労働「政策」は長期雇用を「強制」していない
野川忍さんとジョイントブログを立ち上げた安藤至大さんが、ご自分のブログで書かれていることに若干気になる表現がありました。
http://munetomoando.blogspot.com/2011/01/blog-post_28.html(澤井さんへの返信(その2) )
といっても、ここでやりとりされている労働ルールの変更自体ではなく(それにもコメントはありますが)、その最後のところで付け加えられている認識についてです。
>さて,そもそもこれまでのわが国の労働政策は,極端な言い方をすれば,高度成長期に大企業でたまたま発生して上手くいったように見えた労働慣行を,中小企業にまで強制しようとして失敗した歴史とは考えられないでしょうか。おそらく中小企業においては,実現不可能な労働ルールを守るように言われて,実際には無理だと労使が判断して無視していたというのがこれまでの実態でしょう。つまり現在まで,中小企業の労働者は実質的には保護されていない状態だったのです。そこで前回申し上げたように,守れるルールにするかわりにきちんと守らせることが重要だと考えています。
実は、安藤さんが言いたいであろう点についてはかなりの程度同感なのですが、それを「これまでのわが国の労働政策が・・・強制しようとした」と表現されている点に対しては、二つの意味で指摘しておきたいことがあります。第一はいうまでもなく、判例法理をつくってきたのは司法府であり、それをつくらせてきたのはそのような慣行を造り上げてきた日本の労使自身なのであって、立法や行政が関与してきたわけではないということです。ごく最近になって、判例法理をそのままの形で立法化するという法政策がとられるに至るまで(つまり「これまで」)の労働政策は、別に整理解雇法理にせよ就業規則法理にせよ「強制」はしてきませんでした。
第二は歴史的な話ですが、高度成長期までの日本の労働政策は、むしろ明確にそのような労働慣行を欧米型に変えようという志向を持っていました。この点は『労働法政策』等で書いていますので具体的な例は省略します。それが転換して、「強制」はしないまでも「奨励」するようになるのは石油ショック以降です。出来るだけ解雇しないで雇用を維持するとお金を上げるよという雇用調整助成金にせよ、企業内で教育訓練すれば援助するよという助成金など、さまざまな奨励策が大企業正社員型の雇用慣行にし向けるようにつくられていきましたが、これまた別に「強制」しているわけではなく、別にお金が欲しくなければやらなくてもいいのです。
総じて、経済学系の方々には、あたかも日本の労働政策が戦後一貫して終身雇用や年功賃金をひたすら「強制」してきたかのように思われている方がいるように感じられますが、そのかなりの部分は、年齢コーホートによる錯覚効果ではないかと思われます。自分が社会に出た頃に世の中で主流だった考え方は、実はその一つ前に時代にはそうではなかったにもかかわらず、あたかも太古の昔からそうだったように感じるものです。これは、それに対してプロであるかコントラであるかに関わらず、同じように見られる現象です。
むしろ、かつての労働政策は、大企業正社員型の雇用慣行からはずれた人々に焦点を当てたさまざまな政策を講じていたのですが、70年代以降、政策担当者自身の目線が日本型雇用慣行奨励型にシフトして行くにつれて、そもそもなぜそのような政策をしなければならないかについての信念が徐々に薄れていき、外からの攻撃に対しても脆くなっていったという面があるように思われます。企業内訓練の乏しい中小零細企業労働者のための公的な職業訓練機関や、企業福祉の乏しい中小企業労働者のための労働者福祉施設や、社宅の乏しい中小企業労働者のための雇用促進住宅等々です。こういった日本型雇用慣行を前提としないたぐいの労働政策が、日本型雇用慣行にどっぷりつかって育った人々によって、ムダだから潰せと攻撃され続けてきたことは、この歴史的展開の皮肉さをよく示しています。
大変皮肉なことですが、ある種の人々は「日本の労働政策が大企業正社員型雇用慣行を強制しているからけしからん」と批判するとともに、まさにこのような中小零細企業労働者向けの公的サービスをムダだと非難することにも熱心なように見えます。もちろん、彼らはそれが論理的に矛盾しているなどとはこれっぽっちも感じてはいないのでしょうけど。(いうまでもなく、これは安藤さんのような良質な労働経済学者のことではありません)
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こんにちは。安藤至大です。
コメントを頂きありがとうございました。
勉強になりました。
私のBlogに関連する記事を掲載しましたのでお知らせします。
今後ともよろしくお願いします。
http://munetomoando.blogspot.com/2011/02/blog.html">http://munetomoando.blogspot.com/2011/02/blog.html
投稿: 安藤至大 | 2011年2月 2日 (水) 21時17分
わざわざおいでいただき恐縮です。
ご指摘いただいた点については、つぎのように考えています。
まずなにより、70年代半ば以降、日本社会における「正しさ」の感覚が大企業正社員型に大きくシフトしたことがあると思います。労使も、学者も、役人も、みんな時代の子であり、時代精神の中でものを考えていきます。
どの利害をどう反映させようと考えた、というよりも、素直にそれが正しいとみんなが考えるようになったから、というのが真実に近いように思うのです。
これは、1980年代にまさにその雰囲気の全盛期に行政に入ったわたくしの実感でもあります。
意図したか意図せざるものかというよりも、特定の利益誘導だという意図なく正しいと信じてある政策方向を明確に意図していたのだと思います。
おそらくまったく同じことがどの時代にも同じように起こっていた、いるのではないか、というのが、講義のために労働政策の歴史を振り返ってまとめてみたわたくしの実感です。
そういう時代精神という「見えざる意図」が目に見えるようになるのは、それが変化する潮目を超えてものを見ることによってなのでしょう。
投稿: hamachan | 2011年2月 2日 (水) 21時51分
http://blogos.com/article/36361/
ブロゴスに登場されましたね
投稿: しゃくち | 2012年4月12日 (木) 00時06分