これは、営利企業がやっている民間保険の根本に関わる問題でしょうね。民間保険というのは、対象を細かくセグメント化して、それぞれのリスクを細かく計算して、それに応じて保険料率を設定するというのが基本的なビジネスモデルになっているわけで、保険業界が驚きあわてふためいているという報道もさもありなんという感じです。

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早稲田大学商学部寄附講座「グローバルな時代の生活保障論」拙講義の中止

新年度から、早稲田大学商学部で、全労済協会の寄附講座「グローバルな時代の生活保障論 ~変化する福祉社会を職業人・市民としてどう生きるか~」が始まります。春学期金曜3限です。

http://www.waseda.jp/w-com/student/news/2011/pdf/zenrosaikyoukai.pdf

そのうち第3回目の4月22日に、わたくしが「労働市場の変化と労働政策の今後の展開」というタイトルで講義を行います。

と書いた途端に、わたくしの担当部分の中止の連絡が来ました。

大震災と原発事故等の影響で、早稲田大学の授業開始日は4月6日から5月6日に延期されたとのことです。この影響で、わたくしの担当部分は中止となりました。

他の講師の方々は、以下のとおりです。なかなか充実したラインナップになっていると思います。

4月8日ガイダンス
商学学術院教授江澤雅彦教授

4月15日「働く」ということについて
全労済協会理事長髙木剛氏
元日本経団連専務理事、NEXCO中日本顧問矢野弘典氏
連合総研理事長草野忠義氏

4月22日労働市場の変化と労働政策の今後の展開
労働政策研究・研修機構統括研究員濱口桂一郎氏

5月6日世界の労働基準と日本の労働基準
前ILO理事[労働側] 中嶋滋氏

5月13日少子高齢化社会の中で求められる社会保障の姿
内閣官房社会保障改革担当室長
元厚生労働省社会・援護局長中村秀一氏

5月20日最低限度の健康で文化的な生活の保障
内閣府参与・反貧困ネットワーク事務局長湯浅誠氏

5月27日公的医療保険の課題
目白大学教授元毎日新聞論説委員宮武剛氏

6月3日医療現場の現状と課題
医療法人鉄蕉会亀田総合病院理事長、東京医科歯科大学客員教授亀田隆明氏

6月10日世界と日本の公的年金制度
内閣府課長・元厚生労働省企業年金国民年金基金課長西村淳氏

6月17日若者にとって年金とは
社会保険労務士望月厚子氏

6月24日国民生活に深くかかわる税制
税理士、早稲田大学非常勤講師鈴木修三氏

7月1日財政の機能と役割
前国税庁長官
㈱証券保管振替機構専務取締役加藤治彦氏

7月8日「公助、共助、自助」の考え方と共助の役割
全労済理事長、全労済協会副理事長石川太茂津氏

7月15日働くこと再考
作家・元旋盤工小関智弘氏

7月22日理解度の確認
商学学術院教授江澤雅彦教授

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ホブハウス『自由主義』

61799 大震災の前にお送りいただいていたのですが、しばらく積ん読状態で、ようやく読みました。19世紀末から20世紀初頭の「新・自由主義」(ニュー・リベラリズム)の思想家ホブハウスの代表作『自由主義』(大月書店)です。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b61799.html

西洋思想史に詳しくないと、「ニュー・リベラリズム」と「ネオ・リベラリズム」の違いもよく分かりませんが、ホブハウスのニュー・リベラリズムというのは、本書の帯の文句を引用すれば、「貧困・失業問題を克服する」「福祉国家思想の源流」ということになります。

日本では、戦前の河合栄治郎が熱心に紹介したくらいで、特に戦後はこういう自由党の中で社会改革を追求した思想というのはあんまり、というよりほとんど無視されてきたのでしょう。

第1章 自由主義以前
第2章 自由主義の諸要素
 1 市民的自由
 2 財政の自由
 3 個人的自由
 4 社会的自由
 5 経済的自由
 6 家庭内の自由
 7 地方の自由、人種の自由、国民の自由
 8 国際的自由
 9 政治的自由と人民主権
第3章 理論の運動
第4章 「自由放任」
第5章 グラッドストーンとミル
第6章 自由主義の核心
第7章 国家と個人
第8章 経済的自由主義
第9章 自由主義の将来

解説
 1 ホブハウスの生涯
 2 時代状況とイギリス新自由主義(社会的自由主義)
 3 『自由主義』の思想構造
 4 「社会改革」の思想としてのホブハウス理論
 5 ホブハウス理論の意義と問題性
 6 新自由主義(社会的自由主義)と日本

やや皮肉な言い方になりますが、マルクス全集やレーニン全集を売ってきた大月書店から、積極的な意義付けで「自由主義」というタイトルの本が出版されるということの中に、戦後日本の知識社会学的な意味での歪みが象徴されているのかも知れません。

本書でホブハウスが批判している「機械的社会主義」や「官僚的社会主義」に対する批判の思想が、ホブハウス的な「ニュー・リベラリズム」ではなく、それらと同じくらい単純素朴な機械的人間観を持った「ネオ・リベラリズム」に素直に流れ込んでしまうといういささか愚かしくも見える構造の中に、戦後日本に何が欠落していたかが良く浮かび上がってくるように思えます。

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戦時と戦後と復興期またはヘタレ人文系インテリの勘違い

これもまた今回の大震災の当事者である、宮城県で大学教授をされている小田中直樹さんのいささか辛辣な指摘。

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20110322#p1

避難所の活動に参加した小田中さんは、現地にいないインテリができるのは、タイミングを良く見計らって提言することだと述べます。タイミングとは、

戦時:人命救助が優先されるが、行政をはじめとする指揮命令系統は不在=現場一任。沿岸部は、まだこの状態が残っている。

戦後:避難者のケアが重要になるとともに、指揮命令系統が復活してくる。仙台市内陸部などは、この段階の終わりに接近しつつある。

復興期:ゴミ収集や日常生活物資の搬入など、日常生活復帰が本格化する。

です。

このタイミングを外すと、どういうトンデモな提言になるか、小田中さんがあえて標的にするのは、3月17日付け「共生社会をつくる」セクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク「東日本大地震の被災地におけるセクシュアル・マイノリティへの対応に関する要望書(第2版)」という、平時であればまことにもっともな提言。

しかし、3月17日という「戦時」にこんなものを発するのは「現場の足を引張る以外の意味を持たない」。

以下、小田中さんのやや辛辣な指摘をそのまま引用します。

>ちなみに、ぼくが参画したいくつかの避難所の、「戦時」から「戦後」にかけての状況は、同要望書の項目ごとに以下の通り。

1)救援活動は「男女別」に限定しないでください。

==>男女別に限定するなんて余裕はない。大体トイレは非常用なので共用だし、避難所は来る人から順番につっこむしかない。「戦後」になってようやく、住所ごとに大まかにくくって再配置することができた。

2)同性パートナーを含め、非婚/未婚パートナーとの関係を「世帯」として扱って下さい。

==>世帯構成を気にする余裕はない。まとまってやってきたグループを、片っ端からつっこむのみ。

3)セクシュアル・マイノリティの健康ニーズについて知識のある医師やカウンセラーを配置してください。

==>どこにいるんだ、そんな人? たしかに仙台にもいるが、自分の避難で精一杯。避難者全体の健康ニーズすら、ボランティアでまわってくるお医者さんのおかげで、どうにかカバーできたのである。それでも、暖房もないなかで、インフルエンザの子供たちが避難していたんだぞ。ぜーたく言うな。

4)セクシュアル・マイノリティに対するハラスメントや性暴力への予防措置および被害者の相談・支援体制を確立してください。

==>だれがやるんだ、そんなこと? 同上。

5)災害対策本部は、セクシュアル・マイノリティに関する専門知識や支援経験のある人を登用し、意見を聴取してください。

==>災害対策本部すら流されてしまったところが沿岸部自治体には一杯あるし、仙台市内でも(区ごとに本部が置かれているが)しばらく機能しない本部があったというのに、ムリいうな。

6)今回の災害を機に、単身者や同性世帯に配慮した緊急連絡用カードを発行して下さい。

==>これは「復興期」以降の問題だから、全面的に賛成。

まあ、そもそも「被災地のセクシュアル・マイノリティの皆さんのニーズが満たされているか、暴力や差別、偏見にさらされてはいないだろうか」というネットワークの現状認識がズレまくっている。はっきりいって、性的少数者をいじめるなんていう「余裕」は、「戦時」と「戦後」にはない。問題が生じるとしたら、それは余裕が出てくる「復興期」以降である。

無関心か協力か、どちらかしかないのだ。生きるためには

で、小田中さんの結論は、

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20120311#p1

>同情するならカネをくれ。

ということなのですけれど。

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岡崎正尚『慈悲と天秤 死刑囚小林竜司との対話』

9784591123980 岡崎正尚『慈悲と天秤 死刑囚小林竜司との対話』ポプラ社をお送りいただきました。

http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80007300

>僕には生きる価値などない気がします。
 ただの人殺しですから・・・僕は。


 男性2名に集団で凄惨なリンチを加えた挙げ句、
 生き埋めにして殺害した小林竜司。
 小林との対面・文通を重ねてきた著者が、
 自身の半生を省みながら、死刑摘要基準の曖昧さや、
 真実の贖罪とはなにかについて考察したノンフィクション。

送っていただいたのは、編集者として本書の作成に携わられたフリー編集者の安原宏美さんです。

というか、本書を読み進んでいくと、本書のもうひとりの著者は安原さんではないかという気もしてきます。

著者の岡崎さん日本大学の法科大学院在学中ですが、ご承知のような状況の中で、自らの将来にも多大な不安を抱えながら、小林竜司氏への死刑判決に、その弁護人の活動に、さらには日本の刑事司法をめぐる現状に、さまざまな疑問を提起していく・・・というより、彼自身が問題意識に引きずられるようにいろいろと勉強しながら(残念ながらそれは法科大学院の勉強にはあまり役立たないのでしょうが)書きつづっていく、何とも分類しがたい書物です。

さらに、岡崎さん自身がADHD・アスペルガー症候群としてコミュニケーション能力が欠如し、対人関係に苦労しているということが、もう一つの旋律として本書の記述にある種の『しんどさ』をまとわりつかせています。

ある観点からすればまさに社会派ノンフィクションそのものなのですが、それを綴る岡崎さん自身の法科大学院生としての不安と苦悩が挟み込まれることで、ある種のビルドゥングス・ロマン的な匂いも漂い、その合間合間に岡崎さんの問題意識を陰で導いている安原さんのアドバイスがかいま見える、という不思議な書物です。

この事件そのものは、発生当時結構マスコミに書かれたので、記憶している人も多いと思いますが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%9B%86%E5%9B%A3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6(東大阪集団暴行殺人事件)

このウィキペディアで「実行役リーダー」と書かれているのが本書の小林竜司氏です。

最高裁の最終判断がもうすぐなされます。

(追記)

最高裁が上告を棄却しました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110325-OYT1T00745.htm

>岡山市で2006年、東大阪大学(大阪府東大阪市)の学生ら2人を殺害したとして殺人などの罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた無職小林竜司被告(26)の上告審判決が25日、最高裁第2小法廷であった。

千葉勝美裁判長は「ショベルカーで穴を掘り、2人を生き埋めにした残虐非道な犯行で、死刑はやむを得ない」と述べ、被告の上告を棄却した。死刑が確定する。

判決によると、小林被告は06年6月、交際女性を巡って友人とトラブルになっていた同大生藤本翔士さん(当時21歳)と無職岩上哲也さん(同)を集団で暴行し、岡山市の産業廃棄物集積場で生き埋めにして殺害するなどした

そして、ネット界で有名なfinalventさんが極東ブログで、本書を書評されています。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/03/post-8d82.html

>私が裁判員であれば小林被告に死刑を求めない。私が死刑廃止論者になったからではない。この判決を私は間違っていると思う。どこが間違っているのか。主犯の認定を含め十分な審議がなされず、死刑という名目で、青年特有の、ある種の絶望からくる自殺を幇助したような形になっているのは、大人として間違いだと思うからだ。

