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2011年1月14日 (金)

花嫁修業の職業的レリバンス

金子良事さんの大変面白いつぶやき

http://twitter.com/ryojikaneko/status/25714205898317824

>昨日、仙波千枝さんという方の『良妻賢母の世界』を買ってきた。この本は雑誌の投稿記事なども利用し、明治時代の女性像を描こうとする意欲作。書誌的に篤学な姿勢も好感が持てる。かつて家政学が家政学であった頃、専業主婦は永久就職という文字通りの意味で、専門職であり、職業であったと言えよう。

http://twitter.com/ryojikaneko/status/25715994940932097

>戦後、短大で文学を勉強するなどが花嫁修業のように見做されたこともあったが、戦前であれば、そんなものは認められなかっただろう。元々の良妻賢母教育は徹底した実学であり、そういう意味では職業的レリバンスにあふれていたのである。

http://twitter.com/ryojikaneko/status/25716758740475905

>こういうようなことを見逃して、家庭と職業(ないし社会参加)、などの二(三)分法で近代女性史を見るのは、あんまり意味がないのではないか、と個人的には思う。かつての花嫁修業は結婚前の女性を遊ばせることでは決してなかったのである。

ということは、かつての家庭内労働力としての性能向上のための職業訓練としての花嫁修業が、戦後「人間力」「官能性」を高めるためのよく分からない何かに「進化」していったということなのでしょうね。

いろんなことがここから導けそうな気がしますが、とりあえずご紹介にとどめます。

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コメント

「花嫁修業で実学で短大」というと叔母がまさにそれでした。
大学・短大附属の中高一貫女子高→附属の短大家政科卒
で、
 教育実習にも行って、教員免許も取得
という昭和40年代の黄金コース。この頃は
 同じ学校法人内でも、あとから出来た四大より短大の方がレベルが上
という扱いだったとか。

家政科は「生活科学」等に名称変更になっているところが殆どでしょうけど。

戦後できた女子大について、幸田露伴が孫(青木玉)が国文科に進み
 『十八史略』を教科書に使っている
ことを知って、
 そんなの、おれは焼き芋食いながら子どもの時に読んだ
と嘆いていた話が、幸田文の文章に出てきます。

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