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2011年1月

今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)

文部科学省の中央教育審議会が、本日、「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」を答申しました。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1301877.htm

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2011/01/31/1301878_1_1.pdf

100頁に及ぶ広範な答申ですが、一昨年の拙著でもちょっと触れた高等教育における「職業実践的な教育に特化した枠組み」が、マスコミ等でも関心を引いているようです。

そのうち、読まれた方がいいなと思う一節があったので、ちょっと引用。

>○ 現在、我が国では、普通教育志向の進学者が拡大しており*1、この中には必ずしも明確な進路意識・目的意識を持たないまま進学している者がいるとの指摘がなされている。

○ 新たな枠組みを具体化していくことは、子どもや若者が自らの将来を考えていく上で、また、保護者や教員等が、進路選択について助言を行っていく上でも、大きな変化を与えるものになると考えられる。具体的には、新たな枠組みは、高等学校等卒業後の進路として、また、生涯にわたる学習の場として、新たな道を開くことから、子どもたちが早い段階から、自らの志向や希望を十分に考慮して様々な進路を考え選択し、その後も人生の時々で、学習目的に合う教育機関を選択・活用していく意識・行動を高めるものになると期待される。

○ また、高等教育における職業教育は、学術研究の成果を主な基盤とする場合や、職業実践的な知識・技術等を主な基盤とする場合等があるが、新たな枠組みの具体化を通じて、これらが同等に評価される社会の形成・発展にもつながると考えられる。

○ このような進路選択の拡大や職業実践的な教育の適切な評価は、人々が希望やライフステージに応じて、様々な学習の場を活用しながら、職業生活や人生を重ねていくことができる、生涯学習社会の確立・発展においても大きな意義を有するものである。ひいては、多様な能力を有する人々が協働し活躍する、創造力と実践力の高い社会の実現へとつながっていくことが期待される。

まあ、今まで「就社」社会(メンバーシップ型社会)を前提に、職業教育から逃避しながらぶくぶくと膨れあがってきた高等教育の世界が、どこまで「職業実践的な教育に特化した枠組み」に向けて翻身できるのか、生ぬるく見守っていくべきところかも知れません。

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社会保障改革検討本部集中検討会議メンバー

産経に、メンバーの一覧が載っています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110131/plc11013119240016-n1.htm

そのうち「民間」は、

成田豊電通名誉相談役

渡辺捷昭トヨタ自動車副会長

古賀伸明連合会長

清家篤慶応義塾長

宮本太郎北海道大大学院教授

吉川洋東京大大学院教授

堀田力さわやか福祉財団理事長

峰崎直樹内閣官房参与

宮島香澄日本テレビ解説委員

柳沢伯夫元厚生労働相

政策オンチの政局プロの皆様は例によって与謝野さんの時のようにあれこれ言うのでしょうが、要するに、少なくとも社会保障政策について言えば、ポスト小泉の自公政権時代の政策方向と、ポスト鳩山の民主党政権の政策方向が同じ方向であり、他方それに反対する揚げ塩風味な人々もそれぞれの党にいるというだけのことなんですけどね。

この面子を見れば見るほど、政策の方向性というのは、政党などという枠組みとはまったく関係のないレベルで共通したり異なったりしていることがよく分かります。

(柳沢元厚生労働大臣に関して念のため)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_20a4.html(女性機械説)

いったい何が本質的に問題なのかをこれっぽっちも考えることなく、野党根性むき出しにして、脳みそ空っぽにして、愚劣なポピュリズムに走っていると、こういう風に自分が責任ある立場になったときにブーメランが帰ってくる・・・、ということを、しっかりと学んだという一点において、現在の政権担当者は(いまだに学んでいない人々に比べると)大人になっているというべきなのだと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-654e.html(天皇機関説、女性機械説、自衛隊暴力装置説・・・)

でも、もういいかげん、こういう餓鬼の喧嘩はやめたいものです。というか、餓鬼の火遊びに油を注ぐ愚かなマスコミが諸悪の根源なのですが。

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國學院大學労供研究会にて

New_12_2 去る1月8日に、國學院大學の労働者供給事業研究会で報告したことについては、本ブログでもちらりと書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-1976.html

その労供研のHPに、当日の模様が紹介されました。

http://www.k-rokyoken.jp/main/12.html

労供事業の法律関係を解明する鍵は船員の雇用関係にあり、といういささか突飛な議論を展開しております。

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菅山真次『「就社」社会の誕生』

6542 菅山真次さんの『「就社」社会の誕生 ホワイトカラーからブルーカラーへ』(名古屋大学出版会)は大著です。物理的にも分厚いですが、内容的にもずっしりと重い本です。

http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0654-5.html

「就社」社会というのは、「就職」社会ではなく、という意味ですね。特定の職(ジョブ)に「就」くことをめざす就職じゃなく、特定の会「社」の一員(メンバー)になることを目的とする社会。

まさに、メンバーシップ型労働社会のあり方の根源に切り込んだ研究書です。

>「サラリーマン」はどのようにして生まれたのか? ——
新卒就職・終身雇用を常識としてきた「就社」社会・日本。製造業大企業労働者のキャリアと雇用関係の変遷を辿り、新規学卒市場の制度化過程を検討することで、その成り立ちを解明する。学生の就職活動のあり方が問い直され日本的雇用慣行が終焉を迎えつつあるかにみえる今、必読の書

確かに、新規学卒定期採用制という日本型雇用慣行のコーナーストーンに位置する仕組みが労働問題の焦点となってきている現在、まことに時宜を得た出版というべきでしょう。

いくつも興味深いところがありますが、たとえば明治期の労働市場の流動性については、ブルーカラーについては当時の『職工事情』などにも書かれており、労働関係者にとってはある程度知られていますが、ホワイトカラーの方もあっちこっちと飛び移っていたということを実証的に示したのは、菅山さんの研究が初めてではないでしょうか。

戦間期に、ホワイトカラー層について新規学卒者定期採用制が次第に確立されてくるプロセスを執念深く追求している第2章も、あまりほかの研究者が手を付けていない領域ですね。野村正實さんの『日本的雇用慣行』が、やはり戦前期ホワイトカラー層の採用のあたりを追求しているのが記憶に新しいくらいです。

戦後の新規学卒市場の制度化については、苅谷剛彦さんらとの共同研究がベースになっていますが、こういうある年代以上の職業安定行政の中の人にとっては常識的であったものでありながら、ほとんど明示的にアカデミックな言語化されることなく次第に消え失せつつある領域を、こうして見事にえぐり取った業績は、とても貴重なものだと思います。

その間に挟まれた戦時期から終戦直後期の日本的企業システムの形成の分析も、まさにわたくしの言う「社会主義の時代」(1930年代半ばから1950年代半ばまでの国家社会主義的及び社会民主主義的傾向の時代)が雇用システムにいかなる影響を及ぼしたかについての見事な分析です。

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岩波新書だけあって堅いけど

読書メーターでの書評

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/9490352(リョウさんの感想)

>雇用関係についての本。岩波新書だけあって堅いけど、奇を衒ったものではなくあくまで雇用システムについてどのような点が問題なのか、他国ではどうなっているのかといったいろいろな視点から分析している

自分では、できるだけアカデミックな意味で「堅い」ものにならないように、現実の政策に即した形でわかりやすく書いたつもりではあるのですが、やはり妙に扇情的に一方的な書き方のものが溢れている分野だけに、どうしても「堅さ」を感じさせてしまうのかも知れません。

ただ、「奇を衒ったものではなく」という評言は、まさにわたくしの意のあるところを汲み取っていただいたものと嬉しく思います。

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熊さんと八つぁんと与太郎@権丈節

権丈先生が『世界の労働』に書かれた原稿の一節がいくつか勿凝学問に引用されています。注釈一切なしで、権丈節をそのままお楽しみ下さい。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare355.pdf

>八つぁんの立場としては、熊さんへの報復に血道を上げすぎると今度自分が国民から批判されてしまう。熊んもそこを見こして八つ ぁんにゆさぶりをかけるつもりでいる。さてさて、来年度予算、国民の生活を人質にしたチキンゲームのお膳立てができたところで2011年が幕開けとなった。

>やらなければいけないことは消費税をはじめとした増税――当の昔から決まってるのに、それを誰も実行できない。財源で大ウソついて政権を奪い、この国を正しい政策にたどり着かせるのに大きく遠回さてしまったのみならず、この国の傷口を広げてしまった熊さんの罪は深い。ところが、 今は、「熊さんは手ぬるい、俺さまがやればまだまだムダを絞り出すことができる」という与太郎というのが出てきて国民の人気を博している。国民というのはまったく困ったものなのであるが、数年前にこの困った国民につけこんだ熊さんの登場の後遺症のために、この国ではまず政治が破綻し、政治は八方塞りの状態に陥ってしまった。この政治の破綻を引き金に、次に社会保障が、その次に財政と国民生活の全般が破綻する という連鎖が起こるのか、それとも破綻連鎖を阻止するために、社会の最も根源的かつ影響力ある位置にいる政界がなんらかの自浄作用をみせるのか―― 2011年の新年を迎えたい今、この国は混沌中にある。

熊さんも八つぁんも、本音では国民生活や社会保障が大事だと思っているのに、政治学者や政治評論家に煽られて喧嘩するときは、なぜか与太郎風の「ぶっつぶせ」競争になるわけです。実のところ、政治学者がまじめに研究すべきは、そこのところの奇怪なメカニズムではないかと思いますよ。一緒になって煽ってんじゃなくて。

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労働「政策」は長期雇用を「強制」していない

野川忍さんとジョイントブログを立ち上げた安藤至大さんが、ご自分のブログで書かれていることに若干気になる表現がありました。

http://munetomoando.blogspot.com/2011/01/blog-post_28.html(澤井さんへの返信(その2) )

といっても、ここでやりとりされている労働ルールの変更自体ではなく(それにもコメントはありますが)、その最後のところで付け加えられている認識についてです。

>さて,そもそもこれまでのわが国の労働政策は,極端な言い方をすれば,高度成長期に大企業でたまたま発生して上手くいったように見えた労働慣行を,中小企業にまで強制しようとして失敗した歴史とは考えられないでしょうか。おそらく中小企業においては,実現不可能な労働ルールを守るように言われて,実際には無理だと労使が判断して無視していたというのがこれまでの実態でしょう。つまり現在まで,中小企業の労働者は実質的には保護されていない状態だったのです。そこで前回申し上げたように,守れるルールにするかわりにきちんと守らせることが重要だと考えています。

実は、安藤さんが言いたいであろう点についてはかなりの程度同感なのですが、それを「これまでのわが国の労働政策が・・・強制しようとした」と表現されている点に対しては、二つの意味で指摘しておきたいことがあります。第一はいうまでもなく、判例法理をつくってきたのは司法府であり、それをつくらせてきたのはそのような慣行を造り上げてきた日本の労使自身なのであって、立法や行政が関与してきたわけではないということです。ごく最近になって、判例法理をそのままの形で立法化するという法政策がとられるに至るまで(つまり「これまで」)の労働政策は、別に整理解雇法理にせよ就業規則法理にせよ「強制」はしてきませんでした。

第二は歴史的な話ですが、高度成長期までの日本の労働政策は、むしろ明確にそのような労働慣行を欧米型に変えようという志向を持っていました。この点は『労働法政策』等で書いていますので具体的な例は省略します。それが転換して、「強制」はしないまでも「奨励」するようになるのは石油ショック以降です。出来るだけ解雇しないで雇用を維持するとお金を上げるよという雇用調整助成金にせよ、企業内で教育訓練すれば援助するよという助成金など、さまざまな奨励策が大企業正社員型の雇用慣行にし向けるようにつくられていきましたが、これまた別に「強制」しているわけではなく、別にお金が欲しくなければやらなくてもいいのです。

総じて、経済学系の方々には、あたかも日本の労働政策が戦後一貫して終身雇用や年功賃金をひたすら「強制」してきたかのように思われている方がいるように感じられますが、そのかなりの部分は、年齢コーホートによる錯覚効果ではないかと思われます。自分が社会に出た頃に世の中で主流だった考え方は、実はその一つ前に時代にはそうではなかったにもかかわらず、あたかも太古の昔からそうだったように感じるものです。これは、それに対してプロであるかコントラであるかに関わらず、同じように見られる現象です。

むしろ、かつての労働政策は、大企業正社員型の雇用慣行からはずれた人々に焦点を当てたさまざまな政策を講じていたのですが、70年代以降、政策担当者自身の目線が日本型雇用慣行奨励型にシフトして行くにつれて、そもそもなぜそのような政策をしなければならないかについての信念が徐々に薄れていき、外からの攻撃に対しても脆くなっていったという面があるように思われます。企業内訓練の乏しい中小零細企業労働者のための公的な職業訓練機関や、企業福祉の乏しい中小企業労働者のための労働者福祉施設や、社宅の乏しい中小企業労働者のための雇用促進住宅等々です。こういった日本型雇用慣行を前提としないたぐいの労働政策が、日本型雇用慣行にどっぷりつかって育った人々によって、ムダだから潰せと攻撃され続けてきたことは、この歴史的展開の皮肉さをよく示しています。

大変皮肉なことですが、ある種の人々は「日本の労働政策が大企業正社員型雇用慣行を強制しているからけしからん」と批判するとともに、まさにこのような中小零細企業労働者向けの公的サービスをムダだと非難することにも熱心なように見えます。もちろん、彼らはそれが論理的に矛盾しているなどとはこれっぽっちも感じてはいないのでしょうけど。(いうまでもなく、これは安藤さんのような良質な労働経済学者のことではありません)

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「高卒レベルの外国人労働者」導入論

201102

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-8ca7.html(井口泰氏のマジすか発言@五十嵐ついーと)

12月5日のエントリで紹介した五十嵐泰正さんのつぶやきで紹介されていたJILPTの労働政策フォーラム「今後の外国人労働者問題を考える」の全容が、『ビジネス・レーバー・トレンド』2月号に掲載されています。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/

<労働政策フォーラム> 今後の外国人労働者問題を考える

基調報告

わが国における外国人労働者を巡る状況について 野口 尚(厚生労働省職業安定局派遣・有期労働対策部外国人雇用対策課長)

研究報告

地方自治体における外国人の定住・就労支援への取り組みについて 渡邊博顕(JILPT 副統括研究員)

講演

経済危機と在日南米系コミュニティ ――何をなすべきか 樋口直人(徳島大学総合科学部准教授)
経済危機後の東アジアと日本の外国人労働者政策――国の入管政策及び地域・自治体レベルの統合政策の視点から 井口 泰(関西学院大学経済学部教授・少子経済研究センター長)
受入れ慎重派として認めることができる受け入れるための最低条件 小野五郎(埼玉大学名誉教授)

パネルディスカッション

<コーディネーター> 中村二朗(日本大学大学院総合科学研究科長)

現時点ではまだ中身はアップされていませんが、五十嵐さんが会場で聞かれた井口泰さんの発言は誌上では次の通りです。

>・・・こういう事態を一切見ることなく、「単純労働は一切認めない」という議論を繰り返すのは意味がありません。確かに、これだけ無業者や失業者が増えている中では、厳密な意味での単純労働、いわゆる不熟練労働は、無業者や失業者などを労働市場に復帰させる上で、しっかり確保すべきで、これを国外から来る人に開放するのは適当ではありません。しかし、それよりもやや熟練の上の部分、低技能といわれているけれど、高卒程度の労働市場を経由して養成されてきた多様な技能職種や専門職種については、厳密なデータに基づいて冷静に議論をしていただきたいと思っています

それから小野五郎さんの「変な文明論」というのはこれでしょうか。

>一件無関係なように見えますが、私がライフワークとしている環境問題からしますと、そうした大規模な人の移動というものは必ずや自然環境を破壊します。その点、先住民は、長い歴史の中で、すでに風土と同化しているのです。いわゆる「多文化共生」というのは綺麗事でして、日本の自然環境保全という視点からも、土地・土地の風土と同化している日本人の伝統的価値観に移入外国人も合わせてもらうという同化しかあり得ません。

安易な多文化共生論は「お花畑」だと批判するわたくしですら、この手の安田善憲氏風のトンデモ「風土理論」にはいささか辟易しますねえ。政治的オリエンテーションは逆に見えて、環境主義的反成長論にもそこはかとなく似たタイプの匂いを感じたりもしますが。

外国人労働者問題についてのわたくしの考え方は、五十嵐さん編の、『労働再審2 越境する労働と移民』(http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73914.html)所収の「日本の外国人労働者政策」に詳しく述べてありますが、その概要は、『FORUM OPINION』所収の「外国人労働者問題のねじれについて」で喋っていますので、お読みいただければ幸いです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/forum1002.html

