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「左翼」の対極的二義性

BUNTENさんが自分のつぶやきを自分でトギャっておられるので、それを引用しておきます(一つながりの文章なので、整形して)。

http://togetter.com/li/96973

>左翼悪玉説みたいなのこそ、現代の「恐いもの」のような気がする。障害児ではなかったが問題児だった俺は組合だの左派だのが強かった(はずの)炭坑街で育った。教師からのつるし上げも経験したが、それは他に仕事が無くて仕方なく教師になった手抜き派とでも言うべき人物からで、どうみても左派ではなかった。もし当時の左派が今ネットで言われているような教育をしていたならば、問題児・いじめられっ子の俺がネットで左翼を自称することはなかっただろう。

学校にはいい思い出はないが、少なくとも、「出る杭」として教師から叩かれた記憶はない。(BUNTENは馬鹿だから、出てると言うより引っ込んでたんじゃないのかという突っ込みは許可。)

俺としては、左派の教育は悪平等主義である、みたいな主張には思いっきり異議を唱えておきたい。そういうものがあるとしても、それは既に左派の教育ではないのだと。

左派的教育というものがあるとすれば、ひょっこりひょうたん島の学校のような、個性を尊重した、いわば「みんな違ってみんないい」がそれであって、断じて出る杭を叩いたり悪平等を推進するようなものではないと言いたい。

封印していた話をいっこ出しておく。小学校の時、授業をエスケープした俺の話を、色々な先生が入れ替わり立ち替わり聞いてくれた。かといって、自由に逃げていいとかいう所に落とし所があったわけではないのでいい思い出にはカウントしていない(無茶)が、無責任に放任したとかそんな話でもないのは確かである。これが先のつるし上げ犯みたいなのなら、頭から決めつけられるか放任(放逐)されて終わりであったはずだ。年端もいかないガキを、学校ぐるみで(問題教師の着任前の話である)個として尊重する姿勢がなければこんなことはできない。

多数決が民主主義、みたいな話は、民主教育の劣化というよりは手抜き屋が口実として採用したものだという見解を採りたい。子供の代に、自主的クラス分けと称する、単なる人気投票を実施した教師がいた(で、息子がみそっかすにされたので何考えてんだと抗議した。何も考えていなかったのは言うまでもない。)が、この教師とは何度もやり合ったので、左派とかの類ではないことは保証できる。

出る杭を打ちたがるのは左翼ではなく、権威主義者とか言うべき人たちであって、権威主義的な教師が増えたとすれば、それは教育行政のいわゆる右傾化に伴って権威主義(児童生徒の実状を無視した式典の形式の押しつけなどが現場に持ち込まれたことによるところが大きいのではないかと疑っている。[右翼と権威主義を区別してあるのに注意。

いずれにせよ、いじめと教育問題とその歴史、みたいなデリケートな話を、左翼だ右翼だといった分類に落とし込むことには極めて慎重であるべきであると、強く主張しておきたい。

何らかの分類を行いたいのであれば、少なくともポリティカルコンパス程度(2軸4分割)くらいはやっておかなければ、現状分析ないし敵を見誤る危険性が高いのだと。

2軸のポリティカルコンパスでも手に負えないのは、「左」という言葉のコノテーションが、まったく対極的な方向を併有しているから。つまり、集団性・平等性を志向する方向と、それと対極にある個別性・異質性を志向する方向の双方を、それぞれのプロとコンの双方からいい意味と悪い意味の負荷を負う形で用いられてきたから。

ある人々にとって、「左翼」とは個人の自主性、独立性を全面否定するソビエトロシア的集団主義による個人の抑圧を「平等」という美名のもとに遂行する悪の教義であり、他の人々にとって、「左翼」とは社会の麗しき秩序を破壊するエゴイズムを個人の自由という美名のもとに振り回すトンでもない連中。

このいずれも政治思想的に存立可能な議論ではあるが、両者を同時に主張することは論理的に矛盾することは言うまでもない。

実際、個々の人レベルで言えばこの両者を同時に主張するような論理レスな人はあまり見ないが(とはいえ、たまにいるけど)、マスメディアレベルでは(たとえば産経の「正論」とか)あまり矛盾感覚なしに入れ替わり出現したりする。

こういう同時に180度逆向きの意味を併有してしまうような用語は使わないのが一番なのだが、悪口としてはとても使いやすいだけに、どうしても使われてしまうのですね。

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