日本型雇用システムと女性労働の葛藤
3日のエントリ「ネオリベラリズムとフェミニズムとの交叉を論ずるのなら・・・」の趣旨を理解していただくためには、今から四半世紀前の女性労働政策がどのような状況にあったかを振り返っていただく必要があるのかも知れません。
男女雇用機会均等法の制定作業が開始された頃の当時の労働省の女性官僚たちが共同執筆した高橋久子編『変わりゆく婦人労働』(有斐閣選書)という本があります。1983年4月の発行です。執筆者の中には佐藤ギン子、太田芳江、松原亘子等々という名前が連なっていますが、その序文を当時駐デンマーク大使だった高橋展子さんが書かれていて、当時の女性労働政策が置かれていた日本独特の状況が明確に示されています。やや長いのですが、80年代半ばがいかなる時代状況であったかは、今の若い人々には意外と知られていないような気もするので、一つの時代の証言として、読んでいただきたいと思います。
>・・・私は日本における婦人労働問題が他の工業国の場合と比べてかなり特異的なものであるという感を一層深くしてきた。
>特異的といっても、日本の婦人労働が、他と比べて根本的に異質だということではない。むしろ基本的には共通する面の方が甚だ多い。・・・
>こうした基本的な共通性にもかかわらず、日本の婦人労働には、他にほとんど例を見ない特殊な面がある。すなわち、日本の労働市場の原理、慣行の特異性に由来する諸問題がそれである。終身雇用、年功賃金、企業内組合に代表されるわが国の雇用慣行のもとでは、一般に婦人労働者は、男子労働者と同様に、安定した雇用、勤続年数に応じた昇給、良好な労使関係を享受できる-やや類型的に捉えすぎるにせよ-反面、他の工業国には見られない困難に晒されなくてはならないのである。
>まず終身雇用制あるいは終身雇用的原理のもとでは、長期勤続を期待できる男子労働者と比べて、結婚、家庭責任等のために短期に退職する可能性及び確率の高い婦人労働者は、企業にとってはきわめて不安定な労働力と見なされる。終身雇用原理の働かない他の工業国では、男子もいつ辞めるか分からないのだから、それに対応した雇用管理、人事政策が行われるので、女子の勤務年数の短いことがさして問題とはならないが、日本ではこのことは致命的なハンディキャップとなる。そこで経営者は、彼女らに男子と同じ訓練費用を投資することや責任あるポストに登用することをためらう。一方、女子側は、本格的な仕事が与えられない挫折感から、結婚や出産を好機として未練なく退職することとなる。こうして鶏が先か卵が先かの悪循環が繰り返される。
>また年功賃金制の下では、「若かろう、安かろう」で、企業は若い女性(男子もだが)大歓迎である。従って、欧米に見られる若年失業の問題は少ないが、反面、女子の長期勤続は歓迎されないという事態が起きる。女子の従事する仕事の内容と賃金額との乖離が年とともに大きくなるからである。経営者は、女子にいつまでも居座られてはソロバンに合わないと計算するし、同僚の男子労働者は、女子はワリが良すぎると嫉妬し、白眼視する。そこから、わが国特有の「女子の若年定年制」なるものも生まれる(しかも、この明白に差別的な制度の導入・維持には、企業内組合たる労組の同意・支持があるのである)。
>こうして、日本の婦人労働者は、一方でその勤務が短いことを欠点とされ、同時に長すぎるといって非難されるという奇妙な立場に置かれる。賃金は、年功などに関わりなく職務内容によって決まる、という原則の支配する他の諸国では、考えられないことである。
>女子の再就職となると、問題は一層厳しくなる。終身雇用、年功賃金、企業内組合の原則で堅固に構築されている個別企業の閉鎖的な雇用管理体制の枠組みの中に、中途から正規のメンバーとして入り込もうというのは不可能に近い。夫の死亡や離婚という不測の事態に遭遇して慌てて再就職を求める女性、あるいは、子育ての時期を過ぎ、自己開発、能力発揮の意欲に燃えて再就職を求める中年主婦たちにとって、その就業機会がいかに制限されているかは、周知の事実である。多くの場合、それぞれの持っている資格やかつての就業の実績は生かされないまま、パートという名の臨時労働者としての生活に甘んじなければならないのが実態である。いったん家庭に入った中高年女性が、その資格経験に応じた雇用機会を与えられ、さらには、就業中断中に取得した新しい資格をひっさげて、前よりも有利な職に挑戦していく道も開けている欧米の開放的な労働市場とは、あまりにも大きな違いである。