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要するに、社会保障をケインズが語るかフリードマンが語るかなんだよ@権丈節

権丈節健在。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare354.pdf

皮肉なのは、日本の揚げ塩風味「りふれは」というのは本家アメリカのリフレーション論者とは逆に公共サービスと社会保障を敵視するフリードマンの党派に成りはてているということでしょう。

>・・・まぁ宰相が「強い社会保障」なんてことを言ったとき、昔ながらの経済学者達が、一斉に経済学の教科書通りに、成長と社会保障が緊張関係にあることを、いたる媒体を使って批判していたシーンをみるのはなかなか楽しいものがあったわけだ。

>・・・2009年に、ケインジアン系の社会保障論が表に出てきたとき、条件反射的にフリードマン系の経済学で、懸命に批判している人たちをみて微笑ましいものがあった。

昔だったら、これを「ねじれ」と呼んだところですが、もはやねじれですらないというべきでしょうね。まあ、敵が明確になるというのは悪いことではありません。

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わが国の雇用で、何が問題なのか?@『ELDER』

Elder 雑誌『ELDER』の2月号が「わが国の雇用で、何が問題なのか?」という特集を組んでいます。

冒頭はリクルートワークスの大久保幸夫さんの「」雇用不安など、雇用の現場で、今何が起きているのか?」ですが、その中で

>雇用不安は、学校教育の問題として捉え直す必要がある

>大学教育の現状を踏まえてみると、大半の大学は職業教育の場となってもよいのではないかと考えています。・・・そして、大学教育の内容と職業教育に転換することができたら、大学を生涯学習の場としても活用すればよいと思います。

と語っています。

おそらく、こういうむき出しのヴォケーショナリズムに対しては、広田照幸先生から異論が出るところだと思いますが、ここは議論の一つの軸であることは間違いありません。

これに対してわたくしは「正規・非正規の均等待遇と生活保障」というタイトルで、やや俯瞰的な議論を展開しています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/elder1102.html

中身はいろんなところで喋ったり書いたりしていることのまとめのようなものですが、とりわけ最後のこの台詞は、いろんな方に聞かせてみたいところです。

>2009年総選挙で民主党は子ども手当をマニフェストに掲げ、新政権の下で2010年からその支給が開始された。その意義は何よりも、子どもの生計費を生活給ではない形で給付する社会保障制度を確立することにあったはずである。しかし、バラマキとの批判の中で、政権担当者自身にその意義が理解されていなかったことが露呈した。社会手当の典型ともいうべき児童手当=子ども手当に対する風当たりの強さの中に、日本型雇用システムの中で生きてきた正社員とその家族たちの意識が明確に現れているといえよう。

その他、梶原豊さんの「地域産業の活性化と人材の確保・育成」、小林辰滋さんの「ものづくり産業における職業能力開発の現状と課題」が特集記事です。

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求職者支援制度は資産調査付き

まだ厚生労働省のHPにはアップされていませんが、日経によると、本日の雇用保険部会で求職者支援制度(正確には「職業訓練の実施等による特定求職者の就職の支援に関する法律」)には、厳格な資産要件を付けることになったようです。

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819591E0E5E2E39C8DE0E5E2E3E0E2E3E39797E3E2E2E2

>厚生労働相の諮問機関、労働政策審議会の雇用保険部会は27日、職業訓練中の人に生活費(月10万円)を支給する求職者支援制度について、生活費の受給要件を大幅に緩和する当初の方針を見直し、一転して厳しくする内容の最終案をまとめた。

当初は金融資産などの有無に関係なく生活費を支給する案だったが、最終案では金融資産が800万円以下の世帯に限定。居住用以外に不動産を持っていない人などに生活費を支給する。

当初の案に対し、同部会の委員から「要件を厳しくすべきだ」との異論が出たため見直した。

旧政権が導入した職業訓練中に生活費を受け取れる仕組みは今年9月で期限切れになる。政府はこれを10月から恒久化するために一部を見直して、今国会に関連法案を提出する。財源は原則として雇用保険料と税金で半分ずつ賄う

とりあえず新聞記事なので、報告書がアップされるまで具体的な要件についてのコメントは控えますが、職業訓練を受けることが給付の重要な要件である労働政策なのか、それとも生活保護と共通の性格を持つ福祉政策なのかという、もともとからの問題が最後までなかなか解決されないまま残ってきたということなのでしょうか。

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労組法上の労働者性の行方

昨日の東京新聞の「記者の目」で、亀岡秀人記者が「覆される国の労働委判断」として、労組法上の労働者性の判断に関して、労使が参加する国の労働委員会の判断が職業裁判官によって覆されることに疑問を提起しています。

>働く方が多様化し、雇用・労働問題は政府の重要課題。労働審判を発展させ、労働裁判にも労使の専門家の参加が必要だ

とまで言っていますが、そういう意味では労使ではないにしても職業裁判官以外も入っている最高裁判所がどういう判断を下すかは、大変興味あるところです。

そう思っていると、今日の朝日にさりげなくこんな記事が(37面の小記事ですが)。

>オペラ出演打切り 不当労働行為か判決変更可能性

>・・・最高裁第3小法廷は25日、双方の主張を聞くための弁論を3月15日に開くことを決めた。

>・・・「合唱団員は労働組合法上の労働者に当たらない」と判断した1,2審判決が見直される可能性が出てきた。

さて、どうなりますか。

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野川 vs 安藤 Blog (仮)ができた!

なんと、労働法学者の野川忍さんと労働経済学者の安藤至大さんが、ジョイントのブログを立ち上げられました。

http://nogawa-ando.blogspot.com/

お二人とも、ついった界で精力的に活躍してこられましたが、いかんせん字数制約の中でよく分かっていない方々の誤解を招くこともあったようで、こうしてじっくり(といってもブログですからほどほどでしょうけど)論じることの出来る場をつくられたのは、はたから応援しているわたくしとしてもうれしい。ことです。

安藤さん曰く「このスタイルはThe Becker-Posner Blogの真似ですが,さてどうなるかな? 」とのことですが、せっかくの労働法と労働経済のジョイントブログなので、わたくしとしてはかつて安藤さんを含む方々が書かれた『雇用社会の法と経済』をJIL雑誌で書評したときの最後の台詞をはなむけに送りたいと思います。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/08/pdf/116-124.pdf(書評 荒木尚志・大内伸哉・大竹文雄・神林龍編『雇用社会の法と経済』 濱口桂一郎)

>最後に, 法学と経済学のコラボレーションの在り方として, 本書の大部分でとられているようなそれぞれがそれぞれの土俵から出撃するというスタイルから,第6 章のような共同執筆という段階に今後進化していくことが期待される。その理想的な姿として, 法学者ディーキンと経済学者ウィルキンソンの多くの共同著作, とりわけ大著『労働市場の法』(Simon Deakin,Frank Wilkinson, The Law of the Labour Market,Oxford University Press, 2005) を挙げておきたい。
本書各章のコンビの中から将来日本版ディーキンとウィルキンソンが現れるならば, 本書はその出発点として歴史にとどめられるであろう。

その第1回目のテーマは、「正社員は既得権者なのか? (安藤)」です。

http://nogawa-ando.blogspot.com/2011/01/blog-post_25.html

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湯浅誠氏のとまどいPartⅢ

隔月刊の雑誌『オルタ』に、毎回見開き2ページずつ連載されている記事を追っかけていくというのは、忘れた頃に次が来るという感じですね。

さて、もう湯浅誠氏はとまどっているわけではないんですが、せっかく多くのぶくまがついたタイトルでもあり、このタイトルでPartⅢいきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-47d3.html(湯浅誠氏のとまどい)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/part-bff1.html(湯浅誠氏のとまどいPartⅡ)

Alter_new_2011_12 今回は「反貧困日記」の3回目です。雑誌自体の特集は、「まちがいだらけの「魚食文化」」で、これが結構なかなか面白かったりしますが、それはともかく、

http://www.parc-jp.org/alter/2011/alter_2011_1-2.html

今回湯浅氏が述べているのは、ヨーロッパでは「Welfare to Work」といっている理念を日本の文脈で受け止めるならば、「Home to Work」(家族から就労へ)となるべきだということです。なぜなら、日本で就労から排除されている人々は、福祉からも排除されている割合が大きく、湯浅氏風にいえば、

>実際には家族の中に溜まって/溜め込まれて/溜まらざるを得なくなっているからだ

この日本の福祉政策が家族依存型だったという点は、出たばかりのOECD『日本の労働市場改革』の中でも指摘されています。

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日本版NVQの可能性

『労基旬報』連載の「人事考現学」、1月25日号は「日本版NVQの可能性」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo110125.html

>現実の日本社会では、職業教育訓練システムは依然として質的にも量的にも、圧倒的に企業内教育訓練に依存している。そしてそのため、企業内教育訓練機会から排除された多くの若年非正規労働者が、技能を身につけられないまま次第に中高年化していくという事態をもたらしている。今現在の低賃金や不安定雇用といった問題も重要であるが、中長期的に深刻なのはこちらの問題であろう。
 これに対して政府はここ数年来、日本版デュアルシステムやジョブカードといった政策をとってきた。前者は教育訓練機関における座学と企業における実習及びOJTを組み合わせた新たな人材養成システムで、修了後その企業に雇用されることを目指すものである。また後者は、企業現場や教育機関で実践的職業訓練を受け、その修了証など(ジョブカード)を就職活動に活用しようとするものである。これらは、現代日本の労働社会において有効な教育訓練機能が企業に集中しているという事実を前提に、それを若年非正規労働者たちの技能向上にいかに活用するかという問題意識から生み出されたものである。その意味では現実に即した政策といえる。
 2010年6月に閣議決定された「新成長戦略」においては、その「雇用・人材戦略」の一環として、「非正規労働者を含めた、社会全体に通ずる職業能力開発・評価制度を構築するため、現在の「ジョブ・カード制度」を「日本版NVQ(National Vocational Qualification)」へと発展させていく」ことを提起し、後段でそれを「キャリア段位」と呼んでいる。これを受けて官邸の緊急雇用対策本部に実践キャリア・アップ戦略推進チーム専門タスクフォースが設けられ、「職業能力評価と教育・能力開発を結び付け一層の体系化を図った上で、一企業内にとどまらず社会全体で実践的なキャリア・アップを図る」ことが目指されている。今後は、日本の労働市場のあり方自体をどうしていくのか、という本質的な問いを避けて通ることはできないであろう。
 NVQとは、企業の枠を超えて日本の労働社会を通じた共通の職業資格を設定していくという政策意思を表す言葉である。従って企業内教育訓練システムに大幅に依存した現在の日本型雇用システムを抜本的に見直すという意図の表明でもある。新成長戦略が真にそのようなラディカルな認識に立脚したものであるか否かは、慎重に見極められる必要があろう。
 残念ながら、民主党政権の中核部分はそのような認識を全く有していないということが、2010年10月に行われたいわゆる「事業仕分け」によって見事に露呈された。そこでは、余剰労働力の企業内保蔵を援助する雇用調整助成金だけは無傷で残しつつ、若年者や就職困難者のための雇用助成金は軒並み廃止とされ、とりわけ日本型雇用システム転換のための第一歩として位置づけられるべきジョブ・カード制度はその存在意義を全面否定され、廃止と判定されたのである。日本の人材養成政策の再転換は、再び混迷のただ中にある。

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シンポジウム「希望のもてる社会へ」

3月4日に、全労済協会主催で「希望のもてる社会へ ~社会不安の正体と未来への展望~」というシンポジウムが開かれます。

http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/symposium/sym/post.html

>グローバル化や社会構造の変化が進行する中で、深刻な世界的経済危機が追い打ちをかけ、格差は固定化し、貧困層が拡大するなど、閉塞的な状況は現在も続き、「希望のもてる社会」を渇望する声は国民の中でますます高まっています。
全労済協会は、各界を代表するパネリストの方々に「自壊している」とも感じられる日本社会について、再生に向けた対策を議論するなかで、今後の社会のあり方を考えていくためのシンポジウムを開催いたします。皆様の参加を心よりお待ちしております。

基調講演とパネリストは以下の通りです。

■第1部
基調講演
第1講演者:浜矩子氏(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)
第2講演者:宮本太郎氏(北海道大学大学院法学研究科教授)

■第2部
パネルディスカッション
<パネリスト>
浜矩子氏
辻元清美氏(衆議院議員)
湯浅誠氏(内閣府参与、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局次長)
濱口桂一郎氏((独)労働政策研究・研修機構統括研究員)
<コーディネーター>
宮本太郎氏

ということで、わたくしもパネリストとして参加いたします。

宮本先生と湯浅さんは先日のBSフジの番組でもご一緒しましたが、浜さんと辻元さんは初めてです。

ポスターはこちらにあります。

http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/symposium/sym/pdf/tksinpo%20tirasi_2011.1.13.pdf

このシンポジウムは、先にご紹介した岩波から来月刊行される『自壊社会からの脱却』とのタイアップで、だから後援に岩波書店も名を連ねているんですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c690.html

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西谷敏『人権としてのディーセント・ワーク』

12074 西谷敏先生から、近著『人権としてのディーセント・ワーク 働きがいのある人間らしい仕事』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/656

既に本ブログでも予告しているとおり、2月14日には日弁連のシンポジウムでご一緒することになっておりますし、そのすぐ後にも関西方面でご一緒することになっております。

本書では、拙著も何回か引用され、西谷先生のお立場からの批判が書かれておりまして、たいへん勉強になります。

>雇用の問題は、単に失業を減らすという労働市場政策の問題ではなく、たえず雇用の質、つまり雇用の安定性や適切な労働条件との関連で論じられるべきである。真面目に働けばぜいたくはできなくても一生安心して生活できる社会――今多くの労働者が真剣に求めるのはそうした社会であろう。そのためには、雇用の安定性や一定水準の労働条件の保障が不可欠なのである。
 こうした働き方や生き方は、単に望ましいというにとどまらず、憲法がすべての国民に基本的人権として保障しているところである。いかなる制度を設計するにしても、人間として、社会として、これだけは譲れないという最低線があるはずであり、それを定めているのが憲法の人権規定である。日本では、その譲れないはずの線が大きく崩れているところに根本的な問題があるのではないだろうか。

目次は以下の通りです。

第1章 働くことの意味
1 労働への関心
(1)ニート・フリーター問題から派遣切りへ
(2)生活保障における雇用の位置
2 労働は苦痛か喜びか
(1)労働観の変遷――苦痛から喜びへ
(2)近・現代の労働への批判
(3)福祉国家と労働批判
(4)日本の労働者の意識
(5)労働の人格的・社会的意義
(6)条件に左右される労働の苦痛と喜び

第2章 ディーセント・ワークの権利
1 ILOのディーセント・ワーク概念
2 憲法とディーセント・ワーク
(1)願望か権利か
(2)勤労の権利(労働権)
(3)人間の尊厳と生存権
(4)差別禁止と均等待遇
(5)労働者の自由権と労働基本権
(6)自己決定権とディーセント・ワーク
3 今なぜディーセント・ワークか
(1)労働者状態の変化とディーセント・ワーク
(2)平成不況期以降の状況
(3)ディーセント・ワーク概念の現代性

第3章 安定的雇用――ディーセント・ワークの条件1
1 なぜ雇用の安定か
(1)恒産なくして恒心なし
(2)権利保障の条件
(3)雇用の人格的意義
(4)労働関係終了と自己決定
2 解雇の制限
(1)解雇権濫用の法理
(2)人員整理と解雇制限法理
(3)今後の解雇政策
3 退職と労働関係の終了
(1)退職の法的性質とその二面性
(2)退職の強要
(3)退職の自由と撤回
4 有期雇用と雇止め
(1)不安定雇用としての非正規雇用
(2)有期雇用の問題点
(3)有期労働契約に対する法の態度
(4)雇止め制限の法理とその限界
(5)有期契約の立法論の方向
(6)公務臨時・非常勤職員
5 労働者派遣
(1)間接雇用としての派遣労働
(2)直接雇用原則から間接雇用の拡大へ
(3)労働者派遣の今後
6 高年齢者の雇用
(1)高年齢者雇用の意義
(2)定年制の適法性
(3)高年法による雇用保障

