久谷與四郎『労働関係はじめてものがたり×50』
全国労働基準関係団体連合会(全基連)より、久谷與四郎『労働関係はじめてものがたり×50』をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.zenkiren.com/tosho/new-book.html
本書については、巻頭の「寄せて」を書かれている労務屋こと荻野勝彦さんが、すでに「ちょっとフライングですが」といいながら、ご自分のブログでご紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101227#p1([読書]久谷與四郎『労働関係はじめてものがたり×50』)
これをめぐって、本ブログで
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-7f04.html(労働関係の基本的な分け方)
労務屋さんがさらに
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101227#p2([日記]追記)
というやりとりなどもありましたが。肝心のこの本の中身がほったらかしではいけませんね。
実はこの本、日本の労働問題を時間軸の中で考えようという人にとっては、山のような宝庫なのです。
以下に目次を掲げますが、
はじめに
第1章 賃金・労働時間
1 八時間労働制・・・日本を動かした松方の英断
2 家族手当・・・戦時下・物価騰貴の下で制度が定着
3 ボーナス・・・世界に例のない、特異な日本の賞与
4 退職金・・・時代ごとに、さまざまな役割と性格を担う
5 定期昇給制度・・・戦時下の「賃金統制令」で現在の形に
6 三六協定・・・労使協定による残業抑制を期待
7 通勤災害保護制度・・・問題提起から10年、難産のすえ発足
8 生理休暇・・・女性教員だけの決起集会が発
9 年次有給休暇・・・’まとまった休暇’から離れた日本の姿
第2章 雇用
1 終身雇用制・・・経営のニーズに労働者の安定志向がマッチ
2 定年制・・・海軍工廠が発祥の地
3 ワークシェアリング・・・失業の「緊急避難」から「働き方改革」へ
4 雇用調整助成金・・・オイルショックの世論に押されて誕生
5 ハローワーク・・・江戸の医者のアルバイトから新商売
6 集団就職・・・高度成長経済を支え、推進力に
7 ニコヨン(失対事業の日雇労働者)・・・廃止に苦労した戦後混乱期の制度
第3章 法制
1 労働基準法・・・国際基準を目標に燃えた16人
2 労働組合法・・・GHQの民主化政策で一気に誕生
3 最低賃金第一号・・・静岡缶詰協会が誕生をリード
4 週休2日制・・・基準法に’ゴムひも’を付けて推進
5 40時間労働・・・基準法改正から10年をかけて移行
6 男女雇用機会均等法・・・みにくいアヒルの子が白鳥に
7 けい肺と労災保険・・・けい肺対策が給付体系の拡大を動かす
8 解雇のルール・・・解雇権を認めつつ、判例ルールで修正
9 失業保険・・・西欧諸国に遅れ、戦後やっと誕生
第4章 労働運動
1 労働運動発祥之地・・・運動の歴史を刻んで一世紀
2 日本最初のメーデー・・・上野公園で開催される
3 連合結成・・・悲願だった労働戦線統一の実現
4 近江絹糸の人権争議・・・労務管理の近代化を促す強い警鐘に
5 春闘の始まり・・・太田・高野の路線論争の中でスタート
6 「春闘」という用語・・・変遷さまざま、時代を反映
7 労働歌「がんばろう」・・・三池闘争の対決の中から誕生
8 大幅賃上げの行方研究委員会・・・危機的インフレに賃上げガイドライン
9 賃金自粛論・・・賃金闘争に秘められた主導権争い
10 生産性三原則・・・労使に信頼と協力の関係を醸成
11 企業別組合・・・工員と職員の平等化に寄与
第5章 組織
1 労働省・・・戦後の労働改革のシンボル
2 労働基準監督制度・・・「国の直轄」「専任監督官」誕生の苦労
3 ILO(国際労働機関)・・・第1次世界大戦の反省から設立
4 日経連・・・経営者よ正しく強くなれ
5 社会保険労務士・・・人事労務・社会保険のスペシャリスト
6 シルバー人材センター・・・高齢者が自立して就労に生きがい
