中小企業への差別@本田由紀
本田由紀さんのつぶやきから、中小企業への差別意識について、
>昨日の会合は中小企業の新卒採用がテーマだったが、いくつか印象に残る発言を聞いた。たとえば、大企業に行けなかった人が中小企業に行けばいい的な発想が昨今強いが、中小企業の採用選考が緩いわけではない、中小をなめんな!というのもその一つ。
>また、採用活動の時期を後に遅らせると中小企業が困るだろう、といったことも言われるが、そんなことは全然ない、むしろ、早期化・長期化は中小企業にとっても負担なので、後の時期になったほうが望ましい、と。
>さらに、保護者や大学等が中小企業への偏見が強く、保護者から「うちの子がそちらの採用試験を受けているが落としてください」といった電話がきたり、大学の就職センターで門前払いされたりすることが珍しくない、と。
>中小企業は数が多い分、多様性が大きいので、労働条件等について「ここは優良な企業です!」という太鼓判を押す機能がどこかに必要だ、とも。
>なんつーか、中小企業に対しても既卒者に対しても、レッテル貼りの強い社会だな、と痛感。「統計的差別」と言い換えればある意味合理的なようにも聞こえるけど、その範囲を超えて「ただの差別」になっているように思う。
いや、統計的差別であれ、偏見に基づく差別であれ、差別される側からすればみんな「ただの差別」なんです。統計的差別だから気が楽になるわけではない。
問題は、統計的差別は「差別はいけませんよ」的啓蒙だけでは解決しないということ。
まさに「労働条件等について「ここは優良な企業です!」という太鼓判を押す機能がどこかに必要」であるわけです。
わたくしが本ブログで繰り返し、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f79a.html(中小企業労働問題はどこへ行った?)
>しかし、アカデミズムの世界では規模間格差問題が論ずるに足りないものになったとしても、普通の国民の民俗知識においては、「中小企業に入ったら損するよ」という口承伝説は着実に伝承されていきました。それは、学者先生の言葉を真に受けて下手な中小企業に入って苦労した人々の姿が現実に存在する限り、抹殺することはできません。
なまじアカデミズムから「中小企業労働問題」が消えてしまったために、フォークロアとしての「中小企業労働問題」が政策的に掬い取られることのないまま、労働市場のミスマッチを招いている、という反省が、本当は求められるところではないでしょうか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-a195.html(だから、十把一絡げではなく・・・)
>やはり企業からお金をもらって宣伝するための就活産業では、その中小企業が本当に働きがいのあるいい中小企業なのか、それとも使い捨て型のブラック企業なのかきちんと情報を届けることは難しいのではないか、という点を指摘したつもりです。
そこの情報流通メカニズムがきちんと働くことによって、学生の方も安心して「いい中小企業」を目指すことが可能になるのではないかというような趣旨が、上記短いパラグラフの中に入っていたのだということを念のため追記させていただきたいと思いました。
等と述べてきたことはそういう趣旨であったつもりです。
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