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野次馬観光客じゃなくプロフェッショナルの支援が欲しい被災地

一昨日引用した被災地の地方公務員マシナリさんのさらに詳しいエントリです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-446.html被災地支援についての補足(追記あり)

項目別になっています。

まず医療体制。

>医療体制の整備が急務ではあるが、現地では施設そのものが損壊しているところが多いため、全国的な支援が必要。ただし、もともと医師・看護師不足であるため、全国のリソースの許す限りの対応とならざるをえない。

震災後初期には、赤十字やDMATが駆けつけて急性期のけが人や病人を診療していたが、現在は慢性期の疾病や風邪・インフルエンザなどの感染症、歯科などの診療が求められるようになっている。これらの診療にはカルテや服薬の状況を確認する必要があるが、それも流されている場合も多く、新たに作り直す作業が生じている。

つまり、医療のプロが欲しい。

次に避難所の運営。

>避難所では自治組織が形成されつつあるが、緩やかな組織であるがゆえに強制力を持たず、置き引きなどの犯罪行為に対しての実効確保ができない。周辺地区の警察による巡回が望まれる。

つまり、警察機能が、少なくとも警備機能が欲しい。

>電気、ガス、水道が復旧していない避難所では、炊き出しやカイロなど使い捨て用品を使用しており、また水洗化していないトイレのくみ取りも必要となるため、避難生活が長引くにつれて廃棄物の処理が課題

これもまた、生活メンテナンス機能のプロが欲しい。

そして物流。

>物流拠点としての機能が損なわれているため、支援物資を末端(避難所だけではなく、ライフラインがないまま自宅や親族宅で寝泊まりしている方を含む)まで行き届ける仕組みがない。物流のプロがそれなりの設備(倉庫、店舗、配送等)で行っていたレベルまで回復することは、当面の間は不可能。「支援物資を送れば現地に届く」という前提を一度白紙に戻して、支援物資を末端まで届けるための物流システムを構築する必要

物流システムを現場で構築できるプロが欲しい。

>全国から送られてくる支援物資は、内陸部の拠点にいったん集約して10トントラックで現地までピストン輸送している。積み込み拠点は物流の設備があるものの、受け入れる側はフォークリフトもないため、トラックから積み降ろすだけでも重労働になる。10トントラック分の物資を継続的に受け入れられる大規模な避難所も限られている。

ストック物資(毛布、調理器具、暖房器具、ラジオ、仮設トイレ等)は現地でストックして管理する体制ができるまでは、必要量しか受け入れられない。現時点ではまだ足りないところが多いと思われるが、今後必要量を上回る物資が送られた場合、現地で管理する体制ができるためにはインフラの復旧を待つ必要があり、現時点で多すぎるストック物資は避難所の生活スペースを圧迫する恐れもある

>フロー物資(食料、歯磨き、洗面、紙おむつ、生理用品等)は継続して供給する必要。食事が炭水化物中心(おにぎり、カップラーメン、アルファ化米等)となっているので、ビタミン類や繊維質を含む加工食品もあるとよい

>支援物資の物流システムについては、ストック物資がある程度行き渡り始めた後は、できるだけロットを小分けにしてフロー物資が継続的に届けられるような物流システムとする必要がある。現時点では、石油燃料の物流ルートが確保されない限り難しい。特に、リアス式海岸部では、内陸部から沿岸の被災地まで車で2時間~3時間かかるところがほとんどであるため、ロットを小分けにして継続的に届けるためには大量の石油燃料が必要。

以上から、フロー物資は継続的に小分けして送り届ける必要があるものの、石油燃料の不足によりロットを大きくせざるをえないというジレンマの中での物資補給となっている。

生活の再建とバランスをとりながら物流を再建していけるプロが。

そして、ボランティアについては、

>同様のジレンマはボランティアにもあてはまる。阪神淡路大震災のときは、被災地となった神戸周辺地域まで近隣市町村や府県からも個人ボランティアが陸路で日帰りすることができたが、リアス式海岸部の被災地までは、近隣市町村からでも急峻な山道を越えていかなければならず、継続的な支援のためには現地に寝泊まりすることが必要。しかし、インフラが損壊して物流が滞っている現状では、個人ボランティアが自活しながら継続的な支援を行うことはきわめて困難。

>岩手県社会福祉協議会でも、ボランティアは同一市町村内で活動できる方に限っている。同一市町村内の方であれば、被災者と寝食しても不公平感がないからというのがその理由と思われる。外部の方が被災者と寝食すると、それに見合う働きが要求されることになり、いざこざのもとになる恐れがある

こういう問題もあるんだ、というのが罹災証明。

>今後復旧支援のためには、地元市町村が「罹災証明」を発行することが重要なポイントとなるが、自治法等に規定された手続ではないため、基準の明確化、事務処理を遂行するための体制整備も今後の課題。

>罹災証明は、その他の公的手続や民間金融機関との手続の際にも必要とされることがあるため、地元市町村役場と関係機関との調整が必要。地元市町村役場が壊滅的被害を受けている場合は、近隣市町村や県が代替的に事務処理を行うことも必要

そして義援金についても。

>現時点で一般の方ができる支援として、簡便かつ効果的なものは義援金の寄付。ただし、それを受け入れる側の実務には多大な労力が必要となるため、復旧時の被災地自治体の負担が増えるという点で、地元公務員としては痛し痒し

>個人的な見解として、民間機関を通じて義援金を募集して配分すると、そのために独自の事務処理を行わなければならなくなり、配分を受ける側にかえって不公平感を募らせることが危惧される。前回エントリでとりあげた関係機関の活動と同様、現行制度において可能な復旧事業をまず優先するため、増税して確保した歳入を地元自治体の歳入に充てることが事務効率上も望ましいというのは、コームインの勝手な言い分でしょうか?

まさに、被災地の地方公務員が現場で考えたことだからこその生々しいメッセージです。

ボランティア担当総理補佐官に就任された辻元清美議員には、是非リンク先を読んでいただきたいエントリです。

ちなみに、この前のエントリへのコメントとしてマシナリさんが書かれている次のことは、阿久根市民や名古屋市民だけでなく、こういう発想を持っておられる多くの人々にこそじっくり読んでいただきたい中身です。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-445.html

>ついでながら、地元市町村役場の職員が自らも被災者でありながら、昼夜を問わず避難所の運営に当たっている姿には敬服せざるをえません。その職員の方の普段の詳細な業務までは存じませんが、「小さな政府」論者からすれば、私と同様に「ムダな公務員」と批判される存在だったわけです。その「ムダな公務員」が、普段公務員として培った利害調整能力を発揮して、関係機関との連絡調整や避難者間の利害調整を図りながら秩序だった避難所運営をしていることはもっと知られていいと思います。

その姿を目の当たりにした者としては、「役人の仕事なんかアルバイトでできる」と放言してはばからない「小さな政府」論者、あるいは利害調整の実務も知らず「行政が独占するから公共部門は非効率だ」と主張する「新しい公共」論者の認識が妥当なものとは到底思えません。本エントリがそのような認識を改めていただくきっかけとなれば幸いです。


まあ、目の前で何が起ころうと、「古い公共」を罵る人々の心は変わることはないのかも知れませんが。

(追記)

森直人さんのつぶやきから、

http://twitter.com/mnaoto

>公務員は税金で飯を食えて身分も保障されて競争原理も働かないから能なしも淘汰されずに残ってて組織として非効率だしだいたい数が多すぎる、的な主張をこれまでしてきた人は現在の被災地における公務員が示しているパフォーマンスをどう評価されているのだろうか。と、軽く投げかけてはおきたい。

>もちろん平時の議論に緊急時の話を紛れ込ませることのアンフェアさは承知のうえで言っておるわけだが、とにかく「公務員」の表象のされかたがひどかったのでね、小泉さん以降ぐらいから。ちょっと言っておきたかったわけだよ。

それを受けた五十嵐泰正さんのつぶやき、

http://twitter.com/yas_igarashi/status/49589694111035392

>しかしそれを眼前にしてなお、減税日本が大勝利したわけだから事態は深刻というか…被災地での公務員の奮闘が名古屋市民の目に焼付くまでに2日じゃ足りなかったという言い訳の真偽は4月10日の大阪で明らかになるだろう。

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日本破壊計画@朝日ジャーナル

12428 なんというブラックユーモア!

千年の一度の大地震と大津波とそれが引き起こした原発事故により、日本列島の東海岸が破壊されつつあるそのまっただ中に、「日本破壊計画」というタイトルの特集を組んで朝日ジャーナルを送り込むとは!

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12428

このタイミングのブラックぶりに比べると、中身は正直言ってそれほどのものとも思えませんでした。

あえてひとつ記事を引けば、やはり自らも魔法使いの弟子であった山口二郎氏の「政党政治は生き残れるのか デマゴーグを台頭させた政権交代の竜頭蛇尾」でしょうか。

次の文章は、そういう手合いを繁殖させた政治学者、政治評論家、政治部記者たちにこそ熟読玩味されるべきでしょう。

>・・・これらの勢力には共通した特徴がある。既成政治の否定を基調とするのは当然として、公共セクターの仕事に対する不信感を持った都市住民を支持基盤としている。そして、世の中の問題を単純化し、議会や公務員を叩くことによって、問題が解決するという幻想を振りまいている。ローマ帝国における民衆支配の道具としてパンとサーカスが用いられたが、現代日本ではパンは減税、サーカスは議員や公務員に対するバッシングである。

何重もの意味合いにおいて、この文章は皮肉です。

まずは、まさにその直前に大地震と大津波で多くの建物が破壊され尽くしている惨状を目の当たりに見たはずの名古屋市民たちが、それが何を意味するかを何ら考えた形跡もなく、「減税日本」と称するデマゴーグ集団に第一党の座を与えるという怪挙を平然と行ったことを同時代的に予言していたかのように見えること。

この点については、常夏島日記さんが意を尽くしたエントリを書かれていますので、引用しておきましょう。

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110314/p1税金嫌いって付和雷同してる連中のアタマん中をのぞいて見たい)

>この選挙があったのは、東北の大地震の直後です。全てのテレビのチャンネルが、東北地方の、陸前高田や大船渡が壊滅し、仙台平野を津波が浸食して住民が営々と積み重ねてきた全てを掃き流してしまう様を映しているその同時期です。膨大な資金と時間を費やして形成された社会資本が喪われ、その復旧には、同じくらいの膨大な資源の投入が必要であることを目の当たりにしながら、です。

流された道路、水道、農地などには、長年にわたって猛烈な額の税金が投入されています。その税金と歴史とは、そこに住む住民が日本国の標準からして守られるべき生活を守るために投じられたお金と時間です。社会資本形成には、公的な資金投入が欠かせません。その上に、民間の旺盛な資本投入があります。そうやって、震災前の仙台もそうですし、幸いにして地震にあっていない名古屋も、豊かな生活を享受できていたのでした。

にもかかわらず、その膨大な社会資本が偶然の天災により壊滅的な破壊を受け、これから大きな税金の投入が必要になるというそのタイミングで、名古屋市民は、「税金はこれ以上払いたくない」という政党に最大の支持を与えたわけです。

うーむ

>公的支出が最大限必要とされているまさにこのタイミングで、その公的支出の究極的/最終的な資金調達手段である増税に原理的に反対というのは、どういう感覚から出てくるのか、誠に不思議に思います。誤解を避けるために言えば、河村市長や田中氏は、政治的/経済学的良心に基づいて、心の底からの主張として、一定の前提の下に、増税しかるべからず/減税しかるべしという主張をしているのだと思います。また、そのことの結果もちゃんと予見した上で、それぞれの方の価値観に基づく利益衡量に基づいて、そのような主張をしているのだと思います。しかしながら、それに付和雷同して税金払いたくないという人たちは、河村市長や田中氏の考える結果をちゃんと分かった上でやっているのでしょうか。美味しいところだけ自分のところに回ってくるとかと言う妄想をしていないのでしょうか。