第4章 公正かつ適正な処遇――ディーセント・ワークの条件2
1 ディーセント・ワークと賃金
2 最低生活の保障
(1)ワーキングプア問題解決の方向
(2)最低賃金制度
(3)官製ワーキングプア問題と公契約条例(法)
3 賃金の決定と変更
(1)賃金の安定性
(2)賃金の決定・変更の方法
4 賃金体系のあり方
(1)賃金体系の変遷
(2)能力・成果と労働者間競争
(3)評価・査定の客観性
(4)給与体系における職務、生活、年功
5 賃金差別の禁止
(1)均等待遇と差別禁止
(2)同一価値労働・同一賃金原則の法的意義
(3)性差別から非正規差別へ
6 非正規労働者の差別と均等待遇
(1)非正規労働者の賃金と現状
(2)差別は正当化されるか?
(3)必要とされる均等待遇原則の宣言
(4)非正規労働の将来

第5章 人間らしい働き方――ディーセント・ワークの条件3
1 労働と人とモノ
2 ディーセントな就労の権利
(1)就労請求権
(2)業務の内容・場所の決定と変更
(3)業務命令とその限界
3 労働時間と年休の考え方
(1)日本の労働時間
(2)労働時間はなぜ制限されるべきか
(3)労働時間規制の方法
(4)年休権の考え方
(5)ワーク・ライフ・バランス論の功罪
4 安全・健康・快適な職場環境
(1)職場「環境」と安全配慮義務
(2)脳・心臓疾患と過労死
(3)セクハラといじめ
(4)メンタルヘルス問題
5 職場における自由と権利
(1)ディーセント・ワークと職場における自由と権利
(2)服装の自由
(3)プライバシー権
6 就労の一時的中断
(1)問題の設定
(2)労働者の私傷病
(3)妊娠・出産、育児・介護

第6章 ディーセント・ワークが保障される社会へ
1 ディーセント・ワークの社会的意義
2 ディーセント・ワークと雇用政策
(1)雇用の維持と創出
(2)採用の自由と制約
(3)職業教育と訓練
(4)職業紹介とハローワークの役割
(5)失業者の生活保障と再就職
3 ディーセント・ワークと法的規制
(1)法的規制の緩和か強化か
(2)法的規制とその実現
4 ディーセント・ワークの主体
(1)権利主体の知識と意識
(2)労働組合の役割と発展の可能性

重要な論点はここで簡単に書くのは難しいのですが、たとえば労働時間規制の問題など、西谷先生と私の共通性と相違点がわりとよく出ているのではないか、と思います。248頁以降です。

西谷先生は、

>割増賃金の支払いを強制することが間接的に時間短縮につながる可能性があることは否定しない。しかし、長時間労働の効果的抑制のためには、もっと直接的な労働時間規制に重点を置くべきであろう。

と述べておられます。お読みいただいた方には分かるように拙著第1章でいいたかったこともまさにこれです。西谷先生はそこでEU指令の休息時間も書かれています。そして、注として

>これに対して、時間外労働に法律上の制限を課した上で、個々人の同意によってその延長を認めるという考え方(濱口桂一郎『新しい労働社会』46頁以下)には賛成できない。現状では、労働者が意に反して「同意」させられることが目に見えているからである。

と書かれています。ある意味仰るとおりであり、事実、その直後に、わたくしは

>もっとも、イギリスの例に見られるように、個別オプトアウトには実はかなり問題があります。特に日本では、男性正社員がこれを断るのは相当の勇気が要りそうです。「なるほど、君はもう出世をするつもりはないと、こういうことだね?」という上司の言葉を覚悟しなければならないかも知れません

とも書いております。

おそらく、ここに現れているのは、現状ではいのちと健康に関わるような長時間労働すら青天井になっている状況下で、どの程度の妥協を現実的と考えるかということなのかな、と思います。本人の意に反してでも強制すべき基準はいのちと健康に関わるものであって、仕事と生活を両立させるための基準は(たとえ現状の労働社会を前提とすれば相当程度ザルになるにせよ)本人同意とせざるを得ないというのが、私の現時点の判断です。それを変えていくためには、むしろその背景にある労働社会のあり方自体を少しずつ見直していくしかないのではないでしょうか。

というような調子でやっていくと、本日のエントリの域を超えますので、とりあえずここまで。

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「優しい」書評?

ひさしぶりに、ブログ上での拙著書評。「優しい書評」さんというブログなのですが、さて。

http://blog.livedoor.jp/bookfun_biz/archives/2311651.html

>これは、ちょっと時代遅れの方向性を持った視点で書かれている本かもしれない。これは人によって感じ方は違うかもしれない。

いや、まあ、何を時代遅れと感じ、何を時代の先を行っていると感じるかは、人によってさまざまですので、それはいいのですが、

>私は、若者のチャンス(機会)を増やす考えなので、この著者とは正反対の考えなのかもしれない。

といわれてしまうと、あたかも、わたくしは「若者のチャンス(機会)を増やす」のに反対しているかの如くですね。

拙著のどこでそんな馬鹿なことを公言しているのかとパラパラめくってみましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。もしかしたら、わたくしについてあることないことを騙っているどこぞの記述に影響されているのかもしれません。

ましてや、

>著者は、労働省出身のためか、年功序列から成果主義への変化を嫌う節が多々出てくる。

これはもう、明らかに誰かさんの騙っていることをそのまま鵜呑みにした記述ですねえ。

いうまでもなく、わたくしは現実に90年代以来導入されてきた「成果主義」と称する代物については、批判的ですが、「年功序列断固護持!」などと叫んだ記憶は一度もないのですがね。むしろ、年功賃金の反対は職務給であり、成果主義の反対は固定給であり、異なる軸を対立させるのは人事管理論的におかしいという指摘はしてきていますけど。

これに対して、最後の

>それだけでなく、ヨーロッパ諸国などの例を出しているが、政治状態、起業スタイルなど関係なく比較するのは違和感を覚える。

は、むしろ日本型雇用システム擁護派の皆さんからよく指摘される点であり、わたくしももっともな指摘だと感じているところでもあります。拙著は、ある意味でその「違和感」をなだめるためにいろいろと中間的な仕組みを提起しているものでもあるのです。「期間比例原則」とかね。

ただ、どうもこの「優しい」書評家氏は、「日本はヨーロッパ諸国とは違うんだから、ヨーロッパの真似をするんじゃなくて、日本型で断固いけ!」という趣旨でこういっているんじゃないようですね。別の国を真似しろという趣旨であるならば、拙著以上に違和感を感じる人が一杯いそうですが、そういうのには多分違和感を感じられない方なのかも知れません。

なんにせよ、

>読み終わった後に、時間の無駄を感じてしまった。

と仰るのですが、多分、読む前に結論は出ていたのでしょう。

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広田照幸『教育論議の作法』

494_large 広田照幸先生より、近著『教育論議の作法 教育の日常を懐疑的に読み解く』時事通信社、をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://book.jiji.com/books/publish/p/v/494

同封されたお手紙には、

>昨年も『教育問題はなぜまちがって語られるのか?』(日本図書センター)という柔らかい本を出したばかりで、「おまえ、もっときちんとしたものを書けよ」とおしかりを受けそうで、心を痛めながらの出版です。

と書かれてありましたが、こういう広田先生一流の絶妙な皮肉な感覚の横溢したエッセイを読めるというのは、我々のような教育界を外側から眺めている連中にとっては大変ありがたい機会ですので、「心を痛め」たりせずに、是非とも皮肉によりをかけて書き続けていただきたいと存じます。

本書は、もともと『教員養成セミナー』という雑誌に、「試験に出ない用語解説」というタイトルで連載されたもので、まえがきに「使用上の注意」が書いてあります。

>わざわざ「試験に出ない」と掲げたのは、もしもひょっとして、くそまじめな学生の読者が私の「解説」を一生懸命覚え込んだりされると困るからでした。採用試験の面接なんかで、「広田先生の解説によれば・・・」などと馬鹿正直に喋ったりしたらきっと不幸な結果が待っているに違いありません。本書の読者の人も、くれぐれもTPOにはお気をつけ下さい。

いやあ、なんというか、実は、語り口はふざけているように見えて、本書の言っている中身は、社会的にはこんなまっとうなことをまっとうに語っている本はあんまりないんじゃないかというくらいなんですが、それを面接で喋ると不幸な結果が待っているということは、日本の教育界というところは「そういう」ところなんですねえ、という感想ではあります。

目次は次の通りです。まことに「まっとう」な本でしょう?

●第一章 教育界の怪しい言葉
 教育の「マジックワード」/教育を語る言葉はなぜ修辞過剰になるのか?/「教育力」を死語に/「教育力」には政治の匂い/欲望過剰な「学ばせる」/教育政策論議に「慎み」を

●第二章 迷走する教育改革
 なぜ改革が良い結果をもたらさないのか/教育論議は広く、深い思考で/教育には混沌、雑然さが必要/教員集団の同僚性と協働性を壊すな/教育再生会議―現実と学説に即した議論を―/教育ゾンビ・エイリアン会議の正体/教員免許更新制の愚/教育は達成できる目標ばかりではない―PDCAサイクル―/「PDCAサイクル」で本当に改善できるのか?/「ニッキョーソ」は日教組ではない/教員はもっと教職員組合に入れ

●第三章 子ども・学校・社会
 「親s」「家庭s」の発想/教員と親との関係を組み立て直す最良の道は?/なぜ教えるのか、なぜ学ぶのか/学校の勉強は人生の役に立つ/道徳の教育不可能性/異質性を処理するスキルを/「青年」は廃れつつある?/時代の変化、「青年」の変化

●第四章 教育はどう変わるのか
 教育改革について考えてみる/社会モデルと教育改革案

●コラム
学歴格差是正への処方箋/悪い金貸しと大学改革/環境問題と子ども/私探し/子どもの空想、あるいは妄想/勉強からの逃避/K君と私/不良が消えた?/家出する青少年・引きこもる青少年

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OECD『日本の労働市場改革』

Activation 本日、わたくしが翻訳したOECDの『日本の労働市場改革』(明石書店)が届きました。

日本の労働市場改革について論じようという人ならば、せめてこのOECDの本くらい熟読してから論じていただかなければ困りますね。

来週には、書店に並ぶと思います。心ある皆様に読まれることを、心から期待いたします。

なお、本書の訳者あとがきから、最後の部分を引用しておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後に、若干個人的な感想を述べておきたい。訳者は1995年から1998年まで欧州連合日本政府代表部一等書記官としてブリュッセルに在勤し、EUの新たな雇用戦略が進められていく様子を目の当たりにしていた。当時は「アクティベーション」という用語はなかったが、失業者や福祉受給者を労働市場に復帰させることを最大目標とする政策はまさにアクティベーション政策であり、その背後には、「生産要素としての社会保障」という発想があった。訳者は帰国後さまざまな機会にEUの雇用戦略を紹介し*2、その背後にある社会政策思想の転換を論じてきた*3。

 最近になってようやくこの考え方が日本にも浸透してきた。とりわけ、2010年6月に策定された新成長戦略には、就業率の向上が初めて国家レベルの目標として位置づけられるなど、世界標準の雇用戦略にふさわしい内実が伴ってきつつある。日本版NVQなど透明な労働市場を成り立たせるインフラ整備も打ち出されている。一方で、「事業仕分け」に見られるような、雇用労働政策に対する旧弊な無理解も政界やマスコミ界には牢固として存在している。

 ちょうど2年前に著者たちが日本を訪問したときに、訳者は日本ではヨーロッパにおけるアクティベーション政策とは文脈が全く異なると述べた*4。しかし、この2年の間に日本の制度政策は大きく転換を遂げつつある。いまや、まさにアクティベーション政策という明確な政策戦略の下で、雇用社会政策総体を操縦していかなければならない時期である。このような時期に、本訳書が日本の政労使の労働関係者や労働研究者のみならず、政治家や経済学者、マスコミ関係者などにも読まれることはまことに時宜に適していると思われる。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/oecd-dd50.html(OECDアクティベーション政策レビュー)

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ジョブ保護法かメンバーシップ保護法か

本日、都内某所で労働判例の検討会。

ネタは日本IBM事件。

法律家的な議論は議論として、つまるところ、EU指令型のジョブ保護法制と、日本的なジョブは何であれ会社員身分がすべてという感覚のずれが、見事に露呈しているのがこの裁判なんだな、とおもうことしきり。

昨年『世界の労働』に書いたこれが、現時点で言うべきことを尽くしているように思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jobgata.html(ジョブ型社会のジョブ保護規制-EU企業譲渡指令について)

>ヨーロッパ型の労働社会では、雇用契約が何よりもまず「ジョブ」に立脚し、企業組織再編によってそれが損なわれる-自分が今まで就いていた「ジョブ」が他社に移転するにも関わらず、その「ジョブ」から引きはがされて元の会社に残されてしまう-ことを最大の不利益とみなし、そのようなことが起こらないよう「ジョブ」と一緒に労働者も移転できるようにすることを最大の労働者保護と考える。

 一方これとは対照的に、大企業に典型的な日本の労働社会では、雇用契約が何よりもまず「メンバーシップ」に立脚し、企業組織再編によってそれが損なわれる-自分がたまたま従事していた「ジョブ」が他社に移転するからといって、今までメンバーとして所属していた「会社」から引きはがされて見知らぬ会社に送り込まれてしまう-ことを最大の不利益とみなし、そのようなことが起こらないように「ジョブ」の移転に関わりなく元の会社にいられるようにすることを最大の労働者保護と考える

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多重就労者の労働時間管理

昨日、都内某所で多重就労者の労働時間管理に関する研究会。

知らないことがいっぱいあるなあ。

フランスは1940年(ヴィシー政権だ!)の法律に基づき、法定最大労働時間を超えて働くこと(働かせることだけじゃなく)が違法で、違反する労働者・使用者の両方に罰金が課されることになっている、なんて。

最近、改めて勉強することが多い。

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公務員の任用は今でも労働契約である

Show_image 先日紹介した西谷・根本編『労働契約と法』ですが、いずれも力作論文ですが、その中でただ一人弁護士として執筆されている城塚健之さんの「公務員と労働契約法」について、一言だけ。

城塚さんは、労働契約法が安易に国家公務員と地方公務員を適用除外にしていることを批判し、できるだけ準用しようとし、さらには労働契約に基づく公務員関係の再構成を提示しています。

安易な公法私法峻別論への批判にはまったく同感なのですが、実は、そもそも現行法においても公務員関係は立派に労働契約であることにも言及された方がよかったのではないか、と思います。

いうまでもなく労働基準法です。労働基準法第13条から第23条までは、ご承知の通り「労働契約」というタイトルの章に含まれています。これは、現在においても、国家公務員非現業職を除けば原則的に適用されます。ということは、少なくとも現業職や非現業地方公務員は「労働契約」のはずです。

さらに、ご承知の通り、マッカーサー書簡のあおりで労働基本権が取り上げられたときに一緒に国家公務員への労働基準法の適用が除外されてしまいましたが、法政策的にどの規定を適用するかしないかという次元は別として、それまで個々の条項が適用されていたのがされなくなったからといって、その法的性質が突如として労働契約からそうじゃないものになってしまったわけではないでしょう。まあ、そうだと主張するならそれでもいいですが、その場合、なぜか国家公務員は労働契約じゃないけれども地方公務員は労働契約だということになります。

このあたりについては、昨年『地方公務員月報』に書いた「地方公務員と労働法」でも触れたところですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chihoukoumuin.html

>・・・裁判官までが公法私法二元論にとらわれて法律の正しい適用関係を誤解してしまうという事態の中に、この問題の根深さが顕れているといえようか。

労働基準法112条は1947年の制定以来、「この法律及びこの法律に基づいて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする」と規定している。これは、民間労働者のための労働基準法を公務員にも適用するためにわざわざ設けた規定ではない。制定担当者は「本法は当然、国、都道府県その他の公共団体に適用がある訳であるが、反対解釈をされる惧れがあるので念のために本条の規定が設けられた。」と述べている*3。実際、1998年改正で削除された8条(適用事業の範囲)には、「教育、研究または調査の事業」(12号)、「病者又は虚弱者の治療及び看護その他保健衛生の事業」(13号)、「焼却、清掃又は屠殺の事業」(15号)、「前各号に該当しない官公署」(16号)が並んでいた。ちなみに、労働基準法制定時の国会答弁資料では「官吏関係は、労働関係と全面的に異なった身分関係であるとする意見もあるが、この法律の如く働く者としての基本的権利は、官吏たると非官吏たるとに関係なく適用せらるべきものであつて、官吏関係に特有な権力服従関係は、この法律で与へられた基本的権利に付加さるべきものと考へる。」と述べている*4

要するに、終戦直後にできた労働分野の基本立法は、公法私法峻別論などという変な考え方には全然立っていなくて、まことに素直に公務員関係はみんな労働契約だと考えていたのです。

法政策としては、職務の特殊性から労働法の中のある部分を適用除外するというのは、まったく当然なことです。例えば本来の官公署にスト権を与えるべきではないでしょう。そのことと、その法律関係が労働契約であるかどうかというのはまったく別次元のことです。

日本国の立法府は公務員は労働契約だという法律を作って以来、一度たりともそれを否定するような法改正をしていないにもかかわらず、行政法学説やら裁判所やらが勝手に法律をねじ曲げて、本来日本の法体系が立脚していない公法私法二元論で説明してきてしまい、それを真に受けた労働行政当局も、もともと大先輩が作った法律は全然そんなことはいっていないのに、新しい法律を作る際には勝手に公務員は適用除外にしてしまってきたというだけなのですね。

こういうことを言うとびっくりされてしまうのですが、びっくりする方がおかしいのです。素直に労働基準法を読めば。

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『労働再審2』が「週刊実話」の読者プレゼントに

54cvr3 148_2 どういういきさつからかはまったく分かりませんが(編者の五十嵐泰正さんも分からないようです)、拙文「日本の外国人労働者政策」を所収した、五十嵐泰正編『労働再審2 越境する労働と<移民>』が、「週刊実話」という週刊誌の読者プレゼントになっているようです。

http://wjn.jp/present/detail/148/

>国境を越える時代の「労働社会」の変容に迫る一冊!