>このように見ると、日本の婦人労働者は、他の国の婦人労働者と共通する困難に加えて、日本独特の困難を背負い込んでいると言える。しかもそれが、わが国特有の労働慣行-今や日本経済の驚異的成功の鍵として世界的に注目されている慣行-に起因するのだから、皮肉なことである。
>思えば、終身雇用を中心とするこの雇用慣行は、かつては日本社会の後進性を象徴するものと見られ、日本の近代化が進めば自ずから変化し欧米型雇用慣行に脱皮していくものと考えられていた。それに伴って、婦人労働も変わり、前述のような日本的問題点も解消されるとの予測も可能であった。が、60年代以降のわが国のめざましい近代化にもかかわらず、この日本的雇用慣行はなかなか変化を見せず、むしろ石油危機等を通じてその有用性を改めて内外に評価され、今日では「三種の神器」的地位を獲得してしまった感がある。その是非は別として、どうやらこれは日本文化の一部として定着してしまい、今後とも微調整はあるにせよ、その基本的パターンは続いていくことになりそうである。したがって、婦人労働問題も、日本的特異性を今後とも引きずっていかなくてはならないことになろう。・・・
ややあきらめムードのただようこの高橋さんの序文が書かれた10年後には、日本社会に新たなイデオロギーが入り込んできました。このネオリベラリズムは、欧米社会では、国家レベルで構築された福祉国家を主たる敵として攻撃するイデオロギーであったのですが、国家レベルの福祉国家がきわめて不完全にしか発達していなかった日本では、それは異なる文脈で理解され、異なる社会的役割を果たしていくことになります。
この本が書かれた当時デンマーク大使をしていた高橋さんにとって、日本のあるべき姿として思い描かれていたのはおそらくデンマークのような福祉国家であったのでしょう。国家レベルの福祉を目の仇にして叩き潰そうとするネオリベラリズムなどは、手を握ることなど考えられない敵と考えられていたでしょう(当時既にイギリスではサッチャー旋風が吹き荒れていました)。
しかしながら、90年代の日本の文脈においては、そういうネオリベラリズムとフェミニズムが奇妙な(少なくとも欧米の文脈では奇妙な)共闘関係に入り込んでいきます。女性労働の足を引っ張る日本型雇用システムを変化させる可能性を持った「敵の敵」としてのつながりですが、少なくともそこには一定の戦略的合理性が存在したことは否定しがたい事実です。
もちろん、ネオリベラリズムが本当に完全勝利してしまえば、女性労働を支えるはずの国家レベルの福祉システム自体も叩き潰されてしまいます。市場を勝ち抜ける一部の「強い」女性を除けば、多くの女性は日本型システムに足を引っ張られない代わりに、市場の荒波に溺れてしまうでしょう。90年代から2000年代にかけての政策の動きは、その三者間のせめぎ合いとして捉えることもできるでしょう。そして、無知蒙昧なマスコミレベルでもてはやされるのは、大体において威勢のいい市場原理主義か、あるいはその全面否定論であって、上記戦略的合理性が合理性を発揮できるだけの社会自体の合理性は必ずしも十分ではなかったわけですが。
ただ、いずれにせよ、上記のような80年代の状況があって90年代の「交叉」があるという歴史的認識は、いかなる立場からものごとを論ずるにせよ、必要不可欠であろうと思います。
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さすがはhamachanさん!わかりやすい整理、ありがとうございます。m(_ _)m
この構図は、かつてわたしたち子どもの権利運動、反管理教育運動、
またはフリースクール・スペース、ホームスクール活動がネオリベ教育改革--80年代、中曽根元総理がすすめた行政改革のひとつとしての臨教審--
のころから呉越同舟していたことを彷彿とさせます。
なるほど、フェミニズムといっても一枚岩ではありませんが、
行革フェミともいうべき改革派官僚主導のフェミニズムにとって、
ネオリベとの偽装結婚のような状態が80年代にはあり、それが今日の混迷へとつながっているのかもしれません。