仮にそうだとすれば、愚かでなければ無責任な議論だと思いますし、結果として起こることについてその人たちが苦しんだとしても、あまり同情はしにくいものです。平常時だって、減税と財政支出の減に伴うさまざまな影響はあるのでしょうし、一番考えたくない例ですが、名古屋の市民は、自分たちの街が仮に災害で苦しむことになったときに、復興するお金はどこから出てくると思っているのでしょうか。

たんなるたかり根性でないことを強く期待します

しかし、大地震から1週間以上経ち、破壊され尽くした地域を再建するためには、幸いにも破壊されなかった地域の人々がきちんと負担すべきものは負担しなければならないという理路が、少しずつ浸透して来つつあるようにも思われます。パンとサーカスだけを売り物にするこういう無責任な勢力への支持は、これから次第に失われていくことになるのではないでしょうか。

黒川滋さんも触れていますが、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/03/post-b53e.html(原発事故雑感)

>今回の地震を受けて、地方交付税制度の存在そのものを何かと批判する東京の文化人や評論家に対して、少し冷静な議論を求められるのではないかと思う。
今まで東京が東北を養っているんだという論調で地方交付税や地域主権が語られてきたが、原発の事故、入ってこない米や野菜、組み立てられたな自動車などを見て、東京は東北や新潟、長野などと相互依存関係にあったんだということを改めて認識させられた。

東京人が、自分たちだけの力で豊かさを生み出しているかの如く思いこんで田舎者を「俺たちから税金をむしり取って無駄遣いする馬鹿な連中め」と見下していた傲慢さが如何に空疎なものであったかが、東北地方の福島に押しつけてきた原発が津波で破壊されただけで計画停電で大騒ぎになる自分たちの実相を目の当たりにすることで、(少なくともものの道理が分かる人々には)理解されて来つつあるようにも思われます。

もちろん、復興のために増税をという至極まっとうな政策を耳にしただけで狂ったように騒ぎまくる一部の特殊「りふれは」はネット上ではなお意気盛んのようですが、そのようなデマゴーグが存在していられる領域は、大震災後の日本にはあまり残されては居ないでしょう。というより、もし残されるようであれば、それこそ言葉の正確な意味での「日本破壊計画」となってしまうでしょうから。

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被災県からのメッセージ

本ブログともつながりの深い「machineryの日々」のマシナリさんは、今回の東日本大震災(東北関東大震災)の直撃を受けた岩手県で地方公務員をされており、この間、被災地で寝泊まりして避難所運営の支援をされています。

本日、マシナリさんのブログに、我々直接被害を受けなかった地域の者が何をなすべきであり、何をなすべきでないかについて、明確なメッセージが書かれていますので、是非多くの方に読まれるべく、引用したいと思います。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/

>3月11日の巨大地震から今日で1週間が経ちます。この間、被災地では自衛隊が実働部隊となって瓦礫の撤去による道路確保、崩落した橋や道路の応急処置、避難所への物資の補給、給水等が行われております。電気や水道、ガスの復旧も進みつつあり、一部では固定電話や携帯電話も通じるようになっている被災地もあります。ただし、インフラの拠点となる施設(浄水場や送電線など)が壊滅している場合もあり、全面的な復旧には長い時間を要することが予想されます。

地元市町村役場そのものが津波の被害を受けたところも多く、それらの活動が必ずしも系統立って行われているわけではありません。電気や電話回線がストップして通信機器が使えず、そもそも情報を把握することができないことが主な原因ですが、地元のインフラや地理的事情、住民の情報にもっとも通じている市町村職員自体が被災者であるため、自宅や家族を失って精神的に追い詰められていることも要因として挙げられます。

被災地には全国から多くの支援物資をいただいており、その善意には深く感謝いたしますが、物流の拠点となる港湾が流されてしまっているため、石油燃料が供給されず、必要な物資を運ぶための移動手段が確保できない状況となっております。支援物資を受け入れる避難所でも、その大量の物資を捌くための体制がほとんど機能していません。支援物資の配給先となっているのは学校や公的施設の会議室などですが、地元市町村役場と同じくそれらの施設の管理者自体も被災者であるため、十分な管理ができてないところが多いのです。

ただ、その中にあって救われるのが、地元自治会を中心として避難者が自ら組織だった避難所運営を始めていることです。地元の有志の方々が率先して指導役を買って出て、炊き出し、配膳、トイレ管理、衛生管理、ストーブへの燃料補給、補給物資の積み卸しや仕分けなど、避難者自らがゆるやかな組織を作って作業に当たっています。今のところは、避難者同士で責任の押し付け合いや大きないざこざが生じるということもなく、最低限の日常生活には支障がないところまで「避難所という組織」が運営されているところが多いようです。

このような状況で求められるのは、
(1)受け入れ側の負担を軽減するため、十分な量が確保されて種類別に梱包された支援物資
(2)地元の方と良好な関係を保ちながら、避難者の生活基盤を提供するための「避難所組織」を運営する人員
(3)仮設住宅への依拠による生活水準の確保
(4)今後の生活再建を支援する専門的な機関の対応

です。(1)について補足すると、各家庭で不要になった日用品を段ボール一箱に詰めて送付される方がいらっしゃいますが、1,000人単位の避難者を受け入れている避難所で、その一家庭分の物資を大きな混乱なく配分するために、結局仕分けし直して種類別に配給するという手間を掛ける必要になります。役場職員であろうと自治会役員であろうと避難者と同様に疲弊した状況の中でそれらの作業に当たらなければならず、大きな負荷となってしまいます。十分な量を確保して種類別に梱包するという点にはくれぐれもご留意いただくようお願いします。

また、長期的に現地で自活できるだけの資力を持ち、上記のような職務を遂行することのできるだけの体力と実務能力を有する方以外は、現地に入っても何もすることができません。善意やご厚意は大変ありがたいのですが、一般の個人の方がボランティアにいらっしゃっても、現地で避難者と同様に寝食する方が一人増えるだけになってしまいます。また、(2)に関連しますが、一時の緊急的な状況を脱したからか、車上荒らしやガソリン窃盗などのトラブルも一部では発生しているようです。特に組織だった運営がなされていない避難所では、そのようなトラブルが発端となって収拾がつかなくなる事態も予想されますので、地元の方同士の良好な関係を維持することが最も重要ではないかと感じるところです。

なお、現地で活動しているのは、自衛隊をはじめ、全国各地から自活するためのインフラをもって派遣されてくる警察や消防、赤十字、DMAT等の公的・準公的機関となっています。これらの機関の活動を自活しながら支援することが可能な方であれば、直接現地に入っていただくことも可能かもしれません。その際は、事前に各機関と十分に連絡調整をしていただくようお願いします。

(1)と(2)により避難所での最低限の日常生活が確保されつつある現在、次に問題となってくるのは(3)の仮設住宅(移転を含む)と(4)の生活再建です。(3)の仮設住宅については、急峻な山間に点在するリアス式海岸の被災地では、早急の仮設住宅を建設できる場所が限られているため、特に高齢者や小さい子供がいる家庭向けの仮設住宅を学校の校庭や運動場に設置する計画を進めていると聞きます。これらの資材についても支援いただけると大変ありがたいと思います。また、被災者を受け入れていただける宿泊施設があれば、被災地の窓口(県庁が多いようです)にご一報いただけると幸いです。

(4)の生活再建については、地元役場が機能していない被災地もあるため、被災地の所在する県や国の出先機関、金融機関等が相談窓口を開設し、避難所を巡回することが必要となるだろうと考えています。

このような状況にご理解をいただき、被災地で現在も避難生活を強いられている現地の方、その支援に尽力している関係機関の活動にご協力とご支援をいただくようお願いいたします

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雇用保険制度改革と求職者支援制度@『季刊労働法』

I0eysjizmo2g 11日に予告した『季刊労働法』232号も刊行されました。特集の「雇用保険制度改革と求職者支援制度」のうち、ここでは、POSSEの今野晴貴さんの「就労支援のジレンマを考察する-ブラック企業という転換点と、求められる労働法教育」を紹介しておきます。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004666.html

その議論の中心は、就職活動システムがもつ「競争的再配置」の機能を明らかにする点にあります。大手採用に落選した者が後期採用の低処遇を「選択」したり、いったん非正規に甘んじた後に採用基準の甘い正社員を「選択」する場合に、自責感が刻印されてしまい、違法を含む低処遇を甘受する姿勢へと馴致されているという説明です。

しかし、現在、ブラック企業という新しい言説の中で、この構図が変容を見せつつあり、それを「選択」の問題にせず、企業の処遇そのものの不法性、不当性を問うていくために、労働法教育と職業訓練の必要性を説いています。

なお、根本到先生の「」デンマークにおける求職者の生活保障と就労支援制度」は、先日報告書を紹介した日弁連のデンマーク調査の根本先生なりの報告です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-5f50.html(日弁連デンマーク調査報告書)

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中高年は席を譲れ@『日経ビジネス』

Hyoshi_2 現在日本は、先週金曜日(3月11日)に発生した東日本大震災と福島原発事故による大混乱のさなかにありますが、それ以前に準備されていた雑誌類は予定通り発行されてきています。

http://business.nikkeibp.co.jp/nbs/nbo/base1/index.html?xadid=001

『日経ビジネス』3月14日号は、「中高年は席を譲れ 若者雇用は100兆円の得」という特集を組み、その中にわたくしもインタビューを受けて登場しています。

しかし、現下の状況からすると、中高年とか若者とかいっている場合ではなく、戦後復興期に比すべき大規模な公共復興事業が考えられなければならない事態に立ち至っているようにも思われます。

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『季刊労働法』232号予告

I0eysjizmo2g 来週15日発売予定の『季刊労働法』232号の予告が、労働開発研究会のHPにアップされています。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004666.html

●間もなく国会通過が見込まれている求職者支援について特集します。日本での求職者支援制度の在り方を見据え、すでに制度を持つ諸外国の求職者支援制度から、いわゆる「低賃金労働市場」がどうなっているかなどの点について示唆を得ます。

●第2特集「検討・2010年の最高裁判決」では、雇止め等が争点となった河合塾事件、競業避止義務が問題となったサクセスほか(三佳テック)事件、会社分割手続が問題となった日本IBM事件などの重要事件を取り上げます。

政局の動きを見ると、「間もなく国会通過が見込まれ」るのかどうかよく分かりませんが、野川忍先生からPOSSEの今野さんに至るまで7人で、求職者支援制度を分析しています。

特集
雇用保険制度改革と求職者支援制度

雇用保険と求職者支援制度の課題と展望 
明治大学教授 野川 忍

日本における求職者支援のあり方と職業訓練受講給付金制度
?失業者・ニートの「社会的包摂」の展望
立正大学専任講師 高橋賢司

ドイツの求職者支援制度
金沢大学教授 名古道功

フランスにおける雇用政策
─近年の動向と日本への示唆
九州大学准教授 笠木映里

デンマークにおける求職者の生活保障と就労支援制度
大阪市立大学教授 根本 到

イギリスにおける求職者支援法の展開
佐賀大学准教授 丸谷浩介

就労支援のジレンマを考察する
─「ブラック企業」という転換点と,求められる労働法教育─
NPO法人POSSE代表 今野晴貴

その他には、

第2特集 検討・2010年の最高裁判決

有期出講契約の更新交渉と損害賠償請求の可否
─河合塾事件判決(最三小判平22・4・27労判1009号5頁)の研究
関西大学教授 藤原稔弘

退職後の労働者の競業行為と不法行為の成否
サクセスほか(三佳テック)事件最高裁判決を契機として
熊本大学教授 石橋 洋

労働契約の承継と憲法
─日本IBM会社分割事件が問いかけるもの─
中央大学大学院法務研究科教授 米津孝司

受給者減額を伴う企業年金規約の変更と厚生労働大臣の不承認処分
─NTTグループ企業(年金規約変更不承認処分)事件の検討
宝塚大学非常勤講師 河合 塁

■労使で読み解く労働判例■
個人委託就業者の労働組合法上の労働者性
─国・中労委(INAXメンテナンス)事件・東京高判平成21・9・16労判989号12頁―
筑波大学准教授 川田琢之

■研究論文■
民法(債権関係)改正と労働法学の課題
関西大学大学院法務研究科教授・弁護士 川口美貴
弁護士 古川景一

■連載
労働法の立法学(連載第24回)──メンタルヘルスの労働法政策
労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■北海道大学労働判例研究会■
ウェブサイトへの謝罪文掲載が命じられた例
通販新聞社事件(東京地判・平成22年6月29日・労働判例1012号13頁)
北海道大学労働判例研究会 大石 玄

■神戸労働法研究会■
ドイツにおける兼業規制の法的構造
同志社大学大学院博士後期課程 山本陽大
 
■イギリス労働法研究会■
2010年平等法と男女間同一賃金規制
連合総研 宮崎由佳

大石玄さんが判例評釈を書かれていますね。これは、ブログで書かれたこれですね。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20110116

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「フレクシキュリティ」は財界の仕掛ける罠なのか?