>移民労働力の本格的導入が議論され、企業では外国人採用、英語公用語化など多文化社会への流れが強まっている。働き手としての「人」はおろか、仕事や職場すら容易に国境を越える時代だ。今、労働社会の変容に迫る『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』(定価2,600円税抜き/大月書店刊)が好評発売中だ! 同書は、1990年代以降の「労働」という問題を再検証している。女性、外国人、貧困層、障害者…といった人々の多様な労働との分離と排除の境界線がなし崩しに消滅している。そして、正社員に保証されてきた地位と報酬が自明でなくなり、立場が異なる労働者間で亀裂が生じた。従来、労働の範疇から周縁的・逸脱的とされてきた領域から「労働」再検討したものである。今回、同書を2名にプレゼント。

応募締切日時は2011年01月27日 23時59分だそうですので、欲しい方はお早めに。

しかし、ふーん。

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中小企業労働者と中小企業者

中小企業労働問題を考える上で、忘れられがちですが重要なポイントとして、中小企業労働者が中小企業者になる可能性という問題があります。

これを指摘したのは、今から50年前の1960年に中央公論社から出た『経済主体性講座』第4巻所収の氏原正治郎さんの「労務者」という論文です。

ここで氏原さんは、中小企業労働者の組合組織率が低いままであることについて、一つの説明として、

>もしこれらの労働者が、生涯を賃金、俸給で生活しなければならないとしたら、仮に上述の如き条件があったとしても、労働者たちは、この条件を打ち破るために、団結するに違いない。・・・

>だが、そうではなくて、労働者たちは、年少にして、工場や商店に雇われ、一定の期間、雇用労働に従事するが、長じて壮年に達し、万般の技能を修得し終わると、自分もまた独立して、職人の棟梁や町工場の主人、商店の店主になることのできる可能性が大きいところでは、事情は大いに異なる。・・・

>労働者にとって、この種の独立の可能性が、例外的ではなく、広範囲に存在する場合には、労働者は、争議団のような一時的なものはともかくとして、継続的な労働組合を組織する必然性は存在しない。なぜなら、これらの労働者の雇用労働は、彼らの生涯の中では、一時的であって、それによって生涯の生計を立てるというものではない。・・・

等と書かれています。

戦前にはこうした中小零細企業の再生産が顕著に見られたが、戦後衰えてきたというのが氏原さんのこの時の観察ですが、その10年以上後に小池和男さんが『中小企業と熟練』の中で、なおこのメカニズムが頑健であると説明していました。

しかし、その後中小企業の「出生率」は顕著に落ち込み、この再生産メカニズムがうまく回っているとはとてもいいがたいように思われます。

この問題をどう考えるかというのも、中小企業労働問題の一つの大きな課題です。

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だから、十把一絡げではなく・・・

先日の本ブログのエントリ「中小企業労働問題はどこへ行った?」

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f79a.html

が、元リクルート編集長の中村昭典さんのブログに取り上げられました。

http://blogs.itmedia.co.jp/akinori/2011/01/441-70e3.html(【4.41倍】就活生は中小企業に目を向けろ、は正しいのか?)

そこで中村さんが主張されていることにはまったく同感です。

>要は、企業規模で優劣を、○×を決めるのではなく、ちゃんと中身をみましょうね、という、申し訳ないくらい当たり前の話なわけです。で、現状確かなことは、一部の大企業(そう、大企業全部じゃないのよね)に応募が集中し、その逆で、求人意欲はあるけれど、知名度も低くて採用予算も少ない中小企業には、応募者が少ない。これだけが事実なのです。なのに、何となく、応募者が多い会社=いい会社だと思い込んでみたり、みんなが並んでいる会社=いい会社だと錯覚してしまったり。

ただ、そこでの、私のエントリの取り上げられ方が、必ずしも悪意からではないのですが、ややもすると誤解を招きかねない点もあるように見受けられましたので、念のため、私の上記エントリの趣旨を敷衍しておきます。

>・・・・・・これは労働法学者の濱口桂一郎氏のブログからの引用ですが、数的不均衡という視点だけで中小企業への応募を勧めるのはどうかと、一石を投じています。

 たしかに仰る通り、大企業に比べて不安定な要因が中小企業に多いことは事実。濱口氏が指摘されている以外の視点、たとえば大企業に比べて公開されている情報が少ない、福利厚生面の諸制度が整っていない、といった側面も、中小企業への応募が増えない要因になっているでしょう。
 
 ただ、中小企業を十把一絡げに考えて、ダメだよと考えるのは、やっぱり乱暴な気がします。中小だって、大手にはない機動力だったり独自性だったりを持って、とっても元気よくがんばっている企業がたくさんある。従業員数が少ないということは、その分大変だという見方の一方で、自分に任される仕事の裁量が大きいことが多々ある。できあがっていない組織ゆえに、柔軟だったり、制約が少なかったりという側面だってある。

 逆にいえば、知名度があっても、業績が下り坂で負債が積み重なり、残念ながら今は経営状況が芳しくない大企業だってある。組織ができあがっており、安定感がある一方で、自由度が低いということもあるでしょう

いや、まったくその通りだと考えています。だからこそ、中村さんが引用された部分の後で、このように書いたつもりなのですが・・・。

>もちろん、現実の中小企業にはさまざまな企業がありますが、不完全な情報をもつ市場のプレイヤーが「統計的差別」に走りがちであることは、労使いずれの側についてもおかしなことではありません。重要なことは、学生が「統計的差別」に陥ることなくより完全情報に近い状態で選択しうるような労働市場メカニズムの確立であり、それは商業主義的な就活産業などに任せておいて可能になるものではないでしょう。

「統計的差別」ということばがわかりにくかったのかも知れませんが、これは雇用における差別現象を分析するときに使われる労働経済学の用語で、たとえば女子学生は一般的に結婚したり出産したりするとやめる傾向が高いという統計的事実があると、個々の女子学生の中にはずっと働き続けるつもりの意欲満々の人がいくらでもいるのに、企業側は「どうせ女だからやる気はないだろう」と見てしまうという現象を指します。一種の偏見なのですが、マクロの統計的には正しいことをミクロの個別労働者に当てはめて判断してしまうことで生じてしまう偏見ということですね。

学生が中小企業を避けたがるのは、企業が女子学生を避けたがるのと同じような意味での「統計的差別」だろうという趣旨であり、ですから、それでいいというようなつもりはまったくなく、むしろだからそうすべきかを問うた文章であった(少なくともそのつもり)はずなのに、「中小企業を十把一絡げに考えて、ダメだよと考えるのは、やっぱり乱暴な気がします」と書かれると、いささか気落ちしてしまいます。

で、むしろ最後のところで申し上げた「重要なことは、学生が「統計的差別」に陥ることなくより完全情報に近い状態で選択しうるような労働市場メカニズムの確立であり、それは商業主義的な就活産業などに任せておいて可能になるものではないでしょう」というところが言いたいところで、やはり企業からお金をもらって宣伝するための就活産業では、その中小企業が本当に働きがいのあるいい中小企業なのか、それとも使い捨て型のブラック企業なのかきちんと情報を届けることは難しいのではないか、という点を指摘したつもりです。

そこの情報流通メカニズムがきちんと働くことによって、学生の方も安心して「いい中小企業」を目指すことが可能になるのではないかというような趣旨が、上記短いパラグラフの中に入っていたのだということを念のため追記させていただきたいと思いました。

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どうする?これからの正規と非正規@日弁連

Nichiben 日弁連のHPに宣伝がアップされたようなので、こちらでも広報しておきましょう。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/event/110214.html

>どうする?これからの正規と非正規
~非正規労働者の権利実現とその課題~

>現在、日本では不安定・低賃金労働に陥りがちな非正規労働者が全労働者の3分の1を超えるに至っています。とりわけ若者・女性等の雇用は非正規労働が中心となり、非正規労働により生計を維持する世帯が増加しています。終身雇用・年功序列賃金といった伝統的な日本型雇用は大きな転換点を迎えています。非正規労働者が人間らしく生活し働くことができる権利を実現するためには、有期労働契約規制、最低賃金の引き上げ、均等待遇の実現などが不可欠ですが、これらを実現するためには、正規労働者の「厳しすぎる解雇規制」を緩和すること等が必要であるなどと主張されることもあります。しかしながら、はたして正規労働者の解雇規制等を緩和することで、非正規労働者を含む労働者全体の権利実現を図ることができるのでしょうか。
産業構造の転換と非正規雇用の拡大という現実のもとで、非正規労働者の権利実現のための方策を、正規労働者と非正規労働者の垣根を越えて建設的に議論したいと考え、本シンポジウムを開催いたします。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

2011年2月14日(月) 18:00~20:00(17:30開場)

弁護士会館2階 講堂クレオBC

基調報告

 「非正規労働者の現状と課題-日弁連有期労働契約意見書の紹介-」

非正規労働者の訴え
パネルディスカッション

・西谷 敏 氏(大阪市立大学名誉教授)
・濱口 桂一郎 氏(独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)統括研究員)
・山根木 晴久 氏 (日本労働組合総連合会(連合)非正規労働センター総合局長)

私の役回りは、どちらかというと日弁連の意見書にやや批判的な「悪役」でしょうか(笑)。

いずれにせよ、大変面白そうなイベントですので、是非お誘い合わせの上ご参加下さい。

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『生産性新聞』新年アンケート

毎度恒例の『生産性新聞』新年の「2011年経済・労働情勢に関するアンケート」ですが、今年も「学識者」の末席で回答をしております。

1景気見通し:やや良くなる

2日本の課題:①労働促進的な社会保障制度の確立、②企業を超えた職業能力評価・職業訓練制度の確立、③労使合意に基づく外国人労働政策の確立

3企業・労組の重要課題:①正規・非正規を通じた能力評価・処遇システムの検討、②若年社員への確実な技能伝承、③学校とりわけ大学の教育内容への発言

4春期労使交渉:(1)非正規雇用、(2)多様な雇用形態を通じた公正・公平な処遇のあり方について、賃金処遇、雇用の安定、能力開発機会の各面にわたって、真剣な討議が必要

5次世代リーダーの育成:(1)浅薄な総論だけでなく、各論を踏まえた議論ができる人材、(2)さまざまな分野、さまざまな業種で一人前になった人材を適切に政界に供給するメカニズム(政治業界以外に無知な人々ではなく)

6座右の書:①大転換(カール・ポランニー著)、②マクロ歴史的に経済社会を考える視点を教えられた。現代日本においてこそ読まれるべき。

5のあたりで、若干皮肉を効かせておりますが(笑)。

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解雇規制論の根っこは雇用契約の性格

一々リンクは張りませんが、下記野川先生の解説の他にも、ついった上で解雇規制に関していろいろと議論がされているようです。ここでは、労務屋さんによるコメントだけリンクしておきます。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110118#p2

>本筋に関係ないところで余計なことながらひとつだけ感想を申し上げますと、どうも小倉先生には池田信夫先生との議論を通じて、経済学者とはすべからく池田先生のような発想や言動をとるものだという思い込みがあるのではないかと感じました。

それはともかく、この問題を考える上では、そもそも雇用契約が特定の職務(ジョブ)を遂行することとその具体的な遂行への報酬の支払いとの交換契約であるのか、それとも企業内のいかなる職務をも命じられれば遂行することとそういう状態にあることへの報酬との交換契約であるのかという、契約の根本に立ち帰った議論が不可欠です。

前者であれば、遂行すべき職務が能力不足のため遂行できないことは解雇の正当な理由になりますし、遂行すべき職務が会社の中でもう要らなくなったことも立派な整理解雇の理由です。

ところが後者であれば、たまたま命じられた仕事ができなくても、会社の中に何かできる仕事があればそちらに配転すべき義務があり、その限りで解雇は正当ではなくなってしまいますし、たまたまやっている仕事がなくなっても、会社の中にやる仕事があればそちらに配転して雇用を維持すべき義務が生じます。これは、雇用契約をそういう風に締結した(ことにより企業の内部的柔軟性をフルに活用した)ことのメリットの裏返しです。

どちらにしても、仕事はちゃんとできているし、会社の中で需要はあるのに、社長に逆らったからと言ってクビにするというようなのは正当な解雇にはならないでしょう。

こういう風に、ものごとをきちんと解きほぐして議論しなければならないのですが、ある種の方々が議論に参戦すると、一層もつれる方向に進んでいくように見えて、なかなか大変ですね。

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『日本の労働市場改革 OECDアクティベーション政策レビュー:日本』

82108 明石書店のHPに、わたくしが翻訳したOECDの『日本の労働市場改革  OECDアクティベーション政策レビュー:日本』の広告が出ました。

http://www.akashi.co.jp/book/b82108.html

まだ刊行はされておりませんが、目次と内容説明が載っています。

>二重化が進む日本の労働市場において、就業率を高めるための就労支援政策や社会保障はどのように機能しているのか。日本の給付行政と積極的労働市場政策を概観し、人々の就労と社会参加を高めるための包括的な提言を行う。

序文
 謝辞

要約と勧告
 第1節 背景
 第2節 制度的枠組み
 第3節 職業紹介活動
 第4節 失業給付と関連する給付の役割
 第5節 積極的労働市場プログラム

主な政策勧告の要点

第1章 労働市場環境
 第1節 はじめに
 第2節 人口、移民、教育
 第3節 労働市場の趨勢
 第4節 特定の集団の雇用状況
 第5節 社会政策、人的資源管理及び労使団体の役割
 第6節 労働市場プログラムへの支出のパターン

第2章 制度的構造
 第1節 はじめに
 第2節 労働市場政策の関係者
 第3節 日本の公共職業安定機関の主な特徴
 第4節 組織構造と内部組織
 第5節 組織構造、職員、業務量
 第6節 要点
 付録2A 附属表

第3章 職業紹介とアクティベーション戦略
 第1節 はじめに
 第2節 職業紹介機能
 第3節 アクティベーション戦略
 第4節 定量的趨勢
 第5節 要点

第4章 失業給付と関連する給付
 第1節 はじめに
 第2節 雇用保険
 第3節 公的扶助
 第4節 要点

第5章 積極的労働市場プログラム
 第1節 はじめに
 第2節 積極的労働市場プログラムの歴史と主なカテゴリー別の支出パターン
 第3節 主な対象集団
 第4節 地域レベルの雇用プログラム
 第5節 要点
 付録5A 附属表

