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2010年12月17日 (金)

龍馬かぶれは要らない

699 昨日紹介した中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想する』ですが、やはり面白いのは、巻末の座談会です。萱野稔人さんはここでも大活躍で、先日の私との対談の後半で話題になった国家論が全面展開されています。

なのですが、ここではむしろその前で首都大学東京の谷口功一さんが穏やかな口調で皮肉たっぷりに語っておられるところを引用しておきましょう。

近ごろの政治家、政治評論家、新聞政治部記者によく読んでいただきたいところです。

>・・・それで、その天下国家ということで言えば、最近の政治的アリーナにおいては、明治維新や幕末の志士に絡めたスローガンが連呼されているのをよく耳にしますよね。もちろん私も、それがナショナルな国民の統合の物語として意義があるということを認めるにはやぶさかではありませんが、もう少し、そういう威勢のいいことばかりではなくて、国民の知的レベルにもっと信頼を置いて、原理的な話をして欲しいと思うんです。それは政治家だけではなくて、政策担当者も、やはりそういう原理的志向、議論への志向を持っていただきたい。こういうスローガンは、掛け声としては威勢がいいんですが、実際に何をやるのかははっきり分からない。それをもとにして実際に政治的に何かやってそれが失敗した場合に、それがなぜ失敗したのかということを検証することができないんですね。だからもう少し、アイデアとかプランとか構想を示すときには、分析可能で反論可能性があるものを示して欲しいと思うわけです。ともかく、国際社会の名誉ある一員としてやっていくと日本国憲法にも書いてあるわけですから、「洗濯し申し候(ロンダリング?)」とかですね(笑)、他国語に翻訳できないような政治構想を掲げるのはちょっと再考していただきたい。・・・

政策の各論なきカイカク原理主義は、失敗すればするほど「カイカクが足りなかったからだ」と無目的に自己展開していく傾向がありますからね。

まあ、今朝の新聞各紙を見ても、政治部記者臭が芬々と漂う記事が一杯ですから、犬に嗤われる龍馬かぶれは尽きないようです。

(追記)

龍馬かぶれ批判の大先輩は、「きょうも歩く」の黒川さんでした。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2004/11/1119.html

>前々から、若干の例外の人を除いて松下政経塾出身者は苦手だった。何かというと、坂本龍馬だ、高杉晋作だ、というのが暑苦しくて、もっと冷静に物事を考えられない物なのか、と思った。また、日本はダメになる、という悲壮感たっぷりに課題設定するのも、宗教かがっているみたいでうさんくさい。財政を疲弊させるほど世界一安い税金の国にいながら、税金をもっと安く、と主張する。これらは松下幸之助の受け売りだったのか、とわかる。

こういうタイプが(与野党ともに)どんどん増殖してきたのが、政治の失われた20年であったわけですが。

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コメント

ヨーロッパ社会政策は、教育面では、ユニバーサルな就学前教育からはじめて知識社会に適応してゆける市民を育てようとしていると思いますが、そうした社会での政治家は、一人の志士であるよりも、いろいろな意見を持つ多様な市民の考え方をうまく吸い上げてゆくタイプであることが望まれるように思いますね。

日本では大騒ぎの、PISAで測定される学力も、個別科目の試験をパスできる偏差値を測定するのではなく、自分で聞いて調べて理解して話せる、そういう力を測定することが主目的のように思いますけれど。

龍馬かぶれと聞いて、そう言えば菅首相が高杉晋作に心酔して「奇兵隊内閣」とか言っているんですよね。で、それを田中秀征氏が批判しているんですけど、その中で示唆的なことを言っているんですよね。

http://diamond.jp/articles/-/9797?page=2
「高杉と対決した俗論党政府の指導者も下級武士だったし、幕府の新撰組も一般庶民の代表のような構成だった」

高杉氏を尊敬している田中氏には悪いかも知れませんけど、幕末の志士って乱世の中で庶民が一発逆転狙ってたギャンブラーだったのが、圧倒的多数だったって気もするのですよ。最近そう思うと何か腑に落ちるって気がしちゃう。

結局は、スローガンを連呼する改革主義者(幕末の薩長=現代の革新首長)は勝者となり、幕府の能吏のように、実務に長け合理的に判断する人間は、敗者となる運命なのではないかと、井上勝生『幕末・維新』(岩波新書)を読みながらなにげに思いました。

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