1103report 『情報労連REPORT』3月号が発行されました。

連載の「hamachanの労働メディア一刀両断」は、今回は池田信夫氏ではなく、その天敵(?)の森永卓郎さんです。

http://www.joho.or.jp/report/report/2011/1103report/p30.pdf

なんでモリタク氏を?といぶかしく思われた方。

冒頭にその理由を書いています。

> 今回のターゲットは森永卓郎氏である。一般的には、森永氏の議論は「トンデモ」ではないと思われていよう。その立場も労働者の利益を踏まえた堅実なものであり、マスコミ等でも、これまで本連載で批判してきたネオリベラリストたちと正面から戦ってきた論客である。
 しかしながら、大きな立場を共有するからと言って、その部分的に「トンデモ」な議論を見過ごしてしまうことは、決して全体的な観点からみて利益にはならない

モリタク氏のトンデモ労働論は、フレクシキュリティです。

>「フレクシキュリティ」の大前提としてあるのは、マクロ的な労使合意。この政策を財界の罠とだけ捉えてしまえば、今後、働く人のためになる政策の拡充を妨げることにもなりかねない

のです。

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樋口明彦,上村泰裕,平塚眞樹『若者問題と教育・雇用・社会保障』

9784588602542 樋口明彦,上村泰裕,平塚眞樹『若者問題と教育・雇用・社会保障』(法政大学出版局)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-60254-2.html

この本は、東アジア諸国との比較、地方や周縁という切り口から、若者問題に切り込んでいて、とても興味深い分析が多くされています。

>ひきこもり、フリーター、ニート、ネットカフェ難民、ワーキングプアなどの若者問題、その基底的要因である若年者雇用の不安定化は、日本の将来を左右しかねない喫緊の課題である。本書は、日本・韓国・台湾という東アジア国際比較の視点、そして地方や周縁に位置する若者を対象とした事例研究の視点から若者問題を再検討し、それに取り組む具体的な道筋を示しつつ「公共圏」の可能性を模索する

目次は次の通りですが、

序章 東アジアと周縁から考える若者問題…………樋口 明彦

  第1部 東アジア比較から見た若者問題

第1章 高学歴化と若者の就業
  日本・韓国・台湾における教育と世代の意味……有田  伸
第2章 雇用構造と若者の就業
  日本・韓国・台湾の問題状況はどう違うか………上村 泰裕
第3章 若年者雇用政策の比較
  日本・韓国・台湾における雇用と社会保障………樋口 明彦
第4章 若者の貧困と社会保障
  日本・韓国・台湾の福祉国家体制への示唆………金 成 垣

  第2部 地方・周縁から見た若者問題

第5章 若者問題の地域格差
  都道府県別データによる分析………………………久世 律子
第6章 ‘下位大学’の若者たち
  学習の意味と社会的ネットワーク…………………児島 功和
第7章 過剰包摂される地元志向の若者たち
  地方大学出身者の比較事例分析……………………轡田 竜蔵
第8章 若年介護労働者のキャリア形成
  地方都市の事例から…………………………………石田健太郎
第9章 若者ホームレスの危機
  労働・家族・地域との関わりにおいて……………渡辺  芳
第10章 日本の若者問題をめぐる‘公共圏と規範’
  …………………………………………………………平塚 眞樹

まず、第1章の有田さんの論文から、最近の若者の就職状況とも関わる大変おもしろい事実発見を。

韓国も台湾も、日本以上の急速なペースで大学進学者が増加していることはある程度知られていることですが、日本の場合、大卒者の増加にともなってホワイトカラー就職比率が徐々に減少してきたのに対し、それ以上に急増した韓国の大卒者のホワイトカラー職就業機会を確保し、その賃金も下落していないそうです。

なぜか。

有田さんは、すでに労働市場にいる中高年層に注目し、韓国では中高年層においてホワイトカラー職就業機会が著しく喪失したのに対し、日本では逆に、新規学卒者のホワイトカラー職就業機会が減少しているまさにその時期に、男性中高年層のホワイトカラー職就業機会が絶対的水準においても増加していたことを指摘します。

つまり、韓国では中高年層が追い出された分、若者の雇用機会がある程度確保されたのに対し、日本では、「中高年層の雇用機会が守られているために、若年層の就業がいっそう難しくなっている」というわけです。

なぜそうなるのか。

一つは雇用慣行の違いですが、もう一つ、学校教育による職務遂行能力の向上と実際の就業経験による職務遂行能力の向上のどちらを評価するかの違いという見方も興味深いところです。

上村、樋口、金さんらの論文も、それぞれの切り口から日本、韓国、台湾の若者の比較をしていますが、もう一つの柱の「周縁」も、地方と下位大学という切り口から興味深い分析をしています。

ここでは、本田由紀さんも紹介している

http://twitter.com/hahaguma/status/45838008531951616

>hamachanも紹介しているこの本の第6章「’下位大学’の若者たち-学習の意味と社会的ネットワーク」はB3のみんなに、第7章「過剰包摂される地元志向の若者たち-地方大学出身者の比較事例分析」はtk津さんとkt下君に読んでもらいたい。

の二つをあげておきます。居神浩さんが「マージナル大学」と呼ぶものを児島さんは「下位大学」と呼んでいますが、やはり、大学での学習の意味づけについて、上位大学は教養志向、専門学校が職業アイデンティティであるのに対して、そのいずれでもないまさに「マージナル」であるところが、その「マージナル」さの所以なのでしょう。

メンバーシップ型にもジョブ型にもなりきれない「マージナル」。

また、轡田さんの地元志向の若者たちは、わたしはまさに「草食系」の生き方として肯定したいところでもあります。

12382 先週の『週刊朝日』で、「元気な若者は海外へどうぞ 日本の職場は「草食系」の楽園に」と喋ったのとつながるかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/2030-3855.html

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だから、それはブラック企業ではないのです。

渡邉正裕氏の「MyNewsJapan」に、「就職人気企業の6割が過労死基準超え 225社の36協定で判明 トップは大日本印刷の時間外1920時間」という記事が載っています。

http://www.mynewsjapan.com/reports/1385

>就職人気企業225社のうち60.8%にあたる137社が、国の過労死基準を超える時間外労働を命じることができる労使協定を締結していることが、労働局に対する文書開示請求によって明らかとなった。

だから、それは、それだけではブラック企業ではないのですよ。あるいは少なくとも、ブラック企業ではなかったのです。

なぜなら、長時間労働をはじめとする過重な負担と、生涯を通じた雇用と生活の保障とが、社会学的には、当事者の共同主観的には、釣り合いがとれていたから。

それが日本型正社員体制であり、日本の労働者たちは、それが広範な報酬によって補填される限り、長時間労働それ自体は必ずしも絶対的に許し難い悪とは考えてこなかったのです。左右を問わず。

このあたりを述べたのが、『POSSE』の萱野さんとの対談です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/posse-b1f7.html

>「ブラック」だけど「ブラック」じゃなかった

濱口:日本の企業ではもともと、目先で労働法が踏みにじられているからといって、ミクロな正義を労働者が追求することは、愚かなことだと思われていました。とはいえ、それは「ブラック」だったのかと言えば、そうではありません。これが、今日の柱のひとつになります。
戦後日本で形づくられた雇用システムの中で、とりわけ大企業の正社員は、ずっとメンバーシップ型の雇用システムの中にいました。そこでは、会社の言うとおり際限なく働く代わり、定年までの雇用と生活を保障してもらうという一種の取引が成り立っていたのです。泥のように働けば、結婚して子供が大きくなっても生活できるだけの面倒をみてやるよと。これが本当に良かったのかどうかの評価は別にして、トータルでは釣り合いがとれていたと言えます。
ところが、それは先々保障があるということが前提となっているわけで、これがなければただの「ブラック」なんですね。「働き方だけを見たら「ブラック」だけど、長期的に見たら実は「ブラック」じゃない」はずが、「ただのブラック」である企業が拡大してきた。それが、ここ十数年来の「ブラック企業」現象なるものを、マクロ的に説明できるロジックなんじゃないかなと思います。
この取引はいわば山口一男さんの言う「見返り型滅私奉公」に近かったわけです。滅私奉公と言うととんでもないものに見えるかもしれませんが、ちゃんと見返りはありました。しかし、それが「見返りのない滅私奉公」になってしまったのです。

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就労支援のいま@『都市問題』3月号

Toshimondai 東京市政調査会発行の『都市問題』3月号は、「就労支援のいま」が第1特集です。

http://www.timr.or.jp/cgi-bin/toshi_db.cgi?mode=saisin

地方自治体の雇用・就労支援――安定雇用の継続的創出に向けて  辻田 素子

就職支援に大学が果たすべき役割――業界・企業選びの側面に着目して  上西 充子

高校における就職指導の変化と不易  堀 有喜衣

「オール京都」体制での人材育成と雇用――若者の就労支援「京都未来を担う人づくり推進事業」  山口 寛士

「女性は家庭」脱却した支援を  竹信 三恵子

人材紹介ビジネスの可能性と限界――その先に見る、「人ありき」の就労支援  小林 蓮実

というラインナップです。

昨日、仁田先生の最終講義の懇親会でお会いした上西さんの文章では、学生が就活に当たって利用したメディアとして、新採情報サイト、企業HP,就職支援サイトは多く利用しているのに、就職四季報、企業のIR,データベースなどは少なく、東洋経済などのビジネス雑誌は1割しかないことを指摘し、

>企業の「宣伝」ではない客観的なビジネス情報を手に入れる手段はいろいろあるにもかかわらず、多くの学生はそれらを使いこなせていないのである

と述べ、

>自ら情報を探索し、適切にそれを活用できる能力。それは、大学生のアカデミック・スキルの基礎的な要素であり、それを欠いたまま就職活動に臨んでいる学生が多いという現状は、大学教育の課題の大きさを示している。

と、するどく提起しています。

<追記>

Dio 文章の途中ですが、ここで上西さんの別の論文について追記。

この『都市問題』の議論をさらに詳しく展開しているのが、連合総研の『DIO』3月1日号所収の、「賢明な就職活動に向けて 業界・企業に関する情報収集が不可欠」という文章です。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio258.pdf

>大学側は、学びを中心とした大学生活の充実こそが満足のいく就職という結果をもたらすと考えているが、その思いはなかなか学生に届かない。しかし、我々の分析結果は、学生にアカデミック・スキルの重要性を認識させることにつながるだろう。と同時に、大学側は、業界研究・企業研究が重要であるということについての「気づき」を促すだけでなく、実際に一般向けビジネス情報を活用しながら業界研究・企業研究を行うことを可能とするだけの力量を学生につけることを目指さなければならない。それは「日経新聞の読み方」といった講座を単発で開催するだけでは不十分である。初年次教育において情報の検索の仕方、情報の批判的分析の仕方、データの読み取り方などを実践的に学び、それらのアカデミック・スキルを実際に授業やゼミで実践的に活用していく、そのような積み重ねがあって初めて、自主的に進めざるをえない就職活動においても一般向けビジネス情報の活用が可能となる。賢明な就職活動を行うためには、学生に地道な学びが求められると共に、大学にも地道な学生支援が求められるのである。