 参考文献
 訳者あとがき

早ければ今週末には書店に並ぶかも知れません。

労働市場改革については、本家のOECDの決定版ですから、この問題に関心を持つ方々は必読です。

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本日の野川忍教室

本日も、野川忍先生のついった労働法教室は全開です。

私も登場しているようで・・・。

http://twitter.com/theophil21/status/26808239597289472

>(1)同感です。周知のように日本の法制度は、ドイツなどと異なり「正当な理由がない解雇は違法」というルールを設けてはいません。先進国ならどこでも違法である差別解雇や、期間を定めたにも関わらず期間途中で解雇する場合を規制しているほかは、労契法16条があるだけです。

http://twitter.com/theophil21/status/26808799574626304

>(2)労契法16条は、「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」がない場合は権利の濫用として無効である、と規定していますが、これも「どのような権利でも濫用は許されない」という一般原則を解雇についても及ぼしただけの規定です。ではどこに緩和しなければならない解雇規制があるのか。

http://twitter.com/theophil21/status/26809458592063488

>(3)それは、労契法16条の背景にある判例法理が、「実際には、めったなことで客観的に合理的な理由や社会通念上の相当性は認められない」と思われる厳しい内容であることと、整理解雇についての判例法理が非常に厳しく見えるからです。しかし、これをもって解雇規制が強いというのは誤解。

http://twitter.com/theophil21/status/26810405263245312

>(4)以前もツイートしましたが、裁判所が、実際に訴訟となった解雇の多くにつき、「使用者は権利を濫用しており解雇は無効」と判断してきた中心的な根拠は、「使用者は信頼を不当に裏切るな」という趣旨であって、厳しい判断を生み出した原因の過半は使用者側にあります。

http://twitter.com/theophil21/status/26811002565689344

>(5)つまり、高度成長期に確立した長期雇用慣行を適用されてきた正規労働者は、新入社員のときはどんなに働いて成果を上げても給与は低く、逆に出世して管理職になれば成果よりは地位に応じて高給を保障されるという賃金制度が普及していました。

http://twitter.com/theophil21/status/26811748052897793

>(6)この制度は、定年まで勤めて労働成果と報酬としての賃金の帳尻が合う、という内容ですから、「長期に雇用する」ことが労使双方に了解されていて初めて正当化されます。そこには、「めったなことでは解雇しない」という使用者のメッセージがあり、労働者はそれを信じて粉骨砕身していました。

http://twitter.com/theophil21/status/26812427718893568

>(7)しかも、使用者はこの「雇用保障メッセージ」を条件に、諸外国には見られないほど広汎で絶対的な「人事権」なるものを主張し、恒常的残業、家族を引き裂く遠隔地配転、キャリア形成を切断する職種転換なども「命令」として一方的に可能であるというシステムを構築するのに成功しました。

http://twitter.com/theophil21/status/26813074828697600

>(8)わかりやすく言えば、「雇用は保障するから企業に服従せよ」という使用者側の提示に労働者側も応じていた、というのが実態でした。したがって、それにもかかわらず使用者が「めったなこと」も生じていないのに解雇することは、約束違反になるので、裁判所はこれを「裏切り」と判断してきました

http://twitter.com/theophil21/status/26813617244479488

>(9)この「雇用保障と絶対的人事権」との取引関係は、もちろん、大企業の正規労働者が中心的対象ですが、企業グループ内での子会社や関連企業にも普及して、日本の雇用社会における社会慣行として定着していました。だからこそ、「解雇はめったにできない」という社会ルールも一般化したのです。

http://twitter.com/theophil21/status/26814303956897793

>(10)これに対して、濱口桂一郎先生が強く指摘されているように、中小零細企業では、「解雇の自由」という原則がずっと定着しており、国際的にみてもそれほど日本が異質なわけではありません。 他方で労働者の移動も頻繁であり、雇用保障と絶対的人事権の取引関係は希薄です。

http://twitter.com/theophil21/status/26814990417657857

>(11)これも繰り返しになりますが、「解雇規制緩和」は、以上のような日本の実態に照らせば、企業側が人事権を手放して、人事を労働者との合意のもとに行っていく度合いに応じて実現していくでしょう。実際、外資系企業や最近のベンチャー系企業ではそのような傾向が見られます。

http://twitter.com/theophil21/status/26815633526104064

>(11)以前、同様のツイートをした折には、「経営者は人事権を手放すことなど考えないから、今の状態でよい」という企業人事の方々からのご指摘をいただきました。解雇規制緩和を主張する方々はこのような事情を踏まえたうえで、現実的で実効性のある方向をぜひ明確に示して頂くようお願いします。

http://twitter.com/theophil21/status/26818212821733376

>(続)「お前は解雇規制をどうあるべきだと考えているのだ」という質問に対しては、「雇用社会における契約ルールの普及、それに応じた人事権の縮減、労働組合機能の強化、周到な職業訓練システムの徹底、転職市場の確立を前提として、解雇と辞職は同等に扱われるべき」と回答することになるでしょう

このように懇切丁寧な講義を受けても、分かる気のある人は分かるし、分かる気のない人は分からないわけですけど。

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西谷敏・根本到編『労働契約と法』旬報社

Show_image 旬報社から刊行された西谷敏・根本到編『労働契約と法』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/646

>2008年に施行された労働契約法は、領域としての労働契約法と法律としての労働契約法の間に大きな乖離が存在する……。
法律としての労働契約法に関する基本的な情報を提供すると同時に、領域としての労働契約法上の重要な諸問題に関する意欲的な研究

まえがきによると、

>本書に収められた各論考の大部分は、1~2か月に一度関西で開かれている労働法理論研究会での報告・討論を経て執筆されたもの

です。

実は、来月某日、この研究会に呼ばれて、サンドバッグとしてボコボコになる予定(笑)でもありますので、大変興味深く読んでおります。

とりわけ総論に当たる西谷先生の第1章は、「合意原則」をどう考えるかについて、大変突っ込んだ議論を展開しておられます。

第1章 労働契約法の性格と課題/西谷 敏
第2章 労働契約の基本原則/緒方桂子
第3章 労働契約の成立と当事者/和田 肇
第4章 労働者派遣と労働契約/萬井隆令
第5章 労働契約と使用者の義務/吉田美喜夫
第6章 労働契約による労働条件の決定と変更/根本 到
第7章 就業規則の効力/矢野昌浩
第8章 労働契約と集団的労働条件規制/唐津 博
第9章 人事異動/名古道功
第10章 企業秩序と懲戒/藤内和公
第11章 事業の移転と労働契約/本久洋一
第12章 解雇法理に関する基礎的考察/米津孝司
第13章 有期労働契約/奥田香子
第14章 公務員と労働契約法/城塚健之

これは書いちゃっていいのかな?

実はこれまた来月某日、日弁連主催の「非正規労働者の権利実現を考える」というシンポジウムに、西谷先生と私が、連合の方とともにパネラーとして参加することになっております。楽しみですね(誰にとって?)。

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与謝野馨『民主党が日本経済を破壊する』文春新書

9784166607174 政局でしか物事を見ることの出来ない方々は、この(おそらく文藝春秋編集部がつけたであろうタイトルだけでものごとを考えて)あれこれ論ずるのでしょうが、およそ経済社会政策の中身でもってものごとを考えようと思う人ならば、せめてこの扇情的なタイトルの本の中で、与謝野新経済財政担当大臣が本当のところ何を語ろうとしていたのか、ちゃんと見極めてから語り始めてもいいのではないでしょうか。

下のエントリで、山口二郎さんが紹介している「私との会談の中で首相は、神野直彦、宮本太郎両氏が進めている福祉国家再建の路線は共有していると強調していた。」という事実と照らし合わせて浮かび上がってくる、ある明確な経済社会政策の方向性が、そこには書かれています。政局に盲いた人々の目には映らない方向性が。

>・・・もう一人挙げれば、政治学者で北海道大学教授の宮本太郎さん。これは後から聞いた話になるのだが、やはり委員で入ってもらった連合会長の高木剛さんなどは「なぜ与謝野さんは宮本さんを知っていたのか」と不思議がっていたらしい。連合が雇用や社会保障の問題に取り組む上で、大変頼りにしてきた学者さんだという。

>・・・「目からウロコが落ちる」という言葉があるが、戦後日本の働く世代の安心感や社会保障は、民間企業が提供してきた終身雇用制度がその根幹を担ってきたのだ、という事実を、私は『福祉政治』を熟読して始めて認識した。

>・・・そうであれば、高齢者円形に傾斜してきた社会保障制度を、働く世代の支援、雇用のあり方と結びつけて、もう一度組み立て直してみる必要がある。こうした宮本氏の議論は私が思案していた「安心社会」とぴたりと一致するように感じられた。それで、是非委員に起用しようと思い立ったのである。

まさにこういう政策の方向性において「ぴたりと一致する」からこそ、政局主義者の目には異様に映るような閣僚人事が行われたのだ、と、素直に考えることがそもそも出来ない人々が、まさに定義上「政局主義者」なんでしょうけど。

さらにその先を読んでいくと、安心社会実現会議の報告書について

>報告書をよく読めば気がついていただけると思うのだが、これは明確な路線転換の書だったのである。

と述べています。

大変皮肉なことですが、同じ自民党政権の中で、ネオリベラルな構造改革路線から福祉国家をめざす路線への転換があり、それが政権交代で再び「事業仕分け」に熱狂するある意味でネオリベラル感覚全開の時代に逆戻りし、そして今ようやく再び、かつて与謝野さんが目指そうとした福祉国家再建の政策に再転換しようとしている、と、評することも出来るのかも知れません。もちろん、政治評論的には「お前が言うかお前が」のネタがてんこ盛りなのでしょうが、とりあえずそれらを全部抜きにして政策論のみでざっくり言うならば、そういうことになるのでしょう。

上に続けて、与謝野さんはこう語っています。

>自民党は正式名称は言うまでもなく「自由民主党」という立派な名前だが、税制と社会保障制度に限っては、戦後長く、実はきわめて欧州型社民主義に近い路線を歩んできたと私は認識している。福祉社会を創ろうと最初に提唱したのはかつての民社党だが、国民政党を名乗り、融通無碍が特質の一つである自民党がそういうものを吸収しながら政権を維持してきた。

>会議立ち上げの旗を振り、社会保障、雇用から日本の社会のあり方についてまで踏み込んで議論を進めた担当大臣として私の責任は重いと自覚している。党派を超えて具体化を進めよという有識者の皆さんのご提言である。今後どのような立場に置かれようとも、政治の場でこの報告書に超党派で息吹を吹き込んでいかなければならないと心に誓っている。

この高邁な志と、政局主義者たちの卑小な論評の対比が、現在の日本の政治状況を、何よりも見事に物語っていると言えるのでしょう。

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福祉国家再建の路線は共有@菅首相

山口二郎さんが、昨年末に菅直人首相に会って、2時間ほど話してきたそうです。

http://www.yamaguchijiro.com/?eid=896

>年末の1226日、菅首相に招かれて首相公邸に行き、日曜日ということもあって2時間ほど話をした。最近の民主党政権の体たらくについて、政権交代を主張してきた私などリフォーム詐欺の片棒を担いだようなものだと公言したことが首相の耳にも入り、今後の政権建て直しについて話をしたいということだった。

>首相は、政権交代以後の様々な失敗を総括した上で、これからは外部の識者の意見なども聞きながら、能動的に政権運営を進めたいと述べた。政治家が自ら政党政治の信用を壊していくような低劣な言動ばかりが目立った臨時国会とは違って、正面から政策論争を展開したいという意思は明確であった。

では、具体的にどういう方向への政策論争を展開しようというのでしょうか。山口さんによれば、

>私との会談の中で首相は、神野直彦、宮本太郎両氏が進めている福祉国家再建の路線は共有していると強調していた。経済界にゴマをすっているわけではないと言いたかったのだろう。

これに対して山口さんは

>ならば、「生活第一」という旗印を降ろすべきではない。この点で小沢氏と対立するのではなく、生活第一の実現に真に責任を持つという原則から、税制や社会保障についての体系的なビジョンを打ち出すことこそ、政策面での民主党の結束を作り出す唯一の道である。

と述べ、

>政府民主党が政策実現を掲げ、自民党が政局を追求するという形でチキンゲームを演じるしかない。・・・政策対政局という対決構図ができた時、建前に縛られるメディアは政策の実現を支持するであろう。最終局面においてメディアは、国民生活を犠牲に党略を追求するという批判を野党に投げかけるのではないか

と若干都合よく話を進めていますが、まあ、まさに数年前は「政府自民党が政策実現を掲げ、民主党が政局を追求」していたわけで、その時に政局追求の民主党を力の限り応援していた政局至上主義者の政治部記者たちや、とりわけある種の政治学者や政治評論家諸氏がそう都合よく政策主義者に身を翻してくれるかどうか、いささか疑問もありますけどね。

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花嫁修業の職業的レリバンス2

金子良事さんのつぶやきから、

http://twitter.com/ryojikaneko/status/26452522264694784

>仙波さんの本で面白いのは、裁縫やら何やらの教育はいざとなったら女一人で生計を立てていくための手段なんだという指摘。ものすごい重要。結構、年上の男性に嫁ぐことが多かった昔の女性にとって、離婚せずとも若くして配偶者を失うリスクは高かったと考えれば、当然の自衛策

http://twitter.com/ryojikaneko/status/26452980026834944

>あ、他にも労災などで配偶者が仕事が出来なくなるなんてこともあっただろう。何せ、職工(職人)は指一本ないくらいが一人前などと、まことしやかに言われた時代であったのだから

http://twitter.com/ryojikaneko/status/26456949339987969

>そうなんですよ。多分、昔は習い事も再生産されてたんでしょうが、今はレジャーですね

本来は職業的レリバンス溢れる実業教育であったものが、職業的レリバンスのないことが魅力になる「官能性」に変貌していくこのメカニズム。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

>歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

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新井紀子『コンピュータが仕事を奪う』日経新聞出版

316703 日経新聞出版社から新井紀子さんの『コンピュータが仕事を奪う』をお送りいただきました。ありがとうございます。

この本、amazonのカテゴリー別ベストセラーでみると、現時点(1月15日午後7時過ぎ)でなんと労働分野で2位につけているんですね。

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/505398/ref=pd_ts_b_ldr_505398

新井紀子さんは、著者紹介によると、一橋大学法学部卒業、イリノイ大学大学院数学科修了、理学博士、という、文理を横断する素晴らしい方のようです。数学者としての観点から、上の写真のオビの文句にあるように「ホワイトカラーの半数が消える」という予言をしています。

>あなたが今日している仕事は、明日になればコンピューターに取って代わられる仕事かもしれない。社会はどう変わるのか、私たちはどうすればよいのか――。数学と情報学の視点から、誰も指摘しなかった未来を読み解く。

中身は

はじめに--消えていく人間の仕事
第1章 コンピュータに仕事をさせるには
第2章 人間に追いつくコンピュータ
第3章 数学が文明を築いた
第4章 数学で読み解く未来
第5章 私たちは何を学ぶべきか
おわりに--計算とともに生きる

ですが、本文の最後のこの一節は、著者の意図がどこにあるかは別にして、現在の社会について真摯に考えるときに必要な心の持ち方を示しているように感じられました。

>医者も教育者も研究者も、商品開発者も記者も編集者も、公務員もセールスマンも、耳を澄ます。耳を澄まして、じっと見る。そして、起こっていることの意味を考える。それ以外に、結局のところ、コンピュータに勝つ方法はないのです

あらかじめ装備されたなんとか理論とかいう枠組みにデータを無理に当てはめて、もっともらしい結論らしきものをひねり出して業績と称するなどと言う、コンピュータでも出来るような「知的」作業ではなく、事実そのものの中からそこで何が起こっているのかを見いだすことこそが、人間に残された真に「知的」な作業であるはずだと思います。

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『現代の理論』特集記事から

82099 さて、『現代の理論』新春号の特集「若者の貧困・未来は拓けるか」から、いくつか興味深い記事を紹介しましょう。

まず、毎度おなじみ(笑)の小林良暢さんですが、「若者無業と新卒採用システムの転換」が、現状を次のように分析しています。なかなかここまで書いたものはないので、ちょっと長いですが引用します。

>昨年の就職戦線がほぼ終えた2010年6月の時点での旧七帝大の内定率は理系・文系を問わず90%半ばであった。その気になりさえすれば内定がとれる状態だ。大学卒の就職戦線は、この内定率ほぼ100%の東大、京大を頂点として、以下、早稲田、慶応、上智の私学のトップクラスがほぼ90%前後と言われ、早・慶・上智の受験生が滑り止めにする「MARCH」と呼ばれる明治・青山学院・立教・中央・法政といったクラスが85%前後と、このあたりがおおよその相場のようだ。

さらに、日東駒専クラスになると内定率は75%、大東亜帝国クラスでは60%程度、さらに関東上流江戸桜と呼ばれる大学群になるとさらに下回る。関西でも、関関同立は80%台だが、産近甲龍クラスになると60%前後あたりのようだ。大学の就職戦線は、大学受験の「偏差値格差」がそのまま「就職格差」になるという、何ともわかりやすい階層構造になっている。これらの未内定者がすべて未就職者になるわけではなく、卒業時には地元の中小企業に就職したり、派遣やコンビニ、飲食業のバイトに就いていくのである。・・・

