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2011年1月23日 (日)

広田照幸『教育論議の作法』

494_large 広田照幸先生より、近著『教育論議の作法 教育の日常を懐疑的に読み解く』時事通信社、をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://book.jiji.com/books/publish/p/v/494

同封されたお手紙には、

>昨年も『教育問題はなぜまちがって語られるのか?』(日本図書センター)という柔らかい本を出したばかりで、「おまえ、もっときちんとしたものを書けよ」とおしかりを受けそうで、心を痛めながらの出版です。

と書かれてありましたが、こういう広田先生一流の絶妙な皮肉な感覚の横溢したエッセイを読めるというのは、我々のような教育界を外側から眺めている連中にとっては大変ありがたい機会ですので、「心を痛め」たりせずに、是非とも皮肉によりをかけて書き続けていただきたいと存じます。

本書は、もともと『教員養成セミナー』という雑誌に、「試験に出ない用語解説」というタイトルで連載されたもので、まえがきに「使用上の注意」が書いてあります。

>わざわざ「試験に出ない」と掲げたのは、もしもひょっとして、くそまじめな学生の読者が私の「解説」を一生懸命覚え込んだりされると困るからでした。採用試験の面接なんかで、「広田先生の解説によれば・・・」などと馬鹿正直に喋ったりしたらきっと不幸な結果が待っているに違いありません。本書の読者の人も、くれぐれもTPOにはお気をつけ下さい。

いやあ、なんというか、実は、語り口はふざけているように見えて、本書の言っている中身は、社会的にはこんなまっとうなことをまっとうに語っている本はあんまりないんじゃないかというくらいなんですが、それを面接で喋ると不幸な結果が待っているということは、日本の教育界というところは「そういう」ところなんですねえ、という感想ではあります。

目次は次の通りです。まことに「まっとう」な本でしょう?

●第一章 教育界の怪しい言葉
 教育の「マジックワード」/教育を語る言葉はなぜ修辞過剰になるのか?/「教育力」を死語に/「教育力」には政治の匂い/欲望過剰な「学ばせる」/教育政策論議に「慎み」を

●第二章 迷走する教育改革
 なぜ改革が良い結果をもたらさないのか/教育論議は広く、深い思考で/教育には混沌、雑然さが必要/教員集団の同僚性と協働性を壊すな/教育再生会議―現実と学説に即した議論を―/教育ゾンビ・エイリアン会議の正体/教員免許更新制の愚/教育は達成できる目標ばかりではない―PDCAサイクル―/「PDCAサイクル」で本当に改善できるのか?/「ニッキョーソ」は日教組ではない/教員はもっと教職員組合に入れ

●第三章 子ども・学校・社会
 「親s」「家庭s」の発想/教員と親との関係を組み立て直す最良の道は?/なぜ教えるのか、なぜ学ぶのか/学校の勉強は人生の役に立つ/道徳の教育不可能性/異質性を処理するスキルを/「青年」は廃れつつある?/時代の変化、「青年」の変化

●第四章 教育はどう変わるのか
 教育改革について考えてみる/社会モデルと教育改革案

●コラム
学歴格差是正への処方箋/悪い金貸しと大学改革/環境問題と子ども/私探し/子どもの空想、あるいは妄想/勉強からの逃避/K君と私/不良が消えた?/家出する青少年・引きこもる青少年

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