<追記終わり>

しかし、現在の大学進学率を考えると、かつての高卒、いや中卒レベルが大学生になっているわけで、むしろそういう本来あるべきアカデミック・スキルを要求するよりも、かつて確立していた高卒就職モデルに近い方向の方が現実的かも知れません。

その高卒については、例によって堀さんが、

>これまでの研究によれば、「学校を経由した就職」が最も安定したキャリアをもたらすことが知られてきた。・・・この高卒就職指導がもたらす「不自由さ」は、高校生を守る鎧である。・・・安易な「自由化」ではなく、18歳で社会に踏み出そうとする高校生に対する支援の充実を進めるのが、もっとも現実的な選択肢だと考えられる。

それは、もはや高校生だけにとどまらないのでは?というのが私の感じです。

ちなみに、最後の小林蓮実さんの文章では、わたくしと日本人材紹介事業協会の岸健二さんの二人の話を中心にまとめています。

本ブログの本来的関心事項からすると、以上で終わりですが、昨今の政治状況等を勘案すると、第2特集もいろいろと興味深いものがあります。

とりわけ、後房雄さんの「政権交代以後の混迷する2大政党と首長の反乱――2・6「名古屋・愛知の乱」は何をもたらすか」は、かつて河村市長の応援団だった後氏の筆になるだけに、何とも言いがたい後味を残します。

>首長の反乱が、旧体制の破壊によって建設への道を開くという肯定的な役割を果たすことになるのか、それとも建設の条件をも破壊してしまうところまで暴走するのかは、市民やマスコミ以上に、やはり2大政党の、再建に向けた存亡を賭けた努力が始まるかどうかにかかっている。

「市民やマスコミ以上に」破壊者を建設者として褒め称え祭り上げた政治学者や政治評論家には、存亡を賭けた努力というのは要らないんでしょうか?と、思わず皮肉が漏れてしまいます。いや、魔法使いの弟子を責めてどうなるものでもないのですが。

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早稲田産研フォーラム報告書

Sanken 昨年10月15日に行われた早稲田大学産業経営研究所のフォーラム「派遣法の改正と今後の労働市場」の報告書がアップされましたので、リンクを張っておきます。

http://www.waseda.jp/sanken/publication/forum/forum_36.pdf

この時はkayorineさんが時々刻々ついった中継をしていただきましたが、より詳細版がこちらですので、改めてお目通し頂ければ幸いです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-764d.html(早稲田産研派遣シンポジウム)

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高齢者・女性・障がい者で「少子高齢社会」を支える@Yahoo

603000 去る3日のエントリで、『リベラルタイム』4月号に寄稿した「高齢者・女性・障がい者で「少子高齢社会」を支える」という小文を紹介したところですが、それが全文、Yahoo!みんなの政治に転載されていたようです。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110307-02-1201.html

せっかくですので、リンク先でお読み下さい。

最後のところでこう述べております。

>高齢者や女性や障がい者や、現在の猛烈サラリーマン型の正社員社会では働きにくい人々を、「支える側」に持ってくることは、経済の縮小をストップさせ、成長の軌道に乗せる上で不可欠であるだけではない。彼らも働けるような職場というのは、実は若者や壮年期の男性健常者にとっても、やはり働きやすい職場であるはずだ。それは、日本人の働き方自体をより「上質」にしていく上でも、必要不可欠なことである。人口減少社会を、誰もがその能力に応じて仕事を通じて貢献し、その報酬を稼ぐことのできる上質な社会にしていくためには、高齢者や女性や、障がい者にとってさえも、働きやすい社会をつくっていくことが不可欠であることがわかるだろう。
 
 これまでの日本社会は、連日の残業や休日出勤、場合によっては遠距離配転まで含めて、「無理の利く」若年・壮年男性労働者を生産活動の中軸とし、彼らに扶養家族の生計費も含めた年功賃金を支払うことによって、全体社会を賄ってきた。それは、若年層の分厚い人口ピラミッドが、数少ない高齢者を支える時代には、それなりに適合した仕組みであった。しかしながら、人口ピラミッドが逆転していく時代には、それは社会のあらゆる部門に、無理を利かせ過ぎたひずみを生み出していく。
 
 現在は、猛烈に働けない人々を「従属人口」に追いやって経済を袋小路に追い詰める道を選ぶのか、誰もが働いて「生産人口」に回ることで、経済を質的に成長させていく道を選ぶのか、その岐路に立っている。国民にその自覚はあるだろうか。

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トヨティズムからヒュンダイズムへ?またはテーラー主義再び

Img_6082b19d9576f371a5d905d733057e9 「現代ビジネス」の「ニュースの深層」に、井上久男氏の「「現代自動車」躍進の真因は「脱トヨタ生産方式」にあり」という興味深い記事が載っています。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2207

これがどこまで信頼に足る分析であるかは私には分かりませんが、日本型雇用システム、生産システム論の観点からも興味深い記述であることは間違いありませんので、引用してみたいと思います。

>韓国の現代自動車が世界各国で販売を伸ばし、躍進しているニュースが日本でもよく報じられるようになった。その理由についてデザイン戦略や品質力の向上が指摘されている。しかし、その本質的な原因についてはあまり触れられていない。

 現代自動車の躍進の理由はずばり、トヨタ生産方式(TPS)を敢えて捨て、自前の方式を編み出したことにある、と筆者は感じている

具体的にはどういうことか?

>現代は90年代まではトヨタに追いつくことに躍起になり、「カイゼン活動」などを積極的に導入した。しかし、00年代に入って方針転換した。その理由は、雇用慣行や労使関係など基本条件がトヨタと違う中で同じ手法を導入しても、現場が混乱するだけでかえって製品に不具合が生じる傾向にあったからだ。

 TPSの場合、「カンバン」などの方法論が注目されるが、長期雇用や労使協調、徹底した人材育成による動機づけなどトヨタの雇用慣行という「基本ソフト(OS)」の上に成り立つシステムである。チームワークを大切して、就業後にサービス残業で居残ってまでも同じ班内で話し合いをしながら生産性向上のための提案活動を行う。こうしたプロセスを通じ、作業者は熟練度を深め、同時に複数の作業をこなせる「多能工」が育つ。

 しかし、現代では労使対立によるストがよく発生する。生産ラインの作業者の賃金制度は時間給で、努力して熟練度を高めても待遇は向上しないとされる。TPSが機能しづらい労働条件にあると言える。

>現代の話に戻るが、現代の新しい生産方式の主な特徴は、作業者にカイゼン活動を極力させないことにある。トヨタでは製造工程で品質を造り込んでいくために作業者が知恵を出し合いカイゼン活動に取り組むが、現代では指示された仕事をこなすだけでよい。その代りカイゼン専門の担当者を置き、そこにエリート人材を起用した。

 現代の生産現場では「リモートコントロール方式」を採用し、ひとつの生産ラインに約300台のビデオカメラを設置しているケースもある。不具合が発生すると、カイゼン担当者がリプレイして作業をチェックして問題の原因を突き詰めていく。世界中の工場のカメラがインターネットを介して韓国の本社に接続され、全体状況を本社で把握できるシステムになっている。

 また、生産性向上のため、自動車の工場では工程数を減らしラインの長さを短くすることが常識だが、現代はこれも否定した。逆にできるだけ工程を細分化して工程数を増やすことで仕事を単純化し、一人の作業者が複雑な仕事をしなくて済むようにした。現代の1ラインでの工程数は日本メーカーの2倍の300近くあるという。このやり方だと、言葉が通じにくい外国人労働者の指導もしやすい。初心者への指導が短期間にできて海外工場の生産性を高めることにもつながり、グローバル化を推進する「武器」になった。

トヨティズムを乗り越えるヒュンダイズムとは、思考と実践の分離という原始テーラー主義への回帰であったと!?

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終業後休息保障を@朝日

今朝の朝日が、春闘関連記事として、「終業後休息保障を 勤務間規制動き拡大」という記事を載せています。

EU型休息期間規制については、拙著も含めていろんなところで述べてきておりますし、本ブログでも何回も取り上げたテーマですが、今年はこれが三菱重工業やNTTにも広がってきているという記事。

もっとも、三菱重工業労組の要求は、休息期間最低7時間というもので、通勤時間を考えれば睡眠時間が5時間を割ってしまうこともありうる水準ですが、休息期間ゼロがデフォルトという現行法からすれば、どんな水準でも改善です。

最後の節では、ゼンセン同盟も運動方針に盛り込んでいるということも書かれており、政局の迷走をよそに、こちらの改善は一歩ずつ着実に進みつつあるようです。

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ゾンビ企業の味方です!キリッ

この記事に、いかにもな人々のいかにもな反応。

http://www.asahi.com/politics/update/0305/TKY201103050367.html?ref=rss

>菅直人首相は5日、税と社会保障の一体改革を議論する集中検討会議で、「非正規労働の人たちに社会保険に入ってもらうことは、ほとんど合意ができている。全力を挙げてやってみたい」と述べた。会社員が対象の厚生年金の加入条件を緩め、非正規雇用の労働者にも対象を広げる考えを示したものだ。

>与謝野馨経済財政相は5日の会議後の記者会見で、「非正規労働者が社会保障から取り残された存在になると、将来の無年金、低年金を作り出してしまう」と強調した。

>自公政権時代にも、厚生年金の対象に非正規労働者を加える法案が提出されたが、廃案になっている。

OECDも指摘するように、労働市場の二極化を改善するためには、使用者にとって非正規を雇うことが不当に有利になるような仕組みを改めていくことが重要です。

自公政権時代末期にはちゃんとあったそういう考え方が、民主党政権になってから1年以上もほったらかしにされていたことこそが、厳しく批判されるべきことですが、それにしても正しい方向に向かい始めたことはまことに歓迎すべきことなのですが、そういうことが気にくわないらしい方々が、いかにもな発言を始めているようです。

http://twitter.com/ikedanob/status/44233188519854080

>社会保険料は賃金の一部なので、これは最低賃金の引き上げと同じく失業率を増やすだけ。 RT @joshigeyuki: 保険料という名の実質大増税:非正規社員も厚生年金に 首相、加入条件緩和の意向 http://bit.ly/fL2udT

池田信夫氏は、こと労働者が絡まない限りは、ゾンビ企業は潰せ潰せ!と、中小企業に対してまことに峻厳な姿勢を示しますが、なぜかこと労働者が絡むと、最低賃金を払えないような、社会保険料を払えないようなゾンビ企業を断固擁護します。

ゾンビ企業に働く労働者は、多くの場合、池田氏の非難する(NHK社員のような)立派な既得権はほとんどなく、正社員といってもずぱずぱクビを斬られていますが、池田氏にとってはそういう労働者が絡むようなゾンビ企業こそ、地球が滅ぶ日まで守り抜かねばならない存在なのでしょうか。

そうすることでうしろの方で得をするのは、別に非正規の社会保険料を払っても全然痛くないのに払わなくてもいい大企業なんですが、まあそこまで読んでの話でもないのでしょうけど。

(参考)

池田信夫氏 on ゾンビ企業

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292641.html

>重要なのは、いまだに大量に残っているゾンビを安楽死させ、人的・物的資本を新しい企業に移動するメタボリズムの向上である。

しかし、最低賃金や社会保険料を払えないようなゾンビ企業は安楽死させてはならない、と。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51293866.html

>こうした古い産業構造を破壊し、まだ生き残っているゾンビを一掃しない限り、日本経済の長期衰退は止まらないだろう。

しかし、以下同文。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301068.html

>つまり日本の金融危機が終わった原因は単純だ。ゼロ金利によってあなたの預金金利が銀行に移転され、その追い貸しによってゾンビ企業が息を吹き返して、バブルによる損失の穴埋めが行なわれたのである。