>このように就職戦線における「就職格差」とは、即「大学格差」、もっといえば大学受験時の「偏差値格差」そのものである。なぜこういうことになるかというと、企業は大学の教育成果などに鼻から期待しておらず、偏差値「素材」としての学生を買っているだけで、必要な教育は入社してから会社でやればいいと考えているからである。だから「良好な雇用機会」の場である一部上場企業の新卒採用枠は、文系でいえば東大・一橋を頂点に早慶上智「MARCH」「日東駒専」という偏差値の序列に従ってシェアされ、それからはずれた大学からの「就活」は苦戦を強いられ、よほどのコネでもないと排除されるという階層構造が出来ているのである。・・・

こういった認識から、小林さんは最近の提言や政府の施策を批判し、最後のところで次のように政策の方向性を示しています。

>企業は、新規学卒を大量にとって抱え込むという高度成長期の企業体力はなくなって「厳選採用」に舵を切っているのは、それが長期の雇用保障という大きなリスクを伴うことになるからで、それさえなければ若い人材を採用したいことに変わりはない。そうであるとすれば、新卒はまず契約社員で採用するとか、派遣社員で受け入れるなりして、そこから数年かけて「厳選」するのであれば、企業は採用に踏み切るだろう。

それには、正社員と非正規社員しかいない企業の現在の雇用制度を、契約社員、地域・職域限定社員、常用型派遣社員など中間的な雇用形態を新設することである。・・・

>これには当然正社員と中間社員、あるいは正規と非正規との「均等待遇」の実現が前提条件であることはいうまでもない。その具体的な方策が同時に求められている。そうすることで、学生から就業への「入口」の柔軟なアプローチが可能となり、後は「出口」の柔軟化も中間的雇用形態を活用してスムースに誘導する施策を整備することが可能となる。

わたしは「中間的」という形容詞を使うことには批判的なのですが、中身はおおむね小林さんと似た見解です。

吉田美穂さんの「労働法教育-若者の社会への移行支援」からは、心を衝かれるエピソードを紹介しましょう。

>勤務校ではアルバイトは届け出制で、アルバイトは生徒の日常の一部である。・・・携帯代はもちろん、定期や昼食代など学生生活に必要な費用をアルバイト代から出すように求める保護者も少なくない。

>現在の勤務校に着任した当初、私は生徒にとってのアルバイトの重みを理解できていなかった。教えてくれたのは生徒である。自宅近くのコンビニで、ある生徒とよく会うようになり、学校でも「バイト頑張ってる?」等と話すようになった。しかし、コンビニの競争は激しく、その店は開店から数ヶ月後のある日、閉店になった。次に学校で会ったとき、私は会話につきものの笑顔で言った。「コンビニなくなっちゃったね!」その時の生徒のこわばった顔は忘れない。「先生、笑いながら言わないで」。3年生のその生徒は就職が決まっておらず、卒業後にまで深刻なダメージを与える出来事だったのだ。・・・その後担任として生徒の生活をより深く知るようになると、平日は放課後4時くらいから10時まで、土曜日曜は朝から晩まで正社員並みの仕事を任されてガソリンスタンドで働く生徒や、ファーストフード店での早朝勤務と午後から夜までの勤務をこなして、失業した母親に代わって母子家庭の家計を担う生徒などに出合っていくことになる。

>アルバイトを始める高校生には、大人が思う以上に「お金をもらう以上、ちゃんと働かなきゃ」という意識が内面化されている。・・・「学校には遅刻してもバイトには遅刻しない」という言葉もよく聞く。「シフトに穴が空いちゃったから」と店のことを考え、一生懸命シフトを埋めることに協力する生徒もいる。時には早退してまで。・・・が、アルバイトに多くの時間を割くために、学校への遅刻・欠席が増える例も多い。

>そして彼らが就職する際には、アルバイトでの貢献や意欲はまったく評価されることはなく、学校生活への取り組みが調査書に記載されていく・・・。

上西充子さんの「大学教育と職業キャリアとの接続」から、最近の「中小企業へ行かないのは・・・」に関わる一節を。

>現在、就職状況が厳しい中で、比較的求人が多い中小企業に学生の目が向かないことが問題視されているが、中小企業の特定分野での競争力の高さや産業を下支えする力などに魅力を感じるためには、消費者目線で大企業にあこがれを抱く段階を超えて、より経済・社会の仕組みに関する理解が及んでいないと無理である。しかしキャリア教育の中で、経済・社会の動きを理解する力、それぞれの業界を詳しく理解する力、就職支援業者から与えられる情報だけでなく新聞やビジネス誌や専門誌などから得られる情報を読み解く力などを養っているかというと、そこにはなかなかキャリア教育の力点は置かれていない。また働く現実の中で遭遇するトラブルに対処するために必要な労働法制度に関する知識・理解も、促進されているとは言い難い。・・・

特集以外の記事も紹介しておきましょう。

といっても、昨日の改造で法相になった江田五月氏とか、早野・橘川対談のような政局に関わるのものはスルーして、矢代俊三さんの「どこまで行くのか知性の劣化」から、より本質的な部分をいくつか。

>・・・メディアはどうか。これまた同じ。領土問題にせよ、「自衛隊暴力装置」発言にせよ、領土問題は存在するし、官房長官発言としては褒められてものではないが、「暴力装置」、そんなのは常識ではないのか、左翼用語でもない。なぜ正面から論じる記事が出ないのか。出せないのか。・・・

>より深刻なのは、一線の部長やデスク、記者連中に教養のなさ、知性の劣化が進行しているのでは。論じるべき中身が分からず、上の方針を跳ね返す知力のレベルがどんどん低下していることを危惧する。

そして、やはりこの問題を

>最後にどうしてもひと言。読者の皆さんは、国の未払い賃金の立て替え払い制度をご存じだろうか。ほとんど知られていないが、労働者にとってはきわめて重要なセーフティネット。これは先の事業仕分けで原則廃止になった。・・・

>事業仕分けをやった連中は内容や現実を知らなかったようだ。これは劣化ではなくお粗末のひと言。それにしてもひどい話である。

労働法教育が必要なのは、高校生や大学生だけではなく、まずなによりも政治家やマスコミの連中なのかも知れませんね。

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花嫁修業の職業的レリバンス

金子良事さんの大変面白いつぶやき

http://twitter.com/ryojikaneko/status/25714205898317824

>昨日、仙波千枝さんという方の『良妻賢母の世界』を買ってきた。この本は雑誌の投稿記事なども利用し、明治時代の女性像を描こうとする意欲作。書誌的に篤学な姿勢も好感が持てる。かつて家政学が家政学であった頃、専業主婦は永久就職という文字通りの意味で、専門職であり、職業であったと言えよう。

http://twitter.com/ryojikaneko/status/25715994940932097

>戦後、短大で文学を勉強するなどが花嫁修業のように見做されたこともあったが、戦前であれば、そんなものは認められなかっただろう。元々の良妻賢母教育は徹底した実学であり、そういう意味では職業的レリバンスにあふれていたのである。

http://twitter.com/ryojikaneko/status/25716758740475905

>こういうようなことを見逃して、家庭と職業(ないし社会参加)、などの二(三)分法で近代女性史を見るのは、あんまり意味がないのではないか、と個人的には思う。かつての花嫁修業は結婚前の女性を遊ばせることでは決してなかったのである。

ということは、かつての家庭内労働力としての性能向上のための職業訓練としての花嫁修業が、戦後「人間力」「官能性」を高めるためのよく分からない何かに「進化」していったということなのでしょうね。

いろんなことがここから導けそうな気がしますが、とりあえずご紹介にとどめます。

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日本全土で「ディーセント・ワーク」を叫ぶ @『情報労連REPORT』

1101report 昨日紹介した『情報労連REPORT』1/2月号が情報労連のサイトにアップされました。

http://www.joho.or.jp/report/report/index2011.html#m01

まず何よりも、特集記事を読みましょう。

http://www.joho.or.jp/report/report/2011/1101report/p10-20.pdf

Decentwork

ブラックの4ケースは、

>ケース1 某建築設計事務所 「顔も見たくないからやめてくれ」 ストーカー社長の恐怖

>ケース2 某営業代行会社 「社長になれる」 甘い言葉で使い捨て

>ケース3 某制作会社 まぎれもないブラック企業 社員が次々と入れ替わる

>ケース4 某通信建設企業 “ブラック経営者”に労組で対抗 未払い賃金の一部を確保

POSSEの今野晴貴さんのインタビューは、冒頭こう語っています。

> 「ブラック企業」の特徴をごく簡単に整理すると、いわゆる日本的な雇用慣行を無視する企業である、ということができるだろう。
 ブラック企業というとパワハラや長時間労働などの過酷な労働環境がただちに想起される。許されるものではないが、キツい仕事はこれまでもなかったわけではない。ブラック企業が問題視されることの本質は、雇用に対する責任感がまるでないところにある。
 日本の企業で社員ががんばれたのは、終身雇用を前提としていたからに他ならない。ところが、ブラック企業ではキツい仕事を強いられた挙句に、簡単に解雇されてしまう。
 ブラック企業が圧倒的に多いのは、新興産業であるIT業界だ。POSSEにくる相談を聞いていると、特に独立系企業の経営者は、無責任に人を使い捨てる傾向が強いとわかる。雇用した責任として、長期の就業を保障するという考えは、彼らにはない。

正確に言えば、日本型雇用慣行を前提にして初めて社会的に正当化されるような働かせ方をしていながら、その前提となるべき雇用保障がかけらもないのがブラック企業ですね。日本型雇用慣行を無視していても、働かせ方がそれに相応しているのであれば、社会的交換として釣り合いが取れているので別にブラックではないわけです。

本田由紀さんのインタビューは、最後のところで「ジョブ型正社員」が出てきます。

>そうやって仕事の中身をはっきりさせていくことで、ジョブの輪郭があって、一定のメンバーシップを兼ね備えた「ジョブ型正社員」が生まれてくる。
 「ジョブ型正社員」については各方面から導入に前向きな提言がなされている。働く側の主張として、日本の硬直的な正規・非正規の分断にまたがる、もう一つの働き方として、「ジョブ型正社員」のような、専門性に即して安心して働くことができる仕組みを展開していくべきだ。

湯浅誠さんのインタビューは、先日のBSフジの番組でパネルに書いておられた「ワーク・ライフ・ウェルフェアバランス」ですが、公共サービスの必要性を説いているところも重要です。

>福祉の充実を図ろうとすると、「お金がない」という話が必ず出てくる。だから「新しい公共」と言われるように公的な部分を市民活動で補っていこうと言う人もいるが、私は核になる部分にはある程度の公的な支えがどうしても必要だと思う。
 しかし、日本の現状はといえば、「小さすぎる政府」。世界最高の高齢社会で、もっとも小さな社会保障しか持っていない。
 にもかかわらず、この十数年間のメディアや社会の論調は、公的な部分を拡充しても天下りや公務員を甘やかすだけで何もいいことがないというもの。しかし、いくら行政を市民のために変えなければいけないとは言っても、最低限度の規模を確保しなければ、市民のためのサービスを提供することはできない。
 例えば、ハローワークの職員が就業者400人に1人配置されているイギリスに対して、日本は6000人に1人。この状態で「丁寧なサービスができていない。公務員はふざけている」といくら怒ってみても、対応できるわけがない。それなのに、最低限の人的規模を確保するという話は新聞やメディアには掲載されない。こうした状況を変えないといけない。そうでないと、最終的に困るのは私たちだ。

最後は情報労連の林さん。

>中小企業では、労働法が守られていない職場が数多く存在している。残念ながら法律があるからといって必ずしもそれが守られているとは限らないのが現状だ。
 とは言っても、労働基準監督官を大幅に増員し取り締まりを強化することによって問題を解決しようとするのも現実的ではない。というのも、労働の現場にはさまざまな形があるからだ。だから最低限度のルールを守った上で、現場にあった形の労使のルールをつくることの方がディーセント・ワーク実現のためには有効だ。そして、その役割を果たすことができるのは労働組合しかない。

「労使関係の味方」の一翼としては、まったく同感ではあるのですが、労働組合の組織化を待っているだけでいいのか?という問題もあるわけです。

ここは拙著第4章に関わる問題でもありますね。

ちなみに私の「hamachanの労働メディア一刀両断」は、大前研一氏を批判しています。ついでにどうぞ。

http://www.joho.or.jp/report/report/2011/1101report/p30.pdf

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若者の貧困・未来は拓けるか@『現代の理論』

82099 まだHPにアップされていませんが、ようやくHPにアップされたようですが、明石書店発行の雑誌『現代の理論』新春号が、「若者の貧困・未来は拓けるか」という特集を組んでいます。私も一枚噛んでいますので、書店で見かけたら手にとって下さい。

特集の面子は以下の通りです。

若者の未来を拓くために  玄田有史

戦後史における若者の貧困  橋本健二

若者雇用と人材養成の戦後史  濱口桂一郎

単身急増社会と若者  藤森克彦

若者無業と新卒採用システムの転換  小林良暢

若者座談会 さぁ、私たちの物語をはじめよう

労働法教育-若者の社会への移行支援  吉田美穂

大学教育と職業キャリアとの接続  上西充子

非正規労働の本質はどこにあるか  中島ゆり

営利を追う経営者と「子供化」する学生  吉田和明

何も持っていないから、何でもできる  木村拓人

いずれも一読の価値のある記事ですので、是非お読みいただきたいと思います。特に、毎度おなじみの人(笑)よりも、たとえば高校現場で労働法教育の実践に頑張っている吉田美穂さんの文章は必読です。

それ以外で言えば、矢代俊三さんの「どこへいくのか知性の劣化」が必読。特に最後の一節は、政権の皆様方には熟読玩味していただきたいところです。

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日本全土で「ディーセントワーク」を叫ぶ!

本日届いた『情報労連REPORT』1・2月号ですが、私のいつもの連載は大前研一氏を批判しているんですけど、それよりも特集「日本全土で「ディーセントワーク」を叫ぶ!」の方が大事ですね。

残念ながら、まだ情報労連のサイトにアップされておらず、中身のコピペができません。手打ちしてもいいのですけど、そのすぐ後にアップされるとつらいので、とりあえず目次的に紹介だけ。

特集記事の第1は「日本にはびこる「ブラック企業」ドキュメント先進国・日本の悲惨な実態」で、4つのケースが載っています。

そしてPOSSEの今野晴貴さんの「ブラック企業がのさばる背景には労組の機能不全がある 争って存在を示すことも必要だ」というインタビュー記事。

次は本田由紀さんの「職に就くことができない!就職氷河期をジョブの明確化で乗り越える」という文章。

さらに「ディーセントワークに隔てはない!」として、障害者、外国人についての小記事。

そして、湯浅誠さんの「ワークとライフに”福祉”をプラス 全員参加型社会をつくり出そう」というインタビュー記事。

最後に情報労連の林克之さんの「職場からディーセントワークを創り出すのは労働組合だ」で締めています。

というとなんだか情報労連が前面に出ていないようですが、いや実は特集記事の前に、「新春スペシャル対談」として、参議院議員の石橋みちひろさん、ILO駐日代表の長谷川真一さん、情報労連委員長の加藤友康さんの鼎談が載っています。

サイトにアップされたらまた。

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中小企業労働問題はどこへ行った?

