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« 龍馬かぶれは要らない | トップページ | 『季刊労働法』231号 »

2010年12月17日 (金)

連合の「ワーカーズキャピタル責任投資ガイドライン」

連合が昨日、「ワーカーズキャピタル責任投資ガイドライン」というのを公表しています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/sekinin_toushi/index.html

>ワーカーズキャピタルとは、労働者が拠出した、ないしは労働者のために拠出された基金のことです。ワーカーズキャピタルの最も代表的が年金基金です。

 年金基金などワーカーズキャピタルの運用を通じて、直接・間接に企業や社会に実質的な影響を与え得ることを考えれば、労働者(労働組合)はワーカーズキャピタルの所有者として、社会や環境に悪影響を及ぼす企業行動に加担する投資を排除し、公正な市場を確立する社会的責任を認識する必要があります。

 今後、産業別労働組合、企業別労働組合は、ワーカーズキャピタルの所有者責任と権限に鑑み、その運用を委託するに際して、本ガイドラインに基づいた責任投資に取り組みます。

 また、連合は、世界最大の年金基金である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)など公的年金制度の積立金の運用機関に対しても、責任投資を求めていきます。

ガイドライン自体は、このPDFファイルにあります。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/sekinin_toushi/data/20101216_workers_capital.pdf

もともとは労働者が拠出したカネで、労働者がひどい目に遭ってたんじゃやりきれねえ、という話ですが、機能的にはカネを出した途端に資本家サマであって、その資本家サマのご利益になるようになるようにと、機関投資家という召使いが一生懸命やればやるほど、ご主人様のはずのカネを出した労働者がこれでもかこれでもかといじめられるという構図をどうしたらいいのかというのは、社会システムの根本に関わる問題ですね。

もう6年前の『労働法政策』の中で、

>・・・それが20世紀末になって再び株主主権などということが言われるようになったことの背景には、退職者年金基金などの巨大な資金を有する機関投資家が株式市場に出現し、これがその収益を最大化するよう経営者に圧力をかける力を持ち始めたことがある。退職年金基金が巨大な資金を有するようになったのは、20世紀システムの中で社会保障制度が発達し、豊かになった労働者たちの強制貯蓄が膨大な規模に膨れ上がったからである。ドラッカーが「忍び寄る社会主義」と呼んだこの退職年金基金が、経営者に対して資本の論理を突きつける存在として株式市場に登場したということほど、皮肉なことはないであろう。
 この新たな「資本家」は、しかしながらかつての企業主たる巨大株主とは異なり、実質的には外部の債権者と同様の他人資本にすぎないので、中長期的な事業運営などによりも、短期的なリターンの最大化に関心がある。かくして、経営者は「株主価値創造革命」なる名のもと、生産活動などよりも財務成績に狂奔する仕儀となる。
 金融市場のグローバル化の中で、このコーポレートガバナンスの議論がヨーロッパ諸国や日本にも押し寄せてきた。そして、自分たちにとってもっと投資しがいのある企業になるようにと圧力をかけてきている。20世紀末にいたって、利子生み資本の論理が世界を席巻するかの勢いである。

>・・・第3の方向は、富裕化した労働者の貯蓄が金融市場の中で資本の論理の体現者となってしまっている事態の転換である。戦後日本の会社主義においては、株式の持ち合いによって株主の行使可能な権利を可能な限り縮小するとともに、法制的には会社の主権者であるはずの株主を総会屋という非合法な私的暴力装置を用いることで圧伏するというやり方で資本の論理を抑制していたが、このやり方がもはや持続可能でないことは明らかとなっている。それに代わる手段は、金融市場で資本の論理を振り回している者は代理人にすぎず、依頼主である労働者層の利益に反することは許されないということに立脚すべきであろう。「企業の社会的責任」という概念も、まずはそこから出発する必要があろう。

なんてなことを書いたことがあります。

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コメント

株主価値の最大化を望まないのなら
不特定多数の他人様から資本を預かるべきでは
ありません。
すぐ非上場にしましょう。
会社は株主様のものなのです。
従業員は単に雇われている人にすぎません。

>まどかさん
ここで問題にされているのは、年金基金などの機関投資家が「株主」として希望していることと、その「株主」に掛金の形で「出資」している労働者の利益とが相反していることではないでしょうか。
単純に株主vs労働者という話ではないですよ。

連合のガイドラインは、年金基金がワーカーズキャピタルである、という議論の出発点に問題があると思われます。
企業年金基金であれば、労使の合意のもとで基金を設立し、労使代表から構成される代議員会によって運営されますし、国の厚生年金も労使が折半で保険料を拠出し、運営にかかる国の審議会にも労使の代表が参加しています。従って年金基金は労働者の所有物ではなく、その運用にあたっても、労働者の意思のみを一方的に反映させるということは許されないものであり、労使の合意に基づいて運用すべきものと考えられます。
連合のガイドラインの目的は、環境・社会・コーポレートガバナンス(ESG)といった非財務的な価値の実現にあるようですが、こうしたことがわが国にとって死活的に重要な価値があるということであれば、民主主義のルールに則り、国会で多数派を形成して法律を通し、全国民に強制すればよいだけの話ではないかと思われます。逆に言うと、法令で実現できない段階の特定利益集団の主張にとどまることを年金運用を通じて社会に強要するというのはいささか妙な話と思われます。
年金運用に責任投資を求めることは、目的達成のための手段の効率性という観点からしても疑問があります。
株主は、経営者の選任や定款の変更といったことには議決する権利を持ちますが、日々の経営行動や資金使途についていちいち指図することはできません。株主ができるのは、ESGに配慮している企業の株を少し余計に買って、その会社の資金調達コストを多少引き下げる程度のことに過ぎません。これはESGといった価値実現のためには極めて迂遠な行動であり、効率の悪いものです。
責任投資が叫ばれる背景として、年金運用者が短期的なリターンの確保にのみ血道を上げることが指摘されます。しかしながらこれも仕方のないことと考えられます。例えば企業年金であれば、使用者サイドが資金を拠出し、労働者サイドが年金給付を受け取ることになりますが、使用者は少しでも拠出額を少なくしたいと考え、労働者は少しでも多くの給付を受けたいと考えます。両者のぎりぎりの交渉の結果として拠出と給付が決まるわけですが、年金運用者としては、そのようにして決まった拠出金を運用するにあたっては、両者の利益を考え、リスクを抑えつつ最大限のリターンを目指すことを第一の目標とせざるを得ないと思われます。その結果として短期的なリターンを追い求める年金基金が出現するのも致し方のないことです。労働者サイドとして、それでもESGの価値実現を目指したい、ということであれば、責任投資に努めた結果、運用成果が上がらない場合には年金給付の削減も容認する、と譲歩すべきものと思われますが、連合のガイドラインにはそのような記載はありません。

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