つまり、最賃を低いままにしたり非正規の社会保険料を免除し続けることでゾンビ企業が息を吹き返したのである、が・・・。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294292.html

>日本で問題なのはゾンビ企業のinsolvencyだから、救済してはならない。これを契機に、資本市場を活用してゾンビを整理・再編することが最善の経済対策だ。

日本で問題なのはゾンビ企業の労務費ダンピングだから救済してはならない・・・、とはならないのだなあ、これが。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51673847.html

>90年代に不良債権や余剰人員の整理をしないで生産性の低いゾンビ企業を延命したことが、今日に至る日本経済の低迷の原因である。

まっとうな賃金で人を雇えないゾンビ企業を延命したことが、今日の日本経済の低迷の原因である、となるはずですが・・・。

と、まだまだ山のようにありますが、いい加減飽きてきたので、この辺で。

ちなみに、スウェーデンのレーン・メードナー・モデルとは、まさにまともな労働条件を守れないようなゾンビ企業には退出していただくことによって産業構造を高度化するという戦略です。

もっとも、わたしはそこまで冷酷にはなれず、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-a477.html(池田信夫信者と小峰隆夫氏と)

>わたしはそこまで過激に経済原理に忠実ではありませんので、たとえ最低賃金が払えないような職種であっても、社会的文化的さまざまな観点から日本に残すべきものは残すべきだし、そのために税金を使うことは単なる無駄ではないと思っています。ただ、そのツケを、そこで働く人々「だけ」に負わせるというのは、決して正当とは言いがたいでしょう。

と、(いつものように)ある程度現実と妥協するようなものの考え方をしてしまうのですが、ものごとのスジを原理的に考えれば、小峰隆夫氏のように

>誠に申し上げにくいのですが、最低賃金も払えないような企業は、日本で業を営む資格はないと思うのですが。

というのがあるべき姿でしょうね。一応にも経済学者のつもりならば。

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「知的」で「誠実」な「りふれは」

するどい批判が魅力のdongfang99さん、

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110225みんなの党の緊縮財政予算案

>経済学系の人に絶大な人気がある「みんなの党」は、批判的な自分も「経済通」ではあるのだろうと評価してきたのだが、この与謝野馨も顔負けの緊縮財政路線には流石に驚いた。

デフレ不況が継続している状況下で、この強硬タカ派の緊縮財政路線は、いったい経済学的にどう正当化されるのだろうか。もちろん、ブレーンの高橋洋一氏が根拠もなくこうした超タカ派緊縮財政路線を提示しているとは思われないので、おそらく自分が無知・無理解なだけなのだろうと思う。デフレ不況下の、実に30兆規模の大規模な歳出削減や民営化で経済成長が実現できる、というのは一体どういう理論や理屈に基づいているのか。「みんなの党」を支持している経済学系の人たちの解説をぜひとも聞きたい。

これを「世論向けの方便」だという人がいるとしたら、政治というものを甘く見すぎであると思う。政党や政治家が自ら語ったことに拘束され続けることは、「マニフェスト」の後始末に終始している今の民主党を見れば歴然としている。

1週間以上経っても、「りふれは」の誰ひとりとしてまともに応える気はないようです。

その昔、こういう小咄がありました。

「知的」な「ナチス」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「ナチス」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「ナチス」ではあり得ない。

なるほど、これになぞらえて言えば、

「知的」な「りふれは」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「りふれは」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「りふれは」ではあり得ない。

ということでしょうか。

(参考)

本ブログにおける「りふれは」(「リフレーション論者」に非ず)に関するエントリ:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_887a.html(ソーシャルなクルーグマン)

>リフレさえすればあとはまったく市場原理ごりごりに構造改革をやれやれと喚くこういう連中がクルーグマンを振り回すために、あたかもクルーグマン自身までが、そういうネオリベ軍団別働隊リフレ小隊の一員であるかの如き誤った印象が日本で流布されてしまっていることはまことに残念なことで、そういう誤解を払拭する上でも、本日のインタビュー記事はまことに時宜を得たものといえましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-4386.html(この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結)

>本日の朝日新聞に載っているクルーグマンのコラムは、それ自体として正論であるのみならず、表面づらだけクルーグマンの側であるようなふりをしている特殊日本的「りふれは」(注)という反政府主義の徒輩の本質を見事にえぐり出す素晴らしいエッセイになっています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7471.html(松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格)

>つまり、リフレなるものをトッププライオリティとして共有しないような奴は許さない。とりわけ、労働問題の労働政策による解決をトッププライオリティと考え、そのためにどこにどういう問題があるのかを真剣に考えようとするような輩は、たとえ最大公約数としてリフレーション政策を共有できたとしても断然撃滅するぞ!ということを公言するような人格の持ち主が、(ただの一ユーザーなどではなく)その国民会議なるものの中軸的存在であるわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-274a.html(ニセ経済学の見分け方)

>しかし、リフレがトッププライオリティでないような奴は許さないなどと言われたら、マクロ経済だけで頭の中がいっぱいになっている奇矯な人以外はみんな排除されるでしょう。

「汝りふれ以外を神とすべからず」という妬む神様にはつきあいきれないのが、この世で生きる普通の人間たちの生きざまであるわけで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-43e2.html(要するに、社会保障をケインズが語るかフリードマンが語るかなんだよ@権丈節)

>皮肉なのは、日本の揚げ塩風味「りふれは」というのは本家アメリカのリフレーション論者とは逆に公共サービスと社会保障を敵視するフリードマンの党派に成りはてているということでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-e65e.html(呉越同舟の原因を生み出したのは・・・)

>まあ、「医療、介護、雇用、教育、研究などなど、政府・行政にしかできない問題」に対する感性を欠如させたまま、ひたすら公的サービスへの攻撃を激化させるだけの揚げ塩風味の特殊日本的「りふれは」が、「財政再建派と社会保障派の呉越同舟」を生み出した張本人であることは、ご当人たちを除けば明白なのですが、そこが見えないのが彼らならではというところなのでしょう

(念のため)

表記法は正確に。

http://b.hatena.ne.jp/BUNTEN/20110306#bookmark-32819601

>みん党はリフレ派以外の何か、という可能性は考えられていないようだ

いや、みんなの党がクルーグマンのような意味での「リフレーション論者」ではないことは、誰の目にも明白であり、上述の通り、私もそう述べています。

しかし、、「医療、介護、雇用、教育、研究などなど、政府・行政にしかできない問題」に対する感性を欠如させたまま、ひたすら公的サービスへの攻撃を激化させるだけの揚げ塩風味の特殊日本的「りふれは」以外の何かであるとは、具体的な面々を思い浮かべれば浮かべるほど、説得力がなくなるとは思いませんか?

わたしがわざわざ「りふれは」という表記法を採っている理由を理解していただければと思います。

(もう一押し念のため)

http://b.hatena.ne.jp/BUNTEN/20110306#bookmark-32819601

>追記:その表記には正直リフレ派への悪意を感じたのでこう書いています。

ですから、言葉遣いは正確に。

医療、介護、雇用、教育、研究などなど、政府・行政にしかできない問題」に対する感性を欠如させたまま、ひたすら公的サービスへの攻撃を激化させるだけの揚げ塩風味の特殊日本的「りふれは」への悪意ですね。

いかなる意味でもクルーグマン的なリフレーション論者への悪意などありませんよ。

両極端の存在をあえて「リフレ派」という表現でごまかし続けてきたことに、BUNTENさんを始めとしたソーシャル系リフレーション論者の最大の過ちがあるとはお考えにならないですか?

(適切な形容)

http://twitter.com/Murakami_Naoki/status/44176885621587968

>そして、経済学者の中で、最も卑劣な部類に入る類は、権威がある海外の経済学者の言説を自分の都合が良いところだけとりだし、本人の主張を捻じ曲げて世の中に広める人。自称経済学者だけでなく有名な日本の経済学者もそれを意図的にやっている

まったくそのとおり。上のクルーグマンねじ曲げが典型。

もっとも、この人がその実例として思い描いているものは若干違うようではありますが。

(しばし感慨)

ところで、HALTANさんや、

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110307/p1([アホ文化人を退場させられない理由]みなさんホントは気づいててやってるでしょ?)

juraさんに、

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20110307/p1ネット○○派 part221 矛盾の遠因

引用していただいたおかげで、4年半も前のエントリを改めて自ら再読したわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

この頃は、ネット上では「構造改革 vs リフレ派」という(いまではインチキであったことが明白になってしまった)認識枠組みが多くの人々の心を捉えており、それに異を唱えるわたくしに対して、コメント欄に見られるような、目を覆いたくなるような無惨な誹謗中傷が雨あられと降りかかってきたわけです。

私としては、2006年9月という時期に、

>実をいいますとね、田中氏を攻撃したのには意図がある。これはいいリトマス試験紙なんです。労働・社会問題に関心のある人であれば、ケインジアン的な経済政策には好意的な構えを持つのが普通です。ところが、いわゆる「リフレ派」といわれる連中には、ケインジアン政策を除けば、小泉的ネオリベ路線丸出しというのが結構いる。今回の田中氏の第4章はそれが見事に出ていたので、彼のような隠れネオリベ派と本当に労働・社会問題を考えているケインジアンを洗い出すのに使えます。実際、いままでここにやってきて愚劣なコメントを書き込んでいるのはみんな隠れネオリベ派ばかりで、一見労働者や国民生活のことを考えているかのごとく騙る「リフレ派」の正体を見事に晒してくれたと思っています(本田先生は、本当はこういうやり方をすべきだったんですよ。リフレ政策そのものの妥当性などという彼女が論ずべきでない話ではなく)。今だんまりを決め込んでいる方々がどういうコメントをされるか、大変興味深いところです。迂闊なことを書けば、師匠に叱られるしね。

と、今日ではほぼ良識ある人々によって共有されつつある認識をいち早く表明していたことに、密かな誇りを覚えているところです。

このときに

>小泉流構造改革かリフレかという対立点が大したことないとはこれ如何に?

と攻撃していたような(「暗黒面妖」とか称する)方々には、是非今回のみんなの党の超緊縮予算について適切なコメントをいただきたいのですが、なぜか一人も登場してこず、シーンとしたままですね。もちろん、「暗黒面妖さんのご感想に同意しますし」と語っていた方でもよろしいのですがね。

ちなみに、このエントリのコメント欄は超絶的に延々と続いております。お暇なときにでも通読されると時間つぶしにはなりますか、と。

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広田・濱口論争?@公開研究会

ということで、昨日の公開研究会にも出席して参りました。

お約束通り(笑)、皆様のご期待に応えて(笑)、『自壊社会』論文で反職業教育の立場を明らかにした広田さんと壇上論争を演じて参りました。ご期待に沿えるような論争になったかどうかは自信がありませんが、聴衆の皆様には面白い見物になったのではないかと思います。

お聞きになっていた皆様にはおわかりのように、教育そのものへの基本的なものの考え方自体にそれほどの違いがあるわけではおそらくないのですが、わたくしの場合日本型雇用システムの「磁場」の中でそれがいかなる磁力線を発しうるか、あるいは発し得ないかについての認識に自ずから違いが生じてくるということなのでしょう。

私は学校教育の中での職業教育が「即戦力」を養成できるなどとは全然思っていませんし、また広田さんの言われる「市民教育」はとても重要だと考えています。

しかしながら、「職業教育は学校を出た後でやればいい」という言い方でそれを(その基礎工事の部分まで)企業内教育訓練に全面委任してしまうことによって、たとえ教育担当者が一生懸命「市民教育」を子どもたちに説き聞かせたところで、それは耳に入っていかない構造を形作ってしまうのではないか。

