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2011年2月 3日 (木)

全国民的職業能力形成を目指して@職業能力開発総合大学校

20110131081712 職業能力開発総合大学校より、「わが国の職業能力開発の在り方に関する総合的研究」プロジェクトの報告書『全国民的職業能力形成を目指して』をお送りいただきました。

田中萬年さんもプロジェクトメンバーに加わっています。萬年さんのブログでも既に紹介されていますが、

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20110131/1296425418

>本報告書は近く公刊する本報告の概要となる速報版です。全国の職業能力開発施設・関係者宛に発送された模様です。

 また、近く総合大のホームページにアップされる予定なので、その時はまたお知らせします。

現時点ではまだアップされていないようです。

最近私が述べていることとのつながりがありそうな記述をいくつかピックアップしてみますと、

>・・・わが国の「OJT中心の人材育成」とは仕事の経験の中で仕事の能力を育てる方式であり、そのパフォーマンスは高く評価もされた。だが同時に、それは個々の企業の事業として経営の責任で行われてきたため、能力が形成される過程が「仕事」の活動や「雇用」関係の陰に隠れており、「一人一人の国民の職業能力を形成する」という独立した国民的重要課題として広く表に現れてこなかった。そのことが職業能力の問題や職業教育訓練の問題についての議論が広く国全体に展開されないことにつながっているように思われる。

一方で職業教育訓練の必要性を説きながら、もう一方の手でその担い手を叩き潰したがる自公政権から現政権に至る一貫した傾向は、まさにこの「OJT中心で育った人材たち」の公的職業教育訓練に対する蔑視が根底にあるわけで、その精神構造の歪みを摘出することなくしては、事態の改善はなかなか難しいように思います。

アップされたらまた。

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コメント

大学院で燃焼工学を学んだ私は,自動車会社の研究所に就職した後,1981年に,西日本に開設された政府系特殊法人(雇用促進事業団)の国立の職業訓練短期大学校の教員として着任した。
 だが,そこは、実は,職業訓練校が、入校者の減少による ”業務効率の低さ” を行政管理の省庁から指摘されていたために、苦肉の策として、”工科系短大” に看板を塗り替え、行政批判をかわして訓練校の姑息な延命を画策した組織にすぎなかった。
 技能訓練指導員の中に,誰一人として短大教員資格のある者がいない。大学卒業者さえほとんどいない。そもそも,事務職員も技能訓練指導員も,”短大への転換” は自分達の意志ではなく,”行政の施策として職場の看板が変えられたにすぎない” と認識しているために,誰一人として、自分の職場が ”工科系短大” と思っている者がいない。組織自体が工科系短大としての体裁をなしていない。姑息な策として数名の大学卒業者を採用し組織内に”注入”したところで,職業訓練校が ”工科系短大” になれるわけがない(普通の市民は誰もそれを信用しない)。
「公金で運営されている以上,この粗末な実態を必ず社会に公開し,自分は早期に辞職するべきだ」と,私は着任早々に決意した。毎年,”工科系短大” の看板に騙されて、こんなところに入学する学生が,私には気の毒に思えて仕方がなかった。成績の良い学生の中からは退学者が出た。”看板と中身が違う”,”教員が能力不足である” として校長宛に意見書を提出した学生もいた(その後,退学)。そのあまりにもお粗末でデタラメな学内の様子に一層失望し落胆した私は,このまま在職することは ”ゴマカシ行政” に自分も加担し続けることになる,それは自分の人生信条に著しく反し,また,自分の経歴にも傷がつくとして,3年後にその旨を明記した辞表を提出し,職を捨てた。
 教員資格を持たない技能訓練指導員の配置転換(強制異動による人員整理)が労働組合の抵抗により断行できず,そのために,正常な教員組織の構築が不可能であった。雇用促進事業団そのものが労働組合と妥協し,強固な”短大転換の政策”を持てなかった(その自信がなかった)ために,技能訓練指導員を職業訓練校へ配置転換し,工科系短大の教員としては大学院修士課程修了以上の有資格者を大量に採用して開校する,という当たり前のことが実施できなかった。 技能訓練指導員に当時の職業訓練大学校にて6ヶ月間の研修を受けさせたのみで,何の資格審査もなしに,彼等の全員を ”短大教員” にしてしまった。当然の結果として, ”短大転換” は大失敗であった。
(この実状の打開のために,雇用促進事業団としては,80年代の末から90年代の初めにかけて,日本機械学会誌などの求人欄にて,職業訓練短期大学校の教員の募集広告を出し,その応募資格として,大学院修士課程修了以上と明示している。)
 後年に,上記の ”職業訓練短期大学校” の実態と問題点を,私は新聞紙上に公開したが,これに対して,多くの賛同の意見を頂いた。一方,弁解は来たが反論は来なかった。
 結局,この ”短大転換” の「失敗の本質」は,日本の職業訓練事業が地方自治体が運営する職業訓練校により既に充足された時代となり,もはや雇用促進事業団の職業訓練校が社会的に不要となったという現実を前にして,その職業訓練校を廃止した場合の,職員の雇用維持の方策が不明瞭であったことの一言に尽きる。
 訓練校の廃校のシナリオとしては,当時の技能訓練指導員の定年退職を待ち,その後には指導員の補充をせず,更に,当時の職業訓練大学校を段階的に縮小,廃止することにより,その卒業者(職業訓練指導員)の就職先である雇用促進事業団の職業訓練校を段階的に縮小,廃止し,自然消滅を待つ以外に道はなかった。職業訓練事業は,地方自治体の職業訓練校が担っているために,雇用促進事業団の職業訓練校が消滅しても何の支障もなかった。 ”職業訓練短期大学校” の建設はそれ以後でなければならなかった。
 実際,その後の流れを見ると,職業訓練校の看板を次々に塗り替えて,雇用促進事業団が全国に粗製乱造した ”職業訓練短期大学校”は,頻繁に,組織の再編や統合,さらに名称変更などが繰り返された。私が所属していた学科も開設後わずか数年で廃止された。 加えて,そもそも,雇用促進事業団それ自体があれこれの批判を浴びて廃止され,「高齢・障害・求職者雇用支援機構」と改名され,その業務内容も大きく削減され整理された。 
 さらにまた,職業訓練大学校も廃止された(後に,入学者定員をごく少人数にした職業能力開発総合大学校と改名)。 地方の ”職業訓練短期大学校” は再編や統合を経て,すべて職業能力開発短期大学校と改名され,今日では,その教員には大学や大学院の卒業者を揃えているようだ。 これらは,文字通り,35年前に当時の私が予想したシナリオの通りである。

http://hirokiishida.jimdo.com/920304-%E8%81%B7%E8%A8%93%E7%9F%AD%E5%A4%A7%E3%81%AE%E6%A1%8E%E6%A2%8F/

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