若者の就職難に関わって、「中小企業にはいっぱい求人があるのに」という指摘が結構あります。

これは、求人量で言えばまったくその通りです。しかし、現に存在する中小企業の求人に応募しないことがマクロ経済的に不合理であるとしても、労働者(未満の学生)にとってもミクロ的に不合理であるかと言えば、もちろん必ずしもそうとは言えません。誰もが知っているように、中小企業になればなるほど賃金は低く、労働条件は悪く、雇用は不安定で、経営者の恣意に晒される危険性が高くなります。

もちろん、現実の中小企業にはさまざまな企業がありますが、不完全な情報をもつ市場のプレイヤーが「統計的差別」に走りがちであることは、労使いずれの側についてもおかしなことではありません。重要なことは、学生が「統計的差別」に陥ることなくより完全情報に近い状態で選択しうるような労働市場メカニズムの確立であり、それは商業主義的な就活産業などに任せておいて可能になるものではないでしょう。

ここではしかし、その前の段階として、なぜ「中小企業にはいっぱい求人があるのに」という言説が、あまり自己反省の感覚もなしに語られるのかといういささか知識社会学的な問題について触れておきます。

実は、高度成長以前の労働研究界においては、ただ「二重構造」といえば、本工と臨時工の差別以上に、大企業と中小企業の格差を指すことが一般的でした。あるいは、先日本ブログでも紹介した氏原正治郎氏のように、臨時工と中小企業労働者は連続的な存在であり、区別しがたいという認識も一般的でした。

非正規が主婦パート化するとともに、雇用形態の二重構造の言説が労働研究から姿を薄れさせていったのと揆を一にして、かつては華やかな議論の焦点であった規模間格差問題が、高度成長終了後にはあまり論じられなくなっていきます。企業内でも企業間でも、「二重構造」は流行らないテーマになってしまったのです。

確かに、高度成長期に人手不足によって規模間格差は縮小傾向にありました。しかし、経済原則からして、不況期になれば規模間格差は拡大していきます。にもかかわらず、規模間格差問題が忘れられていったのは、「そんなものは問題ではない」という認識が一般化したためでしょう。その一つが、中村秀一郎氏を始めとする「元気のいい」「ベンチャー礼賛型」中小企業論の流行であったことは間違いありません。

それと同時に、特に労働研究においては、小池和男氏の知的熟練論の影響で、年功賃金が生活給としてではなく、熟練に対応した賃金体系であると考えられるようになったことが大きいように思われます。もし中小企業の賃金が低いとしても、それは熟練が低いからであって、問題にするに値しないわけです。

しかし、アカデミズムの世界では規模間格差問題が論ずるに足りないものになったとしても、普通の国民の民俗知識においては、「中小企業に入ったら損するよ」という口承伝説は着実に伝承されていきました。それは、学者先生の言葉を真に受けて下手な中小企業に入って苦労した人々の姿が現実に存在する限り、抹殺することはできません。

なまじアカデミズムから「中小企業労働問題」が消えてしまったために、フォークロアとしての「中小企業労働問題」が政策的に掬い取られることのないまま、労働市場のミスマッチを招いている、という反省が、本当は求められるところではないでしょうか。

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OECD『日本の労働市場改革』明石書店の表紙

Oecd

先日ご紹介したOECDの『Activation Policies in Japan』が、もうすぐ明石書店から翻訳出版されます。邦題は『日本の労働市場改革』ということになりました。

これはその表紙のイメージです。去年の『日本の若者と雇用』とまったく同じデザインですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/oecd-7b79.html(OECD『日本のアクティベーション政策』)

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カミオーカーさんの拙著再評

以前に拙著を丁寧に批評していただいたカミオーカーさんが、「2010年 読んでおいてよかった本のまとめ」として、拙著を含むいくつかの本を挙げておられます。

http://akitadefreelancer.blog35.fc2.com/blog-entry-177.html

挙げられているのは、本田由紀さんの『教育の職業的意義』、佐藤学さんの『「学び」から逃走する子どもたち』『学力を問い直す』、わたくしの『新しい労働社会』、大山典宏さんの『生活保護VSワーキングプア』、おまけとして芦田宏直さんと本間正人さんの対談映像の「キャリア教育を考える」です。

このうち、拙著への批評は以下の通りでした。

>この本も何度か当ブログで紹介している。
非常にロジカルで、印象論や自己責任論、一部の具体例を全体に適用する乱暴さとは無縁だ。
特に僕が何度も読んだのが、「メンバーシップ型」と呼ばれる"日本型雇用"を原点に、
日本の特徴的な雇用システムが形成されていることの説明がなされている部分。

年功序列に対する批判は尽きないが、それがどのような経緯で形成されたのか、
なぜ今問題となっているのか、ということを考える上で非常に参考になった。
この本の内容が僕の雇用問題を理解する上でのベースになっている。

また、面白いのが、この本で使われている「メンバーシップ型雇用」という言葉を、
先述の「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ」でも引用されていることだ。
また、後述するが、芦田先生もこの言葉を用いている。

労働市場が「メンバーシップ型雇用」を前提にしているゆえに、
日本の受験システムが生まれ、偏差値主義が大手を振った。

日本型雇用は、日本型教育システムとパラレルに形成されてきたのだ。

そこがつながってくると、日本の教育を見る目も変わってくる。
就活も、その問題は根深く、氷河期といわれる現在でさえ保護されたシステムであることも見えてくる。

極端な見方でなく、事実関係として、また論理的に
現在の日本の雇用システムを考えたい方、おすすめです。

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労供研

本日、都内某所で某研究会。

いや、もすこしはっきり、労働者供給事業に関する研究会。

いままであまり正面から議論されたことのない領域について、いささか突飛な議論を展開。

とりあえず今日のところはこれまで。

(追記)

それにしても、國學院大學って、若木タワーという超高層ビルディングの真ん前に神社が鎮座ましまして居るんですね。もちろん、当たり前ではありますが。

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なるほど

http://twitter.com/yoheitsunemi/status/22573752130732032

>某大御所論客との対談終了。うん、非常に刺激的な2時間半だった。あっという間。ここだけの話もいっぱいだったな。掲載をお楽しみにー。

http://twitter.com/hahaguma/status/22610592342745089

>某とても元気な方と対談。お話が面白く、かなり意気投合してしまって、あまり対立にならなかった。

http://twitter.com/magazine_posse/status/22870480063037440

>昨日、POSSE次号に掲載するため、とある対談をやりました。両者とも既についーとしてるので勘のいい人は気づいてるかも。それ、掲載するのうちですんでよろしく。

なるほど。

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有期労働契約法制の行方

001 労働法令協会から発行されている『労働法令通信』の1月8/18日号の新春特集として、「有期労働契約法制の行方」という巻頭論文を書きました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roudouhourei1101.html

1 有期労働契約の歴史
2 有期労働契約法政策の推移
3 有期労働契約研究会報告書の概要
4 EU有期労働指令とEU各国の法規制
5 有期労働契約法制の行方

という内容ですが、このうち最後の節では、拙著のまえがきではありませんが「過度に保守的にならず、過度に急進的にならず、現実的で漸進的な改革」の一つの方向性を打ち出しているつもりです。

>労働政策審議会における議論はまだ始まったばかりであり、その行方を予測することは難しい。ここではむしろ、以上の歴史的経緯やEU諸国の法規制などを踏まえながら、筆者なりの方向性を提示してみたい。
 まず、日本でもEUでも最大の論点である反復更新をめぐる入口から出口に至る規制の是非について考えよう。入口規制の根拠としてよく挙げられるのは、労働契約は無期が原則であり、有期契約は一時的な労働需要に応ずるものに限るべきとの考え方である。しかしながら、上記ドイツやスウェーデンの例を見ると、とりわけ無業・失業状態から安定雇用にステップアップする一段階として有期契約を活用するという観点からの入口規制の規制緩和を行っている。また、フランスの場合も有期契約の締結事由を法律上に制限列挙しているが、失業対策や教育訓練のための有期契約を認めており、これらは事実上出口規制にシフトしていると見ることができよう。
 さらにより根本的な問題であるが、そもそも雇用契約は二者間の諾成契約であり、公的機関への登録等は何ら要しないのであるから、入口規制といえども入口そのもので公的な介入を行うことは実は不可能であるという点を考える必要がある。入口規制を行っているフランスでも、その入口における客観的な理由の欠如を争うのは出口に達したときである。つまり雇止めされて初めて、当該雇用契約が本来有期たりえず無期であったと訴え出ることになる。これらを考え合わせると、欧州労使が妥結した基準であるEU指令が入口規制ではなく出口規制を選択したことの意味を重視する必要があるように思われる。
 次に出口規制をするにしても、その法的効果をどうするかという問題がある。EU各国では、一定期間ないし一定回数更新された場合、有期契約が無期契約に転化するという法的構成をとる国がほとんどである。しかしながら、これをそのまま日本に導入することには大きな問題がある。それは、EU各国はいずれも解雇に正当な理由を要求するという意味において何らかの解雇規制を設けているが、正当な理由なき解雇に対しては金銭補償を認めている国が大部分だからである。ドイツやスウェーデンなどでは、原則は原職復帰と規定しつつも、使用者がそれを拒んだ場合には金銭補償で決着させることとしている。このような諸国では、有期契約が無期契約に転化しても、その転化した無期契約の違法な解雇に対して、初めからの無期契約労働者と同じ金銭補償をすればよいということに過ぎない。
 これに対して日本では、少なくとも判例法理上は違法な解雇の解決は原職復帰のみであり、金銭補償が認められていないので、単純に無期契約に転化させることに難点が生じる。もっとも、労働審判や労働局のあっせん等実際の解雇事案の大部分は金銭補償で解決している実態にあり、むしろ解雇への障壁は欧州諸国よりも低い面すらあるが、建前としての判例法理を前提とする限り、金銭補償の必要もなく雇止めできる状態から一気に金銭補償も不可能な固定状態に移行することには抵抗が大きいであろう。そこで、将来的には無期契約労働者の不当解雇への金銭補償制度の導入を考慮しつつ、当面は有期契約労働者の一定の反復更新の法的効果として、正当な理由なき雇止めに対する金銭補償制度を導入することが適当と考えられる。
 この観点からすると、報告書で述べられている雇止め法理の法制化には消極的にならざるを得ない。そもそも解雇権濫用法理の類推適用という法的処理自体、例外のそのまた例外というきわめてアクロバティックなものであり、法律上にルール化することはきわめて困難であるはずである。
 もう一つの大きな論点である均等・均衡待遇については、報告書のいうパート法方式はそもそも矛盾を孕んでいる。なぜなら、パート法でいう均等待遇の対象者は前提として無期契約か実質無期の労働者に限られているからである。パートタイムであっても有期契約もあれば無期契約もある以上、このような形の概念区分によって均等待遇を均衡待遇と区別することには意味があるといえるが、有期契約のうち無期契約か実質無期だけを取り出すというような概念操作には、もはやほとんど意味があるとは思われない。ここは、まったく別の均等・均衡概念によって対処するしか道はないように思われる。
 EUの有期労働指令は無期契約労働者との均等待遇を義務づけるとともに、具体的な処理方法として「期間比例原則」が規定され、勤続期間に比例した取り扱いを求めている。処遇がなお年功的な面の多い現在の日本では、当面この期間比例原則を活用することで、反復更新による勤続期間の延長に比例した処遇を図っていくことが考えられるのではなかろうか。
 最後に正社員への転換に関して提起されている勤務地や職種限定の正社員を設けることは、より広く日本の雇用システム全体を多様な選択を可能なものにしていくという観点からも、積極的に検討されるべきであると思われる。

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日本型雇用システムへの一次元的評価

平家さんが、「日本的雇用慣行」というエントリを書かれています。が、問題点の所在についての理解がよく分からないところがあります。

http://takamasa.at.webry.info/201012/article_10.html

>日本の失業率の上昇の原因は先進国と共通でしょう。日本的雇用慣行だから失業率が高くなったのではありません。日本的雇用慣行を変えることによって、失業率が低くなるとは思えません。

まさか、一部の一知半解の人々のように、日本型雇用システムが失業の原因だなんてことを、まともに論じている人がいるとお考えなのでしょうか。

もし、失業率「だけ」が労働市場における問題であるのなら、答えは実にもって簡単です。

そうではないからこそ、労働市場の諸システムはそのメリットとデメリットがお互いにトレードオフの関係にあり、あちらを立てればこちらが立ちにくく、こちらをなんとかしようとするとあちらが悲鳴を上げる、という関係にあるからこそ、それらの相矛盾しうる価値を部分的に両立させるために、なんとかうまく回る仕組みを構築しようと常に試みるのではないでしょうか。

先日来書いている日本型雇用システムと女性労働の葛藤の問題もその一つですし、たとえば新卒採用の問題にしても、新卒採用システムだからこそ救われている学生と、だからこそ救われない学生のトレードオフの問題であり、年齢に基づくシステム故に救われている労働者とそれゆえに救われない労働者の利害調整をどうするか、という問題でしょう。

昨年末のブラック企業の問題にしても、まさに外形的にはブラックだけども将来の保障があるからブラックじゃないというシステムだからこそ救われてきた人々が現に大勢いるからこそ、一部の人々のように単純に「ブラックけしからん」で済ませられるような問題ではなくなるわけです。(ニコ生へのネット上の感想の中には、そういういささか単細胞的反応も散見され、メディアを間違えたかな、という感もありますが)

失業率が低くてうまくいっているんだから、女は我慢しろ、・・・というような理屈で雇用システムの問題が納得させられるようなものではないからこそ、労働問題というのは複雑になってくるわけで、平家さんには似合わず、いささか一次元的な評価になっているのではないかと感じました。

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今こそ考えたい派遣ルールのグランドデザイン

首都大学東京(昔の都立大学)が一般向けに開いているオープンユニバーシティというのがありますが、そこと東京都労働相談情報センター(昔の労政事務所ですね)が共催で労働セミナーを開くということで、そのうちの1回をわたくしが担当することになりました。

https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1041Z005/

>派遣労働をめぐる情勢が混沌としています。リーマンショック後の厳しい雇用環境を受けて、規制色の強い労働者派遣法改正案が作成されましたが、成立は不透明な状況となっています。また、不況による大量の雇止めや、法改正をにらんでの企業の対策が先行し、派遣労働者数は2009年度速報値で前年度比42%減の230万人となるなど、派遣労働者を取り巻く雇用環境は依然、非常に厳しい状況にあるといえます。
一方で、厚生労働省は、「専門26業務派遣適正化プラン」による指導監督を強化する等、コンプライアンスの必要性はますます高まっています。
そこで、本セミナーでは、混迷する派遣労働をめぐる情勢を整理し、システムをどのような方向に改革するのがのぞましいか、将来にわたるグランドデザインを考えるとともに、現実に、実務を遂行していく上で必要となる知識を身につけ、どういった点に注意する必要があるか、最新の動向をふまえながら解説します

2月9日にはわたくしが「今こそ考えたい派遣ルールのグランドデザイン」というタイトルで、

●日本の派遣法改正の歴史

●派遣・非正規労働を取り巻く雇用システムの国際比較

●雇用システムの再構築の中で考えるこれからの派遣労働

についてお話しし、

2月16日には弁護士の山中健児さんが「派遣労働の活用とコンプライアンスの実務」というタイトルで、●労働者派遣の基礎知識 ●コンプライアンスの観点から注意すべきポイント ●労働者派遣法改正の最新の動向(もし改正法が成立していた場合、改正労働者派遣法の概要と対応策)についてお話しされる予定です。

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みしっくさんの拙著書評

昨年12月19日付で、「みしっく今日のひとこと」というダイアリーに拙著への書評が載っていました。ブログではないので検索が遅れました。

http://www.misick.org/diary/201012.html#19

>濱口桂一郎『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』(岩波新書,2009年)を読んだ.

>この国に住んでいる人の大半は自営業や会社役員ではなく労働の対価で生活をしているのだから,労働社会のきしみは国民全体の課題.著者はEUの労働法を日本と比較することを主な研究課題としている模様.米国は年次有給休暇が法律で義務づけられていないなどあらゆる面で先進国の中では特異な国なので,米国と日本の比較にはあまり意味がなく,EUと日本を比較するというのは妥当.・・・

>また,日本では整理解雇に比べて普通解雇の方がずっと規制が緩やかだとして疑問を呈している(EUでは労使間の話し合いにより整理解雇が認められるのに対し,使用者による恣意的な普通解雇が規制されているという)のも,本当にそうなのかどうかはさておき面白いと思った.

>その他の現在の日本型雇用システムの抱える課題についてもなかなか興味深い指摘がなされているが,本稿では省略することとし,関心のある方は実際にこの本を読んでいただければと思う.

と述べられた後、第4章の議論について疑問を呈されます。ここは、本ブログでもご紹介してきたように、玄人筋的に一番コントロバーシャルなところですので、このようなご意見が寄せられるのは大歓迎です。

>著者は諸課題に対する処方箋として,企業別組合(現状ではその大部分は非正社員を排除している)をベースに,(当該企業で働く)すべての労働者が加入する代表組織を構築することが唯一の可能性であると述べる.・・・

>日本の労働者の大半(常用労働者については約3分の2)は中小企業で働いているところ,たとえば従業員規模50人なり100人といった企業では組合が結成されていないところがほとんどであり,企業内に組合を作って安定的に運営していくのは規模的に困難が大きいほか,こうした中小企業では雇用の流動性・不安定性も高いので,企業内での合意形成力は大企業に比べて限定的であると考える.そこで,少なくとも中小企業においては,著者の提案のような方策ではなく,企業の枠を超えて,地域別・産業別の労働者代表組織を作っていくことが不可欠ではないかと思う.