どうせ、学校というのは、企業に入ってから教育訓練を受けるに足る素材(社員候補生)を準備するところに過ぎないというメッセージを(そういう意図はなくても事実上)送ることによって、これこそ大事だと意気込んで説き聞かせたはずの「市民教育」が、学校を卒業してからこそ意味があるものとして受け取られないような構造、学校にいる間は先生の顔を立てて「そうですねえ」という顔で聴いているけれども、卒業したらさっさと忘れちゃわないといけないような代物として受け取られるという堅固な構造を再生産することにしかなっていかないのではないか、ということを(どこまで伝わったかは分かりませんが)お話ししていたつもりです。

「社員準備教育」を超えた「労働者教育」があって始めて、その上に「市民教育」が構築しうるのではないか、「労働者教育」を否定して「市民教育」を説いてみても、それは馬の耳に念仏ではないか、という感じです。

公開研究会後の懇親会で、広田さん、阿部さん、さらに駒村さんも加えて、大変楽しく興味深い会話が交わされましたが、それはまた別の機会に。

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昨日のシンポジウム実況

昨日の「希望のもてる社会」シンポジウムについて、かなり詳しい実況中継をされているブログを見つけました。

http://liberation.paslog.jp/article/1873482.html全労協シンポ「希望の持てる社会へ――社会不安の正体と未来への展望」

>全労協「希望のもてる社会――社会不安の正体と未来への展望」シンポジウムに参加した。宮本太郎さん、浜矩子さん、辻元清美さん、湯浅誠さん、濱口桂一郎さんが登壇参加者であった。宮本さんの話も、濱口さんの話もおもしろかった。複数回話を聞く機会があったが、今日はとくに励まされた

http://liberation.paslog.jp/article/1874204.html全労済『希望の持てる社会へ――社会不安の正体と未来への展望』講演部分 自己紹介

>先ほど感想だけ書いたシンポジウムの講演部分のメモ。いつか本になるだろうから、正確さはそちらにお任せするということで、私の取れたメモで内容をフィードバック

http://liberation.paslog.jp/article/1874261.html「希望の持てる社会」講演部分2 荒らぶる浜矩子

>何が必要か?(宮本さんと浜さんの間で「成長」という言葉を使うかどうかに関する小競り合い。結局、みんなが「成長」を軸に話し始める)

「荒ぶる」ですか・・・。確かにそういう雰囲気も・・・。

中身は是非リンク先をどうぞ。

一点だけご注意を。全労済協会をさらに略せば確かに「全労協」ですけど、その略称の別の団体がすでにありますので、誤解を招かないためにも、やはり「全労済協会」としておいた方が宜しいかと・・・。すでに修正されています。

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ジョブ型正社員@朝日新聞be

本日の朝日新聞の別冊「be」(青い方)の「准社員という働き方」に私が登場しています。

ロフトの「ロフト社員」一本化の話の後で、私と玄田さんがコメント。

>正規か非正規か、労働市場の二極化が指摘されるようになって久しい。そこで注目されているのが、正社員とも非正社員とも違う中間的な雇用のあり方だ。

労働政策研究・研修機構統括研究員の濱口桂一郎さん(52)が提案する「ジョブ型正社員」もその一つ。従来の正社員は「メンバーシップ型」として区別する。

濱口さんによると・・・

と、その中身を解説しています。

記事の左側に、会社への義務の多少と無期雇用か有機雇用かによる2×2の解説がポンチ絵でされています。

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公開研究会「希望のもてる社会づくり研究会」

本日のシンポジウムは大変な盛況でした。かなり前に満席になり、多くの申し込みを断らざるを得なかったそうです。シンポ自体も、浜矩子さんの強烈なキャラクターで大変面白い、事前に予想のつかない展開となりました。

シンポ後、思いがけず九州大学の笠木映里さんとお会いできたのも嬉しい驚きでした。

さて、明日は同じ全労済協会の公開研究会「希望のもてる社会づくり研究会」があります。

http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/symposium/sym/post-1.html

テーマ
「希望のもてる社会づくり ~自壊社会からの脱却~」
詳細

 当協会で設置していた「希望のもてる社会づくり研究会」(2008年~2010年)の研究成果を、本年2月に岩波書店から『自壊社会からの脱却――もう一つの日本への構想』として出版する運びとなりました。
 つきましては、本書籍の出版を記念して、研究者の皆様を対象にした公開研究会を開催し、ゲストスピーカーお二人によるコメントや、フロアとの意見交換を通じて議論を深めたいと存じます。
研究者の皆様のご参加をお待ちしております。

         定員50名 残席数 僅か

<ゲストスピーカー> (予定)
  薄井充裕 氏(日本政策投資銀行設備投資研究所主任研究員)
  橘木俊詔 氏(同志社大学経済学部教授、京都大学名誉教授)

<主 査>
  神野 直彦氏(地方財政審議会会長、東京大学名誉教授)
<委 員>
  阿部 彩氏 (国立社会保障・人口問題研究所国際関係部第2室長)
  植田 和弘氏(京都大学大学院経済学研究科教授)
  駒村 康平氏(慶応義塾大学経済学部教授)
  高端 正幸氏(新潟県立大学国際地域学部准教授)
  濱口 桂一郎氏(労働政策研究・研修機構統括研究員)
  広田 照幸氏(日本大学文理学部教授)
  水野 和夫氏(内閣府官房審議官、元三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社チーフエコノミスト)
  宮本 太郎氏(北海道大学大学院法学研究科教授)

開催日
2011年3月5日(土)13時00分~16時00分
会場
ホテルサンルートプラザ新宿 舞の間
東京都渋谷区代々木2-3-1
最寄りの交通機関等

JR・小田急線・京王線 新宿駅南口より徒歩3分

こちらは、まだ残席があるようですので、ご関心のある方々は、是非お誘い合わせの上、ご出席されてはいかがでしょうか。興味深い議論になる予感が致します。

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本日、シンポジウム「希望のもてる社会へ」

本日午後1時半から開催されるシンポジウムの最終案内です。

わたくしはパネリストとして出席します。

Kibou2

なお、明日の公開研究会の案内はこちらです。

http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/symposium/sym/post-1.html

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高齢者・女性・障がい者で「少子高齢社会」を支える@『リベラルタイム』4月号

603000 宣伝ですが、

http://www.l-time.com/

http://www.fujisan.co.jp/Product/1276354/#CM

明日発売の『月刊リベラルタイム』4月号に、「高齢者・女性・障がい者で「少子高齢社会」を支える」という小文を寄稿しております。

これが含まれる特集は「人口減少社会の在り方 「成長しない経済」を生きる!」ですが、わたくしの文章の冒頭は、

>これからの日本は、少子高齢化による人口減少社会が運命づけられている。しかしながら、それは決して「成長しない社会」「沈滞する社会」であるとは限らない。・・・

という文から始まります。

Sobavol_16 ちなみに、この雑誌を出している会社は、なぜか『蕎麦春秋』という蕎麦の専門誌も出しているんですね。

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「そわそわ」してしまう阿部彩さんの議論

児美川孝一郎さんが、

http://twitter.com/komikawa_hosei/status/42632672094339072

>広田さんの論文は、平穏に読めた。けど、ある意味そわそわしてしまったのは、阿部彩さんの議論だったという件…

まさにそう。広田さんの議論はある意味わかりやすいというか、対立構造を位置づけやすいのですが、阿部さんのこの論文は、さりげなく問い直しているように見えて、実はすごくディープな問題を突きつけている。議論の根拠がぐらっとする感じ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-0297.html(貧困の社会モデルまたは労働市場のユニバーサルデザイン化)

実をいいますと、この本のもとになった研究会で出版企画の話がされたとき、事務局側は当然のように阿部さんに子どもの貧困の話を書かれますよね、と言ったのですが、阿部さんは、いえ、あえて違うことを書きます!と言われてたんですね。

そういう意味で、この人はこういう事を書くだろうな的な中身に安住(私のがまさにそれですけど)することなく、あえてリスキーであり得る議論に踏み出している阿部さんに敬意を感じます。

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アソシエーションはそんなにいいのか?

Hyoshi10 『POSSE』10号に引っかけて言うことでもなかろうとは思うのですが、やはり一言。

この雑誌はかなり哲学的な論考もずっと載せてきていて、今号は佐々木隆治さんが「マルクス-「潜勢的貧民」としての「自由な労働者」」というのを書いておられます。マルクス思想の解説としてはいいのでしょうけど、やはり最後のあたりで、「物象の力を生み出す根源となっている私的労働という労働の社会的形態を・・・アソシエートした諸個人による共同的労働へと置き換えていくことである」等々と、アソシエーション論が出てくると、ちょっと待ってよ、と言いたくなります。

日本の「正社員システム」とは、それがマルクス的な意味での資本によって結合されただけの自由な=疎外された労働ではなく、まさに「社員」としてアソシエートした諸個人による共同的労働になっているところにあるのだとすると、そして、そのシステムが例えば本号の特集となっている「シューカツ」を生み出す一つの源泉となっているのだとすると、「いまこそアソシエーションを!」みたいな議論はいかにも皮肉なのではないか、ということですね。

もう十年以上も前に書いた文章ですが、

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no126/tokusyu2.htm

>大きく言えば、工職身分差別撤廃闘争や生産管理闘争に示された労働者の参加民主主義志向を、企業側も労働者の忠誠心の調達の回路に取り込む形で、ある種の労使妥協が成り立ったものと見てよいであろう。大ざっぱに言えば、欧州社会モデルが、19世紀的な剥き出しの資本主義に対する社会の反動として、産業レベルの集団的労使関係システム、国家レベルでの労働者保護や福祉システムを構築したのに対して、日本社会モデルは、企業レベルでこれらに相当するものを創り上げたといえるのではなかろうか。

 経済人類学の大きな枠組みで言えば、市場経済が労働という本源的生産要素をも商品化して「悪魔のひき臼」に投げ込んだことに対する社会の反動のあり方の相違と言えよう。欧州社会モデルが、企業は交換原理に基づく機構として残したまま、これとは別の場所に互酬・再配分の機能を果たす機構を設けるという方向に進んだのに対し、日本社会モデルは企業そのものに互酬・再配分機能を持つ共同体としての性格を付与するという方向に進んだといえようか。・・・

>次にサービス残業と過労死である。これは、実は異なる2つの視点から議論されているように見える。一つは搾取論的視点であるが、日本社会モデルに関する基本認識が古典的な資本主義理解に立脚しているとすれば、見当はずれの議論にならざるを得ないであろう。もう一つはいわば自己搾取論的視点とでも名付けられようが、雇用の安定性と職務の柔軟性の上で、日本の労働者が自発的に過剰労働に追い込まれているというものである。サービス残業や過労死は特殊な例であるが、日本の特に男性正社員層の労働時間がヨーロッパ諸国のそれに比べてかなり長いことは明らかであり、このことの背景に職務ではなく「任務」を果たすことや業務の繁閑に労働時間で対応するといった柔軟な労働組織の特徴があることも否定できない。アングロサクソンモデルでは搾取論的に長時間労働となるのに対し、日本モデルでは自己搾取論的に長時間労働になってしまうと言えるかも知れない。

 これをどう考えるかというのは、ある意味で哲学的な問いである。労働者が自発的に長時間労働するということは、それが「疎外された労働」ではなく、自己実現的労働になっているからだという面は否定できない。自己実現とは自己搾取なのである。家庭に帰りたがらず職場を家庭のように執着する「会社人間」は現在もっぱら嘲笑の対象になっているが、労働者が職場を家庭のように感じることのできない資本主義社会を人間の本質である労働からの疎外だとして糾弾したのは若きマルクスの「経済学哲学草稿」であった。

 他方、この「自発的」というのが個人としての労働者としての自発ではなく、労働者集団としての自発であって、個人にとっては強制に過ぎないという観点から批判を加えることもできる。これもまた個人と集団の関係という社会哲学の根本問題に関わるが、個人の自発なくして上から集団の自発が降ってくるわけはないのであって、個人の自発が集団の自発を支え、それが今度は個人を自発に向けて強制するという相互的な円環をなしていると理解すべきであろう。集団的自己実現の中での個人的自己実現という枠組みの中では、自己搾取は集団的自己搾取という形態をとることになる。芸術家の自己搾取が非難されないように、スポーツ選手の集団的自己搾取は賞賛の対象となるが、会社人間はそうではない。しかし、それにはそれなりの理由がある。