7 生産性運動・・・戦後の労使関係の枠組みを作る
8 労働金庫・・・労働者による労働者自身のための銀行
第6章 その他
1 野麦峠・・・日本の近代化を支えた少女たち
2 安全第一運動・・・アメリカから輸入した先達たち
3 安全週間・・・運動を仕掛けた3人の男
4 労働科学・・・最善の作業状況を科学的に研究し提案
5 過労死・・・不名誉な日本生まれの国際語
6 QCサークル・・・’日本の労働者’の特質を形成
かなりのエピソードが、わたくしにとってはとても懐かしく(別に経験したというわけではなく、『労働法政策』を書くときにひっくり返した資料を思い出したということですが)、一つ一つ語り出したらいろんな話のネタになっていくようなものです。
ここでは、荻野さんと並んで「寄せて」を書かれている連合の逢見副事務局長の言葉から、最近本ブログで話題の(?)生産性に絡む部分を。
>「生産性3原則」も日本の労働文化の主柱の一つである。戦後荒廃した経済の再建のためヨーロッパで始まっていた生産性運動をモデルにして、これを日本で推進するため「日本生産性本部」が1955年に設立された。労働側は、この生産性運動に当初は懐疑的であった。・・・こうした中で、生産性運動への「労働」の参加を促すために確認されたのが「生産性3原則」であった。・・・ここで強調しておきたいのは、「生産性3原則」に基づいた生産性運動が、日本の「労働文化」を形成してきたと言うことである。最近、日本は世界でも解雇が難しい国なので、「解雇規制を緩和すべき」という議論があるが、そのベースにあるこうした「労働文化」への理解なくして、浮ついた議論はすべきでない。
この経緯を、144ページからの「生産性三原則・・・労使に信頼と協力の関係を醸成」の項目では詳しく説明しています。日本の労働組合ははじめから生産性運動に協力的だったわけではなく、3原則を確認することで参加していったという事実は、労働関係者にとっては常識ですが、そうでない人々にとっては結構意外なことなのかも知れません。
本書では、もう一つ生産性運動に関する「生産性運動・・・戦後の労使関係の枠組みを作る」という項目が178ページから載っています。そこには、郷司浩平氏がヨーロッパの生産性運動を視察したときのエピソードが書かれています。
>西ドイツで郷司は、「労働組合は労働者の日々の生活を改善する団体だ」と言い切る労組幹部の柔軟さに驚き、これが奇跡の復興を遂げた西ドイツの真実だと知る。また、英国では、生産性運動に率先して音頭をとったのがTUC(英労働組合会議)だと聞かされて、「労使が協力して、立ち遅れ、あるいは戦争で消費されたイギリス経済を再建するという高い目標を持っている」と感嘆する。
当時の日本は、メーデー事件に続く破防法反対スト、電産、炭労ストなどの大規模ストが相次ぎ、労使の不信感が渦巻いていた。
そして郷司は、「日本でもこれをやらなきゃいかん。まさに戦後復興に役立つ最も有効な機関である」と決意を抱いて帰国した。・・・
ところが労働側が批判的でうまくいかず、そこから上の生産性3原則が出てくるわけですが、この1950年代半ばの時期には、ドイツやイギリスの労使協調路線が日本の見習うべきモデルと考えられていたということ自体、歴史の中に埋もれて、今やものごとを論ずる人々の頭の中にはあまり見あたらなくなっているように見えることも、まことに皮肉なことといえるでしょう。
今日の時点で改めて考えてみると、わたくしは欧米から輸入された生産性運動が日本の文脈で日本流にアダプトされながら普及していく中で、ある意味で日本独特の問題点もはらんでいくことになったのではないか、とも考えています。
それは、他の項目でいろいろ書かれている日本的な労働時間文化とも絡みますが、自動車産業を筆頭とする製造業においてはきわめて有効に機能した日本的な生産性感覚が、経済のサービス化の中で、必ずしもよい方向に進化していかなかったのではないか、という問題なのですが、これは展開すると結構大問題ですので、ここではこれだけにしておきましょう。
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