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2010年12月25日 (土)

労働関係の基本的な分け方

労務屋さんが、久谷與四郎・全基連編著『労働関係はじめてものがたり×50』への推薦文を「ちょっとフライングですが」といいながら、ブログでご紹介されています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101227#p1

>かつては優れたシステムとして評価されていた「日本的雇用慣行」ですが、最近ではいささか旗色が悪いようです。過労死やワーキングプア、ワークライフバランスなどといった問題に関して「長期雇用、職能給、企業別労組といった日本の雇用慣行に根本的な問題がある。職種別労働市場、職務給、職種別労組へと抜本的な改革が必要だ」といった主張が、不思議なことに自由主義者からも社民主義者からも聞こえてきます。前者が米国やカナダなど、後者が北欧や大陸欧州などという違いはありますが、日本のあり方を否定して海外に範をとろうという発想も共通しています。

>・・・とりわけ労使の当事者にとっては、過去の先達たちの苦心と努力に対して深い思いを抱かせるものと思います。たしかに現在の労働市場、人事管理には問題もあるでしょうし、矛盾もあるでしょう。とはいえ、この本に描かれた過去に較べれば、ずいぶん「マシ」なものになっていることも間違いありません。それは先達の試行錯誤と悪戦苦闘の貴重な成果であり、歴史の必然(と偶然)でもあるのです。

 そう考えると、たしかにあれこれ問題はあるにせよ、日本のやり方をすべて放棄して米国や北欧のようにすればいい、と考えるのはいかにも乱暴だという印象は禁じ得ません。

>何度も繰り返しますがたしかに問題はあります。これからも新しい問題が出てくるでしょう。しかしこの本を読めばわかるとおり、過去をみても新たな問題が出てこなかった時代などなかったのです。そして、労使を中心にさまざまな努力、交渉と互譲と妥協を積み重ねてこんにちがあります。この本を読んだら、今後の私たちにはそれができません、などとは諸先輩にあまりに申し訳なくまた恥ずかしく、とても言えないでしょう。

どうも、ここで批判されている「日本のあり方を否定して海外に範をとろう」とする「社民主義者」にわたくしも含められているようですので、わたくしの基本的な考え方を申し上げておくのも無意味ではないと思います。

まず、労務屋さんは「日本的雇用慣行」とそれ以外で分けて、前者を守るのか否かで基本的な分類をしておられるようなのですが、わたくしはマクロ歴史的に見れば、「日本的雇用慣行」も広い意味での社会民主主義の一部だと考えています。

産業革命以来の自由な市場と生身の労働者との矛盾をどうするかという問題に対して、市場原理絶対でもなく、市場原理否定でもなく、両者をうまく組み合わせながら、企業にとっても労働者にとってもウィン・ウィンの関係が維持できる仕組みを作り上げようという考え方が、今世紀半ばから後半になって多くの先進国で浸透していきました。アメリカのニューディールからドイツの社会的市場経済、そして戦後日本の労使が創り上げた日本的雇用慣行も、この広い意味での社会民主主義の一種です。それはかならずしも政治的な社会民主主義政党と結びついたものでもありません。ドイツ等の社会的市場経済はキリスト教民主主義と密接な関係があります。

このさまざまな「資本主義のバラエティ」の中で、アングロサクソン諸国は1980年代以来市場原理への傾斜を強め、一方ドイツなど西欧諸国は福祉国家の見直しを余儀なくされていきました。

その中で、日本が日本的システムへの自信を却って強めた80年代を経て、90年代に一気に市場原理に傾斜し、最近になってその揺れ戻しがくるというような変転があったために、ものごとの大きな筋道が却って見えにくくなっているように思われます。

いかなるシステムも労務屋さんの仰るように「過去をみても新たな問題が出てこなかった時代などなかった」のですから、常に「試行錯誤と悪戦苦闘」が必要なのですが、その根幹に位置するのは、依然として「自由な市場と生身の労働者との矛盾をどうするかという問題」であることにかわりはありません。

いつの時代であっても、その時代の状況により適合した「企業にとっても労働者にとってもウィン・ウィンの関係」をどう構築できるかという問題を一歩でも二歩でも解決するために、労使始め多くの人々が知恵を絞っているのではないでしょうか。

たまたまある時代環境の中で、当時の労使が「自由な市場と生身の労働者との矛盾をどうするかという問題」を解決するために、その時利用可能な素材を駆使して創り上げた「日本的雇用慣行」という一作品にこだわることよりも、それによって解決しようとした普遍的な課題を、今の日本の時代状況の中で利用可能な素材を使ってどういう風に解決できるか、という風に、問題を設定した方が、より適切であるように思われます。

実は、これはまさに15年前の日経連が「新時代の日本的経営」の中でとろうとしたスタンスでした。わたくしはそのスタンス自体は適切であったと思います。ただ、15年後の現在から見れば、その処方箋は適切なものでなかったことは明らかであるように思えます。

現在の課題は、処方箋を間違えてしまった「新時代の日本的経営」をどう書き換えるか、ということではないでしょうか。その問題意識を「日本のやり方をすべて放棄して米国や北欧のようにすればいい、と考えるのはいかにも乱暴だという印象は禁じ得ません」と切って捨てるのは「いかにも乱暴だという印象は禁じ得ません」。

もちろん、そういう「乱暴」な人々もいますけれどもね。

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