 労働者が職場を家庭のように感じられることは、労働者自身にとっては幸福なことかもしれないが、労働者の家族にとっては必ずしも幸福とは限らないということである。日本社会モデルのアキレス腱は女性差別とともに職業生活と家庭生活の調和の取り方の部分にあるのであろう。それが21世紀の社会モデルとなるためには、この点について抜本的な修正が必要となる可能性が高いように思われる。

(追記)

http://twitter.com/marukenkyu

>もっと簡単な話だろうね。hamachanは企業内の人的結合と社会における人的結合を区別していないから、こういう誤りに陥る。多くの人が働いている企業だって、社会から見れば私的労働なんだよ。その意味での私的労働こそが価値を生むというわけです。

>まあ、hamachanのような誤りは昔から良くあります。スミスも作業場内分業と社会的分業を区別できてないけど、それと同じような話。私的労働との対比でアソシエーションという場合、社会的分業のレベルでの人的結合を問題にしているんだよね。

>hamachanが言うような企業内の「共同性」による自発性の強制は、マルクスにあるかと言えば、ある。それは協業において他人と働くことによる精神的刺激、あるいはマニファクチュアで分業の体系への組み入れによる労働の規律化などにおいて捉えられている。

>その通りだね。ただ、Kombinationにおいても擬似的にAssoziationが形成され、これが諸個人に自発性を強制するという要素はある。これについても、明示的ではないが、事実上、マルクスは指摘しているんだよね。

いや、だから、その程度の欧米にもある程度の、あるいはマルクスも予定していた程度の、職場の協働による一定の共同性があるだけであれば、「国民国家」が「国民」に要求することどもにも比すべき「社員企業」が「社員」に要求するさまざまなことどもをもたらすわけではないでしょう、ということなんですが、なかなか話が通じないようです。

おそらく、(資本主義社会一般とは区別された意味での)現代日本社会特有の事態に対する関心がそれほど強くないのではないかと思われます。

(再追記)

http://twitter.com/marukenkyu/status/44245148506402816

>それなら、わかるんだが、アソシエーションという言葉は本来、近代によってバラバラになった個人の再結合だから、そういう語義をきちんとふまえて議論すべきだと思います。

いや、だから、日本型雇用システムというのは、(多くの人が誤解しているように)前近代的な共同体の残存などではなく、まさに資本主義の「悪魔の挽き臼」でバラバラにされた労働者の企業をよりどころとした「再結合」であるというところが、私の議論の最も重要なポイントであるわけで、だからこういう風に言われるとある種の徒労感がにじみ出てくる。

歴史的な叙述は、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/JapLabManage.html(日本労務管理史概説)

にあるとおりですが、やや理論的な考察は、岩波書店の『自由への問い6 労働』所収の「正社員体制の制度論」の中で書きました。詳しくは同書をお読みいただきたいのですが、さわりのところだけ引用しますと、

>この戦後「正社員」体制は、もともと戦時下に国家の一分肢としての企業に求められた労働者の生活保障を、市場経済下の独立経営体たる企業に求めるものである。それを企業にとって合理的なものとして維持するためには、近代的社会政策の根拠であるネーション国家のメンバーシップに相当する会社メンバーシップを前提とする必要がある。会社は正社員の雇用を維持し、生活を保障する。その代わりに正社員は職務、時間、場所などに制限なく会社の命令に従って働く。この社会的交換が戦後段階的に確立していき、高度成長終了後の一九七〇年代にはほぼマクロ社会的に現実のものとなった。
 そのことが逆に、先進諸国共通の同時代的課題であった福祉国家の確立という目標を二次的なものとしていった。会社がそのメンバーに福祉を提供するのであれば、国がそのメンバーに福祉を提供するのは屋上屋を重ねることとなる。子どもの教育費も住宅費も、正社員は会社メンバーとして会社に要求すればよいのであって、国に要求する必要はなかった。

(ついに)

ついにトギャられました。

http://togetter.com/li/108640

それぞれの立場、というよりも、ものの考え方のスタイルによってさまざまに違った見え方をするのだということなのでしょう。

現実に存在するか否かにかかわらず思想の次元でものごとを突き詰めて考える人と、アソシエーションであれ社会主義であれ何であれ、現実に存在するシステムとして考える人との思考の落差であるのかも知れません。

私にとって「現実に存在する」アソシエーションの理念型に近いのは労働者生産協同組合であり、それとの共通性と相違性がものごとを考える出発点になります。実定法上は営利社団法人でしかないにもかかわらずあたかもそれへの(「コンビネーション」ですか)労務提供契約者であるはずの者をアソシエートした「社員」であるかのごとく思いなす日本型システムのメカニズムが興味の対象であり、その理念型である労働者生産協同組合がなお「私的労働にすぎない」「アソシエーションじゃない」といわれると、一体真のアソシエーションはどこにあるのかと途方に暮れてしまうわけです。

いや、むしろ、理念型たるアソシエーションが問題の根源であるわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ecd7.html(第4の原理「あそしえーしょん」なんて存在しない)

>たぶん、現在の組織のなかで「アソシエーション」に近いのは協同組合でしょうが、これはまさに交換と脅迫と協同を適度に組み合わせることでうまく回るのであって、どれかが出過ぎるとおかしくなる。交換原理が出過ぎるとただの営利企業と変わらなくなる。脅迫原理が出過ぎると恐怖の統制組織になる。協同原理が出過ぎると仲間内だけのムラ共同体になる。そういうバランス感覚こそが重要なのに、そのいずれでもない第4の原理なんてものを持ち出すと、それを掲げているから絶対に正しいという世にも恐ろしい事態が現出するわけです。マルクス主義の失敗というのは、世界史的にはそういうことでしょう。

(まとめ)

このこと自体は、まったくその通りと認める用意がありますが、

http://twitter.com/marukenkyu/status/44602869655150592

>hamachanのようなマルクスの理解の仕方も、マルクス研究におけるこういう理解の水準を考えれば致し方ないところがあるな。

私はいかなる意味でもマルクス研究どころか思想家研究に手を染めたことはないし、正直『資本論』で使えたのは、イギリス工場監督官報告に基づく産業革命期の労働者の実情くらい。思想家としてのマルクスについて何事か語ろうというつもりはもともとないし、やってもはなはだ低レベルにしかならないでしょう。

(とはいえ、正統派も宇野も廣松もみんなダメという超ハイレベルの水準に追いついていないと言われるのは、誰にとってもブラック企業並みの無理難題という気もしますが、それはともかく)

高いレベルの思想史家からみれば甚だ低レベルではあっても(ホントにそうかは判断保留)、現実の日本社会の中で存在し活動し影響を及ぼしている思想としてのマルクス主義あるいはそうとすら言わないある種の左翼イデオロギーの方が、現実の労働の姿を考えていく上では素材として有用であることは確かだし、実はそれ以外(マルクスの真意とか)にはあまり関心はないのですね。

「疎外」にしろ「アソシエーション」にしろ、現実にそういう概念を振り回して社会的に影響を及ぼしている活動に即してしか、甚だ世俗的な私は論じる興味がないので、「マルクス理解が低レベル」というご批判はまったくその通りと思う一方、だからやり方を変える気もしないと言うところでしょうか。

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警察官はメンバーシップ型雇用

先日、常見陽平さんがお話しに行かれたらしい九州国際大学の法学部長さんのブログで、大変興味深い記述がありました。この大学は、多くの警察官を輩出している大学とのことで、実感がこもっています。

http://d.hatena.ne.jp/QZM03354/20110221/1298293896(警察官という職業とは何か?)

>警察が日本の大組織である以上、典型的な日本の雇用制度となっています。つまり、警察官とは、日本の典型的な企業の社員と同じキャリアパスを歩むのです。

>これは本学の卒業生を見てもわかります。警察官となって卒業後、まずは現場の交番勤務・駐在所を5~6年、拘置所担当等を経て昇進し、自分が希望する刑事課とか、交通課、あるいは生活安全課などに配属されます。そこで一旦、キャリアを積み重ねていくわけですが、その後、本人が優秀であればあるほど、本人の希望とは別の部署に移動させられる可能性が高まります。「刑事になりたい」と思って警察に入ったとしても、40代には「総務に行け」とか「別の県警に出向せよ」とかあるいは「県庁に出向せよ」といった、いわゆる管理職への道が待っています。

>例えば、刑事部と総務部では仕事に天と地ほどの差があります。あるいは刑事部と生安部でも考え方は全く逆といってよいほどです。部署ごとに大きく仕事の性質が異なるなかで移動していくわけですから、仕事はOJTで覚えます。どれだけたくさんの部署を経験し、どれだけたくさんの新しい仕事をこなすかが、本人の成長と大きく関わります。これこそ、日本型組織で働くジェネラリストの典型的なキャリアパスです。

>・・・同時に、「警察一家」という言葉があるように、警察官同士の精神的な結びつきは非常に強いわけで、まさに家族ぐるみでの付き合いがあるわけです。親が警察官だと子供も警察官になることも多いようです。つまりは、強い精神的一体感によって結ばれた「メンバーシップ型」雇用が警察官の特徴なのです。

>・・・メンバーシップ型雇用制度のもとでの、特定の職業倫理に裏打ちされたジェネラリストとしての警察官になれるかどうかは、その「組織風土」に馴染めるかが最大のポイントになります。だから、「能力」だけでなく「人物」が問われるのは、当然のことです。そして、これは日本企業と全く同じことです。

>・・・つまり、日本においては、警察官を育成することは職業教育として成り立ち得ないのです。・・・

>結局、警察官に必要な能力とは、基礎学力と体力と意欲であることは、今も昔も変わりがありません。・・・だから、「警察官になれる人材とは、日本企業における汎用的な人材と一致する可能性が高い」といえます。

多くの警察官を送り出してきた方だからこその実感溢れる言葉です。

逆にいえば、社会における警察組織の在り方がそのようなメンバーシップ型であってよいのか?という問題意識もまた生じるところでしょう。警察とはまさに社会が要求する一個の機能なのであるとすれば、それが共同体であることは順機能的なのか逆機能的なのか?

さまざまな観点からの議論があり得るところです。

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就活生の7人に1人がうつ状態

Hyoshi10 さて、『POSSE』10号なんですが、どの記事もそれなりによくできているとはいえ、いささか既視感のあるものが多く、その中では川村遼平さんのアンケート調査報告が興味深いデータを示しています。

川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)
就活に追い詰められる学生たち――就活生の7人に1人がうつ状態――
2011年度POSSEアンケート調査
「若者」の仕事とうつ」中間報告

就活の学生への負担では授業への影響ばかりがいわれますが、就活費用自体馬鹿にならず、その相当部分がアルバイトから捻出されています。ところが、そのアルバイトにも当然のことながら就活は影響を及ぼし、シフトを減らしたりアルバイトを辞めた学生が半数以上いると。

このあたり、かつて諏訪康雄先生が書かれていましたが、アルバイト就労と就職とのリンケージを社会的に考えていく必要があるのでしょう。そもそも、「アルバイト」といえども立派な非正規労働者なのだし。

就活の「陶冶」機能については、1日何時間までなら働くかの答が就活前と就活後で変わるあたりに現れており、川村さんは

>就活には、そういう「覚悟」を学生に植え付けて、待遇の悪い仕事にも労働力を補給する機能があるといえる

と皮肉っていますね。

その「陶冶」のほころびとして、7人に1人が「就活うつ」状態だというのも興味深いデータです。

本誌に宣伝がでていますが、POSSEが「就職活動のための法律ガイド」というサイトをオープンしたようです。

http://www.npoposse.jp/lawguide/guide.html

サイトのトップで本田由紀さんが現れ、

>営利就活サイトに流されるな!

>このサイトで就職に必要な法知識と

>混迷する社会を生き抜く力を獲得しよう!

と檄を飛ばしていますね。

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