このあたりのところは興味があり、人に話をうかがったり、本も読んだりサイトも見たりしつつ、検証していきたいところです。
投稿: ワタリ | 2011年1月 5日 (水) 18時30分
「上記のような80年代の状況」というのが、私にはわかりにくくて、しばらく考えていました。まだ、ネオリベラリズムのない頃ですね(ワタリさんは誤読されておられると思います)。
引用されている高橋さんの文章は、hamachanの指摘されるとおり、日本型雇用慣行はかつて後進的なものとみなされていたが、高度経済成長の中でむしろ強化された、これを突破できるとは思えない、という感じの、悲観的なものですが、私の印象・記憶では、均等法制定前後は、そういう悲観論よりも、均等法への期待のムードの方が大勢を占めていたような気がするのですが。高橋さんのような「前途多難」の見方をする人よりも、これで未来が開ける、という気分で頑張っている人が多かったように思います。私は当時、すでに働いていて、組合にも入っていましたが、その様子に賛同できない気分でいたことを覚えています。高橋さんのようなしっかりした状況認識を持っていたわけではありませんが、法律を制定すればなんとかなる、というものではないだろう、むしろ、均等法推進派は、現実が動かないから法律という天の声に期待しているようだけれど、現実から地道に変えていくしかないのに、という感想があって、均等法のための運動からは距離を置いていました。
このときの盛り上がりと、それから、これはさすがに自分では経験していませんが、戦後すぐの女性の普通選挙権、婦人少年局設置、という頃が、日本の女性運動が最も期待に満ちていた頃なのでは、という感じがあります。
ただ、均等法が制定されても、現実は当然変わりませんでした。90年代に入ってネオリベラリズムと手を組むことになったのは、かつては「均等法を作れば状況が打開できる」と思っていたのが打開はできず、高橋さんの見通されたとおり、male breadwinner型の男性正社員中心の日本型雇用制度が問題だとして、「保護する法律を廃止すれば状況が打開できる」という方向に転進したのでは、という印象を受けます。
法律や制度が作られるあり方は一様ではないと思いますが、受け皿になる社会状況を、法を必要とする当事者が作りつつ、それにそった法律が作られるのが、まともなあり方でしょうね。
まともではないのはでは、どういうものかというと、現実がそうなっていないから法を期待する、とか、世界の水準に合わせるためにとりあえず法律を作る、というようなケースではないかと思っています。とても抽象的ですが。
投稿: 哲学の味方 | 2011年1月12日 (水) 06時54分
そうですね、高橋展子さんの考えは必ずしも当時の女性官僚たちを代表するものというよりは一世代上の(近代化論華やかなりし頃に職業生活を送った)方の感覚なのでしょう。
実際に男女均等法制定に携わった世代は、むしろ近代化論が「乗り越えられ」て、日本的な社会システムの「優位性」が語られるようになった時代に職業人として活躍した人々ですから、高橋展子さんのような「悲観論」とは違う感覚を持っていたと思います。
そして、その感覚が哲学の味方さんの言う「均等法への期待のムード」「これで未来が開ける、という気分」に通底していたのであろうと思われます。
しかし、それは日本型雇用システムにおける男性正社員の位置に女性を同じように持ってこようというものであったわけで、実はもともとかなりの無理が孕まれていたことは否定できません。
90年代におけるネオリベラリズムとフェミニズムの「交叉」の背景をより細かく見るならば、その「無理」をどういう方向に解決しようとするかという戦略の分岐であったと見ることもできるでしょう。
これが単なる歴史秘話ではないのは、日本の均等法が(日本型雇用システムを前提とする以上)賃金制度論を忌避した形で作られたため、男性正社員並みに働けない女性をどう扱うべきかの問題が引き延ばされて、今日に至っているからです。その意味では、高橋展子さんの言葉の射程距離は一見したよりもかなり長いものがあります。
投稿: hamachan | 2011年1月12日 (水) 10時39分
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投稿: 女性と生産性と | 2011年5月17日 (火) 11時56分