花嫁修業の職業的レリバンス2
金子良事さんのつぶやきから、
http://twitter.com/ryojikaneko/status/26452522264694784
>仙波さんの本で面白いのは、裁縫やら何やらの教育はいざとなったら女一人で生計を立てていくための手段なんだという指摘。ものすごい重要。結構、年上の男性に嫁ぐことが多かった昔の女性にとって、離婚せずとも若くして配偶者を失うリスクは高かったと考えれば、当然の自衛策。
http://twitter.com/ryojikaneko/status/26452980026834944
>あ、他にも労災などで配偶者が仕事が出来なくなるなんてこともあっただろう。何せ、職工(職人)は指一本ないくらいが一人前などと、まことしやかに言われた時代であったのだから。
http://twitter.com/ryojikaneko/status/26456949339987969
>そうなんですよ。多分、昔は習い事も再生産されてたんでしょうが、今はレジャーですね
本来は職業的レリバンス溢れる実業教育であったものが、職業的レリバンスのないことが魅力になる「官能性」に変貌していくこのメカニズム。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)
>歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。
一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。
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文学部であっても語学、特に英語を身につける(留学する)ということは、女性の自立を語る上でよく取り上げられてきたストーリーだと思います。しかし語学力があったとしても、「官能性に阻まれる」という言い方が的確かどうかは分かりませんが、必ずしも正規雇用などの良い労働条件で働けるわけではないというのが現状ですね。
投稿: 橋口 | 2011年1月16日 (日) 12時17分