この組織はいまのコミュニティユニオンのような個別労使紛争の駆け込み寺ではなくて,当該地域・産業において過半数の組織率を目指す必要がある.そして,その組織力をベースとした合意形成が,労使双方に納得のいく労働条件の設定,労働環境の改善をもたらし,不況・業績悪化時の対処(賃金引下げや一時帰休などの痛みを伴う対処が不可避となることもあるはず)も労使間でぎりぎりの協議を尽くして行うことによって,不本意さを少しでも低減することになるのではないか,ひいては経営の安定や当該地域・産業の活性化にもつながるのではないかと思う.

その「駆け込み寺ではなく」「過半数の組織率を目指す」労働者代表組織を、いかにして構築できるか?というのが課題であるわけです。

連合総研の「労働者参加の新地平」という報告書の中でわたくしが提起してみたのは、

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1221643644_a.pdf

まさにこの難問に対する一つの回答でした。企業外の労働組合(産別またはナショナルセンター)による援助連携を組み込んだ労働者代表委員会の設置強制という、山のように批判の余地のある、しかしいかなる代替案があり得るのか?答えづらい回答です。

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神野直彦・宮本太郎編『自壊社会からの脱却―もう一つの日本への構想』岩波書店

岩波書店のHPに「編集者からのメッセージ」が載ったようなので、こちらでも宣伝しましょう。

http://www.iwanami.co.jp/topics/ichioshi3.html

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0234840/top.html

今年の2月22日に発行予定の本に、私も1章参加しております。

神野直彦・宮本太郎編『自壊社会からの脱却―もう一つの日本への構想』という本です。

>いま,グローバル化と少子高齢化,貧困と格差の拡大が進み,先行きの見えない日本社会のいたるところで,不安と閉塞感が,また政治や行政,民主主義への不信と諦めが人々の間に巣くっています.「次の時代」を創るための青写真――壊れつつある社会システムから脱却し,次代につなげるための地に足の着いたトータルな構想――が,今ほど求められている時はないといえるでしょう.
 本書は,神野直彦(財政学)と宮本太郎(比較政治・福祉政策論)の二人が編者となり,新自由主義的ヴィジョン破綻後のトータルな新しいヴィジョンを提言する本です.編者のほか,水野和夫(国際金融・世界経済),植田和弘(環境と経済),駒村康平(社会保障),濱口桂一郎(雇用・労働),阿部彩(貧困問題),広田照幸(教育),高端正幸(財政・地域経済)という,各分野の最前線で活躍する論者が,分野の垣根を越えて共同執筆します.
 各領域の相互連関に目を向けながら,問題のありかとこれからの課題解決の方向性を平易に語る本書は,大学生や一般の方々の学習,勉強会のテキストとしても最適なものとなるでしょう.どうぞご期待ください.(敬称略)

【編集部:大橋久美,山本賢】

ということですので、よろしくお願いいたします。

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『DIO』新年号

Dio 連合総研の機関誌『DIO』1月1日号がアップされました。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio256.pdf

特集は「東アジアの社会的発展に向けて」で、

中国における社会的対話の推進と労使紛争の解決に向けて 石井知章

社会保障からみるディーセント・ワークの課題—日韓の現状と今後 金成垣

韓国における雇用の現状と課題—雇用差別是正制度の検討を中心に 盧尚憲

の3本です。

同じくアジアがらみですが、「第15回 ソーシャル・アジア・フォーラムに参加して」という報告が載っております。私も報告者として参加した会議ですので、見ていただければ、と。

上の特集記事の中では、石井さんの中国に関するものがやはり面白いです。最後のところを若干引用しておきますが、ぜひ全文をお読み下さい。

>・・・だが、昨今の労働運動は、明らかに半政府機関として機能してきた中華全国総工会のもつ制度的枠組みそのものを揺るがし始めている。
とりわけ、2010年春の日本企業での一連のストライキでは、労働者の動きが公安当局によって逐次監視され、中央宣伝部による報道統制が敷かれるまでに至っており、既存の制度的枠組みの「外側」で起きていたことが伺える。例えば、今回のホンダにも既成の工会(総工会)は存在していたものの、その代表とは人事管理課の副課長であり、けっして労働者を代表するものではなかった。それゆえに労働者らは、この改組を要求する中で暫定的に新たな代表を選び出し、「工会運動」としてではなく、「労働運動」として直接、使用者側と交渉していた。しかも、今回の運動で中心的な役割を担っていたのは、理想の人生を描き、権利意識に目覚めた「80後(80年代以降)」世代であり、こうした若い労働者たちは既成の制度的枠組みに納められることにはっきりと「ノー」をいいはじめたのである。
 たしかに、工会(中華全国総工会)の根本的な改革は、かつて趙紫陽が到達したレベルでの高度の政治改革が伴わない限り、その実施の可能性はあまり高くないかもしれない。しかもそれは、いまだにタブー視されている趙紫陽と天安門事件の再評価そのものとも密接に関わっているがゆえに、なおさらであろう。だが、既成の価値観にとらわれない若者らによる争議行動が今後とも繰り返されるならば、新たな政治改革を惹起する可能性は十分あり、それだけに継続的に労使関係の変化を注意深く見守る必要があるといえる。

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日本型雇用システムと女性労働の葛藤

3日のエントリ「ネオリベラリズムとフェミニズムとの交叉を論ずるのなら・・・」の趣旨を理解していただくためには、今から四半世紀前の女性労働政策がどのような状況にあったかを振り返っていただく必要があるのかも知れません。

男女雇用機会均等法の制定作業が開始された頃の当時の労働省の女性官僚たちが共同執筆した高橋久子編『変わりゆく婦人労働』(有斐閣選書)という本があります。1983年4月の発行です。執筆者の中には佐藤ギン子、太田芳江、松原亘子等々という名前が連なっていますが、その序文を当時駐デンマーク大使だった高橋展子さんが書かれていて、当時の女性労働政策が置かれていた日本独特の状況が明確に示されています。やや長いのですが、80年代半ばがいかなる時代状況であったかは、今の若い人々には意外と知られていないような気もするので、一つの時代の証言として、読んでいただきたいと思います。

>・・・私は日本における婦人労働問題が他の工業国の場合と比べてかなり特異的なものであるという感を一層深くしてきた。

>特異的といっても、日本の婦人労働が、他と比べて根本的に異質だということではない。むしろ基本的には共通する面の方が甚だ多い。・・・

>こうした基本的な共通性にもかかわらず、日本の婦人労働には、他にほとんど例を見ない特殊な面がある。すなわち、日本の労働市場の原理、慣行の特異性に由来する諸問題がそれである。終身雇用、年功賃金、企業内組合に代表されるわが国の雇用慣行のもとでは、一般に婦人労働者は、男子労働者と同様に、安定した雇用、勤続年数に応じた昇給、良好な労使関係を享受できる-やや類型的に捉えすぎるにせよ-反面、他の工業国には見られない困難に晒されなくてはならないのである。

>まず終身雇用制あるいは終身雇用的原理のもとでは、長期勤続を期待できる男子労働者と比べて、結婚、家庭責任等のために短期に退職する可能性及び確率の高い婦人労働者は、企業にとってはきわめて不安定な労働力と見なされる。終身雇用原理の働かない他の工業国では、男子もいつ辞めるか分からないのだから、それに対応した雇用管理、人事政策が行われるので、女子の勤務年数の短いことがさして問題とはならないが、日本ではこのことは致命的なハンディキャップとなる。そこで経営者は、彼女らに男子と同じ訓練費用を投資することや責任あるポストに登用することをためらう。一方、女子側は、本格的な仕事が与えられない挫折感から、結婚や出産を好機として未練なく退職することとなる。こうして鶏が先か卵が先かの悪循環が繰り返される。

>また年功賃金制の下では、「若かろう、安かろう」で、企業は若い女性(男子もだが)大歓迎である。従って、欧米に見られる若年失業の問題は少ないが、反面、女子の長期勤続は歓迎されないという事態が起きる。女子の従事する仕事の内容と賃金額との乖離が年とともに大きくなるからである。経営者は、女子にいつまでも居座られてはソロバンに合わないと計算するし、同僚の男子労働者は、女子はワリが良すぎると嫉妬し、白眼視する。そこから、わが国特有の「女子の若年定年制」なるものも生まれる(しかも、この明白に差別的な制度の導入・維持には、企業内組合たる労組の同意・支持があるのである)。

>こうして、日本の婦人労働者は、一方でその勤務が短いことを欠点とされ、同時に長すぎるといって非難されるという奇妙な立場に置かれる。賃金は、年功などに関わりなく職務内容によって決まる、という原則の支配する他の諸国では、考えられないことである。

>女子の再就職となると、問題は一層厳しくなる。終身雇用、年功賃金、企業内組合の原則で堅固に構築されている個別企業の閉鎖的な雇用管理体制の枠組みの中に、中途から正規のメンバーとして入り込もうというのは不可能に近い。夫の死亡や離婚という不測の事態に遭遇して慌てて再就職を求める女性、あるいは、子育ての時期を過ぎ、自己開発、能力発揮の意欲に燃えて再就職を求める中年主婦たちにとって、その就業機会がいかに制限されているかは、周知の事実である。多くの場合、それぞれの持っている資格やかつての就業の実績は生かされないまま、パートという名の臨時労働者としての生活に甘んじなければならないのが実態である。いったん家庭に入った中高年女性が、その資格経験に応じた雇用機会を与えられ、さらには、就業中断中に取得した新しい資格をひっさげて、前よりも有利な職に挑戦していく道も開けている欧米の開放的な労働市場とは、あまりにも大きな違いである。

>このように見ると、日本の婦人労働者は、他の国の婦人労働者と共通する困難に加えて、日本独特の困難を背負い込んでいると言える。しかもそれが、わが国特有の労働慣行-今や日本経済の驚異的成功の鍵として世界的に注目されている慣行-に起因するのだから、皮肉なことである。

>思えば、終身雇用を中心とするこの雇用慣行は、かつては日本社会の後進性を象徴するものと見られ、日本の近代化が進めば自ずから変化し欧米型雇用慣行に脱皮していくものと考えられていた。それに伴って、婦人労働も変わり、前述のような日本的問題点も解消されるとの予測も可能であった。が、60年代以降のわが国のめざましい近代化にもかかわらず、この日本的雇用慣行はなかなか変化を見せず、むしろ石油危機等を通じてその有用性を改めて内外に評価され、今日では「三種の神器」的地位を獲得してしまった感がある。その是非は別として、どうやらこれは日本文化の一部として定着してしまい、今後とも微調整はあるにせよ、その基本的パターンは続いていくことになりそうである。したがって、婦人労働問題も、日本的特異性を今後とも引きずっていかなくてはならないことになろう。・・・

ややあきらめムードのただようこの高橋さんの序文が書かれた10年後には、日本社会に新たなイデオロギーが入り込んできました。このネオリベラリズムは、欧米社会では、国家レベルで構築された福祉国家を主たる敵として攻撃するイデオロギーであったのですが、国家レベルの福祉国家がきわめて不完全にしか発達していなかった日本では、それは異なる文脈で理解され、異なる社会的役割を果たしていくことになります。

この本が書かれた当時デンマーク大使をしていた高橋さんにとって、日本のあるべき姿として思い描かれていたのはおそらくデンマークのような福祉国家であったのでしょう。国家レベルの福祉を目の仇にして叩き潰そうとするネオリベラリズムなどは、手を握ることなど考えられない敵と考えられていたでしょう(当時既にイギリスではサッチャー旋風が吹き荒れていました)。

しかしながら、90年代の日本の文脈においては、そういうネオリベラリズムとフェミニズムが奇妙な(少なくとも欧米の文脈では奇妙な)共闘関係に入り込んでいきます。女性労働の足を引っ張る日本型雇用システムを変化させる可能性を持った「敵の敵」としてのつながりですが、少なくともそこには一定の戦略的合理性が存在したことは否定しがたい事実です。

もちろん、ネオリベラリズムが本当に完全勝利してしまえば、女性労働を支えるはずの国家レベルの福祉システム自体も叩き潰されてしまいます。市場を勝ち抜ける一部の「強い」女性を除けば、多くの女性は日本型システムに足を引っ張られない代わりに、市場の荒波に溺れてしまうでしょう。90年代から2000年代にかけての政策の動きは、その三者間のせめぎ合いとして捉えることもできるでしょう。そして、無知蒙昧なマスコミレベルでもてはやされるのは、大体において威勢のいい市場原理主義か、あるいはその全面否定論であって、上記戦略的合理性が合理性を発揮できるだけの社会自体の合理性は必ずしも十分ではなかったわけですが。

ただ、いずれにせよ、上記のような80年代の状況があって90年代の「交叉」があるという歴史的認識は、いかなる立場からものごとを論ずるにせよ、必要不可欠であろうと思います。

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ネオリベラリズムとフェミニズムとの交叉を論ずるのなら・・・

新年の間に届いていた『學士會会報』には、なかなか面白い文章がいくつか載っています。そのうち、テーマとしてはいちばん面白いものであるのに、そのネタの扱い方があまりにも・・・という感を免れないのが、大嶽秀夫さんの「ネオリベラリズムとフェミニズムとの交叉」という文章です。

現代日本の法政策史において、一般的には社会民主主義(アメリカで言う「リベラリズム」)に属すると考えられがちなフェミニズムが、むしろネオリベラリズムと手に手を取って展開してきたことは、かなりの人々が指摘している点であり、それがいかなるメカニズムによって実現されてきたのか、という社会科学的分析こそが、このタイトルから期待される内容であるはずなのですが、残念ながら、大嶽さんのこの文章は、ややもすると赤松良子という男女雇用機会均等法制定時の担当局長の個人的パーソナリティを縷々説明するばかりで、なぜそれがタイトルにある、一般的認識からは逆説的であるような「交叉」を生み出したのを、きちんと説明しようとしていません。

赤松良子というのは、歴史の流れがある個人に与えた一つの役割に過ぎません。それが別の名前であったとしても、大きな流れには何の変わりはなかったでしょうし、なにより、タイトルにあるネオリベラリズムとフェミニズムの交叉現象が、政府の中枢部において明確な形を示すようになるのは、むしろ彼女の引退後の1990年代です。赤松さんが局長として苦闘していたのは、それがそう簡単に「交叉」してくれないからこそであり、だからこそ第一次均等法はネオリベラルな援護を頼むことが出来にくいまま弱体な形での成立を余儀なくされたのであり、そして、本来は社会民主主義的傾向を持ちながら、日本社会の「改革」志向政策の中でまさにネオリベラルな追い風の中でフェミニズムを推し進めたのが、90年代後半期の大澤真理さんをはじめとする人々であったことなども考えれば、この「交叉」論は、90年代における日本の「改革」論が持った知識社会学的インプリケーションをきちんと踏まえる必要があると思います。

女学生時代にべーベルを読んだとか、労働省入省後にボーヴォワールを愛読したとか、東大時代の同級生と結婚して夫婦別姓を実行したとか、アメリカ研修でベティ・フリーダンを読んだとか、赤松良子論を論ずるのならともかく、上のタイトルの「交叉」を論ずるのであれば、本質的なことではないはずです。ここで論ずるべきことは、固有名詞を抜いても論じることが出来る日本社会の動態論であったはずなのですから。

(追記)

はてぶで知りましたが、戦闘的なマルクス主義フェミニストとして一世を風靡した上野千鶴子さんが最近こういうのを書かれていたのですね。

http://www.asahi.com/job/syuukatu/2012/hint/OSK201012240050.html(あなたたちは、企業と心中してはいけない)

>はっきり言って、新卒一括採用という企業の慣行が諸悪の根源です。背後にあるのは終身雇用・年功序列給与制で、この場合、採用リスクが高いので、うかつな採用はできません。企業が学生を厳選しようとして就活は前倒しになり、長期化。学生が専門教育に入るところで就活が始まり、大学教育は非常に悪影響を受けています

日本では社会民主主義の一類型として、マクロレベルではなくミクロレベルでの労使妥協に基づく雇用システムとそれに適合的な社会システムを生み出した結果、それが女性の社会進出に対してきわめて抑制的なメカニズムとなってしまい、それに対する批判としてのフェミニズムが、世界一般において社会民主主義(米語のリベラリズム)に対する批判として登場したネオリベラリズムと、見事に同期化したことが、この上野さんをはじめとするラディカルなフェミニストの言論を、とりわけ90年代において市場原理主義的なものときわめて近いものにした最大の原因となったわけです。

当時の上野さんの発言を拾っていくと、その例証が山のように見つかります。

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