弱者と強者の二重螺旋
金子良事さんのつぶやき
http://twitter.com/ryojikaneko/status/36234846586155008
>強い者に媚び、弱い者を蔑むのと、弱い者に媚び、強い者を蔑むのはコインの裏表である。どちらもその卑しさにおいて大差ない、と僕は思うが、この意見自体も強い者に媚びてはないものの、残念ながら、前者のカテゴリーに属しているというべきだろう。
ちょっと違う。
というか、そもそもで言えば、「強い者に媚び、弱い者を蔑む」ことと「弱い者に媚び、強い者を蔑む」(という言葉自体が論理的に矛盾を孕んでいるが)は非対称的。
しかしながら、社会の現実としては、まさに金子さんが描くような事態が存在するのも確か。
それは、現代社会では「弱者」という名のラベルが相手に対する権威として機能し、そのラベルの前にひれ伏させる力を持っているから。
その「弱者」の味方をして「強者」を罵ってみせることによって、つまり「弱い者に媚び、強い者を蔑む」ことによって、現実には「強い者に媚び、弱い者を蔑む」のと同じ効果を発揮できるから。
そういう事態が固定化してくると、その「弱者」と称する「強者」に虐められる「強者」という名の「弱者」を敢えて擁護することによって「弱い者に媚び、強い者を蔑む」者であることを演じようとする者が現れる。そうすることによって二重にねじれた形で「強い者に媚び、弱い者を蔑」もうとする者が。
こうして、弱者と強者の二重螺旋のどこかに居所を見つけて、「弱い者に媚び、強い者を蔑む」ことによって「強い者に媚び、弱い者を蔑」もうとする人々が列をなす。
そうすると、もはや事態は金子さんの言うように「コインの裏表」に見えてくる。
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